2014年8月21日

ブッチ・ウォーレン:漂泊のベーシスト(後編)

butch-warren.jpgPHO-10Apr08-216628.jpg 1960年代、ケニー・ド-ハム・クインテットでNYデビューを果たし、その後、無二の親友となったソニー・クラークの推薦でブルーノートのハウス・ベーシストとして数々の名盤に参加したブッチ・ウォーレンはヘロインの過剰摂取によるクラークの死にパニックとなり、自らのドラッグ癖と相乗し、精神に破綻を来たしました。時代の寵児として脚光を浴びたセロニアス・モンク・カルテットを退団後、ブッチの父親が彼をワシントンD.Cに連れ帰り、聖エリザベス病院に入院。ピアニストとして地元で有名でありながら、家族のために正業を優先させた父、エディ・ウォーレンは手塩にかけた一人息子の世界的な活躍を、どれほど誇らしく思ったことでしょう。それが僅か数年で「妄想型統合失調症」になってしまった・・・両親の辛さは想像に余りあります。

 ブッチは電気ショックや投薬など、様々な治療で約一年間入院、仲間のミュージシャン達に励まされ、退院後は投薬治療で精神状態を保ちながら演奏活動を再開、アダムスモーガン地区の《カフェ・ロートレック》など、地元のレストランやバーで活動、地元TV番組に演奏者として出演する順調な仕事ぶりで、2度目の結婚もしました。ところが浮き沈みの激しい音楽の世界で精神疾患を抱えるブッチは投薬を嫌い、時として精神に変調をきたします。1970年が近づくと、夜中に一人徘徊する彼の姿がたびたび目撃されるようになります。バンドスタンドでうずくまって涎をたらすというようなトラブルをたびたび起こします。彼を支援するミュージシャン達の忍耐も限界となり仕事を減らしていきました。一旦演奏を始めると、プレイはちっとも錆びついてはいなかったと言うものの、 ジャズを置き去りにする時代の流れの中、ラジオやテレビの修理や掃除夫をしながら、ジャズシーンから彼の姿は再び消えていきました。

 この頃、ブッチのために懸命に仕事を回していた地元のピアニスト、ピーター・エデルマンはこんな風に証言しています。

「私が薬をきちんと飲むか、仕事をやめるかだ。」とブッチに詰問すると、逆に「俺には気が狂う権利すらないのか!」と激高した。

「ブッチは自分の身の周りのことも満足にできないが、しかしプレイは常に確かだった。」

<ホームレスから再び病院へ>

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 2004年頃、ブッチはホームレスになります。シルヴァー・スプリングの低所得高齢者住宅で、夜中に友人と大騒ぎするために、近隣住人から苦情を申し立てられて退去させられた。ベースやジーンズ姿のミュージシャンの中でオーラを放つシックなスーツも失って路上生活、真冬に近隣の商店に忍び込んだとして不法侵入の罪で逮捕。それからは、ホームレスのシェルターや、メリーランド州の更生施設などを転々とし、再び流れ着いた場所は古巣から80キロ以上離れたメリーランド州のスプリングフィールド総合病院の精神病棟だった。一般人の近づきたくない場所であっても、ブッチにとっては屋根もあるしベッドもあり鍵までかかった静寂な安全地帯。それまでの人生で一番安心できる棲家だったそうです。彼は病院で皆に"エド"と呼ばれていた。歯が抜け落ち、ところかまわずひどい咳を撒き散らす、実年齢(65才)よりずっと老けて見える老いぼれ爺さんの正体を知る者は誰もいない。来る日も来る日も虚ろな目つき、楽しみは次の食事と、誰彼なしにせびって、たまにもらえる一服の煙草だけ。エドが他の患者と違うのは、遊戯室のピアノを弾かせて欲しいとしつこく頼むことだけだった。

 或る日、病院のスタッフが面白半分に彼の本名をGoogleしてみた。するとびっくり仰天!ブルーノート・レコードのサイトを始め、数千件がヒット、画像を観るとどうやら間違いないらしい...

「あの歯抜け爺さん、ブッチ・ウォーレンという有名なジャズマンなんだってさ!」

 精神病棟のエドの話は病院中に知れ渡り、彼が遊戯室のピアノを弾くとなると、見物人で一杯になっちゃった!往年の名ベーシストが精神病院にいるという噂はたちまち広がって、スタッフがグーグルしてから僅か数週間、2006年5月21日付けのワシントン・ポストに「ある男と音楽の間に流れる数十年間の不協和音」と題する記事まで掲載された。

<義を見てせざるは...>

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 ワシントンDC在住の一人のドラマーが、この記事を読んで大いに感銘を受けます。DCのロックやブルーズの世界で活躍するアントワーヌ・サフエンテスなる紳士。スクエアな見かけと裏腹に、CD録音経験も豊富で、大のジャズファンでもあったこのセミプロ・ドラマーの本業は、三大ネットワークの一つNBC報道局のワシントンDC支局長、エミー賞まで受賞した敏腕ジャーナリストでした。サフエンテスは一時的美談として取り上げるだけのマスコミとしてでなく、同胞ミュージシャンとして彼に支援の手を差し伸べます。ブッチがカムバックして独り立ちできるように、痒いところに手の届くような活動を展開します。支援を募りベースを調達、ブッチを退院に導きました。同時に過去の印税が支払われるように法的な手続きをし、自局で彼の数奇な人生を紹介した。さらにライブやCDをプロデュース、ニュース番組をやってる著名ジャーナリストが後ろ盾なら、出演を断る店があるわけない。さらにはイラク戦争報道時に身につけたカメラの腕でブッチを撮影、味わいのあるポートレートを販売、 全てが義援金として彼に支払われるようにしてあげた。その活動の一部はHPツイッターFBで確認出来ます。

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 ブッチ・ウォーレンは、思いがけない劇的カムバックの時期に肺ガンの宣告を受けながらも、最晩年まで現役で演奏を続け、2013年10月5日、74才で波瀾万丈の一生を終えました。

 ブッチ・ウォーレンを支援したのは、サフエンテスを始め、往年の彼のプレイに感銘を受けた人々ばかり、彼らの動機の源は、何と言ってもブルーノートのアルバム群で、それがなければブッチ・ウォーレンは人知れず無縁の墓地に埋葬されていたかもしれません。 ブッチが心身を病み、流転の人生を送ったきっかけが親友ソニー・クラークの死であり、ブッチを救済することになったブルーノート作品群へのきっかけもやはりソニー・クラークであったとは...人間の運命とはほんとうに不思議なものです。

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 晩年のブッチ・ウォーレンのミニ・ドキュメンタリーは今もネットで観ることが出来て、セロニアス・モンク4への参加がサム・ジョーンズ(b)によってもたらされたことや、ドラッグのこと、今の楽器も自分のプレイにも不満なこと、NY時代のことなどを独白している。なによりも、彼のベースが、私達に沢山のことを語りかけてくれています。

 サフエンテス氏が制作したブッチの遺作も、HP上で自由に聴くことができます。

「うまくなるには練習だ、練習しなけりゃ。そしてすべての音符が聴けるようにせにゃならん。俺はエリントン楽団のベーシスト、ビリー・テイラーに教わったんだ。全てはメロディーに尽きる。メロディーを聴け!そしてベース音をはめて行けってな・・・」ブッチ・ウォーレン(1939-2013)

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