2013年5月16日

アルバム・デザインのパイオニア、S・ニール・フジタ

 
   Modern_Jazz_Perspective.jpg先日「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」で聴いたジジ・グライスのJazz Labと『Jazz Omnibus』のノネット、余りにも鮮烈なアレンジとプレイが忘れられません。グライスはあの時代のバッパーに珍しく、酒もタバコもクスリもやらず、音楽一筋。著作権意識を持つ明晰なアーティストが、あんなに早く引退したのは何故?興味は尽きず、音楽を聴きながら伝記"Rat Race Blues"を読んでいたら、コロンビア盤『Modern Jazz Perspective』のモダンなジャケット・デザインに目を惹かれました。デザイナーはS.Neil Fujitaと書いてある。日系二世、S.ニール・フジタ、ポップ・カルチャーの隠れたヒーローだ!

 

 

 

s-neil-fujita-circa1960s-294px.jpgSadamitsu Neil Fujita (1921-2010)

 フジタは、ハワイ日系2世、鍛冶職人の息子として、ハワイ、カウアイ島のサトウキビ農園で生まれました。美術の才があったサダミツは単身本土に渡り、ロスアンジェルスで画家を目指します。

 

 

<強制収容所から激戦地へ>

 第二次世界大戦が勃発したのは、フジタが美術学校に通っている時だった。米国市民にも拘らず、彼はワイオミングの強制収容所に送られ、日系人で組織された第442連隊戦闘団に従軍、玉砕した沖縄の悲惨な戦場を目の当たりにしました。歴史的に有名な第442連隊は主に激戦地で活動したために、3割の兵士が戦死している!復員後も、敵国にルーツがあるからと、功を讃えられるどころか、仕事も財産も家も失ったまま不遇の生涯を送った人が多かったと言います。しかし、フジタは逆境に耐えながら、美術学校を卒業、フルブライトでイタリアに留学できるチャンスがあったのに、生活の為と、絵を断念し、グラフィックデザインの道に進みました。 

 因みに、学生結婚で結ばれた奥さんのアイコ・フジタはコスチューム・デザイナー、ブロードウェイのヒット・ミュージカル、"ラ・カージュ・オ・フォール"、"コーラス・ライン"などの衣装を手がけた人、ワダエミよりもずっと早く活躍した人です!
 

<コロンビア・レコード、初代チーフ・デザイナー>

 当時のメディアや広告業界はリベラルな体裁と裏腹に、他の業種より、ずっとずっと白人優位主義、フジタは、JapやNipと呼ばれ、人種的なハラスメントを受けますが、それにもめげず、普通の人の何倍も努力した。その結果、コロンビア・レコードの初代主任デザイナーに抜擢!以降、クラシックからジャズまで、幅色いジャンルで、名盤の「顔」を創っていきました。

 milesmidnight.jpgマイルズ・デイヴィスの『'Round Midnight』もフジタのデザイン、彼にしてはコンサバティブな作風といえるかもしれませんが、夕焼けのようなダーク・レッドのマイルズと、小さなロゴタイプが、音楽のムードをそのまま表していますよね!

 フジタはコロンビアに入社すると、まずデザインルームではなく、レコードの製造工場に直行。そこで数ヶ月間、レコードの製造過程を観ながら、最適なパッケージを考えた。そして、自分が手がける音楽を、聴き漁り、それぞれの音楽に、どんなデザインが適しているのかを、探っていったんです。

 当時のアルバム・デザインは、このマイルズのアルバムのように、演奏者の写真と作品名のタイポグラフィーのコンビネーションで味を出すのが常套手段でした。


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 左は、無名時代のAウォーホールを起用したクラシック作品、BLUENOTEが彼を起用したのと同じ'56年の作。右はエリントンのLP。

 

 

  フジタは、名門コロンビア・レコーのブランド力を出すために、アートを感じさせるるカバーを作った。モーツァルトはソフトに、でもグレン・グールドは写真家を録音セッションに立ち会わせて天才の素顔を捉えた。モダン・ジャズはシャープで知的な現代性を視覚的に表現しよう!それにはアブストラクトなアートを使えばいい!と、自作の絵画をデイブ・ブルーベックのアルバムに使い大ヒット!彼のデザインした『Time Out』で"Take5"は一斉を風靡することになります。

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 この色彩感覚はフジタ的エスニック、ブルーベックが録音前に、アジアをツアーしたと聴き、彼が戦時中、第442連隊で駐留した、カルカッタやフィリピンで目にした色彩を使ってアジア的な香りを表現してみたんだそうです。

 フジタは自作の絵画だけでなく、様々なアーティストや写真家を起用。その中には、全く無名だったアンディ・ウォーホールやベン・シャーンといった20世紀を代表するすることになるアーティストがいました。

 彼が個人的に気に入っているデザインは左の"Time Out"とジミー・ラッシングの『James Rushing ESQ』、ベン・シャーンとコラボした『三文オペラ』だと語っています。

 やがて'60年代になると、フジタはコロンビアに慰留されながらも独立してデザイン事務所を設立。

「私がピアノや他の楽器を弾けたり、歌がうまければ、もう少しこの仕事を続けていたかもしれない。」とフジタは語っています。音楽の真髄を視覚的に反映しきれないジレンマが大きくなったのかもしれませんね。

 

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<ゴッド・ファーザー>

godfatherjpeg.jpegcoldblood.jpg 独立後、ポップ・カルチャーの騎手として、フジタの守備範囲は更に広がります。人気テレビ番組"Tonight Show"や"ローリングストーン"誌のロゴタイプも彼のデザインだし、なにより出版業界で引っ張りだこになりました。

 ジョン・アップダイク、トルーマン・カポーティ、当代の一流作家が、彼のグラフィックに惚れこみ、表紙や装丁に直接指名。著者と相談しながら作品のイメージをに表出する醍醐味は、デザイナー冥利に尽きるものだったようです。米国ではカポーティの「冷血」の表紙が有名。黒枠の囲みと右上のマッチ棒の古い血の色が、ストーリーを物語っています。カポーティの「ティファニーで朝食を」に出てくる日本人「ユニオシ」のモデル(あくまで原作の)はフジタだったのかしら?

 そして、私たちにとって一番おなじみなのは、なんといっても『ゴッドファーザー』(マリオ・プーゾ)ですね!操り人形の糸と、GodfatherのGとdが結ばれたタイポの組み合わせ、これを上回るデザインはない!と、映画にそのまま使われました!

 

<晩年>

awakening2009.jpg 

 old_fujita.jpg晩年のフジタは、ゴーギャンやマティスを想起するヌードを多く描きました。それらの作品は、かつてのエッジーなアブストラクトではなく、故郷ハワイや、日本の情緒を感じさせる、温かでしなやかな画風です。

 S.ニール・フジタ、レオノールではなく、日本にルーツを持つ、もう一人のフジタ。私たちの音楽に彩りを与えてくれたポップ・カルチャーの偉人として、もっと覚えておきたい名前です。

CU 

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コメント(2)

とてもためになりました。こんな素晴らしい日系のデザイナーがいたことを知りませんでした。『'Round Midnight』『Time Out』それに『ゴッドファーザー』… まさに日本の誇りですね。

アッキーさま、コメントありがとうございました。
この時代、いろいろ厳しかっあ日系人、すごいと思って紹介しました。
がんばれる気持ちにさせてくれる歴史に感謝です!

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