2017年9月18日

本国メディアで絶賛されたアキラ・タナの『音の輪』

   OverSeaが大好きなドラマー、アキラ・タナが、今年も日系人スーパー・バンド『音の輪』を率いて今年も来日ツアーを行います。ツアー・スケジュールはこちら

  アキラさんの"日系米人によるジャズ・ユニット"というコンセプトは、今から25年前、ケイ赤城(p)と、アキラさんの音楽的パートナーであるルーファス・リード(b)と組んだ『アジアン・アメリカン・ジャズ・トリオ』(1992)のアルバム〈サウンド・サークル〉に芽生えていました。そこから約20年後、東北大震災が起こり、被災地復興のために努力したいという気持ちから、特別編成のバンドを組み、地元サンフランシスコで開催したチャリティ・コンサートが大好評を博したのを機に、アキラさんが抱いていた音楽コンセプトは大いに発展を見ることになりました。

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 『音の輪』(左から)マサル・コガ(reeds), アート・ヒラハラ(p), アキラ・タナ(ds), ケン・オカダ(b)

  サンフランシスコの日系人コミュニティの後押しで、『音の輪』を率いて2013年から始めた『東北応援ツアー』と銘打った被災地でのチャリティ・コンサートやクリニックは、現地の方々に毎年親しまれ、今年も9月末から福島県いわき市を皮切りに福島、岩手、宮城の被災地だけでなく関西での一般公演も各地で予定されています。 

 継続は力なり!アキラ・タナのリーダーシップの元、マルチ・リード奏者、マサル・コガ、ピアニスト、アート・ヒラハラ、ベーシスト、ケン・オカダという名手を擁し、レギュラー・バンドでしか叶わない、ソリッドで心のこもった『音の輪』ならではのプレイは、ジャンルを越えて聴く者の胸を打つ力があります。 

 これまで『音の輪』は2枚のアルバムを発表していますが、昨年リリースされた〈Stars Across the Ocean〉は、ダウンビート誌で大きな評価を受けました。選者は、NPRのジャズ番組のプロデューサー、NY大学で教鞭をとるジャズ評論の大家、ハワード・マンデル氏!アメリカ人評論家が感動したジャパニーズ・アメリカンな『音の輪』の世界。日本語に訳したので、ぜひご一読ください。

 

otonowa_stars_across_the_ocean.jpgダウンビート誌

2017年4月号より(原文はインターネットでも読めます。

AkiraTana and Otonowa
Stars Across The Ocean
SONS OF SOUND037 
★★★★

 

Stars Across The Ocean』は、日系ベテラン・ドラマー、アキラ・タナ率いるカルテット"音の輪"による、東日本大震災(2011)被災地復興支援を目的とした第二作目のチャリティー・アルバムだ。

 洗練された表現で魅せるポスト・バップから、日本の民謡、歌謡曲、そして仏教由来の旋律を、心を込めて様々にアレンジしたヴァージョンまで、幅広い内容となっている。それぞれの曲は、バンドの強力な一体感によって、津波の悲劇に対する献辞とも感じるが、そのような経緯を知らないリスナーでも、充分に楽しめる作品だ。アルバム全体にはメランコリーなムードが漂うものの、"音の輪"の音楽的な主眼は、モダンジャズの伝統をしっかり踏まえつつ、しなやかさと明瞭さを持って、いかなる素材も秀逸にこなす点に置かれているようだ。

強靭で熱く、それでいてカラフルな光彩を放つタナのドラミングに推進されたピアノのヒラハラは、ソロを取っても、バックに回っても、十二分に実力を発揮し、気合の籠ったプレイを繰り広げる。マルチ・リードのマサル・コガは、どの楽器を取っても名手の域に達する逸材、特にソプラノ、アルト、テナーの三管が素晴らしい。ジョン・コルトレーンの影響がみられるが、端正なフレージングとほとばしる情熱は、彼ならではしっかりした個性がある。ベーシスト、ケン岡田も、タナと息の合った手堅いプレイを聴かせている。

また、本作ではジャズにお馴染みの趣向もしっかり堪能できる。例えば〈どんぐりころころ〉の進行は"リズムチェンジ"だし、〈テムジン〉の導入部には〈フリーダム・ジャズ・ダンス〉の片鱗を感じる。そしてタナのオリジナル曲、〈ホープ・フォー・ナウ〉ではアート・ブレイキーを彷彿とさせる強力なドラミングが聴ける。だが、傑出したトラックには、やはり日本のマテリアルが多い。ピアノレスで演奏される童謡〈とうりゃんせ〉とコガの尺八をフィーチャーした〈黒田節〉が出色。そして、古典的TVアニメのテーマソング〈鉄腕アトム〉では、非常に深く掘り下げた演奏解釈が思いがけない収穫だ。

評:ハワード・マンデル

 akira_tana_2016.jpgさて、アキラさんの毎回の来演を心待ちにしているOverSeasでは、10月31日(火)に、おなじみの愉快な仲間、寺井尚之(p)と宮本在浩(b)のトリオで、スペシャル・ライヴを開催します。

Akira TANA Live at OverSeas(前売りチケット制)

【日時】10月31日(火) 開場:18:00~
MUSIC: 1st set 19:00- /2nd set 20:00- /3rd set 21:00- (入替なし)
チケット制:前売り ¥3500(税抜)
当日 ¥4000(税抜)

 店が狭いので、早めにチケットをお求めください。

2017年9月14日

翻訳ノート:ビル・エヴァンス「Another Time : The Hilversum Concert」

お久しぶりです。

長らくブログ更新お休みしている間、OverSeasでの仕事と翻訳をしていました。

 8月末にリリースされてから、大きな話題を巻き起こしているビル・エヴァンスの未発表音源「Another Time: The Hilversum Concert」(Resonance Records / キングインターナショナル)日本語ブックレットも、とてもやり甲斐のある仕事でした。

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「世界の発掘男」から、今や世界中のジャズ・ファンがその動向を注目する大物プロデューサーとなった ゼヴ・フェルドマンが放つビル・エヴァンス・トリオ(エディ・ゴメス-bass、ジャック・ディジョネット-drums)の歴史的音源、ジャズ雑誌の巻頭記事や、大手新聞の音楽欄にも紹介されています。(キングインターナショナルのアルバム紹介ページはこちらです。)

 NYタイムズに「コレクターの理想とする"芸術作品としてのアルバム"制作を追求するレーベル」と評されたResonanceが誇る充実のブックレット、今まで何度か翻訳のチャンスをいただいたのですが、関係者やミュージシャンの特別寄稿文やインタビューなど、読み応えのある内容に作り手の熱意がひしひし伝わってきて、翻訳作業もやり甲斐のあるものですが、同時に、原文の素晴らしさ、楽しさを、読んで頂く方にしっかり伝えなければと、身の引き締まる思いです。

 ブックレット翻訳は私だけではなく、いつもキングインターナショナルの関口A&Rディレクターとの共同作業です。今回は特に、ビル・エヴァンスのインタビューが引用されていて、大きな読みどころになっています。英文を日本語にする際には、"I"という一人称でも、「私」にするか「僕」にするかで、大変印象が変わってしまいますから、エヴァンスの話しぶりを、日本語でどのように伝えるべきか、貴重な過去の資料を基に細かい打ち合わせがありました。また本作の録音場所がヒルフェルスムというオランダの都市で、前例のない人名や地名のカタカナ表記は、関口ディレクター自らオランダ王国大使館とタッグを組み、最も言語に近い表記で、さらにわかりやすくエヴァンスが愛したヨーロッパの演奏地の臨場感が出ました。

 そんなわけで、今回は最も学ぶところの多かった翻訳となりました。日本語盤の児山紀芳氏によるライナーノートももエヴァンスの音楽史に於けるこのアルバムの意義が一目瞭然にわかる素晴らしい内容!日本語版ブックレット、名演奏のお供に楽しんでいただければとても嬉しいです!

 

2017年7月31日

寺井珠重の対訳ノート(50)酒とバラの日々:再考-その2

<酒とバラの日々の源流は>

Paul-Gauguin - Nevermore - 1897.jpg  『Nevermore』ゴーギャン作(1897) ロンドン、コートールド・ギャラリー所蔵 

 〈酒とバラの日々〉ーヘンリー・マンシーニの美しいメロディーにジョニー・マーサーがつけた歌詞は、私にとっては謎、謎、謎だらけ、昔対訳を作った後に見つけた上のヌードのタイトル'Nevermore'は、まさしく〈酒とバラの日々〉の詩の中、唐突に登場する草原の中のドアに記された謎の文字だったのだ。

 エドガー・アラン・ポーの《大鴉》と〈酒とバラの日々〉のキーワードは、ゴーギャンのアートのキーワードにもなっていた!調べてみると、アメリカ人、アラン・ポーの文学は、米国よりも、ヨーロッパでずっと大きな評価を受け、フランスや英国の世紀末芸術、特に象徴主義(Symbolisme)と呼ばれる芸術運動に大きな影響を与えていたのだった。《大鴉》は、最初ボードレールによって仏訳され、マネや「ふしぎの国のアリス」でおなじみの絵本画家、テニエルが挿絵を担当し、何度も出版され、カルト的人気を博したらしい。

 象徴主義(Symbolisme)は、「芸術の本質は"観念"をかたちにして表現するもの」と主張する芸術運動で、先に述べたボードレールや、音楽の世界ではドビュッシーといった人たちが、代表的アーティストと言われています。加えて、〈酒とバラの日々Days of Wine and Roses〉という言葉を創ったアーネスト・ドウソンも、ゴーギャンも、芸術史では、象徴主義のカテゴリーに入るとされている。ゴーギャンはこの作品と《大鴉》の直接の関係を、ゴーギャンは否定しているけれど、パリで開催されたアラン・ポー自身による《大鴉》の朗読会に出席した後、タヒチに渡り、この絵を描いたことは事実として証明されているらしい。

345px-Ernest_Dowson.jpg <デカダン詩人に乾杯>

 前回書いたジョニー・マーサーの作詞の状況を整理してみよう。

〈酒とバラの日々〉は、同名映画のテーマソングとして、まずヘンリー・マンシーニが曲を書き、ジョニー・マーサーが詞をつけた。

 マーサーは、作詞の依頼を受けた時、映画の内容を全く聞かされていなかった。でも、マーサーが、このタイトルの出処を知っていたとしても、 不思議じゃない。〈酒とバラの日々〉という言葉は、アーネスト・ドーソン(Ernest Dowson 1867-1900)という英国の詩人の詩から引用されたものだ。

 ドーソンは英国の世紀末=デカダン文化を代表する詩人。ジャズと縁の深いラクロの背徳小説「危険な関係」やヴェルレーヌの詩集を英訳して初めて英語圏に紹介した翻訳者でもあり、ロリータ・コンプレックスの人でもあった。彼自身、アルコール中毒で、結核を患い、鎮静剤の過剰摂取のために三十代半ばで亡くなっています。

 じゃあ〈酒とバラの日々〉の先祖となるドーソンの詩を訳してみることによう!詩のタイトルはラテン語で、紀元前1世紀(!)に活躍した古代ローマの詩人、ホラティウスの詩句からの引用だった。詩の世界はジャズよりもずっと長い間、引用が繰り返されるんだなあ...

Vitae summa brevis spem nos vetat incohare longam

儚い人生は、我らに希望を持ち続けることを許さない

 

They are not long,
 the weeping and the laughter,

Love and desire and hate;

I think they have no  portion in us after

We pass the gate.

長続きはしない、
 涙も笑いも、 
 恋も欲望も憎しみも;

我は思う、
一旦、門を通り過ぎれば
それらは心から消えるものだと

 

 

 

They are not long, 
 the days of wine and roses,

Out of a misty dream

Our path emerges for a while,
 then closes

Within a dream.

長続きはしない、
 酒とバラの日々、

もやのかかった夢の中から、

暫らくの間、我らが共に歩む道は現れ、
 そして閉ざされる
夢の中に。

 

 〈酒とバラの日々〉の中で'Nevermore'と記された「扉=Door」の原型は、ドーソンの詩の中に登場する「門=Gate」だったんだ!

酒とバラの日々は、

鬼ごっこする子供のように、

草原を走り、

閉じ行く扉に向かって逃げ去る―

"もう二度と..."と記された扉は・・・

 

 さらに調べてみると、マーガレット・ミッチェルの小説から映画化された「風と共に去りぬ/ Gone with the Wind」もドーソンの詩句の引用だし、それ以外にもコール・ポーターも彼の詩を元に曲を創っている。さらに、ドーソンが最も愛した詩人は、エドガー・アラン・ポーだった。

 ジョニー・マーサーは、ドーソンや彼の詩をよく知っていたからこそ、この素晴らしい歌詞を創作したのだとしか思えないのです。例えば〈How High the Moon〉の進行を元に、チャーリー・パーカーが〈Ornithology〉を、ジョン・コルトレーンが〈Satellite〉を創ったように...19世紀のデカダン詩人の作品を元に、全く新しい歌詞の世界を創ったマーサー恐るべし。

 <ゴーギャンからダリへ>

Dali-face-door-hall-IMG_5726_Fotor_Fotor.jpg 'Nevermore'の扉に悩みながら、ジョニー・マーサーの伝記を読んでいると面白いことが書いてありました。
〈酒バラ〉を大ヒットさせたアンディ・ウィリアムズも私と同じように、'Nevermore'の意味が判らないと打ち明けて、マーサーに教えを請うたのだそうです。すると、マーサーはこんな風に説明してくれた。

 「比喩的なものなんだ。草原を歩いていると、突如としてドアが出現する。そして文字が書いてある。ドアの向こうは見えるけれど、そこに入ることはできないんだ。」

 マーサーは、ドーソンの時代の象徴主義を、もっとモダンなかたちで表現してみせたのだった。

 Youtubeで見つけた〈酒とバラの日々〉のアカデミー賞授賞式、ジョニー・マーサーのいたずらっぽい、短いスピーチが、そっと種明かしをしてくれているみたいです。

「ミスター・ドーソンよ、美しいタイトルをありがとう、

ミスター・マンシーニよ、美しいメロディーをありがとう。

とにかく感謝します。」

 

 

2017年7月22日

寺井珠重の対訳ノート(50)酒とバラの日々:再考

 OverSeasの月例講座「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」が再びエラ・フィッツジェラルドとの名演時代に入り、また色々な「歌」と再会中。 

 皆さんご存知のように、〈The Days of Wine and Roses (邦題:酒とバラの日々)〉は、ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞、半世紀以上前、1962年の映画の主題歌。子供の頃【アンディ・ウィリアムズ・ショウ】というTV番組があって、アンディ・ウィリアムズが、ソフトな声でこの曲を歌ってた。昔は、誰でもが知っているポピュラー・ソングだったけど、今はどうなのかな?

<たった二つのセンテンス>

dayswineroses.jpg 映画〈Days of Wine and Roses〉は、巨匠ブレイク・エドワーズ監督作品。タイトルは19世紀末のデカダン詩人、アーネスト・ソウソンの詩の一節で、原案はTVの90分ドラマだった。

 映画の内容は、幸せなはずの夫婦が、アルコールに溺れ、破綻していく社会派悲劇。'60年代のアメリカは、ビジネス・ランチにマティーニ三杯が当たり前のお国柄、アルコール中毒は、現在のドラッグ同様、あるいはそれ以上に、深刻な社会問題だったのです。

 ブレイク・エドワーズ+マンシーニ+マーサーのコラボは、その前年、オードリー・ヘップバーンの代表作となった『ティファニーで朝食を』で大成功!主題歌〈ムーン・リヴァー〉は映画と共に、今でも愛されるポピュラー・ソングになっている。そしてこの歌も...と、まあ、足跡講座のために歌詞対訳を作ったことがきっかけで、ブログに書いたのは、十年近く前のことだった。 

 エラ&トミー・フラナガン・トリオのライヴ盤『The Lady Is a Tramp』(於:ベオグラード、'71)での〈酒とバラの日々〉は、ヴァンプで盛り上げていくヴァージョン、歌詞をじっくり聴いて、まず面白いと思ったのは、一般的な32小節、A1-B1-A2-B2形式の淡々としたメロディーに沿う歌詞が、16小節ずつ、たった二つのセンテンスで成り立っている、ということでした。

 自然の風が吹くような美しく大らかな響きはジョニー・マーサーの真骨頂、淀みない大河のような言葉の流れや、わざとらしさを感じさせない脚韻、これらをすっきり日本語に置き換えるのはやっぱり無理だ~!

 

The Days of Wine and Roses /酒とバラの日々

Henry Mancini 曲 /Johnny Mercer 詞

The days of wine and roses

Laugh and run away

Like a child at play

Through the meadowland

Towards a closing door,

A door marked "Nevermore,"

That wasn't there before.

酒とバラの日々は、

鬼ごっこする子供のように、

草原を走り、

閉じ行く扉に向かって逃げ去る―

"もう二度と..."と記された扉は、

今までなかったのに。

 

 

 

The lonely night discloses

Just a passing breeze

Filled with memories

And the golden smile

That introduced me to

The days of wine and roses and you.

それは孤独な夜に、

思い出をを連れてくる

一陣の風のいたずら、

あの輝く微笑みが僕にもたらした、

酒とバラ、そして君との愛の日々。

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(アカデミー賞授賞式にて:左‐ジョニー・マーサー、右‐ヘンリー・マンシーニ)

 作詞家、ジョニー・マーサーは、アイラ・ガーシュインはじめ、多くの先輩作詞家たちの尊敬を一身に集めた大巨匠だ。ジャズ・ミュージシャンにとってスタンダード曲の教科書ともいうべき、エラ・フィッツジェラルドの『ソングブック・シリーズ』全8作の中で、作曲家ではなく、作詞家を特集したソングブックはジョニー・マーサー集だけ。それほどマーサーの歌詞は特別だった!

 それは、マーサー自身が、歌詞とメロディーの融合をじっさいに表現でできる素晴らしい歌手だった、ということも「特別」な要素ではあるけれど、それ以上に他の作詞家と一線を画するバックグラウンドがあったから。何故なら、ポピュラーソングの黄金時代を牽引した作詞家の大部分はユダヤ系移民で、目から鼻に抜ける感じのシャープな味わいを身上としていました。トレンディな造語や、シャープなウィット、いかにも大都会NYの香りがする恋愛などなど...一方、マーサーの生まれはジョージア州サヴァナの旧家、先祖はスコットランドまで辿ることができ、彼の系譜には南北戦争の南軍の勇者から、パットン将軍まで、米国の名将がゴロゴロ登場します。そんなマーサーの幼年時代は、豊かな大自然と、彼の世話をしてくれる黒人のメイドの子守歌が満ちていた。夢のような幼年時代から一転、祖父が事業に失敗し、実家は破産、マーサーは大学進学を諦めて故郷を離れるという辛酸を舐めた。後年、名声と財産を得たマーサーは、当時のお金で30万ドルという大金を、祖父の債権者に返済し借金を清算した、といいます。幼年時代の人生の浮き沈みが、こころに滲みる歌の情景を創り出すのかも知れません。なるほど〈スカイラーク〉には胸がキュンとするような、いつまでも見ていたい空の情景が、〈ブルース・イン・ザ・ナイト〉には、ディープ・ブルーな南部の香りがありますよね。

<映画の内容を知らずに...>

JohnnyMererPencilCROP.jpgJohnny Mercer (1909-1976)

 さて〈酒バラ〉に戻りましょう。ジョニー・マーサーは作詞にあたって、マンシーニの曲と、歌と題名をもらっただけ。映画が、どんな内容なのかは、全く説明も受けていなかったと語っている。彼自身がそうだったアルコール依存症がテーマとは思いもつかなかったらしい。「ワインとバラの日々」というお題から、てっきり「バラ戦争」を描く時代劇だと思い込んだんだと語っているけど、はてさて...真実なのかジョークなのか?

 マーサーは、マンシーニ邸で〈The Days of Wine and Roses〉を何度も弾いてもらい、当時、登場したばかりのカセット・レコーダーに録音して家に戻った。帰りの車中、どんな歌詞にしようか、色々と考えてはみたものの、タイトルが長すぎて、全くアイデアが浮かばない。ところが、家に戻り、ピアノのある部屋で壁にもたれて一杯やっていると、ふと最初の16小節のセンテンスが浮かび、残りの16小節も、書き留めるのが間に合わないほど歌詞が溢れてきた!まるで神が僕に代わって作ってくれたようものだ。作詞のクレジットは僕ではなくて"神"としておいてほうがよさそうなほどだった...

 2日後、マンシーニとマーサーは出来上がった主題歌を持って監督に聴かせるために、ワーナー・ブラザーズの撮影所に赴いた。この当時は、スタジオで音源を録音したりぜすに、作者が実際に聴かせていたんですよね。オーディションの場は、撮影現場に近い古ぼけた木造の音楽スタジオで、だだっ広いお化け屋敷か納屋のような気味の悪い場所だった。百戦錬磨の作曲家でありながら、マンシーニは、「ダメ出しされるのではないか?」と不安になるタイプだったようですが、マーサーは、元々一流バンド・シンガーでしたから、堂々たる歌唱を聴かせたそうです。オーディションには、監督のブレイク・エドワーズに加え、主役のジャック・レモンが同席したと、マンシーニは回想しています。―「ジョニー・マーサーは彼の作品だけでなく、誰の作品でも、最高のパフォーマーだ。彼は人を魅了する術をもっていたのだ。私は広大なスタジオでピアノを弾き、ジョニーが、彼の一番良い低音で〈The Days of Wine and Roses〉を歌った。少しかすれ気味の、ジャズ的な抑揚がある声だ。 」

 「プロデューサー達の前で、自作曲を演奏するとき、私は決して彼らの顔を見ないようにしている。少々被害妄想の気味があるのでね。彼らが目に入らないように、肩を向けて演奏した。もちろんジョニーは、彼らの方を向いて歌を聴かせた。エンディングの後、長く重苦しい沈黙が流れた。10秒ほどの沈黙が、私には10分に感じた。その間、私は、ひたすら鍵盤を見つめていたが、とうとう我慢できなくなり、ブレイクとジャックの方を見た。するとジャックの頬に涙が流れているが見えた。ブレイクの目も潤んでいた。もう、彼らに、この歌を気に入ったかどうか、尋ねる必要はなかった...」

<ゴーギャンとダリを結ぶ点と線>

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 対訳の上で、私がもうひとつ、気になってしかたなかったのが、最初のセンテンスにる"Nevemore"という言葉でした。英語の詩を読むのが趣味の方なら、エドガー・アラン・ポーの物語詩〈大鴉=The Raven〉をご存知でしょう?恋人を失い、悲嘆にくれる青年の部屋に、一羽の大きなカラスが飛んできて、繰り返し彼にこの言葉を発して、最後には、カラスの言葉によって青年の魂は崩壊してしまう、というミステリアスな詩です。

 前回、対訳したときも、この"Nevemore"をどないして日本語にしようか?"決してない""二度とない""もう終わった"...どないしょう?と色々悩み、今回も悩みました。これからも悩むでしょう。

 それから数年、洋書屋でゴーギャンの画集を立ち読みしていたとき、Nevemore"とカラスをあしらった上の絵に遭遇したのでした。(続く) 

2017年5月30日

翻訳ノート〈スモーキン・イン・シアトル - ライヴ・アット・ザ・ペントハウス 1966〉

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  4月29日発売以来、ウェス・モンゴメリー&ウィントン・ケリー・トリオが遺した歴史的未発表音源、〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉(Resonance/ キングインターナショナル)が、米国のみならず、各方面で大きな話題を呼んでいます。

 ジャズギターの金字塔アルバム〈Smokin' at the Half Note〉の僅か7ヶ月後のライヴ録音、ウィントン・ケリーは体調不良で降板したポール・チェンバースに代り、ロン・マクルーアをレギュラー・ベーシストに起用し、ウェス・モンゴメリーと共に9週間のツアーに出ました。この録音はツアー開始後まもなく、シアトルにあった人気ジャズ・クラブ《ペントハウス》から生中継されたラジオ音源を、世界の発掘男と呼ばれる名プロデューサー、ゼヴ・フェルドマンが熱血手腕によってアルバム化したものです。ウィントン・ケリー・トリオ、ウェス・モンゴメリー共に絶好調、理屈抜きにジャズの楽しさとが伝わってきて、'66年の西海岸にタイムトリップしてラジオを聴いているような気持ちになります。

 日本盤に付いている、原田和典さん書き下ろしの、とても判りやすくて興味深いライナーノートは必読! 
 そして《Resonance》の専売特許である貴重写真と豊富な資料の付録ブックレットの日本語訳は、CDに付いている応募ハガキを送るともれなく返送されるという楽しい趣向になっています。日本語版のスペシャル・ブックレットは同時リリースされて、これまた大ヒットを記録しているジャコ・パストリアスのNYでの歴史的コンサートのライヴ盤〈Truth, Liberty & Soul〉の付録資料とペアになっています。

 〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉のブックレット資料翻訳は、不肖私が担当しました。現存する参加ミュージシャン、ジミー・コブ(ds)とロン・マクルーア(b)の証言、ケニー・バロン(p)によるウィントン・ケリー論、パット・メセニーのウェス・モンゴメリー礼賛文などなど、ジャズ史に興味ある者なら、あっと驚く秘話の宝庫。そして、メセニーのまっしぐらなウェス愛にすごく共感しました!翻訳中、マクルーアさんから、色々なお話を伺うこともでき、私にとって一層光栄な仕事になりました。公民権法が制定されたとはいえ、この当時、黒人であるウィントン・ケリーが白人ベーシストであるロンさんを起用すること自体が、大英断であったそうです。

511FHBodjqL._SY355_.jpg〈Truth, Liberty & Soul〉の翻訳は『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』や『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術』などのアシュリー・カーンの著作を初め錚々たるジャズ・ブックのベストセラーを手がけてこられたプロ中のプロ、川嶋文丸さんが担当されました。充実した内容もさることながら、翻訳のペエペエにとって、すごく勉強になりました!

 現在のジャズの世界で、異例ともいえる日本語版スペシャル・ブックレットの実現は、キングインターナショナルの敏腕A&Rディレクター、関口滋子さんの熱意によるものでした。関口さんの盟友である《Resonance》の名物プロデューサー、ゼヴ・フェルドマン氏が集めたジャズの貴重な歴史証言の数々を、「一人でも多くの日本のリスナーと共有したい!」という思いに駆られ、編集、制作をやってのけたのだそうです。「インターネットで気軽に何でも調べられるように思える時代でも、知り得ることのできなかった真実、関係者が語ったからこそ伝わる浮かび上がるドラマ。それらを一つの作品として、ポリシーを以って伝えようとするゼヴ・フェルドマン氏の仕事は、多少の困難があってでも、きっちり伝えて行きたい!」とおっしゃっています。 

  ゼヴさんがその仕事ぶりを絶賛してやまない関口ディレクターは、おっちょこちょいの私とはまるっきり対照的な女性といえるでしょう。普段は知的で物静かですが、仕事モードになると強力なパワーを発揮します。少女のように華奢で小柄な彼女のどこにこれほどのエナジーが秘められているかは不明ですが、面白い小冊子が出来あがりました。〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉〈Truth, Liberty & Soul〉-2017年出荷分のどちらのアルバムにも梱包されている応募ハガキを送るともれなくもらえるそうです。発売後1ヶ月あまり、予想を遥かに越える応募ハガキが毎日どっさり届き、嬉しい悲鳴を挙げておられるようです。

 ジャズの現場に立ち会った人々の生々しい証言は、音楽の感動に新たな彩りを添えてくれます。興味の尽きないジャズ史の断片が垣間見えるブックレット、ぜひ読んでみてくださいね!(了)

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2017年5月15日

GW38周年記念ライヴ日記

 0503IMG_6778.JPG OverSeasは今月で開店38周年を迎えることが出来ました。これも一重に、今までご愛顧くださったお客様のおかげ、感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。

 38周年を記念して、大型連休中に4夜連続の特別ライヴを開催しました。

a0107397_434629.jpg 初日、5月3日中井幸一(tb)セクステット!トミー・フラナガン参加のJ.J.ジョンソンのグループが遺した名演目の数々、そしてカーティス・フラー&ベニー・ゴルソン・クインテットの名盤『Blues-Ette』に収録された名曲を、中井さん(左写真、左)とテナーの中務敦彦さん(左写真、右)の名コンビに、浪速のケニー・バレル=末宗俊郎さん(上写真、右端)のギターが一枚加わり、寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)ががっちりとリズムセクションを固めるという豪華なメンバーで演奏する趣向。トロンボーン奏者だけでなく、編曲家としても定評のある中井幸一書き下ろしアレンジの魅力と6名のプレイヤー達のアドリブ力が十二分に発揮された演奏になりました。

 この日聴きに来てくださったジャズ評論家、後藤誠氏の論評も素晴らしいものでした。

「50年代を代表する2大バンド、すなわちJ.J.Johnson-Bobby Jasper-Tommy FlanaganのクインテットとCurtis Fuller-Benny Golson-Tommy Flanaganのクインテットがレコードに残した名曲・名演を、絶妙のアンサンブルと切り詰めた構成で見事に再現した。」:後藤誠のジャズ研究室より

0504DSCN0017.JPG 5月4日  はベテラン・テナー奏者、荒崎英一郎さん(左写真)が、寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)をバックに、ワンホーンでハードにブロウするセッション。「38周年記念」ということで、普段とは全く違うプログラム、チャールズ・ミンガスの〈Boogie Stop Shuffle〉や〈Goodbye Porkpie Hat〉それに寺井尚之がまず演らないウェイン・ショーターの曲〈Night Dreamer〉!荒崎さんのプログラムを、しっかりとリハーサルして、カルテットで聴き応えのあるプレイを繰り広げました。

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 5月5日は、アルト奏者、岩田江さんとメインステムとの一大ビバップ・セッション、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーのバップ・チューンが次から次へ、メインステムの好サポートで岩田江の伸びのある美しい音色が、一層輝きを増しました。

 寺井尚之も愛奏するディジーの〈Con Alma〉や〈エンブレいさブル・ユー〉も、岩田さんのヴァージョンになると、また違い色合いになり、常連様たちは、聴き比べがとても楽しかったようです。

 初めて岩田さんのサウンドを生で聴いたお客様は、その美しさに驚いたようです。

0506DSCN0063.JPG 最終日5月6日は、寺井尚之メインステム(宮本在浩 bass 菅一平 drums)のスタンダード集、日頃はデトロイト・ハードバップ一筋の硬派ピアノ・トリオが、連休中だけ披露する〈セント・ルイス・ブルース〉や〈スターダスト〉など鉄板スタンダードのオンパレード!

 寺井尚之が定番曲の手垢を落とし、長年演奏され続けるスタンダード曲へのリスペクト溢れる、豪快なアレンジが揃いました。中でも聴きものは、寺井尚之がトニー・ベネットやナットキング・コールなどの名シンガーの歌唱をピアノでモノマネする〈As Time Goes By〉、キーやリズムがどんどん変わって、"なるほど~!"という決まりの節回しやビブラートがピアノで再現されるピアノ声帯模写、お客様のみならず、トリオのメンバーたちまでニンマリ!最後はエラ・フィッツジェラルド+トミー・フラナガン・コラボのパンチの聴いた転調で、楽しいGWライヴの幕が閉じました。

 私にとってもこの四日間の特別ライブは、リハーサルも含めて、本当に色々と学ぶところが多かった。 料理も音楽も、良い素材と丁寧な下ごしらえがあってこそ、技量が光る!と勝手に納得。特別なライヴに相応しい、特別なプログラムを持ち寄って、バンドとしてまとまりのあるライヴにしてくださった中井幸一、荒崎英一郎、岩田江のリーダー達には、惜しみない拍手と心からの感謝を捧げます。

 そしてメインステムのメンバー達、今回の出演者の平均年齢を下げていた、宮本在浩(b)、菅一平(ds)のリズムチ―ムは、ベテランたちに精気を吸い取られることなく、毎夜パワー炸裂で素晴らしかった!
 
 最後に、ご来店いただき、演奏を楽しみ、応援して下さった皆様に感謝、感謝。

 これからも皆で頑張って、次のアニバーサリーを一緒にお祝いできますように! 

 本当にありがとうございました!

2017年4月25日

エラ・フィッツジェラルド生誕100年の日に

Ella.jpg 今日はエラ・フィッツジェラルド生誕百周年。

ブログにご無沙汰している私も、ミミズのようにノコノコ地上に出てきました。

 D3605b_lg.jpeg上の素敵な作品は、パブロ・ピカソによるエラ・フィッツジェラルドのポートレート。作品の下に「エラ・フィッツジェラルドへ-友ピカソより、'70 5/28」と献辞が書かれています。

 でもエラのマネージャー、大プロモーターだったノーマン・グランツの伝記によれば、ピカソとエラは一度も会ったことがなかった。

 この絵が描かれた頃、エラはトミー・フラナガン・トリオと共にヨーロッパ・ツphoto0jpg.jpgアーの真っ最中。その頃ピカソは御年89才、南仏アンティーブのお城をアトリエにしていた。(現在この街にはピカソ美術館があります。)ピカソの大ファン、大コレクターで自分のレコード会社に「パブロ」という名前までつけちゃったグランツは、ピカソ邸にしばしば昼食に招かれ、親交を深めたそうです。そのジュアン・レ・パンで、エラさん達のオフ日がありました。

 グランツは、自分の最高の芸術品であるエラさんを、偉大なるピカソに紹介するチャンス到来、あわよくばポートレートを描いてもらおう!とばかりに、エラさんをピカソ邸に連れて行こうとしました。

 並のセレブなら、雑誌記者に連絡して、おめかしをしてすっ飛んで行くところですが、エラさんはそうじゃなかった。"ファースト・レディ・オブ・ザ・ソング"は、権力や名声に媚を売ったりしなかった。とにかく「社交」が大嫌い。だから、グランツにこう言ったんだそうです。

 「ノーマン、今日は忙しいの。ストッキングのほころびや、他にも縫いものが色々あるの。だから、出かけられない。」

ella_85-ELLAFITZGERALD.jpg この話を聞いたパブロ・ピカソは大笑い、まだ見ぬエラを大いに気に入った。何しろピカソは、セレブ嫌い、権力者嫌いなことではエラに一歩も引けを取らない反骨のアーティストだったからだ。

 それでササっと描き上げたのが上のドローイング。後にジョー・パスとポール・スミス(p)3とのコンサート・ポスターに使われました。

 えっ!何故トミー・フラナガンとのコンサートじゃなかったのって?

 それは、トミー・フラナガンもまた権力者ノーマン・グランツにちっとも媚びへつらわない、反骨の人だったからです。それはまた別の機会に。

 私はエラが大好き、あの甘く優しい声、その中から時々現れるヒリヒリするような熱さ、貴婦人の様に完璧な発音に交じるベランメエの啖呵、底抜けに明るい青空から覗く深い深いインディゴ・ブルー...

 あなたがトミー・フラナガンを連れて'75年に来日しなければ、このブログも存在しませんでした。

 エラさん、お誕生日おめでとうございます!! 

2017年2月20日

トミー・フラナガン・トリビュート、30回の節目に!

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 来る3月25日(土)、春のトミー・フラナガン・トリビュートを開催いたします。
OverSeasで、春と秋にトミー・フラナガンの名演目を集めてお聴かせするトリビュート・コンサートも今回でなんと第30回!

 こんなに長く続けることができるのも、一重に皆さまのおかげです。

 デトロイト・ハードバップの宵、寺井尚之The Mainstem(宮本在浩 bass 菅一平 drums)が総力を挙げて演奏するフラナガンゆかりの名曲の数々、お料理やお飲み物と共にゆったりお楽しみ下さい。

第30回《Tribute to Tommy Flanagan》
日時:3月25日(土) 7pm- / 8:30- (入替なし)前売りチケット 3000円(税別)

OverSeasは皆様のお越しを心よりお待ちしています。

2017年2月 5日

ビバップを彩った名司会者:意地悪ピーウィー・マーケット

birdlan.jpg左から:ホレス・シルヴァー、ピーウィー・マーケット、カーリー・ラッセル、アート・ブレイキー、ルー・ドナルドソン、クリフォード・ブラウン

 アート・ブレイキー・クインテットのアルバム<A Night at Birdland(バードランドの夜)>('54)に収録されたピーウィー・マーケットのこんな名司会ぶりが収録されている。

Blakey_Birdland_Vol._1_Original.jpg 「レディーズ&ジェントルメン!皆さんご存知かと思いますが、今宵、<バードランド>では、なんとブルーノート・レコードが、ライブ録音を敢行いたします。お客様が色んなパッセージに拍手をなさると、それがそのまんま録音されます!レコードになった暁に、これが全国津々浦々でかかりますと、皆さんの拍手が聞こえてくるんです。だから「今のは僕の拍手だ!僕はこのバードランドの客席に居たんだ。」って自慢できますよ。
 それではご紹介いたしましょう。偉大なるアート・ブレイキー!彼のバンドのメンバーは、ピアノ―ホレス・シルヴァー、アルト・サックス―ルー・ドナルドソン、ベース―カーリー・ラッセルでございます。それでは皆さん、さあ一斉に大きな拍手をお願いします!!アート・ブレイキー!」

 

   ピーウィー・マーケット(Pee Wee Marquette 1914-92)は、歴史的ジャズクラブ《バードランド》の名物ドアマン兼司会者として人気を博した。身の丈115cmほどの小柄な体と、洒落たステージ衣装、大きな葉巻、大柄なお客のタバコに火がつけられるようにとても長い炎の出るガスライター(当時は珍しかった)、少年のような甲高い声と南部訛りがトレードマーク、愛嬌たっぷりのピーウィー・マーケットは、上のアルバムの録音当時40才だった。「小人症」であった彼は、一説には女性であったとも言われている。Pee Weeは" おちびちゃん"という意味で、本名はWilliam Clayton  Marquette、1914年アラバマ生まれ、元はダンサー兼コメディアンとしてナッシュビルで活動していた。第二次大戦中の1943年、流れ流れてNY にやって来たマーケットは、その姿かたちから、街頭スカウトされて、ナイトクラブの司会業や接待役として働き始め、'49年《バードランド》に入店、クラブが閉店('65)するまで、名物キャラクターとしてお客さんに可愛がられた。 

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 だからといって、ピーウィー・マーケットがジャズを愛したとか、ジャズメンに好かれた、というような記録は見当たらない。村上春樹のおかげで日本でも有名になった「ジャズ・アネクドーツ」「さよならバードランド」といったビル・クロウのジャズ本にもくりかえし登場しているし、《バードランド》に出演したホレス・シルヴァー、メイナード・ファーガスン、テリー・ギヴス、ジョー・ニューマンといった様々なミュージシャン達がマーケットについての証言を遺している。彼らの話に共通しているのは、マーケットにチップをしつこくせびられた、ということだった。 

 マーケットはまず出演するバンドのリーダーから数ドルのチップをせびる。そして、ギャラの支払い日に、楽屋を回って各メンバーに50¢ずつ請求した。当時の50¢は、現在の日本では800円くらい、貧乏ミュージシャンには結構な金額でした。もしチップを払うのを拒否しようものなら、マーケットはそのミュージシャンの名前をわざと間違えて紹介した。例えばホレス・シルヴァーは"Whore Ass Silba (売春婦のケツのシルバ)"、ポール・デスモンドは"バド・エズモンド"といった具合に、ミュージシャン顔負けのアドリブ力を発揮したといいます。いやがらせに辟易してチップを渡せば、その夜からきちんと名前を紹介してくれる。まさに海千山千のプロだった。 

friedlander_marquette_and_basie1.jpg 可愛い容姿と裏腹に、護身用のジャックナイフを持ち歩き、新人ミュージシャンには高飛車で、ヴァイブラフォン奏者のボビー・ハッチャーソンに至っては葉巻の煙を顔に吐き掛けられ「今すぐ楽器をたたんで帰りやがれ!」とスゴまれたこともあったらしい。そんなわけで、ミュージシャン達はマーケットのことを名前ではなく"Midget(小人)"と陰で呼んでいた。その中で比較的マーケットと親しかったのが、カウント・ベイシー楽団の面々で、"バードランド・オールスターズ"として一緒にツアーした時には、ジョー・ニューマン(tp)、フランク・ウエス(ts)、ソニー・ペイン(ds)など比較的小柄なメンバー達と自虐志向のレスター・ヤングがマーケットと共に"The Midgets"というチームを作り、エディ・ロックジョウ・デイヴィス(ts)やエディ・ジョーンズ(b)達の大男チーム"The Bombers(爆撃達)"と各地で激しい水鉄砲合戦を繰り広げたという伝説があります。ジョー・ニューマンの有名曲"The Midgets"は、このツアー中に作られたのだった。

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 仲良くなってもチップは別、マーケットは皆平等にチップをせびった。

 或るときレスター・ヤングは、マーケットのしつこさにうんざりして、とうとう彼を怒鳴りつけた。

「うるさいよ。あっちへ行け!この1/2マザファッカー野郎!」 

peewee.jpg 《バードランド》閉店後、マーケットはタイムズ・スクエアの近くにあったお上りさん向けレストラン、《ハワイ・ケイ・レストラン》で客引きをして生活した。往年の名MCぶりを覚えている人が通りすがりに声をかけて、当時のことを訊きたがると、質問一つにつきチップ1$を請求したという伝説が残っている。 

 1985年、ジャズ・ブーム再燃、この頃マーケットは、深夜の人気バラエティTV番組、『Late Night with David Letterman』にゲスト出演し、《バードランド》時代の思い出話を語った。それから3年後、クリント・イーストウッド監督がチャーリー・パーカーの半生を描いた映画『バード』 で、小人症の個性派俳優トニー・コックスがマーケットに扮して司会ぶりを再現。マーケットはこの映画が自分を「実像からかけはなれた屈辱的な姿に描いた」として、ワーナー映画を相手取り200万ドルの慰謝料を請求する訴えを起こした。この訴えが受理された記録はない。ちょっと請求するチップが高すぎたのかな。

2017年1月 6日

ハンク・ジョーンズが教えてくれたこと(後編)

hank_dizzy.jpgビバップ時代のハンクさんたち―左から:ディジー・ガレスピー(tp)、タッド・ダメロン(p)、ハンク・ジョーンズ、メアリー・ルー・ウィリアムズ(p)、ミルト・オレント(b.、NBCスタッフ・ミュージシャン)'47 William P. Gottlieb撮影

  

  前編で紹介したケニー・ワシントン・インタビューの聴き手は、ニック・ルフィーニというドラマー、現存するバップ・ドラムの第一人者で、自他ともに認めるジャズのうるさ型であるケニーは、ドラム教本のことは知っているけど、ジャズのことは素人同然の彼のために、ハンク・ジョーンズがどんなピアニストかを、ちょっとガラの悪い池上彰みたいに、忍耐強く簡潔に説明してあげていた。ケニーもヤルモンダ、じゃなくて、丸くなったもんだ!

 

hank-jones_bluenote.jpg ケニー・ワシントン:「ハンク・ジョーンズは歴史上最高のピアニストの一人だ。彼は膨大なレコードに参加している。'50年代、彼は引っ張りだこのスタジオ・ミュージシャンだった。名ベーシスト、ミルト・ヒントン、名ドラマー、オシー・ジョンソン(OCジョンソンちゃう!オシー・ジョンソンや!)と一緒にリズム・セクションを組み、時にはギターのバリー・ガルブレイズを入れ、何百枚というレコードに参加した。毎日、色んな相手と、2~4枚ものレコーディング・セッションをこなしたんだ。そして夜になるとライブをしていた。なのに彼らの録音には一枚の凡作もないっ!!ただの一つもだ!マジだぜ!」

 ハンクさんは、関西に強力なパトロンが居て、歯の治療をするためだけでも、関西にやって来た。NYの一流ミュージシャンと強力な信頼関係を持っていた故西山満さんも、盛んにハンクさんを招聘して地元のミュージシャンを加えたコンサートを企画していたから、関西のミュージシャンはハンクさんに接することが多く、ケニーと同じように襟を正した人も少なくないはずです。「(小型電子ピアノのない時代)来日時には必ず、特製の鍵盤を持参し、ホテルの部屋で練習してはった。」「コンサートが終わると、ステージの撤収を、自ら進んで手伝った。」とか、色んな伝説が伝わってきた。 

<若者たちへの言葉>

  ハンクさんは、亡くなる前の年に、ダウンビート誌の批評家投票で「名声の殿堂」入りを果たしました。御年91才!遅きに失した殿堂入りではあったけど、記念インタビューで若い人達へのアドヴァイスを求められ、自分が行ってきた節制と精進について淡々と語った。タバコも酒もギャンブルもしないというハンクさん。もっと若い時なら、愛奏よく微笑んで、沈黙を守ったかもしれない。71歳で亡くなったトミー・フラナガンは「自分の背中を見て覚えろ」の姿勢を貫き、練習してないふりを通した。

 ハンクさんの謙虚な言葉は、自分の選んだ生業と人生に対するこの上ない敬意と誇りが満ちた宝の山です。

0809.jpgダウンビート・マガジン2009年8月号より抜粋(聴き手ハワード・マンデル) 

<父を手本に>

 何をするにも、100%集中しろと言いたいね。全身全霊で努力しろ。私はこの年になっても、そうするべきだと思っている。私はこういうことを父親から学んだ。父は私の知るうちで、最も公明正大で筋の通った人間でね、人生の最高の手本を身をもって示してくれたんだ。清い生き方をした人だった。酒もタバコもやらなかった。そして敬虔なキリスト教徒だった。父のように生きようと努力してきたが、かなりうまくいったのではないかな。

(訳注:ハンクさんのお父さんはミュージシャンではなく、バプティスト教の助祭で、木材検査官として生計を立てていた。)

 

<集中するということ>

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 「集中力」には何が必要か?「興味を持つ」ことが第一!とにかく自分のしている事に興味を持たなくてはいけない。そこに完璧に焦点を絞り込んで没頭せよ。そして、知識、能力、知覚神経、創造力といった関連要素をありったけ注ぎ込め。

 自分の眼前の題材について考えろ。自分が集中している対象物が一体どんなものなのかをしっかり考えるのだ。何故そうするのか、どうしているのか、そんなことをごちゃごちゃ考えるな。私の言うように集中すれば、結果が出る。集中力というのは、物凄いパワーがある。どういう仕組みかは知らないが、「集中力」さえあれば、「聴く」力がつく。もし聴こえないのなら、集中が足りないんだ。 

<センスを磨きたいなら沢山聴け!> 

 (エレガントで趣味の良い)演奏スタイルをどのように確立したかだって(驚)!?

 誰だってそうだと思うが、沢山のものを聴き、多様なスタイルを吸収しそれを消化すれば、遅かれ早かれ、いずれ各人、自分なりのアイデアが出来上がってくるものじゃないかね?自分流に演奏したくなるのは当たり前だ。出来上がった自分のスタイルが、ほかの誰かに似ていたという結果になるかもしれないし、そうではないかもしれない。運が良ければ、誰にも似ていないスタイルが出来上がる。独自のスタイルや演奏解釈を会得すること、同じ曲でも、余人と異なる自分の流儀で演奏できるというのは、道半ばの学習者全ての目標だ。

 もうひとつの目標は、喜んで聴いてもらえるような演奏をすることだ。それはスタイルとはまた別で、センスの良し悪しが関わってくる。センスとは、ものの捉え方だ。それもまた、多彩な人たちの演奏を聴くことによって生まれるのだ。自分が聴いた音楽が、受け容れられるものなのか、聴きたくないものか、取捨選択を繰り返して、やっと身に付くものだ。多種多様なものを聴いた末に、自らの中に残っているもの、それこそが、「この楽曲はこういうサウンドであるべきだ」という意識をかたちづくる。それを人は「センス」とか「趣味の良さ」と呼ぶのだ。

 

 <即興演奏>

 私は自分のイマジネーションをうまく使おうとする。それに関わる要素について思いを巡らす。和声だけではなく元のメロディーについても思考を働かせ、そこから何かを作り出そうと試みるわけだ。その行為は家を建てるのと似ている。まず基本設計からスタートし、それに従って実際に建築してみる、その作業が進むうちに、装飾も加える、というようなことだ。

<ピアノ上達に近道はない!>

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 まず言っておきたいのは、ピアノが上手になる魔法なんてどこにもないということだ。ピアノに関わらずいかなる技量も、稽古するかしないか。毎日の練習は絶対に必要だ。毎日稽古すれば、どんなレベルであろうと現状を維持することができる、そして、ひょっとすると、そこからさらに上に行けるかもしれない。

 私の場合、ピアノはクラシックの練習から始めた。おかげで、どんなピアニストにも必須の基礎を身につけることが出来た。まともなピアニストになるための指針を教えてくれと言うのなら、私の答えはこうだ。

-まず勉強しろ。ピアノという楽器について熟知せよ。初心者の段階では、(可能な限り)最良のピアノ教師を見つけ、その人に習え。なぜならば、まず最初に正しい演奏法を学ぶことができなければ、後から誤った演奏方法を変えるには、大変な努力を要するから。間違ったテクニックを身に着けてしまうと、悪い癖を取り去るのは至難の業だから。これが若い人達への私からのアドバイスだ。(了)

  DBインタビューはアメリカ人の翻訳者ジョーイ・スティールさんが「読め」って送ってくれたものです。最後の「ピアノ習得」のくだりに、私は爆笑してしまいました。だって、毎日稽古を欠かさない寺井尚之が、常日頃自分の生徒たちに口を酸っぱくして言っていることだったから。

 ともあれ、ハンクさんが亡くなって、さらに世の中は便利になり、次期大統領でさえ、ツイートばっかりやってる世の中になった。ハンクさんの言葉は、ミュージシャンのみならず、私たち全員がちゃんと生きていく上での忘備録のように思えます。 

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