2015年1月29日

対訳ノート(44):Come Sunday


 さて、今月の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、『Moodsville9 トミー・フラナガン・トリオ』の解説がありました。本来この『Moodsville』シリーズは、ムード・ミュージック、BGM目的。フラナガンの演奏は、制作意図にしっくり馴染むように見せかけながら、曲の持つ気骨と品格をしっかりプレイに忍ばせる、静かな炎のソロ・ピアノ!いつも聴いてるのに、講座でまたまた感動して、この演奏の元になったマヘリア・ジャクソンとエリントンの決定版を聴き、久々に対訳ノートを書きたくなりました。

<歌のお里は超大作だった>

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 "Come Sunday"は、現在、賛美歌として教会で歌われているそうですが、元々、"エリントン、アメリカ黒人史を語る"という趣向の壮大な組曲"Black, Brown and Beige"('43)の第一楽章"Black"の一部分でした。この楽章は、3つのパートから成り立っていて、アメリカに連れて来られた黒人奴隷達の姿を音楽で描いています。"Come Sunday"は、過酷な労働を唄う"Work Song"と、苦難の中の希望の光見出す"Light"の間のモチーフで、稀代のアルト奏者、ジョニー・ホッジスをフィーチュアしたスピリチュアル(黒人霊歌)、現在の私達におなじみの"Come Sunday"は、このパートの中の32小節を抜粋したものです。

  "Black, Brown and Beige"は、エリントンが、従来のエンタテインメント的イメージから脱却し、アーティストとして、黒人音楽の金字塔にするべく挑んだ芸術作品で、48分の超大作だった。つまり、コットンクラブに象徴される奔放で官能的なイメージとはおよそかけ離れた組曲だったんです。

 超人気バンドリーダーして不動の地位を保ちながら、40代半ばで、おまけに戦争中、しかも、黒人ミュージシャンは道化であることを強いられた人種差別時代、マネージャーの反対を押し切り、敢えて芸術的大作を発表したというのはどういうわけなのだろう? 戦時下の遊興税によってダンス・バンドが先細りになることを見越して路線変更をしたのだろうか?いえ、それよりも、この時期に勃興したビバップ同様、「ダンス・ミュージック」ではなく「鑑賞するジャズ」に向けて黒人たちが創造力を振り絞った時代、その世界のトップランナーとして当然のことをしただけだったのではないだろうか。

 ともかく、勝負を賭けたカーネギーホールのコンサートは、満員御礼ではあったものの、クラシック畑の評論家からは「話にならない低レベル」、ジャズ評論では「退屈極まりない。おもろない!さっぱりわからん。」と、ケチョンケチョンに叩かれて、この企画にずっと反対していたマネージャー、アーヴィング・ミルズと袂を分かつことになりました。

 でもエリントンは諦めなかった。

<マヘリア・ジャクソン>

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  この曲が大きな注目を集めたのは、公民権運動が全米各地に波及しつつあった1958年にリリースした"Black, Brown and Beige"改訂版。オリジナル版を大幅に短縮して、"ゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンが"Come Sunday"に、新しい命を吹き込んだ!

 南部の綿畑の日々の過酷な労働の中、詠み人知らずの歌として、自然に歌い継がれた「黒人霊歌」(Black Spirituals)は、アフリカと西洋の異文化融合の原点と言われています。そんな趣を湛えるこの歌詞は、基本的にエリントンが作り、オリジナル・ヴァージョンを演奏したジョニー・ホッジス(録音には不参加)とマヘリアが修正を加えたもののようです。当初エリントンは、自分の歌詞がキリスト教の規範に合わなかったらどうしようと、かなり悩んだと言われています。duke-ellington-feat-mahalia-jackson-black-brown-and-beige-1958-inlay-cover-21853.jpg

 一方、リハーサル中に、マヘリア・ジャクソンが歌うのを初めて聴いて、楽団のレイ・ナンス(tp, vln)は、感動で涙が止まらなかった!

  この録音の前日、LAのスタジオでこのアルバムの録音が行われた時、エリントンの片腕、ビリー・ストレイホーンは楽団から離れ、ジョニー・ホッジスとともに、LAから遠く離れた東海岸のフロリダにいました。この当時は、経済的な問題をクリアするためだったのか、ホッジス達は一時的に独立して公演することが許されていたのです。ところが、ぎりぎり録音の前日に、エリントンが長距離電話をかけてきて録音曲のアレンジを頼んできた!必要な編曲の中には、"Come Sunday"も含まれていて、ストレイホーンはタクシーの運転手をホテルに待たせ、徹夜で楽団用にアレンジを書き上げ、その譜面の束を運転手が全速でマイアミ空港まで飛ばし、文字通りエアメイル・スペシャルでLAのスタジオに届けました。ところが、ジャクソンをフィーチュアしたトラックでは、ストレイホーンがアレンジした楽団とのヴァージョンはボツになり、エリントンのピアノがイントロと間奏に少し入る他は、ア・カペラで歌うトラックが採用されました。ジャクソンの芳醇な声は、オーケストラ的なハーモニーが内蔵されているから、敢えて楽団を取っ払う快挙に出たのでしょうか?

 黒人霊歌(Black Spirituals)は、南部で過酷な労働に従事する奴隷達が創造した、黒人と白人の文化をつなぐ最初の架け橋であり、同時に、神を敬う歌詞の裏には、自由への願いや、逃亡に際する秘密の教えが隠されている。エリントンは、この架け橋から産まれた天才。初演から15年、公民権運動の高まりにつれ、"Black, Brown and Beige"にも、「日曜」がやってきて、"Come Sunday"は公民権を願うプロテスト・ソングとして聞こえてきます。

 

<Come Sunday>

Duke Ellington

主よ、愛する主よ
天にまします全能の神よ、
どうか我が同胞に
苦難を乗り越えさせ給え。

(くりかえし)

太陽や月は
また空に輝く。
暗黒の日にも、
雲はいつか通り過ぎる。

神は平和と慰めを、
苦しむ皆に与えられる。
日曜が来ますように。
それは我らの待ち望む日。

我らはよく疲弊する。
でも悩みは密かに届けられる。
主はそれぞれの苦悩をご存知で、
それぞれの祈りをお聞きになる。

百合は谷間に
物言わずひっそりと居るけれど
春には花を咲かせ、
鳥達はさえずる。

夜明けから、日没まで、
同胞は働き続ける。
どうか日曜が来ますように。
我らの待ち望む日曜が。

2015年1月25日

中平穂積さんの『ジャズ写真展』京都で開催!

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 トミー・フラナガンの大切なお友達だった新宿"DUG"のオーナー、ジャズ・フォトグラファー、中平穂積さんの写真展が2月に京都で開催されることになりました。上の写真は、フラナガン夫妻が中平さんの写真展にお祝いにやって来たときのものです。

straight_no_chaser.jpg フラナガンのアパートには、中平さんに頂いた羽子板や日本人形が飾られていて、来日時には、お食事をご一緒したよと、楽しそうでしたから、私にとって中平さんといえば、トミー・フラナガンのことを連想してしまいます。

 中平さんは、トミー・フラナガンだけでなく多くのジャズ・ミュージシャンに好かれた稀有な方!一般人を寄せ付けない奇人として知られるセロニアス・モンクが、中平さんから頂いた「荒城の月」のオルゴール時計が大好きで、聞き覚えたそのメロディーを、ニューポート・ジャズフェスティバルに来てくれた彼のために演奏し、アルバム『Straight No Chaser』に"Japanese Folk Song"として収録したのは有名な話ですよね。

 世界中を旅して、色んな人達と接する機会のあるジャズの巨人たちは、人を見る目が肥えているから、中平さんの誠意と愛情をダイレクトに感じ取ることが出来たのだと思います。

 フォトグラファーとしての中平さんが捉えたジャズ・ミュージシャンのポートレートには、中平さんの愛情が投影されていて、私も大好きです。

 東京の個展にはなかなか伺うことが出来ませんが、この京都展にはぜひ伺おうと思っています。お近くの皆様もぜひジャズ・ミュージシャン達のぬくもりを感じに行きましょう。オープン日には、中平さんと京都ジャズ喫茶を代表する名店"ヤマトヤ"さんの熊谷忠文氏とのトークライブもあるそうです。

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中平穂積 ジャズ写真展

 会場: WRIGHT商會 ギャラリー HP

 期間:2/16(月)-2/28(土)12:00-19:00

〒604-8036 京都市中京区寺町三条下ル一筋目東入ル

Tel: 075-211-6635

入場料無料/※2/22(日)はイベントにつき、展示のみご覧のかたは17-19:00となります。

■2/16(月)18:00~ オープニングパーティー
■2/22(日)トークイベント 14:00~開場、受付開始/15:00-16:30開演:入場料:1000円(1Drink付き)。
(展示のみご覧になりたいお客様のご来場を、この日のみ17:00~19:00とさせていただきます。)
東京は新宿"DUG"の中平穂積氏と、京都"ヤマトヤ"熊代忠文氏による、ジャズとっておきの話し。

2015年1月15日

クリフォード・アダムス(tb)が遺したブライト・モーメンツ

clifford_adams1.jpg かつてOverSeasによく遊びに来てくれたトロンボーン奏者、クリフォード・アダムス(Clifford Adams)さんが1月12日に肝臓がんで亡くなったという知らせが届きました。

 彼の名前を知っているジャズ・ファンはそんなに多くないかもしれません。むしろ、"Kool and the Gang"のトロンボーン奏者、音楽ディレクターとして、R&BやFunkの世界で有名でした。寺井尚之と同い年、62才は早すぎます。

worldoftrombone.jpg レコードでのクリフォードとの出会いは、'70年代終わりに出た左のアルバム『World of Trombone』、名手スライド・ハンプトンをリーダーに、ベテラン、カーティス・フラーから、まだ20代のクリフォードやスティーヴ・トゥーレ達、総勢9名のトロンボニストがアル・ディリー(p)のトリオと繰り広げる超絶アンサンブルは、正に「トロンボーンの世界」に相応しい名盤です。

 寺井尚之と同い年の1952年、ニュージャージー生まれ、音楽好きなお母さんの影響で、幼い頃からクラシックからブラック・ミュージックまであらゆる種類の音楽を聞いて育ち、小学生の時に、ジェームス・ブラウンと演っているフレッド・ウエズリーやJ.J.ジョンソンが大好きになってトロンボーンを始めました。高校時代の夏休みにはR&Bのスター、パティ・ラベルのバックバンドでツアーするほどの腕前でしたが、彼の才能をいち早く見抜きプロ入りを薦めたのが、ジジ・グライスの弟でサックス奏者のトミー・グライスだったというから意外です。

 クリフォードは、ファンクとジャズのカテゴリーを越えて活躍し、Kool ことロバート"クール"ベルのリーダーシップを非常に尊敬していましたが、ジャズマンとしての彼が最も誇りにしていたのが'70年代中盤に、サド・メルOrch.の一員であったことです。当時のサド・メルは、サド・ジョーンズの強烈なカリスマの元に結集したジャズ・エリートの集団で、ツアーやスタジオの現場でサド・ジョーンズが発揮する天才ぶりや、ペッパー・アダムス(bs)、アル・ポルティーノ(tp)といった先輩楽団員の強烈な個性とぶつかり合いながら、ストレート・アヘッドなプレイを追求する至福の時代を謳歌しました。でもこの時代、ジャズだけで食べていくのは難しい。'78年、Koolから入団の誘いを受けた彼は、家族のために迷わずGangに参加し、歌って踊るファンクを正業とする傍ら、ケニー・バロン(p)トリオとともにストレート・アヘッドなアルバム作りもしっかりやっていました。

 クリフォードさんは、ブラック・ミュージックでも、ジャズとは桁違いのお金が動く業界の人でしたが、本当の音楽の尺度はセールスでないことを、私の周りで最もよく知っていた人かもしれません。

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左端がClifford Adamsです。

 実際に彼がOverSeasにやって来たのは、確か'90年代だったと思います。"Kool and the Gang""大阪ブルーノート"にやってきた時です。或るNYのベーシストに、「大阪にトミー・フラナガンの弟子で、サド・ジョーンズばかり演っている奴が居るから行ってみな。」と言われ、トロンボーンを持って寺井尚之を訪ねてきたのが最初です。以来、大阪でオフがあると、地下鉄に乗ってやって来た。店に来ると、ほとんど飲んだり食べたりせず、ずーっと一緒に演奏していました。時には恥ずかしそうに「ファンク用なんだ。」と鮮やかなブルーのトロンボーンを持ってきてバップを吹きまくってた。

 演奏の合間には、独特の温かな声とやわらかな口調で、自分の知っていることや、経験してきたことを話してくれました。話題は、もちろんサド・ジョーンズのことばかり! 「"Kool and the Gang"も聴きにおいでよ!」と必ず誘ってくれたけど、店があるから行けなかった。良いバンドだから、一度、行っておけばよかったなあ・・・後悔先に立たずです。

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  一流ホテルに投宿しても、ディナーは阪神デパートの地下で豆腐やひじきなどのお惣菜で済ます質素なヴェジタリアン、粛々とギグやツアーをこなしながら、二人のお子さんをトロンボーンで大学に行かせた家庭第一の人でした。 

 店を移転してからは、長らく会っていませんでしたが、もう二度と会えないなんて夢にも思っていなかった! 

  <Real KOOL TV> 

 

 訃報に接してから、彼の勇姿をYoutubeでじっくり観ようと調べてみたら、クリフォード自身のYoutubeチャンネルがありました!

 それを観て、私は息を呑んだ。クリフォードが、亡くなる僅か半年前に、バタバタと30本余りの動画をUPしたチャンネル自体が、彼の遺言のようだったから。

 上に掲げた一番最初の動画、"CLIFFORD ADAMS KOOL AND THE GANG REAL KOOL TV"で、彼は、あの独特の柔らかな口調で私たちに語りかける。

「Hi, 僕はクリフォード・アダムス、これはね、ほんとにクールなTVなんだ!You're watching real KOOL TV,」 そして、様々な彼のミュージック・ライフを象徴するハイライト映像が走馬灯のようにめぐるあっという間のもの。

 '70年代の初期の"Tonight"では若いクリフォードがジャニーズみたいに歌ってダンスしているし、数々のKool & the Gangの映像で皆が年を重ねていくのが判る。地元NJのジャズ・ライブの映像や、絢爛豪華なスイスのジャズフェスティバル、そこでは「チュニジアの夜」をストリングス入りのオーケストラをバックに、ベニー・ゴルソンと並んでソロを取るクリフォードの姿がある!インタビューでは、晩年の彼が音楽との出会いや、子供達の音楽教育に貢献したいと語っている。そして、彼が最期に投稿した動画は、やっぱりサド・メルOrch.、伝説の曲、Once Aroundをプレイする姿だった。

 一部の動画は著作権で削除されてはいたけれど、これを観ると、彼が自分のミュージック・ライフを心から誇りに思い、全く後悔していないことが、ひしひしと伝わってきました。私がこの世を去るときも、こんな風に思えるのだろうか?

 このチャンネルがあるかぎり、クリフォードが人生を捧げた家族や、これから生まれくる子孫たち、そして私達も、クリフォード・アダムスという素晴らしいミュージシャンがいた事を忘れずに居ることができますね。

 Clifford. you're real Kool!

 合掌

 

 

 

2015年1月 8日

『Overseas』生誕の地

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 新年明けましておめでとうございます。

今週土曜日は早くも「トミー・フラナガンの足跡を辿る」開催、新春講座に相応しく、トミー・フラナガン・トリオ初期の最高作『Moodsville9』が登場します!

この作品では、『Overseas』と一対を成す初期フラナガンの音楽美を味わえます。『Overseas』が「動」なら、『Moodsville9』はフラナガンの「静」的ジャズの極致で一対の美術作品のような趣があります。

ところで、新年にスウェーデンのトップ・ベーシスト、ハンス・バッケンロスさんから年賀状代わりに2枚の写真が届きました。

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  ここは「カーラヴェーゲン(Karlavägen)」、スウェーデン、ストックホルム郊外をほぼ東西に走る美しい大通りです。19世紀に作られた道路で、ネオルネッサンス様式の歴史ある建築が立ち並んでいます。

hans_backenrothIMG_5714.JPG ハンスさんが立っているこの場所はKarlavägen67番地、1階は洒落たベビー用品店ですが、50年余り前、ここにメトロノーム・レコードのスタジオがあり、トミー・フラナガン・トリオが、地階のスタジオで、『Overseas』を録音したのだそうです。

 フラナガンへの敬慕を共有するハンスさんは、私達や、日本のトミー・フラナガン・ファンの皆さんの為に、わざわざ、市の中心地から離れたこの場所までドライブして写真を撮影してくださったようです。ほんとうにありがたいですね!

 ストックホルムの歴史を調べてみると、'50年代のKarlavägen67番地の写真がありました。確かに同じ建築で、よく見ると...ありました!《METRONOME》の看板が!

 1957年8月15日、J.J.ジョンソン・クインテットとしての演奏旅行で、リズム・チームのトミー・フラナガン、エルヴィン・ジョーンズ、ウィルバー・リトルが、Relaxin' at Camarilloを始めとする、あの9曲の演奏を繰り広げたと思うと感無量!

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 録音直前、ストックホルムは豪雨に見舞われ、録音ピアノは水浸し、信じられない話ですが、あの名盤はマイク一本だけで録音されたのだそうです。写真を見ると、ビルと舗道がほとんどフラットですから、雨が吹き込んだのでしょうね。

 この録音のわずか2日後には、J.J.ジョンソンと共に、オランダ、アムステルダムに渡り、由緒あるコンサート・ホール、《コンセルトヘボウ》で大喝采を浴びました。彼らは船でヨーロッパに渡り、2ヶ月以上に渡る楽旅は大成功、意気揚々と帰国しますが、このツアーを境に、J.Jはエルヴィンとボビー・ジャスパー(ts.fl)をはずし、アルバート"トゥティ"ヒース(ds)、ナット・アダレイ(cor)に入れ替え、新生クインテットとして活動を再開、それまでの端正で気品溢れるコンボから、鮮烈なコントラストで魅せるダイナミックなコンボへと変貌を遂げますが、どちらもフラナガンの輝きは重要な役割を果たしています。

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ハンス・バッケンロス:「J.J.ジョンソン・クインテットは、スウェーデン国内をくまなくツアーした。彼らのプレイを聴いて、スウェーデンの全世代のジャズ・ミュージシャンに『革命』が起きた!」

Denna artikel är tillägnad min vän, Hans Backenroth.