2012年11月 8日

デトロイト:モーターシティ創世記

 オバマ再選!少なくともジャズに関係ある米国人なら、人種や居住地に関係なく、共和党ロムニー候補に投票した人は、まずいなかったでしょう・・・

 このロムニーさんは意外にもデトロイト出身、一方オバマ大統領が属する民主党から 1930年代に出馬したフランクリン・ルーズベルトの大統領就任に一役買ったのは、自動車産業に従事するデトロイトの黒人労働者たちでした。

 米国中西部有数の大都市、モーターシティ、デトロイトは、言うまでもなくトミー・フラナガンだけでなく数えきれないほど多くのジャズ・ミュージシャンを輩出しました。またビバップ時代、ディジー・ガレスピーが本拠地に選び、マイルズ・デイヴィスが長期滞在した場所です。

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 フィラデルフィアやシカゴなど、ジャズ・ミュージシャンを多数輩出した他の都市とデトロイトはどう違うのでしょう?

 昔、トミー・フラナガンと一緒にリンカーン・センターの図書館に行った時、私の見慣れない人たちの古めかしい写真にフラナガンが大喜びしたことがありました。(下の写真)


  「マッキニー・コットン・ピッカーズ(McKinney Cotton Pickers)!わたしはこの人たちを聴いて育ったんだよ!デトロイトから有名になった。ベニー・カーターもここにいたんだよ。」
???

 Cotton Pickers (綿摘人夫さんズ)......人種差別に対しては、物凄い大声で怒るリベラルなトミーにしては、いかにも不釣り合いな名前やん・・・私は昔のデトロイトにとても興味を持ったのでした。

 というわけで、土曜日の「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」、そして17日(土)のトリビュート・コンサートまでに、トミー・フラナガン以前のデトロイトをざっと駆け足で辿っておきます♪


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  <移民と黒人の街> 

 モダン・ジャズにとって、もうひとつの重要な街:フィラデルフィアが18世紀からの歴史的な大都市であったのに対し、デトロイトは自動車産業というものが出来てから急激に大きくなりました。
 1900年までのデトロイトは、さしたる産業もなく人口は30万人弱、それが自動車産業のおかげで、僅か20年後に、全米第4位の100万人都市となり、1920年代には、更に50万人が流れ込んできました。デトロイトにやってきた人たちのほとんどが製造業に従事。彼らの多くは外国からの移民、あるいは南部からやってきた黒人達でした。黒人労働者の大部分はジョージア、アラバマ、テネシー、サウスキャロナイナ、ミシシッピー州といった南部の農村地帯から流入した人々で、フラナガンの両親も同様です。

 南部から流入する黒人の人口の急激な増加は、KKKの襲撃といった深刻な人種対立を生んだ一歩で、黒人コミュニティの発展につながっていきます。


<黒人による黒人の街>


  モーターシティとなったデトロイトは、黒人の社会的階層に大きな変化をもたらしました。大部分が掃除人や日雇い人夫といった最低賃金の職業で形成されていた階層が、自動車工場に従事する新しい労働者層と入れ替わり、彼らを顧客にする商店や食堂、質屋、下宿屋、医者などの自営業が増えます。自営業者は、19世紀には、ごく少数の超エリートだったのですが、そういう黒人中産階級が増えて行きました。つまり、モーターシティの黒人労働者層が、黒人エリートを支えることになったのです。
  1919年、デトロイトに出現した黒人の劇場経営者、エドワード・ダドリーは、全米の黒人メディアにヒーローとして絶賛されています。ダドリーは、デトロイトの黒人街にあるユダヤ人経営の劇場のマネージャーを歴任した後、ヴォーデッド・シアターという劇場のオーナーとなり、それはシカゴやフィラデルフィア、どこにも例のない快挙でした。

 黒人コミュニティの繁栄は、歓楽街の発展や音楽の充実、そして何よりも黒人のプライドを鼓舞しました。その結果、ミシガン州では1937年に人種平等を推進する強力な公民権法が成立、人種混合かつ、黒人師弟の将来に手厚い公立学校教育がフラナガン世代に大きな影響をもたらしたのです。でも、その反動として強い人種間の軋轢が続きました。

 
<デトロイト・ジャズ誕生!>

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 黒人コミュニティの中心的な繁華街はパラダイス・バレーと言われました。そこには劇場や映画館、ナイトクラブが集中し、それらの遊興施設の大部分は黒人の経営だったそうです。
ラジオのない時代、20世紀初頭、"ジャズ"と呼ばれたデトロイトの黒人音楽は、南部から流入してきたブルース・スピリットと、従来的なワルツやクラシック、ラグタイムなどの軽音楽が融合した、多様というかアバウトな形態でした。演奏場所は映画館、劇場、ボール・ルーム、バンドも客と同じ人種、白人、黒人が分割され、両方とも隆盛だったといいます。バンドリーダーにはバイオリニストが多く、編成は、クラシックのオーケストラを模したものから、吹奏楽的なものまで様々でした。
 ラジオもなく、無声映画の時代ですから、それぞれの地方によって様々な楽団があったのでしょうが、残念ながらほとんど記録は残っていません。

pyramid.ai.jpg  やがて、ラジオが普及し、映画がトーキーになってからは、楽団が淘汰され、いわゆるスイング・ジャズを演奏する楽団だけが生き残ります。

 無声映画の劇場付の古い楽団は一掃され、人気楽団は各地を巡業をする"テリトリー・バンド"になります。さらに人気のある楽団は、ラジオやレコードを通じて全国的な人気を博する"ナショナル・バンド"としてNYや放送局にひっぱりだこになりました。デューク・エリントン、カウント・ベイシー、白人ならベニー・グッドマンの率いる全国的な楽団を頂点に、"テリトリー・バンド"、地元のローカルなバンドが底辺を支えるピラミッド型の楽団階層になり、実力のあるミュージシャンは上に上っていくわけです。ビリー・ミッチェルやサド・ジョーンズはテリトリー・バンドでキャリアを積み、デトロイトの"ブルーバード・イン"で開花し、カウント・ベイシーというナショナル・バンドに落ち着きました。

 楽団が巡業することで、各地の音楽性が融合し、化学反応を繰り返しながらジャズは発展していったのです。

 トミー・フラナガンが親しんだマッキニー・コットン・ピッカーズという楽団はデトロイト初の黒人"ナショナル・バンド"として、ドン・レッドマンやベニー・カーターたちのNY的なジャズの要素を取り込みながら、デトロイトの音楽を洗練させていったのです。1920年代に結成されたこの楽団、街の育ちでも、黒人は「南部」のイメージがなければ売れなかったので、こんな名前になったのですが、そのアンサンブルの優雅でスイングすることは、どんなNYの楽団にもひけを取らなかったといわれています。


Jeangraystoneorchpostcardsmall.jpg コットン・ピッカーズに比肩する白人楽団もデトロイトにはありました。ジーン・ゴールドケット楽団は、白人モダンジャズの「祖父」といわれる夭折のトランペット奏者、ビックス・バイダーベック(tp)、レスター・ヤングが憧れたというサックス奏者、フランキー・トラムバウワー、トミー&ジミーのドーシー兄弟tといった白人のジャズスターの宝庫だったのです。客層の人種は隔絶されていましたが、楽団同士の音楽交流はデトロイトの劇場の裏庭で、密造酒片手に頻繁に行われたといいます。そのため、「スイング時代はNYではなくデトロイトから始まった」と主張する評論家(ジーン・リース)もいるのです。


 デトロイトでは、黒人テリトリー・バンドのプロモーターも黒人、彼らはボクシングの興行を正業としていたのでした。


 

<黒人が経営する歓楽街、パラダイス・バレー>

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 ジャズ・エイジの後にやってきた大恐慌、自動車工業の労働者の半数が失業しても、スイング・ジャズとダンスホールの流行で、パラダイス・バレーは盛況を続けました。
  

 ダンスホールが下火になり、ナイトクラブ時代には、ハーレムの「コットン・クラブ」同様、白人客向けに、黒人音楽やダンスのショウを供するクラブがパラダイス・バレーに沢山出来ました。そのオーナーの多くがまた黒人であったのは、デトロイトだけの状況です。NYハーレムのコットン・クラブは白人のマフィアのものでした。デトロイトだけに黒人経営者がいたのは、デトロイトの黒人ギャングたちが"ナンバーズ賭博"で莫大な利益を得たおかげだと言われていますが公式な記録はもちろん残っていません。

billy_mitchell_PIC.jpg サド&エルヴィンのジョーンズ兄弟、ビリー・ミッチェル、そしてトミー・フラナガンが切磋琢磨した"ブルーバード・イン"も、もともとは黒人のデュボア・ファミリー が新興の黒人地区タイヤマンに開店したレストランで、デュボア・ファミリーは息子が父親を殺害すると言う凄惨な事件を経て、クラレンス・エディンス(上の写真)という経営者に変わり、デトロイト・ハードバップの華が開くのです。


 土曜日の「新・トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、その辺りの社会状況や、公民権運動盛んなデトロイトの充実した黒人教育について、寺井尚之が音楽内容と一緒に楽しく解説したします。どうぞお気軽に覗いてみてくださいね!


 寒くなったので、お勧め料理はRoaring Twentiesならぬロール・キャベツにする予定です。


CU

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