When Tommy met Hawk: 『Coleman Hawkins All Stars』

Coleman+Hawkins+-+Coleman+Hawkins+All+Stars+-+LP+RECORD-361107.jpg  今月の「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」に、テナーの巨人、コールマン・ホーキンスとの記念すべき初共演『Coleman Hawkins All Stars』が登場!ホーキンスはフラナガンにとって、数多くの巨匠の内でも最高に敬愛した親分です。

 昨年のフラナガンの誕生日にテッド・パンケンというジャズ・ジャーナリストが、彼のブログ“Today is the Question “に一挙UPしたフラナガン・インタビューで、このセッションが二人のレギュラー活動を決定づける契機になったことが判明!プレスティッジ得意の1テイク録りセッション、そこに今までの叡智を注ぎ込んだフラナガンの入魂のプレイ、ホークのサウンドに心と耳を傾けたバッキングと、清流の鮎のようなソロ!フラナガンのミュージシャン魂ここにあり!演奏中の心の機微、寺井尚之の迫真の解説に私も期待!

 このインタビューは、1994年に、NYのFM局”WKCR”で放送されたもので、フラナガンはパンケンさんを信頼しているようで、デトロイト時代からNYに出てからの数々のエピソードをフラナガン独特の語法で楽しそうに話しています。そこにはフラナガンならではの切り口が光っていて、数あるインタビューの内でも三本の指に入るかもしれません。そこにあった発言を引用しながら、フラナガンが観たコールマン・ホーキンスの言を書いてみます。

<マッチメイカーはマイルズだった>

 ホーキンスはサー・ローランド・ハナからジョー・ザヴィヌルまで、多数のピアニストやミュージシャン達に慕われた。とりわけフラナガンはホークに心酔し、レギュラーを去った後、ホーキンスがアルコールで体調を崩し引退状態になった時にも支援したらしい。

 上のアルバム『Coleman Hawkins All Stars』(’60)の録音時、ホーク55才、フラナガン30才、ジャズ史的には数世代の隔たりがある二人の出会いをもたらしたのはマイルズ・デイヴィスだった。意外!だってフラナガンは、デトロイト時代からマイルズと交流があったものの『Collector’s Item』中のセッション(’56)で、マイルズにブロック・コードを弾けという命令に従わず、それ以来レコーディングで使われることもなかったのですからね…。

 パンケンのインタビューでフラナガンはコールマンについて次のように語っている。

 Coleman_Hawkins,_Miles_Davis_(Gottlieb_04001).jpg

 TF:  コールマン・ホーキンスとの出会いは、《バードランド》だった。実はそこに居たマイルズ・デイヴィスが僕を紹介してくれたんだ。マイルズは人を結びつける達人だ!「コールマン、トミー・フラナガンを知っているかい?」と水を向けてくれたんだよ。

コールマンは「Yeah、もちろん知ってるさ!」と言ってくれたから嬉しかったね。でも本当は一度も会ったことがなかったんだ。一体どこで僕の演奏を聴いてくれたんだろう?彼がデトロイト出身のピアニストが好きなことは知っていたけどね。ベテランの巨匠で、初めて一緒にレコーディングしたのがコールマンで、その時の僕のプレイを大いに気に入ってくれたんだ。

 *これが『Coleman Hawkins All Stars』!マイルズって思った以上にいい人ですね。

<レギュラーバンドの結束>

 だって、僕はコールマンのレパートリーをよく知っていたもの。生まれてこのかた僕は彼のレコードをずうっと聴きこんでいたんだから当たり前さ!このレコーディングの後、コールマンはロイ・エルドリッジと一緒に出演していた7thアヴェニューの《メトロポール》で僕を使ってくれた。それからツアーにも同行した。ノーマン・グランツの初期JATPで6週間の英国ツアーだった。リズムセクションは僕とメジャー・ホリー(b)、エディ・ロック(ds)、その間に、この小さなバンドはとてもタイトなサウンドになった。

 *『Coleman Hawkins All Stars』のセッションは1960年1月で、英国楽旅は同年の11月から年末まで行われていました。下の写真がホーク親分とフラナガン、ホリー、ロックの腹心の子分たち。

tommy_flanagan-coleman_hawkins-major_holley-eddie_locke.jpg

 コールマン・ホーキンスのミュージッシャンシップには感服するのみだ。彼は音楽に関するありとあらゆることを知る生き字引だ。やることなす事、彼の全てがすごかった。僕達は市販のシートミュージックを渡されてそれをレコーディングする、という仕事をよくやったんだけど、彼はどんなクレフのついた譜面でも即座に読んで、スコアにある情報を完璧に収集し、どんな曲も初見の1テイクで演ってのけた。
 *『Moodsville』の名盤はほとんどそういう録音だったというから恐ろしい…

 沢山の録音経験を重ねてわかったことだが、録音の際、完璧に準備した上で演るというテナー奏者がいる。そういうテナー奏者は、往々にして、1テイク以上録音しようとしない。コールマン・ホーキンスもそういう人種だ。あの有名な “Body and Soul.” もそういう録音で、恐らくは1テイクだ。二度とは出来ない、そういうプレイだ。

TP(テッド・パンケン): でも、彼はあなたともしょっちゅう”Body and Soul”を演ってたんでしょう?
TF: Yeah,
TP: それで毎晩演奏内容が変わるんですか?違うプレイを演るというんですか?
TF: もちろん!
TP: 本当に?毎晩、全てが変わるんですか?
TF: ほとんど変わらないのはエンディング・コーダだけだったよ。 (歌ってみせる)つまり、ラストは曲とは別もの だからね。まあ、どえらいミュージシャンだった!

 それに彼は若いミュージシャンに対してとてもオープンだった。彼は、誰よりも早く、モンクこそが聴く価値があり学ぶべき音楽家だと看破した。モンクがすごいということを皆に伝えて注目させた最初の人だ。 僕はコールマン・ホーキンスのそういうところが大好きなんだ。彼がそうしてくれなかったら、モンクはあそこまで大きく成れなかっただろう。勿論、ディジー・ガレスピー、ファッツ・ナヴァロ、マイルズ・デイヴィス達、若手達と交流し、彼らの音楽を紹介した。

Coleman Hawkins 10.jpg

  一方、オフステージでは人間としての模範だった。酒のたしなみ方、洋服の着こなし、全てを教えてもらった。彼の酒の趣味は最高だったし、酒を飲んで、酒に呑まれない方法は彼から学んだ。教えてくれた。音楽的にも、人間的にも、ほんとうに素晴らしい人だったよ!

 明治生まれの巨匠、コールマン・ホーキンス再発見!ホークの人間として素晴らしいところ、ビッグなプレイはこれから「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」にどんどん登場します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です