年末雑感 2012

end-of-year-sale-12-6.jpg あっという間に、2012年もエンディング・カデンツァに・・・皆様いかがお過ごしですか?

 昨年の今頃は、ジョージ・ムラーツさんのベースのお世話でテンヤワンヤでした。今年はゆったり年賀状に添え書きができそうと思っていましたが、ハプニングがいろいろあって、なかなか身動きが取れず、どうぞ非礼をお許しください。

  2012年のOverSeas、なかなか大変な年でしたが、寺井尚之の還暦祝いや、「トミー・フラナガンの足跡を辿る」完遂記念パーティでは、たくさんの方々のご協力で、楽しい宴会を開催することができました。「バベットの晩さん会」ではないけれど、音楽を愛する皆さんに、おいしい顔をしていただけるのが、私にとって最高の幸せ!「たまえさんが一番楽しそうでしたね。」とお客様に言われるほど、幸せでした。

 

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 ヒットソングが街に流れるのではなく、iPodのイヤホンから注入されるものになり、ジャズ喫茶やレコード店が姿を消していく中、「音楽を聴く」「感動する」という言葉の意味が、私たち20世紀の昔人間が使うのとは、かなり変容したように感じる中、寺井尚之は、自分が体験した感動を、少しでも後進に伝えたいと、今年はDVDでトミー・フラナガンはじめ、巨星たちの映像を見るイベントを数多く開催しました。来年も、ジャズの素晴らしさを伝えるイベントを開催予定ですので、ぜひご参加ください!

 

blackhistory1.jpg 一方、私自身は、OverSeasでの「トミー・フラナガンの足跡を辿る」と、ジョン・コルトレーンの権威、藤岡靖洋氏との本のプロジェクトで、デトロイトやフィラデルフィアなど、ハードバップ期のジャズメンを多数輩出した土地の社会構造や歴史を勉強していたら、どんどん奥地に入り込み、最近は「奴隷解放」(emancipation)というところまで来てしまいました。

 

  ジャズはごく短期間に驚異的な速度で発展した音楽芸術ですが、広大な国土に、異なる法律と文化を持つさまざまな地域で育ったさまざまな巨人たちのメンタリティの違いは、日本人の私たちの想像をはるかに超えたものであるようです。「時系列」や「地域性」は、たとえばニューオリンズ・ジャズ、カンザス・シティ・ジャズと、その町で花開いたジャズ・スタイルとして、ジャズの入門書にまとめられていますが、まだまだ語るべきことがあるように感じます。

 

 たとえば、ジャズのメッカ、NYの巨大大黒人コミュニティ、ハーレム育ちのソニー・ロリンズと、大きな繁華街もなく、黒人参政権のないノース・カロライナで育ったジョン・コルトレーンとは、同じ言語を話すアメリカ人でも、育った風土は外国ほど違ったのではないでしょうか? 

 「黒人史」という学問自体がジョン・コルトレーンの生まれ年、1926年までは、米国が触れたくない歴史として、殆ど闇に葬られようとした分野ですから、まだ100年も経っていないもので、ジャズ史やひいては「黒人音楽史」はまだまだこれからの分野なのかもしれません。

   来年は、もっといろいろ調べて、Interludeでみなさんにご報告できればと思っています。

 

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 ブログにお立ち寄りくださったみなさん、お付き合いくださるブロガーのみなさま、今年もいろいろお世話になりました。

 今年も、たくさんの別れや出会いがありました。いろいろ苦労もあったけど、心が折れそうになると、決まって、誰かがやってきて、励ましてくれたり助けてくれた2012年。

 来年もOverSeasと寺井尚之をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

CU

 

 

 

対訳ノート(37) Violets for Your Furs

  イルミネーションが灯る師走の大阪です。皆さまいかがお過ごしですか? 今日は、OverSeasで聴いていただきたい12月の曲“コートにスミレを”の歌詞について書こうと思います。

<魔法のラブソング>

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  ”コートにスミレを”曲は、弾き語りの名手マット・デニス作曲、トム・アデール作詞、歌詞は極めてシンプルで“ぼく”から”きみ”に、歌手が女性なら“わたし”から”あなた”への独白形式。

  “雪のマンハッタン、”ぼく”は街頭の花屋でスミレを“きみ”に買ってあげた。”きみ”がスミレを毛皮に留めた途端、魔法が起きて、街は春になった。”要するに、たったこれだけの話。…でもその歌詞は、冒頭8小節目の”Remember? (覚えてる?)”の一語以外、全てが過去形。(”Remember? “は、Did you remember? なのかDo You…?なのか不明)英語の時制の意識は、日本語より随分はっきりしているので、これが歌詞のキーポイントになっている。

 その12月の魔法が起こった「過去」が具体的に去年なのか、それとも何年も前のことなのか? 二人はそれからどうなったのか?そのヒントは歌詞にはありません。だから、シナリオは歌い手次第なんです。

  クリスマス・ツリーが煌めき、子供たちがはしゃぐ暖かな家庭で夫が妻に語るマット・デニスの名唱にも、思い出の美しさが人生の哀切を照らし出すビリー・ホリディの圧倒的な表現の素材ともなるんです。世の中にラブ・ソングは星の数ほどあるけれど、「歌詞解釈」に、これほどの幅を持たせる歌も珍しい。そして暗い冬空が青空に一変するディズニー映画のような「魔法」のシーンも聴きどころであり、見せ所です。

<作詞家、放送作家 トム・アデール(1913-1988)>

TomAdair.jpg デニス―アデールのコンビが創作活動をしたのは、デニスが陸軍航空隊に出征するまでの僅か2年間、”Everything Happens to Me””Will You Still Be Mine?””The Night We Called It a Day”といったフランク・シナトラの名演目を沢山作りました。ほとんどが大ヒットとなり、多くはジャズ・スタンダードとして今も演奏されています。

  冬のNYの情景がロマンチックに描かれた歌、作詞のアデールはカンザス州の洋服屋の息子で西海岸LA育ち。電力会社で苦情処理係として8年間働きながら詩を書いていた。ハリウッドのクラブでアデールと出会ったデニスは、その才能に仰天し共作を開始、作品を見た歌手ジョー・スタッフォードがトミー・ドーシーに強く推薦して楽団の専属スタッフになりました。二人の作品は、そのタイトルからも判るように、ギラギラと濃くなくて、しみじみとした作風、ウィットが効いて洒落ている。日本の中村八大、英六輔のコンビを連想します。

 

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  デニス以外の作曲家との仕事で、最も有名なアデール作品は、トミー・フラナガンが『Moodsville 9』に収録している”In the Blue of the Evening”ですが、1944年以降は主にラジオやTVの連続ドラマの放送作家として大活躍、そして、’50年代からは、この曲で見せた「魔法」があまりに鮮やかだったせいなのか、本物のウォルト・ディズニー・プロダクションの一員となり、ディズニーランドをはじめ、様々なプロジェクトに関わっています。日本で公開されているアデール関連のディズニー作品は、’60年代にプロレス番組と交替で隔週放映されていた『ディズニーランド』や、アニメ作品『眠れる森の美女』、連続活劇『快傑ゾロ』など、世代によっては懐かしい名前のものがあるでしょ!
歌詞のバイブル本『Reading Lyrics』には、「ディズニーがアデールを得たことは、音楽界にとって大きな損失となった。」と結論付けています。
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       <ビリー・ホリディの毛皮に>

billie-holiday-6YT7_o_tn.jpg さて、ビリー・ホリディの名唱が収録されている『Lady in Satin』(’58)は、カーメン・マクレエが「LPがすり減るまで繰り返し聴くのでを、常に予備のレコードを2枚所蔵している」というほどの名盤ですが、”コートにスミレを”が生まれたきっかけも、実はビリー・ホリディ毛皮の姿だったんですって。雪の降る真冬のシカゴ、デニス&アデールが、土地の有名ジャズ・クラブ、”Mister Kelly’s”にビリー・ホリディを聴きに行ったんです。 アデールが自分の恋人のためにスミレの花束を持ってきていて、会場に入って来たホリデイは毛皮のコートを着ていた。そのとき1941年、レディ・デイ芳紀26才、この写真よりもずっと若くて毛皮がさぞ似合っていたのでしょう。
 「今夜は何を唄うんだろう?」あれこれおしゃべりしているうちに、アデールがふと思いついたのが『Violets for Your Furs』というタイトル、歌詞、メロディ、ハーモニーが、Kelly’sのテーブルクロスに殴り書きされて、あっという間に一丁あがり!フランク・シナトラがすぐにレコーディングしたのだそうです。

 歌詞対訳は、マット・デニスの歌うオリジナルなものを掲載しておきます。ビリー・ホリディの詳しい歌詞解釈は、寺井尚之ジャズピアノ教室の解説本をご参照ください。

Violets for Your Furs コートにスミレを>

 Lyrics by Tom Adair / Music by Matt Dennis 原詞はこちら

<ヴァース>

それは雪の舞い散る真冬のマンハッタン、
街路も凍てついていたっけ。
でも、いつか聞いたことのある、ちょっとした魔法で
一瞬のうちに天気が変わったんだ…

<コーラス>

 
君の毛皮に、スミレの花を買った。
そうすると、しばらく真冬が春になった、
覚えているかい?
君の毛皮に、スミレの花を買ってあげた。
すると12月がしばらく4月になった!

花束に吹き積もった雪は溶け、
夏の陽射しにきらめく花の露に見えた。

君の毛皮に、スミレの花を買った。
すると灰色の雪空が青くなった!
君はスミレを得意そうに毛皮に留めると、
道行く人も楽しそうだったね。

あのとき僕に微笑みかけた君はほんとに可愛いくて、
その時、思ったんだ。
僕達は完璧に恋に陥ちたんだなって。
君のコ-トにスミレを贈ったあの日に。 

 12月の名曲、<Violets for Your Furs>は、12月22日(土)、寺井尚之The Mainstemで!

ぜひ聴いてみてくださいね!

12月のThe Mainstemはコートにスミレで!

 今年も残りわずかになりました。皆様いかがお過ごしですか?

 daveimages.jpegOverSeasには、東京のお客様に送っていただいたラ・フランスという洋ナシの香りが漂っていい気持ちです。

 ジャズ界ではデイブ・ブルーベックが91歳で亡くなり、日本ではたった57歳で中村勘三郎が逝ってしまいました。

benkei1_2.jpg 勘三郎は、かつて船弁慶を踊ったとき、そのラストに日野皓正のトランペットを使う演出で観客の度肝を抜いたこともありました。能を題材にしたちょっとホラーっぽいストーリーだから、ジャズのトランペットに合わせてなぎなたをクルクルまわしながら下がっていく「型破り」な演出が大評判!

 「型破り」というのは、日本の文化を象徴する言葉なのかもしれません。能狂言の稽古では、最低10年間はひたすら師匠を真似て覚えるだけといいます。完全に師匠の教えを身に着けた時点で、初めて「型を破る」ことが許される。自分のイマジネーションを生かすことが可能になるというのです。勘三郎の、モダンでありながら伝統の底力で、「日本人に生まれてよかった!」と私たちに希望を与えてくれる独特の芸風も、先人の遺産を深く広く理解しているからでしょう。

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  寺井尚之というジャズ・ピアニストも、『型」を学びぬいてきたからこそ、それを破って自分のスタイルを作ってきたのかなと、日々感じています。

 今週と来週の土曜日に(多分)聴ける「コートにスミレを」は寺井尚之の名演目のひとつです。マット・デニスやビリー・ホリディの名唱で知られ、色んな解釈の出来る歌。
 場所は12月のNY、真冬の情景が、街の花屋で恋人のコートにスミレを飾った瞬間に、春に一変するというファンタジックな曲。ピアノ・トリオで表現する情景の移り変わりは、まるで歌舞伎の廻り舞台!

 冒頭のヴァースから、歌詞に因んで、宝塚歌劇団でおなじみの「スミレの花咲く頃」で、茶目っ気たっぷりの粋な幕切れまで、ちょっとした短編映画のように、弾き付けられてしまいます。

 OverSeas冬の名演目、12月15日(土)と22日(土)の寺井尚之The Mainstemトリオ、忘年会の喧騒を避けて、ぜひごゆっくりお過ごしください!

CU

週末はジャズ鑑賞で!

 先週はエコーズ最終回、最後の鷲見和広(b)さんを楽しもうと、たくさんのお客様が来てくださいました。中には、東京在住のお客様や、NYから帰国中の石川翔太くんも!

 People Come and Go…

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そして、先週末はアマチュアのトップ・ドラマー、林宏樹(ds)ライブ!寺井尚之とは学生時代から、いろんな演奏場所でブリブリ演っていたオールド・フォークス!懐かしいジャズの仲間、というか、私にとって大先輩たちがたくさん応援に来てくださって、音楽のツボをしっかり押さえて大応援!
 
trio5IMG_2194.jpg その応援ぶりを見ながら、エルヴィン・ジョーンズ(ds)がデトロイトの”ブルーバード・イン”という名クラブについて、こんなことを書いていたのを思い出しました。「”ブルーバード・イン”のお客さんは音楽をわかっている人ばかりだった。あんな店はほかにない。ひょっとしたら、全員がなにがしかの演奏をする人ばかりだったのかも・・・」

  怒涛の一週間が終わり、今週は金、土と連日講座です!

 ahmad_jamal.jpg 12/7金はピアノの魔術師、アーマッド・ジャマルがDVD講座に登場!80歳を超えても、まだ現役バリバリ、古くはマイルス・デイヴィスやオスカー・ピーターソンたちに影響を与え、現在はヒップホップのアーティストたちにこぞってサンプリングされる、そんなジャマルのボーダーレスなピアノ・マジックについて、寺井尚之が徹底解説!

 モンティ・アレキサンダー同様、欧米ではビッグ・スターなのに、なぜか日本では低評価。だから来日回数も多くありません。映像で観てこその面白さのあるジャマル!ぜひご覧あれ!

 burrell.jpg(土)は新「トミー・フラナガンの足跡を辿る」その2!トミー・フラナガンがデトロイトからNYに進出した直後の録音群を再検証していきます。

 『Jazzmen Detroit』『Introducing Kenny Burrell』そして、NYに出てきたフラナガンに注目したオスカー・ペティフォードのビッグバンド名盤『Pettiford in Hi-Fi』 どれも 寺井尚之の新しい発見いっぱいの新ラウンドになりそうです。

私は資料として、スミソニアン博物館歴史資料、ケニー・バレルのインタビューの日本語版を作ってみました。

 

Kenny Burrell

Kenny Burrell (Photo credit: Wikipedia)

デトロイトから多くの名手が輩出した土壌や、NY進出後、多数のリーダー作を出しながらも、スタジオ・ミュージシャンとして才能をすり減らした苦労話や出世話など、見かけによらず苦労人だったバレルの栄光や挫折、意外な素顔を観ることが出来ます。

 バレルの発言を逐一記録した、アーカイブ文書は、その行間や、「語られていないこと」に、より興味を惹かれて、取材を続けたい気持ちにさせられます。

 週末講座2本立て、どうぞお楽しみに!

12/7(金) 7pm- 映像で観るジャズの巨人:アーマッド・ジャマル

12/8(土) 6:30pm-  新トミー・フラナガンの足跡を辿る

いずれも受講料は2,625yen (学割チャージ半額)


 

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