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2008年03月30日

トリビュート・コンサート速報

昨日は、ありがとうございました!!日本の色んな場所から、沢山お客様が駆けつけてくださって、12回目のトリビュート・コンサートを開催することが出来ました!

12th_tribute-1.JPG 







<1st><2nd>
1. Oblivion (Bud Powell)

 ~Bouncing with Bud (Bud Powell)

 オブリヴィオン~ビッティ・デッティ
1. That Tired Routine Called Love (Matt Dennis)

 ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ
2. Out of the Past  (Benny Golson)

 アウト・オブ・ザ・パスト

2. They Say It's Spring (Marty Clark/Bob Haymes)

 スムーズ・アズ・ザ・ウィンド
3. Minor Mishap (Tommy Flanagan)

  マイナー・ミスハップ
3. Beyond the Bluebird (Tommy Flanagan)

 ビヨンド・ザ・ブルーバード
4. Embraceable You(Ira& George Gershwin)

  ~Quasimodo(Charlie Parker)

 エンブレイサブル・ユー~カジモド
4. Thelonica(Tommy Flanagan)

 ~Mean Streets (Tommy Flanagan)

 セロニカ~ミーン・ストリーツ

 
5. Lament (J.J. Johnson)

  ラメント
5. Good Morning Heartache (Irene Higginbotham)

 グッドモーニング・ハートエイク
6. Rachel's Rondo (Tommy Flanagan)

 レイチェルのロンド
6. Our Delight (Tadd Dameron)

  アワ・デライト
7. I'll Keep Loving You (Bud Powell)

 アイル・キープ・ラヴィング・ユー
7.Dalarna (Tommy Flanagan)

  ダラーナ
8. Tin Tin Deo (Chano Pozo,Gill Fuller,Dizzy Gillespie)

 ティン・ティン・デオ
8.Eclypso (Tommy Flanagan)

  エクリプソ
<Encore:>
With Malice Towards None (Tom McIntosh)

 ウィズ・マリス・トワード・ノン



Ellingtonia: エリントニア

 Chelsea Bridge (Billy Strayhorn)

  ~Passion Flower (Billy Strayhorn)

  ~Black & Tan Fantasy (Duke Ellington)

メドレー:

チェルシーの橋~パッション・フラワー~黒と茶の幻想

girl.JPG
 大人たちに混じって、ベイビーだった頃から、ご家族で埼玉からずっと来てくれている可愛いお嬢ちゃんも、小学校高学年になって、一際プレイを楽しんでくれました。なんとお行儀の良いお嬢ちゃんでしょう!演奏を聴くキラキラした瞳、食事のマナーの良さ…私の今までの悪辣な行儀を反省しつつ、も今後見習います。ダイアナにその話をしたら、「まあ、なんて素敵なんでしょう!!将来はミュージシャンかしら…」なーんて喜んでいました。

 フラナガニアトリオの演奏は骨太で、軽やかだったり、重厚だったり、トリビュートならではのサウンドに、レジの前では「感動しました!」と、嬉しい笑顔が見れて、元気を沢山いただき、ありがとうございました。


flanagania_trio-2.JPG
ミーティング中のフラナガニアトリオ、宮本在浩(b),河原達人(ds),寺井尚之(p)

 ご来店くださったお客様、激励メッセージを下さった皆様、ほんまにおおきに!ありがとうございます!

これからも、身を引き締めて努力します。


 曲目説明はHPに近日UP!

CU

2008年03月28日

トリビュート・フィンガーズ

  ’75京都にて、トミー・フラナガン&寺井尚之 




 「白魚のようなピアニストの指…」というのは真っ赤な嘘です。

 明日のトリビュートに向けて、稽古を重ねた寺井尚之の指先は、子供の頃のおやつだった『爆弾あられ』のようにツヤツヤで弾けています。

fingers.JPG 寺井尚之の指先 

 ピアノの方は、川端名調律師が、優しく厳しいチューンナップを5時間ほど施して下さったら、明るい春の音色になって、明日の本番を待ちかねている様子。

 kawabata.JPG

 当夜の演奏はフラナガニアトリオ
ドラムスは、トミー・フラナガン3を何度も生で見て、アーサー・テイラー、ケニー・ワシントン、ルイス・ナッシュたち代々のドラマーのサポートぶりや、演奏曲の隅々まで知っている長年のパートナー、河原達人、ベースは、伸び盛りベーシスト、宮本在浩。スイングしていて意味のあるプレイをしてくれます!
zaiko.JPG    tatsuto-1.JPG


 トミー・フラナガンを想う沢山のお客様に、「思い出の種」を沢山蒔いて欲しい。

 トミーは子供のときに、植物の世話がうまくて、「良く育つ」緑の指を持った子だと言われたそうです。明日は弾けた指で、トミー・フラナガンの音楽の芽をどんどん育てて欲しいです!

 明日のコンサートが楽しいイベントになるように、私も、スタッフ達もOverSeasの片隅で精一杯働きます。

 開場6pm-、開演は7pm-

 CU
 
 

 

 

2008年03月26日

トリビュート・コンサートの前にスプリング・ソングスの話をしよう。(2)

 先週お話したビターなスプリング・ソングと違い、<They Say It's Spring>はパステルカラーの春の歌、ブロッサム・ディアリーという歌手のおハコです。
blossomdearie.jpg

 フラナガンによれば、名盤<Ballads & Blues>を録音した'78当時に、ディアリーがNYのクラブで歌っているのをよく聴いていたらしい。

 ディアリーの歌のレコードはこんなのです。 
 もし英語がよく判らなくても、歌詞に頻繁に出てくる、"L"とか"M"とか"F"の可愛い響きを、ディアリーはとってもうまく表現して、恋する女の可愛らしさに仕立てています。英語の歌詞はこちらにありました。

日本語にしてみたら、こんな感じになりました。

They Say It's Spring
Marty Clark/Bob Haymes

<ヴァース>
若い頃、私は夢見る少女、
ありそうもない伝説やおとぎ話、
想像の世界で暮らしてた。
正直に告白するとね、
大人になった今も、
現代人が声高に叫ぶ皮肉っぽい意見には、
どうも疑問を感じるの…

daisy.jpg

<コーラス>
春だってね、
だから、羽みたいに
ウキウキ気分になるんだって。
春だってね、
私たちが魔法にかかったのも
この季節にはありがちなんだって。

五月のせいなんだって、
だからヒナゲシみたいに
熱く燃えるんだって。
五月はね、
世の中をクレイジーにして、
ぼんやりさせるんだって、

今の私は、
空を舞うヒバリや、
チカチカ光って踊る蛍みたいな気分、
だけど、私には、
この気持ちが、
単なる季節の産物とは
決して思えない。

春のせいだってね、
私の耳にウエディングベルが聞こえるのは。
そりゃ、今は春でしょうよ、
だけど、コマドリがさえずりを止め
この季節が終わっても、
私はずっとあなたと一緒。
皆は春のせいだって言うけど、
本当は、愛するあなたのおかげなの。…


 どうですか?春らしい可愛い歌詞でしょう!

トミー・フラナガンが演奏するときには、必ず「ボブ・ヘイムズの曲…ゼイ・セイ・イッツ・スプリングを」>とアナウンスして演奏していました。
 ところで、若い皆さん、ブロッサム・ディアリーって知ってます?
 白人女性ジャズヴォーカルの一人ですが、Interludeを読んで下さっている方には、J.J.ジョンソン5のテナーサックス、フルート奏者、ボビー・ジャスパーの奥さんと言った方が判りやすいかも知れません。きっと、旧友の未亡人だから、フラナガンもディアリーの歌を良く聴きに行っていたのかも知れない。
 好き嫌いは別として、一度聴いたら忘れられない声をしてますよね。'70年代のNYの香りがプンプンする、ウッディ・アレンの恋愛コメディ『アニー・ホール』という映画を見たことがありますか?

  

 お笑い芸人と歌手、どちらも余り売れてない二人の、私小説的なラブ・ストーリーなんですが、ヒロインの歌手、アニーの歌を、もっと可愛く、うまく、洗練させたら、ブロッサム・ディアリーになるように思いました。アニー・ホールを演じるダイアン・キートン(実はキートンの本名がアニー・ホールなんだけど…)は歌手として、ディアリーが常時出演していたNYのキャバレー、『レノ・スウィーニーズ』に出演したこともあります。
 

 ディアリーは、歌手に留まらず、この声と演技力で、アニメの声優をしたり、CMソングでヒットを飛ばしたりしました。ジャズというよりは、むしろシャンソン的な味わい深い詞の語り方で、NYではとっても評価が高いシンガーなんです。
 とはいえ、彼女の歌うThey Say It's Springは、アメリカのケーキみたいにお砂糖を固めたアイシングがべったり付いた感じで、私にはちょっと甘すぎる。一方、フラナガンのプレイには、彼女の歌に滲み出る無邪気さや可愛さはそのままに、甘さを抑え、曲と歌唱解釈のエッセンスだけが抽出されているように感じるのです。「素材の持つ一番良いところを見抜き、最大限に引き出す。」のがトミー・フラナガン流なのだ!(エヘン)

 先週からお話してきたスプリング・ソングス、フラナガンが、その年に演奏した春の歌は、もっと色々あっただろうけど、これらの曲を聴くと、フラナガンと過ごしたNYの春の香りが甦ります。

 心臓に爆弾を抱えたトミーは、「後何回、自分は春を迎えられるだろうか…」と思いながら渾身のプレイを、毎年披露したのだろうか…

 追憶に浸る私とは違い、寺井尚之は、あの春にフラナガンから盗んだものを、20年近く熟成発酵させ、自分自身のものにしている。そして、毎年、春になると上の曲に加えて、<How High the Moon>とか<All the Things You Are>など、寺井的な色々なスプリング・ソングを聴かせてくれます。だって、春に2週間しかライブをしないトミーと違って、寺井尚之は春夏秋冬毎週4日演奏しなければならないんですから、色んな春のレパートリーが出来ました。

 土曜日はトリビュート・コンサート!フラナガンの雄姿を心に思い浮かべながら、「春」を満喫しよう!

 CU

2008年03月21日

トリビュート・コンサートの前に、スプリング・ソングスの話をしよう!(1)

 恒例、「トミー・フラナガンに捧ぐ」=春のトリビュート・コンサートがいよいよ来週に迫りました。

 寺井尚之は、他の仕事を極端にセーブし、フラナガンの演目を磨くために一日中ピアノの前。私は本番はハードだから、なるべくスタミナが付くように、香辛料たっぷりのジューシーなスペアリブやカツレツを作ってます。春の野菜と一緒に供すると、日頃あっさり和食が好きなピアニストも、この時期はおいしいと言って食べてくれる。

  何故、春にトリビュートをするかというと、トミー・フラナガンの誕生日が3月16日だから。年2回のトリビュートは、ダイアナ未亡人の要望でもあります。仏教では命日から数えて法事をするけど、西洋では「生誕○年」と誕生日から数えるんですね。先週の誕生日には、ダイアナ未亡人から電話がかかってきて、「ヒサユキに私からハグを!しっかり演奏するように!」と激を飛ばされました。

scrap_from_the_apple.JPG  私の<ヴィレッジ・ヴォイス>スクラップブックは、新聞紙の色が風化してます。

  この時期に欠かせないのが『スプリング・ソングス』とトミーが呼んだ春にちなむ一連の曲。'80年代後半から、フラナガンは、毎年春になると、地元NYのジャズ・クラブにトリオで出演するローテーションを組んでいた。この時期のギグは世界中から出演交渉にやって来るプロデューサー達と、夏期のジャズフェスティバル・シーズンの仕事について交渉するショーケースであったのです。出演場所は、移り変わりの激しいクラブ・シーンで、その時期、最も隆盛でソリッドなプレイを聴かすクラブ、<ヴィレッジ・ヴァンガード>、<ファット・チューズデイズ>、<スイート・ベイジル>、<イリディアム>など、店は年によって色々でした。私達は'91年の4月、<スイート・ベイジル>で、2週間の出演中、ほぼ全セットを聴き、スプリングソングを味わえて幸せだった。

sweetbasil-1.JPGスイート・ベイジルにて。

   NYの春、昼間はポカポカ陽気で、レストランやカフェはどこも屋外にテーブルを出して、街の人々は半袖姿、でも日没後は4月でも毛皮のコートが要るほど寒かった。

    ダイアナは、自分達のアパートから少し南に降りたリンカーン・センターの向かいにある、こじんまりした『エンパイア・ホテル』(左の写真)を予約してくれ、近所の行きつけのレストランも何軒か教えてくれた。車社会のアメリカで、トミーとダイアナにはマイカーがなかったから(それどころか、アパートには食器洗い機も、携帯電話のない頃にミュージシャンが仕事を取るのに必携のファックスすらなかった。)ハイヤーで店に出勤する途中で、私たちをピックアップしてくれた。ミッドタウンからダウンタウンまで、ずーっと皆で歌を歌いながら行くこともあったなあ。

   トリオの中で、毎晩、若手のルイス・ナッシュ(ds)が一番先に店に入って、きちっとセッティングを終えている。当時のジョージ・ムラーツ(b)はクイーンズの自宅から、釣竿やバケツと一緒にイタリア製のベースを積んだスズキのセルボでマイカー通勤していた。

   フラナガン3は、通常1週間で出し物が変わるジャズ・クラブで、異例の2週間の連続出演と決まっていた。トップ・ピアノ・トリオの出演に、他店もビッグスターをぶつける。この時期、<ヴィレッジ・ヴァンガード>はマッコイ・タイナー3、<コンドンズ>ではテイラーズ・ウエイラーズと、最高のラインナップだったけど、他店に行く余裕はありませんでした。

   2週間の間に、フラナガンのレパートリーは、一定することなく、毎晩目まぐるしく変わった。バド・パウエル、エリントニア、モンク・チューン、サド・ジョーンズ…そして、さまざまなメドレー、2週間で、のべ100曲は演ったように記憶してます。ある晩演奏したビリー・ストレイホーンの晩年の名曲、<ブラッドカウント>が余りに素晴らしく、滞在中、街中のピアニストの間でずっと話題になっていた。殆ど固定の演目で通す期間もあるのだけど、毎晩、五線紙を鉛筆を持ちながら必死で聴きこむ寺井尚之に、トミーはありったけのレパートリーを聴かしてやろうと思ったのではないかと思う。
 
   そんな中で、毎夜、一曲か二曲必ず演奏するのが、スプリング・ソングだったのです。フラナガンは必ず、「では、スプリング・ソングを一曲」と言ってからおもむろに演る。軽やかなプレイは、新緑のように爽やかで、春野菜のように精気に溢れていながら、アクが抜けていた。決して、ラスト・チューンにするような大ネタではないのだけど、忘れられないNYの思い出だ。

 この時期にフラナガンが演ったスプリング・ソングは、ビリー・ホリディのおハコ、<Some Other Spring>そして<Spring Is Here>、そして、フラナガン・ファンなら、名盤『Ballads & Blues』での名演が忘れられない<They Say It's Spring>だ。

最初の2曲は、ふきのとうみたいに、ほろ苦い春の歌。
 
<サム・アザー・スプリング>は、テディ・ウイルソンの妻であったアイリーン・ウイルソン、後のアイリーン・キッチングスが作曲した。もう一つのホリデーのおハコ、<グッドモーニング・ハートエイク>を作曲したアイリーン・ヒギンボサムと同じ人だとずっと思っていたのですが、アイラ・ギトラー達が別人であると証言しているらしい。知らなかった…

 ピアニスト、作編曲家のアイリーンはテディより年上で、先に名声を獲得していて、夫の出世に大いに貢献した。ところがテディは自分が有名になると、妻を捨て他の女性と駆け落ちしてしまう。傷心のアイリーンは、ある日、レストランで、離婚の嘆きを親友達に聞いて貰っていた。奇しくも、悩みの聞き役は、フラナガンの崇拝するビリー・ホリディ(vo)とコールマン・ホーキンス(ts)だった。その時、テーブル脇のエアコンがブンブン言う音にインスピレーションを得て、この歌が出来あがったと言われている。まあ、天才というのは、凡人にとって非音楽的極まりないものも、名曲の元にしてしまうものなんですね。真っ暗な絶望の中で、小さな小さな希望がほのかに光る、稀有な名歌はテディ・ウイルソンの裏切りのおかげ(?)で生まれたのだった。


<サム・アザー・スプリング>

Irene Kitchings(写真):曲 / Arthur Herzog Jr.:詞

いつか春が来たら、
恋でもしてみようか、
今の私は、朽ち果てると知りながら、
古い花に惨めにしがみつく。
咲き誇るその時に、
踏みつけにされた花、
私の恋と同じように。

いつか春が来て、
黄昏が夜に変ると、
新しい恋人に会えるかしら?
もしもそうなら、
あなたのような人でないことを、
私に見せて欲しいのよ。
「恋は盲目」と言うけれど、
この私には通用しない。

暖かい日光が降り注いでも、
氷のように凍てつく私の心、
恋よ、お前は一度、
私を拾ってくれたけれど、
もういちど物語は
始まるかしら?

いつか春が来たら、
私の心も目覚めるの?
そして、恋の魔法の音楽を
熱く歌うようになるかしら?
昔のデュエットを忘れ去り、
新しい恋人と出会うかしら?
いつか、春が来たら。

 <Spring Is Here>は、私のお気に入り、リチャード・ロジャーズ=ロレンツ・ハート作品で、春というのに、失恋に沈む気持ちを、浮揚感のあるメロディに託すバラードです。エヴァンス派が好んで演奏するスタンダードで、リッチー・バイラーク(p)を擁するジョージ・ムラーツ・カルテットがOverSeasで演奏してくれたことがある。


 上の2曲と違って、NYの洒落っ気溢れる春らしい歌が、<They Say It's Spring>、ブロッサム・ディアリーのキュートな歌唱を聴いてレパートリーにしたとトミーが言っていました。

 ああ…また長くなっちゃった。極めつけのスプリング・ソング、<They Say It's Spring>のことは来週の前半にお話しましょう。

CU
 

2008年03月14日

氏より育ちか?:トミー・フラナガンの幼年時代

Breeding Counts More

 長年、ジャズに親しむと、「品格」とか「エレガンス」という、浮世離れしたものが、一音一音全てに備わるプレイヤーがいることに気づき、水戸黄門様に会ったように、ひれ伏したくなることがあります。

 私が生で見た事のある人に限って言えば、目まぐるしく変動するジャズの世界で半世紀に渡って“ザ・キング”として全てのジャズ・ミュージシャンに尊敬されたベニー・カーター(as,tp.comp.arr.その他何でも)、ジャズ・ヴァイオリンの最高峰、ステファン・グラッペリ、ピアノならジョージ・シアリング、勿論トミー・フラナガンもその一人です。高貴な巨匠達は、銀のスプーンをくわえてお生まれになったお坊ちゃまなのかというと、決してそういうわけでもない。


  例えばジョージ・シアリングは、英国の労働者階級の出身で、9人兄弟の裕福でない家庭に育った。子供時代は、盲目で幼い末っ子の彼が、毎月やってくる借金取りに帰ってもらう役目をしていたと自ら語っている。しかし、石炭の運搬人をしていたお父さんは、日曜になると彼を公園に連れて行って、一緒にクリケットの試合を観戦(!)したり、労働党の演説を一緒に聴いて楽しんだ。お母さんは、末っ子の目の不自由さを忘れさせようと、精一杯、家庭を明るくすることに専心した、と語っている。天上の調べのようなソフトタッチの演奏を聴くと、経済的に貧しくとも、両親から一杯の愛情を注がれ、心に光を与えてもらった子供時代が反映しているのかなと思う。

 一方、フランスの至宝、グラッペリは幼い時に母親を亡くし、父は第一次大戦に出兵し、一人残されたステファーヌは孤児院で育った。


 では、我らのトミー・フラナガンの幼年時代はどうだったのだろう?

young_tommy-1.JPG

   生前、フラナガンに、時々、子供の頃の話をしてもらったことはあるけれど、目の前にいる巨匠は余りに大きすぎて、その背後の幼年時代に気を配る余裕などなかった。
   ダイアナはトミーが40代の時に恋愛して結婚したから、NY以前の生活は共有していない。
  フラナガンの生い立ちは、ダウンビートや、フラナガンを語る書物のインタビューで、断片的知ることは出来るのだけど、インタビューが余り好きでないせいか、なかなか、詳しく語られているものがなかったのです。

newyorker-2.JPG

 
  ところが、先日、かなり詳しく両親や子供時代のことが述べられていた資料を発掘しました。フラナガンがエラ・フィッツジェラルドのところから独立した'78年に、"The New Yorker"のジャズ・コラムを担当していた名ライター、ホイットニー・バリエットがフラナガンにインタビューしたものです。インテリ雑誌の代名詞、"The New Yorker"は、日本の『文芸春秋』を週刊誌にして、リベラルにした感じ。ウイリアム・ショーンというカリスマ編集長が隅々まで気を配った雑誌です。
 
   "The New Yorker"タウン情報を見ると、どんなジャズクラブがあり、誰が出ていたのかが判ってジャズ史の文化資料として非常に貴重です。広告は、高級ブランドが並び、見ているだけで五番街のウインドウ・ショッピングをしているみたい。資料がほとんどデジタル化されていないのが、辛くて楽しいところ。

   このジャズコラムの内容は、さすがにしっかりしたものです。生い立ち以外に、ハンク・ジョーンズ、サー・ローランド・ハナ、バリー・ハリスなどデトロイトが生んだ名手の相互影響度、共通点、相違点なども、かなり鋭く書かれていました。エラの仕事が終わったら即完訳して、ジャズ講座の資料にしよう!

  後年彼がまとめた名著、<American Musicians>には載っていなかった一節、一緒に読みましょう!

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○

 ・・・フラナガンはエドワード王朝時代の古風な風貌を持っている。中肉中背、後頭部に僅かに毛髪が残り、眼鏡と立派な口ひげが最高のバランスを保っている。鋭敏だが遠慮がちな微笑みと、ソフトな声の人だ。彼は自分自身について話すことを好まないが、一旦話し始めると、彼の言葉は皆、まるで彼のソロのように、巧みに構築されていく。

conantgardens.jpg訳注:Conant Gardensは、1910年代に、アフリカ系の人達の為に、シュバエル・コナント氏という奴隷解放論者が自分の土地を提供して作った住宅地だった。フラナガンの両親がこの地に移ってきた第一次大戦後には、多数の黒人たちが、景気の良いこの町に移ってきた。フラナガンの両親達は、この町に初めて教会を建立した。

   「私が生まれたのは、デトロイト北東部にあるコナント・ガーデンズという地域で、男五人、女一人の六人兄弟の末っ子として生まれた。兄弟は今もデトロイトに住んでいて、生家に今も何人か兄弟が住んでいる。


 お父さんの故郷、ジョージア州、マリエッタ、今も牧歌的風景が広がる。

88歳で昨年亡くなった父は、ジョージア州、マリエッタ出身で、第一次大戦後にデトロイトに移り住み、35年間、郵便配達夫として働いた。父はまっすぐな気性でユーモアに富む人だった。子供達には、良い人間になるために何をすべきかを、身をもって示した。父と私は瓜二つなんだ。父も禿げで、私も若いうちから毛髪がなかったから、かなり長期間、そっくりだったと言える。母は私がNYに移ってしばらくした1959年になくなった。母の出身も父と同じジョージア州の、レンズと言う町だった。

 お母さん、アイダ・メイ・フラナガンの故郷レンズの風景。

 母はアメリカ先住民の風貌を持ち(訳注:トミーの祖父はインディアンだ。)、小柄で身長158センチそこそこだった。大恐慌時代に生活が苦しくなると、通信販売の会社の内職でドレスを縫い、会社が送ってくるサンプル用のはぎれでパッチワーク・キルトを作って生計を助けた。(訳注:お母さんは不平を言うことは一切なく、いつも笑顔で家族のために働いてくれたという。)

   私にピアノを続けるよう励ましてくれたのは母親だ。母は独学でピアノを弾いていて、兄のジェイがピアノを弾くのを幼い私が真似するのを見て、弾き方を教えてくれた。11歳になってから、ピアノ教師、グラディス・ディラード先生について正式なレッスンを受けた。彼女は現在もデトロイトで教えている。ディラード先生は、私にピアノの正しいタッチや運指、指先の使い方をしっかり教えてくれた。

  (訳注:Web版ミシガン・クロニクル紙にこのディラード先生がコナントガーデンの子供達に与えた音楽教育の素晴らしさについて、面白い記事が載っていました!)
 

ある時、ディラード先生のレッスン中に、ジャズのアドリブをしようとする生徒が現れ、先生を大いに困惑させた。
 それで先生は、その幼い生徒の両親にこう頼んだ。
『トミーが自宅で練習しているときは、ちゃんと譜面どおりに弾くように監視して置いてくださいよ!』
 幼い生徒は、そのうちに、彼女の最も優秀な生徒となり、後年、トミー・フラナガンの名は世界的に有名になった。

  母はいつもピアノに興味を持ってくれていた。子供の頃、アート・テイタムのレコードをかけたら、一緒に聴いて、こう言ってくれたんだ。『まあ、これはアート・テイタムでしょう?』ってね。私はいっぺんに得意になったもんだ。
 アート・テイタム以外にファッツ・ウォーラーやテディ・ウイルソンを聴いた。しかしハンク・ジョーンズは格別だった。テディ・ウイルソンをさらにモダンにした感じで、私には大きな意味があった。バド・パウエルも同様だ。バド・パウエルはクーティ・ウィリアムス楽団時代にデトロイトで聴いた。その頃からすでにバド・パウエルだった…『何だ。これは!?今まで聴いたことがない!』という感じのピアノだったんだ。それからナット・キング・コール!意味深長さ、パワー、スイング感、物凄い魅力を感じた。パルスとドライブ感たっぷりの独特の音色があったからだ。彼はピアノの音に命を与えてバウンスさせていた。

  私をジャズ界に誘い、経済的にひとり立ちさできるようになったのは、兄のおかげだ。クラブでの初仕事は高校時代だった。セットの合間に皆と交わって付き合うには、余りに子供だったので、休憩時間は家に帰って宿題をしていた。…」

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
   フラナガンの言葉の端々から、両親やお兄さんに対する尊敬と感謝の気持ちが伝わってきます。お父さんもお母さんも、決してお金持ちではなかったろうし、高等教育は受けていなかったかも知れないけれど、家族をしっかりと守り、きちんと人生を送った。  フラナガンの兄、ジェイことジョンソン・フラナガンはプロのピアニストとして地元で活躍した。ジェイのお孫さん、スコットはアトランタ生まれ、'80年代に広島で英語教師をしていて、私達を訪ねてきてくれたことがあります。やっぱりトミーと良く似ていました。他の兄弟達は、なんでも教育委員会とか、固い仕事についておられたそうです。    フラナガンのユーモアのセンスは最高だったけど、「業界人」っぽい軽薄なところは全然なかった。まったく同じことが、彼の音楽性にも感じられる。

 トミーの語る日常のさりげない一言にも、「この人は、末っ子で可愛がられて育ったんだろうなあ。」と思える時がよくあった。例えば、子供の時の口癖が出てきたり、きれいな花をみたら、『僕は子供のときに、植物の世話が上手だったから、緑の親指を持っているって、家族に言われたんだよ!』と、目をキラキラさせて回想していたなあ。

  今度の日曜日、3月16日は、トミー・フラナガンの誕生日、そして29日(土)は、寺井尚之フラナガニアトリオが、3月恒例のトリビュート・コンサートを開催します。

 ぜひ、皆でフラナガンを思い出して楽しみましょうね! CU

2008年03月07日

寺井珠重の対訳ノート(6)

もうひとつの“奇妙な果実”
What's Going On / エラ・フィッツジェラルド



 今週のジャズ講座には、いよいよエラ・フィッツジェラルドの『Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』が登場します。さきほど、やっと、当日にお見せする対訳や構成シートが出来上がりました。寺井尚之に何度もダメ出しされて校正をしたものです。MCまで訳したので、物凄い数のOHPシートになっちゃった…

 日本の評論では、何故かエラのライブ盤は「エラ・イン・ベルリン」と相場が決まっているようです。レコードを素直に聴けば、成熟を極めた'70年代のライブアルバム群に軍配が上がるのが自然なのになあ… 中でも、前作の『Jazz At The Santa Monica Civic '72』と本作はコンサートのスケール自体が凄い。

 カーネギー・ホールのコンサートには、これまで毎日世界中を飛び回っていたエラが、糖尿病の合併症で視力を損い、不本意ながら取った休養中、じっくりと自分の歌を見つめ、熟成発酵させた後がありあり判る。
 詳細は、ぜひジャス講座で寺井尚之の名解説をお聞き下さるか、後に出る講座本をお待ちください。

 愛のゆくえ 今回、私がブッ飛んだこの歌は、オリジナルの2枚組LPではボツになっていた演目です。ヴェトナム戦争終盤の'71年に、マーヴィン・ゲイが大ヒットさせた反戦歌だけど、リリース時の日本名は「愛のゆくえ」だった。当時の洋楽ディレクターはとてもクレバーですね。この歌の社会性を前面に出さずにプロモートしたかったのでしょう。

 マーヴィン・ゲイやこの歌については、Interlude読者の皆さんの中に、私よりずーっと詳しい方々がおいでになると思います。トミー・フラナガン達がNYに去った後のデトロイトで、黒人が黒人音楽をビジネスにして大成功した稀有な会社、モータウン・レコードの看板スター、マーヴィン・ゲイが、モータウンの総帥、ベリー・ゴーディの反対を押し切り'71年にリリースした反戦歌です。
 ゴーディが反対したのは、売れないからではなく、反戦フォークソングがビッグ・ビジネスになった'70年代でさえ、まだまだ「黒人は政治問題にタッチするべからず。」という不文律があったからこそ、反対したのだ。

 それでもゲイ自らプロデュースし、リリースにこぎつけた<What's Going On>はモータウン創立以来の大ヒットを記録し、批評家からも絶賛される。でも、マーヴィン・ゲイはアメリカ国税庁にマークされ、一時は破産状態となり、「薬物中毒、情緒不安定」というレッテルを貼られ、45歳の誕生日、「情緒不安定な父親」に銃殺されてしまった。

 その昔には、ジャズの世界でも似たようなことがあった。合衆国で人種の差別や区別が行われていた頃の話、'30年代のNYには、出演者もお客様も、人種の分け隔てをせず、最高のエンタテイメントを提供することで人気を博した<カフェ・ソサエティ>という革新的なナイトクラブがあった。その店のスターだったビリー・ホリディが歌って、大センセーションを巻き起こしたのが、南部でリンチによって木に吊るされる残酷な人種問題の歌「奇妙な果実」だ。これがホリディの歌の真髄かどうかは判らないけれど、彼女のレコードの内で最高のセールスを記録し絶賛された。しかし、その結果どうなったか?<カフェ・ソサエティ>の来店者は、FBIに監視され、名オーナー、バーニー・ジョセフソンは、「共産主義者で、しかも薬物中毒」であると、芸能レポーター達にバッシングされた挙句、店は閉店、ホリディ自身は麻薬所持現行犯で逮捕され、NYクラブ出演のライセンスを剥奪され、マーヴィン・ゲイより一才若く、僅か44才で亡くなった。

 本作で、エラはビリー・ホリディに捧げ、<Good Morning Heartache>の名唱を披露している。これもぜひ聴いて見てください。

カフェソサエティ
カフェ・ソサエティで歌うビリー・ホリディ


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 '73年当時、ジャズ・ソングの女王、エラ・フィッツジェラルドにとっても、<What's Going On>は「取り扱い注意」であったことは明白だ。ビートルズやバカラックのヒット・ソングとは違う社会性の強い演目は、エラのマネージャー、ノーマン・グランツが薦めたとは到底思えない。浮世離れしたスター、エラは、この作品を単にヒット・ソングのうちの一つとして歌ったのだろうか?
 答えはNO! 絶対違います。 歌詞を拾って行くと、泥沼化したヴェトナム戦争終盤の'72年、<サンタモニカ・シヴィック>でのライブと、米軍がベトナム完全撤退した直後の本作では、歌詞をガラリと変え、スキャットに至るまで、真正面から楽曲と向き合って、誠心誠意、歌ってるのがよく判るのです。

 <サンタモニカ・シヴィック>のヴァージョンでは、きちんとフルバンのアレンジが出来ており、歌詞はほとんどマーヴィン・ゲイのオリジナルと同じだ。


『Jazz At The Santa Monica Civic '72』より抄訳
サンタモニカ・シヴィック

マザー、マザー、
こんなに大勢の母親が泣いている、
ブラザー、ブラザー、
こんなに多くの兄弟達が死んでいく、
何か方法を見つけなくちゃ、
愛ってものを、ここに、
持ってくる方法を、今見つけよう!

母さん、母さん、
髪が長いって、皆はなぜ文句を言うの?
兄弟、兄弟、
なぜ、私達が間違っていると言うの?


 ところが、本作では、トミー・フラナガン3+ジョー・パス(g)をバックに、表面上は終結した戦争について疑問符を投げかける歌に仕立てている。

『Ella Fitzgerald/The Newport Jazz Festival: Live at Carnegie Hall』より抄訳

マザー、マザー、
余りにも多くの母親が泣いた、
ブラザー、ブラザー、
大勢の兄弟が死んで行った、
何とかよい方法を、見つけなくてはならなかったのに。
愛があればこんなことにはならなかったのに。


だから私は言ったのに。
さあ、兄弟達、
私にちゃんと話してよ、

お父さん、お父さん、
戦争が唯一の解決策でないと
もう判ったでしょ。
愛だけが憎しみに打ち勝つの、
暴力でなく、愛で解決する方法を
考えるべきだったのよ。



 マーヴィン・ゲイの、クールな感情表現と違って、「ヘイ、ダディ、何が起こったのか、ちゃんと話しなさいよ!」としっかり相手の目を覗き込む心でエラは歌いかける。これはCover Versionというより、お砂糖がかかった甘い薄皮を引っ剥がして曲の真髄をそのままドンと聴かすUncover-Version なのだ!
 かつてガーシュインもエラのガーシュイン集を聴いて驚いたといいます。『僕の曲が、あれほど良いものとは知らなかった!」と。楽曲の真髄を見抜き、最大限に表出するのがエラとフラナガンの音楽的な共通点なんですね!

 さらに圧倒的なスキャットで、ジャズの曲を引用しながら、畳み掛けるように歌いかける。“I'm Beginning to See the Light (だんだん真実が見えてきた)”、そして“I Cover the Waterfront(波止場にたたずみ)”を引用する。これは、第二次大戦中に、引き裂かれた恋人や家族のシグネイチャー・ソングだ!ジャズ歌手がコンテンポラリーな歌で聴かすスキャットの内で、これを凌ぐものがあるだろうか? 

 でも、当初リリースされた2枚組LPでは、このトラックは収録されていなかったし、当時のNYの批評は、大変醒めたものでした。エラ・フィッツジェラルドが、こういう社会派の歌唱で売れるのは、筋ではなかったのだ。
 
 だけどエラさん、ちゃんと判ってますからね! この歌に取り組んだあなたは真剣だった! あなたはビューティフル、あなたはアメイジングです!!

 土曜日のジャズ講座は、寺井尚之の強い要請で、MCから大向こうの掛け声に至るまで完全対訳付き。歌詞を拾うたび、エラにぶっ飛び、フラナガン達のプレイに涙して、体が揺れて総力を使い果たす私ってアホやわあ。
 
今は、ひたすら講座の解説を楽しみにするのみ!明日は、おいしいポーク・ビーンズを仕込もう。

土曜日は全員集合!

CU