2010年9月 2日

カーメン・マクレエ解説本できました!

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 8月1日の日曜セミナー、「カーメン・マクレエ講座」多数お集まりいただき、誠にありがとうございました!

 講座にお越しになれなかった方、ノートを取れなかった方々のために、解説&対訳が、それぞれ冊子になりました。OverSeasのマスコット、ビバップ・ライオンくんも嬉しそう。

 解説曲は初期のアルバム、『By Special Request』('55)から晩年の傑作『Carmen Sings Monk』(''88)まで。ジャズ・スタンダードからポピュラー、シャンソンまで幅広いジャンルのベスト歌唱を寺井尚之が厳選!「イエスタディズ」「月光のいたずら」「思い出のサンフランシスコ」「Never Let Me Go」「サテン・ドール」「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」「わが恋はここに」「カーニバルの朝」などなど選りすぐり全34曲!

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 女優系ヴォーカリストというのは、私が勝手に作ったカテゴリーですが、それは決して女優さんのような美人ヴォーカリストということでなく、歌詞をしっかり読んで、しっかりと唄の心象風景を作り上げてから、表現する歌手ということです。その意味では、シャンソンの偉大な歌い手達と共通しているかも知れない。ジルベール・ベコーの「Too Good」が講座で大好評だったのも当然かも。カーメン・マクレエの終生のアイドル、ビリー・ホリディも、やっぱり女優系。たった数分の歌唱に、映画一本観たような余韻が残ります。逆にエラ・フィッツジェラルドは、どんな唄を歌おうとも常に「エラさん」だし、サラ・ヴォーンのアプローチは、より音楽的で官能的と思う。

 「月」や「星」や「恋」の歌でスタートした美人歌手カーメン・マクレエは、中年期から、女らしさをかなぐり捨てて、声も表現も、アンドロジナス的に変貌して行きます。ブラック・パワー・ムーヴメントが顕著になる70年代は、『月や星の唄』にはうんざりだと述懐しているけれど、'80年代の円熟期に入ると、再び『月、星、恋』のトーチ・ソングに回帰して、初期とは全く趣の異なるドラマを構築しています。

 カーメン・マクレエという不世出の歌手の変遷を一望できるカーメン・マクレエ解説本、ぜひ、唄を聴きながら読んでみてください。

 寺井尚之ジャズピアノ教室参考書のページはこちらです。

「カーメン・マクレエ歌唱 歌詞対訳書」

解説本 ¥3,150(税込)
歌詞対訳集(全34曲) ¥3,150(税込)

 次回日曜セミナーは9月19日(日) 「JAZZ初心者のための講座」 まだ観ぬ初心者の皆さんにぜひご参加いただきたいです!神奈川県の若きピアニスト、コシケン君も待ってるよ!皆様もぜひぜひご来場くださいませ。

CU

2010年8月 5日

日曜セミナー:カーメン・マクレエを聴く

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 酷暑の毎日、心より暑中お見舞い申し上げます。ビールを沢山飲んでから、熟睡できずに夜明けに目覚めると汗ぐっしょり・・・グッドモーニング・ハートエイクというより、グッドモーニング・ナイトスエットって感じです。

 日曜日に開催された寺井尚之ジャズピアノ教室生徒会主催セミナーで聴いたカーメン・マクレエは、哀しい歌でも不思議にメソメソした趣がなく、それ故怖くもあります。でも寺井尚之の解説と共に、皆さんと一緒に聴けるのはほんとうに幸せなことですね!

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 寺井尚之はマクレエの歌唱に於ける「温度」の低さと、年齢を重ねるにつれて男性へと変化していく「セクシュアリティ」を強調していましたね。

gardenia.jpg ビリー・ホリディを「理想の歌い手」として、彼女の芸風を学び尽くし、自分の「個性」を作り上げたことへの共感にはとても納得。寺井はセミナー終了後、今回紹介した34の歌唱のうち、一番良かったのは、晩年のアルバム、"For Lady Day"からのトーチソング・メドレー(If You Were Mine~It's Like Reaching for the Moon)だったと述懐してました。

 セミナーの付録として訳した、アーサー・テイラー(ds)著"Notes and Tones"のインタビューの中で、当時48歳の彼女は、スタンダード曲の歌詞が「月と星と恋愛」ばかりでうんざりしていると語っています。ところが、このメドレーはどちらも「月+星+実らない恋愛」の歌、それ以外には何もない、シンプルなトーチソングでした。模索を続け、結局、最初に戻るというのはマクレエのみならず、トミー・フラナガンもそうだった。アーティストの変遷を考える上で非常に興味をそそられます。なお、このインタビューは、現在カーメン・マクレエのサイトにフルテキストが掲載されています。和訳をご希望の方はどうぞ。

 不思議なことに、マクレエ・セミナーの直前はトラブル続き、寺井尚之が指を怪我したり、製氷機が故障したり、挙句の果てにセミナーで対訳を映写するプロジェクターのランプが開講30分前に切れてしまったり・・・一方、対訳を作っている私は、愛を失うこと=「死」であるような、壮年以降の瀬戸際的な歌詞解釈と、自分の母親が抱えている哀しさが、奇妙に相互リンクを張ってしまい、胸が痛くて壊れそうになりながら仕事してました。

 何はともあれ、セミナーで皆さんとご一緒にカーメン・マクレエ芸術を鑑賞することで、禊(みそぎ)になったような気がしています。

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 参加してくださった皆様、心よりありがとうございました。

 音源や情報を提供して下さったG先生は、セミナー前日に元マクレエの伴奏者だったウラジミール・シャフラノフ(p)さんにお会いして、色んな裏話を仕入れてくださっていたので、また別の機会にゆっくり皆でお話聞きたいです。おやつのさしいれもありがとうございました。

 メインステムの宮本在浩(b)、菅一平(ds)両氏もありがとう!

 またジャズ講座発起人、ダラーナさま、来週(土)のジャズ講座の為に大急ぎでプロジェクター・ランプ調達してくださってありがとうございました!

 参加してくださった京都のKMさん、ダグのライブはベーシストのピーター・ワシントンが良いアルバムと言っていたそうですので、元気出してください!

 そして生徒会あやめ会長、むなぞう副会長、セミナーのプロデュースありがとう!土壇場のコピーなど、大変お疲れ様でした!


 なお、セミナーの模様は後日冊子になる予定です。どうぞお楽しみに!

 明日は鉄人デュオ!皆で聴きましょうね!

CU

2010年7月15日

カーメン・マクレエ・セミナー対訳準備中

macrae_seminar.JPG 今週は大荒れのお天気でしたね。昨日は通勤時に物凄い雨が降ったようです。夜中に大雨が降るので熟睡できないし、皆様バテバテになっていませんか?

 8月1日の日曜セミナーの為に、講師:寺井尚之が厳選したカーメン・マクレエの歌唱は若き日のディック・カッツ(p)さんが伴奏する『By Special Request』('55)から、晩年のビリー・ホリディ集『For Lady Day』まで、カワイコちゃんシンガー(a girl singer)と言われていた時期から、"おっさん"と間違えられる時代まで、今のところ、全34曲。「いつ対訳くれるねん?」というドスの効いた取立てに泣きながら、さきほどようやく初稿の紙出しが終わったところです。

sammy_carmen.JPG 寺井尚之が解説しやすいように、草稿に加筆していくので、対訳作業はここからがやっとスタート地点。初期のレコーディングには、サミー・デイヴィスJr.との漫才みたいに楽しい掛け合いが聞ける「お目にかかれてうれしいね」など明るいものもあるのですが、マクレエの本領は、やはりトーチソングの悲劇性。何でもなさそうな「一言」に、強い痛みや、皮肉を込めるのがカーメンの必殺技なので、対訳を作っていると、私まで失恋したみたいな気持ちになって胸が痛~くなってしまうのです。

 仕事や勉強以外で毎日2時間以上インターネットを使っていると、ネット依存症(Digital Addiction)になってしまうそうですが、このまま毎日何時間もマクレエの歌詞を翻訳していると「失恋依存症」になってしまいそう・・・

 マクレエが歌を一生の仕事に選んだきっかけは、譜面がだめなビリー・ホリディの為に、新曲を歌って聞かせる「下歌い」をしたことから、弟子として、友人として彼女の一挙一動を見習ったことだったそうです。ところが、ビリー・ホリディの十八番を歌う時でさえ、ホリディ・フレーズのコピーはどこにも見つかりません。逆に、8月のジャズ講座で取り上げる阿川泰子さんのアルバムでは、慣れ親しんだホリデイの節回しがモロに出てくるので、二つの講座で聞き比べると面白いかも知れません。ホリディに心酔して、身も心もどっぷり浸かったカーメン・マクレエの歌には、表面的なスタイルでなく、そのエッセンスが昇華されているように思えます。

 寺井尚之のプレイにも、フラナガンのコピー・フレーズはほとんどないですから、その辺りもたいへん興味深い。

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 カーメン・マクレエの歌詞解釈が判っていただけるような対訳を目指して、これからさらに磨きをかけていく予定です。

 ぜひ、日曜講座にお越しください!

<Carmen McRae講座>

日時:2010年8月1日(日)

時間:正午~3:30予定

受講料:2,500円

 今週土曜日は寺井尚之メインステム3!お勧め料理は「蒸豚&チヂミの盛り合わせ」を!

CU

 

 

2010年7月 1日

対訳ジゴク Again・・・

 日本列島がW杯に熱狂してるうちに7月到来!皆様、寝不足と暑さでバテていませんか?野球は好きでも、サッカーは全く音痴の私、やっと「オフサイド」の意味が判った夜に、岡田ジャパン惜敗、「よく頑張った!」と激励したいけど、疾走する選手達の一瞬の動きが和音なのか不協和音なのかよく判らないし、まだまだサッカー本来の「醍醐味」は味わえてません。

 ジャズも然り、ジャズに興味を持ち始めた方が、ジャズ本来の「醍醐味」を味わうためには、ライブや名盤を聴くときに、音楽の仕組みや、曲やミュージシャンの背景など知っていたら、余計に楽しいですよね!

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 ジャズの醍醐味、トミー・フラナガンの醍醐味を味わうには、ジャズ講座は絶好の機会、私の対訳業務はジャズ講座から始まりました。現在「トミー・フラナガンの足跡を辿る」はエラ・フィッツジェラルドの音楽監督時代を過ぎ、対訳の仕事は一段落だったのですが、ジャズピアノ教室生徒会の要望で、8月にカーメン・マクレエのセミナーをやることに決まり、思いがけなく対訳に明け暮れる恐ろしい日々復活。

 講師、寺井尚之がカーメン・マクレエの全ディスコグラフィーから選りすぐったのは目下34曲、実は、ずっと昔のジャズ講座創世記にカーメン・マクレエを取り上げたことがありました。その時聴いたカーメンの"Never Let Me Go"は本家ナット・キング・コールのロマンティックな味わいとは正反対と言っていい痛切なもので、頭をガツンと殴られたほど大ショックでした。「歌詞解釈」というコンセプトが身に染みたのは、その時が初めて、以来、歌詞対訳する際は、歌手の表現しようとしている意味を少しでも日本語にしてあげたいと思いながら訳しています。歌詞解釈の貧しい歌手の歌は訳していてもつまんない...そういう意味でカーメン・マクレエは最も『やりがい』のある歌い手です。嗚呼...伴奏者だったディック・カッツさんにもっとマクレエの話を聴いておけばよかった...後悔先に立たず。richard_katz.jpg


 鬼講師、寺井尚之の催促が恐ろしい...という訳で今週はブログを書く暇がない位切羽詰った状況になってしまいました。
カーメン・マクレエの前にエラ・フィッツジェラルドのサンタモニカ・シビックの未発表テイク3曲も通常ジャズ講座の為に作らなくちゃ...こちらはエラが歌詞をトチった為にオクラになっていたトラックです。歌詞をトチることでは定評のあるエラの豪快なトチリぶりも、皆で一緒に楽しみましょう!歌詞をトチっても音楽的には全くトチらないエラ・フィッツジェラルドの言葉を超える凄さが味わえると思います。

 ジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」
日時:7月10日(土) 6:30pm開講 受講料 2,500円
今月の名盤:『Blues in the Closet』(The Master Trio)
 未発表テイク from 『Aurex Jazz Festival '82 All-Star-Jam』『Live at Santa Monica Civic』

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 ;生徒会日曜セミナー「カーメン・マクレエ講座」
日時:2010年8月1日(日) 正午~3:30(予定)
受講料:2,500円(要予約)

 因みに日曜セミナーでは、久々に牛スジカレーやパウンドケーキ作る予定です!どちらも初めての方大歓迎!皆さん、ぜひお越しくさだいね。

 明日の鉄人デュオもよろしく~

 じゃあ、またカーメン姐さんの元に戻ります。CU

2010年6月10日

NYタイムズ巨匠ハンク・ジョーンズ追悼報道に非難轟々

 先週の寺井尚之バースデイは、色々お心遣いありがとうございました。摩周湖からジャック・フロスト氏が差し入れしてくださったスーパー・グリーン・アスパラはパスタに添えて皆で楽しみました。ごちそうさまです!!

 6月12日(土)のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」のOHP準備もなんとか出来てほっと一息、今回はトミー・フラナガン+ハンク・ジョーンズの最後のピアノ・デュオ・アルバム『I'm All Smiles』が登場いたします。「ジャズピアノの系譜」では同じ流派の中に併記される二人の巨匠、でも、同じ地方の同じ水から作られた極上の純米大吟醸も杜氏によって、味も香りも違うもの。火花散るセッションを寺井尚之の実況中継でお楽しみくださいね! ジャズ講座:6月12日(土) 6:30pm- 受講料2,625yen 要予約

<電子版NYタイムズ"或るジャズマン、終の隠れ家">

 NY在住のジャズ・ミュージシャンが亡くなったと知らせが来ると、まずチェックするのが電子版NYタイムズの"お悔やみ欄(Obituaries)"のページです。2001年にトミー・フラナガンが亡くなった時はささやかな報道でしたが、昨年グラミーの「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を受賞したハンク・ジョーンズさんの扱いはだいぶ大きなものでした。ピーター・キープニューズによる、よくまとまった追悼記事が掲載された翌日、NY市の色々なニュースをブログ形式で紹介する"City Room"のページに、ハンクさんが倒れる前に住んでいた部屋の様子が写真入りで掲載され、大きな波紋が広がりました。

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 「A Jazzman's Final Refuge (或るジャズマンの終の隠れ家)」と題されたこのブログ記事は、先日91歳で死去する直前まで現役だった伝説的ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズの賛美から始まっています。その華やかなキャリアと裏腹に、彼の私生活はアッパー・ウエストサイドの公団アパートのそのまた一部屋を間借りし、三食出前で済ます寂しい独居生活だったことに焦点を当てています。寄稿したタイムズの記者、コリー・キルガノンは、たまたま筋向いに住んでおり、亡くなった翌日に、ハンクさんに自宅の一室を貸していた大家さん(写真の人物)が掃除をするために部屋の点検をした時に立ち会って取材したということになっています。この大家さんはハンクさんの友人でもあり、現在もアップステイトの施設で暮らしていらっしゃるジョーンズ夫人の許に、ハンクさんを車で送ってあげたりするなど、色々面倒を見ていた方らしい。

 ハンマーなどの工具を使ってドアをこじ開け入ってみると、世界的なピアニストの居室は散らかっていた。ベッドは整頓されておらず、その周りにスーツケースや譜面、クラシック音楽のCD、シャーロックホームズの本などが乱雑に置かれていた・・・世界的なピアニストは、写真に写っているヤマハのキーボードで練習していたであろうことも書かれています。クローゼットをあけると、その中には、予備の電球、ブランド物のネクタイやスーツ、最高級シャンペンや、ピアノトリオ用のパート譜のファイルなどがあったということまで書かれています。(寺井尚之は「ハンク・ジョーンズほどの名手なら練習は安物のキーボードで問題ない!頭の中にサウンドがあるから、例え紙に鍵盤を書いただけのものでも、充分練習できるんや。」と言ってます。)

 それ以外にも、「TVでスポーツ観戦しようと誘っても、一日中練習していた。」「クラシック音楽のファンだった。」というような大家さんの談話も紹介されていて、NYならではの記事からという印象でしたが、高齢でもお元気なハンクさんのことをよく聞いていた私たちには、少し意外な感じもありました。

<覗き見趣味はやめろ>

 このブログにはコメント欄があり、最初のうちは「伝説的な巨匠の素顔が垣間見れてよかったです。」みたいなポジティブなものが多かったのですが、関係者達が寄稿するにつれて様相が変っていきました。ハンクさんを個人的によく知っており、彼の公式サイトを運営するウエブ・デザイナー、マイルス・モリモト氏のコメントがきっかけになって風向きはガラリと変わります。

「こともあろうにNYタイムズのような一流メディアがハンク・ジョーンズを孤独な老いぼれのように報道するとは何と嘆かわしいことか!彼は心臓のバイパス手術を受けてから、ハートウィックの農場に一人で住むことが出来なくなったりマンハッタンで間借りしていた。認知症の奥さんをケアするには医療設備が整った施設に入れなければならない。その費用が非常に高額なため、自分は狭い部屋でつつましく生活していたのだ。

 キーボードで練習していたのは、アパートにあるピアノの調律がひどくて練習にならないのと、近所迷惑にならないように配慮していただけ。・・・自分のバイパス手術や家族の病気、弟のサドやエルヴィンに先立たれても、彼は最後までユーモアと品格を失わず、演奏で皆を楽しませたのに・・・

 さあ、タイムズさん、お次はどうする?最近なくなったレナ・ホーンのクローゼットを覗いて、整頓されているかどうかチェックするのかい?」

 これが発火点となり、共演歴のあるチャーリー・ヘイデン(b)夫妻や、ハンク・ジョーンズのマネジャーが「プライバシーの侵害、人種差別では?」と声を上げ、ボルテージは高まる一方、とうとう沈黙を守っていたハンク・ジョーンズの甥、姪にあたるサド・ジョーンズの息子さんと娘さんが「自分たちは叔父の私室の鍵を預かっていたが、部屋を開ける際、何の断りもなかった。叔父は私生活を大事にした人だったから、こういう形の報道は好まなかったはず。」
と発言。

 ハンク・ジョーンズを撮影した写真家キャロル・フリードマンたちは実名で「プライバシー侵害!大新聞がタブロイド紙みたいなことするな!!」と大合唱、ついにパブリック・エディターと呼ばれる監査役的な編集者、クラーク・ホイトがこの件について寄稿「報道というものは、常にプライバシー侵害と切っても切れない宿命がある。しかし今回はウエブログということで、紙面の記事と比較すると、編集に甘さがあったのではないか?」と今後の課題を提起して一件落着を図りましたが、実名匿名、賛否両論、どさくさに紛れてちゃっかり自己宣伝したり・・・現在もコメントは続いています。

 ハンクさんは体調を崩し、この部屋からホスピスに移られたのだから、部屋は散らかっていて当然ですよね。自分の部屋の惨状を省みると、写真の部屋は別に乱雑にも見えません。キルガノン記者は、バド・パウエルをモデルにした映画"'Round Midnight"の冒頭シーンなど、悲惨な死を遂げたジャズメンたちの歴史にステレオタイプされているところがあったのかもしれない。

 最後の住み家が大邸宅でも四畳半でも、ハンク・ジョーンズさんが巨匠であったこととは全く関係ありません。

  最後に生前のハンクさんがアップステイトの自宅でビバップについて語っている映像を見ながら、土曜日のジャズ講座を楽しみにしておいてくださいね!数年前の「敬老の日」特番で、NHKが同じこのおうちで撮影したドキュメンタリー番組を観たのが懐かしいです。こっちのほうがずっと散らかっているようにも見えますが・・・

CU

2010年6月 3日

Have You Met Mr. Jones? 追悼 ハンク・ジョーンズ

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Hank Jones (1918-2010)

 5月17日(日)大巨匠ハンク・ジョーンズさん永眠。91歳、亡くなる直前まで現役というのは本当に素敵で凄い!心からご冥福をお祈りいたします。

 学生の頃から何度生演奏を聴きに行ったか数え切れません。OverSeasにお迎えしたことはありませんが、オフ・ステージでもお目にかかるチャンスに恵まれてラッキーでした。ハンクさんはいつも笑顔でした。笑顔だからこそ、却って近寄りがたい威厳を醸し出す師匠だった。

<生い立ち>

hank_jones_094_depth1.jpg  ハンク・ジョーンズは1918年というから大正7年生まれ、トミー・フラナガンより一回り上の午(うま)年です。ミシシッピー州に生まれ、多くの黒人達がそうであったように、台頭する自動車産業の地に移り、デトロイトに近いポンティアックで育ちました。

 10人兄弟の大家族で、5人の姉妹を含め兄弟全員が音楽をたしなんだといいます。弟にサド・ジョーンズ(cor)とエルヴィン・ジョーンズ(ds)がいるのはもうご存知ですよね。

 13歳で牧師のお父さんの反対を押し切ってジャズの道に入り、80年近くの間にジャズの名盤だけでなくありとあらゆるジャンルで数え切れない録音を残したピアノ人生でした。

 米国では、チャーリー・パーカーやベニー・グッドマンの歴史的録音の共演者としてではなく、マジソン・スクエア・ガーデンのジョンFケネディ大統領の誕生日('62 5月)セレモニーでマリリン・モンローが歌ったバースディ・ソングの伴奏者として有名らしい。その時すでに45歳。

 日本では「ヤルモンダ!」というパナソニックのCMも有名だったし、関西には特にご友人が多く、お忍び来日の噂もよく聴きました。NYでは運転手つきの大きなアメ車で移動しておられたのが印象的。ジャズメンで運転手付きの車に乗っている人はベニー・カーターとハンク・ジョーンズ以外見たことない。

 トミー・フラナガンは、その端整なタッチやエレガントな芸風、多くの歴史的レコーディングの名脇役という共通点から、デトロイト時代の若い頃からハンク・ジョーンズに大きな影響を受けたように言われているけれど、実際はそうでもない。確かに弟のサドやエルヴィン・ジョーンズとはデトロイト時代から頻繁に共演した間柄だけど、ハンクさんはトミーが14歳の時にNYに進出しているし、それまでの数年間は地元の楽団に加入してミシガンやオハイオ方面をツアーしていたから、影響されようにもデトロイトでは殆ど面識がなく、ラジオでしか聴いたことがなかったそうです。

 ハンク・ジョーンズは40年代から50年代にかけて、NYジャズ・シーンで引っ張りだこの最も忙しいピアニストだったが'59年代の終わり、CBSのスタッフ・ミュージシャンとして安定した道を選ぶ。テレビ時代の幕開け!エド・サリバン・ショウなどCBSネットワークの人気番組では、姿を見ることは出来ないけれど、ハンクさんのピアノの音を聴くことは出来る。そして、コールマン・ホーキンスのグループやエラ・フィッツジェラルドなど、一流のポジションの多くは、ハンクさんのCBS加入と相前後してNYに進出したトミー・フラナガンが引き継ぐ形となった。

 ハンクさんはCBSのスタジオ・ワークの合間に、弟サド・ジョーンズ(cor)とメル・ルイス(ds)の歴史的名バンド、サド・メルOrch.など、断続的にジャズの仕事を続ける。業界で知らぬ者のない名手であるにも関わらず、脇役に徹したハンク・ジョーンズさんが主役を張ることになったのは、CBSが'70年代中盤、経営難から音楽部を解散したことがきっかけだった。'76年に、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムズ(ds)と"グレート・ジャズ・トリオ"を結成し、一躍人気ピアニストとして脚光を浴びることになる。トミー・フラナガンも同時期にエラ・フィッツジェラルドの音楽監督から独立してリーダー作を立て続けに録音した時代、寺井尚之のいう「日本のジャズ黄金期」のことです。

 そしてファッツ・ウォーラーの音楽を元にしたブロードウェイのレビュー"Ain't Misbehaven'"の音楽監督兼ピアニストとして大当たりを取り、'80年代からつい先日まで人気ピアニストとして、またジャズ界の無形文化財として活躍を続け、グラミー賞など多数の賞や勲章を授与されています。

hank and elvin john_abbot.jpgエルヴィン&ハンク・ジョーンズ

 そんなジョーンズ師匠にまつわる伝説は数多い。例えば「ハンクは家でもスーツを着ていて、背広とタキシード以外にはパジャマしか着ない。」とか、「ツアーに必ずキーボードを持参してホテルの部屋でず~っと練習している。」そういう伝説は、徹頭徹尾プロの顔を崩さなかった名手ならではの伝説だ。日本でもコンサートの後、舞台の撤収を誰よりも真っ先に手伝う巨匠の姿に感動した人は多い。また「キャンセル魔」という伝説もあった。昼間には決めていたギグを夕方に「他に仕事が入った」とキャンセル出来るというのは、本当に仕事が多い人しか出来ないことですよね。

 ジョーンズ師匠が亡くなる直前までレギュラーで共演していたジョージ・ムラーツはこんなことを言っていた。「レコーディングでスタンダード・ナンバーを指定されると、演奏しすぎてイマジネーションが沸かないからと言って、とんでもないキーで演ることがしょっちゅうあった。」

hank_george_jo_paul.jpg左からジョージ・ムラーツ(b)、ハンク・ジョーンズ(p)、ジョー・ロヴァーノ(ts)、ポール・モティアン(ds)

 トミー・フラナガンは寺井尚之に会うたびにこんな質問をした。
 「ヒサユキ、おまえハンク・ジョーンズのことどない思う?」
 私が一緒にいる時だけでも最低4回はそのセリフを耳にしたことがあります。常に同じ「くくり」で認識されることにトミー・フラナガンはひそかに抵抗を感じていたのかもしれません。

 6月12日(土)のジャズ講座にはタイムリーなことに、トミー・フラナガンとハンク・ジョーンズのピアノ・デュオの名作『I'm All Smiles』が登場いたします。寺井尚之はペダル使いの名手ハンク・ジョーンズのコンサートで「足」ばかり観ていたこともあるらしい・・・寺井だから語れるトミー・フラナガンとハンク・ジョーンズ丁々発止のピアノ・デュオ・バトル、血沸き肉躍る実況中継をお楽しみに!

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 次回はハンク・ジョーンズさんの訃報にまるわるNYタイムズの報道にまつわり、現在も続くゴタゴタについて紹介しておきますね。

CU

2010年5月13日

Emil Viklickyさん、土曜日に会いましょう!& 「究極トリオ」動画など

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 「エミル・ヴィクリツキー訪日記念祝賀会」が二日後に迫り、何やかんやドタバタしております。エミル・ヴィクリツキーさんは、明日、広尾のチェコ大使館で開催される、非公式の歓迎レセプションで演奏、「ジャズのヤナーチェク」と称されるヴィクリツキーさんの演奏を聴きに各界の著名人も来られるという噂です。

 17日は上海万博の「チェコ・ナショナル・デー」でチェコ共和国を代表する世界的なアーティストとして、バレー、クラシック音楽、人形劇などと共に出演されるそうです。

 つまりEmil Viklickyを大阪で聴けるということは、非常にラッキーなことですよ!ぜひ皆様おいでください!

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「究極」の夢から覚めていない皆様へ

 先週の「セロニカ」講座にお越しになった皆様、あの「究極」フィナーレは感動しましたね!最近私事に忙しく、インターネットを観る余裕がなかったのですが、久々にジョージ・ムラーツの助手である有望ベーシスト、しょうたんくんがSNSに投稿している日記を覗いたら、あのトリオのyoutube動画が埋め込まれているのを発見してぶっ飛びました。

 演奏は言うまでもなくトミー・フラナガン(p)、ジョージ・ムラーツ(b)、アーサー・テイラー(ds)、1985年7月 オーストリア北西にある都市、ホラブルンで3日間開催されたジャズフェスティバルの映像です。"Theme for Ernie" をピアノ・ソロで演ってから"If You Could See Me Now"をトリオでというメドレーになっています。あの頃のムラーツ兄キとA.Tの姿が懐かしい!お気に入りの白ジャケット姿、トミーの肌もツヤツヤしていて元気そう!A.Tのマドラス・チェックのシャツも見覚えがあります。あの「究極」はこんな風に演ってたと確認できるだけでも、お宝ものの映像でした。このヴェニュー、ホラブルンはエミル・ヴィクリッキーさんの故郷、モラヴィアと19世紀からオーストリア北西部鉄道でつながっていることを想うと土曜日のコンサートがますます楽しみになってきました!

 しょうたん、ええもん載せてくれてありがとう!25日からムラーツはジョー・ロヴァーノとNYバードランドだよね!しょうたんの縁の下の力持ち助かってます。よろしくね!

 もうひとつ発見したのが、トミー・フラナガン・トリオに名手アルヴィン・クイーン(ds)が加わった"Mr. PC"の映像です!

 一説に、アルヴィン・クイーンはエルヴィン・ジョーンズの隠し子とも言われていて、そうであっても不思議でないほどの実力者です。それほど知名度がないのは長年スイス在住のせい。トミーが欧州楽旅する際は、よくアルヴィンを現地採用してツアーしていました。昔、ジョー・パス、ニールス・ペデルセン、ケニー・ドリュー(p)のカルテットで来阪されたときに楽屋でお会いしたことがあります。OverSeasのボトル棚の左上に寺井尚之がアルヴィン・クイーンから送られたメッセージ入りの大型ポートレートを飾ってあるので、見覚えのあるお客様も多いかも・・・風のようにスイングする凄いドラマーでしょう!決してエディ・マーフィーじゃありませんからね!

 というわけで、忙しいといいながら動画に興奮して、時間を費やしてしまいました。

 土曜日のエミル・ヴィクリッキーさんは、残席僅かになってきました。お越しになりたい方はOverSeasまで必ずご予約お願いいたします。

CU

2010年5月10日

"セロニカ"に燃えたジャズ講座!

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 Rainy Days and Mondays always get you down...とはいえ今日から連休明けという、羨ましい方もいらっしゃるでしょうね!

 私もドタバタしていますが、先週土曜日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、フラナガン究極の名盤『セロニカ』だったので、ブログを更新せずにはいられません。

 『セロニカ』には、トミー・フラナガンが周到に用意した芸術的な意図が沢山詰まっていて、寺井尚之がとても示唆に富む丁寧な解説をしました。いずれ講座本になりますので、どうぞご期待ください。

 『セロニカ』のヴァージョンはなぜ二つあるのか?フラナガンの意図は? 
 LP、CD、色んな曲順がある中で、どれが一番大切なのか?その理由は?
 トミー・フラナガン、ジョージ・ムラーツ、アーサー・テイラーの超美技についての解説 etc...

 身振り手振りやATのドラム・フレーズのコピーを口で再現する寺井尚之はとても嬉しそう!

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 当然のことながら、沢山のジャズ通のお客様と共に、客席にはミュージシャンの姿も・・・

ippei_thelonica-2.JPG  ATの神業にのけぞる菅一平(ds)、宮本在浩(b)、あやめ会長

imaky_thelonica_2.JPG 録音時にはこの世に存在していなかった今北有俊(ds)の至福の表情、コック服の似合うピアニスト、絹こしくんもうっとり!

 講座の締めくくりには、寺井尚之の超秘蔵音源を聴き、皆で「あの頃」にタイムスリップ、究極のフラナガン・ミュージックにシビれて椅子から立ち上がれなくなった人もいました。

 感想メールも沢山頂戴して、どうもありがとうございました。

 来月はトミー・フラナガンとハンク・ジョーンズのピアノ・デュオ、『I'm All Smiles』やマスター・トリオを聴きましょうね!

CU


2010年5月 7日

ジャズ講座に「セロニカ」登場!

 明日のジャズ講座「トミー・フラナガンの足跡を辿る」にはトミー・フラナガン・トリオのアルバムの中でも最高傑作と言いたい一枚『Thelonica』が登場します。

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 百万弗トリオ、黄金トリオ、皇帝トリオ、GJT、・・・古今東西、名トリオは色々あるけど、私のThe Trioはこれ!トミー・フラナガン、ジョージ・ムラーツ(b)、アーサー・テイラー(ds)のこのトリオの印象がなんと言っても強力なんです。それはOverSeasで生を聴いたからかも知れません。セロニアス・モンク没後、トミー・フラナガンがモンクとパノニカ男爵夫人の稀有な友情をテーマに上梓したこのアルバムは、所謂『企画もの』とは全く違い、芸術家トミー・フラナガンの叡智が一枚のレコード盤に凝縮されたような印象を受けます。セロニアス・モンクの表面的なアクを取り去ると、こんなに優しく美しい音楽になるんですね。日本料理の最高の汁椀の味や香りのように、静謐でありながら華やか、枯淡の極致ようで生命力に溢れています。ブラック・ミュージックの品格とはこのようなものなのでしょうか。

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 上の写真は『Thelonica』録音の翌々年、OverSeasでこのトリオが演奏した時のもの。

 ジャズ講座では、寺井尚之しか語れない切れ味鋭い音楽解説や、当時の逸話が沢山お聞きになれると思います。

 ぜひ皆で一緒に楽しみましょうね。

お勧め料理は、暖かくなってきたので、皆さんのお好きな「蒸し豚」にナムルやチジミを添えてお待ちしています。

CU

2010年4月15日

キム・パーカー(vo):家族の肖像

  夏と真冬を行ったり来たり...ベランダに満開のフリージアも今日はとっても寒そう。冷害で春野菜もなかなか口に入らないし、ひどい風邪も流行ってるみたいだし...体調は大丈夫ですか?

 先週のジャズ講座は、Aurex Jazz Festival '82のライブ盤が一番人気!クラーク・テリー、デクスター・ゴードン、J&カイなどドリームチームの快演と、実際コンサートの客席にいた寺井尚之の迫真の実況中継で、ジャズ講座ごと会場に行った気分!ほんとに楽しかった!

 このアルバムのインパクトが余りに強烈で見過ごされてしまったのがキム・パーカー(vo)の『Good Girl』。G先生だけは彼女の選曲に大いに意義を見出してくださったものの、歌詞の聞き取りに苦心惨憺した割には実り少なし...まあいいか。

 歌手キム・パーカーの評価は講座の解説に委ねるとして、私が興味を覚えたのは、チャーリー・パーカーとフィル・ウッズという二人の偉大なアルト奏者を父と呼んだ彼女の家庭環境です。ジャズ史上最高の天才チャーリー・パーカーをパパにするってどんな風なのだろう?

<チャン・パーカーという母>

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 キム・パーカーはチャーリー・パーカーの実の娘ではなく、内縁の妻だったチャン・パーカーの連れ子です。チャンはユダヤ系の白人、コーラス・ガールで当時ジャズのメッカだったNY52番街のすぐ近くで生まれ育ったチャキチャキのNY娘、パーカーが愛した女性達の中で唯一、彼を「バード」と呼んだ女と言われ、極めて強い個性が私にダイアナを彷彿とさせます。'50年代ですからNYとはいえ黒人と白人のカップルは音楽の世界を一歩出ると、世間の風当たりはさぞ厳しかったことでしょう。二人の間に出来た娘が病死したのが原因で離婚、その数ヵ月後にバードも他界。彼女の手元には殆ど遺産らしきものはなかったそうです。2年後にパーカーを崇拝するアルト奏者、フィル・ウッズと再婚。'83年に離婚してからはパリ郊外に居住、作詞作曲家としても活動し、1999年にキムと、フィル・ウッズとの間に出来た息子、ガーフィールドに看取られて74歳の生涯を閉じました。
chanparker.jpg 彼女の自伝《My Life in E♭》が出版されていると知ったので一度読んでみたいと思います。またチャーリー・パーカーの生涯を描いた映画《バード》(クリント・イーストウッド監督作品)の脚本は、チャン・パーカーの回想が基になっているので、興味のある方は一度ご覧になればいいかも知れません。

<パパとしてのバード>

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 キム・パーカーがチャーリー・パーカーと共にイースト・ヴィレッジのアパートで暮らしたのは'50-'55の足掛け五年間で、その住居はNY市の史跡として現存し、アパートは家賃$4,500也で住むことも出来るみたい。その史跡のHPにキムのインタビューがありました。チャーリー・パーカーの伝記「Bird Lives」(Ross Russell著)と内容はよく似ていますが覗いてみましょうね。

charlieparker_house.jpg 小学生だったキムは、そのアパートから数ブロック北にある小学校に通っていましたが、学校の始まる時間は家族全員が寝ているので、可愛そうに、幼い彼女が自分で朝ごはんとお弁当を作って独りで学校に通っていたそうです。他の子供達と全く環境が違うのでイジメにあったのかも知れません。摂食障害になり毎朝10:30になると決まって嘔吐するため、学校が自宅に医者の診察を受けさせるよう勧告。お父さんに医者に連れて行ってもらったというのが一番記憶に残っているそうです。

 医者の診断は「体に異常はなく、恐怖感が嘔吐の原因になっているので、自信をつけてあげなさい。」というもので、バードはそのままキムの手を引いて学校まで連れて行ってくれました。いじめっこが一杯の白人小学校に、立派で黒いお父さんと一緒にいることがどれほど自信になったことかとキムは回想しています。

 家庭でのバードは、全く普通の人だったとキムは言っています。日曜日は家でお父さんが作ったト音記号の形の食卓(!)で夕食を取るのが決まりになっていました。家庭でジャズが流れることは全くなくBGMはクラシック音楽、ペギー・リーのスタンダードも好きだったそうです。西部劇が大好きで、西部劇の名脇役、ジョージ・ギャビー・ヘイズを街角で見かけて、サインをもらったと言って得意がり、おもちゃ屋さんで手品の道具やいたずらの小道具を買ってきては、キムを喜ばせてくれたとも語っています。

 両親の間の揉め事や、妹の死、父の麻薬の問題も、小学生のキムには理解を超えていたし、父が「悩み」を抱えているとは到底思えなかった。とにかく父バードはキムにとって「特別な存在」だったし、幸せな思い出だけが残っていると彼女は語っています。子供ならそれも当然かな?

 両親が別居しバードが亡くなるまでも、バードはたびたびキムを訪ねて来て、彼女をびっくりさせようと、一度は馬を借りてカーボーイのように乗馬でやってきたこともありました。そのエピソードは映画《バード》にも少し形を変えて用いられています。

 キムの証言を読むと、ジミー・ヒース(ts)の奥さんモナの名言を再び思い出しました。
「天才ミュージシャンは例外なく子供みたいなところがある。」

 チャーリー・パーカーの死後、キム・パーカーはフィル・ウッズという新しいお父さんに恵まれ、スイスの寄宿制学校からNYのホフストラ大学で演劇を勉強。'恐らく育児のためにしばらく活動を休止した後に'79年から音楽活動を再開し、ジャズだけでなく映画の吹き替えの仕事などでも活動していたようですが、現在はどうしているのでしょうか?

 キム・パーカーの歌唱には、良くも悪くも、ビバップの影響も呪縛も、少なくとも私の耳には一切聴こえてきません。それはチャーリー・パーカーがキムに対して「芸術家」としてでなく、純粋に「家族」として接し、愛情を注いだためだったのかも知れませんね。

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 さて、17日(土)はメインステム!4月のあの曲、この歌でゆっくりお楽しみください。

ベランダで寺井パパが育てている色んな花が寒さにしおれていなかったら、飾っておきます。

おすすめ料理は、寺井尚之お手製「牛肉の赤ワイン煮」です。こちらもお楽しみに!

CU