Evergreen物語(1) 地図にない街、Chinatown

  明けましておめでとうございます。寒いお正月になりましたね。暖かくお過ごしになっていますか?
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Evergreen_cover.JPGのサムネール画像 というわけで、年始は『Evergreen』収録曲について連載しようと思っています。
 スタンダード集『Evergreen』の収録曲を考える上で、意外にも、寺井尚之が真っ先に思いついたのが、“Chinatown, My Chinatown”。ワールドワイドな配信形式ゆえ、アジア的な曲を取り上げたかったらしい。個人的には、テディ・ウイルソン(p)のクリアカットなヴァージョンや、『CHRIS CRAFT』でのクリス・コナーの絶好調の歌唱が印象に残っています。
 メインステムの演奏する「チャイナタウン」はどんな街?旅先で道に迷って日が暮れる。どきどきしながら暗い路地を抜けると、そこは色とりどりのランタンに照らされた街、不安な想いが吹き飛んで、急に心がウキウキするような、鮮やかな色合いのプレイですね。
<地図にない街 Chinatown, my Chinatown>
chinatown_old1med.jpg スタンダードとはいえ、この歌が流行したのは1910年、つまり明治42年、ジャンゴ・ラインハルトや白洲正子が生まれた年だそうです。100年前の歌、”Chinatown”は、スタンダードの骨董品と言えるかも知れません。
 作曲のジーン・シュワルツはハンガリー移民、作詞のウィリアム・ジェロームはアイルランド系二世、二人ともNYの少数派移民社会から出た音楽家です。当時、新天地を求めてNYにやってきた移民の人たちが最初に住む場所は、ロウワー・イーストサイドと呼ばれるチャイナタウンのある区域の劣悪な安長屋に居住するのが常だったといいます。左の写真は丁度その当時のチャイナタウンです。それならシュワルツ-ジェロームのコンビは、NYのチャイナタウンをモデルにしてこの曲を書いたのだろうか?
 一方、この歌とほぼ同時代にNYに暮らした永井荷風は、「あめりか物語」で、このチャイナタウン(支那街)を、悪徳や汚辱にまみれた荷風好みの「毒烟の天国」として、生々しく描写しています。
 確かに、NYの歴史関係のサイトを見ても、当時は、地下に怪しいトンネルを伝ってマフィアが横行し、レストランや酒場の裏には、阿片窟や売春宿が潜む危ない街であったそうです。
<Chinatownは夢の街>
chinatown.jpg
 ところが、この曲には、そんな毒々しい影はほとんどありません。心浮き立つメロディは、あくまでも色鮮やかなランタンに照らされる別世界を想像させてくれます。
 シュワルツ-ジェロームが作った”チャイナタウン”は、私達ひとりひとりの心の中にある夢の街のことなのではないでしょうか?現実の喧騒を忘れられる街、街角のレストランからは、見たこともない珍味やスパイスの香りが溢れて、街を歩くと自分とは違う顔立ちの人たちが微笑みかけてくれる。未知の冒険にも、なくしてしまった幸せや、懐かしい人たちにも再びめぐり合えるかもしれない。誰でも心の中に持っている秘密の街、それが”チャイナタウン”なのかも知れません。とてもシンプルな歌詞だから、『Evergreen』と一緒に歌ってみてくださいね!

Chinatown, my Chinatown
Jean Schwartz/William Jerome

Chinatown, my Chinatown,
When the lights are low,
Hearts that know no other land,
Drifting to and fro,

Dreamy, dreamy Chinatown,
Almond eyes of brown,
Hearts seem light
And life seem bright
In dreamy Chinatown.
チャイナタウン、マイ・チャイナタウン、
明かりが暗くなったなら、
あてもなく、
心彷徨う
この街を。

夢見る夢の、チャイナタウン、
アーモンド型の茶色の瞳、
心晴れ晴れ、
明るい人生、
チャイナタウンは夢の街。

 私もずっと前、YAS竹田に、マンハッタンのチャイナタウンで、田螺(タニシ)料理をごちそうになったことがあったっけ…小さな貝を懸命にほじくって食べてる間に、お店の前に長蛇の白人の列が出来ていてあせりました。神戸や横浜、長崎の中華街も江戸時代から歴史があるそうですよ!
 次回は”As Time Goes By”について書いてみたいと思います。
CU