2018年4月 8日

アキラ・タナ- ロング・インタビュー(後編)

好感度満点!

パーカッショニスト Akira Tana (後編)

OFC_0118JJ coverlink.jpgJazz Journal Magazine 2018 1月号より:

=ボストンから世界へ=

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(前項から続く ハーヴァード大学からニュー・イングランド音大へ、驚異的な学生ドラマーとして地元シーンで注目を集めたアキラにとって、ボストン時代で最高の体験は1978年にやってきた。彼のアイドルであったソニー・ロリンズと共演する機会を得たのだ。このチャンスもまた、当時ロリンズのベーシストだったジェローム・ハリスとの仲間としての友情のおかげだった。  

s-rollins.jpgアキラ・タナ:「ソニーは、言わばドラムを含め、自己バンドの転換期にあった。それでジェリーがこう言ってくれた。『ソニーがNYでドラムのオーディションをやることになったんだけど、受けてみないか?』そこで僕はNYに出かけ、オーディション会場になっているリハーサル・スタジオに行った。-僕が一番乗りだったんだ。-そしてソニーと僕のデュオで演奏させられた。30分、45分...それくらいたっぷり一緒にやった。まるで夢が現実になったみたいだったよ。だって、あのソニー・ロリンズと僕が同じ部屋に一緒に居て、サシで演ってるんだから!僕の他にドラマーが2,3人、それにピアノやギター弾きも居たけれど、ロリンズは僕に、終わるまで残っているよう告げた。言われたとおり、居残っていたら、オーディションの終了後、彼が僕のところにやってきて、2週間のツアーに帯同してくれないかと言ったんだ。」


  ロリンズとの共演は、この若手ドラマーにとって強烈な体験となった。

「それまでボストン周辺では、ヘレン・ヒュームズと何本か仕事をしていたし、結構好評だったんだ。しかし、この種のハードな音楽でツアーをしたのは初めてで、精神的にも体力的にもクタクタになってしまったけど、とても貴重な経験になったよ...だって2時間で1セットなんだよ。彼はプレイを始めたら、止まることなく吹き続けるから...」 

 10年に渡るボストンでの生活に区切りをつけ、アキラは本格的なプロとしてのキャリアをスタートさせるためにNYに進出したが、ここでも、ボストンで築いた音楽的人脈が大いに功を奏した。そして、彼の成功の源は、ちょうど良いタイミングにちょうど良い場所に居ること、そして何事にも常に前向きな姿勢であるところだ。

Julian_Priester.jpg「ジュリアン・プリースターがNYでの仕事について言っていたことを思いだすよ。『人脈作りが仕事のうちだ。声がかかれば、自分にはいつでも仕事をする準備ができていると、皆に知ってもらうこと。いつでも彼に頼めると思ってもらえる状況を作ることだ。』自分でチャンスを作ること、存在を意識してもらうようにすること。それが彼の教えだった。」

 

 

  彼の教えどおり、アキラ・タナは、1980年代全般、NYを拠点したフリーランスのドラマーとして注目度が増す。信頼できるパーカッショニストとして、またバンド・メイトとして、音楽的にも人間的にも高い評価を得たことが、数え切れないほどの演奏とレコーディングを依頼される結果となった。多くの録音の中で特に思い出に残っているのが、ズート・シムズ(ts)との共演盤三作で、そのうち2枚はピアノにジミー・ロウルズが参加している。これらは非常にリラックスしたセッションとなった。

R-7503031-1442825362-8907.jpeg.jpg「ズートは言った。『これはレコーディング・セッションだ。だから時間どおりに来て、ドラムをセットして、演奏すりゃいい。』彼が曲名をコールすると、リハーサルなしで録音したんだ。あんなすごい人達と演奏するのは素晴らしいことだった。ジミーは名作曲家でありピアノ奏者、ビリー・ホリディやエラ・フィッツジェラルド...すごい人たちと一緒に演ってきた...だから、こんなすごい人達と付き合い、一緒に録音したものがレコードになって残るとは、本当にありがたいことだね。」

 

しかし、パブロでの録音の全てが、ズートやジミーとの関係のようにスムーズなわけではなかった。

 norman_granz.jpg「一連のセッションで、最も記憶に残っているのは、ノーマン・グランツとのことだ。録音場所がRCAのスタジオで、そこは通常、トスカニーニのような人の大編成オーケストラが使うような大スタジオだった。だだっ広いスタジオの中で、僕たちのセッティングが離れ離れの位置になっちゃった。おかげで、ピアノも、誰の音もちゃんと聴こえない。僕の位置は他のプレイヤー達から一番離れた隅っこだったから。それで、僕はノーマン・グランツに『ヘッドフォンを使わせてもらえませんか?誰の音も聴こえないんです。』と頼んだ。するとグランツのお説教が始まった。昔から、どの時代でも、誰もそんなものは使わん!だからお前も必要ないってね。それで、ちょっとイラっとして、『ズートの音も聞こえません。ジミー・ロウルズが何を弾いてるのかも聞き取れないんです。だからヘッドフォンが必要なんですっ!』と言い返した。そうしたら、やっと彼がヘッドフォンを持ってきてくれて、皆の音が聞こえるようになった。このレコーディング・セッションが忘れられないのは、多分それが理由なのかも知れないね。」

  NYに進出したアキラは、他にアート・ファーマー(tp)やキャロル・スローンといったミュージシャンとも共演。そして、ジミー・ヒース、パーシー・ヒースの"ヒース・ブラザース"の一員としての長期に渡る活動(1979-82)は、数枚のLPに結実し、彼の名声が確立する。NY時代は、ドラマーとして多忙を極め、多くのレコーディングにも参加している。もう一枚の思い出深いセッションは、1989年録音のジェームズ・ムーディのアルバム『Sweet And Lovely』である。

cover_039.jpg「ジェームズ(ムーディ)がセッション前にこう言った。『私の友人が一人、このセッションに参加することになっている。もうすぐやって来るはずなんだが...』彼は、その友達が誰だか言わなかったので、てっきり、からかっているんだと思ってた。だが、それはディジーだったんだ。ディジーがやって来て、3-4曲一緒に録音した。その中の一曲が強烈に記憶に残ってる。シャッフル・ブルースみたいなので、二人がスキャットしたり歌ったりし始めた。すると、エンジニアのジム・アンダーソンは、それををうまくヴォーカル・トラックに作り上げだ。そして、結果的にグラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル部門にノミネートされた!」(ディジー・ガレスピーはこのアルバム中〈Con Alma〉と〈Get the Booty〉の2トラックに参加している。後者がタナの言及したシャッフル・ブルースで、ディジーは1957年、ソニー・ロリンズとソニー・スティットをフィーチャーしたVerve盤『Duets』に〈Sumphin'〉という別タイトルで録音した。)

XAT-1245399253.jpg 1990年代の到来とともに、アキラ・タナの活動主軸は"タナリード"となる。"タナリード"は、ベーシスト、ルーファス・リードとの双頭バンドとして、9年間に渡って活動を続けた。ジャズ史の谷間的世代にもかかわらず、この名コンビのアルバムは、何枚もヒットを記録している。

  僕はノーマン・グランツに頼んだ。『ヘッドフォンを使わせてもらえませんか?誰の音も聴こえないんです。』するとお説教だ。「昔からどの時代でもそんなものは使わん!だからお前も必要ない!」僕は少しイラっとした。 

「僕たちよりも前の世代は、時代を越えて高い知名度を保っているし、僕たちより下の世代となると、ウィントン&ブランフォード・マルサリスのように、ヤング・ライオンとしてマスコミに大きく注目されていた。だから、僕たちのような、中間に属する世代のプレイヤーは、彼らに比べると日陰の存在だ。でも、僕たち(タナリード)は、ツアーで自分たちの音楽を演奏することができた。本当に素晴らしい体験だったよ。」 

 '90年代の終わり頃、家庭の事情でサン・フランシスコのベイエリアに戻った後も、アキラは、日本ツアーを時々行いながら、地元ジャズ・シーンで存在感を見せつけている。大都市NYの最尖端の音楽シーンでチャレンジを続けた時代を懐かしむ気持ちはあるものの、彼は自分の選んだ人生について達観している。

「確かに楽しい仕事のチャンスはあるよ。だがその一方で、生き残るために、余りグッとこない仕事もしなくては...そういう生活はうっぷんがたまる。あとになって後悔することを、最初からやるべきじゃない。」

 -悪くない人生哲学だ。そんな彼の生き方は、今後もジャズ・シーンに於いて、巨匠パーカッショニストとしての大きな存在感をずっと発揮し続けると強く確信させてくれる。(了) 

インタビュー by Randy Smith

Akira Tana Selected discography

As leader

Otonowa, Acannatuna Records

Moon Over The World, with Ted Lo & Rufus

Reid (Sons of Sound)

Secret Agent Men, with Dr. Lonnie Smith

(Sons of Sound)

As co-leader

TanaReid: Back To Front (Evidence)

TanaReid: Yours And Mine (Concord)

As sideman:

Al Cohn: Overtones (Concord)

Claudio Roditi: Gemini Man (Milestone)

Heath Brothers: Expressions Of Life (Columbia)

Heath Brothers: Live At The Public Theatre

(Columbia)

James Moody: Sweet And Lovely (Novus)

Zoot Sims: I Wish I Were Twins (Pablo/OJC)

Zoot Sims: The Innocent Years (Pablo/OJC)

Zoot Sims: Suddenly It's Spring! (Pablo/OJC)

2018年4月 6日

アキラ・タナ- ロング・インタビュー(前編)

 我らがヒーロー、興味の尽きないアーティストであり一人の人間、アキラ・タナが、今月後半から単身来日。5月3日にはOverSeasに待望の来演を果たします。

 "Interlude"ブログ復帰初投稿は、英国のメジャー・ジャズ雑誌"ジャズ・ジャーナル"誌の1月号に掲載されたアキラ・タナのカバー・インタビューの日本語訳です。

 世界のどこに行ってもアキラさんは尊敬され好かれるんだ!という印象を新たにした読み応えのある内容でした。

 来日前にアキラさんのジャズ・ライフを覗いた後は、ぜひOverSeasにも聴きにきてください!

 長文なので、まず前編から:

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akira_tana_2016.jpg好感度満点!

パーカッショニスト Akira Tana 

1970-80s-ズート・シムス、ソニー・スティット、ジェームズ・ムーディはじめ、スイングからバップの激動期を生き抜いたベテランの巨匠と幅広く活躍したドラマー、アキラ・タナの素顔にランディ・スミスが迫る。

 

ソニー・ロリンズとの共演について:
「この種のハードな音楽でツアーをしたのは初めてで、精神的にも体力的にもクタクタになってしまったけど、とても貴重な経験になったよ...だって2時間で1セットなんだよ。彼はプレイを始めたら、止まることなく吹き続けるんだから・・・

「アキラ・タナはとてつもない才能のミュージシャンだ。私を含め、仲間たちから尊敬されている。...礼儀正しく素晴らしい人物で、長年、家族ぐるみで親しく付き合っている。」-この賛辞の言葉は、当時89才のジミー・ヒースが、"ヒース・ブラザース"時代のアキラ・タナについて、E-mailで寄せてくれたコメントの抜粋だ。

 また、ベテラン・ピアニスト、ジュニア・マンス(87才)も、同様の質問に対して、以下のように明言する。「アキラは滅茶苦茶すごいドラマーだ。彼自身も最高だし、どんな最高のミュージシャンたちと一緒に演っても、しっかりタイム・キープができる名手だ。」

 

 これらの発言から、多くのミュージシャンたちが、ライヴやレコーディング・セッションにアキラを好んで使う理由が、お分かりになるだろう。彼と共演した大物ミュージシャンのごく一部を挙げても、アート・ファーマー、アル・コーン、ズート・シムス、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、ジム・ホール、ジョニー・ハートマン、ジミー・ロウルズ、ケニー・バレル、ジャッキー・バイアード、クラウディオ・ロディッティ、レギュラーとしては、前述のザ・ヒース・ブラザーズ、パキート・デリヴェラ、アート・ファーマー+ベニー・ゴルソン・ジャズテット、ジェームズ・ムーディなどが続く。また、ベーシスト、ルーファス・リードとは"タナリード"を結成し、'90年代に、ほぼ9年間に渡りツアーやレコーディングを行なった。 

otonowafrontcover_227.jpg 近年のアキラ・タナの活動として"音の輪(Otonowa)"というグループがある。"Otonowa"は日本語で "sound circle"という意味だ。グループ結成のきっかけは、2011年に起こった東日本大震災だ。アキラと志を同じくするバンド・メンバーは、アート・ヒラハラ(p)、マサル・コガ(reeds)、ノリユキ・ケン・オカダ(b)である。"音の輪"は、同名タイトルのアルバムをリリース、日本ゆかりのメロディーを新鮮なジャズ・ヴァージョンに甦らせ、震災の被害にあった東北地方の慈善ツアーを何度も行なっている。

 だが、アキラ・タナは、このような活動に至るまでに、どんな経緯があったのだろう?それを解明すべく、筆者はスカイプ・インタビューを敢行。以下は、好感を抱かずにはいられない魅力あふれるジャズ・アーティスト、アキラ・タナとの楽しい邂逅のハイライトである。

 インタビューを始めるにあたって、私は彼が1952年3月15日、カリフォルニア州サンホセ生まれであることを確認し、日本人移民である両親の影響について尋ねてみた。

 

アキラ・タナ「僕の母親は歌人で琴とピアノを弾いていました。だから、"芸術"という意味では、多分母の影響があったのだろう。」

 

アキラにとって、生まれて初めての打楽器体験は、この母がレンタルしてくれたスネア・ドラムだった。また、彼はピアノのレッスンを受け、トランペットも少々演奏する。早くからロック・バンドでドラムの演奏を始めて、『Miles Smiles/マイルス・デイヴィス』のLPを手に入れたのがきっかけで、ジャズへの興味がわいた。

 

「多分8年生か9年生の頃(日本の教育制度では中2か中3)、ロック・バンドをやっていたんだ。バンド仲間は皆2-3才年上でね、メンバーの一人が、このレコードを好きじゃないからと言って、僕に1ドルで売ってくれた。マイルス・デイヴィスは聞いたことがあったので興味が湧いた。何をやってるのかさっぱり理解できなかったから。でも、そのレコードのサウンドに圧倒されてしまったんだ!」

 

'70年代初め、ボストンのハーヴァード大在学中、ドラマー、ビリー・ハートと親交を持ったことから、タナのジャズ・パーカッションへの興味が生まれた。ハートは、バークリー音楽院で教えるベテラン・ドラマー、アラン・ドウソンに師事するように勧め、アキラは彼の言葉に従い、1年半の間、ドーソンの元でしっかりと研鑽を積んだ。彼から叩き込まれたテクニックと練習方法は、現在に至るまで、後進の指導と自分自身が演奏に活用し続けている。

1974年、ハーヴァード大学を卒業したタナは、ニューイングランド音楽大学に入学、クラシック音楽の打楽器に関する基礎知識をしっかりと見に付けた。それと同時に、出来る限りギグに勤しんだ。

combatzone1.jpg「僕は、管弦楽の打楽器の学習に時間の大部分を費やし、その傍ら、生活費を稼ぐためにありとあらゆるギグをこなした。ボストンの"コンバット・ゾーン"(ボストンの赤線地帯)と呼ばれる赤線地帯でストリップの伴奏もやったよ。ストリップ小屋ではオルガン・トリオを使っていたからね。」

 

  '70年代半ばから終わりにかけてのボストン時代、アキラはドラマーのキース・コープランドと親交を結んだことがきっかけで、単発で、ジャズの名手たちとの共演が始まる。共演者の中には、名歌手、ヘレン・ヒュームズが居た。

タナは当時を回想する。-「彼(コープランド)が(引き受けていたのに)都合の悪くなったギグは、それがどんな仕事であっても、僕に代役を回してくれた。その中の一本がヘレン・ヒュームズ(vo)で、バックがメジャー・ホリー(b)、ジェラルド・ウィギンズ(p)というメンバーだった。」

 他にも、ソニー・スティット(ts.as)やミルト・ジャクソン(vib)といった大物達にリズムを提供する仕事があった。その中でもスティットとの1週間に渡るギグは特に思い出が深い。

sonnystitt.jpg 「ソニー・スティット!いつも彼はかなり酔っ払っていた。ベーシスト のジョン・ネヴスは、ソニーと同世代だが、ピアノのジェームズ・ウィリアムズと僕は、ずっと若造だった。そのせいかもしれないが、ソニーは演奏中に、何度か僕とジェームズの方へ振り返って、どなりつけたんだ。当然だけど、震え上がったよ。まず彼の才能のすごさ、そして彼の振る舞いにね。でも、ジョン・ネヴスはさすがに、そういう時はどうすればいいかを知っていた。『つけ込まれたら、やり返せ!』だね。それでソニーにこう言ってくれた。『ギャーギャー言わずに、プレイしろ!』するとソニーは彼の言う通り怒鳴るのをやめて、前を向いてひたすらプレイしたんだ。」

 

アキラにとって、ボストン時代で最高の体験は1978年にやってきた。彼のアイドルであったソニー・ロリンズと共演する機会を得たのだ。このチャンスもまた、当時ロリンズのベーシストだったジェローム・ハリスとの仲間としての友情のおかげだった。(続く)

39thlogo.jpg39周年記念ライヴ5/3-5/5開催

ご無沙汰です!ブログ復活

39thlogo.jpg ご無沙汰しています。

 家業と家事と翻訳、3月のトミー・フラナガン・トリビュート...仕事の合間に、ちょっとゆっくりしていたら、あっという間に半年が経過していました。

休載している間も、既刊の記事にコメントいただき、本当にありがとうございました。

 体調と相談しながらぼちぼちとリスタートしていきますので、宜しくお願い申し上げます。

Jazz Club OverSeasも、今年で開店39周年、5月の連休5/2-5/5に記念ライヴを開催します。

初日は、巨匠ドラマー、アキラ・タナ、そして寺井尚之の爆笑スタンダード集、最終日は、OverSeasが誇る中井幸一クインテットによるJ.J.ジョンソン特集という、超おすすめの3日間です。

 旅行で大阪に立ち寄られる皆様、旅行に行かない大阪の皆様、ぜひこの機会にご来店宜しくお願い申し上げます。

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 詳細はhttp://jazzclub-overseas.com/GW_jazz__events_2018.html