「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」が始まり、フラナガンが共演した巨匠達のことを再び調べてます。先週、ジジ・グライス関連で魅了されたS.ニール・フジタのアート・ライフについて書いたら、思いがけず、プロのアート・デザイナーの方から励ましのお便りを頂き、とても嬉しかったです。ありがとうございました。
今回も、講座に関連して、私が感動したものをご紹介します。
それは1962年10月、ソニー・ロリンズが10代の頃から尊敬するコールマン・ホーキンスに宛てて書いた手書きの書簡で、ロリンズの公式HPの中で偶然見つけました。ロリンズがしばらく第一線から離れ、ロウワー・イーストサイドのウィリアムズバーグ橋で研鑽を積んだ末、『Bridge』をひっさげてジャズ・シーンに劇的なカムバックを果たした数ヶ月後に書かれた書簡です。
手紙はたいへん丁寧な言葉で綴られており、当時のミュージシャンの上下関係は、相撲の世界にも似た固い絆で結ばれる縦社会であることを実感しました。
原文はここにあります。なにしろ手書きなので、Google翻訳も無理ですから、和訳をつけました。
’62年10月13日
親愛なるホーキンス様
先日《ヴィレッジ・ゲイト》で聴いた演奏は最高でした!!”ジャズ界”という激しい競争社会の中、トップであり続け、今なおリーダーシップを堅持されていることよりもなお、長年磨きぬかれた音楽が、あなたの人格と品位の副産物であることの方に、ずっと大きな意味があると思いました。
若手プレイヤーの中には、不幸にも、音楽の才能があるのに人間的に未熟な者が数多くいます。そしてオフ・ステージでの未熟な人格は、プレイに表れます。
やがて彼らは、自分に音楽を創造する能力がないことに気がついて愕然とするものの、いったいどうして音楽的なパワーが、またたく間に失われてしまったのか、その理由には気が付きません。
あるいは、自滅しないためにどうすれば良いかを分かりつつも、自分の生き方を変えられない弱虫で、一人前じゃないのかもしれません。
はっきり言えるのは、人格や知識、そして美徳といった資質は、”音楽”に優る、ということです。そして真の”成功”は、それらの資質を高めることができるかどうかにかかっています。その努力を続けてきたコールマンは、我々の誇りです。あなただけでなく、我々仲間全体の名誉です。あなたのおかげで、私を含めた多くの後輩も高い志を持つことができるのです。あなたは”たゆまぬ努力の素晴らしさ”を教えてくれる、生きた手本です。
私はずっと、この意義ある事を発言せねばと感じていました。
このたびのライブを聴いて、私がなぜあなたのことを強く尊敬してきたのか、その理由がわかりました。
ツアーのご成功をお祈りし、あなたのテナー・サックスの演奏を再び聴くことができるよう願っています。
ソニー・ロリンズ拝
ロリンズにとってホーキンスは、左の写真みたいな少年の頃、サイン欲しさに、一日中家の前で待ちぶせした大ヒーロー。その純粋な心は、自分の成長につれ、ドラッグに依存したり、音楽的な壁にぶつかり、自分を見失いそうになるたびに、一層深い尊敬と理解に変化していったのかもしれません。
「英雄は英雄を知る」
一方、コールマン・ホーキンスは、この年57歳、トミー・フラナガン、メジャー・ホリー、エディ・ロックとレギュラー・カルテットを組み、ライブやレコーディング、テレビなど精力的に活動していました。
トミー・フラナガンが全キャリアを通じて、最も敬愛したボスがこのコールマン・ホーキンス!トミーがソニーと仲良しだったのは、ホークへの想いを共有する同志愛だったのかも。名盤『Hawkins ! Alive ! at the Village Gate』(V6-8509)が同年8月録音ですから、手紙に書かれたホークの演奏もフラナガン達がバックを務めていたに違いありません。
ロリンズ自ら、敢えてHPに公開したこの手紙は、ロリンズを理解する一つの鍵であると同時に、新しいサウンドを模索するアーティスト達の姿勢を教えてくれる宝の地図なのかもしれません。
寺井尚之の「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」、これからどんどんおもしろくなります!乞ご期待!
CU