マリリンはエラ・フィッツジェラルドがお好き

 あっと言う間に5月も終盤、6月2日は、寺井尚之プロ入りのきっかけとなった、エラ・フィッツジェラルド&トミー・フラナガン3の京都公演(’75)を聴く秘蔵音源講座を開催します。毎月第2(土)の定例「トミー・フラナガンの足跡を辿る」でも、6月&7月は『Ella in Japan』が登場するので、卒業気分になっていた「対訳」作りにアタフタ。エラの歌を聞き取りしてると、体がスイングして止まりません!皆さま、いかがお過ごしですか?
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「マリリン・モンローには大きな借りがあります…」:エラ・フィッツジェラルド ”女性誌 MS magazine 1972年 8月号掲載”
 エラの画像検索をしていたら、こんな2ショットが!太目の自分を歌の中で笑い飛ばすエラさんとブロンドのセックス・シンボルが親しげにおしゃべり中。エラを聴いたことがない人がいるとしても、マリリン・モンローの妖艶なショットを観たことのない人は多分いないでしょう。実は、モンローは知る人ぞ知るジャズ・ファン!NYに滞在すると、ウォルドルフ・アストリアに宿泊し、夜はジャズ・クラブに入り浸っていたそうです。中でも彼女のお気に入りはエラ・フィッツジェラルド、「お熱いのがお好き」での名唱も、ジャズファンならではのものだったのかも知れません。
 先日、コルトレーン研究家の藤岡靖洋氏がNYで入手されたノーマン・グランツ(エラ・フィッツジェラルドのマネージャー)の伝記を差し入れしてくださったおかげで、エラ&モンローについて、かなり詳しいことが判りました。藤岡先生にオオキニです。
<同志愛>
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 銀幕のモンローは「ちょっと脳みその足りない肉弾ブロンド美女」、愛くるしい美貌とグラマーな肢体、私生活ではケネディ大統領や、野球の名選手、ジョー・ディマジオなどなど歴史に残る人物との幾多のロマンス、睡眠薬の常用、謎めいた死など、何もかもが神話的!でも、実際はNYの名門アクターズ・スクールで学んだ知的な女性、普段は余りにも地味で、マリリン・モンローだと判らないほどだった。多分、繊細でありながら筋の通った姐さんだったんでしょう。
 前にも書いたけど、私はビリー・ワイルダー監督の名言が忘れられません。
「モンローの凄さはオッパイではない。耳だ!彼女は話の達人だ。誰よりもコメディを読み取る力がある」 
 聞き上手でコメディの理解が深い!だから、エラ・フィッツジェラルドが好きだったのかもしれないな。モンローもエラも、幼い時から不遇だった。どん底から一流にのし上がった苦労を味わった者同志、姉妹のような気持ちがあったのかもしれません。
<高級クラブ”モカンボ”の人種隔離主義>
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 時は1956年、にノーマン・グランツがマネージメントを始めたエラ・フィッツジェラルドはジャズ界では十分にトップスターでした。そんな彼女の行く手に立ちはだかったのは「人種の壁」、当時の超一流のクラブは「人種隔離主義」と「格式」が同義で、お客様も出演者も白人以外お断りだったんです。中でも「ナイトクラブの中のナイトクラブ」と謳われた店が、LAのサンセット大通りにある「モカンボ」というクラブ。ハンフリー・ボガートやクラーク・ゲーブルなど常連客はハリウッドのセレブや億万長者、出演者はボブ・ホープやダイナ・ショア、エディット・ピアフと、アメリカ人でなくても白人ばかり、豪華なダンスホールの装飾は、サルバトーレ・ダリが手掛けるという桁違いの高級店でした。
bogart-bacall-mocambo.jpg その店にエラ・フィッツジェラルドが出演すれば大きな飛躍になる。「私がひと肌脱いであげる!」と、言ったかどうかは知りませんが、モンローは、「モカンボ」のオーナー、チャーリー・モリソンに何度も直接電話して出演を掛け合います。さすがのモンローでも、良い返事はもらえません。そこで、Something’s Gotta Give!(うまく行くには、身を切って何かを与えなくちゃ)と、映画のタイトル通り、ある条件を提示します。
 「エラをブッキングしてくれたら、私はその間、毎日最前列にテーブルを予約するわよ。」マリリン・モンローが来店を予告すれば、ファンもパパラッチも集まって、大入り満員間違いなし!とんとん拍子に、エラ・フィッツジェラルドの一枚看板で2週間の出演が決まり、マスコミは大騒ぎ!
 マリリン・モンローは初日には、黒人スター、ナット・キング・コールと、アーサー・キットを同伴してご来店!映画の撮影時間は遅刻の常習者で悪名高いモンローが約束通り、毎日エラを聴きに通ってきました。
 エラ・フィッツジェラルドの歌唱とモンローの応援のおかげで、当初2週間だった出演は3週間に延長され、この話題を受けて、それまでジャズに興味を示さなかった西海岸の一流店がこぞってエラの公演を依頼し始めたといいます。マリリン・モンローの快挙を受け、ラスベガスの白人専用カジノにエラが出演した時には、リベラルな気風を持つ大女優、マレーネ・ディートリッヒが、黒人スターのレナ・ホーンとパール・ベイリーと三人で腕を組んでご来店!「ガーシュイン・ソング・ブック」のリリースと相まって、エラのステイタスはゆるぎないものになったんです。
<マリリン・モンローという女性>
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 というわけで、アメリカのセックス・シンボル、マリリン・モンローの意外な一面は、21世紀になってから、”Marilyn and Ella”という舞台劇になってロンドンで上演されました。
 マリリン・モンローは、公民権運動にも大きな支援をしているし、撮影中に左翼的な本を読んでいて監督に注意されたこともあったほどでした。共産党員であったイヴ・モンタンとのロマンスや、彼女の死因も、あれこれ考えると妄想の種は尽きません。
 映画史上最高のコメディエンヌ、マリリン・モンローに乾杯!また「お熱いのがお好き」を観なくちゃ!
 そして、OverSeasにもご来店お願いします!Something’s Gotta Give!ですよ!

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