2007年12月 7日

寺井珠重の対訳ノート(2)

エラ流The Lady Is a Tramp 
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In Budapest

 米公共放送の「Piano Jazz」というラジオ番組にゲスト出演したトミー・フラナガンは、エラ・フィッツジェラルドとのコラボ時代を回想し、「彼女がヴァース(本コーラスに入る前の、歌の前置きの部分)を歌う時が、特に楽しかった。」と語った。(番組のインタビュー全文は講座本Ⅲに載ってます。)

 "The Lady Is a Tramp"は'70年代のおハコの一つだ。この歌のヴァースだけで、エラ&トミーは、なんと6パターン持っていたという。歌伴なのに飽きない仕事、これが根っからのバッパーであるフラナガンをエラの伴奏者の位置に引き止めた最大の理由だと思う。
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 今週のジャズ講座に登場する、《Ella in Budapest》のアルバム中、一番対訳に苦労したのがこの曲。(オリジナル歌詞はこちら。)寺井尚之がエラの講座をやるのは、初めてではないので、今まで何度もこの対訳を作っていますが、その度に少しずつ手直ししています。
 余り対訳が説明的になると、エラの楽しさが表現できない。だけど、意味をなおざりにして、何となくやりすごすと、やっぱり楽しさが出ない。

 この曲はロレンツ・ハート(作詞)&リチャード・ロジャーズ(作曲)の名コンビによる作品、1937年というから昭和12年の作品です。"Babes in Arms"というミュージカルで、当時17歳の子役スター、ミッチ・グリーンが歌いヒットしたといいます。

 ブロードウエイで芝居見物するのに、精一杯着飾り、目立ちたいから、わざと開演時間に遅れて劇場に入ったり、ハーレムで夜遊びし、口先だけの社交辞令ばっかりのNYの上流レイディ達、取り澄まして、いけ好かない気風を皮肉った歌詞は、エラのヴァージョンでなく、オリジナル歌詞を読むだけでも充分楽しめる。

 この歌を書いた夭折の作詞家、ロレンツ・ハートは同時代の大ソングライター、コール・ポーターや、この曲のヴァースにも登場するマルチタレント、ノエル・カワードと同じくゲイであったそうだ。この歌にも、ゲイの人特有の、お洒落で鋭い風刺のセンスが感じられる。それが70年経った現在も、古臭く感じない理由かも知れない。私の対訳サポーター、ダイアナ・フラナガンは、この歌詞の視点から、ずっとポーターの歌と思いこんでいたそうだ。

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 左からリチャード・ロジャーズ、ロレンツ・ハート、コール・ポーター、そしてノエル・カワード、カワードは日本では後の二人に比べて有名じゃないけど、劇作家、作詞作曲家、歌手、役者と様々な肩書きを持つイギリス人で、スパイという説があり、007ジェームズ・ボンドのモデルと言われている興味深い人です。

 
 対訳係りとしては、そのお洒落なところを何とか日本語にしたいのだけど...

だけど、"ザ・レイディ・イズ・ア・トランプ"のトランプは、日本語で何と言ったらよいのだろう? 辞書をひいてみようか...(因みに、ポーカーやババ抜きをするトランプはtrampでなくtrumpです。)
  ● 研究社「カレッジ・ライトハウス英和辞典」で名詞の"tramp"の項には、①【主に英】浮浪者、放浪者、④【主に米】〔軽べつ的〕ふしだらな女 :と書いてある。
  ●Merriam-Webster Dictionaryに書いてあることを日本語にすると、①徒歩で旅行する人 ②浮浪者、放浪者、③不道徳な女性、売春婦...と続く。

ダイアナ・フラナガンは、「a trampとは、a hoboであり、同時にa woman (who) sleeps aroundである。」と教えてくれたから、やはり辞書と一緒だ。でも、「寝まわる」なんて...、英語はオモシロイね。

 何故、浮浪者と不道徳な女が、同じ言葉なんだろう?
 ややこしいやん、どないなってんねん?対訳係の心は千路に乱れる。

 "a tramp"で、思い出すのは、20世紀米文学を代表するJ.D.サリンジャーの初期('48)の短編"A Perfect Day for Bananafish(バナナフィッシュにうってつけの日)"だ。ケッタイな題名は、ここでは気にしないでください。
 この短編の主人公は、第二次大戦中、戦地で精神を病み、戦後帰還するものの、「戦争なんてアタシにはカンケーない」と、ノー天気でチャランポランな妻を『1948年度のMiss Spiritual Tramp』と呼び、自分がエラい目に会った戦争に無関心な周囲とのギャップを埋められず、ピストル自殺してしまう。この小説の翻訳者の人たちも、"Tramp"の日本語には手こずっているようで、"1948年度ミス精神的るんぺん"とか"放浪者"とか"あばずれ"とか、本によって色々変わっているようです。

 だいたい、日本には、放浪者と性的にふしだらな女をひとくくりにして、一つの言葉で表す文化がないのです。となると、翻訳者は辛い。"Tramp"はステディな相手を定めず、男から男へと放浪する女を軽蔑する英語なのですね。

 この曲のヴァースの、"メイン州からアルバカーキまでヒッチハイクしてたから、大きな舞踏会に出損ねた"、"Hobohemiaこそが、私の居場所"のくだりの"Tramp"なら「放浪者」でしょ。

 1番の歌詞に入り、"嫌いな連中とは付き合わない"つまり、口先だけの社交生活をしないという"Tramp"は、"あばずれ"であるかも知れないけど、"浮浪者"じゃない。

 2番に入ると、エラ流の歌詞となり本領発揮、上流とは程遠く、男にだらしない、いわゆる「あばずれ」の面を、歌詞を変えてわざと強調し、歌の書かれた時代でなく、"現代"のタッチと、歌の楽しさを前面に出して、圧倒的にスイングして行く。

 シナトラの青い目にシビレて見せた後、オリジナル詞の"I'm all alone when I lower my lamp=ランプを暗くして寝る時、私はひとりぼっち"のラインを、エラは、意図的に、こう変える。
"I'm always happy when I lower my lamp. =私がランプを暗くする時は、いつでもハッピーよ。" わざと男性との情事を匂わせて、「あばずれ度」をアップしてから、そういう手合いは"tramp"って言うの!なんか文句ある?と高らかに「寝まわる女」! こう言う歌詞を歌って、品を失わず、楽しくて、スカっと胸のすく印象を与えるのは、エラのキャラクターと歌唱力とのなせる業。これがアニタ・オデイとか、正真正銘のトランプっぽい姐さんだと、こういう風にはいきません。

 サビになると、バンドと一緒にエラは歌全体のカラーを一層すがすがしくさせる。とりすました世間に"Tramp"と軽蔑される女は、髪を風になびかせたり、顔に雨が降りかかるのが気持いい、なんてホザく。ヘアメイクで自分を作りこまない自然体、風が吹いても、ヘアスタイルは崩れないし、雨が降ってもマスカラが落ちてタヌキのような顔にはならないから、気持ちがいいのです。"Tramp"とは、「周囲や既成概念に左右されず、自分に正直な女のこと。」というオチが一層明確になる。だから、平成の時代に聴いても充分共感できる歌になっている。

 
 エラの歌を聴いていると、日本女性でThe Lady Is a Trampと言えば、「男はつらいよ、フーテンの寅」に登場するマドンナ、日本中を旅回りするクラブ歌手、リリーさんが思い浮かびます。(ちょっとメイクはキツいですが、心根が似てます。)
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  エラ・フィッツジェラルドは、歌っている言葉の意味が判らなくとも、充分楽しめる超一流の大歌手だけど、歌の意味だけでなく、歌詞解釈が判って来るとさらに楽しいものですね。

ジャズ講座:Ella in Budapestは12月8日(土) 6:30開講、寺井尚之の名解説に乞うご期待!CU