ウォルター・ノリスさんを悼む

 寺井尚之とOverSeasにとって掛け替えのない巨匠が10月29日に亡くなりました。アート・テイタムの流れを受け継ぐピアニスト、ウォルター・ノリスを聴いたことはありますか?ぜひ聴いてみてくださいね!
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ウォルター・ノリス(1931-2011) 写真は名盤 『Another Star』
 オーネット・コールマンの歴史的アルバム『Somethin’ Else!!!』に参加したことよりも、私達にとってウォルター・ノリスは、サー・ローランド・ハナ以降のサド・メルOrch.最高のピアニストであり、ジョージ・ムラーツやアラダー・ペゲなど、超絶技巧のベーシスト達とデュオを組むことにで、一層プレイが開花する音楽的会話の達人でした。’70年代後半からヨーロッパに拠点を移し、ドイツで結婚、ベルリン芸術大で教鞭を取りながら、レコーディングやコンサート活動を続けました。
 アーカンソー州出身のノリスさんは、同郷のクリントン大統領時代、’95年に州の「ジャズの殿堂」入り。ハーレム・ストライドから現代音楽まで、何を弾かせても、極上のタッチと迸るジャズ魂で、鮮烈さと幽玄を併せ持つノリスさん独特の世界を現出させていました。
 初来日は’50、ミュージシャンでなく通信兵として佐世保基地に駐留し、地元のジャズ・ミュージシャン達と連夜ジャムセッションに明け暮れたそうです。その後、サド・メルOrch.やコンコード・ジャズフェスティバルで日本ツアー、2003年にOverSeasの要請で夫妻で一週間大阪に滞在。大ファンだったとはいえ面識はただの一度もなかったんです。
<それは一通のメールから始まった>
drifting88.jpg 2003年にOverSeasにノリスさんがやって来たのは一通のメールがきっかけです。常連様の強い要望があり、ノリスさんのHPからメールをしてみました。寺井尚之とOverSeasのことを説明して、フラナガンやサー・ローランド・ハナ亡き後、アート・テイタムのタッチを思わせるのはノリスさんしかいないので、ぜひ大阪に来て演奏してほしいという内容であったと思います。
 すぐに返事が来て、とんとん拍子に歓迎会を兼ねた演奏会とセミナーを開催することが決まりました。滞在期間は一週間、プライベートで京都の苔寺(西芳寺)に行きたいというのが唯一のリクエストでした。ベルリンから遠い日本の小さなジャズクラブに飛んでくるなんて、なんて向こう見ずな巨匠なんでしょう!メールを読んだ途端にビビっと来るものがあったと後で伺いましたが、奥さんは、信用できないから断りなさいと大反対されたそうです。親友のジョージ・ムラーツやトミー・フラナガンの名前と、なによりもアート・テイタムというのがマジック・ワードだったのかも知れません。
<必殺技伝授>
castleSCN_0007.jpg エキセントリックな天才やったらどうしよう・・・内心おののきながら関空でKLMの到着を待ちました。にこやかに手を振りながら現れた巨匠は、カウボーイがベレー帽をかぶっているという感じ、奥さんのカースティンも英語がベラベラで優しそうな女性、「とにかくOverSeasのピアノが見たい。」と店に向かう道中、寺井尚之と昔からの知り合いみたいに熱心に話し込んでいます。「サド・メルOrch.の来日コンサートで演奏した”Quietude”のピアノ・ソロがすごかったけど、ピアノではあり得ないベンドするような不思議なサウンドがあるんですが…」というようなことを言っていました。
 店に着くと、ノリスさんはすぐさまピアノの蓋を開け、その「不思議なサウンド」を実際弾いてみせてくれました。ノリスさんがピアノを鍵盤を撫でると音がベンドするんです。それはショパンが編み出した技で「ヴァイオリン奏法」と呼ぶのだそうです。ノリスさんの指導で寺井は瞬く間にその技を習得してしまいました。それにしても、あんな大技を初対面の人間に教えてくれるとは考えられないことです。…天使の様な巨匠でした。
<名演>
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 ノリス先生の演奏を聴いたことのある方なら、圧倒的な迫力のプレイと共に、赤鬼みたいな顔つきや独特の呼吸に度肝を抜かれることでしょう。この後藤誠氏撮影の写真は、OverSeasでのライブの凄さがよく現れています。
duoP1010076.JPG 演奏はソロと鷲見和広(b)とのデュオ、”タイガー・ラグ”や”ボディ&ソウル”、そしてストレイホーンの”ラッシュライフ”…スタンダードやバップ・チューンにオリジナルやクラシックまで、巧みなプログラム構成と、ノリスさんならではの深遠なアレンジで、息の呑むプレイを聴かせてくれました。
 鷲見さんとの共演はノリスさんにとって満足の行くもので「凄い才能だ!」と絶賛。同時にピアノをコンサートの合間もしっかり調律調整してくださった名調律師、川端さんの腕前にはとても感銘を受けて、帰国後エッセイやインタビューで再三「世界的調律師」と書いています。
<泣き虫>
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苔寺にて
 熱いスタンディング・オベーションを送るお客様に、ノリスさんも「大阪に来て良かった!」ともらい泣き。演奏後、寺井家にあった兜の置物をプレゼントすると、「Beautiful!」と嬉し泣き、京都旅行では苔寺の幽玄美を前に立ち尽くしてまた涙…やはり人に感動を与えるということは、同じように自分も感動できる人なんだ!エネルギー保存の法則を強く実感するほどの泣き虫でした。
 感動の達人ノリスさんが、話してくれる巨匠達の逸話の数々は、本当に面白いものでした。アート・テイタム、チャーリー・パーカー、ベン・ウェブスター、デューク・エリントン、そして親友ジョージ・ムラーツ・・・天才たちの武勇伝や神秘的なテクニックの話、ウォルターが眉毛と声をひそめて、前かがみになって話し始めると、おとぎばなしに耳を傾ける子供のような気分になったものです。
P1010098.JPG最後の夜は宗竹正浩(b)さんと共演。
<筆まめ>
seminar.JPGセミナーにて:台本と全く違うトークになり通訳慌ててます。
 元々高血圧気味だったノリスさんは、数年前の心臓発作に襲われて、飛行機に乗ることとピアノ演奏を医者に禁じられました。故郷の米国に気軽に帰ることも出来なくなってしまったんです。辛さを押さえ、専ら執筆活動に専念されていたノリスさんの著作の一部は彼のHPに掲載されています。
 その傍ら、私達には頻繁にメールを下さいました。テーマは近況から世界情勢、踊るトナカイのクリスマスカード、ユーモラスな話、自分の草稿などなど。大阪で出会った皆さんに感動されたからだと思います。
 ウォルターが就寝中に亡くなったと言う知らせは「最近は体調が良くて医者が驚くほど」というメールから僅か数ヵ月のことでした。
 最後のメールは3週間ほど前です。「自分は年金生活だから、彼を充分助けてやることが出来ない。日本人の若者(石川翔太くん)が身の回りの世話をしてくれているらしいが、彼がいない時はどうしてるんだろう。心配で仕方がない。君達も手助けしてやってくれないか。」親友ジョージ・ムラーツの怪我を気遣う長いメールでした。
 最後になりましたが、ベルリン在住のSoon Kimさん、東京のノリス先生の教え子、徳山さん、訃報お知らせいただきありがとうございました。
 優しき巨匠、ウォルター・ノリス先生、私たちはあなたを一生忘れません。

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