2010年6月17日

ハンク・ジョーンズ氏 告別式

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 去る5月17日に他界されたピアノの巨匠、ハンク・ジョーンズ氏、先週のジャズ講座で聴いたトミー・フラナガンとのデュオ作品、『I'm All Smiles』では気品と獰猛さを兼ね備えた肉食系の老獪なプレイに感動しました!

 ジョーンズ氏の告別式がやっと決まったようです。

Memorial Tribute for Jazz Great Hank Jones
日時:6月26日(土) 2pm-5pm
場所:Abyssinian Baptist Church, 132 Odell Clark Place NY, NY.

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 アビシニアン・バプティスト教会は、NY最古の黒人教会、日曜日のゴスペル礼拝はハーレム・ツアーの目玉として各国からの観光客で溢れているそうですね。偉大なる黒人音楽家ファッツ・ウォーラーのお父さんはこの教会の牧師でした。

 昨年他界したフレディ・ハバートの告別式もたしかこの教会で行われたとか・・・

 恐らく大勢のファンがつめかけ、多くのミュージシャン達が演奏を捧げることになるでしょう。勿論入場無料ですがあくまでお葬式です。日本と同じ、ショート・パンツやタンク・トップなど肌を露にした服装はNG、当たり前のことですが、教会内で許可なく写真撮影することも禁止ですので宜しくお願いします。

ハンク・ジョーンズさんのご冥福を改めてお祈りします。

合掌

 追記:今しょうたんから連絡がありました。当然ながらジョージ・ムラーツもメモリアルに出演予定なので、しょうたんも付き人として告別式に参列するそうです。

 ちなみにしょうたんは夏休み帰国の、8月13日(金)&9月4日(土)に、OverSeasに出演予定です。Check It!

2010年6月10日

NYタイムズ巨匠ハンク・ジョーンズ追悼報道に非難轟々

 先週の寺井尚之バースデイは、色々お心遣いありがとうございました。摩周湖からジャック・フロスト氏が差し入れしてくださったスーパー・グリーン・アスパラはパスタに添えて皆で楽しみました。ごちそうさまです!!

 6月12日(土)のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」のOHP準備もなんとか出来てほっと一息、今回はトミー・フラナガン+ハンク・ジョーンズの最後のピアノ・デュオ・アルバム『I'm All Smiles』が登場いたします。「ジャズピアノの系譜」では同じ流派の中に併記される二人の巨匠、でも、同じ地方の同じ水から作られた極上の純米大吟醸も杜氏によって、味も香りも違うもの。火花散るセッションを寺井尚之の実況中継でお楽しみくださいね! ジャズ講座:6月12日(土) 6:30pm- 受講料2,625yen 要予約

<電子版NYタイムズ"或るジャズマン、終の隠れ家">

 NY在住のジャズ・ミュージシャンが亡くなったと知らせが来ると、まずチェックするのが電子版NYタイムズの"お悔やみ欄(Obituaries)"のページです。2001年にトミー・フラナガンが亡くなった時はささやかな報道でしたが、昨年グラミーの「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を受賞したハンク・ジョーンズさんの扱いはだいぶ大きなものでした。ピーター・キープニューズによる、よくまとまった追悼記事が掲載された翌日、NY市の色々なニュースをブログ形式で紹介する"City Room"のページに、ハンクさんが倒れる前に住んでいた部屋の様子が写真入りで掲載され、大きな波紋が広がりました。

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 「A Jazzman's Final Refuge (或るジャズマンの終の隠れ家)」と題されたこのブログ記事は、先日91歳で死去する直前まで現役だった伝説的ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズの賛美から始まっています。その華やかなキャリアと裏腹に、彼の私生活はアッパー・ウエストサイドの公団アパートのそのまた一部屋を間借りし、三食出前で済ます寂しい独居生活だったことに焦点を当てています。寄稿したタイムズの記者、コリー・キルガノンは、たまたま筋向いに住んでおり、亡くなった翌日に、ハンクさんに自宅の一室を貸していた大家さん(写真の人物)が掃除をするために部屋の点検をした時に立ち会って取材したということになっています。この大家さんはハンクさんの友人でもあり、現在もアップステイトの施設で暮らしていらっしゃるジョーンズ夫人の許に、ハンクさんを車で送ってあげたりするなど、色々面倒を見ていた方らしい。

 ハンマーなどの工具を使ってドアをこじ開け入ってみると、世界的なピアニストの居室は散らかっていた。ベッドは整頓されておらず、その周りにスーツケースや譜面、クラシック音楽のCD、シャーロックホームズの本などが乱雑に置かれていた・・・世界的なピアニストは、写真に写っているヤマハのキーボードで練習していたであろうことも書かれています。クローゼットをあけると、その中には、予備の電球、ブランド物のネクタイやスーツ、最高級シャンペンや、ピアノトリオ用のパート譜のファイルなどがあったということまで書かれています。(寺井尚之は「ハンク・ジョーンズほどの名手なら練習は安物のキーボードで問題ない!頭の中にサウンドがあるから、例え紙に鍵盤を書いただけのものでも、充分練習できるんや。」と言ってます。)

 それ以外にも、「TVでスポーツ観戦しようと誘っても、一日中練習していた。」「クラシック音楽のファンだった。」というような大家さんの談話も紹介されていて、NYならではの記事からという印象でしたが、高齢でもお元気なハンクさんのことをよく聞いていた私たちには、少し意外な感じもありました。

<覗き見趣味はやめろ>

 このブログにはコメント欄があり、最初のうちは「伝説的な巨匠の素顔が垣間見れてよかったです。」みたいなポジティブなものが多かったのですが、関係者達が寄稿するにつれて様相が変っていきました。ハンクさんを個人的によく知っており、彼の公式サイトを運営するウエブ・デザイナー、マイルス・モリモト氏のコメントがきっかけになって風向きはガラリと変わります。

「こともあろうにNYタイムズのような一流メディアがハンク・ジョーンズを孤独な老いぼれのように報道するとは何と嘆かわしいことか!彼は心臓のバイパス手術を受けてから、ハートウィックの農場に一人で住むことが出来なくなったりマンハッタンで間借りしていた。認知症の奥さんをケアするには医療設備が整った施設に入れなければならない。その費用が非常に高額なため、自分は狭い部屋でつつましく生活していたのだ。

 キーボードで練習していたのは、アパートにあるピアノの調律がひどくて練習にならないのと、近所迷惑にならないように配慮していただけ。・・・自分のバイパス手術や家族の病気、弟のサドやエルヴィンに先立たれても、彼は最後までユーモアと品格を失わず、演奏で皆を楽しませたのに・・・

 さあ、タイムズさん、お次はどうする?最近なくなったレナ・ホーンのクローゼットを覗いて、整頓されているかどうかチェックするのかい?」

 これが発火点となり、共演歴のあるチャーリー・ヘイデン(b)夫妻や、ハンク・ジョーンズのマネジャーが「プライバシーの侵害、人種差別では?」と声を上げ、ボルテージは高まる一方、とうとう沈黙を守っていたハンク・ジョーンズの甥、姪にあたるサド・ジョーンズの息子さんと娘さんが「自分たちは叔父の私室の鍵を預かっていたが、部屋を開ける際、何の断りもなかった。叔父は私生活を大事にした人だったから、こういう形の報道は好まなかったはず。」
と発言。

 ハンク・ジョーンズを撮影した写真家キャロル・フリードマンたちは実名で「プライバシー侵害!大新聞がタブロイド紙みたいなことするな!!」と大合唱、ついにパブリック・エディターと呼ばれる監査役的な編集者、クラーク・ホイトがこの件について寄稿「報道というものは、常にプライバシー侵害と切っても切れない宿命がある。しかし今回はウエブログということで、紙面の記事と比較すると、編集に甘さがあったのではないか?」と今後の課題を提起して一件落着を図りましたが、実名匿名、賛否両論、どさくさに紛れてちゃっかり自己宣伝したり・・・現在もコメントは続いています。

 ハンクさんは体調を崩し、この部屋からホスピスに移られたのだから、部屋は散らかっていて当然ですよね。自分の部屋の惨状を省みると、写真の部屋は別に乱雑にも見えません。キルガノン記者は、バド・パウエルをモデルにした映画"'Round Midnight"の冒頭シーンなど、悲惨な死を遂げたジャズメンたちの歴史にステレオタイプされているところがあったのかもしれない。

 最後の住み家が大邸宅でも四畳半でも、ハンク・ジョーンズさんが巨匠であったこととは全く関係ありません。

  最後に生前のハンクさんがアップステイトの自宅でビバップについて語っている映像を見ながら、土曜日のジャズ講座を楽しみにしておいてくださいね!数年前の「敬老の日」特番で、NHKが同じこのおうちで撮影したドキュメンタリー番組を観たのが懐かしいです。こっちのほうがずっと散らかっているようにも見えますが・・・

CU

2010年6月 3日

Have You Met Mr. Jones? 追悼 ハンク・ジョーンズ

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Hank Jones (1918-2010)

 5月17日(日)大巨匠ハンク・ジョーンズさん永眠。91歳、亡くなる直前まで現役というのは本当に素敵で凄い!心からご冥福をお祈りいたします。

 学生の頃から何度生演奏を聴きに行ったか数え切れません。OverSeasにお迎えしたことはありませんが、オフ・ステージでもお目にかかるチャンスに恵まれてラッキーでした。ハンクさんはいつも笑顔でした。笑顔だからこそ、却って近寄りがたい威厳を醸し出す師匠だった。

<生い立ち>

hank_jones_094_depth1.jpg  ハンク・ジョーンズは1918年というから大正7年生まれ、トミー・フラナガンより一回り上の午(うま)年です。ミシシッピー州に生まれ、多くの黒人達がそうであったように、台頭する自動車産業の地に移り、デトロイトに近いポンティアックで育ちました。

 10人兄弟の大家族で、5人の姉妹を含め兄弟全員が音楽をたしなんだといいます。弟にサド・ジョーンズ(cor)とエルヴィン・ジョーンズ(ds)がいるのはもうご存知ですよね。

 13歳で牧師のお父さんの反対を押し切ってジャズの道に入り、80年近くの間にジャズの名盤だけでなくありとあらゆるジャンルで数え切れない録音を残したピアノ人生でした。

 米国では、チャーリー・パーカーやベニー・グッドマンの歴史的録音の共演者としてではなく、マジソン・スクエア・ガーデンのジョンFケネディ大統領の誕生日('62 5月)セレモニーでマリリン・モンローが歌ったバースディ・ソングの伴奏者として有名らしい。その時すでに45歳。

 日本では「ヤルモンダ!」というパナソニックのCMも有名だったし、関西には特にご友人が多く、お忍び来日の噂もよく聴きました。NYでは運転手つきの大きなアメ車で移動しておられたのが印象的。ジャズメンで運転手付きの車に乗っている人はベニー・カーターとハンク・ジョーンズ以外見たことない。

 トミー・フラナガンは、その端整なタッチやエレガントな芸風、多くの歴史的レコーディングの名脇役という共通点から、デトロイト時代の若い頃からハンク・ジョーンズに大きな影響を受けたように言われているけれど、実際はそうでもない。確かに弟のサドやエルヴィン・ジョーンズとはデトロイト時代から頻繁に共演した間柄だけど、ハンクさんはトミーが14歳の時にNYに進出しているし、それまでの数年間は地元の楽団に加入してミシガンやオハイオ方面をツアーしていたから、影響されようにもデトロイトでは殆ど面識がなく、ラジオでしか聴いたことがなかったそうです。

 ハンク・ジョーンズは40年代から50年代にかけて、NYジャズ・シーンで引っ張りだこの最も忙しいピアニストだったが'59年代の終わり、CBSのスタッフ・ミュージシャンとして安定した道を選ぶ。テレビ時代の幕開け!エド・サリバン・ショウなどCBSネットワークの人気番組では、姿を見ることは出来ないけれど、ハンクさんのピアノの音を聴くことは出来る。そして、コールマン・ホーキンスのグループやエラ・フィッツジェラルドなど、一流のポジションの多くは、ハンクさんのCBS加入と相前後してNYに進出したトミー・フラナガンが引き継ぐ形となった。

 ハンクさんはCBSのスタジオ・ワークの合間に、弟サド・ジョーンズ(cor)とメル・ルイス(ds)の歴史的名バンド、サド・メルOrch.など、断続的にジャズの仕事を続ける。業界で知らぬ者のない名手であるにも関わらず、脇役に徹したハンク・ジョーンズさんが主役を張ることになったのは、CBSが'70年代中盤、経営難から音楽部を解散したことがきっかけだった。'76年に、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムズ(ds)と"グレート・ジャズ・トリオ"を結成し、一躍人気ピアニストとして脚光を浴びることになる。トミー・フラナガンも同時期にエラ・フィッツジェラルドの音楽監督から独立してリーダー作を立て続けに録音した時代、寺井尚之のいう「日本のジャズ黄金期」のことです。

 そしてファッツ・ウォーラーの音楽を元にしたブロードウェイのレビュー"Ain't Misbehaven'"の音楽監督兼ピアニストとして大当たりを取り、'80年代からつい先日まで人気ピアニストとして、またジャズ界の無形文化財として活躍を続け、グラミー賞など多数の賞や勲章を授与されています。

hank and elvin john_abbot.jpgエルヴィン&ハンク・ジョーンズ

 そんなジョーンズ師匠にまつわる伝説は数多い。例えば「ハンクは家でもスーツを着ていて、背広とタキシード以外にはパジャマしか着ない。」とか、「ツアーに必ずキーボードを持参してホテルの部屋でず~っと練習している。」そういう伝説は、徹頭徹尾プロの顔を崩さなかった名手ならではの伝説だ。日本でもコンサートの後、舞台の撤収を誰よりも真っ先に手伝う巨匠の姿に感動した人は多い。また「キャンセル魔」という伝説もあった。昼間には決めていたギグを夕方に「他に仕事が入った」とキャンセル出来るというのは、本当に仕事が多い人しか出来ないことですよね。

 ジョーンズ師匠が亡くなる直前までレギュラーで共演していたジョージ・ムラーツはこんなことを言っていた。「レコーディングでスタンダード・ナンバーを指定されると、演奏しすぎてイマジネーションが沸かないからと言って、とんでもないキーで演ることがしょっちゅうあった。」

hank_george_jo_paul.jpg左からジョージ・ムラーツ(b)、ハンク・ジョーンズ(p)、ジョー・ロヴァーノ(ts)、ポール・モティアン(ds)

 トミー・フラナガンは寺井尚之に会うたびにこんな質問をした。
 「ヒサユキ、おまえハンク・ジョーンズのことどない思う?」
 私が一緒にいる時だけでも最低4回はそのセリフを耳にしたことがあります。常に同じ「くくり」で認識されることにトミー・フラナガンはひそかに抵抗を感じていたのかもしれません。

 6月12日(土)のジャズ講座にはタイムリーなことに、トミー・フラナガンとハンク・ジョーンズのピアノ・デュオの名作『I'm All Smiles』が登場いたします。寺井尚之はペダル使いの名手ハンク・ジョーンズのコンサートで「足」ばかり観ていたこともあるらしい・・・寺井だから語れるトミー・フラナガンとハンク・ジョーンズ丁々発止のピアノ・デュオ・バトル、血沸き肉躍る実況中継をお楽しみに!

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 次回はハンク・ジョーンズさんの訃報にまるわるNYタイムズの報道にまつわり、現在も続くゴタゴタについて紹介しておきますね。

CU

2010年5月27日

追記:Emil Viklicky:遠くて近いモラヴィア&ジャズ

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 5月も終盤、季節外れの風邪も流行っているようですが皆様いかがお過ごしですか?明日のメインステムに来て爽やかな5月らしいプレイをお楽しみください!

 先ごろ亡くなったハンク・ジョーンズの話題など色々書きたいことはあるのですが、まず先日のEmil Viklickyさん祝賀会で学んだことを書き留めて、次回の参考にします。

Emil_Viklicky_trio_osaka.JPG 在外チェコ/スロバキア人のポータルサイト、krajen.org のカルチャー欄にOverSeasでのライブ情報やザイコウ+イッペイさんとの写真が掲載されています! レポーターは不肖私。

<モラヴィアてどこやねん?>

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 先日OverSeasでヴィクリツキーさんが演奏した曲は、殆どがモラヴィア民謡やヤナーチェク作品のジャズ・ヴァージョンで、私達のよく知ってる曲は殆どありませんでした。それでも充分楽しいコンサートでしたが、ヴィクリツキーさんがモラヴィア音楽や歴史について共演者や寺井尚之に説明して下さった事がたいへん興味深く、ぜひ皆さんにもお話したくなりました。

 私自身、チェコはおろかヨーロッパに行ったこともありませんが、ジョージ・ムラーツを愛するベーシストでチェコ旅行する人いますね~。

 大まかに言うと「モラヴィア」はチェコ共和国の東部、西部が「ボヘミア」です。(上の地図参照) モラヴィア民族はスラヴ系で、9~10世紀頃にはモラヴィア王国という単独国家がありましたが、後にハンガリーやオーストリアの支配下となりました。20世紀になって、やっとチェコスロヴァキアとして独立、その後もナチス・ドイツやソ連など大国に翻弄された歴史があります。二部のラストで演奏された曲、「アウストレリッツの戦」は、オーストリア軍に徴兵されたモラヴィア人の弟の戦死を悼む激しく悲しい曲でした。寺井尚之の大阪弁MC覚えていますか?

 

<ボヘミア+モラヴィア=チェコ>

moravian_castles.jpg古都モラヴィアの風景!

 「ボヘミア」と「モラヴィア」が統合したものが「チェコ」なんですね。民族的には「ボヘミア」がチェック人、「モラヴィア」がスラヴ系のモラヴィア人の地方で、言葉や文化もかなり違うようです。首都プラハやムラーツの生まれたピーセックの街はボヘミア、チェコ第二の都市ブルノや、ヴィクリツキーさんが生まれたオムロウツはモラヴィアです。でもジョージ・ムラーツのお父さんはモラヴィア人だし、ビクリツキーさんのお爺さんはオーストリア人、ヨーロッパ大陸はハイブリッドです。ビクリツキーさんによれば、宗教的にはどちらも比較的鷹揚で、カトリックの隣国オーストリアとはだいぶ違うらしい。ただし、文化的にはボヘミアやスロヴァキアよりも、オーストリアに近いところも多いらしいです。"ウエザー・リポート"のキーボード奏者、ジョー・ザヴィヌルはオーストリア人と思っていたけど、本当はモラヴィア人なんだって!

 ものの本によれば、「モラヴィア」と「ボヘミア」の相違を一言で表すなら「モラヴィア人はワインを飲み、ボヘミア人はビールを飲む。」ふ~む・・・ムラーツ・アニキはウオッカや麦焼酎も飲んでますが・・・


<モラヴィア音楽とジャズの距離>

janacek.jpgLeoš Janáček レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)

 音楽ならドヴォルザークがボヘミア、ヤナーチェクがモラヴィアのアイコンと言えるでしょう。

 村上春樹の「1Q84」で一躍有名になったレオシュ・ヤナーチェクはモラヴィアの各地に伝承される民謡を「長崎ぶらぶら節」のようにフィールドワークで蒐集研究、自作品にモラヴィア的要素をどんどん取り込んでいきました。ビクリツキーさんに伺ったのですが、ヤナーチェクはモラヴィア民謡の和声が当地の方言と密接に関わっていることに注目していたそうです。音楽に於ける「訛り」を重視する寺井尚之とよく似ています。ヤナーチェクは街の騒音を元に作曲するという時代に先んじた作曲法で、当時の批評界にこっぴどく叩かれたそうです。Yes Sir! 街の中や自然界にある音を音楽にするのは、デューク・エリントンが最も得意としたものですよね!ブラック・ミュージックとスラブ系のモラヴィア音楽は案外遠くて近いものだったんだ。

 掲示板で何人かのお客様が「印象的だった」とコメントしていたオリジナル、「ファノーシュ」も、モラヴィア訛の酔っ払いの掛け声がそのままメロディになっていました。

 リズムにもモラヴィア音楽とジャズの共通点はありました。1部のラスト・チューン"Wine, Oh, Wine"は、とてもジャズっぽい曲でした。もともとモラヴィアのダンスは手と足で違ったリズムを刻むポリリズムが特徴、つまりアフロアメリカンのジャズと共通点があるんですね。ビクリツキーさんのレギュラー・ドラマーのラコ・トロップはモラヴィア・ダンサーからミュージシャンになった人で、このあたりの盛り上げ方が非常にうまいとヴィクリツキーさんが言ってました。

 そのほかにも、親愛なるエミルさんからは、良いピアノがないだけでなく、ピアノ自体ないところもあるし、お客様は殆どが年配の男性だというチェコのジャズクラブ事情や、共産主義時代の苦労など、色々なお話が聴けてチェコへの興味は尽きません。

 当日同行されていた子息のロバートさんは、医学の勉強の傍ら夜学(ご本人が「ヤガク」と言ってた・・・)で日本語の読み書きを習得されたそうですし、世界は狭い!

 なお、今回の祝賀会をWEB上で色々応援してくださった「日本ヤナーチェク友の会」の幹事さんのブログには、エミル・ヴィクリツキー3の『シンフォニエッタ』やイヴァ・ビトヴァとの『Moravian Gems』のエントリーがありました。モラヴィア民俗音楽に精通した方の視点から誠実な感想が述べられています。幹事さんによれば、チェコから来日したクラシック音楽家の間でもビクリツキーさんの評価は非常に高いということで、ビクリツキーさんとジョージ・ムラーツとの来日を切望されていました。

 ぜひ実現するといいですね!

 明日はメインステム、ビクリツキーさんと共演した宮本在浩(b)さんに旬のえんどう豆を沢山いただいたので、チキンやパスタと一緒にお料理します!

CU

2010年3月19日

あなたの中のビリー・ホリディ(1)

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 例えばもしも、恋人の心変わりに気づいたとき、あなたなら、別れようと言われる前に潔く身を引く事ができるだろうか?夫のワイシャツに口紅がついていても「言い訳しないで」と赦すことができるだろうか?帰って来ない恋人を人気のない夜の港で待ち続けることができるだろうか?

 先週のジャズ講座で聴いたリリアン・テリー(vo)+トミー・フラナガン3の"You've Changed"、主役の座をさらうトミー・フラナガンの間奏に、ビリー・ホリディの精髄を感じて、今までなかなか書けなかったレディ・デイのことを少し書いてみたくなりました。

Image-BillieHoliday.jpgBillie Holiday (1915-'59)

 トミー・フラナガンの青春時代のアイドル且つ音楽的ルーツ、それだけでなく器楽奏者であるバッパー達がこぞって崇拝する歌手、ビリー・ホリディ。一般的には、ヘロイン中毒、男性遍歴、レズビアン・・・などスキャンダラスなタグラインか、「奇妙な果実」が象徴する社会派のイメージが強調され、チャーリー・パーカー同様、破滅型の天才ということになっていますよね。でもバッパーを虜にするのは、レディ・デイの音楽表現の素晴らしさ。器楽奏者にこれほど影響を与えた歌い手は、ビリー・ホリディの他にはちょっと思いつきません。彼女が譜面を読めない音楽家であったことを考えると、とても興味深いのですが、それは次のお楽しみとして、今日は、ジャズ講座対訳係りの立場からお話してみます。


<レディ・ディ:虚像と実像の間で>

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 対訳を作る時、歌詞解釈がちゃんと出来ている歌唱は訳も作りやすい。だって何を言いたいのかはっきりしているから、そこを日本語にすればいいのです。この間のリリアン・テリーの対訳もAt Easeでした。"Lover Man""You've Changed"でも32小節ドラマのシナリオと絵コンテをリリアンが作っていて、それを実現できるようにフラナガンが「伴奏」というより、むしろリードしたという印象です。

 ホリデイは完全な女優型歌手、聴き手にとって、歌い手と歌の主人公の区切りが判らなくなるような歌手です。ですからエラ・フィッツジェラルドのように男性の歌、"Lady, Be Good"をそのまま歌うタイプではありません。ホリデイのブレーン達は、ホリデイの私生活スキャンダルと、歌唱の個性をうまく使って、"Good Morning Heartache""Don't Explain"など、ホリデイ自身を想起させるシグネーチュア・ソングを次々とヒットさせたんですね。日本の歌手にも、私生活を想起させる歌でヒットを飛ばした歌手は沢山いますが、死後50年以上経っても「私だけに歌いかけてくる」ような錯覚を与えるほどのリアリティはあるのかな?ビリー・ホリディの歌う歌はどれを聴いても、私宛ての親展メッセージのようで、不思議に心を捉えます。寺井尚之は、「そんな状況やったら、わしが何とかしたるやないか!」と一肌脱ぎたくなるらしい。

<レディ・ディ菩薩:赦しの美学>


 そして、ビリー・ホリディの歌唱の稀有なところは、歌を聴いているだけで、自分の過ちが「赦された」ような気持ちになれること。

 例えば、前述の"Don't Explain"は、夫のワイシャツについた口紅で浮気に気づいた妻の歌、普通ならワイシャツだけでなく、旦那の顔までズタズタになってしまうかも知れないところですが、歌の主人公は「言い訳しなくてもいいの」と言う。極めつけはこのライン〝Right or wrong don't matter when you're with me, Sweet〟(善悪なんてどうでもいい、愛するあなたが一緒なら)これは、正義と真実が最優先のアメリカでは、ほとんど反社会的かも知れない。〝Right or wrong don't matter〟タイガー・ウッズやビル・クリントンでなくても、人はWrongなことをしでかすのもの、レディ・デイは菩薩のように、許しと癒しを与えます。

Hinton_Billie_Holiday.jpgLady In Satinの 録音に参加したベーシスト、ミルト・ヒントンは、プレイバックを聴いて声の衰えを痛感する悲痛な表情をカメラで捉えた。

 先週リリアン・テリーで聴いた"You've Changed"はホリディ晩年のLP『Lady in Satin』に収録されています。当時のホリデイには往年の輝く声は失われているけれど、逆に歌詞表現のニュアンスは声を補って余りあるほど甘くて苦い。聴くたびに感動してしまいます。ホリデイの崇拝者、カーメン・マクレエは生前このレコードを絶賛していて「LPが擦り切れるから、予備に何枚も持っている。」と言ってたっけ。彼氏の心変わりを嘆きながら、最後の節でこう歌う。〝あなたは変わった、もう私が知ってた天使じゃない。今更別れようと言う必要なんてない。終わったのよね。〟別れにつきもののゴタゴタもなく、向こうの方から終結宣言してくれる。だからと言って、彼女のところに舞い戻ったとしても、「言い訳なしで」元の鞘に戻れそう。

 きっと"You've Changed"の主人公は、別れた後、この後で"落ち葉を焼く煙の臭い"や"船の汽笛"に彼を思い出しながら"These Foolish Things"を歌うんだろうな!

 Right or Wrong doesn't matter・・・恋に落ちること自体、善悪や理屈とは関係のないものかも知れない・・・


 昨年秋のトリビュート・コンサートで聴けた"Easy Living"も、勿論ホリデイ的「赦し」の歌です。傍目には男に利用されているとしか見えない女性が主人公、彼女は愚かな自分と恋した相手を同時に赦す。「あなたの為に生きることこそ気楽な人生(Easy Living)...惚れた人のために苦労しても構わない。愛する人に尽くすと生きることが楽になるから...」

 どんな過ちを犯しても、観音さまとビリー・ホリディは赦してくれる。レディ・デイの唄を聴いていると、そんな気持ちになります。とはいえ、私生活の彼女は、必ずしもそうではなかったようですが、ザッツ・アナザー・ストーリー。

 トミー・フラナガンがこよなく愛し、大きく影響されたビリー・ホリディ、トリビュート・コンサートでも、ホリデイゆかりのレパートリーが聴けるでしょう。

 トリビュート・コンサートは残席わずかですので、お早めに!

明日は末宗俊郎(g)トリオ!そしてあさって土曜日は久々のSFT。KG&イマキーが寺井尚之と共にフレッシュなプレイをお聴かせいたします。

CU

2010年3月 4日

ジョージ・ムラーツの盟友、エミル・ヴィクリツキーさん(p)のこと

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 地震や津波も怖い季節の変わり目ですが、皆さんいかがお過ごしですか?OverSeasではスプリング・ソングもチラホラ聴こえて、27日(土)のトリビュート・コンサートが待ち遠しいな!

 NYのジョージ・ムラーツ兄さんも、何とか寒い冬を乗り切って元気にしているようです。先月末には、NYのチェコセンターで、リッチ・ペリー(ts)、ジョーイ・バロン(ds)と組んだ自己トリオで特別コンサートを開催した模様。もうすぐ発売される同メンバーでの新譜とDVDが楽しみ!春にはハンク・ジョーンズとアルゼンチンに旅した後、ヨーロッパ各地を色んなフォーマットでツアーします。

<チェコのスター・ピアニスト>
 ところで、最近、ムラーツ兄さんをWEB検索していたら、うちのHPに行きあたったと、チェコからEメールが来ました。丁寧な英文で友人のジョージ・ムラーツや、尊敬するトミー・フラナガンの写真が色々載っていて楽しかったと書いてあります。

 送信者のお名前にはEmil Viklicky(エミル・ヴィクリツキー)とあり、なんとムラーツ兄さんが、チェコ大統領主催プラハ城コンサートや、チェコのスター・ミュージシャン、イヴァ・ヴィトヴァと組んだアルバム、『モラヴィアン・ジェムズ』などで頻繁に共演している、チェコの第一人者でした!上のポートレートはMartin Zeman撮影、バロック的な陰影があって、いかにもヨーロッパのピアニストという雰囲気ですね!ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画みたい!

Viklicky_Mraz_Hart_SpertusMuseum.jpgシカゴにて:ヴィクリツキー(p)、ムラーツ(b)、ビリー・ハート(ds)

 エミル・ヴィクリツキーさんは、1948年、チェコのモラヴィア地方の生まれのピアニスト、作編曲家。ヴィクリッキーと表記されることも多いですが、ご本人に確認したらヴィクリツキーの方が近いそうです。ムラーツ兄さんより4歳年下、寺井尚之より4歳年上です。ヨーロッパ各国のジャズのコンペを総ナメし、共産党支配が強化される直前の'77年に米バークリー音楽院に奨学生として入学、ビロード革命後はチェコ・ジャズ界のリーダーとして活躍を続けるトップ・ミュージシャンです。クリアな音色とオスカー・ピーターソンばりのダイナミックなプレイは、寺井尚之を唸らせる紛れもない正統派、一方、モラヴィア地方の民謡をジャズとして演奏するなど、チェコのアイデンティティを失わない音楽性から、ヨーロッパでは『1Q84』(村上春樹)のずっと以前から、「ジャズのヤナーチェク」と呼ばれているそうです。

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<友達の友達はともだち!>
 ジョージ・ムラーツとエミル・ヴィクリツキーさんとの出会いは、'76年、ユーゴスラビアのジャズフェスティバルだったそうです。以来、アメリカのトップ・ベーシストとなったムラーツがチェコにお里帰りする際に共演するピアニストは、本国のトップであるヴィクリツキー!ということになっているみたい。普段は、ベース: Frantisek Uhlir (フランティセック・ウーリール)とドラムス:Laco Tropp (ラコ・トロップ)という長年のレギュラー・トリオで活動しているようです。特に、ベースのウーリールは、ムラーツばりのテク二シャンで、Youtubeを観てびっくりしました。ヴィクリツキーさんによれば、彼はチェコのナンバー1ベーシストで、特に弓の技量はずば抜けてすごいらしい・・・

sinfonietta.jpg 昨年、ジョージ・ムラーツ、ルイス・ナッシュ(ds)との最強メンバーで日本制作のリーダー・アルバム 『シンフォニエッタ/エミル・ヴィクリッキー・トリオ』をリリースしており、日本での人気も高まるかも知れませんね。

viklijapantrio.jpgなぜか別府温泉でポーズを取るレギュラー・トリオ:左からヴィクリツキー、ウーリール(b)、トロップ(ds)

  ヴィクリツキーさんは、今までにも政府から派遣され、愛知万博などで演奏していて、日本のジャズファンの前で演奏したくて堪らないそうです。息子さんは腎臓移植の権威ですが、やはり親日家で日本語に堪能とのこと!5月に中国に飛び、上海万博で演奏予定があるのですが、その際、寄り道をして、ぜひジョージ・ムラーツと懇意なJazz Club OverSeasで演奏したいと切望しています。プラハの宮殿と余りにも違うヴェニューだけど、いいのかしら・・・

 チェコを代表する巨匠ピアニストのプレイが、間近で聴けそうな予感がします!

 詳細は近々お知らせいたしますのでご期待下さい。

 明日は鉄人デュオ!スタンダード・ナンバーをベテランの懐の深さでさりげなく料理するのが聴きどころ!私も鼻歌でハッシャ・バイでも歌いながら、シーフード・グラタンでも作ろうかな・・・

CU


2010年2月25日

トミー・フラナガンの思い出:Jazz Clubbing in NY

 冬季オリンピックも終盤、2月は瞬きする間に終わりそう・・・皆さま、お元気ですか?トミー・フラナガンが得意としたスプリング・ソングの季節も間近ですね。トミー・フラナガンを誕生を記念して3月27日(土)にトリビュート・コンサートを開催いたします。チケットはお早めに!

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 日頃、夜遊びするチャンスは全くありませんが、NYの夜遊びの楽しさを教えてくれたのはトミー・フラナガンです。生まれて初めてNYに旅行した2日目のことでした。寺井尚之とフラナガン家にディナーに招待してもらって、ダイアナ夫人の手料理や、日本で見たこともない位大きなオリーブ、ヨーロッパから持って帰って来たリキュール類をしこたまごちそうになった夜です。ダイアナにお料理を作ってもらったのは後にも先にもこの時だけ。レーズンが一杯入ったミート・ローフで、結構おいしかった。私はとても緊張していたので、いくらお酒を飲んでも全然酔えなかった・・・

 ずっと前に書いたことがありますが、食後、バッパーの意義についてトミーとダイアナの間で、ヘヴィー級の大論争勃発、その結果、ダイアナはしくしく泣きながら、寝室に退場してしまいました。ジャズの巨匠がジャズの歴史について激しく論争するのを目の当たりにして呆然としていました。

 やがて、「さあ、ヒサユキ、NYに来たんだからジャズを聴きに行こうか。」トミーは、いつも通りの物静かなポーカーフェイスに戻り、さきほどの興奮を抑えている様子もありません。まるで超人ハルクかスーパーマンみたいで、すごく不思議だった。

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 ダイアナを気遣った寺井が「いいえ、もう遅いから帰りますよ。」と言うと、トミーは「いい子ちゃんだな。」とクスクス笑い。おまけに鼻声のダイアナが寝室から「いいえ!行ってらっしゃい、行かなくちゃ!!」と大声で言うので、結局11時前にダイアナを残し、トミー、寺井尚之、私の三人だけで出かけることになりました。トミーはまるで一般人みたいに、寺井尚之と一緒に雑誌『New Yorker』のイベント情報欄、"Goings On About Town"を詳細にチェックしてから、「一番の老舗で、今夜の出演者が一番良い」と、数々の歴史的ライブ録音されたヴィレッジ・ヴァンガードに連れて行ってもらうことになりました。

max_gordon.jpg  ヴィレッジ・ヴァンガードはグリニッジ・ヴィレッジにあるジャズクラブ、ホワイトハウスにも招待された名物オーナー、マックス・ゴードンが1935年に創業、ゴードンの他界後、奥さんのロレイン・ゴードンが後を引き継ぎ現在も盛業中。

 ダウンタウンに向かうイエローキャブの中でトミーは言います。「汚い店だから、きっとびっくりするよ。」

adams_georg_liveatthe_101b.jpg 到着すると、アーチ型の扉の横に、マジックで手書きした丸文字で今夜の出演者が掲示してありました。"George Adams, Don Pullen・・・"。
 ジョージ・アダムス(ts)=ドン・ピューレン(p)双頭カルテットは、同じチャールズ・ミンガス(b)バンドで共演したダニー・リッチモンド(ds)と、骨太のプレイで聴かせるキャメロン・ブラウン(b)のレギュラー・コンボ、ミンガス・ミュージックを継承していて、バップを基本にしながらフリー・ジャズの要素もあり、ブラックでパワフルな野武士みたいにワイルドなバンド、エレガントなトミー・フラナガンがこのバンドを選んだのは、始めは少し意外でした。

684.x600.music.essental.jpg お店の入口はもうひとつ地下にあります。階段を降りて行くと、物凄い迫力の演奏が聴こえてきます。でも、ここで立ち聞きしているとオーナーのマックス・ゴードンがチャージを集金に来るんだとトミーが言ってた。ゲスト扱いで、ミュージシャンの写真が所狭しと張ってある壁際のベンチシートに案内されました。テーブルクロスも絨毯もないし、床はむき出しのコンクリート、簡素な内装だけど、そんなことはどうでもいいや。歴史を感じる趣、なによりもバンドの迫力がすごい!エスニックな帽子のアダムスは白目が真っ赤、真っ黒な肌から汗がしたたり落ち、テナーが雄叫びを上げて泣いている。ランニング姿のピューレン(p)は鍵盤上に拳をローリングさせる独特の奏法で有名ですが、生で見ると、池に小石を放り投げて何度もジャンプさせるのと似ています。腕と背中の筋肉が引っ越し屋さんみたいに盛り上がってます。二人のソロがキャメロン・ブラウン(b)のビートと、ダニー・リッチモンド(ds)に替わって、当時はまだ駆け出しのルイス・ナッシュ(ds)が繰り出すリズムに強力にプッシュされ、4人のサウンドが炸裂するのを感じました。隣のトミーはピューレンの拳ソロを聴きながら「Oh, Pretty! 曲もきれいだな!」なんて言いながらニコニコしてます。「すごくパワフルですね!ハード・ロックみたいに電気使ってないけど、もっとエネルギーを感じます。」って言うと、「Yeah! they are rockin'!」って喜んでいたけど、寺井尚之にはお客さんの魂を掴む音楽の迫力を教えようとしていたのかな?

 セットが終わると、バンドのメンバーや客席にいたナマズ髭のスティーブ・トゥーレ(tb)など沢山のミュージシャン達がどこからか集まってきて、順番にトミーに挨拶をします。その一人一人にトミーがヒサユキを紹介するので、寺井尚之はその度に立ちあがって握手をしなくてはなりませんでした。

 結局その夜は、真夜中まで、三人並んでジョージ・アダムス=ドン・ピューレン・カルテットを堪能しました。演奏中、ふとトミーの方を見ると、ポケットからお札を出して、こっそり数えてた。ピアノの神様がお札を数えているのが何とも不思議な感じでしたが、次のお店に連れていくための軍資金を数えていたんですね・・・トミー、ありがとう!

tavern_on_the_green.jpg ヴィレッジ・ヴァンガードだけでなく、ダウンタウンではブラッドリーズ、スイート・ベイジルやブルーノート、アップタウンでは、中華レストランで極上のピアノジャズを聴かせたフォーチュン・ガーデン・パヴィリオン、セントラルパークのタヴァーン・オン・ザ・グリーン・・・ジャズ・クラブ以外のちょっとおいしいレストランなど、本当に色んなところに連れていってもらいました。トミーが心臓の為に食事制限するまでは、ほんとにグルメだったから・・・

 というわけで、明日のThe Mainstemトリオにはメキシコ料理にちょっとクレオールが混じった、おいしいエンチラーダを作ってお待ちしています。


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2010年1月 7日

新春ジョージ・ムラーツ情報

 新年明けましておめでとうございます!今日の大阪は寒いです!大晦日、K-1の絶叫が響く中でおせちを作ったのも今は昔のTenpus Fugit・・・今週の土曜日はジャズ講座ですよ!もうご予約はされましたか?講座名物、寺井尚之の年頭挨拶も新春初笑いの予感。

 昨日の"エコーズ"はジョージ・ムラーツのお弟子さん、しょうたんこと石川翔太(b)君が遊びに来て2曲ほど演奏してくれました。22歳であの実力はすごいね!・・・今の大学ジャズ研にあそこまで弾けるコがいれば、名声響き渡り、女子部員の憧れの的になるでしょうね。しょうたんは、今年のお盆頃にパスポート更新で帰国予定なので、今度は寺井尚之との本格的なセッションが聴ける予感です。今から楽しみにしましょう!

kg_sumi_shoutan.JPG  ベース三人衆、左から坂田慶治、鷲見和広、石川翔太

 さてお待たせしました、今日はジョージ・ムラーツの新作と噂の新ベースの話題をお伝えします。すでにアニキからはトリビュート・コンサートの時期にお知らせが来ていたのですが、なかなかゆっくりお伝えする暇がなくてごめんね。現在はムラーツ公式HPにも英文で詳細が載っています。

<Coming Soon! ジョージ・ムラーツ 新作リーダー・アルバム >
 ジョージ・ムラーツの新作リーダーアルバムは年末にNJのベネット・スタジオでライブ・レコーディングされました。フォーマットはピアノレスのベース・トリオ!メンバーはかつてOverSeasで共演したこともあるリッチ・ペリー(ts)に加え、ジョン・ゾーンやビル・フリゼールといった"あっち側"の人たちから、ディジー・ガレスピー、メル・ルイスなどこっち側"の人たちまで幅広い守備範囲で活動するジョーイ・バロン(ds)という異色の顔合わせのピアノレス・トリオ!かつてムラーツがジョー・ヘンダースン(ts)3で聴かせた強烈なプレイを思い出しますね!  もちろん、しょうたんは付き人としてレコーディングに付き合い、物凄い演奏を目の当たりにしたそうです。このライブはアルバムだけでなくDVDとしてもリリース予定なので、最前列で見守るしょうたんもばっちり映っているらしい・・・

 ピアノレス・トリオでジョージ・ムラーツが目論む音楽的指針がどんなものなのか・・・きっとどえらいことを考えているはずです。そしてもうひとつ興味津々なのが、このレコーディングで使用しているムラーツの新しいベースです。

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<ジョージ・ムラーツのNew Baby, B21>
 ムラーツ兄さんが、フランスの名匠パトリック・シャルトンに依頼して、特別なツアー用のコンパクト・ベースをこしらえたことは11月に紹介しましたが、ムラーツ兄さんの楽器は、このB21の進化ヴァージョンというより、ムラーツ+シャルトン・コラボ・モデルと言った方が正しいようですね。 GP-France--JUL-2009.jpg

 「デカい」「傷つきやすい」「安定感がない」と運搬のリスクが三拍子そろったコントラバスという楽器を、世界中を駆け回るベーシスト達のために、21世紀ヴァージョン改良したというB21、僅か12秒でネックの着脱ができて、指板の高さも自由自在、弦楽器の要となる魂柱は1ミリでもずれると鳴りが変わってしまうそうですが、B21ならレンチ一本で簡単に調節可。

本体で一番傷つきやすい個所には、ゴムを埋め込み、f字孔という、あの印象的な二つのホールの形を改良して、楽器が最高に振動するように考えられているらしい・・・・。

 ムラーツのHPに写真が載っていますが、特別ハードケースも非常にコンパクトで通常の海外空路では特別料金がかからないサイズにしつらえてある。さっすがフランス人は細かいね!Très Bien!

<ジョージ・ムラーツの注文とは?>

 ムラーツ兄さんは、こんなB21に更に注文をつけました。それまでにジャズ・ベーシストの為に15台のB21を制作してきたシャルトンも「目からウロコ」の改良版が出来たんです。

 1)魂柱:楽器の中心にあり、不安定な魂柱はツアーの多いベーシストにとって悩みの種、ジョージ・ムラーツは前後から魂柱を固定するという斬新なアイデアを出して、シャルトンがそれを現実化しました。

 2)形状:ムラーツ兄さんの次なる注文は、ベースの不安定な形について。B21はベースが直立している時にネックの着脱を行うので、「それなら独り立ちさせてよ。」ということになり、ボトムの形状がより安定化しました。

 3)サウンド:ジョージ・ムラーツの一番のこだわりが音質であるのは当然!カラフルな色合いとニュアンス、レガートの付き具合など、シャルトンへの要望は数え切れないほどありましたが、結果出来上がったベースのサウンドは世界のジョージ・ムラーツもにんまりするものだったようです。年末のレコーディングに立ち会ったしょうたんも太鼓判でした。

 4)ベースのエッジが「絶対に」痛まないようにしたい! そこでシャルトンはベースのふち飾りとラバー製のプロテクションを組み合わせて、見た目も美しく傷つきにくいデザインを完成!

そのほか、エンドピンがネジなしで、あっという間に調節できる機能や、使用する弦によって変えられる数種類のペグボックス(ベースのてっぺんになるカタツムリみたいな形の糸倉のこと)を開発したり、まさに21世紀型のベースになっているみたい。早く生で聴いてみたいな!

 その結果、ジョージ・ムラーツはシャルトンを「天才」と呼び、弾くのが「楽しい!」「インクレディブル!」と絶賛!シャルトンの工房では、G. Mraz モデルというコラボ版を売り出すことになったそうです。(ご希望の方にはジョージ・ムラーツのサイン入りで出荷できるそうですよ!) *パトリック・シャルトンHP

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 9日(土)のジャズ講座では、おせちに飽きた皆さまの為にビーフストロガノフを仕込んでおきます!

CU


2009年12月 3日

Eddie Locke Memorial Service '09 11.22:もうひとつのトリビュート

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 雨の師走、皆さんいかがお過ごしですか?

 先週のトミー・フラナガン・トリビュートの録音を聴きながら、このエントリーを書いています。繰り返し聴く価値のあるプレイですね。CDにいたしますので、ご希望の方はOverSeasまでお申し込みください。

 ところで、先週のトリビュートの当日に、ショーン・スミス(b)さんから、先日Interludeで告知したエディ・ロックさん(ds)のお別れ会の資料がどっさり届いていました。もちろん故人をしのぶ厳粛な会ですから、当日の写真などは残念ながらありません。

 Eddie Locke Memorial Service は、去る11月22日に行われました。場所は、ジャズ牧師としてNY市民に敬愛されたゲンぜル神父在籍中のジャズ礼拝にエディさんが頻繁に出演し、特にゆかりの深いSt.ピーターズ教会。トミー・フラナガンはもちろん、ジャズメンの音楽葬は、宗教に関係なく、ほとんどがこの会場で行われています。
 NYから帰ってきているベーシスト、銀太こと田中祐太くんが参列してきたので、会場の雰囲気も伺うことができました。


 式次第は、故人を偲ぶスピーチとライブが交互に行われる形式。銀太君の話では、会場は超満員で、ミュージシャン達のスピーチは、湿っぽくなりすぎず、何度か会場が爆笑するようなエピソードが織り込まれていたそうです。「坊やからたたき上げ」のドラマー人生で得た知識を、懸命に後輩たちに伝えたエディさんの人柄に沿う集まりになったようです。

 この会のオーガナイザーは同郷デトロイト出身のバリー・ハリス(p)とビル・シャーラップ&リニー・ロスネス(p)夫妻とクレジットされていますが、実質的には、エディさんを父親のように慕っていたショーン・スミス(b)、ビル・シャーラップ(p)、ジョン・ゴードン(ts)の三人が尽力したようです。

 彼らのおかげで、当日の会場にはオリヴァー・ジャクソン(ds)とボードビル・チームや、亡くなるまで仕えたボス、コールマン・ホーキンス(ts)や、ロイ・エルドリッジ(tp)との貴重な写真が多数展示され、プログラムは、エディさんの十八番"Caravan"を詠った詩(セバスチャン・マシューズ作)や、名トランペット奏者、ウォーレン・ヴァシェによる心のこもった追悼文が掲載されていて、大変充実したものでした。

bop_locke.JPG  ボードビル時代のエディさんとオリバー・ジャクソン(ds)は、「やすきよ」みたい!こういうキャリアが後のCaravanのソロにもジャイブ音楽のアルバムにも活きてるんだ!

eddie_hawk.JPG  コールマン・ホーキンス(ts)と。親分とイチの子分か?かっこいい!こういう貴重な写真は全てコロンビア大の図書館に収蔵されているらしい。

eddie_sir_roland.JPGコールマン・ホーキンス組か、デトロイト組か?サー・ローランド・ハナ(p)と!

 追悼演奏は、ショーン、ビル・シャーラップ(p)、ジョン・ゴードン(ts)のトリオが"For All We Know"を演奏したほか、今や大御所ピアニストになったリチャード・ワイアンズ(p)が"I Remember You"、マイク・ルドン(p)が、ポール・ウエスト(b)、ルイス・ヘイズ(ds)のトリオで"There Will Never Be Another You"、そのほかにもタルド・ハマー(p)、リロイ・ウィリアムズ(ds)、ジョン・バンチ(p)など、有名ミュージシャンの心の籠ったライブがあり、葬儀委員長バリー・ハリス(p)と彼のクワイヤーがトリを取ったそうです。

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<Goodbye Eddie Locke (抄訳)> by ウォーレン・ヴァシェ(tp, cor,flh)

 エディ・ロック、やることがなんでも派手で、実際よりも、ずっと大きくぶっきらぼうに見えるタイプの男。演奏、笑い方、教えぶり、叱り方、何をするにしても手加減なし、人間性を100%ぶつけた。・・・

 我々はよく一緒に仕事をしたが、彼は、初対面の人に話しかける名人で、誰とでもすぐに友達になる名人だったので、私は彼を、「外務省高官」と呼んだ。世界中どんな場所にツアーしても、新しい友人を見つけ、愛され慕われながら、長く付き合った。・・・

 エディは私の子供たちを愛してくれた。子供らはエディを「じいちゃん」と呼び、彼のあの話し方をそっくり真似したもんだ。

 また私の世界にぽっかり大きな穴が空いちゃったよ。エディ・ロックのような人間がいなくなった穴を埋めることなんて無理だ。できることは、ぽっかり空いた穴を意識するたびに、そこに長らくあった友情と、エディがくれた霊感を思い出すことだけさ。

 さよなら、じいちゃん。寂しいよ。だけど、ちくしょう!絶対あんたを忘れるもんか!

Warren Vache( ウォーレン・ヴァシェは自分のHPのトップにもエディさんへの追悼文を掲載していました。)

 ショーン・スミスさん、お疲れ様!良いトリビュートが出来てよかったですね!

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 では、私はこれからトリビュート・コンサートの曲説を書こう!

明日のライブ、鉄人デュオでお会いしましょう。

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2009年11月26日

トミー・フラナガンの思い出:「七つの子」

musculine_fingers_tribute.JPG  土曜日はいよいよ15回目のトリビュート・コンサート!
寺井尚之はトリビュート・コンサートに向けてAll Day Longの稽古・・・指先の筋肉が膨れ上がってます。

zaiko_ippei.JPG The Mainstem、ベースのザイコウさんは、今週はOverSeasにフル出場!万全のコンディションを期します。

 ドラムの一平さんは、火曜日に、元トミー・フラナガン3のメンバー、ピーター・ワシントン(b)、ケニー・ワシントン(ds)のコンサート(ベニー・グリーン4)に行き、トリビュートのチラシを見せて二人に「おひかえなすって!」と仁義を切って来ました。

 ケニーとピーターは、現在ジャズ界最高のリズム・チーム、二人とも若い時から物凄い勉強家でした。今は押しも押されもしない巨匠ですね!

 トリビュート・コンサートは、大変込み合っていますが、現在少しだけ残席があります。来ようかなと思って下さったらまずお電話で残席をお確かめください。(OverSeas TEL 06-6262-3940)
 お薦めメニューは、「黒毛和牛の赤ワイン煮」と、冬の限定メニュー、「ポーク・ビーンズ」、黒豚と北海道の大きくておいしい白花豆を柔らかく煮込んだアメリカの家庭料理です。演奏を聴きながら、ぜひご賞味ください。

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<私が観たフラナガンの稽古>

 トミー・フラナガンは、インタビューで「私はもう稽古(practice)はしていない。」と語っていました。でもそれは、「指を動かす」プラクティスなのでは?例えば、「指慣らしに、バルトークのミクロコスモスを弾く。」と言ったりするのは「粋じゃない」と思っていたからでしょう。

 自宅の居間にあるスタインウエイと、その周りにも「稽古三昧」の状況証拠が一杯あった。寺井尚之には、「稽古は『頭』でするもんや。」と常々言ってましたし、先輩のハンク・ジョーンズさえ、ツアーに折りたたみ式のキーボードを携行し、ホテルの部屋で稽古していると言っていたのを覚えています。

 フラナガンが「頭」でやるという稽古がどういうものなのか?今日は、滅多に見れないその姿についてお話したいと思います。

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 それは '97年、10人のピアニストが集まる楽しいコンサート「100Gold Fingers」のツアー中、ラッキーなことに、オフ日を大阪公演の前日に設定してもらい、OverSeasでトミーのソロ・コンサートをした夜のことでした。

 その日、トミーは寺井にこんな相談をしました。
 "今回の「Gold Fingers」では、出演者が順番で、何か日本の曲を一曲演奏する企画になっていて、明日が私の番なんだ。「五木の子守唄」を演ったらどうかと言われているんだが、日本の曲はよく知らない。ヒサユキ、譜面を書いてくれないか・・・"

 寺井は即座に言いました。
 "師匠、五木の子守唄もええけど、ヘレン・メリルがもう歌ってるし、マイナー・チューンやし、大阪の土地柄に合わんのちゃいますか?師匠が演るならジャズで先例がなく、しかも、皆が知ってる曲がええわ。そうや!"七つの子"はどやろ?絶対、お客さんは大喜びですわ!」

 OverSeasコンサートの終演後、トミーは晩御飯を食べながら、ヒサユキの書いた「七つの子」の譜面を見て、山に残した可愛い子供を想って鳴くカラスの歌詞の意味を頭に入れています。元グリークラブのG先生がボーイソプラノ(?)で「カ~ラ~ス、なぜ鳴くの~♪」歌うと、目を丸くしてたっけ・・・

photo6.jpg そしてデザートを楽しんで一段落してから、トミーは譜面と共に、ピアノに向いました。初めて弾く「七つの子」に寺井尚之も興味津々!

 フラナガンはまずイントロから弾き始めました。子供がいる山に戻ろうとするカラスの大きな羽ばたきを思わせるオーケストラ的な前奏です。テーマに入ると、何人ものストリングスに負けない左手の分厚いパターン、初めて弾いてみる曲なんて信じられません。トミー・フラナガンの頭の中には、画家のデッサンのようなものが、すでに何パターンも出来ていたんです!虹色に変幻するヴォイシングは、ブルージーになったり、印象派的になったり、・・・色んなヴァージョンの「七つの子」が、あっという間に出来上がっていきました。途中で、"バイバイ・ブラックバード"を入れてみたりして、「七つの子」と遊ぶトミーの顔つきは「芸術家の産みの苦しみ」なんてどこ吹く風のポーカーフェイス。ただ、たくさんのヴァージョンを作るだけでなく、どの演奏解釈にも、大きな夕空や、鳥の羽ばたき、家族や故郷への憧憬が色んな形で表現されているのが、何よりすごいことでした。


 深夜、ホテルまでの車中、ゴキゲンで鼻歌を歌ってる巨匠に、私は思わず言いました。「トミー、さっき私は『神の御業(The works of God)』を観ました。あなたは天才です!」

 トミーは少し鼻を膨らませてから、いつもと変わらない淡々とした口調でつぶやいたのを覚えてます。「わたしは常にそうあるよう努力してる。」って。

 さて、翌日の大阪公演はシンフォニー・ホール、寺井が楽屋見舞に行くと、トミーはピアノ付きの一番大きい楽屋で「七つの子」を練習中、傍らにはジュニア・マンスがいました。ピアノの上に何があったと思います?森永のチョコボールが、譜面の上に、ちょこんと置いてあったんですって!

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では、トリビュート・コンサートでCU!