<ENCORE I>

1.Isn't It A Pity? イズント・イット・ア・ピティ?/Ira & George Gershwin
この作品はフラナガンの未亡人であるダイアナ・フラナガンの寺井へのリクエスト曲。1932年のミュージカル、<Pardon My English>の中で“私達二人が今まで出会わなかったとは、ひどいじゃないか。”とデュエットで歌う、ガーシュインならではのユーモラスなバラード。フラナガンは《Lady, Be Good》('94)に収録しているが、実は、40代に恋愛したトミーとダイアナが良く一緒に歌った思い出の歌であった。

2.Come Sunday カム・サンデイ/Duke Ellington
    With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワード・ノン/Tom McIntosh
「ブラックな音楽家」としてフラナガンが高く評価した二人の作曲家によるスピリチュアルな作品のメドレー。

<カム・サンディ>はデューク・エリントンの1943年の作品で、後に組曲“ブラック・ブラウン&ベージュ”の中の一曲となった。「神の加護によって人生の苦難に乗り切り、神に召される安息の日を待ち望む。」と言う黒人霊歌で、マヘリア・ジャクソンの名唱によって有名になった。
フラナガンは《Moodsville9》('60)《100 Gold Fingers vol.2》('90)に収録。

<ウィズ・マリス・トワード・ノン>は、フラナガンが愛奏する作曲家、トロンボーン奏者のトム・マッキントッシュの作品。OverSeasでは最も人気のあるナンバー。賛美歌の「主イエス我を愛す」のメロディを引用した作品で、「誰にも悪意を向けず」と言う題名はエイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言の一節である。
OverSeasは言うまでもなく他の大阪の演奏地でも、フラナガンがこの曲をコールすると、OverSeasの常連達から大歓声が巻き起こった。するとフラナガンは、少しだけ鼻を膨らませて、魂を揺さぶるような名演奏を披露したものだ。この寺井のメドレーは、ブラックな音楽の魅力を余すところなく伝え、ピアノの傍らのフラナガンの肖像が微笑んだように見えた。
フラナガンは《Ballads & Blues》('75)はデュオで《The Birthday Concert》('98)ではトリオ、フランク・モーガン名義の《You Must Believe In Spring》('92)にはソロで収録。
寺井は《AnaTommy》('93)に収録。

<ENCORE II>

Ellingtonia エリントン・メドレー

1984年、OverSeasに於けるフラナガン・トリオ(アーサー・テイラー(ds)ジョージ・ムラーツ(b))の初コンサートで、寺井は初めてセロニアス・モンクとエリントンに捧げた2つのメドレーを聴き大きな衝撃を受ける。それは単に同じ作曲家の作品を順番に演奏するのでなく、作曲家達と作品に対する深い造詣と愛情、そしてそれを表現するテクニックを持つ者だけが創造できる壮大なスケールを持つ音楽作品だった。音楽史上燦然と輝くエリントン作品のメドレー、エリントニアは成熟したフラナガニアトリオが、皆さんに贈る大きな贈り物だ。
Warm Valley ウォーム・ヴァレー/Duke Ellington
メドレーの幕開けは、エリントンならではの官能的なメロディの作品('41)で、エリントン自身はがオレゴンの美しい山並みに、横たわる女性の曲線を連想し作曲したと語っているが、エリントン楽団の名アルト奏者ジョニー・ホッジスが本番前のウオーム・アップに吹いていたメロディを元に作られたとも言われている。
フラナガンは《Heart To Heart》('80)に収録。

ジョニー・ホッジス(1906-1970)

Chelsea Bridge チェルシーの橋/Billy Strayhorn
 フラナガンが《Overseas》('57)や、《Tokyo Ricital》('75)に録音している極めつけの名演目。ストレイホーンがホイッスラーの絵画に霊感を受け作曲したと言われている。ホイッスラーはアメリカからフランスやイギリスに渡り活動した世紀末を代表する画家で、印象派的な作風はストレイホーンの好みであったと想像するのは容易だ。彼の絵画に「チェルシー・ブリッジ」という作品は見当たらないが、ロンドン、チェルシー地区とバターシー地区を繋ぐ「バターシー・ブリッジ」を描いた幻想的な作品が霊感の源であったのではないだろうか?橋下のテームズ河の流れと夜空、風の移り変わりを感じるサウンドは絵画同様、深く神秘的だ。
 若き日のフラナガンはOverseasを録音直前に、偶然NYの街で憧れのストレイホーンに出会った。「私は今度、尊敬するあなたの作品をレコーディングさせて頂きます。」と自己紹介すると、ストレイホーンは楽譜出版社にフラナガンを伴い、自作品の譜面の束をごっそりと与えたと言う。当時フラナガン27歳、ビリー・ストレイホーン42歳であった。18年後、フラナガンは、「スタンダードのアルバムを」という日本側レコード会社の要望を押し切ってストレイホーン-エリントン集の名盤《Tokyo Ricital》('75)を発表。偶然の二人の出会いはジャズの世界に大きな実りをもたらした。
フラナガン参加の他名義のアルバムには《The Master》Pepper Adams('80)《Bennie Wallace》Bennie Wallace('98)がある。


ホイッスラー筆(1872-77作)
「ノクターン:ブルー&ゴールド オールド・バターシーブリッジ」
Passion Flower パッション・フラワー/Billy Strayhorn
ストレイホーン作品には“花”に因んだものが多い。それは幼い頃に遊んだ祖母の家の美しい庭の記憶に起因していると伝えられる。パッション・フラワー('44作)は日本語ではトケイソウと言われ、一風変わった幾何学的な形をしており、欧米では磔刑のキリストに例えられる。ストレイホーンは自分自身の姿になぞらえたのだろうか? ストレイホーン自身が最も愛奏した作品であった。フラナガン・トリオはジョージ・ムラーツ在籍時代、弓の妙技を披露するナンバーとして毎夜必ず演奏された。ムラーツ自身独立後、リーダーとして録音したMy Foolish Heart('95)に収録している。今夜は宗竹正浩のアルコをフィーチュアして大好評を博した。
フラナガンは《Positive Intensity》('75)に収録。

パッションフラワー

Raincheck レインチェック/Billy Strayhorn
ストレイホーンがLA在住中の'41年に、カリフォルニアの生活や気候から曲想を得たと言われている。レインチェックとは「雨天順延」という意味。“A列車で行こう”同様、軽やかなスイング感と気品に溢れた作品。フラナガンは《Jazz Poet》('93)に収録。

Black & Tan Fantasy 黒と茶の幻想/Duke Ellington
晩年のフラナガンは、ビバップ以前のナンバーを独自の演奏解釈で盛んに取り上げ、新境地を開拓中であった。これはその代表的なもので、プリミティブな黒人音楽の魅力に溢れている。'27年の作品で'29年に短編映画化され大ヒットした。密かに心臓に動脈瘤を抱え、いつ発作に襲われても仕方のない状況で演奏を続けていたフラナガンがエンディングの葬送行進曲に入ると、いつも自分を引き合いに出しては笑い飛ばしていたトミー一流のブラックユーモアを痛いほど感じた。
生前最後にフラナガンがOverSeasに演奏を聴きに来てくれた2000年5月に、寺井がエリントン楽団のアレンジをより多く取り入れた独自のヴァージョンを披露すると、滅多に褒めない師匠が、珍しくその出来を褒めてくれた。その半年後サー・ローランド・ハナも寺井のこの演奏を絶賛してくれたが、ハナさんもまたフラナガンの死後丸一年で、癌の為にこの世を去った。

今夜のラストを飾るこの作品は、生きては死ぬ人間の、様々な感情や詩情をジャズのスイング感とブルースの中に凝縮した壮大な作品だ。


短編映画“Black & Tan"の1シーン。ピアノに向かっているのはエリントン。

今夜のトリビュート・コンサートはフラナガニアトリオの演奏で、トミー・フラナガンが私達に遺してくれた様々な遺産を偲ぶ事が出来た。トミー・フラナガンの素晴らしさは絶対に忘れない!11月に予定される次回のトリビュートも皆と共に楽しみましょう!