本レポートは執筆者TAKAKOさんのPC環境が英語オンリーのため、TAKAKOさんが英語で書いた原文を、寺井珠重が日本語に翻訳したものです。 | ||
TAKAKOのNYレポート 第1回 |
クイーンズカレッジでレッスンを受けた後、ローランドは私をマンハッタンのアパートまで車に乗せて帰るのですが(彼のニュージャージーの息子さん宅へ行く通り道なので)、車内での会話はいつも印象に残ることばかりです。 ローランドの世代のピアニスト達は、皆教会での伴奏から始めました。ブルースやストライドピアノなどを演奏していたようです。ローランドはジュリアードで学んだこともあってクラシックへの造詣も深く、常にブラームス、スクリヤビン、ショパン、ドビュッシー・・その他色々なクラシック音楽を読んだり弾いたりしながら、生徒にもそれらを通して和声がどんなように進行しているかといった分析や曲自体の持つ芸術性を伝えてくれます。彼のピアノのルーツには若い頃に彼がピアニストとして成長する過程で周りにあったサウンドや、人々の嗜好性、文化、社会の色などが根付いているのだろうな、と思いました。 クラシックの曲を弾いていても、それは彼にとっては“JAZZ”を演奏していることになるそうです。マイルスにとっての音楽が“ブルース”だったように、ローランドにとってはそれが“JAZZ”と呼べるようです。 3月22-25日、ローランドはベーシストのポール・ウエスト(管理人注:昨年1月サー・ローランド・ハナトリオのメンバーとしてOverSeasに来演)と<ニッカーボッカー>で演奏します。もしNYに来られる方があれば覗いてみては?ちなみに私もどの夜かに3曲位歌わせてもらえるそうで、大変楽しみにしています。 当然ですが、ローランドはミュージック・ビジネスでやっていく大変さを承知していて、私に助け舟を出してくれようとしています。感謝、の一言に尽きます。クイーンズからマンハッタンへの車の中で音楽の話をずっとしていて、彼が若い頃、当時60歳だったコールマン・ホーキンスが色々彼に教えてくれたと聞きました。 それでは次回のローランドレポートをお楽しみに!なかなか春の来そうにない、まだまだ寒いNYより。 TAKAKO そのハナさんの弟子TAKAKOさんが珠重さんの勧めにより、本サイトにNYのハナさん情報を連載してくれることになりました。彼女は英語版WINDOWSしか使える環境にないらしく、このレポートは英語&ローマ字チャンポンの文章を、珠重さんが日本語に翻訳したものだそうです。 ん?ということはせっかく掲載しても彼女は読めないじゃないか! と思ったけど、いやいや、画面撮りしてgifファイルに変換、メールに添付すればなんとか読めるでしょう。 アルバート・”トウティ”・ヒースはトミー・フラナガンを「フラナガン」と呼び捨てにしていました。これは男の子同士の”連れ”の感じ、いわゆるタメ口です。 |
TAKAKOのNYレポート 第2回 |
NYのクラブでの、緊張の飛び入り、それをサポートしてくれた、ハナさん、エディ・ロック、フランク・ウエス達ジャズの巨人たち、夢のような一夜の、なごやかな雰囲気を綴ったレポートです。<by
訳者:寺井珠重> 昨日、とりあえずエライ緊張してた私は、「フランクとエディの前で歌うのかあー・・また緊張するやん!」と、思っていたところ、2ndセットの始まる時間になると二人とも演奏するらしく・・・ ニッカーボッカーという店はダイニングのスペースが広く取られていて、バーと入り口に近いところにグランドピアノがあり、そのすぐ横でベーシストが演奏するのですが、バーからはミュージシャンの後姿と手元が見えて、テーブルに座ると、ミュージシャンの表情が見えるといった感じになっています。ステージの段差はなく、4人はとてもリラックスした感じで自然にハプニングする音楽に身を任せているような、とても心暖まるサウンドでした。 さて、3曲位演奏した後に、私も加わり、フランクがローランドに「You Stepped Out Of A Dreamなんかどうや?」と訊いた時、丁度、私が歌いたいと思って手にしていた2曲の譜面の片方が偶然にもその曲で、A♭のキーだったのですが、「メガネ忘れた、読めない」と言っていたフランクも(冗談なのか、本気なのかよくわからなかった・・・)勿論ソロを取り、大変楽しかったです。4人は本当にくだけた感じで演奏していて、シンガーである私が加わることを“WELCOME”してくれているのも伝わり、緊張はしていましたが、したいように、のびのび出来ました。客が多い時はかなり騒がしくなる店なのですが、今夜のお客さん達はどのテーブルの人も、音楽を鑑賞しているようで・・・勿論4人も素晴らしいミュージシャンが揃ってプレイすれば、音楽が耳に入ってこない方が不思議かも知れませんが、たった一人アジア人の女の子が一緒になって歌っていることも、ヴェテランが若いミュージシャンの成長をバックアップしているのは素敵だね!といった具合で客の反応もよく、素敵な一夜でした。 その後はローランドが「Inside A Silent Tearはどうや?」と言ったのに同意して、それを歌いました。それは以前ローランドが私にくれた曲で、ブロッサム・デアリーという弾き語りの女性の60年代の作品でカーメン・マクレエなども取り上げて歌っています。機会があったらチェックしてみて下さい。 最後のサードセットでは、ブルースか何かを演った後、「Love For Saleはどや?」とローランドが言って、オリジナルキーで皆さん一通りソロを取った後、(エディの新聞ドラムのソロ、良かったです!)ローランドが転調してくれて私のキー(GmかG?初めのコードはCmaj7)に変わり、そして歌が入る、というのをやって、変化がつき面白かったです。その勢いで "All Blues"が始まり、フランク・ウエスのフルートの下で小さい声でハモってみたりしつつ、ソロも取らせてもらいました。ローランドはこういったギグではその場で曲をどんどん決めて行くようですが、テンポやリズムの明暗と、曲が変わる時の流れがとてもイイ感じです。 そんな、こんなで始終冗談を言い合っていた4人のミュージシャン達ですが、アップタウンでお互い近くに住むエディと私をローランドが車に乗せて送ってくれました。二人はとても良い友達のようです。「スイートベイジルが4月に店をたたむらしい」とエディが言い始めて、「30年以上も良いジャズクラブが続いて良かった」と二人が言い合って、「確か、あれは64年に出来たんやったなあー」とどちらかが言ったので、「私の生まれる前だ!」と思わず口に出してました。私は66年生まれだと言うと、ローランドは「65年に私はサド(ジョーンズ)にバンドを作ろうと持ちかけていた・・・」と言っていました。でもサドはその頃メル・ルイスとバンドを始めて(その方が経済的に安定していたらしい?)、「サドはそれでハンク(ジョーンズ)を雇ったんだよ!」と言ってローランドは笑っていました。思うに、どんなことも彼らは笑い飛ばしてしまうようです。(でも、その後ローランドはサド・ジョーンズとメル・ルイスビッグバンドのピアニストになっていますよね。)それから、ハンクはギグを3つとか、掛け持ちしてしまって、直前にどれかをキャンセルする、ということがたびたびあることで有名らしく(多分若かりし頃?)あれは、アーマッド・ジャマールよりひどかった、と二人が話していました。 それから、「アート・テイタムが生きていたら今ごろ90何歳やでー」とローランドが言い出し、テイタムが亡くなったのは50何年や、という話になり、チャーリー・パーカーと同じくらいだよ、とか、エディが「俺がNYに来た時はチャーリー・パーカーはもういなかった。」と言うと、ローランドは、「そんなことない、彼が死んだ時、俺はミントンズで演奏していたんだ・・・」とか、チャーリー・パーカーが死んだ年はいつだったかの議論になり、結局二人の意見は食い違っていながら、笑って会話が終わっていました(私も何でも笑い飛ばすのを見習うことにします)。ローランドといると、ローランドを通じて、彼が一緒に生きてきた時代の色々なミュージシャン達の声まで聞えて来そうです。 随分長くなってしまいました。読んで下さった皆さん、どうもありがとう。NYは今春の嵐が来ています。昨日も今日も雨と風が強かったけれど、明日からは少し収まりそうです。ではまた近々レポートします。皆さん、お体お大事に!! LOVE TAKAKO エディ・ロックはいなかったのですが、フランク・ウエスは途中でふらっと現れて、テナーとフルートを吹きました。絶品!私も70になったらこんなに力の抜けた音楽ができれば・・・、と思います。ジェブ・パットンも奥さん(別嬪!)と一緒に来ていました。 にも関わらずハナさんのプレイは一切手抜き無し。セットの最後に必ず演奏される”Oleo”のアプローチが毎回違っていて、とても興味深かったです。 美女にずっと見つめられていたせいかハナさんはご機嫌で、「フランク・ウエスト、ポール・イースト」といったオヤジギャグを連発。その度にフランク・ウエスと顔見合わせ「ククク」と笑っていました。二人はとても仲が良さそうです。 その間ポール・ウエストはと言うとちょっとケバイ系日本人おねーちゃん二人組をナンパして、バーの片隅で話し込んでいました。これぞベーシストの鑑!見習いたいです。 |
TAKAKOのNYレポート 第3回 |
私が次にローランドにレッスンで会うのは5月になることがわかりました。4月は大変忙しくされているようです。1ヶ月以上も間隔が空いてしまうので、NO.2に引き続き、ニッカーボッカーでのライブの後半二日間の感想を教えてしまいますネ。 3日目、金曜日の夜は雨も止み、週末とあって店は遅くまで賑わっていました。マネージャーのスティーブは、私がセカンドセット後にアンプのセッティングを始めると、「今夜は歌手は入れないで欲しい」とローランドに言ったらしく、残念ながら、SIT IN (飛び入り)は出来なくなりました。金、土は水、木より1セット多く、終る時間も遅くなるので、私が遅くまで待っていなくてもいい様に、「歌うなら水曜日と木曜日がいいかも・・」と言ってくれていたローランドでしたが、金曜もとても歌いたかったので、ダメとわかった時は、大変ガッカリ!でしたが、ローランドとポール・ウエスト、そしてまた、SIT INしに来たフランク・ウエスの演奏を聴いているだけでも、えらい勉強になりました。特に、前日と前々日一緒にやってみて、自分がいい感じになったと思った途端、次の歌詞の意味から簡単に離れちゃう精神力のなさとか、バックを聴きながら自己主張することって難しいよなーとか、今の自分が越えたい“壁”の事を考えながら聴いていると、どうやってこの人達はこんな風に演奏出来るんだ? 一体、どう考えてるんだ?とか、彼らに出来るなら自分にも出来るはず! とか思いながら聴いていた私でした。 ローランドのピアノは一音一音、確実に“意思”があって、飾りや“間”を埋める為のものでは勿論なく、フレーズが自然に次のフレーズを呼んでいるようで、そして本当に沢山の引き出しを持っていて、呆然として聴いていました。ニッカーボッカーのような店では、演奏中ずっと人々の会話でザワザワしている事が多いのですが、そんな時はローランドとグランドピアノの周りだけが、台風の目の中にいて、しん、としているように感じられます。それを聴く自分はざわめきの真ん中にぽっかり空いた静寂の穴の中で、音楽の隣に居るような気分になります。 ニッカーボッカーでローランドを聴く時は、この感覚によく陥ります。ローランドの音楽に向かう姿勢そのものが、いつも自分を勇気付けてくれるし、導いてくれているとよく思います。 翌日、店からの“拒否”にあったような気がして一日元気が出なかった私でしたが、ローランドが歌わせてくれた事に、またお礼を言いたくなったのと、やっぱりあれは聴かなあかん!と、彼のピアノを思い浮かべ、又、店に向かいました。彼の演奏には“愛”を感じます。多くの人が同じ意見のようです。バリー(ハリス)の演奏を聴いても、沢山の“愛”を感じ、心が溶け出す様な気がします。 最終日で疲れているにも拘らず、送ってくれたローランドでした。3日目に私が歌えなかった事を少し気にしておられて(でも歌手を入れたがらないジャズクラブはよくあるので、仕方がないとして)、「それは君が良いシンガーじゃないからではないよ、又こういう機会を持とう。」と言ってくれました。「ミュージシャンとしてやって行くには才能も必要だけど、大きな忍耐力も必要だ。」「君に今必要なのは、沢山の音楽を聴いて練習し、そして出来るだけ多く歌いに行くことだね。」ともアドヴァイスしてもらいました。 ローランドはどんな人と接する時もその人を気遣っていると感じます。愛想が良いのではなく、心から人を大切にする人だと思います。以前レッスンで、「ピアノのキーの一つ一つは“人”の様なものだ、それぞれが大切で、意味を持っている」とおっしゃっていました。 ニッカーボッカーのギグの帰り、私が「一体どうやったらあんな風に演奏できるのだろうか?と思いながら聴いていました」と言うと、「自分の思ったとおりの音が出ているかいつも確かめながら弾いている」と、言っていました。 読んでくれた皆さん、ありがとう!6月1日にはOVERSEASでローランドの演奏を聴けるのですよね。どうぞ存分に楽しんでください。NYでは6月にフランク・ウエスと一緒に<イリディアム>でライブの予定、とのことです。 ところで、レポートにはローランドと書いていますが(心の中でこう呼んでいる)実際彼に話し掛ける時は、“サー”とか、“サー・ローランド”と言っている私です。念のため・・ では、皆さんのご健康と、ご活躍をお祈りして! TAKAKO 6月1日(金)Sir Roland Hanna Quartet Live at OverSeas コンサートのページへGo! |