2014年4月 3日

知っておきたいステファン・グラッペリ

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ステファン・グラッペリ(1908-1997)

 ジャズ・ヴァイオリンの神様、ステファン・グラッペリは、天才ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの音楽パートナーとしてとても有名ですが、グラッペリの音楽世界はそこに留まりません。クラシック音楽からロックまで、70年以上(!)の楽歴上、その自由闊達なフランス的音楽言語に魅了された共演者は、エリントン、シアリング、ピーターソン、ハナ+ムラーツ、メニューイン、ヨー・ヨー・マ、ピンク・フロイドまでボーダレス!
 フラナガン一筋の寺井尚之でさえもが、一時「グラッペリみたいに弾きたい!」と、真剣にヴァイオリンへの転向を考えたことがあったとか。土曜日は、グラッペリが音楽を担当した巨匠ルイ・マル監督映画「五月のミル」が公開された'89年の、衰えを知らないグラッペリの演奏映像が観れるのがお楽しみ!ということで、講座前に知っておきたい巨匠のあれこれを、書き留めておくことにしました。

<孤児院育ち>

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 グラッペリの生い立ちは、高貴な芳香を発する演奏からは想像できません。少なくとも天才には、品格と貧富は無関係なようです。父、エルネスト・グラッペリはイタリア人の哲学教師で、政治的理由からパリに移り住みました。母アンナはステファンが3才の時に他界、哲学者はバッパーと同じくらい貧乏ですから、お母さんは相当苦労して命を縮めてしまったのかも知れません。父は幼い息子の養育に困り、孤児院に預けました。その孤児院はカトリック系、恐ろしく厳格で質素な施設だった。初等教育は天才舞踊家イサドラ・ダンカンが主催する舞踊学校でしたが、入学直後に第一次世界大戦が勃発、あえなく入学後6ヶ月で閉校。一方、父はイタリア軍に徴兵されパリを離れることになり、ステファンは孤児院を転々とします。人格形成に大切な6才から10才までの時期、三度の食事はおろか、着るものもベッドもなく、床で寝起きする極貧生活を送り、栄養失調で死にかけるほどでした。舞踊は性に合わなかったけれど、路上のフィドラーや、学校で聴いたドビュッシーのコンサートで、ヴァイオリンに魅せられ、自分も弾いてみたいと強く思うようになります。

 1918年、終戦で復員した父は、やせ細った息子の姿に驚き、すぐさま孤児院から引き取って、親子はモンマルトルの小さなアパルトマンに落ち着きました。

 お父さんは、息子に好きなヴァイオリンをさせてやろうと、乏しい収入を工面してイタリア人の靴屋さんから中古のバイオリンを譲り受けてくれた。でもレッスンさせてやる余裕はない!お父さんは、哲学書を読むために利用する図書館から教則本を借りてきてくれた。学習の糧は家にあった足踏みオルガンと、無料のコンサート、それと図書館で借りた教則本、それらを駆使して独学でバイオリンを習得し、14才でプロデビューしました。仕事は無声映画のための映画館専属オーケストラ。グラッペリはプロになってから、正規の音楽教育として「パリ国立高等音楽学校」で学びましたが、ジョージ・ムラーツにとってのバークリー同様、、さして習うべきことはなかったようです。

 やがて父親は再婚しストラスブールへ転居することに。その時ステファンは迷わずひとり立ちして、パリでやって行こうと決意しました。折しも「狂乱のジャズエイジ」、パリのダンスホールや南仏のリゾートなど職業音楽家として仕事には困らず、ルイ・アームストロングやビックス・バイダーベックといった、新大陸の即興音楽に転向、1934年にジャンゴ・ラインハルトと組んだ"フランス・ホット・クラブ五重奏団"で世界的に大ブレイクすることになるのです。

<大恐慌にもらったピアノの腕>

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 ステファン・グラッペリで盛り上がると、必ず話題になるのがピアノの至芸!うまいのなんのって、ヴァイオリン同様、美しいタッチ、鮮やかなテクニックと並外れた想像力!そんじゅそこらのピアニストなんて相手にならない。ヴァイオリン持ってなかったら、今頃「フランスが生んだピアノの巨匠」としてジャズ史に残ってるかもしれません。彼があれほど弾けるのはジャズエイジの後の大恐慌でフィドラーとしての仕事が激減し、ピアニストとして2年間活動していたからです。ある時はソロで、またある時は楽団で、パリに集まる国内外の富豪や著名人が集うパーティの余興で稼ぎまくった。豪華パーティでは憧れのガーシュインに遭遇、握手してキスをした。ガーシュインはとても謙虚な人だったそうです。その時わずか19才。
 グラッペリ曰く、ピアノが好きな理由は二つ:

  1. 大きな宴会場でもソロで仕事ができるからお金が儲かる
  2. ハーモニーを演奏できるところが好きだ。

 「私は2年間ヴァイオリンを箱から取り出すことはなかった」とグラッペリは述懐しています。
 けどね、いくら不景気と言ったって、ピアノで稼ぐのは並大抵ではないはず。どうやってそこまでピアノがうまくなったんですか?
 「ヴァイオリンでも料理でもみんな一緒だよ。教本を読むことと、優れた人を見習っただけだ。」
 

 実のところ、グラッペリがプロとして演奏した楽器は他にもあって、様々なサックスや、アコーディオンなど、色々兼業していたらしい。丁度、同じ時期にアメリカが生んだ天才、ベニー・カーターと相通じるものを感じますね。

<ジャンゴへの愛憎>

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 Django Reinhardt(1910-1953)

 ジプシーの天才ギター奏者、ジャンゴ・ラインハルトとの出会いは1929年のこと。とあるクラブで演奏が終わるなり、色黒の大男に声をかけられた。

 「君みたいな人を探してたんだ!とうとうHotに演奏するヴァイオリニストにめぐり合えた!」それがジャンゴだった!でも、それっきりで2年が経ち、ある日、シャンゼリゼのカフェで対バンとして偶然再会。遊びで共演してみるとこれが大好評、ベルギー人の若きジャズ評論家、ヒューゴー・パナシエが熱狂し、瞬く間にコンサートをやろうというプロモーターも現れ、気がつけばパリ一番の人気バンドになっていた。諸国の王様や王女様、コール・ポーターもハリウッド女優も石油王も、皆こぞって"フランス・ホット・クラブ五重奏団"に熱狂したのでした。でも、ジャンゴとうまく付き合うのはほんとに大変だった。


 見た目からも判るようにグラッペリはとても清潔できっちりした身なりだし、ギグの時間には絶対遅れない。それは孤児院で厳しく躾けられたせいかも知れません。ところがジャンゴは正反対、ジャンゴの知性は並外れたものだったけれど、字を読むことのできない文盲でした。ジプシーはキャラヴァンで移動し、定住しない民族だからホテル生活は大の苦手、天才だけど大人気ない、飲む打つ買うの三拍子、遅れるどころか仕事をすっぽかすことさえ度々ありグラッペリをほとほと困らせた。


 例えばエリゼ宮殿の大きなパーティの余興で招かれた時には、演奏時間が近づくと雲隠れ、仕方なくグラッペリが宮殿のリムジンに乗り込み、街中探すと、ジャンゴは裏通りのビリヤード場でベロベロになっていた。それを起こして風呂に入れ、ギターを持たせて宮殿に連れ帰った。四つ星フォーシーズン・ホテルの仕事では、ジプシーのキャラバンに潜伏しているのを捕獲。グラッペリが問いただすと、「カーペットがフワフワで足が痛くなったからいやだ。」と言う。やれやれ・・・
 英国のコンサートでは、司会者がグラッペリの名前をジャンゴより先にコールしちゃった。するとプライドを傷つけられたとぶんむくれ、1音も発することなく途中で帰っちゃった...

  音楽家として敬愛しながらも、一度スネると一週間は口もきかない子供っぽさと、見え透いた嘘の言い訳、どうしようもない男だと、ほとほとうんざりしてしまったのだそうです。グラッペリがジャンゴについて語るときは、いつも愛憎こもごも、彼にとっては、現実的な生活力に欠けた哲学者であった父親に対する愛憎と、ろくでなしの天才ギタリスト、ラインハルトへの感情が、つねにオーバーラップしているように感じます。だからこそ、グラッペリ自身は、プロとしてきちんと稼ぎ、同時に、天才音楽家であり続けようと固く誓ったのかも知れませんね。

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 私にとって一番印象深いのは、1970年代にMPSからリリースされた一連のアルバムです。ジョージ・シアリングや、サー・ローランド・ハナ、オスカー・ピーターソン・・・当代一流のピアノ・トリオとフレンチ・アクセントで繰り広げる自由闊達なプレイには、今でも胸が躍ります。1980年代には大阪で一度だけグラッペリのコンサートを観ることが出来ました。

 レパートリーはさほど変わらなくても、聴くたびに新鮮で、底抜けの「自由」を感じることができるヴァイオリンの神様。グラッペリの崇拝者、寺井尚之の解説はどんなことを教えてくれるのかな?土曜日が楽しみです。

「幸せなときも、哀しいときも、恋をしていた若かりしときも、いつも私は最善のプレイをしてきたし、これからもそうする。常に悩みを抱えていたとしても、演奏すれば全てを忘れる。私の中に二人の人間が同居していて、片方は演奏だけしているんだ。」 ステファン・グラッペリ
  

 *ステファン・グラッペリの遺族に娘さんはいますが、結婚歴はありません。

 

参考資料

  • American Musicians 2 (Whitney Balliett 著) Oxford University Press刊
  • The Telegraph: Stephane Grappelli Obituary
  • http://www.answers.com/topic/stephane-grappelli

 

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コメント(4)

とても素晴らしいグラッペリ紹介を読ませて頂きました。ありがとうございます。

その名もグラッペリ様、コメントありがとうございます。
私もグラッペリが大好きですので、楽しんでいただければとても嬉しいです。グラッペリ・バンザイ!

勉強になりました。
最近ステファングラッペリのことを知りまして、とてもありがたく拝読いたしました^ ^感謝です。

ひろしさま
そう言ってもらえて嬉しいです。グラッペリどんどん楽しんでください!!

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