2012年9月27日

知っておきたい裏ジャズ史② フレンチなジャズ評論家:シャルル・ドローネー

今日は路地裏から、澄み渡る秋空が...皆さんの街はいかがですか?

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  このところ、講座や本の資料作りにずっとゴソゴソしています。  トミー・フラナガンやサド・ジョーンズなどデトロイト系、ジミー・ヒースやジョン・コルトレーンなどフィラデルフィア系の音楽家たち...ジャズの歴史は本当に面白くて、秋の夜長にぴったり!調べるほどに、未知の領域、ヨーロッパのジャズ界にぶつかります。というのも、フラナガンより少し上の世代、1920年代或いはそれ以前に生まれたジャズ・ミュージシャンは、ヨーロッパ楽旅を経てから、ワンランク上のアーティストに「化ける」人が多いように思えます。その理由は、ヨーロッパの聴衆の素晴らしさと「おもてなし」が深く関係しているようなのです。故国アメリカでは、どんなに人気があっても、フルトヴェングラーのように尊敬されることは絶対なかった。アメリカの南部ツアーでは、食事できるレストランを捜すにも苦労したコールマン・ホーキンスやベニー・カーターたちが、ヨーロッパでコンサートをすれば、盛装した紳士淑女が熱狂し、王侯貴族のサロンでは同じコニャックを飲み、知識人やセレブが客分として歓迎し、自分達の値打ちを教えてくれたんです。


jazzpoet.jpg   ダイアナ・フラナガンは、「ヨーロッパ、特にフランスのジャズ評論は、こっち(USA)よりずっと知的で素晴らしい。」と言っていました。大学でデカルトの『哲学原理』を購読したにもかかわらず、フランス語といえば、店に来たお客さんにBon Appetit!とニッコリするのが関の山...『Beyond the Blue Bird』や『Jazz Poet』で素晴らしいライナーを書いてくれた大評論家、ダン・モーガンスターンも英国人ですから推して知るべし...


ヨーロッパで咲いたジャズの華として、私がまず思い浮かべるのは、ジプシーのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト、彼を知る前からM.J.Qの演奏するDjangoは知ってました。ウディ・アレンの映画「ギター弾きの恋」を観ると、ジャンゴのギターだけでなく、醸し出すムード全てが、アメリカ人にとって、どれほど"ハイカラ"かというのがよく判ります。


books.jpeg  ジャンゴの時代、フランス・ジャズ界は、ジャズを心底愛する評論家達が、執筆だけでなく、米国ミュージシャンの招聘やプロモート、レコードのプロデュースをしたというからすごい!ジャンゴとヴァイオリニストのステファン・グラッペリで名を馳せたフランス・ホット・クラブ五重奏団...いえ、仏語はhを発音しないのでオット・クラブかも...?とにかく、ホット・クラブというのはジャズ・ソサエティの名前で、このクラブを主催したのが、ベルギー人のヒューゴー・パナシエと、フランス人のシャルル・ドローネーという二十歳そこそこの二人の評論家でした。彼らは、本格的ジャズ評論の元祖と言える人たちで、彼らが1934年に創刊した "Le Jazz Hot ル・ジャズ・オット"は世界初のジャズ専門誌でした。ダウンビートの創刊も同じ年でしたが、当時はジャズ専門ではなかったんです。

  今や常識のディスコグラフィーの元祖もこのドローネーさん、1936年に歴史上初のジャズ・ディスコグラフィーなるものを出版!ドローネーは貴族の血統で、両親は二人ともキュビズムのアーティストです。パリが占領された後も、貴族の責任、ノブレス・オブリージュを果たし、レジスタンス運動に参加、命がけで、たった一枚のチラシとなっても"ル・ジャズ・オット"を出し続けました。


Dela0001.jpg 占領下のパリ、1943年、レジスタンス活動の隠れ蓑となったホット・クラブの編集部をゲシュタポがガサ入れし、ドローネーと他のスタッフ、そして英国の諜報員が根こそぎ連行されてしまいます。取り調べの厳しさは並大抵ではありません。独房に入れられ数週間、ついにゲシュタポの隊員が一人でやってきました。

 拷問か、強制収容所か、ガス室か...? 覚悟したドローネーに向かって、その隊員はこう言ったそうです。


 「あなたのディスコグラフィーを読みました。ラッキー・ミリンダー楽団の頁ですが、2番トロンボーンの名前が間違っていましたよ。」驚いたことに、ナチ秘密警察にも、隠れジャズ・ファンがいたんです。その隊員のおかげで、まもなくドローネーは釈放されましたが、二人の仲間はガス室に送られたそうです。同じころ、アフリカでレジスタンス活動した、パノニカ男爵夫人との接点はあったのでしょうか?色々興味は尽きません。


 命がけでジャズを愛したシャルル・ドローネーはこんな言葉を残しています。

 「生まれて初めて耳にしたジャズのコンサート、私の感動を言葉にすることはいまだ不可能である。」(Django: The Life and Music of a Gypsy Legendより)


 浮世絵を「美術」と認めたのは日本人でなく欧米人だった・・・私たちも負けずに、全てを賭けてジャズを愛して行こうと思います。どうぞよろしく!


CU



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