オスカー・ペティフォード(1922-60):アメリカ先住民とジャズ

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 今週の新「トミー・フラナガンの足跡を辿る」は、『Oscar Pettiford in Hi-Fi』から、フィル・ウッズ(as)『Pairing Off』、超人気盤、ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(前篇)まで。3枚とも、主役、脇役、双方が強烈な輝きを発散し合う名盤ばかり!

 『Oscar Pettiford in Hi-Fi』は、ハープやフレンチ・ホルンを完璧にジャズに取り込むジジ・グライス(as)達編曲陣のスゴ技も聴き所!ペティフォードは自らが主催するジャムセッションに参加したNY進出直後のトミー・フラナガンの実力に、いち早く着目し起用したのでした。そのころペティフォード34才、フラナガン26才!

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<チェロキー!>


AI03.jpg オスカー・ペティフォードはアメリカ先住民が多く住むオクラホマ州、オクマルギー群に生まれた。母はチョクトー族、父はチェロキー族とアフリカ系アメリカ人の混血、そんな彼の血脈は親しい仲間しか知らなかった。昔は「先住民の血筋は隠すべき事柄」だったとか・・・とはいえ、『In Hi-Fi』に収録されているジジ・グライスの颯爽とした作品”Smoke Signal”は先住民のコミュニケーション手段、「のろし」です。
 
 イリノイ・ジャケー、ミルドレッド・ベイリー、チャーリー・パーカーなど、先住民の血を引くと言われるジャズメンは多い。トミー・フラナガンの祖母も先住民との混血だったそうです。フラナガンによれば、黒人と先住民の結婚はごく一般的なことだった。だとすれば、ジャズという音楽は、アフリカ大陸のDNAとヨーロッパ音楽の融合と言われているけれど、アメリカ先住民の音楽的要素も含まれているのではないでしょうか?
 どうやらペティフォードは、同じ4/4拍子でも、ヨーロッパ音楽、アフロアメリカン、インディアンのタイム
はそれぞれに違うということを深く理解して音楽を作ったらしい。
 何百曲というペティフォードのオリジナル曲にも、ネイティブ・アメリカン的ば要素があるのだろうか?その辺りのことを研究している人はまだまだ少ないようですね。ペティフォードのチェロやベースのサウンドは、どれほど凄い技巧を駆使しても、木の持つ温かみの奥に熱い鼓動が脈打つ独特の手触りを感じます。あれはペティフォード個人の魅力なんでしょうか?それともネイティブ・アメリカンのDNAなんでしょうか?
  

 

 ペティフォードは10人兄弟の大家族、幼少から高校卒業する頃まで、父親をリーダーとするファミリー・バンド”ドク・ペティフォード楽団”一員としてミネアポリスを本拠に演奏活動をしていました。幼い時は歌と踊り、12才でピアノ、14才でベースを始めた。兄弟全員が複数の楽器に習熟する凄い家族。例えば、姉、レオンタインはピアノや編曲もこなす才女で、あのレイ・ブラウン(b)を教えたこともあった!兄のアロンツォは後にトランペット奏者としてライオネル・ハンプトン楽団に入団。他にもコールマン・ホーキンスばりのテナーを吹く兄や、美形の姉妹がドラムを担当していた。

 40年代初め、キャブ・キャロウエイ楽団がミネアポリスを訪れた際、ベーシストのミルト・ヒントンが地元のクラブで”ドク・ペティフォード楽団”を発見し、オスカーの余りのうまさにびっくり仰天、バンマスのキャブ・キャロウエイまでオスカーをたいそう気に入ってヒントンはあやうくクビになりかけた。以来、ヒントンとペティフォードの交流は続き、一時オスカーがベースを辞めようと真剣に考えた時に、続けるよう励ましたのもヒントンでした。ミネアポリスの雄、ペティフォードの噂は広まり、チャーリー・バーネット楽団に入団、チャビー・ジャクソンとダブル・ベース・コンビでブレイクするものの、闘志むき出しのアグレッシブな性格が軋轢を生み退団。’43年からNYに定住し、ビバップ・ムーヴメント最前線のベーシストとして活躍、デューク・エリントンやウディ・ハーマンなどの一流楽団で人気を博しました。

 

 <破天荒なカリスマ>

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 ウディ・ハーマン楽団時代は、野球の試合で腕を骨折、ほぼ一年の静養中にチェロに習熟したそうです。ギブスをはめて平然のすごいプレイしていたとか・・・酔うと、お金がないのに、いいかっこしてタクシーで遠距離ドライブ、そのたびにハーマンがタクシー代を払いに行ってたとか。

  喧嘩はめっぽう強くて、バイオレントなことでは負けないチャーリー・ミンガスを一発でKOしたとか・・・今なら大スキャンダルになる逸話には事欠かない天才でした。
 

  「神から与えられたお役目」として音楽にひたすら打ち込むひたむきな姿に、「この人の為ならギャラなんて要らない!」という子分が多かった人。

 『In Hi-Fi』を聴いていると、緻密でクールな音楽性の中に、あふれ出る音楽への情の深さが感じられて、心が洗われるように感じます。でも、天才ペティフォードにとっても経済的に楽団を維持するのは並大抵のことではなかった。バンドが経済的に破たんした後渡欧し、38才を目前にコペンハーゲンで客死しています。

 以前、NY在住のYAS竹田君が、地下鉄の72丁目駅でベースを抱えて降りていくと、駅員さんがオスカー・ペティフォードの甥っこだったそうです。奇遇ですね!

 

 土曜日はペティフォードのカリスマ性を感じながら、ハードバップのサムライたちに一緒に乾杯しましょう!

 

 お勧め料理はハーレム風、ポーク・ビーンズを炊いておきます。

 

CU

「オスカー・ペティフォード(1922-60):アメリカ先住民とジャズ」への2件のフィードバック

  1. 同じようなことを最近は調査していますねwww
    チェロキーの血を引く有名人の一例:
    音楽
    エルヴィス・プレスリー
    ジェイムズ・ブラウン
    ジミ・ヘンドリクス
    ティナ・ターナー
    俳優
    キャメロン・ディアス
    ケヴィン・コスナー
    ジョニー・デップ

  2. Fuji先生、「血脈」というバックグラウンドと「個」の芸術性、興味は尽きませんね。先住民の血を引く一般社会のスターとしては、私はキム・ベイシンジャーも印象的でした。でも、落としどころはまだ未知の領域です。
    また色々お教えください!bf

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