トリビュートの前に「青い鳥」の話をしよう:The Blue Bird Inn

     “ビヨンド・ザ・ブルーバード&ジャケットにあった”ブルーバード・イン”の写真
 春のトリビュート・コンサートが間近になり、今も寺井尚之が稽古するピアノの音色がキラキラと響いています。毎週必ず演奏を聴きに来て下さる山口マダムも、すぐ気づかれて「すごいわねえ!力強い音やねえ...ピアノにも超常現象っていうのがあるのかしら・・・」と少女のように目をクリクリされていました。お客様の耳って本当に鋭いですね!
 世界中を回って演奏していたトミー・フラナガンは、「オマエたちのクラブは良いお客さんが一杯いるなあ。デトロイトの“ブルーバード・イン”にもこんな温かさがあったんだ・・・」とよく言ってました。
 トミー・フラナガンが「その頃」を懐かしみ一枚のアルバムまで作ってしまった”ブルーバード・イン”ってどんなクラブだったのでしょう?1950年代のデトロイトにちょっとタイムスリップしてみませんか?
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<タイヤマン5021番地にジャズを聴きに行こうか?>
 トミー・フラナガンの少年時代、デトロイトは活況を呈する自動車産業に従事する黒人の人口が急激の増加し、’50年代には街の総人口の60%を占めて、黒人のコミュニティが確立していたそうで、黒人の経営する商店や会社も何百とあったそうです。
50^old_photo_from_detroit.jpg  パラダイス・シアター左:1950年のデトロイトの街、右:パラダイス・シアター
 上右のパラダイス・シアターは、デトロイト銀座とでも言うべきウッドワード・ストリートにあり、黒人が入れる数少ない劇場&映画館、フラナガンがビリー・ホリディやディジー・ガレスピー、ビリー・エクスタイン楽団を観に行っていた場所です。“ブルーバード・イン”は、このウッドワードからずっと西の方で、黒人街のウエスト・サイドTiremanの5021番地にありました。サド・ジョーンズの”50-21″は、この番地なんです。「タイヤマン」とはいかにも自動車の街:モーターシティらしい地名ですよね!
<黒人の経営する黒人のためのジャズクラブ>
 “ブルーバード”の玄関にて:歴代オーナーの一人、クラレンス・エディンス

 “ブルーバード・イン”がいつ頃オープンしたのかは、私の集めた資料ではよく判りませんが、戦中の1940年頃にはもう営業していたようです。タイヤマンは中流の黒人層の住宅地のはずれにあり、オーナーも黒人、客層も殆ど黒人という、アメリカでも特異なジャズクラブでした。お客さんたちも通ぞろいで、ジャズのことをよく知っていたそうです。
 NYのメジャーなジャズクラブは、客席の7-8割が観光客、地元の人は少ないし、ミュージシャンでない黒人も少ない。それに経営者は昔から白人ばかりです。”ブルーバード”はかなり違った雰囲気だったんでしょうね!
pepper_adams_detroit.gif“カシモド”のエントリーにも登場した私の愛するミュージシャン&コメンテイター、ペッパー・アダムス(bs)の”ブルーバード”評をちょっと読んでみましょう。
 

 “ザ・ブルーバード・イン”は素晴らしいクラブだった。ある意味、特異なジャズクラブだ。絶頂期には、理想のジャズクラブだったと思うよ。
 すごい店だった!雰囲気が良かった。気取りが全然なくてさ。
 見掛け倒しでなく、本当にスイングする音楽があった。クレインズ・ショウ・バー(デトロイトにあった別のジャズクラブ)もちょっと似た感じだったけど、あっちの方が少し高級だったなあ。… ”ブルーバード”のお客さんは99.5%が黒人で、純黒人向けジャズクラブだった。だけど白人の僕でも、居心地が悪いなんて事は全くなかった。
 【デトロイトのジャズ史、Before Motown より】

 フラナガンが出演していた頃の”ブルーバード”は、一番上の写真の小窓の内側がバンドスタンドで、入店できない未成年の少年達は、この窓にへばりついて生演奏を必死で聴いたそうです。その後改装して小さな円形のバンドスタンドに変わったのですが、ピアノはグランド・ピアノでなく小さなスピネット型のピアノでした(!)それでも、フラナガンが最も愛したクラブであったというのは、演奏と125あった客席に座る方々がよほど良かったに違いありません。
“ブルーバード”の向かうはNY
 トミー・フラナガンが”ブルーバード・イン”のハウス・バンドとして出演していたのは、1951年の終わり頃から約2年間のことです。バンド・マスターはビリー・ミッチェル(ts)、そしてサド・ジョーンズ(cor)をフロントに、ベースはアリ・ジャクソン、またポール・チェンバース(b)やダグ・ワトキンス(b)たち、そしてドラムはエルヴィン・ジョーンズ(ds)というドリーム・バンド、ピアノはフラナガンの他に、やはりNYに進出したテリー・ポラード(p)やバリー・ハリス(p)が出演していました。
ビリー・ミッチェルとサド・ジョーンズ ビリー・ミッチェルとサド・ジョーンズ(’56) Francis Wolff撮影
 ビリー・ミッチェル(ts)は15歳でプロデビューし、映画に出演したほどの男前で、当時は、デトロイト・ビバップ・シーンの”最高幹部=エグゼクティブ”と呼ばれていました。フラナガンのアルバム、『Let’s』や、『Detroit-New York Junction』に収録されている”Zec”という軽快な作品は、EXecutiveのヒップな略語なんだよとトミーが教えてくれました。余談ですが、ミッチェルはジャズ以降のモータウンで、スティーヴィー・ワンダーの音楽監督を務めていたこともあります。
 ハウスバンドに加えて、このお店は常にNYで活躍する全国区のゲスト・ミュージシャンが入れ替わり立ち替わりハウスバンドとセッションを繰り広げていました。上のチラシはマイルス・デイヴィス(tp)とソニー・スティット(ts,as)のダブル・ビルになっているでしょう!聴いてみたいですね!マイルス・デイヴィスは、麻薬中毒から立ち直る為にしばらくデトロイトで住み、”ブルーバード”に出演していたので、NYに出て来たフラナガンを即戦力としてすぐに雇ったんです。
 それ以外にデトロイトからディジー・ガレスピーにスカウトされてNYで成功した、「デトロイト・ジャズ界のイチロー」とも言えるミルト・ジャクソン(vib)やJ.J.ジョンソン(tb)、アート・ブレイキー(ds)など数え切れないほどのジャズメンがゲスト出演していました。同時に、ツアー中で他の劇場に出演しているミュージシャンも、必ず”ブルーバード”に立ち寄り、演奏をチェックして、使えそうなミュージシャンには電話番号を教えてコネをつけて行きました。
“ブルーバード・イン”は文字通り、デトロイト-NY・ジャンクション(合流点)だったんです!
 円形ステージで演奏するソニー・スティット、白いTシャツで恥ずかしそうにしている青年は、未来の巨匠チャールス・マクファーソン(as)!
 デトロイトの他のクラブでは、ミュージシャンに服装規定があったり、演奏レパートリーもお店から指定があったりしたそうですが、”ブルーバード・イン”では、店の方から音楽に干渉されることは一切なかったそうです。何故ならお客様たちが、バップをこよなく愛し、演奏者を応援して良い音楽が育つように見守ってくれていたからなんです!
なんとなく親近感を感じるなあ・・・
<トミー・フラナガンの証言>
 トミー・フラナガンは’66年にダウンビート誌のインタビューで”ブルーバード・イン”について、映画『オズの魔法使い』で、ドロシーがオズの国に飛んできた時に口にする名台詞を使いながら、こんな風に語っています。

 “ブルーバード・イン”は素敵なクラブだった!何ともいえない良い雰囲気でね、『もうここはデトロイトじゃないみたいね・・・』みたいな場所だった。というか、アメリカ中探しても、あんなクラブは他になかったろう。NYにもないなあ・・・近所同士の親しさや、ジャズクラブにはなくてはならない『応援してやろう』という温かさがあった。デトロイトの街でジャズが好きな人なら、皆が聴きに来てくれた。そこでやっている音楽は非常に先鋭的なもので、演奏者がケタはずれに良かった。
 “ブルーバード・イン”では、我々が演りたい音楽を演奏することができたし、それを、お客さんが心から楽しんでくれたんだ!

  カウント・ベイシーにスカウトされる前のサド・ジョーンズの凄さにはメジャーなジャズメンが圧倒されました。マイルス・デイヴィスは店の片隅で涙を流し、チャーリー・ミンガス(b)は、「やっと天才を見つけた!」興奮してナット・ヘントフに手紙を書きました。
 デトロイト1の若手ピアニストとして”ブルーバード・イン”で演奏した期間はせいぜい2年ほどですが、そこで得たものは計り知れません。そんな頃に朝鮮戦争への召集礼状が来て、フラナガンと「青い鳥」は決別します。
 “ブルーバード・イン”はタイヤマンの5021番地で業態を変えながら営業を続け、1990年代にもフラナガンは何度か里帰り公演を行いましたが、現在のFlicker.comに、人気のない様子の写真が載っていました。でもかつて演奏が漏れ聴こえた窓はそのままです。
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 やっぱりジャズクラブというものは、お客様の応援がなければ「良いクラブ」になれないんだと、改めて思います。
 サド・ジョーンズが、”ブルーバード・イン”の住所から名前をつけた“50-21”や、フラナガンの“ビヨンド・ザ・ブルーバード”・・・幾多の名曲を生んだ”ブルーバード・イン”で生まれた様々なドラマに思いを馳せながらトリビュートの演奏を楽しみたいですね!
 CU

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