2014年1月24日

ビリー・ホリディを彩る二人のアイリーン(1):Irene Kitchings

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左からドロシー・ドネガン(p)、ビリー・ホリディ、アイリーン・キッチングス、ケニー・クラーク(ds)

 ずいぶん昔、故ミムラさんに頂いたビリー・ホリディの伝記で初めて見たアイリーン・キッチングス(右から2人目)の写真、ハーレムのジェーン・バーキンみたいにシックな人!キッチングスは"Some Other Springs"や"Ghost Of Yesterday"といったホリディのヒット曲の作曲だけでなく、ホリデイのブレーンとして、姉貴分として、彼女の歌に大きな影響を与えた。彼女の写真は後にも先にもこれ一枚しか観たことない。今日改めてキッチングスの画像検索してみたら、かの女だけトリミングした私のブログ画像が海外のサイトに拡散していてネットの威力にびっくり!

 アイリーン・キッチングスは3回の結婚歴を持ちアームストロング→イーディ→ウィルソン→キッチングスと姓が変わった。ホリディの十八番、"Good Morning Heartache"を書いたもう一人のアイリーン(ヒギンボサム:"Irene Higginbotham)と長い間混同されていた。OverSeasのビリー・ホリディ解説本初版の記述が誤っているのはそのためです。申し訳ありません。
 二人のアイリーンは、どちらもビリー・ホリディの芸術に輝きを与えた。まずはアイリーン・キッチングスのことを書いてみます。

Jumpin_TeddyBillieHoliday.jpg アイリーン・キッチングスは1908年(明治40年)、オハイオ生まれ、若くしてプロのピアニストとなり、やがて禁酒法時代のシカゴで男達を率いる美人バンドリーダーとして大活躍した。マフィア王国シカゴ・ジャズ界のアイドルだ!彼女の最大のサポーターはアル・カポネ。その地で結婚したが、4才年下のピアニストの才能に惚れ込み一人前に育て上げ、挙句に深い仲になった。そのピアニストこそフラナガンが大好きなテディ・ウイルソン!やがて二人は結婚、アイリーンは山口百恵さんのようにスターの座を捨て、夫に付いてNYへ。一説にはウィルソンの母親が引退をごり押ししたとも言われています。

 
 

 

 

 

 

<女が惚れる女>

Jumpin_HamptonGoodmanWilson.jpg NYでテディ・ウイルソンのプレイに香る品格を気に入ったのが大プロデューサー、ジョン・ハモンド、春に来日するボブ・ディランをスターにしたのもこの人です。おかげでウィルソンには大きな仕事が沢山回ってきた。中でもベニー・グッドマン楽団への参加によって彼の名声は世界的になります。さらにハモンドが育てる大型新人ビリー・ホリディの音楽監督となり、かの有名な一連のブランズウィック盤を次々に吹き込んだ。レコーディング準備のため、レディ・ディ(ビリー・ホリディのニックネーム)は、ウイルソンのアパートに通い歌の稽古を付けてもらってた。ウィルソン宅でお世話になったのが奥さんのアイリーンです。20歳になるかならないスター予備軍とはいうものの、ホリディは元娼婦、譜面どころか読み書きだってロクにできないおねえちゃん、普通の奥さん連中には距離を置かれる存在だ。でもアイリーンは違ってた。だってシカゴでピストル振り回す荒くれ男たち相手に、音楽で一枚看板張ってた姐さんだもの、そこらの素人さんじゃない。彼女はホリディの歌手としての資質を正しく評価して、率直に接した。ホリディはアイリーンを姉のように慕い、歌詞の読み方や発音でわからないところがあったら、まっさきに頼った。アイリーンはホリディのレコーディングに立ち会い、次の録音のため「新しいネタ」を探しに二人で夜の街を徘徊する仲になります。ホリディが垢抜けたのは、恋のせいだけじゃない、アイリーンのおかげでもあった。  一方、テディ・ウイルソンはベニー・グッドマン楽団で大ブレイク。ところが彼を支えた妻に夫の感謝はなかった。人生って皮肉だな・・・ウィルソンはアイリーンを捨て、若い愛人と駆け落ちしてしまいます。アイリーンとも親しかった総司令官ハモンドは激怒、罰としてテディは仕事を干され、グッドマン楽団のレギュラー・ピアニストはジェス・ステイシーと入れ替わった。さらに皮肉なのは、ハモンドの制裁のおかげでテディがアイリーンの生活費を負担できなくなったこと。精神的にも経済的にも窮地に陥った彼女を助けたのは、ザ・キング=ベニー・カーターの一言だった。

 「昔から君のハーモニーのセンスは飛び抜けていた。ピアノも勿論うまいが、いっそ作曲の仕事をしてみたらどうだい?」

 「じゃあ私の歌を書いてよ!」とビリー・ホリディがと紹介してくれたのが作詞家アーサー・ヘルツォークJr. 二人の相性は抜群だった。"Ghost of Yesterday"(過ぎし日の亡霊)は惨めな女の未練を、"I'm Pulling Through(立ち直れて)"は、最悪の時期に手を差し伸べてくれた人への感謝を歌いヒットした。最もヒットしたのが、ボロボロになった自分の中にほんのわずかに芽吹く再生への希望を歌う"Some Other Spring (いつか来る春)"。アイリーンは惨めな自分の姿を曲の中にさらけ出すことによって、新しい人生を生きることができた。こういうのを「カタルシス」って言うんですね。  ホリディにとって最も親しい女性であったアイリーンの波乱に満ちた生き様を傍らで見つめることで、自分が歌う女性像に劇的な深みが加わったのではないかと私は思います。"God Bless the Child"や"Don't Explain"・・・一本の映画を見る以上にドラマのある数々の十八番はアイリーンとのコラボ以降に生まれている。上質のワインのように熟していくビリー・ホリディの「女」のドラマは『Lady in Satin』で結実するんだ...

 

<アイリーンの春>

 アイリーンがジャズ界に遺した功績がもうひとつある。それは、ビリー・ホリディにカーメン・マクレエを引きあわせたこと。当時OLをしながら弾き語りをしていたマクレエの素質を見出したアイリーンが、譜面の読めないホリディに新曲を歌って聴かせる仕事をさせたのです。自分が歌った「素」を天才がどのようなプロセスで再構築するのかをマクレエは目の当たりにした。それがどれほど貴重な勉強になるのか?マクレエはホリディを死ぬほど敬愛して大歌手になれたんです。

 

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 数年後、アイリーンは病に倒れ静養のためNYを去りクリーブランドの親戚の家に身を寄せた。彼女の作曲期間は僅か数年間でしたが、静養先で青少年保護委員を務めるカタギの男性エルデン・キッチングスと出会い一生添い遂げました。

  <Some Other Spring>

  Irene Kitchings 曲/ Arthur Herzog Jr.

いつの日か春に

もう一度恋しよう。

 今は朽ち行く花を

 嘆くだけでも・・・

 

 
アイリーンの「春」 は本当にやって来た。

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