2017年9月14日

翻訳ノート:ビル・エヴァンス「Another Time : The Hilversum Concert」

お久しぶりです。

長らくブログ更新お休みしている間、OverSeasでの仕事と翻訳をしていました。

 8月末にリリースされてから、大きな話題を巻き起こしているビル・エヴァンスの未発表音源「Another Time: The Hilversum Concert」(Resonance Records / キングインターナショナル)日本語ブックレットも、とてもやり甲斐のある仕事でした。

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「世界の発掘男」から、今や世界中のジャズ・ファンがその動向を注目する大物プロデューサーとなった ゼヴ・フェルドマンが放つビル・エヴァンス・トリオ(エディ・ゴメス-bass、ジャック・ディジョネット-drums)の歴史的音源、ジャズ雑誌の巻頭記事や、大手新聞の音楽欄にも紹介されています。(キングインターナショナルのアルバム紹介ページはこちらです。)

 NYタイムズに「コレクターの理想とする"芸術作品としてのアルバム"制作を追求するレーベル」と評されたResonanceが誇る充実のブックレット、今まで何度か翻訳のチャンスをいただいたのですが、関係者やミュージシャンの特別寄稿文やインタビューなど、読み応えのある内容に作り手の熱意がひしひし伝わってきて、翻訳作業もやり甲斐のあるものですが、同時に、原文の素晴らしさ、楽しさを、読んで頂く方にしっかり伝えなければと、身の引き締まる思いです。

 ブックレット翻訳は私だけではなく、いつもキングインターナショナルの関口A&Rディレクターとの共同作業です。今回は特に、ビル・エヴァンスのインタビューが引用されていて、大きな読みどころになっています。英文を日本語にする際には、"I"という一人称でも、「私」にするか「僕」にするかで、大変印象が変わってしまいますから、エヴァンスの話しぶりを、日本語でどのように伝えるべきか、貴重な過去の資料を基に細かい打ち合わせがありました。また本作の録音場所がヒルフェルスムというオランダの都市で、前例のない人名や地名のカタカナ表記は、関口ディレクター自らオランダ王国大使館とタッグを組み、最も言語に近い表記で、さらにわかりやすくエヴァンスが愛したヨーロッパの演奏地の臨場感が出ました。

 そんなわけで、今回は最も学ぶところの多かった翻訳となりました。日本語盤の児山紀芳氏によるライナーノートももエヴァンスの音楽史に於けるこのアルバムの意義が一目瞭然にわかる素晴らしい内容!日本語版ブックレット、名演奏のお供に楽しんでいただければとても嬉しいです!

 

2017年7月31日

寺井珠重の対訳ノート(50)酒とバラの日々:再考-その2

<酒とバラの日々の源流は>

Paul-Gauguin - Nevermore - 1897.jpg  『Nevermore』ゴーギャン作(1897) ロンドン、コートールド・ギャラリー所蔵 

 〈酒とバラの日々〉ーヘンリー・マンシーニの美しいメロディーにジョニー・マーサーがつけた歌詞は、私にとっては謎、謎、謎だらけ、昔対訳を作った後に見つけた上のヌードのタイトル'Nevermore'は、まさしく〈酒とバラの日々〉の詩の中、唐突に登場する草原の中のドアに記された謎の文字だったのだ。

 エドガー・アラン・ポーの《大鴉》と〈酒とバラの日々〉のキーワードは、ゴーギャンのアートのキーワードにもなっていた!調べてみると、アメリカ人、アラン・ポーの文学は、米国よりも、ヨーロッパでずっと大きな評価を受け、フランスや英国の世紀末芸術、特に象徴主義(Symbolisme)と呼ばれる芸術運動に大きな影響を与えていたのだった。《大鴉》は、最初ボードレールによって仏訳され、マネや「ふしぎの国のアリス」でおなじみの絵本画家、テニエルが挿絵を担当し、何度も出版され、カルト的人気を博したらしい。

 象徴主義(Symbolisme)は、「芸術の本質は"観念"をかたちにして表現するもの」と主張する芸術運動で、先に述べたボードレールや、音楽の世界ではドビュッシーといった人たちが、代表的アーティストと言われています。加えて、〈酒とバラの日々Days of Wine and Roses〉という言葉を創ったアーネスト・ドウソンも、ゴーギャンも、芸術史では、象徴主義のカテゴリーに入るとされている。ゴーギャンはこの作品と《大鴉》の直接の関係を、ゴーギャンは否定しているけれど、パリで開催されたアラン・ポー自身による《大鴉》の朗読会に出席した後、タヒチに渡り、この絵を描いたことは事実として証明されているらしい。

345px-Ernest_Dowson.jpg <デカダン詩人に乾杯>

 前回書いたジョニー・マーサーの作詞の状況を整理してみよう。

〈酒とバラの日々〉は、同名映画のテーマソングとして、まずヘンリー・マンシーニが曲を書き、ジョニー・マーサーが詞をつけた。

 マーサーは、作詞の依頼を受けた時、映画の内容を全く聞かされていなかった。でも、マーサーが、このタイトルの出処を知っていたとしても、 不思議じゃない。〈酒とバラの日々〉という言葉は、アーネスト・ドーソン(Ernest Dowson 1867-1900)という英国の詩人の詩から引用されたものだ。

 ドーソンは英国の世紀末=デカダン文化を代表する詩人。ジャズと縁の深いラクロの背徳小説「危険な関係」やヴェルレーヌの詩集を英訳して初めて英語圏に紹介した翻訳者でもあり、ロリータ・コンプレックスの人でもあった。彼自身、アルコール中毒で、結核を患い、鎮静剤の過剰摂取のために三十代半ばで亡くなっています。

 じゃあ〈酒とバラの日々〉の先祖となるドーソンの詩を訳してみることによう!詩のタイトルはラテン語で、紀元前1世紀(!)に活躍した古代ローマの詩人、ホラティウスの詩句からの引用だった。詩の世界はジャズよりもずっと長い間、引用が繰り返されるんだなあ...

Vitae summa brevis spem nos vetat incohare longam

儚い人生は、我らに希望を持ち続けることを許さない

 

They are not long,
 the weeping and the laughter,

Love and desire and hate;

I think they have no  portion in us after

We pass the gate.

長続きはしない、
 涙も笑いも、 
 恋も欲望も憎しみも;

我は思う、
一旦、門を通り過ぎれば
それらは心から消えるものだと

 

 

 

They are not long, 
 the days of wine and roses,

Out of a misty dream

Our path emerges for a while,
 then closes

Within a dream.

長続きはしない、
 酒とバラの日々、

もやのかかった夢の中から、

暫らくの間、我らが共に歩む道は現れ、
 そして閉ざされる
夢の中に。

 

 〈酒とバラの日々〉の中で'Nevermore'と記された「扉=Door」の原型は、ドーソンの詩の中に登場する「門=Gate」だったんだ!

酒とバラの日々は、

鬼ごっこする子供のように、

草原を走り、

閉じ行く扉に向かって逃げ去る―

"もう二度と..."と記された扉は・・・

 

 さらに調べてみると、マーガレット・ミッチェルの小説から映画化された「風と共に去りぬ/ Gone with the Wind」もドーソンの詩句の引用だし、それ以外にもコール・ポーターも彼の詩を元に曲を創っている。さらに、ドーソンが最も愛した詩人は、エドガー・アラン・ポーだった。

 ジョニー・マーサーは、ドーソンや彼の詩をよく知っていたからこそ、この素晴らしい歌詞を創作したのだとしか思えないのです。例えば〈How High the Moon〉の進行を元に、チャーリー・パーカーが〈Ornithology〉を、ジョン・コルトレーンが〈Satellite〉を創ったように...19世紀のデカダン詩人の作品を元に、全く新しい歌詞の世界を創ったマーサー恐るべし。

 <ゴーギャンからダリへ>

Dali-face-door-hall-IMG_5726_Fotor_Fotor.jpg 'Nevermore'の扉に悩みながら、ジョニー・マーサーの伝記を読んでいると面白いことが書いてありました。
〈酒バラ〉を大ヒットさせたアンディ・ウィリアムズも私と同じように、'Nevermore'の意味が判らないと打ち明けて、マーサーに教えを請うたのだそうです。すると、マーサーはこんな風に説明してくれた。

 「比喩的なものなんだ。草原を歩いていると、突如としてドアが出現する。そして文字が書いてある。ドアの向こうは見えるけれど、そこに入ることはできないんだ。」

 マーサーは、ドーソンの時代の象徴主義を、もっとモダンなかたちで表現してみせたのだった。

 Youtubeで見つけた〈酒とバラの日々〉のアカデミー賞授賞式、ジョニー・マーサーのいたずらっぽい、短いスピーチが、そっと種明かしをしてくれているみたいです。

「ミスター・ドーソンよ、美しいタイトルをありがとう、

ミスター・マンシーニよ、美しいメロディーをありがとう。

とにかく感謝します。」

 

 

2017年7月22日

寺井珠重の対訳ノート(50)酒とバラの日々:再考

 OverSeasの月例講座「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」が再びエラ・フィッツジェラルドとの名演時代に入り、また色々な「歌」と再会中。 

 皆さんご存知のように、〈The Days of Wine and Roses (邦題:酒とバラの日々)〉は、ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞、半世紀以上前、1962年の映画の主題歌。子供の頃【アンディ・ウィリアムズ・ショウ】というTV番組があって、アンディ・ウィリアムズが、ソフトな声でこの曲を歌ってた。昔は、誰でもが知っているポピュラー・ソングだったけど、今はどうなのかな?

<たった二つのセンテンス>

dayswineroses.jpg 映画〈Days of Wine and Roses〉は、巨匠ブレイク・エドワーズ監督作品。タイトルは19世紀末のデカダン詩人、アーネスト・ソウソンの詩の一節で、原案はTVの90分ドラマだった。

 映画の内容は、幸せなはずの夫婦が、アルコールに溺れ、破綻していく社会派悲劇。'60年代のアメリカは、ビジネス・ランチにマティーニ三杯が当たり前のお国柄、アルコール中毒は、現在のドラッグ同様、あるいはそれ以上に、深刻な社会問題だったのです。

 ブレイク・エドワーズ+マンシーニ+マーサーのコラボは、その前年、オードリー・ヘップバーンの代表作となった『ティファニーで朝食を』で大成功!主題歌〈ムーン・リヴァー〉は映画と共に、今でも愛されるポピュラー・ソングになっている。そしてこの歌も...と、まあ、足跡講座のために歌詞対訳を作ったことがきっかけで、ブログに書いたのは、十年近く前のことだった。 

 エラ&トミー・フラナガン・トリオのライヴ盤『The Lady Is a Tramp』(於:ベオグラード、'71)での〈酒とバラの日々〉は、ヴァンプで盛り上げていくヴァージョン、歌詞をじっくり聴いて、まず面白いと思ったのは、一般的な32小節、A1-B1-A2-B2形式の淡々としたメロディーに沿う歌詞が、16小節ずつ、たった二つのセンテンスで成り立っている、ということでした。

 自然の風が吹くような美しく大らかな響きはジョニー・マーサーの真骨頂、淀みない大河のような言葉の流れや、わざとらしさを感じさせない脚韻、これらをすっきり日本語に置き換えるのはやっぱり無理だ~!

 

The Days of Wine and Roses /酒とバラの日々

Henry Mancini 曲 /Johnny Mercer 詞

The days of wine and roses

Laugh and run away

Like a child at play

Through the meadowland

Towards a closing door,

A door marked "Nevermore,"

That wasn't there before.

酒とバラの日々は、

鬼ごっこする子供のように、

草原を走り、

閉じ行く扉に向かって逃げ去る―

"もう二度と..."と記された扉は、

今までなかったのに。

 

 

 

The lonely night discloses

Just a passing breeze

Filled with memories

And the golden smile

That introduced me to

The days of wine and roses and you.

それは孤独な夜に、

思い出をを連れてくる

一陣の風のいたずら、

あの輝く微笑みが僕にもたらした、

酒とバラ、そして君との愛の日々。

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(アカデミー賞授賞式にて:右‐ジョニー・マーサー、左‐ヘンリー・マンシーニ)

 作詞家、ジョニー・マーサーは、アイラ・ガーシュインはじめ、多くの先輩作詞家たちの尊敬を一身に集めた大巨匠だ。ジャズ・ミュージシャンにとってスタンダード曲の教科書ともいうべき、エラ・フィッツジェラルドの『ソングブック・シリーズ』全8作の中で、作曲家ではなく、作詞家を特集したソングブックはジョニー・マーサー集だけ。それほどマーサーの歌詞は特別だった!

 それは、マーサー自身が、歌詞とメロディーの融合をじっさいに表現でできる素晴らしい歌手だった、ということも「特別」な要素ではあるけれど、それ以上に他の作詞家と一線を画するバックグラウンドがあったから。何故なら、ポピュラーソングの黄金時代を牽引した作詞家の大部分はユダヤ系移民で、目から鼻に抜ける感じのシャープな味わいを身上としていました。トレンディな造語や、シャープなウィット、いかにも大都会NYの香りがする恋愛などなど...一方、マーサーの生まれはジョージア州サヴァナの旧家、先祖はスコットランドまで辿ることができ、彼の系譜には南北戦争の南軍の勇者から、パットン将軍まで、米国の名将がゴロゴロ登場します。そんなマーサーの幼年時代は、豊かな大自然と、彼の世話をしてくれる黒人のメイドの子守歌が満ちていた。夢のような幼年時代から一転、祖父が事業に失敗し、実家は破産、マーサーは大学進学を諦めて故郷を離れるという辛酸を舐めた。後年、名声と財産を得たマーサーは、当時のお金で30万ドルという大金を、祖父の債権者に返済し借金を清算した、といいます。幼年時代の人生の浮き沈みが、こころに滲みる歌の情景を創り出すのかも知れません。なるほど〈スカイラーク〉には胸がキュンとするような、いつまでも見ていたい空の情景が、〈ブルース・イン・ザ・ナイト〉には、ディープ・ブルーな南部の香りがありますよね。

<映画の内容を知らずに...>

JohnnyMererPencilCROP.jpgJohnny Mercer (1909-1976)

 さて〈酒バラ〉に戻りましょう。ジョニー・マーサーは作詞にあたって、マンシーニの曲と、歌と題名をもらっただけ。映画が、どんな内容なのかは、全く説明も受けていなかったと語っている。彼自身がそうだったアルコール依存症がテーマとは思いもつかなかったらしい。「ワインとバラの日々」というお題から、てっきり「バラ戦争」を描く時代劇だと思い込んだんだと語っているけど、はてさて...真実なのかジョークなのか?

 マーサーは、マンシーニ邸で〈The Days of Wine and Roses〉を何度も弾いてもらい、当時、登場したばかりのカセット・レコーダーに録音して家に戻った。帰りの車中、どんな歌詞にしようか、色々と考えてはみたものの、タイトルが長すぎて、全くアイデアが浮かばない。ところが、家に戻り、ピアノのある部屋で壁にもたれて一杯やっていると、ふと最初の16小節のセンテンスが浮かび、残りの16小節も、書き留めるのが間に合わないほど歌詞が溢れてきた!まるで神が僕に代わって作ってくれたようものだ。作詞のクレジットは僕ではなくて"神"としておいてほうがよさそうなほどだった...

 2日後、マンシーニとマーサーは出来上がった主題歌を持って監督に聴かせるために、ワーナー・ブラザーズの撮影所に赴いた。この当時は、スタジオで音源を録音したりぜすに、作者が実際に聴かせていたんですよね。オーディションの場は、撮影現場に近い古ぼけた木造の音楽スタジオで、だだっ広いお化け屋敷か納屋のような気味の悪い場所だった。百戦錬磨の作曲家でありながら、マンシーニは、「ダメ出しされるのではないか?」と不安になるタイプだったようですが、マーサーは、元々一流バンド・シンガーでしたから、堂々たる歌唱を聴かせたそうです。オーディションには、監督のブレイク・エドワーズに加え、主役のジャック・レモンが同席したと、マンシーニは回想しています。―「ジョニー・マーサーは彼の作品だけでなく、誰の作品でも、最高のパフォーマーだ。彼は人を魅了する術をもっていたのだ。私は広大なスタジオでピアノを弾き、ジョニーが、彼の一番良い低音で〈The Days of Wine and Roses〉を歌った。少しかすれ気味の、ジャズ的な抑揚がある声だ。 」

 「プロデューサー達の前で、自作曲を演奏するとき、私は決して彼らの顔を見ないようにしている。少々被害妄想の気味があるのでね。彼らが目に入らないように、肩を向けて演奏した。もちろんジョニーは、彼らの方を向いて歌を聴かせた。エンディングの後、長く重苦しい沈黙が流れた。10秒ほどの沈黙が、私には10分に感じた。その間、私は、ひたすら鍵盤を見つめていたが、とうとう我慢できなくなり、ブレイクとジャックの方を見た。するとジャックの頬に涙が流れているが見えた。ブレイクの目も潤んでいた。もう、彼らに、この歌を気に入ったかどうか、尋ねる必要はなかった...」

<ゴーギャンとダリを結ぶ点と線>

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 対訳の上で、私がもうひとつ、気になってしかたなかったのが、最初のセンテンスにる"Nevemore"という言葉でした。英語の詩を読むのが趣味の方なら、エドガー・アラン・ポーの物語詩〈大鴉=The Raven〉をご存知でしょう?恋人を失い、悲嘆にくれる青年の部屋に、一羽の大きなカラスが飛んできて、繰り返し彼にこの言葉を発して、最後には、カラスの言葉によって青年の魂は崩壊してしまう、というミステリアスな詩です。

 前回、対訳したときも、この"Nevemore"をどないして日本語にしようか?"決してない""二度とない""もう終わった"...どないしょう?と色々悩み、今回も悩みました。これからも悩むでしょう。

 それから数年、洋書屋でゴーギャンの画集を立ち読みしていたとき、Nevemore"とカラスをあしらった上の絵に遭遇したのでした。(続く) 

2017年5月30日

翻訳ノート〈スモーキン・イン・シアトル - ライヴ・アット・ザ・ペントハウス 1966〉

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  4月29日発売以来、ウェス・モンゴメリー&ウィントン・ケリー・トリオが遺した歴史的未発表音源、〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉(Resonance/ キングインターナショナル)が、米国のみならず、各方面で大きな話題を呼んでいます。

 ジャズギターの金字塔アルバム〈Smokin' at the Half Note〉の僅か7ヶ月後のライヴ録音、ウィントン・ケリーは体調不良で降板したポール・チェンバースに代り、ロン・マクルーアをレギュラー・ベーシストに起用し、ウェス・モンゴメリーと共に9週間のツアーに出ました。この録音はツアー開始後まもなく、シアトルにあった人気ジャズ・クラブ《ペントハウス》から生中継されたラジオ音源を、世界の発掘男と呼ばれる名プロデューサー、ゼヴ・フェルドマンが熱血手腕によってアルバム化したものです。ウィントン・ケリー・トリオ、ウェス・モンゴメリー共に絶好調、理屈抜きにジャズの楽しさとが伝わってきて、'66年の西海岸にタイムトリップしてラジオを聴いているような気持ちになります。

 日本盤に付いている、原田和典さん書き下ろしの、とても判りやすくて興味深いライナーノートは必読! 
 そして《Resonance》の専売特許である貴重写真と豊富な資料の付録ブックレットの日本語訳は、CDに付いている応募ハガキを送るともれなく返送されるという楽しい趣向になっています。日本語版のスペシャル・ブックレットは同時リリースされて、これまた大ヒットを記録しているジャコ・パストリアスのNYでの歴史的コンサートのライヴ盤〈Truth, Liberty & Soul〉の付録資料とペアになっています。

 〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉のブックレット資料翻訳は、不肖私が担当しました。現存する参加ミュージシャン、ジミー・コブ(ds)とロン・マクルーア(b)の証言、ケニー・バロン(p)によるウィントン・ケリー論、パット・メセニーのウェス・モンゴメリー礼賛文などなど、ジャズ史に興味ある者なら、あっと驚く秘話の宝庫。そして、メセニーのまっしぐらなウェス愛にすごく共感しました!翻訳中、マクルーアさんから、色々なお話を伺うこともでき、私にとって一層光栄な仕事になりました。公民権法が制定されたとはいえ、この当時、黒人であるウィントン・ケリーが白人ベーシストであるロンさんを起用すること自体が、大英断であったそうです。

511FHBodjqL._SY355_.jpg〈Truth, Liberty & Soul〉の翻訳は『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実』や『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術』などのアシュリー・カーンの著作を初め錚々たるジャズ・ブックのベストセラーを手がけてこられたプロ中のプロ、川嶋文丸さんが担当されました。充実した内容もさることながら、翻訳のペエペエにとって、すごく勉強になりました!

 現在のジャズの世界で、異例ともいえる日本語版スペシャル・ブックレットの実現は、キングインターナショナルの敏腕A&Rディレクター、関口滋子さんの熱意によるものでした。関口さんの盟友である《Resonance》の名物プロデューサー、ゼヴ・フェルドマン氏が集めたジャズの貴重な歴史証言の数々を、「一人でも多くの日本のリスナーと共有したい!」という思いに駆られ、編集、制作をやってのけたのだそうです。「インターネットで気軽に何でも調べられるように思える時代でも、知り得ることのできなかった真実、関係者が語ったからこそ伝わる浮かび上がるドラマ。それらを一つの作品として、ポリシーを以って伝えようとするゼヴ・フェルドマン氏の仕事は、多少の困難があってでも、きっちり伝えて行きたい!」とおっしゃっています。 

  ゼヴさんがその仕事ぶりを絶賛してやまない関口ディレクターは、おっちょこちょいの私とはまるっきり対照的な女性といえるでしょう。普段は知的で物静かですが、仕事モードになると強力なパワーを発揮します。少女のように華奢で小柄な彼女のどこにこれほどのエナジーが秘められているかは不明ですが、面白い小冊子が出来あがりました。〈Smokin' in Seattle Live at the Penthouse〉〈Truth, Liberty & Soul〉-2017年出荷分のどちらのアルバムにも梱包されている応募ハガキを送るともれなくもらえるそうです。発売後1ヶ月あまり、予想を遥かに越える応募ハガキが毎日どっさり届き、嬉しい悲鳴を挙げておられるようです。

 ジャズの現場に立ち会った人々の生々しい証言は、音楽の感動に新たな彩りを添えてくれます。興味の尽きないジャズ史の断片が垣間見えるブックレット、ぜひ読んでみてくださいね!(了)

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2016年12月31日

寺井珠重の対訳ノート(49)God Bless the Child

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 今年のライブも無事修了、<OverSeas>では寺井尚之が『メインステム』というトリオ(宮本在浩-bass、菅一平-drums)で毎月2回出演、毎回レパートリー入れ替えているから、メインステム・トリオの年間演奏曲はのべ350曲以上、その中で今一番印象深いのが、ビリー・ホリディの十八番"ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド"でした。ホリディの持つ「優しさ」と「哀しみ」のエッセンスがピアノ・トリオから立ち上り、なんとも愛らしいサウンドになっていたように思います。

 

<カフェ・ソサエティ>

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 "God Bless The Child"は、ビリー・ホリディとアーサー・ハーツォグJr.の共作とされていて、1941年にヒットした。1941年12月、日本は真珠湾攻撃によって、太平洋戦争へとなだれ込んだ。因みにボブ・ディランはこの年に生まれている。意外なことにホリディ自身のシングル盤で、ビルボードのトップ25にランクインしたのは、この曲だけらしい。ハーツォグは"Don't Explain""Some Other Spring"といった名歌にもクレジットされているけれど、ソングライターとしての実績はビリー・ホリディ絡みの曲がほとんどだ。

 

billie_holiday-god_bless_the_child_s.jpg  この曲が作られた頃、ホリディは20代半ば、人種隔離をしないという、NYで最先端のナイトスポット、《カフェ・ソサエティ》で、毎夜喝采を浴びていた。この当時のナイトクラブは、黒人アーティストが出演していても、白人しか入場できないのが普通。ダウンタウンの高級店では、まずあり得ないことだったのだ。そんな《カフェ・ソサエティ》で歌う彼女のラスト・ナンバーは必ず"奇妙な果実"、それは「リベラル」を謳うこの店の要望でもあった。南部の凄惨な黒人リンチの情景を歌った"奇妙な果実"は、ポピュラー音楽初の名プロテスト・ソングとしてインテリ左派層から熱烈な支持を集め、ホリディの歌唱力は、その美貌と相まって、一躍カルト的な人気を得ることになります。それが却って、ホリディに過酷な運命をもたらすことになるだけど、ザッツ・アナザー・ストーリー。

 

<藪の中>

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 この歌は、ビリー・ホリディとアーサー・ハーツォグJr.の共作とクレジットされているのに、二人とも「本当は自分が作った!」と言い張って譲らない。

 ビリー・ホリディの証言:

ビリー・ホリディは自伝「Lady Sings the Blues」(ウィリアム・デュフティ編)で、"God Bless the Child"は「母子喧嘩の産物」だったと説明しています。 

 ―シングル・マザーのセイディ・フェイガンは「一卵性親子」と言えるほど、娘にべったり、かのレスター・ヤングは、ホリディを"レディ(貴婦人)"セイディを"侯爵夫人"と呼んだ。"侯爵夫人"は"レディ"にとって、心強いおかんであった反面、何かにつけて口出しするウザい存在でもあった。やがて娘が人気歌手となった頃に、母は「得意な料理の腕を生かしてソウルフードの店を持ちたい」と言い出した。渡りに船!

 「お母さんが仕事を始めたら、私も少し自由になれる!」

レディはセントラル・パーク・ウエスト99丁目に店を借りてやり、《ホリディの母さんの店》としてオープンしたものの、仲間のミュージシャンのたまり場となり、母さんは大盤振る舞い、おかげで店は赤字続きで、娘が自分の稼ぎで穴埋めしていた。でもある日、ホリディが金欠状態になっちゃった。そこで、現金商売の母の店に行き「お金を融通して。」と頼むと、なんと母親は断固拒否!それで大喧嘩になったというのです。

 私がこれまでどれだけお金を融通してきたか...なんて恩知らずな母親なんだろう!

 激怒したホリディは家を飛び出して三週間帰らなかった。家出しても腹の虫が収まらないレディ、そんなときにふと思いついたのがこの歌で、慌ててハーツォグJrのところに行き、曲を譜面に起してもらった、というのです。

 

アーサー・ハーツォグJr.の証言

  一方、ハーツォグJr.は、上のホリディの証言に怒り心頭、'90年代に出たビリー・ホリディ伝「Wishing on the Moon」(Donald Clarke著)で、このように語っています。

- "奇妙な果実"で人気をとったホリディのために新曲を書く必要があったハーツォグは白人だし、柳の下のドジョウを狙いたいけど、到底思い浮かばない。そこで彼は南部ボルティモア育ちのホリディに尋ねてみた。

「南部らしい新曲のアイデアはないかな?その土地の言い回しとか、何でもいいからヒントになる言葉があったら教えてくれないか。」

 それを受けて彼女がつぶやいた言葉が「God Bless the Child」だったというのです。ハーツォグが、言葉の意味を尋ねるとホリディはこう答えた。

 「母さんや父さん、兄さんや姉さんたち、身内が持っていてもだめ、神様は自分で持っている子しか祝福しないよ、という教訓なの。」

  それを聞いてビビッときたハーツォグが作ったのがこの曲。歌詞とメロディーを全て自分で創作し、音楽パートナーのダニー・メンデルソーンが譜面に仕立てた。それにもかかわらず、ホリディは自分の名前を作者として入れるよう要求した、というのです。ハーツォグは「ビリー・ホリディに創作の力はない」とまで言い切っていて、憤懣やるかたない様子です。

 

<聖書の教えは...>

 「持つ者は富み栄え、持たざるものは失うのみ、聖書の言葉は今も新しい・・・」この歌の最初のスタンザは確かに聖書の言葉で、「マタイによる福音書-25章29節」を言い換えたものです。これは「タラントンのたとえ」といわれている寓話の一部で、その意味するところは、諸説あるのですが、この二行だけ見ていると、民主主義が機能不全になってしまった今の格差社会を言い表しているようにも思えます。なるほど、聖書の教えは今も新しい!

            God Bless The Child (1941)

ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド

 

Them that's got shall get,

Them that's not shall lose,

So that's Bible said, and it still is news.

Mama may have,

Papa may have,

But God bless the child that's got his own!

That's got his own.

 

Yes, the strong gets more

While the weak ones fade.

Empty pockets don't ever make the grade.

Mama may have,

Papa may have,

But God bless the child that got his own!

That's got his own.

 

Money, you got lots o'friends

Crowdin' round the door.

When you're gone and spendin' ends,

They don't come no more,

 

Rich relations give, crust bread and such,

You can help yourself, but don't take too much!

Mama may have,

Papa may have,

But God bless the child that's got his own!

That's got his own.

 

持つ者は富み栄え、

持たざる者は失う。

それは聖書の言葉、

今も変わらぬ教訓だ。

たとえママやパパが持っていても、

神は、自分で持つ子に祝福をお与えになる!

自分で稼ぐ者だけに。

 

そう、弱者が滅びる傍らで、

強者は富み栄える、

空の財布じゃ成功できない。

たとえママやパパが持っていても、

神は、自分で持つ子に祝福をお与えになる!

自分で稼ぐ者だけに。

 

金さえあれば友達が沢山できて、

玄関先に群がってる、

だけど使い果たして、

一文無しになってごらん、

もうだれも寄り付かない。

 

裕福な親類が、パンの耳くらいくれるだろう、

さあ、もらいなよ、でも取りすぎは禁物!

たとえママやパパが持っていても、

神は、自分で持つ子に祝福をお与えになる!

自分で稼ぐ者だけに。

20150727163936_70.jpg 母子喧嘩か、南部ネタなのか・・・

 いずれにせよ、今年ライブで聴いた<ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド>は、ジャズクラブの片隅でドタバタ悪戦苦闘する私の中に、するっとほ入ってきて、ほろ苦い味わいとともに、涙をぬぐってくれました。

 今年もなんとかOverSeasもやってこれました。今年一年、応援してくださった全ての皆さまに心からの感謝を!皆さま、どうぞ良いお年を!

CU

 

 

2016年12月19日

発掘男ゼヴ・フェルドマン in NY Times

  ご無沙汰でした!

 秋に病気をして退院してから、てんこもりの雑用をこなしていたら、もうクリスマスが・・・

 ここ数年間、翻訳でお世話になっている《レゾナンス・レコード》のゼヴ・フェルドマンさん、別名「世界の発掘男」が、今月初めにNYタイムズにデカデカと載っていたので、リハビリを兼ねて和訳しました。今年リリースされたジャズ・アルバムの傾向と共に、ゼヴさんのユニークな点が余すところなく語られています。

 原文はNYタイムス電子版でお読みになれます。


Jazz Recordings With a Sense of History and Discovery

-歴史発見感覚のジャズ・レコーディング-

ニューヨーク・タイムズ電子版 2016 12/5 付 (執筆者 ネイト・チネンデック)

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"レゾナンス・レコード"はサラ・ヴォーンによる1978年のライブ盤を発売している。

写真:サラ・ヴォーン(於サンフランシスコ、1970、 撮影Tom Copi)

 今年リリースされたジャズの必聴アルバム中の一枚は、半世紀も前の録音、もう一枚は1968年録音、これ以外にも同時期に録音されたアルバムが何枚も出ている。これらは全て、今年の主要トレンドを反映した作品だ。ジャズのレコード業界は、かねてから過去の音源発掘を常としてきたが、今年は従来の規範を超えた歴史的アルバムの大豊作で、多くが大発見の興奮を伴うものだった。

 その中には、全曲未発表のエロール・ガーナー演奏集<Ready Take One >、最近発見されたチャーリー・パーカーの録音セッション<Unheard Bird >がある。その一方、ハーレムの《ナショナル・ジャズ・ミュージアム》は、所蔵の歴史的レコーディングから選りすぐりの音源をデジタル・アルバム化してリリースを開始した。<The Savory Collection, Volume 2 -- Jumpin' at the Woodside: The Count Basie Orchestra Featuring Lester Young >はApple MusicとiTunesより金曜日に発売される。

 この潮流の中で、最も注目に値するアルバムを数多くリリースしたのは"レゾナンス・レコード"だ。"レゾナンス"は、発掘の使命感に燃える新規レーベルだ。ポストバップの先駆者となったオルガン奏者、ラリー・ヤングの絶頂期である'60年代に焦点を当てた< Larry Young in Paris: The ORTF Recordings >, ピアニスト、ビル・エヴァンスによる1968年の知られざるスタジオ録音盤、また、こじんまりした会場で、リラックスした独壇場のパフォーマンスが楽しめるサラ・ヴォーン('78)、シャーリー・ホーン('88)それぞれのライブ盤などをリリースしている。

 加えて、"レゾナンス"は、テナー・サックス奏者、スタン・ゲッツのアルバムを2作リリースした。サンフランシスコのクラブ《キーストン・コーナー》でのライブ盤< Moments in Time >は秀逸なカルテットのプレイ、そして、もう一枚はボサノヴァの巨匠、ジョアン・ジルベルトとのリユニオン・セッション<Getz/Gilberto '76>でジルベルトの気取らないサウンドが輝きを放っている。さらに、このレーベルの年頭を飾ったアルバムは、サド・ジョーンズ-メル・ルイスOrch.創立時のドキュメント< All My Yesterdays: The Debut 1966 Recordings At the Village Vanguard >であった。

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"レゾナンス"・レコード総支配人、ゼヴ・フェルドマン:多くの成功作は彼の功績だ。

 これらのアルバムには、それぞれ多くの資料が梱包されている。それは、新たに発見された歴史的写真、特別寄稿文、音源に参加した現存ミュージシャンのインタビューといったもので、例えば< Larry Young in Paris >の付録は68ページの豪華ブックレットだ。

 "レゾナンス"は、音源の修復からパッケージ・デザインに至るまで、コレクターの理想とする「芸術作品としてのアルバム」制作のために、多額の資金をつぎ込んでいる。このような徹底ぶりは、アルバム関連のオンライン・ヴィデオ・ドキュメンタリー・シリーズの制作にまで至る。しかし、"レゾナンス"のこだわりこそが、一介の悪ノリ新興レーベルから、この分野を牽引するトップ・レーベルの座へと飛躍する原動力となった。

 "レゾナンス"の創設者、ジョージ・クラビンはロスアンジェルスのオフィスから、電話インタビューで次のように語った。

クラビン:「うちのアルバムは、それぞれが小さな展覧会のようなものなんです。美術館の回顧展に行けば、展示室にそのアーティストの作品が所狭しと並んでいますよね。我々は、同じことをレコーディングで行っているんですよ。」

 現在のクラビン氏の立場には、ちょっとした偶然が絡んでいる。彼は長らくレコーディング・エンジニアの仕事に従事していた。コロンビア大学在学中には、サド・メルOrch.を録音していて、新人アーティストを支援し、彼らの作品を市場で流通させてやりたいという思いから、非営利団体"Rising Jazz Stars Foundation"を創設した。つまり"レゾナンス"は、この団体の一部門として、新人支援の規範の下に発足したのだ。

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1968年のビル・エヴァンス:"レゾナンス"は、同年のスタジオ録音をアルバム・リリースしている。撮影:German Hasenfratz,(via Andreas Brunner-Schwer)

  しかし、ベテラン・レコード・プロデューサーであり、モザイク・レコードの総帥として、ジャズ復刻盤の金字塔を打ち立てたマイケル・カスクーナが持ち込んだ、巨匠ギタリスト、ウエス・モンゴメリーの初期のテープにより、状況は一変する。このテープを2012年にアルバム<Echoes of Indiana Avenue>として発表したことを契機に、< Bill Evans -- Live at Art D'Lugoff's Top of the Gate >や、サックス、フルート奏者、チャールズ・ロイドの初期の音源を2枚のアルバムとして相次いでリリースすることになる。

 組織内の音源修復とマスタリング部門を統括するクラビン氏と並ぶ "レゾナンス"成功の仕掛け人が、総支配人ゼヴ・フェルドマンだ。根っからのジャズ・マニアであり、ポリグラムやコンコードといった大手レコード会社の営業部門に勤務してきた彼は、クラビン氏に要請されるまで、よもや自分がアルバムのプロデュースを担当するとは思わなかった。

 今年の夏、フェルドマン氏はグリニッジ・ヴィレッジでコーヒーを飲みながら、以下のように語った。

 「往々にして、私の情熱は、自分のキャリアの妨げとなってきました。昇進ができなかったり、就職を断られたこともあります。私のエネルギーと熱弁に、相手が怖気づいてドン引きしちゃうんですよ。」

逆に "レゾナンス"では、この性癖が功を奏した。彼に課せられた重要任務は、権利関係や使用許諾といった「交渉」であったからだ。

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左から:スティーブン・ウィリアムス、シャーリー・ホーン、チャールズ・エイブルズ:ホーン、このメンバーによる1988年のライブ盤も今年の新譜。
写真:米国議会図書館蔵

 

 マイケル・カスクーナは感嘆をこめて彼を語る。
「ゼヴは闘犬みたいな奴だ。これまで、我々の多くが骨折り損だと思い手を付けなかった案件を、持ち前のエネルギーのせいか、非常に合理的な根拠のせいか、とにかく彼は、どんどん話をまとめて、次から次へと奇跡を起こしてみせるんだよ。」

レーベルの新作には、ピアニスト、ジーン・ハリス率いるソウル系ジャズ・トリオ、"スリー・サウンズ"、"ファンク・ブラザーズ"のギタリストとして有名な、デニス・コフィーのライブ盤もある。(両作品は"ブラック・フライデー"にLP限定で発売され、来年1月13日にはCDとして幅広く販売される。)

"レゾナンス"の新年発売予定ラインナップ中、最大の注目作は、エレクトリック・ベースの巨匠、ジャコ・パストリアス率いるビッグバンドのアルバム< Truth, Liberty & Soul -- Live in NYC: The Complete 1982 NPR Jazz Alive! Recording >で、4月の「レコード・ストア・デイ」にリリースが予定されている。これらを含め全新譜のアルバム作りがレーベルのポリシーに沿ったものであることは言うまでもない。

クラビン氏は「毎回、ここまで手間暇かけて制作するのは本当に難しい。」と、自らの経営モデルを語るが、笑いながら次のように付け加えた。
 「誰かが同じような事をやりたいと思っても、やめといた方がいいと説得された挙句、尻尾を巻いて退散するのがオチだろうね。」

氏はさらに語る。「私たちの仕事は、まさに社会奉仕なんだ。これらの素晴らしいレコーディングを、このようなかたちで発表して、天から贈られた音楽の贈り物をこの世に復活させている。皆さんに楽しんでほしいという願いを込めてね。」 

訳:寺井珠重

 

2016年8月 4日

対訳ノート(48)You'd Be So Nice to Come Home To

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Cole Porter (1891-1964)

=歌のお里=

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  "You'd Be So Nice to Come Home To" は言わずと知れた超セレブソングライター、コール・ポーターの作詞作曲。ブロードウェイの舞台裏を描くコメディ-映画『Something to Shout About』('43)の劇中歌で、主役、ドン・アメチーが、この歌でヒロインを口説くものの、「プレイボーイのあなたは、女の子を見れば誰でも追いかけまわしているのでしょ。」と軽くいなされる。映画はコケたけど、この歌はオスカーにノミネートされ、多くの歌手や楽団がカヴァーした。中でも映画と同年にリリースされたダイナ・ショア&ポール・ウェストン楽団のレコード(メリルのヴァージョン同様、ヴァースなし)は、ヒットチャートに18週間ランクイン、ソングライターとして最大のライバル、アーヴィング・バーリンの<ホワイト・クリスマス>を追い抜き、ポーターは大いに溜飲を下げた。ジャズ・ファンに愛され続けるヘレン・メリルのヴァージョンはそれから10年以上後に録音されたものです。

 当時、この歌がヒットした理由は?
 -「歌詞哀愁を帯びたメロディーが、戦争のため、愛する人と離れて暮らす何百万という男女の共感を呼んだから。」- 伝記《Cole Porter/ A Biography (Charles Schwartz著)より。

 それなら、やっぱり歌詞を調べよう!コール・ポーター詞の特徴は、クラシックでエレガントなことばと、口語や新語が絶妙のさじ加減で混ざり合い、独特のリズムと洒落た味わいを生み出すところ。だから英語を母国語としない私たちには難しい!

=エイゴの話=

 最大の難関は、巨泉さんでさえ誤ったタイトル・フレーズ、You'd Be So Nice to Come Home Toこのことばで歌(Refrain)が始まり、終わる。当初、歌のタイトルには、いくつか候補があり、結果的に、このフレーズを題名とした。歌の肝!英語の意味をチェックしてみよう。

 (1) You'd は、ご存知のようにYou wouldの略、ここでの wouldは、現実と異なる空想や願望を表す。

 (2) You'd Be So Nice to Come Home Toの末尾の 'To'は目的語を導く前置詞、なのに目的語自体がないのは、それが主語と同じだから。こういう場合は、目的語を入れてはだめ。受験英語サイトを見ると、そういうのは「欠落構文」と呼ぶらしい。先月見かけた、英デイリー・テレグラフ電子版の見出しが欠落構文だった。"This is the kind of music you should listen To at work. "(仕事の能率向上に役立つ音楽ジャンルはこれ!) 

(3) 次によくわからないのが 'Come Home To You'ということばの意味。'come home'なら'家に帰る'だけど、そこに'To you'が付くとどうなるの?私が調べた英和辞書には、イディオムとしての適切な説明はなかった。そこで、ネイティブ用の便利な無料辞書サイト、The Free Dictionary.com を調べてみる。すると、以下のような記述が!

come home to someone or something

to arrive home and find someone or something there.( 帰宅して、'to'以下の人、あるいはそれ以外の何かを見つけること) 

  これだ!'Come Home To You'とは、「自分の家に帰ると、あなたが居る。」という意味だったのだ。つまりYou'd Be So Nice to Come Home Toは、「僕が家に帰ったとき、もしも、誰かが僕の家に居てくれるとするなら、そして、その誰かが、もしも君なら、すごく素敵だろうなあ...」となり、直訳すると、詩的と言うには程遠い、やたらと回りくどい愛の表現になるのだった。

  巨泉さんは、この題名の正しい意味は『あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ』としていた。そして、大戦下でヒットしたのは、『戦争のために、愛する人と離れ離れで暮らす何百万という男女の心にアピールした』から。どうやら、ずいぶん近づいてきたみたい。

 それでは、この言葉は、映画のように、男から女への口説き文句であり、「早く戦争が終わって、恋人の待つ故郷へ、或いは妻の待つ家に戻りたい!」という男たちの気持ちを語る歌なのだろうか?十年ほど前、私はそう確信し、『Ella at Juan Les Pain』でエラが快唱するこの歌の対訳を作ったのだけど...もう一度しっかり確かめておこう。 

=ネイティブに訊いてみた

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 持つべきものは友!米国に進出する日本企業のために、膨大な和英翻訳をこなすプロ中のプロフェッショナルであり、サックスでジャズ、ヴァイオリンでクラシックと幅広い音楽活動を続ける私の翻訳パートナー、ジョーイ・スティールさん(在サウス・カロライナ)は、私の疑問をいつも解決してくれる魔法使い。日英の比較言語とジャズの両方に精通するジョーイさんに、歌詞の本当の意味を訊いてみた。日本語検定一級の彼でも、英語のニュアンスを伝えるのは英語。驚いたことに、これは「プロポーズの言葉」だと、教えてもらいました。以下は要約。 

1.要するに、プロポーズの歌だよ。 

2.この歌の時代は、男性が外に出て働き、女性は主婦、というのが一般的だった。'仕事で疲れて家に帰った僕を、君が迎えてくれれば、どんなにいいだろう!'言い換えれば'一緒になろう、結婚して!'ってこと。明らかに、男性から女性に向けた歌詞だよ。もちろん女性が歌っても問題ないけどね。 

3.結婚したカップルの間で、夫が妻にこのセリフを言う?それは、絶対あり得ない。例え離れ離れの夫婦でも考えられない。勿論、夫が戦地に居る夫婦がこの歌詞にグッとくるというのは、十分納得できるけどね。あくまで、「日常の夫婦生活に戻る」という意味じゃない。一緒に住もう、結婚しよう、という意味。

 *英語に関する質問サイトに日本人が投稿した同様の質問に対して、英国人女性がやはり「プロポーズ」という言葉で説明していたから、一般論として間違いないでしょう。

=リアリティ・ギャップ=

 結局のところ、「帰ってくれたら嬉しいわ」よりも「あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ」の方が正しいけれど、英語を母国語とする人々の意味するところよりも広義だった。言語のリアリティ・ギャップは至る所にある。状況証拠に気を取られずに、謙虚にならなければと自戒。

515332000.jpg 一方、戦時中の男女の心をわしづかみにした歌の陰には、コール・ポーターの秘められたリアリティがあった。ポーターはバーリンと並ぶほどの愛国者として知られているけど、自分が戦地に居たわけじゃない。ポーターはすでに50才を過ぎ、落馬事故によって両足の自由を奪われて5年の歳月が経っていた。それどころか、真珠湾攻撃が勃発したのは、左足の再度の大手術とリハビリからようやく退院した翌月だった。

 今の言葉で言うとLGBTだったポーターの奔放な男性遍歴の中でも、最愛の恋人(の一人)とされるネルソン・バークリフト(右写真 Getty Imagesより)は、この歌は'僕たちの歌'、つまり二人のロマンスを基に作られたと証言している。

 ダンサー、俳優、振付師であったバークリフト(1917-1993)は、ポーターより二回り年下だ。二十歳そこそこで俳優を目指しヴァージニア州からNYにやって来た。ポーターと親密になったのは、ブロードウェイで役が付き始めた'41年頃だ。芸能界の超大物で大金持ちのポーターは、彼にとって、願ってもない後ろ盾だったはず。

 ポーターは、この若者に夢中になった。足の自由を奪われ、合併症に苦しむポーターの目に、若く健康でしなやかな肉体を持つ美青年は、愛らしく眩しいものだったに違いない。ポーターから彼に送られた膨大な手紙や電報は、デート場所を記した走り書きのメモに至るまで、ポーターの死後公表されていて、一部を伝記で読むことができる。 

f99014b379ebfe6154dc5746f952adf7.jpg 1942年、バークリフトはポーターの元を離れて、陸軍に入隊した。耐え難い寂しさを味わうのは専らポーターだった。逞しい若者がわんさか居る軍隊、勿論、軍隊にはゲイも居る。いろいろ浮名を流す年下の恋人の帰りを待つポーターは、"My可愛いlittle兵隊soldierさんboy"に宛てて、残された寂しさや、臆面もない愛の言葉、時には嫉妬や非難の言葉を書き送っている。ポーターはLAとNYに複数の屋敷を所有し(戦前はパリにも)、ビヴァリーヒルズに近いブレントウッドの邸宅には、バークリフト専用の部屋が用意されていた。

 コール・ポーターの時代のアメリカでは、同性愛は違法、だから彼の嗜好はひた隠しにされた。リンダという妻を娶り、妻との「友情」は美化され語り継がれているけど、真相は本人しかわからない。彼はしばしば夫婦旅行にボーイフレンドを同行させることもあった。お気に入りのボーイフレンドを自宅近所のアパートに囲ったり、セレブ達で共同経営する高級クラブの支配人に据え、そこで別の男の子とデートしたり・・・毎日昼間から、プールサイドで男だけのパーティ三昧...私のような庶民には、面倒臭いとしか思えないけど、セレブだけに許されるゴージャスな享楽を謳歌した。実際のとこと、24時間介護してくれる使用人なしでは、トイレや着替えも難しいことも、ひた隠しにした。

 彼の恋の相手は、このバークリフトだけでなく、ロシア人建築家からトラック運転手まで、数え切れないほどいたけれど、一生を共にする相手には恵まれず、孤独な死を迎えている。

 戦時下の大多数の男女と、コール・ポーターの事情には、少しばかりのギャップがあるけれど、<You'd Be So Nice to Come Home To>が、大きな共感を巻き起こしたのは、ドロドロの愛憎を上手にクローゼットにしまい込み、美しいところだけを見せるという、プロフェッショナルなソングライターとしての手腕の賜物だったのか?或いは、戦地に行った愛する人への想いは、誰でも同じということなのだろうか?

=暖炉のメタファー=

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 コール・ポーターの権威、ロバート・キンボールの解説に、この疑問に対するヒントがあった。〝当初、この曲には複数の仮題が付けられていて、その中の一つが<Something to Keep Me Warm (僕を温め続けてくれるもの)>である。"というのです。恐らく、このタイトルがボツになったのは、アーヴィング・バーリンによる'30年代のヒット曲、<I've Got My Love To Keep Me Warm >を連想させるからでしょう。もしも、このタイトルだったら、歌手たちは、二行目の"You'd be so nice by the fire"を強調して歌ってたかも。この言葉、単純に訳せば「暖炉のそばの君は素敵だろうな。」になる。でも、この歌が「プロポーズの言葉」であるからには、「暖炉のそばの君」の意味はとても深い。

 寒い冬の夜、一人暮らしの我が家に帰ると、家の中は暗くて寒い。でも「君」と一緒になれば、明かりが灯り、暖炉で温まった家が「僕」を待っていてくれる。

 赤々と燃える暖炉は、仕事の疲れを癒し、すさんだ心を温めてくれる「君」の象徴、コール・ポーターが、いくつ屋敷を所有し、どれほど恋をしようとも、母親以外の誰に求めても得られなかった、「ぬくもり」の象徴ではなかったのかな?

=You'd be So Nice to Come Home To=
作詞作曲 Cole Porter (1943)

You'd be so nice to come home to,
You'd be so nice by the fire,
While the breeze, on high, sang a lullaby,
You'd be all that I could desire,

Under stars, chilled by the winter,
Under an August moon, burning above
You'd be so nice,
You'd be paradise to come home to and love.
 

家に帰って、君が出迎えてくれたなら、とても素敵だろうな。

暖まった暖炉のそばに君が居れば、もう最高だろうな。

心地良く吹くそよ風が子守歌を歌ってくれても、

僕の願いは君と一緒になることだけ。

凍てつく冬の星の下、

8月の燃える月の下、

いつも君と一緒なら、素敵だろうな、

最高に幸せだろうな、

僕を待つ、愛する伴侶が君ならば。

 戦争を体験した昭和の文化人、大橋巨泉さんは、「遊び」を、トコトン真面目に追及する楽しさを教えてくれました。この対訳ノートを、大橋巨泉さんに捧げます。合掌

  • 参考文献 

    COLE PORTER / A Biography by William McBrien / Alfred A. Knopf 1998刊
    The Complete Lyrics of Cole Porter by Robert Kimball / Da Capo Press 1992刊
    Cole Porter: A Biography by Charles Schwartz / Da Capo Press 1979刊

 

2016年7月29日

巨泉さんを偲ぶ/対訳ノート(48)You'd Be So Nice to Come Home To

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 大橋巨泉さんが亡くなった。「野球は巨人、司会は巨泉」...巨人は別として、11PMは、勉強するふりをして観ていた教養番組でした。クイズダービーなど、それ以降の人気番組は、こっそり見る必要がなくなったので、あまり印象にありません。

 11PMの巨泉さんは、ジャズや麻雀、釣り、北欧のフリーセックス事情だけでなく、歌舞伎や落語にもやたらに詳しかった。黒縁メガネのぽっちゃり顔とハイカラーのワイシャツ、ほどの良い毒舌...今思えば、巨泉さんのロール・モデルは、米国のTVタレント、スティーヴ・アレンだったのかもしれない。


Steve_Allen_-_press_photo.JPG 全米ネットワーク番組<The Tonight Show><The Steve Allen Show>で人気を博したアレンは、ジャズにも造詣深く、レイ・ブラウン(b)の十八番"グレーヴィー・ワルツ"の作曲者としてグラミー賞までもらっている。一方、巨泉さんがジャズ評論を辞めたのはコルトレーンの出現のためだった、と言われている。でも、亡くなる前に出演された関口宏のインタビュー番組「人生の詩」で、「ジャズ評論より、TVの放送作家のギャラは桁違いだった...」というようなことを仰っていたから、コルトレーン云々は江戸っ子の見栄だったのかもしれない... 合掌。

helen_1.jpg 巨泉さんが亡くなって一週間ほど経った7月21日は、ヘレン・メリルの生誕86周年らしく、ネット上で<You'd Be So Nice to Come Home To>が盛んに紹介されていた。昔見た大橋巨泉さんのジャズ番組で、こんなことを言っていたのを思い出す。

 「<帰ってくれたら嬉しいわ>という邦題があるけど、あれはゴ・ヤ・ク!ほんとうは、<君の元に帰っていけたら幸せ>って意味なんだよ。まったくバカがいるね。」

 後で夫に、この誤訳の主が大橋巨泉その人であることを教えてもらった。調べてみると、お嬢さんでジャズヴォーカリストの大橋美加さんが、自著エッセイで、父上が自分の誤りを正すために、さまざまなメディアで発信していたということが書かれている。

「この歌に、当時≪帰ってくれたらうれしいわ≫という邦題をつけた私の父は、最近テレビや文章の中で、しきりにそれが若かった自分の誤訳で、正しい訳は『あなたの待つ家に帰っていけたら幸せ』という意味であると伝えている。・・・」(『唇にジャズ・ソング』('98,7月刊)より 

 ともあれ、「NYのため息」と言われたスモーキーなヘレン・メリルの歌声とクリフォード・ブラウンの艶やかなトランペットのコントラストによって、この歌は<帰ってくれたら嬉しいわ>として日本で大ヒットした。私を大人のお楽しみと、ジャズの世界に導いてくれた巨泉さんを偲び、この歌を調べてみることにしました。(つづく)

2016年7月14日

翻訳ノート:フレッド・ハーシュ『サンデイ・ナイト・アット・ザ・ヴァンガード』

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  ピアニスト、Fred Herschは、寺井尚之の盟友、ドラマー、Akira Tanaさんや、ジョージ・ラッセルの愛弟子であったギタリスト、布施 明仁さん(在マレーシア)と同じ、ニューイングランド音楽院出身。ハーシュさんを初めて聴いたのは1970年代終盤、六本木のクラブにRed Mitchell(b)と出演した若手時代ですから随分昔のことです。

FH.jpg フレッド・ハーシュは1955年、コネチカット州シンシナティ生まれのシンシナティ育ち。アイオワ州きっての名門、グリネル・カレッジ在学中、ジャズに傾倒し、中退してニューイングランド音楽院に入学、ジャッキー・バイアード(p)に師事しました。

 ジャズ・シーンでトップ・ランナーとして輝かしい経歴を誇るハーシュは'90年代、その当時、死に至る病とされていたHIV(エイズ)に感染、、2008年には、関連疾患のために、演奏活動はおろか、2ヶ月間昏睡状態に陥り、生死の境をさまよいました。しかし、周囲の献身的な努力もあり、死の床から生還し、見事にカムバックを果たします。独自の音楽世界に一層の磨きをかけると同時に、エイズ撲滅の闘志として、様々なチャリティー活動を行っています。その一環として、ハーシュが昏睡状態の中で観た夢を舞台化した『My Coma Dreams』(2014)や、闘病経験をテーマにしたドキュメンタリー『The Ballad of Fred Hersch』も発表されているようで、一度見てみたいものです。

  そんなフレッド・ハーシュの最新盤は、特別な思い入れのあるジャズクラブ、<ヴィレッジ・ヴァンガード>でのライブ録音。彼自身が書いた誠実さ溢れるライナー・ノートを、ご縁があって翻訳させてもらいました。レギュラー・トリオならではの良さが溢れる、素晴らしいアルバムで、日本語解説書には、彼がライブ録音を行った週の、完全セットリストが付記されていて、日本語版ディレクターの熱意もまざまざと伝わってきます。

 ぜひご一聴を!

 日本盤<キングインターナショナル>のサイトはこちら。

 

2016年4月12日

翻訳ノート:ビル・エヴァンス『サム・アザー・タイム:ザ・ロスト・セッション・フロム・ザ・ブラック・フォレスト』

 bill1006950053.jpg 1968年、ビル・エヴァンス・トリオ(エディ・ゴメス-bass, ジャック・ディジョネット-ds)が、モントルー・フェスティヴァル出演の5日後、ドイツ南部の小さな村、通称<ブラック・フォレスト>にあるMPSスタジオで録音していたことは、これまで知られていませんでした。その幻の音源は、森の中で半世紀近い眠りにつき、やっと日の目を見ることに!

 『Some Other Time : The Lost Session from the Black Forest』のリリースを実現させたのは、ジョン・コルトレーン、ウエス・モンゴメリーの歴史的音源を世に出した実績のある<Resonance Records>で、日本盤が<キング・インターナショナル>から先行発売されたところです。

 エヴァンスは、もとよりライブ盤が多く、スタジオ録音自体が希少、ディジョネットがエヴァンス・トリオに在籍したのは僅か6ヶ月、このメンバーでの唯一のスタジオ録音であり、それも最高に趣味の良い音質に定評のあるMPSのレコーディングですから、ファンの興味は尽きません。

 日本盤もオリジナル盤も、音楽内容に相応しい豪華パッケージで、貴重な演奏写真やポートレートも一杯!日本盤には、岡崎正通氏が書き下ろされた明瞭で奥深い日本語ライナー・ノートが加わり、光栄な事に、それに続く英文ブックレットの翻訳を、A&Rディレクター、関口滋子氏の監修の下で担当させていただきました。

 「世界の発掘男」の異名を取るゼヴ・フェルドマンの熱血プロデューサー・ノート、共演者、エディ・ゴメス(b)とジャック・ディジョネット(ds)のロング・インタビュー、元MPSのスタジオ・マネージャーであったフリードヘルム・シュルツのMPS物語、人気ジャズ・ブロガー、マーク・マイヤーズによるビル・エヴァンス論など、充実した内容は、さすがです。

 私も、翻訳の過程で、これまで知らなかった欧米のジャズの歴史を色々学ぶことができました。ぜひご一聴、ご一読を! 

 ビル・エヴァンス・トリオ:『サムアザータイム:ロストセッション・フロム・ザ・ブラック・フォレスト』

日本盤好評発売中:キング・インターナショナルHP http://www.kinginternational.co.jp/jazz/KKJ-1016/