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2008年4月25日

アート・テイタム伝説

  我らがトミー・フラナガンは、ビバップの申し子であると同時に、ピアノという楽器を最もピアノらしく鳴らす巨匠だ。寺井尚之が自分のピアノ教室で、最初に音楽理論とピアノの倍音を鳴らすトレーニングを行うのはそのためです。
 
   ビバップの革命的なハーモニーの土壌を作り、ピアノを一番ピアノらしく弾いたのが、アート・テイタム、寺井尚之は毎日演奏する前にはテイタムを聴いている。
  いきなりアート・テイタムと言われてもなあ…と、戸惑う人も多いかも知れませんが、テイタムはテディ・ウイルソンから新主流派スタンリー・カウエルに至るまで、OverSeasが愛する全ピアニストの神様だ。
  アート・テイタム (1910~56)
 
 テイタムを知らずしてトミー・フラナガンを語るなかれ。

 アート・テイタムはオハイオ州トレド生れ、全盲ではないが、殆ど盲目のピアニストだ、マーティン・スコセッシ製作、クリント・イーストウッドが自監修のドキュメンタリー映画、『Piano Blues』などで、貴重な映像を観る事ができる。
 昔の人であり、実際に観た人がほとんどいないせいか、日本のジャズ評論で、テイタムの超絶技巧について実感を込めて語ったものに、私はお目にかかったことがない。
 オスカー・ピーターソンとの関連付けだけがされていて、ファッツ・ウォーラーの名台詞『神はこの家におられる』や、クラシック・ピアノの皇帝、ホロウィッツが一週間続けてバードランドに聴きに来たというエピソードが繰り返し語られるのみ。

 だけどピアニストにテイタムの話をさせたら止まらないよ。フラナガンや、サー・ローランド・ハナ、ウォルター・ノリス、父親がテイタムの友人だった新主流派のスタンリー・カウエルに至るまで、皆相当の年齢にも関わらず、少年の顔になって、片手でグリスとランを一度に弾いてしまう姿や、声をかけてもらった喜びやテイタムにまつわる怪談話を、身振り手振りで、語ってくれたもんです。テイタムの“テ”は天才の“て”だ。

   彼らに共通するテイタムのイメージは、『ぞっとするほどの神秘。』 話をしてくれる人達が、すでにジャズ史を代表する天才なのだから、一緒にぞっとしてみたかった。
 tatum_w_cap.gif

 怪談めいたコワい話はウォルター・ノリス(p)さんから教えてもらった。このエピソードは書物にもあるが、やっぱりライブで聴くと一層怖かった。

 「昔、LAの店にテイタムを聴きに行ったら、アップライトがスタインウエイのフルコンのようなサウンドで鳴っていて、私は仰天した。数日後、どんなピアノだろうと思い、同じ店に行って、私自身が弾いてみたら、ボロボロでアクションも最低、おまけに数本鍵盤が欠け落ちていた。その次に同じ店でテイタムの弾いているのを聴くと、やっぱり調律仕立てのグランドにしか聴こえなくて、ないはずのキーの音がちゃーんと聴こえていた。」と言うのです。鬼気迫る表情で小声で語る迫力…ノリスさんは、どちらかというと普段はシャイな人で、ホラ話なんて絶対しない。ピアノの調律に非常にウルサイ巨匠が、こんなことを言うのです。







OverSeasで演奏するウォルター・ノリス、テイタム話もこんな顔でしてくれた。彼のサイトからノリスさんの名演がダウンロードできます。


   テイタム伝説を語る巨匠達の話ぶりや表情をヴィデオに撮って保存できなかったのは残念ですが、その代わりに、USAには、歴史の現場に立ち会った人々の証言を元に考察する歴史学:オーラル・ヒストリーが発達しているので、ジャズ研究にも現場からのたくさんの証言が、色々残されている。

 カッティング・コンテストと呼ばれる名手達の果し合いが、アメリカの色んな宿場街で行われていた西部劇のような時代、テイタムはトレドの街で、NYやシカゴ、色んな土地から来た腕自慢をばったばったとなぎ倒した。
 合法的なナイトクラブやキャバレーが閉店した後、ミュージシャンが集まったアフターアワー・クラブ、ジャズシーンの裏側でテイタムがフラナガン少年に聴かせた至高のピアノ・プレイ…ミュージシャン達が語るテイタム伝説には、西部劇も梶原一騎も目じゃない熱いドラマがある。

 アート・テイタム、神か天使か怪物か?



 ジョー・ターナー(p)(1907-90)
ボルチモア出身、ルイ・アームストロングやベニー・カーターの名楽団で活躍した華麗なるストライド・ピアニスト、第二次大戦後はヨーロッパに移住し、パリ、シャンゼリゼのクラブで人気を博した。パリに没。


   西部にツアー中、ベニー・カーター(as,tp.comp.arr.その他何でも)が私に警告した。「オハイオ州のトレドに着いたら、決して土地のクラブでピアノに触っちゃいけない。街にいる盲目の若造はやり手だ。お前が逆立ちしても太刀打ちできない。」
   一体どんな奴だろう?私はトレドの街に到着するなり、そのピアノ弾きの居所を尋ねた。何でも、夜中の2時きっかりに、決まってある軽食屋に現れると言う.

   午前零時に劇場の仕事がハネると、その店でアートの来るのを待った。しばらく私がピアノを弾いていると、ピアノの傍らで、若い女が二人言い合いを始めた。一人の女が「この人ならアートをやっつけちゃうわよ。」と言う。するともう一人が言い返した。「そのうちアートがここに来るから、どうなるかじっくり見物しましょうよ。」
  噂どおり、2時ぴったりにアート・テイタムが現れた。私が挨拶をすると、「ああ、お前さんは、“ライザ”を素晴らしいアレンジで演っている、あの有名なジョー・ターナーかい?」と言うではないか。演奏してくれと頼むと、彼は『まずあんたのピアノを聴かせてもらってからだ。』と言って聞かない。アート相手に言い合いをしても勝ち目はなかった。私は(ベニー・カーターの忠告を無視し)“ダイナ”で指慣らしをして、おハコの“ライザ”を演った。
   弾き終わると、アートが『なかなか良いね。』と言ったので、私は少しムっとした。“ライザ”を聴いた者は、余りの凄さにびっくり仰天するのが常だったからだ。なのに、ただ『なかなかいいね』だけとは、なんて奴だ。それからアートはピアノの前に座り、“スリー・リトル・ワーズ”を弾いた。その凄かったこと! 三つの短い言葉どころか、三千語でも足りない位もの凄い演奏だった!あれほどの音の洪水を生まれてから聴いたことはない。
  それ以来、私達は無二の親友となった。次の朝早く、私がベッドから出る前に、彼は、もう私のところに遊びに来て、昨日私が弾いた“ライザ”を一音違わず、全く同じように弾いてみせた。
(Hear Me Talkin' to Ya / Nat Shapiro and Nat Hentoff )

 ジーン・ロジャーズ(1919-87)
 ピアニスト、NY生まれでNY育ち、キング・オリヴァーやチック・ウエッブ等の名楽団で活躍した。'39に大ヒットしたコールマン・ホーキンスのBody & Soulの名イントロはロジャーズだ。

 '30年代の後半、クリーブランドで彼に出会った。…我々が出演した劇場の上の階のナイトクラブに、偶然、テイタムが出演していた。友人がお互いを紹介してくれて、一緒にビールを飲んだ。
 よせばいいのに、私の方から「あんたのプレイを聴かせてくれよ。」と切り出した。「それなら、君から先に弾いてくれ。」と向こうが言った。なにせ、私はその頃、やる気満々の若造さ、ほいほいと言われるままに弾いたよ。演奏し終わったら、彼は誉めてくれた。「ヘイ!君のスタイルはいいなあ。凄く気に入ったね!」私はすっかりいい気になって、「今度はあんたの番だ」と言ってしまったんだ。
 
 目の不自由なアートが2人の男に付き添われ、ピアノに向かうだけで、皆の注意がひきつけられた。ピアノはアップライトだ。アートは右手にビールのグラスを持ち、ピアノの椅子に座りながら、左手だけで弾き始める。おもむろにグラスを置くと、右手も鍵盤に向かった。それからは、自分の耳が信じられなかった。…彼が3曲弾き終わる頃には、もう耐えられなくなり、ホテルに逃げ帰ってさめざめと泣いた。人生であれほど凄い演奏を聴いた事はなかった・・・
(American Musicians/ Whitney Balliett)

しかし、ミュージシャン達をKOしたのは、単に超絶技巧だけではなく音楽の中身だった。

ビリー・テイラー ビリー・テイラー(1921-)
ビバップから現代まで、激動のジャズ史を生き抜いたピアノの巨匠、全米ネットワークのジャズ番組のホストとしてアメリカではタレントとしても有名。知名度を生かし、音楽教育や文化プログラムの資金集めを含めジャズ界に貢献した。現在は引退しているが、ネット上でフラナガンとのものすごいデュオが観れます。

 テイタムのピアノ、ホーキンスのテナー、そしてエリントンが率いた楽団、この三つがビバップ語法の基礎を作った。

 テイタムが繰り広げたジャム・セッションの中で忘れがたいものがある。相手はクラレンス・プロフィットというピアニスト兼作曲家だった。私を含め、皆、彼のことを単なるファッツ・ウォーラーの亜流と思い込んでいたが、この二人のジャム・セッションは何ともすさまじかった。
 二人がピアノの前に座り、同じメロディを延々弾き続ける。メロディは変えずにハーモニーを次から次へと変えていくのだ。フレーズを考えるのでなく、色んなハーモニーをどんどん考え出すという凄いジャムだった。特に“Body & Soul”を演った時が面白かった!あの曲にはすでに決まったコードが付いているからね。彼らのセッションは信じられないような内容だった。だが、あの時やったようなことは、私の知る限りでは全く録音されていない。
 (Swing to Bop/Ira Gitler)

 カーメン・マクレエ(vo)(1920-94)
 ビバップの誕生に立ち会い、ビリー・ホリディの生き様を見て育った大歌手。


 ハーレムのセント・ニコラス通りを少し入ったところにアフターアワーの店があって、一流ミュージシャンは仕事が終わったら、皆そこに集まった。レスター・ヤング達カウント・ベイシー楽団の面々、ベニー・グッドマン、アーティ・ショウ、そしてアート・テイタム、アートはアフター・アワーの店が大好きだった。彼が正規の出演場所よりも、アフターアワーズの方が良い演奏したっていうのは本当よ。多分、その場の雰囲気のせいかもね。違った空気があれば、それに即して違った歌い方をする人は多いのよ。ある種の聴衆やクラブには、ミュージシャンに、普通は出来ないようなことをしたいと思わせる何かがあるのよね。まあアート・テイタムは余りに素晴らしくて、いつの演奏が良かったと選ぶのも無理なんだけど。(Hear Me Talkin' to Ya / Nat Shapiro and Nat Hentoff )

 
 レックス・スチュワート(1907-67)
 フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントンなど名楽団の花形コルネット奏者、作曲家として活躍した巨匠。文才もあり、著作Jazz Masters of the Thirtiesはジャズ批評の名著と言われる。コールマン・ホーキンスの親友。

 トレドで、ある夜フレッチャー・ヘンダーソン楽団のメンバーと連れ立って、噂のピアニスト、アート・テイタムを聴きにアフターアワーの店を訪れた。
 その夜、コールマン・ホーキンスは、アート・テイタムのプレイに完全に魅了され、、瞬く間に自分自身の音楽スタイルを構築した。その夜からホーキンスはスラップトング・スタイルを全く放棄してしまった。(Swing to Bop)

  teddy_%20wilson.JPGテディ・ウイルソン(1912-86)は、フラナガンのもう一人のルーツだ。

 私はアール・ハインズとファッツ・ウォーラーが好きだ。しかし、アート・テイタムは、全くものが違うという気がする。生まれながらにして、類い稀な天才だった。野球に例えれば、全打席ホームランを打つ程すごい才能があった。アートは神秘と言ってよい。アートが他のどのピアニストよりも私に感動を与えたことに間違いはない。(ダウンビート誌 1959年1月22日号)

 テイタム伝説は私の数少ない蔵書のいたるところに散らばっている。キリがないので、これくらいにしておこう。
  エンディングに、トミー・フラナガンらしいテイタム伝説のごく一部を。

flanagan.jpg
 
 子供の頃、彼のプレイを一度、間近で観察した。(デトロイトの)アフターアワーズの店だった。テイタムが現れたのは朝の4時、演奏を始めたのは5時頃だ。それから2-3時間弾くというのが彼の日課だった。まだそんないかがわしい場所に出入りしてはいけない年齢だったが、テイタムを観たさにこっそり家を抜け出したのだ。悪いことだったが、今でも、そこで、彼を生で見れて良かったとつくづく思う。

 そこで彼の弾いていたのは、おんぼろアップライト、粗大ゴミと言ってもよい代物だった。テイタムが弾く前、彼の友人のピアニストが弾くと、どれほどボロかということが、つくづくよく判った。だが、一旦テイタムがピアノの前に座ると、ボロピアノがあっと言う間にグランドピアノのサウンドになった。本当にピアノを変身させる事ができたのだ。…凄かった。同時に、彼は大変音楽的だった。本当にひどい楽器からでも音楽を引き出して見せた。
 でも楽々と弾いているテイタムをひたすら傍で見つめるのは、素晴らしいことだった。片手にはドリンクを持ち、別の片手だけで、僕の今迄に弾いたどれよりも凄い演奏をして見せた。そんな事が起こるのがデトロイトのアフターアワーズというものだった。
 

 強烈なテイタムの洗礼を受けたフラナガンは高校卒業後、18歳の新進ピアニストであった頃、逆にテイタムがフラナガンのプレイを間近で聴くことになる。

ある夜、私はボビー・キャストンという歌手の伴奏をしていた。テイタムはキャストンの歌が好きで、彼女の伴奏をしていたこともあった。歌の前のピアノ演奏で、私はいつもテイタム流に“スイート・ロレイン”等を演っていた。
 いつもの様に私がテイタム流に奮闘していると、ボビーが私に近付いてこう告げた。
『ほら、アート・テイタム があそこに座っているわよ。』×☆○? !
 ボビーの示した 方をそーっと観ると、本当に彼がいるじゃないか!それからは、逆の壁の方を向いて、やっとの思いで弾き終えた。

 私は彼と話すのが恐かった。彼には6回程会ったことがあるが、いつもどんな話をすればよいかもわからなかった。私は彼をミスター・テイタムと呼んだ。でも彼は私にとても優しかった。とても忍耐強く、私達若い者が演奏するのをじっと立ったままで聴いてくれた。「今夜は珍しくうまい子達がいるね。」なんて言ってくれた。
 テイタムがピアノの前にひとたび座れば、僕らなどひとたまりもないことはわかりきっているのに。

 テイタムが、あれほど凄いピアノ・テクニックをどのようにして編み出したのかわからない。しかし彼の演奏におけるハーモニーの構造には稽古の跡がうかがえる。彼こそ正真正銘のヴァーチュオーゾだ。そしてヴァーチュオーゾの至芸というものは基礎的なトレーニングなしには決して有り得ない。

 若い頃、アート・テイタムに感動し、彼こそパーフェクトなピアニストだと思った。今でも私はそう思っている。テイタムの演奏には、全くなにもかも、全てのものが詰まっている。

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 ジャズの巨匠達が好んで語るテイタム伝説には、畏怖の念とともに、天才への情愛に溢れている。尊敬するテイタムから受けた優しさが巨匠となったフラナガンの心に根付いていたから、あれほど寺井によくしてくれたのだろうか?
やっぱりテイタムは神様だ。
tatumsmiling.jpg

CU

 

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