2019年1月 6日

寺井珠重の対訳ノート(51)-Over the Rainbow (その2)

TheWizardOfOz.OverTheRainbow.png   『オズの魔法使い』(1939) -〈Over the Rainbow〉を歌うジュディ・ガーランド

〈Over the Rainbow〉
 E.Y. Harburg 作詞 / Harold Arlen 作曲
(原詞は上をご参照ください)

=ヴァース(映画では未使用)=

世界中がどうしようもなく混乱し

大雨が到るところに降ると

神様が魔法の道を開いてくれる。

黒い雲が空に立ち込めると、

虹のハイウエイが見つかる、

あなたの家の窓から太陽の後ろ側、

雨のもう一歩向こうまで...

=コーラス=

虹の彼方の

お空のどこか

ずうっと前に、

子守唄で聞いた国がある。

虹の彼方のその国は

晴れ渡る青い空、

身の程知らずの夢も

きっと叶う。 

いつかお星様にお願いしよう、

目覚めたときには、

黒い雲は過ぎ去り、

悩みはレモン・ドロップみたいに溶けている、

煙突よりもずっと高い

素敵なところにいるんだもの。 

虹の彼方のその場所には

幸せの青い鳥が羽ばたく、

鳥が虹の向こうに飛べるなら、

私もきっと行けるはず。 

小さな青い鳥が

虹の向こうに飛べるのなら、

私もきっと行けるはず。

the-wizard-of-oz-75-years-facts-ftr.jpg=このシーンはダルい=

image.jpg12_Memorable_Moment_director_victor_fleming.jpg 映画『オズの魔法使い』中、カンザスの農家で暮らすあどけない少女ドロシーが、納屋の横で〈Over the Rainbow〉を歌うモノクロの場面は、映画史上最高の名場面のひとつとされていますが、実のところ、このシーンは編集段階で3度もボツにされていたのだ。その犯人は共同プロデューサーで、後にハリウッドの黒幕として名を馳せたエディ・マニックスと、映画監督チームのアンカー役を務めたヴィクター・フレミング(左写真)だ。フレミングはこの作品の後の「風と共に去りぬ」で映画史に残る名監督となる。アングロ・サクソンで大きな体躯、威厳に満ちた風貌のフレミングは、音楽担当チームでNYのユダヤ系移民であるハロルド・アーレンとイップ・ハーバーグをオフィスに呼びこう言った。

 「こういうことを言って大変申し訳ないんだが、レインボー、オーバー・ザ・レインボーと歌う場面のせいで、映画前半のモノクロ部分の展開がダルくて冗長になっている。あのシーンはカットする以外に仕方ない...」それは、上司の最後通告と言えるものだった。その背景には、冒頭オクターブで跳躍するこの歌がメインテーマとなっても、素人が歌うのは難しく、シート・ミュージックのセールスが期待できないという楽譜出版社の事情もあった。

 アーレンとハーバーグは、〈Over the Rainbow〉が映画の最強のナンバーであるという自負があり、この一曲に賭けていたのに...

judy_louis.jpg 温厚な性格のアーレンは嘆き悲しんだ。対照的にハーバーグは反骨精神の塊、「てやんでえ、べらぼうめ!」とNY弁でまくしたて、自分に脚本の手直しを任せてくれた共同プロデューサー、アーサー・フリードのオフィスへ!このシーンをカットすれば映画が台無しになる!と熱弁をふるった。フリードは作詞家出身でユダヤ系の大物プロデューサーとして、かねてからハーバーグの才を認め信頼を寄せており〈Over the Rainbow〉の良さもよく理解していたので、彼のためにひと肌脱ごうということになった。フリードが直談判したのは、監督やプロデューサーよりもっと地位の高い人物、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創設者にして最高責任者であるルイス・B・メイヤー(左写真 w/J.ガーランド)である。 

 フリードは、ハリウッド最大の映画帝国のドンにこう言い放った。

 「虹のシーンを外すと仰せなら、私は会社を辞めます!」

 その数年前、腹心の天才プロデューサー、アーヴィング・タルバーグを失い、フリードを彼の後継者として覇権維持の望を託していたメイヤーは、その一言に折れて、編集方針の撤回を通告したのだった。アーサー・フリードは後に『雨に歌えば』などのヒット作を連発してメイヤーの期待に応えるが、シャーリー・テンプルにセクハラをしたのは彼であり、昨年のMe Too運動の発端となったハーヴェイ・ワインスタインの元祖ともいえるキャスティングをしたプロデューサーでもある。(下写真)

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  このような、様々な障害を乗り越えて、反骨の作詞家イップ・ハーバーグと天才音楽家ハロルド・アーレンによる名歌〈Over the Rainbow〉の場面は、MGMが築いたミュージカル帝国ハリウッド映画史を象徴するシーンとなったのでした。 

ハーバーグがこれほどまでにこの映画作品に入れ込んだのは、この一曲のためだけでなく、もっと深い思い入れを持っていたからなのです。(つづく)

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