2010年4月15日

キム・パーカー(vo):家族の肖像

  夏と真冬を行ったり来たり...ベランダに満開のフリージアも今日はとっても寒そう。冷害で春野菜もなかなか口に入らないし、ひどい風邪も流行ってるみたいだし...体調は大丈夫ですか?

 先週のジャズ講座は、Aurex Jazz Festival '82のライブ盤が一番人気!クラーク・テリー、デクスター・ゴードン、J&カイなどドリームチームの快演と、実際コンサートの客席にいた寺井尚之の迫真の実況中継で、ジャズ講座ごと会場に行った気分!ほんとに楽しかった!

 このアルバムのインパクトが余りに強烈で見過ごされてしまったのがキム・パーカー(vo)の『Good Girl』。G先生だけは彼女の選曲に大いに意義を見出してくださったものの、歌詞の聞き取りに苦心惨憺した割には実り少なし...まあいいか。

 歌手キム・パーカーの評価は講座の解説に委ねるとして、私が興味を覚えたのは、チャーリー・パーカーとフィル・ウッズという二人の偉大なアルト奏者を父と呼んだ彼女の家庭環境です。ジャズ史上最高の天才チャーリー・パーカーをパパにするってどんな風なのだろう?

<チャン・パーカーという母>

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 キム・パーカーはチャーリー・パーカーの実の娘ではなく、内縁の妻だったチャン・パーカーの連れ子です。チャンはユダヤ系の白人、コーラス・ガールで当時ジャズのメッカだったNY52番街のすぐ近くで生まれ育ったチャキチャキのNY娘、パーカーが愛した女性達の中で唯一、彼を「バード」と呼んだ女と言われ、極めて強い個性が私にダイアナを彷彿とさせます。'50年代ですからNYとはいえ黒人と白人のカップルは音楽の世界を一歩出ると、世間の風当たりはさぞ厳しかったことでしょう。二人の間に出来た娘が病死したのが原因で離婚、その数ヵ月後にバードも他界。彼女の手元には殆ど遺産らしきものはなかったそうです。2年後にパーカーを崇拝するアルト奏者、フィル・ウッズと再婚。'83年に離婚してからはパリ郊外に居住、作詞作曲家としても活動し、1999年にキムと、フィル・ウッズとの間に出来た息子、ガーフィールドに看取られて74歳の生涯を閉じました。
chanparker.jpg 彼女の自伝《My Life in E♭》が出版されていると知ったので一度読んでみたいと思います。またチャーリー・パーカーの生涯を描いた映画《バード》(クリント・イーストウッド監督作品)の脚本は、チャン・パーカーの回想が基になっているので、興味のある方は一度ご覧になればいいかも知れません。

<パパとしてのバード>

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 キム・パーカーがチャーリー・パーカーと共にイースト・ヴィレッジのアパートで暮らしたのは'50-'55の足掛け五年間で、その住居はNY市の史跡として現存し、アパートは家賃$4,500也で住むことも出来るみたい。その史跡のHPにキムのインタビューがありました。チャーリー・パーカーの伝記「Bird Lives」(Ross Russell著)と内容はよく似ていますが覗いてみましょうね。

charlieparker_house.jpg 小学生だったキムは、そのアパートから数ブロック北にある小学校に通っていましたが、学校の始まる時間は家族全員が寝ているので、可愛そうに、幼い彼女が自分で朝ごはんとお弁当を作って独りで学校に通っていたそうです。他の子供達と全く環境が違うのでイジメにあったのかも知れません。摂食障害になり毎朝10:30になると決まって嘔吐するため、学校が自宅に医者の診察を受けさせるよう勧告。お父さんに医者に連れて行ってもらったというのが一番記憶に残っているそうです。

 医者の診断は「体に異常はなく、恐怖感が嘔吐の原因になっているので、自信をつけてあげなさい。」というもので、バードはそのままキムの手を引いて学校まで連れて行ってくれました。いじめっこが一杯の白人小学校に、立派で黒いお父さんと一緒にいることがどれほど自信になったことかとキムは回想しています。

 家庭でのバードは、全く普通の人だったとキムは言っています。日曜日は家でお父さんが作ったト音記号の形の食卓(!)で夕食を取るのが決まりになっていました。家庭でジャズが流れることは全くなくBGMはクラシック音楽、ペギー・リーのスタンダードも好きだったそうです。西部劇が大好きで、西部劇の名脇役、ジョージ・ギャビー・ヘイズを街角で見かけて、サインをもらったと言って得意がり、おもちゃ屋さんで手品の道具やいたずらの小道具を買ってきては、キムを喜ばせてくれたとも語っています。

 両親の間の揉め事や、妹の死、父の麻薬の問題も、小学生のキムには理解を超えていたし、父が「悩み」を抱えているとは到底思えなかった。とにかく父バードはキムにとって「特別な存在」だったし、幸せな思い出だけが残っていると彼女は語っています。子供ならそれも当然かな?

 両親が別居しバードが亡くなるまでも、バードはたびたびキムを訪ねて来て、彼女をびっくりさせようと、一度は馬を借りてカーボーイのように乗馬でやってきたこともありました。そのエピソードは映画《バード》にも少し形を変えて用いられています。

 キムの証言を読むと、ジミー・ヒース(ts)の奥さんモナの名言を再び思い出しました。
「天才ミュージシャンは例外なく子供みたいなところがある。」

 チャーリー・パーカーの死後、キム・パーカーはフィル・ウッズという新しいお父さんに恵まれ、スイスの寄宿制学校からNYのホフストラ大学で演劇を勉強。'恐らく育児のためにしばらく活動を休止した後に'79年から音楽活動を再開し、ジャズだけでなく映画の吹き替えの仕事などでも活動していたようですが、現在はどうしているのでしょうか?

 キム・パーカーの歌唱には、良くも悪くも、ビバップの影響も呪縛も、少なくとも私の耳には一切聴こえてきません。それはチャーリー・パーカーがキムに対して「芸術家」としてでなく、純粋に「家族」として接し、愛情を注いだためだったのかも知れませんね。

Kim_Parker_Havin_Myself_a_Time.jpg

 さて、17日(土)はメインステム!4月のあの曲、この歌でゆっくりお楽しみください。

ベランダで寺井パパが育てている色んな花が寒さにしおれていなかったら、飾っておきます。

おすすめ料理は、寺井尚之お手製「牛肉の赤ワイン煮」です。こちらもお楽しみに!

CU

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