2007年10月 5日

Arthur Taylor / アーサー・テイラー(ds) その1

マンハッタンの水戸黄門
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アーサー・テイラー(ds)1929-1995

 ドラムの前でスティックを持つ姿が一番絵になる男、それはA.T.ことアーサー・テイラーだ。

 絵になる姿を作るのに、アルマーニもブルックス・ブラザーズも、ダイヤのピアスも、大量の汗の輝きすら要らない。ごくありふれたワイシャツやクルーネックのセーターで、自然に構えるだけ。そうすれば、時代劇の剣豪みたいに、一部の隙もないシックな姿になった。

 A.T.自身によれば、彼はカジュアルな服装が身上なので、宇宙的なコスチュームで幻惑しながら本格的なジャズを聴かすサン・ラから「あんただけは私服でいいから頼む。」と出演を頼まれたそうだ。

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サン・ラのOrch.は全員がこんないでたちです。ヴィレッジ・ヴァンガードにトミーを聴きに来たサン・ラを見たけど、やはり地味目のこんな服装でした。

 一旦ドラムから離れると、A.T.は自分のオーラを全てしまいこみ、とても目立たない風貌の人になった。その広い額が示すように、頭の中には高度な知性があり、音楽に留まらない膨大な知識が内蔵される脳の中は、ハーレムにある彼のアパートの書棚のように完璧に整理整頓されていた。プレイと同様に、A.T.が教養をひけらかすのを見たことは一度もない。

 A.T.以降、ケニー・ワシントン(ds)とルイス・ナッシュ(ds)がフラナガン3で何度もOverSeasで名演を披露してくれた。A.T.より20歳以上若い二人は、巨匠の縦横無尽なプレイがどこに行くのかを全身全霊で感知し、神に付き添える幸福感を虹の光に変えてぴったり併走する天使のようにプレイしていたのに対して、A.T.の方は、フラナガンの即興演奏の道を見守り、フィル・インの疾風と、ベースドラムの雷鳴で、行く手を照らし、速度無制限に走るフラナガンのアドリブ・ハイウエイにレッドカーペットを敷き詰めて行くような感じがした。ロールス・ロイスのエンジンが内蔵されているようなドラムソロの間も、決して「トミーを喰ってやろう」的な“あざとさ”は微塵にもなかった。

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  A.T.が、若手の無名ミュージシャンばかりを使って、Taylor's Wailersという、凄いバンドを結成した頃のことだ。ヒサユキが来たからと、ハーレムからミッドタウンまで出て来てくれて、食事をした後、「昔、ジョン・コルトレーンと録音したレコードで、タッド・ダメロンの曲を調べたいので付き合ってくれ。」と言うので、ブロードウエイにあったタワー・レコードに一緒に行った事がある。

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“ジャズタイムズ”のフォーラムに揃う、ソニー・ロリンズ、AT、トミー・フラナガン

 NYの街を歩くA.T.は、全然目立たない細身のおじさんだ。こんな地味な人が、バド・パウエルやチャーリー・パーカーのバッテリー役として、歴史に残る名演を繰り広げているアーティストだとは信じられないほど、雑踏に埋もれながら歩く。
 リンカーン・センターに近いブロードウエイ、タワレコのジャズ・コーナーを三人がかりで探したけれど、Soultrane/ John Coltraneという探し物は見つからない。まだLPが幅を利かせていた頃の話です。カウンターにいる20歳になるかならない白人のお兄ちゃんに、在庫がないかどうか尋ねると、「店頭に並べているもの以外ないッス。」と万国共通のツレない態度。他にダメロン楽団のLPはないかと聴いても、(うるさいおっさんやな…)「そこに出ているだけです。」の一点張り。
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  A.T.ほどのお方にこんな無礼な態度を取るとはけしからん!
真っ先にキレたのは寺井尚之、そのお兄ちゃんに向かって大阪弁でまくしたてた。
こらっ、おまえ、ジャズ売っとってその態度何や!?この方は、Soultraneでドラム叩いてはるアーサー・テイラーさんや!判ってて、そんな事言うとんのか!?」

 大阪弁は特にNYではよく通じるみたいで、通訳する前に、すでにその店員の顔が真っ赤になっていた。

「あなたは、あの有名な"アート・テイラーさん"…ですか?」

「アートと違うっ!アーサー・テーラーさんや」(寺井尚之)

 A.T.は“アート”と呼ばれるのをすごく嫌がっていたけど、この時は笑みを浮かべて静かにヒサユキをさえぎった。まるで黄門様が角さんを押さえるように…

「ス・スンマセンッ!すぐ探してきます!!ちょっとお待ちくださいっ。」フロアで変な顔をしている別のバイト君に小声で何か言って裏へ走っていった。
…10分ほど経つと、その店員さんは汗だくになって、ニコニコしながら件のLPを持ってダッシュして来た。

「テイラーさん、ありました!ほんとにラッキーですよ!あの…僕ジェフと言います。ニュー・スクールで、(ジャッキー)マクリーン先生にアルトサックスを習ってるんです。あなたにお会い出来て良かったです。」

「僕も君みたいな親切な人に会えてよかった。ジャッキーに会ったら君の事、宜しく伝えておくよ、ジェフ」
 A.T.は、彼の名札を確認してから最敬礼するジェフとタワレコを後にした。ラッキーだったのはA.T.でなく、ジェフの方だったみたい。

 A.T.のお母さんはジャマイカからNYにやって来た。今でも親戚がジャマイカにいるから、いつか一緒に行こうよと言っていた。A.T.はハーレム生まれのハーレム育ち、タワレコのおにいちゃんの先生であるジャッキー・マクリーン(as)や、ソニー・ロリンズ(ts)は近所の幼馴染で、10代から一緒にバンドを組んで演奏していた。
 正式なプロ・デビューは19歳位、それ以降、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカー、バド・パウエル、オスカー・ペティフォード達BeBopの創始者と共演を重ねた叩き上げだ。'63年から17年間パリ時代を含め、数え切れないレコーディングに参加、晩年は若手を擁するハードバップ・コンボ“テイラーズ・ウエイラーズ”を率いて活躍した。

1-all%20day%20long.jpg 1-don-byrd-gigi-gryce-jazz.jpg 2-JAZZEYES.JPG 2-giantsteps.jpg 3-60%20Gettin.JPG Quiet%20Kenny.JPG 4-bosstenor.jpg
左から:(講座本Ⅰ)All Day Long/Kenny Burrell, Jazz Lab/Donald Byrd&Gigi Grice,(講座本Ⅱ)Jazz Eyes/John Jenkins, Giant Steps/John Coltrane (講座本Ⅲ)Gettin' with It/Benny Golson,Quiet Kenny/Kenny Dorham,(近日発売:講座本Ⅳ)Boss Tenor/Gene Ammons
 講座本ではATのドラミングの妙味がたっぷり解説されています。

ジャズ講座に登場した名演、名盤も書ききれないほどあるので、ぜひ講座本を読んでみて下さい。11月には第4巻も刊行します。

 仕事柄、英語が役立つ私にとってA.T.は大恩人だ。初めて会った後、自分の著書を送って英語を読めと励ましてくれた。日本語訳がない本に、めちゃくちゃ面白いものがあるのに味をしめた私は、手当たり次第に本を読み、読書の暇がない寺井尚之を捕まえては、無理やり話して聞かせ、ホイホイ喜んでいい気になっていたら、今度は再びA.T.にガツンとやられた。

 湾岸戦争の最中にNYで会った時、「何故、日本は米国に安全保障されているのに、湾岸に派兵しないのか?」とボロカスに毒づかれたのだ。日本憲法第9条には戦争放棄の規定があり、その条項は第二次大戦に負けたとき、米国など戦勝国の肝いりで作られたとどうにかこうにか英語で言っても、そんなことでA.T.は納得しない。「何故日本人は改憲しないのか?」「日本人は何でも金さえ出せば解決できると思ってるのか?」「アメリカ兵に血を流させるだけで、日本人は平気なのか?」と猛然と詰め寄られ、自分の平和ボケと日本人意識の希薄さ、英語力の欠如と議論下手を強烈に自覚させられたのだ。

 叩き上げのプロとしてのわきまえと、多岐に渡る教養を併せ持った絵になるドラマー、A.T.はどんな心の人だったのだろう?

 来週は、A.T.の素顔を探るため、ハーレムの聖ニコラス通りにあるA.T.のアパートに行ってみませんか?当時のハーレムは治安の悪い事で有名だったから、貴重品は持たないようにしてね、一緒に行きましょう!

CU