ガーシュインやスタンダード・ソングのことなど・・・

 景気にも政治にも暗雲が立ち込め、国会中継に目をそむけたくなる今日この頃、活況なのは風邪のウイルスだけに思えることも・・・でも江戸のお客様が送って下さった美しい箱根の風景写真を眺めると少し気持ちが晴れました!・・・皆様はいかがお過ごしですか?
 告白すると、私の気が滅入っていたのは、今週のジャズ講座で使う“But Not for Me/キャロル・スローン(vo)”の対訳がはかどらないためでもありました。
niights_at_vv.jpg 今回はトミー・フラナガン・トリオのライブ盤、“Nights at the Vanguard”が何と言って目玉なので、いくら一生懸命に作っても所詮は添え物という無力感に加え、スローンは歌詞のフェイクが多く、注意深く聴き取らなければならない・・・(先月のロレツ・アレキサンドリアはその点、とっても楽だった。)静かな場所に隠遁したいけど、なかなかそうも行かず悶々としていました。キャロルはダイアナ・フラナガンの親友でもあるのですが、’70年代に生で観たときのキュートさは当然ながら失せていて、正直うんざり・・・スローンの不定期ブログ(Sloan View)の野球談義(彼女は親の代から熱狂的ボストン・レッドソックス狂)の方がよほどイケてると思ったほどです。スローンという人はトークも上手で、ラジオ番組を持っていたこともある。ライブ盤で聴くジョークもなかなかのものですが、言葉の通じない日本では、却ってイラつくのか、判らないとタカをくくってかなり辛らつなので少々鼻白むことも・・・。
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carol.jpg ところが聴き取りが終わり、日本語をつける作業に取り掛かった辺りから、がぜん楽しくなってきた・・・
 “But Not for Me”は、ガーシュイン作品集で、オリジナル歌詞を調べるにつれ、スローンが、自分のヴァージョンを創るのにかなりの努力を払っているのが判ってきたからです。
<スタンダード温故知新>
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左がジョージ・ガーシュイン(1898 -1937)、右がアイラ(1896- 1983)
 タイトル曲”バット・ノット・フォー・ミー”や”エンブレイサブル・ユー”など、ここでキャロルの歌うのはスタンダード・ソングとしてよく知られているものばかり。でもスローンは、余り歌われないヴァースをつけたり、歌詞も必ずいじる。前のパートナー、ジミー・ロウルズ(p)の指導だったのだろうか?野球に例えれば、直球勝負でなく、変化球で打たせて取る感じです。レッドソックスなら往年のフィル・ニークロかな?
 さて、ご存知のようにジョージ・ガーシュインは、アメリカの代表的作曲家、音大も出ていないのに若くから頭角を現し、映画、ミュージカル、クラシック音楽、あらゆるジャンルで名作を残し、38歳の若さ亡くなりました。
 一方、作詞家のアイラは比較的遅咲きで、若い頃はサウナ風呂のレジ係りや、デパートの店員、写真家の助手など、色んな仕事をしながら詞を書いていました。ジョージの兄と知られるのを嫌い、’24年に兄弟コンビを組むまではペン・ネームで創作していたそうです。ジョージの死後は様々な大作曲家とコラボし”My Ship”など、名曲を生み続けました。
 二人の両親はロシア系ユダヤ移民、前回対訳ノート(30)で紹介した作詞家ガス・カーンはドイツ生まれですし、映画監督、脚本家のビリー・ワイルダーはオーストリア人…完璧な英語ネイティブでない人たちが米国の言語文化に貢献しているのは、英語を母国語としない私たちにとって、大変興味深いことですね。
 このアルバムの作品は、殆どが1920~30年代、つまり大正時代から昭和初期に、NYでミュージカルやレビューなど舞台芸術用に、あるいはハリウッドで映画音楽として書かれたものです。例えば、“Isn’t It a Pity?”“How Long Has This Been Going On?”などは、ラブ・シーンの歌として、男優、女優の独唱、デュエット、など何通りものヴァースとリフレインがあり、「聴かせどころ」が点在している。キャロル・スローンは、そういうところをしっかり読み通し、自分の歌作りに一番合ったサウンドや歌詞をコラージュしているんです。
 ただし、“Oh, レディ・ビー・グッド”だけは、エラ・フィッツジェラルドのガーシュイン集のテキストに準拠していました。元々男性の歌を、敢えてエラが歌ってヒットしたのですが、録音にあたってアイラ・ガーシュインが女性用に監修しており、いじくる余地がなかったのかも。
gershwin_songbook.jpg ついでにエラのガーシュイン・ソングブックを紐解き、オリジナルLPの曲説を読んでみると、またこれが凄く面白かった!著者はローレンス・D・スチュワートという大学の先生でガーシュイン研究家。ガーシュインが好きで好きで、アイラ・ガーシュインの親交を持ち、兄弟のプライベートな草稿などを整理していた人らしく、曲説は簡潔にして新鮮!例えば、1曲目の”Nice Work If You Can Get It”のところには、“スコット・フィッツジェラルドが”ラスト・タイクーン”のアイデアを得たのは、ハリウッドでこの歌を聴いたから”とか、”皆笑った(The All Laughet)のメロディは、元来、ジョージがハリウッドのクラブでフレッド・アステアのダンスの伴奏として即興で弾いたもの”とか、ジャズエイジの栄華に興味ある人はぜひ一度読んで見てください。(ただしCDのブックレットは虫眼鏡が必要でした。)現在のジャズ界ではなおのこと、こういう面白い曲説を書いて欲しいものです。
George+Gershwin+Fred+Astaire++I.jpg フレッド・アステア(名優、天才ダンサー、名歌手)はガーシュイン兄弟を語るとき、絶対にハズせない。アステアとガーシュイン兄弟がコラボした数多くのミュージカルは先日破産申請したMGM映画の製作。

 最近、スタンダード曲について興味が沸いてきて、色んなことを調べています。ガーシュインの歌曲は、決してジャズ歌手のために書かれたものではありませんし、原型は想像とかなり違うかも知れない。でも、ジャズメンはジョージ・ガーシュインの死後、“I Got Rhythm”のコード・チェンジで様々なバップの名曲を創ったし、エラやサラの名唱は次の世紀も色褪せないでしょう。
 対訳係りにとってアイラ・ガーシュインの歌詞は、コール・ポーターのような毒がなく、色っぽい歌もあくまで健康的で元気の良い国民的アイドルって感じ。その韻律は斬新で、当時革新的だったスラングや口語も注目なのですがザッツ・アナザー・ストーリー。
 公私に渡り詳しく当時の状況を知る寺井尚之の名解説が楽しみ!”トミー・フラナガン3の“Nights at the Vauguard”のサイドディッシュとして、キャロル・スローンの“But Not for Me”もお楽しみいただければ嬉しいです。(先月予告していたロレツ・アレキサンドリアの写真も展示予定!)
 お勧め料理は、Jフロスト・ポテトをチキンと一緒に蒸し焼きにした”ボン・ファム”なるフレンチを作ろう!皆さん、お待ちしています。
 週末のJazz Club OverSeasにお越しいただければ最高の幸せ!アイラの歌詞に何度も登場する名文句ご存知でしょ!“Who Could Ask for Anything More?”ってね!
CU

「ガーシュインやスタンダード・ソングのことなど・・・」への2件のフィードバック

  1. エラ・フィッツジェラルドの、『ガーシュウィン・ソングブック』は、おそらく20年くらい前にCDで入手した記憶があります。
    「ポーギーとベス」の中の曲は含まれていませんが、演奏家として聴いておく必要がある作品だと思います。
    歌詞の意味は、そんなに掘り下げたりはしませんでしたが、
    個人的には、演奏家として曲を知っている必要性や、
    原曲に近い和音の進行を学べる数少ないバイブルだと、今でも思っています。
    他、エラは同じ時期に多くの人のソングブック集を録音しました。
    それら全てを聴きまくって、曲を覚えることが出来ました。
    自分が生まれる数十年も前の曲を聴くことが出来る資料でもあり、
    これはジャズ界の財産だとも思います。
    そして、ジャズに出会えて、「幸せ」です!

  2.   鷲見さん、コメントありがとうございました。演奏家も料理人も、素材をよく知ることが大事ですよね!
     エラのソングブックは、ノーマン・グランツやネルソン・リドルが総力を結集したところに、エラが最高のパフォーマンスを披露し、ガーシュイン作品の「望ましい形」がコンパクトにまとまった傑作だと思います。
    エコーズも期待!

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