PIANO談義:トミー・フラナガン&ロジャー・ケラウエイ 連載(1)

 お休みなので、古い翻訳ファイルから、トミー・フラナガンとロジャー・ケラウエイの対談記事を引っ張り出しました。
 だいぶ前に後藤誠先生に読ませていただいた、「Cadence」という米国のジャズ誌、’97年4月号に掲載されていたものです。
KAbe-lg.jpgRoger Kellaway :ロジャー・ケラウエイ (1939~) :ニックネームは「音楽的カメレオン」、ありとあらゆるジャンルで活躍しているからです。ピアニストとしては、インタビューに言及されている大巨匠、ベニー・カーターに新人の頃から可愛がられ、サド・ジョーンズやエリントン、ジャズ以外ではエルビスからヨー・ヨー・マまで、ありとあらゆるスターと共演しています。
 作編曲家としては、TVや映画から交響楽まで手がけ、グラミー賞や、アカデミー賞の受賞歴もあるという凄い人です。
 ピアノはとにかくテクニシャン!濃厚な味が絡み合うレッド・ミッチェル(b)とのデュオが私のお気に入りです。「100 Gold Fingers」でたびたび来日していて、モンティ・アレキサンダーとの丁々発止のピアノ・デュオは歴史的名勝負でした。’93年に、トミー・フラナガンと一緒にOverSeasに遊びに来て、演奏も聞かせてくれました。上品で知的な人、とにかく音楽を愛している!という印象があります。現在カリフォルニア在住。

per_husby.jpg聴き手は、Per Husby(パー・ハスビー) ノルウエィのジャズ・ピアニスト、この対談もノルウエィで行われました。
 原文はものすごく長く、テープ起こしをベタで掲載した感じなので、抄訳にしました。

<名伴奏者として>
(司) 本日は、名伴奏者のお二人をお迎えしています。ホーン奏者や歌手のインタビューでは、よく「伴奏に求めるものは?」とお尋ねするので、逆の質問から始めましょうか?伴奏する価値のある人、ない人があると思いますが、その基準は?
ロジャー・ケラウェイ (以下RK):  それは議論のテーマにはならないよ。ソロイストから伴奏者に求めることはあるだろうが、伴奏者に求めることなどありません。ホーン奏者というものは、おおむね、流れる様に吹き続けるわけですから、それがどんなプレイであれ、ぴったりする伴奏をつけるのが仕事だもの。
トミー・フラナガン(以下TF):   賛成!前もってアレンジがなければ、どうなるかは判らない。お互いの趣味の良さ次第。(笑)
(司) では、共演のオファーを受けて、「その人の伴奏ができるなら素晴らしい!」と思ったことは?
RK: 伴奏する相手によって視点を変えることが必要なので、誰と共演しようと教訓は得られると思う。今、私は若手トランペッターのジョン・スワナと共演している。彼のラインはとてもフリーだから、無理やり押さえつけたり、仕切ってはいけない、より大まかなバッキングを付けるべきだと学ぶ。ズート・シムス(ts)やクラーク・テリー(tp)の場合とは違うやり方でいく。それ
が僕の流儀だ。
TF: 私はあまりフリーな人達とは演らないが、最近ベニー・カーター(as,tp)と共演した。ある意味、非常にストレイト・アヘッドな仕事だ。彼のような名手と演る時は、相手が思うままに演れるように、つまり、できるだけフリーになれるよう、邪魔したり干渉したりしないようにしている。
Benny_Carter.jpgRK: つまりこういうことでしょ。僕もベニーとはたくさん共演してるもの。ベニーは僕が今までに演ったうちで、最も伴奏するのが難しい人!何故なら、絶対干渉してはいけないんだからね。おまけに、彼がアドリブでどう行こうとしているのかは、絶対に予測できない。
TF:たしかに行く先は判らないが、ベニーが正しい方向に行くことは間違いない。彼はとても強力で、常に正しいことを求めているからね。コードや音楽の構成についても、ベニーは完璧と言っていい。それにあの音色!アルトサックス本来のサウンドだ。私はベニーのサウンドを聴きながら育った。そして今日でもそれは健在なんだ。
RK:全く素晴らしいことですよね。お金をもらって音楽のレッスンを受けてるようなものだ。彼は今だに何かを模索しながら演奏している。彼がどう考えているか知るすべはなく予測することはできない。
TF:伴奏について、ひとつ言っておきたい。私はよく「良い伴奏者」と呼ばれるのが厭だった。自分は良い伴奏者ではないと思っていたのでね。私は、優れた伴奏者と思えるプレイヤーを聴くのが好きだ。例えばバド・パウエル、私は彼がジャズ史上最高の伴奏者だと思う。ホーン奏者にとって完璧だ!歌伴は余り聴いたことはないが、恐らく歌手にとっても完璧だったろう。
 エリス・ラーキンス(p)とジミー・ジョーンズ(p)が伴奏の手本だと、かねてから思っている。彼等は伴奏に的を絞り、自分を限定した。言わば専門職だ。
エリス・ラーキンスは’50年代のエラ・フィッツジェラルドを象徴する伴奏者、ジミー・ジョーンズは5月4日の講座のテーマ、サラ・ヴォーンの伴奏で有名。
(司):歌手と楽器演奏者の伴奏は違うと思われますか?
TF:感受性を使うということでは同じだ。
RK:主題に歌詞があるかないかが違う。
(司):歌詞を知ることは伴奏の助けになりますか?
TF: ああ、助けになると思うよ。私の場合、長年エラと仕事をした。彼女はよく知ってる歌でも、時々歌詞を忘れちゃうんだ。だから私が正しい歌詞を思い出して彼女を助けたというわけさ。(笑)
<タッチとはピアノに対する心構え!>
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(司): 私は音響工学の勉強をしたんですが、私の教授は、「ピアノにタッチなんて存在しない。」と言うんですよ。サウンドを決定するのはピアノ・ハンマーのスピードで、それ以外は、どれも「思い込み」だというのですが、どう思われますか?
RK嘘っぱちだ!(笑)センセーはピアノを弾いた事がなかったんだろう。それとも、単にいい加減な野郎で、その講義が初めてだったのかもな。次の授業になると、「全てはタッチ次第」と言いかねないんじゃないか?君も反論すべきだったね。音の色合いやサウンドの全ては、ピアノのタッチと、ペダルの使い方で決まる。
TF: 「タッチ」というものは、単なるハンマーのスピードよりも、ずっと大事なものだ。ダイナミックス(強弱)やフレージングを決定するものだし、「楽器に対する心構え」でもある。誰が弾いても大差ないサウンドが出るエレクトリック・ピアノとは違うんだ。エレピは演奏スタイルの違いだけしか表現できない。
RK: そのとおり!ピアノとシンセサイザーはそこが決定的に違う。シンセサイザーを演奏するときは、シンセがサウンドを創る。だがピアノを弾くときは、弾く者が音を創るんだ。だからピアノという楽器は、「キーボード」のカテゴリーに入れるべきではないんだ。僕がクリニックを行うときは、区別している。
TF: エレクトリック・ピアノを何度か演奏したことはあるが、満足できたためしがない。プレイバックを聴いてみても、確かに私の演奏には違いないのだが、別に私でなくても弾けるという出来になってしまうんだなあ。(笑)
 *次回は、「好きなピアノ」や「練習」の話題が登場します。乞うご期待!
 なお、ベニー・カーターに興味がおありなら、伝記ブログがありますよ。
CU

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