2007年9月 1日

初めてのトミー・フラナガンDAY(3)

God Is in the House!トミー・フラナガン弟子を取る!

 初めてのトミー・フラナガン・トリオ、当日券をあてにして来られた方々をどれほどお断りしたことか...今思っても申し訳ない気持ちで一杯です。ライブ・レコーディングしていれば、フラナガンのマグマが爆発する瞬間を捉えた名盤となったことしょう。

 長細い店内の最後尾まで、バー・カウンターの中さえ、立ち見のお客さまで一杯、私はてんてこまい。その間に寺井尚之は、フラナガンのオリジナル曲を含め、レコードから長年採譜してきた譜面の束を巨匠に見せていました。

 その夜の壮絶なコンサートは、遠く離れた日本の地で、一心にフラナガンを研究してきた寺井尚之に対する「お答え」とも言うべき内容でした。

 私は信心深い人間ではないけれど、あの夜、生まれて初めて"神の御業"を目の当たりにしたと確信しています。それまで私がレコードでよく知っている(と思い込んでいた)名演の数々は、トミー・フラナガンという壮大な音の宮殿にそびえる大きな城門のちっぽけな鍵穴から覗いた断片でしかなかっのです。

 セット・リストは"初めてのトミー・フラナガンDAY(2)"をご参照ください。
 やはりサウンドチェックの曲は本番では演奏しなかった...フラナガン一流のヒップなコンサートの序章だっんですね...コンサートの全貌は、いつかジャズ講座で寺井尚之が解説する日が来るでしょう。
 

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一部はダーク・スーツ姿のトミー・フラナガン

 一部の幕開けComfirmationからフル・スロットル、BeBopの権化の様なアーサー・テイラー、彼のベース・ドラムのアクセントと、ジョージ・ムラーツ(b)の完璧にレガートの効いたランニング、それを自分のエネルギーに取りこんで「ヒサユキよ、おまえさんの神が来たんだぞ!」とばかりに疾走するトミー・フラナガン! フラナガンの尊敬する巨匠アート・テイタム(p)と同じ、「God Is in the House (神はこの館におられる)」でした!
 1部のレパートリー1~6は、すでに寺井尚之が愛奏していた曲ばかりです。超速のMinor Mishap(マイナー・ミスハップ)を聴きながら、ダイアナに、「ヒサユキのプレイでしょっちゅう聴いている大好きなナンバーです。」と言うと、彼女はびっくり仰天していました。

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左:アーサー・テイラー、中央:ジョージ・ムラーツ、右:トミー・フラナガン


 このセットのハイライトは、"セロニアス・モンク・メドレー"(このコンサートの2年前、同じメンバーでモンク集の名盤、『セロニカ』を録音しています。)この夜は、アルバムよりも情熱的で、記したリスト以外にも、"Epistrophy(エピストロフィー)"など数え切れないモンク・チューンがちりばめられたモンクの小宇宙、でも、「いかにもモンク」的なフレーズはなし、モンク特有の「アク」を抜きつつ、モンクらしさを損なわず、フラナガン独特の品格と大スケールで息もつかせず聴かせます。だけど、これはまだ序の口だった。

 二部開演までの休憩時間、フラナガンは疲れも見せず、赤ペン片手に、寺井尚之の譜面の分厚い束をチェックするのに一生懸命。とうとうジョージ・ムラーツまで座りこみ、一緒に採譜の違った箇所があれば訂正を入れてやろうというのです。フラナガンのオリジナル曲は、絶対音感さえあれば譜面に起こせるといった単純なものではありません。巨匠のアイデアを理解していないと、ちゃんとしたコピーなど出来ません。チェックしてもらった束の中から、"Dalarna(ダラーナ)"と"Minor Mishap"は、OverSeasの壁に飾ってあります。良く見ると、フラナガンのサイン入りのMinor Mishapに一箇所だけ、赤ペンでコードが加筆されているのがご覧になれますよ。

 譜面のチェックが一段落すると、フラナガンは、スーツでキメたムラーツにOverSeasのブルーのトレーナーを着るように指示、自分は燃えるように赤いトレーナーに着替え、2部が始まりました。当店のバンドスタンドに掲げるムラーツの肖像は、その時のものです。

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ムラーツはお気に入りの肖像の前で10月にコンサート開催予定

 二部開演の際、客席に向かってフラナガンは、こう言いました。

「今夜演奏できて、我々は本当に幸せです。月日が経ち、ヒサユキは音楽の良き理解者として立派に成長した事が今日判りました。皆さんは、良いジャズクラブがあっていいですね。今からここに来て2回目の演奏を始めます。我々はこれからもずっと、ここで演奏をしていくつもりです。今日招いてくれたヒサユキに心から感謝しています。

 ...フラナガンは何も口に出さなかったけれど、ピアノの上に飾られた'75年の雪の京都の出会いのシーンから、ちゃんとヒサユキの事を覚えていたのです。そして"これからもずっと..."と言ったフラナガンの予言は現実になりました。

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 それからのフラナガンのプレイの凄かったこと...寺井が書き貯めた譜面の束が、天才の心の鍵を開け、とてつもない霊感を吹き込んだとしか言いようがありません。
 フラナガンが心の門を全開にして、ヒサユキと聴衆全員を、自分の壮大な音楽の宮殿に招きいれてくれたような気がします。庭園や建築、豪華な調度類から、先祖の肖像画に至るまで、60分の演奏時間で、全てをくまなく見せようとする物凄いものだった! たとえば、コルトレーンの曲(1)にチャーリー・パーカーを引用し、二人のスタイルが相反するものでない事を解き明かしてみせたり、バド・パウエル(5)には、モンクやマイルスの曲を重ね合わせ、BeBopへの想いを熱く語り、"リーツ・ニート"では、デトロイトの先輩サド・ジョーンズの"ライク・オールド・タイムズ"(数年後、フラナガン3のオハコとなる曲です。)をリフに入れてみせます。
 クライマックスには再びメドレーを持ってきました!ソロやトリオで奏でる、数え切れないエリントン&ストレイホーンの曲、あの名フレーズ、このリフ、「知っているのはいくつある?」と言わんばかり...ジャングルの様々な植物が百花繚乱するフラナガン宮殿の芳香溢れるボール・ルームに案内されたように豪華な夢の世界でした。

 燃えるように赤いフラナガンの大きな背中、鍵盤を滑るグローブのように大きな手、ハイ・ポジションを弾くムラーツの額に落ちる輝く前髪、腰の据わったATの姿勢、苦みばしった顔つき...私がどんなにしわくちゃのおばあさんになったって一生忘れません。

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どこから撮っても絵になるバッパー、アーサー・テイラー、この一連の写真を撮影してくれた桑島紳二氏(現在 神戸学院大学教授)は、ATを撮影した一連の作品で、国際写真コンペで賞を受賞しました。


 ジョージ・ムラーツは、フラナガンにぴったりと併走し、要所で鮮やかなベース・ソロを聴かせます。フラナガンより一つ年上のアーサー・テイラーは、「よっしゃ、トミー、とことん行け!」と言わんばかりにエネルギーを供給し、ドラムソロになると、BeBopの千両役者の貫禄を見せ付けます。息もつかせぬ長尺のメドレーの後のアンコールは、店名のOverseasから2曲。燃えさかる興奮を鎮めるどころか、一層火花の散るハードバップ...何億ドルもかけて作る大作映画だってこのコンサートのスケールにはかなわない!胸を張って言いますよ。
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この夜のフラナガンのアドヴァイスで新たな調律のコンセプトが開けたという、名調律師川端氏と
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

 終演後、ディナーを楽しんでからも、フラナガンはまだ譜面の束を仔細に眺め、ヒサユキに色々質問しています。すると突然ダイアナ夫人がワっと泣き出しました。まるで最近の夕立のように激しい慟哭でした。それは、愛する夫の音楽を、自分に負けないほど敬愛していた人間がいた事への嬉し涙だったのです。彼女はヒサユキを固く抱きしめ、ぐしゃぐしゃの涙の中から決然と言いました。
 「トミー、ヒサユキを弟子にしてあげて。」フラナガンは頷き、何度もYeah、と言います。そこには、私が夕方見た「どこ吹く風」のとぼけた様子は微塵にもありませんでした。
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 夜中の1時になっても、OverSeasはお祭り騒ぎ、皆は一向に帰る素振りも見せません。狐につままれたような迎えの事務所の人たちにうながされ、しぶしぶ皆が帰ったのは午前3時近くなっていました。
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この夜からMr.フラナガンは自分をトミーと呼ぶように言った。

 翌日は大阪のメインの仕事、ホテル・プラザでのディナー・ショウがありました。弟子入りを許された寺井尚之は、仕事のハネる時間に師匠を迎えに行き、ギグ後外出自粛主義のムラーツに誘われて、ホテルのバーで義兄弟の契りを結んだ後、師匠とATを連れて帰ってきました、当時隣にあった老舗ホテル、「ひし富」の板長さんが大のジャズファンで、深夜にもかかわらず懐石料理を仕出しして下さって、盛大なパーティをしました。二人ともすっかりくつろいで、昨日、怒涛のように激しいプレイをしていたジャズの巨人と思えない気さくな紳士でした。
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 私が英語を話すのを面白がったATは、帰国後、自著のインタビュー集、『Notes & Tones』(ジャズの巨人達の生の語り口がスイングしていて凄く面白い!)を送ってくれました。それがきっかけで、「英語を読む」楽しみも授かりました。


 だけど...そうなんです。皆さんはもうお気づきでしょうけど、結局、私が英会話など勉強しなくとも、寺井尚之の弟子入りは彼自身の力で果たされたということだったんです。

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 ★この初コンサートは'84年12月14日(金)、契約が決まったのは半年近く前の初夏、契約直後から、当日に風邪など絶対引かないようにと決意したわしは、以後全く風邪をひかんようになったのです。これが「バッパーは風邪をひかん」という格言(?)の由来です。(特別出演:寺井尚之)

さて、次週は、ジャズ講座、名盤名場面集:いよいよ"Overseas"へ!CU

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コメント(9)

こりゃたまらん!訳もなく涙が出ます・・・。

音楽は人との物理的な距離、心の距離をゼロにする力がありますね。

私も今夜はNYのシンガーとライブです。
隣に住んでるような感じの子ですよ、心の距離ゼロです。(笑)

トミー・フラナガン氏は本当に亡くなったんですよね。

最後にお会いしたときに気をつけて帰るよう言いながらハグしてくれたのがつい先日のようです。

 珠重さんのブログを読んでいるとまた会えそうというか聴くことができそうと思ってしまいます。

 寺井さんを聴けるのだと思うと心休まります。

 フラナガンが亡くなってから、どうしても私はダイアナの慰めモードになっていて、この思い出を自分では封印していました。

  でも若いトミー・フラナガンのファンや寺井尚之を聴きに来てくれる人が増えた今、やっぱり皆に教えておきたい!なんて思って写真を発掘し、エントリーしてみました。

 寺井尚之もなかなか自分では言えないエピソードでした。

コメントありがとうございました。

涙・涙・涙のエピソードですね。

記事を読むと、心がいっぱいになって、あふれそうです。なんと感情をあらわしてよいか、わからない。

師匠の情熱、本当に尊敬します。少しでもいいから、師匠の演奏に近づけるようになりたい。

トモティちゃん、このエピソード、涙より笑って欲しいと思います。

笑って楽しく稽古してくださいね!

今回は泣きました。

素晴らしい写真とともに、深い絆を感じたお話でした。

もっと頑張らないと・・。  そう思いました。

 tubbyさんもライブ・シーンで凄く頑張っておられますよね!

 これらの写真、皆の音が聴こえてきそう・・・

 年取って、当時のトミー・フラナガンの年齢に近づき、やっとあの時の親心が判ってきました。

 お互いにガンバロウ!

今日初めてこの記事を読みました。
自分はこの当時1才半。こんなドラマがあったんですね。
もっと早く生まれていたら、もっと早くJAZZを始めていたら…と思います。
もっと早くOverSeasに巡り逢えていたら…
逆にOverSeasに巡り逢えた事が何より嬉しいです。

それにしても、こんな神様のような存在のジョージ・ムラーツ氏を同じタクシーに乗ったなんて…今でも信じられません。

今北君:もうすぐ店は30年!

やっと今観ても遅くはない!

わしが生きているうちに、全てを吸収しなさい。

30年後に若いもんに伝えてくれ。

おわり

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