アキラ・タナ『音の輪』:本拠地で絶賛!

  先日ご紹介したアキラ・タナの『音の輪』、来日に先駆けて本拠の西海岸で精力的に活躍中!スタンフォード・ジャズフェスティバルでコンサート・レビューが、Jazz Policeというサンフランシスコのジャズ系有名ポータルサイトに掲載されていました。ライターはサンフランシスコ・ベイエリアの有名ライター、ケン・ヴァームズ、自らもテナー奏者です。インターナショナルな土地柄と音楽を結んだ視点で聴く3つのコンサート、筆者が最もインパクトを受けたのがアキラ・タナと『音の輪』であったことが、文章からじわ~っと滲み出てくるレビューです。

『音の輪』、ライブで聴いてみたいですね!2015ツアー・スケジュールはバンドのHPに!

アキラ・タナを単独でフィーチュアするライブは9/8、OverSeasで!


=ジャズに溢れる国際色:フィロリ&スタンフォード・ジャズフェスティバル=

Thursday, 16 July 2015, Jazz Police 原文はこちら

  ベイエリアは音楽の驚きに溢れる場所だ。国際的な土地柄が理由のひとつである。世界中のミュージシャンが、単なるツアーではなく、この地を目指してやって来る。最近行われた二つのフェスティバル、なかでも3本のパフォーマンスは、ここベイエリア特有のグローバルな香りと、強烈な音楽の魅力を最大限に発揮していた。

7/12 フィロリ・ジャズフェスティバル

­=ラリー・ヴコヴィッチ=

larry and rob 0715.jpg

Larry Vukovich (p)and Rob Roth(sax) ©Ken Vermes

 ラリー・ヴコヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア、モンテネグロの小さな町の出身だ。1951年、14才の時、家族と共にに政治的圧力から逃れ、サンフランシスコにやって来た。以来、町のレコード店をめぐり、ラジオから流れてくるジャズを聴き、やがてミュージシャンとなり、活況を呈するクラブ・シーンに飛び込む。 彼の活動の幅は広く、ジョン・ヘンドリクス(vo)との長期の共演をはじめ、様々なバンドを率いてクラブやフェスティバルを舞台に活躍してきた。さて、7月12日、州間高速280号線をウッドサイドで降りたところにある風光明媚な史跡、フィロリ・ガーデンで毎年開催されるフィロリ・ジャズフェスティバル、ヴコヴィッチは特別編成のオールスター・バンドを率いて出演した。

jackie and hector 0715.jpgJackie Ryan(vo) and Hector Lugo (perc) ©Ken Vermes

 ラリーはピアノの名手に留まらず、バンドリーダー、音楽研究者、教育者、プロデューサーとして長年活動している。大なり小なり彼と無関係な音楽環境はほとんどないだろう。そして、どの分野でも徹底した国際主義が特徴だ。だれだって、彼と少しでも話してみれば、どんな苦境や試練に見舞われようと、それを教訓としてしまう高度な知性と知力の持ち主であると判る。

 さて、今回のコンサートは二部構成、ロブ・ロス、ノエル・ジュークス(saxes)をフィーチュアしたデクスター・ゴードン・トリビュート・クインテット、「スヌーピー&チャーリー」の音楽担当として有名なピアニスト、ヴィンス・グアラルディへのトリビュート・バンド、ラテン・バンド、ヴォーカル・グループ、そして、全ミュージシャン+ヴォーカリストのジャッキー・ライアンという複数のバンドで登場した。

 ラリー以下それぞれのグループが各テーマに相応しいプログラムを披露したが、特筆すべきは、デクスター・ゴードンにトリビュートした”チーズケーキ”、ノエル・ジュークスのクラリネットをフィーチュアした”プア・バタフライ”の歴史的ヴァージョン、ライアンのヴォーカルをフィーチュアした”アイ・ラヴズ・ユー・ポーギー”、ヴィンス・グアラルディ・トリビュートでの”風の吹くまま”(「スヌーピーの大冒険」より)、”ギンザ・サンバ”、フィナーレに全員で演奏した”キャラヴァン”であった。全プログラムを支えたメンバーはジョシュ・ワークマン(g)、若手ジョン・アーキン(ds)、ルイス・ロメロ、ヘクター・ルゴ(perc)、そして長年にわたり引っ張りだこのトップ・ベーシスト、ジェフ・チェンバース(b)であった。

6/20, 7/10:スタンフォード・ジャズフェスティバル

akira tana 0715.jpg

Akira Tana©Ken Vermes

イリアーヌ・アライアス

 高速280号線から少し南に行くと、スタンフォード・ジャズフェスティバルだ。その2つのコンサートで、さらに豊かな国際色が楽しめた。まず6月20日、コンサートのオープニングは、あの素晴らしいイリアーヌ・アライアス、彼女をフェスの幕開けに望まない主催者はいないはずだ。

 アライアスは、デビュー当時、ブラジル人ヴォーカリストとしてクレジットされていたが、彼女もまだ、ヴコヴィッチ同様、歴史上の様々な音楽の研究者であり権威だ。また彼女の場合、数十年の歴史を誇る奥の深いブラジル音楽に属する演奏家、作曲者など、あらゆる人々に精通している。その資質を思えば、フェスティバル全体を一人でもやってしまいそうだ。彼女がプロデュースしたステージには、もっとブラジルのプレイヤーを入れてほしかったとも思うが、今回の共演者は、夫君マーク・ジョンソン(b)、ラファエル・バラータ(ds)、ルーベンス・デラ・コルト(g)、1939年作の超スタンダード”ブラジル”やジョビンの名曲、ボサノヴァとして初めてレコーディングされたと言われる”思いあふれて”、チェット・ベイカーにトリビュートした”エンブレイサブル・ユー”などを演奏。コンサートは、この現代の音楽の巨匠が、正確無比なプレイと、さりげないヴォーカルを楽しませるという気楽な雰囲気だった。特筆すべきは、マーク・ジョンソンの素晴らしさとともに、緩急自在のスインギーなプレイで、終始一貫して演奏を盛り上げたドラマー、バラータの美技であった。

 

masaru_koga_0715.jpg

Masaru Koga ©Ken Vermes

=音の輪=

 7月10日、ベイエリア・ジャズの地理範囲は、”音の輪“というグループによって、ユーゴスラヴィア、ラテン諸国、ブラジルを越え、ついに日本まで到達した。バンドの主役であるドラマー、アキラ・タナを、筆者は様々なグループで何度も聴いたことがあるし、マサル・コガはフェイスブックでフォローしている。だが、スタンフォード大音楽学部ビルにあるこじんまりしたキャンベル・リサイタル・ホールでファースト・セットが始まった途端に度肝を抜かれた!まず講堂という場所で、これほどハイレベルなコンサートにお目にかかったことがなかったのである。

 そのサウンドは活き活きと輝き、時に圧倒的なパワーを放つ。なにより演奏内容が凄かった。とにかく”音の輪“のメンバーそれぞれの技量が桁外れであった。 

 演奏前に詳しく聞いたところでは、今回は、コンサートが唯一の目的ではなく、2011年に起った東日本大震災と津波の被災者のために演奏しに行くのに必要な、日本への往復渡航費用獲得に向けた組織的努力の一環だという。2013年には、バンドと同名タイトルのCDがアキラ・タナのレーベルからリリースされ、この夜も、そのCDに収録された日本の民謡やポップ・ソングのアレンジ・ヴァージョンを披露した。

 タナと共にリーダーを務めるホーンとフルートの名手、マサル・コガが、尺八、テナー、バリトン、西洋の”Cキー”フルートなど、彼の得意とする様々な楽器で曲のテーマを奏でた。アート・ヒラハラのピアノは力強く、ノリユキ”ケン”オカダもまた非常に骨太なベーシストだ。彼らが演奏するのは、多くの日本人が子供のころから聴き親しむメロディだが、それは西洋の我々の耳を捉えて離さない。プログラムの半分は日本の民謡や童謡で、中には、西洋の「子守唄」のようなものもあった。それ以外は「恋のバカンス」といった’70年代の流行歌で、日本人の心に残る懐かしのメロディだ。「祇園小唄」のように、芸者の舞踊のための曲もある。編曲は全てバンドのメンバーによるもの。演奏曲の大半は日本の学校で演奏されているとはいうものの、この日の聴衆にとっては、馴染みのない曲ばかり。しかしこれらの楽曲の印象は素晴らしく、聴衆はすっかり魅了されてしまった。大切なものを失い、今も心の傷を抱える日本の人々に、これらの歌を贈るというアイデアにも、大きく感動したのだった。

=幅広い芸術の恵み=

eliane elias 0715.jpg

Eliane Elias and Rubens de La Corte (photo by Jeff Dean, Stanford Jazz Festival)

 

  以上の3つのコンサートそれぞれが、異文化、いやそれ以上に、異なる芸術と創造の世界に対する視野を広げてくれた。また、それはカリフォルニアという土地が生み出すユニークな文化の絶え間ない波動と緊密につながっている。ヴコヴィッチ、アライアス、タナと彼の“音の輪”、皆シリアスなアーティストばかりだ。楽器の名手であるのはもちろんだが、その上に研鑽を怠らず、莫大な労力と時間を費やして、彼ら独自のアートを、底抜けの楽しさに溢れる、ひとつの有意義な「かたち」として作り上げている。その結果、メンバー全員に深い感情が浸透し、バンドとして、パワフルで芳醇なサウンドになっている。それぞれ、単にジャズやポップの枠を超えた音楽ばかりで、ワールド・ミュージック、あるいはむしろクラシックの音楽体験に似た感動を受けた。筆者を含め、世界中の多様で素晴らしい文化を体験するためにここに住む人々にとって、彼らの演奏は広大な芸術の恩恵を実感させてくれるものだ。彼らの芸術は、人間の声と楽器のサウンドによって織り上げた「世界」そのものと言えるだろう。このような音楽が、人々の心を癒し、世界をひとつにしてくれるように、そう願ってやまない。

2015,7/15  レポート: ケン・ヴァームズ 

(訳:寺井珠重)

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です