Super Hip:デクスター・ゴードン

Dexter_Gordon.jpgDexter Gordon (1923-90)

 

 8/1(土)の映像で辿るジャズの巨人たち:『楽しいジャズ講座』では、デクスター・ゴードンの晩年の映像を観ます。 映画『ラウンド・ミッドナイト』の名演技でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、映画に因んだオールスター・バンドのコンサートです。  

  私がゴードンを生で観たのは’75年、ケニー・ドリュー(p)、NHOペデルセン(b)、アルバート”トゥーティ”ヒース(ds)という最強リズムセクションを従えたワンホーン・カルテット、”ロング・トール・デクスター”と呼ばれる長身にやたらと細くて長い足、酔っ払ってるのか、生来そういう吹き方なのか、足元がおぼつかない感じでソロを取る。出てくる音は強烈で、ノン・ビブラートの直球勝負、強烈にスイングしてた!あの頃、未体験ゾーンだったペデルセンの超絶技巧を凌駕するほどの存在感は一生忘れられません。

 

<ジャズができるなら!>

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 当時のゴードンは、コペンハーゲンに居を移して20年になろうとしていた頃です。’50年代、ヘロイン所持で逮捕され、更正後、NYで演奏活動をするために必要だったキャバレー・カードを取得できないことが移住の理由だった。

 ブラック・パンサーのコペンハーゲン支部の一員として名を連ね、米国政府の人種政策に抗議する傍ら、ゴードンはエリントン達先輩が嫌った「ジャズ」という言葉を愛し、ジャズ・ミュージシャンとして活動できるなら、どこへでも行ってやる!という信念の人だったようです。

 米国でのジャズ活動が困難になりヨーロッパに移住したミュージシャンは「ジャズ・エグザイル」と呼ばれますが、当然ながら、ゴードンも、「落ち武者」的な呼び名を嫌悪した。エグザイルなんていうことばは、演奏スタイルからファッションに至るまで徹頭徹尾、ダンディズムにこだわるゴードンにはそぐわないですよね。

 <マイルズのファッションを全否定>

Coleman_Hawkins,_Miles_Davis_(Gottlieb_04001).jpg レスター・ヤングの洗礼を受け、ロスアンジェルスから一躍、NYのビバップ・シーンのスターとなったゴードンは、プレイもファッションもファンのみならず仲間の憧れだった。ジャズのファッション・リーダーの一人、マイルズ・デイヴィスの伝記にはビバップ勃興の’40年代、デクスター・ゴードンからマイルズのファッションセンスについてケチョンケチョンに言われた有名な逸話が!

「なんだ?そのピッタリしたスーツは!?全然イケてない。もうちょっとましな格好をしろよ。」

「えっ?このスーツは大金をはたいて買ったのに。一体どこがいけないの?」

「あのなあ、値段の問題じゃないんだ。要はヒップかどうかってことなんだよ!肩パッドの入ったスーツとMr.B(ビリー・エクスタイン)の着てるハイカラーのワイシャツじゃなきゃだめ!それからヒゲを生やせ!でないと俺たちの仲間じゃない。」

 インディアンの血統から、元々ヒゲの薄いマイルズは、とても困った。あだけど尊敬するデクスターはSurper Hip!彼には逆らえない。結局、F&M’sというブロードウェイのバッパー御用達の店で揃えたのが左の出で立ち。ゴードンはこのファッションを絶賛して「仲間」だと認めてくれたそうですが、マイルズにとって、このW・ゴットリーブの名写真は痛恨の極みらしい・・・

<華々しいカムバックの陰で>

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 私が初めてゴードンを観た翌年、彼はNYで華々しいカムバックを遂げ、帰国をすることになります。それは、新しいマネージャー、マキシン・グレッグの功績だった。10代から大のジャズファンとして、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの追っかけを自認する彼女は、ジャズ好きが高じてロード・マネージャーやミュージシャンのマネージメントを正業とした女傑。ヨーロッパでゴードンの勇姿を観た彼女は、本人を説き伏せた後、「ブランクが長すぎる」と、なかなか首を立てに振らないNYのクラブ・オーナーを「ギャラは出来高でいいから」と説得し、NYで凱旋公演をします。それが大当たり!ヴィレッジ・ヴァンガードは連日長蛇の列、あっという間にコロンビアとレコーディング契約を取り付けた。

 二人の関係は、いつの間にかロマンスに発展し、1982年に正式に結婚。マキシンはゴードンの三度目で最後の妻になりました。それ以前に彼女が尽くしたのが名トランペッターのウディ・ショウで、彼もまた尊敬するゴードンのカムバックのために誠心誠意協力を惜しまなかった。

 ゴードンが彼女と結婚した数年後、ウディ・ショウは地下鉄で悲劇的な死を遂げますが、賢者は目して語らず。彼女とショウの間に出来た息子はウディ・ショウ三世は、ゴードンが引取り、現在はプロデューサーとして、二人の父親の音楽遺産の管理をしています。

 <映画 ラウンド・ミッドナイト>

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  ゴードンは結婚してまもなく健康上の理由で現役を引退、一年の半分をホリスティック治療のためメキシコで暮らしていた。’50年代から、オーラ溢れるルックスを買われ、俳優として映画やTVに出演経験があったゴードンに、’80年代半ば、フランス人の監督ベルトラン・タベルニエとレコード・プロデューサー、ブルース・ランドバルから映画出演の話がきた。

「ジャズ映画の話は十中八九流れるもんだ。」

 当初は渋っていたゴードンですが、リムジンがお迎えにやってきて、面会場所に行くと、「主役として完璧だ!」と監督は一目惚れ!大のジャズ・ファンを自認するクリント・イーストウッドが後方支援して、低予算ながらも公開にこぎつけた。

 映画『ラウンド・ミッドナイト』がベネチア映画祭に出品された時は、舞台挨拶したゴードンを讃え、20分間スタンディング・オベーションが続くほどの好評、ゴードンは、アカデミー賞主演男優賞にノミネート!

  ゴードンが演じたのは、レスター・ヤングやバド・パウエルを彷彿とさせるデイル・ターナーという架空のテナー奏者。撮影中は、腎臓の持病を抱えるゴードンのために医師を常駐させ、時にはアル中ミュージシャンの役柄になりきるために、深酒をして撮影が中断することもあったそうですが、スクリーンの中のゴードンはほんとうに素晴らしい!ジャズの神話として語り継がれる様々な名言の重み、何気ない佇まいに、どんな名優でもかなわないリアリティがありました。ジャズファンにとっては、歴史解釈の怪しいシーンもあるのですが、ゴードンの存在感が優る名画。プレイのタイム感が、演技に生かされていて、監督はそういうところを上手に捉えているなあと感心します。

DG_Laughing_Jan+Persson.jpg さて、映画の成功は、再度ゴードンを再びステージに引っ張りだすことになります。映画に因んだオールスター・バンドでのコンサート!(土)に観る映像はその時のものです。

 この映像の2年後、ゴードンは腎臓疾患で亡くなりました。享年67才、Super Hipな人生を貫くにはファッションだけじゃだめ、信念と覚悟が必要なんだぞ!そんなことを教えてくれる巨匠です。 

 

 参考資料:

  • LA Times 1987 4/12 “A Sax Man Returns”/ Leonard Feather
  • All About Jazz :Maxine Gordon “The Legacy of Dexter Gordon”
  • Miles: The Autobiography / Miles Davis, Quincy Troup (Simon and Schuster) Courtesy of Michiharu Saotome
  • Swing to Bop / Ira Gitler

 

  

 

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