第6回Tribute to Tommy Flanagan

<ENCORE>

Ellingtonia エリントン・メドレー

第一部のモンク・メドレーと共に、'84年のOverSeasに於けるフラナガン・トリオで寺井が大きな衝撃を受けたのがエリントン・メドレー、エリントニアだった。フラナガンのメドレーは単に同じ作曲家の作品を体裁良くつなげて演奏するのでなく、作曲家と作品に対する深い理解と愛情、そしてそれを表現するテクニックを持つ者だけが創造できる壮大なスケールを持つ音楽作品だった。音楽史上燦然と輝くエリントン作品のメドレー、エリントニアは成熟したフラナガニアトリオが、トリビュート・コンサートで皆さんに贈る大きな贈り物だ。

 

A Flower Is Lovesome Thing
ア・フラワー・イズ・ラヴサム・シング/Billy Strayhorn

 ビリー・ストレイホーンの'30年代の作詞作曲作品、「どこに育とうとも、花は愛らしいもの」という歌詞は、生まれた環境や人種等に無関係な人間の尊厳を謳っているように聴こえる。寺井が演奏する時、花とはフラナガンであり、寺井自身なのかも知れない。

ストレイホーン(左)
エリントン(右)

Chelsea Bridge チェルシーの橋/Billy Strayhorn
 フラナガンが《Overseas》('57)や、《Tokyo Ricital》('75)に録音した極めつけの名演目。ストレイホーンがホイッスラーの絵画に霊感を受け作曲したと言われている。ヨーロッパ文化の影響を強く受け、印象派風の作風を持つアメリカ人芸術家である点に、ストレイホーンと共通点を見出す事が出来る。ロンドンのチェルシー地区に架かる夜の「バターシー・ブリッジ」を描いた幻想的な作品が霊感の源であったのではないだろうか?橋下のテームズ河の流れと夜空、風の移り変わりを感じるサウンドは、この上なく神秘的だ。
 フラナガン参加の他名義のアルバムには《The Master》Pepper Adams('80)《Bennie Wallace》Bennie Wallace('98)があり、それ以外にヤマハの自動ピアノ用に録音したデューク・エリントンメドレーにも含まれている。

Passion Flower パッション・フラワー/Billy Strayhorn
 静から動に移り変わる内面の激しさを感じるダイナミックで美しいバラード、ストレイホーン作品には“花”に因んだものが多い。それは幼い頃に遊んだ祖母の家の美しい庭の記憶に起因していると伝えられる。パッション・フラワー('44作)は日本ではトケイソウと言われ、風変わりな幾何学的な形は、欧米では磔刑のキリストに例えられる。ストレイホーン自身が最も愛奏した作品で、この花に抑圧された自分自身の姿を見ていたのかもしれない。今夜は宗竹正浩の素晴らしい弓の演奏が聴けたが、フラナガン・トリオではジョージ・ムラーツ在籍時代、弓の妙技を披露するナンバーとして毎夜必ず演奏された。ムラーツ自身、リーダーとしてMy Foolish Heart('95)に収録している。
フラナガンは《Positive Intensity》('75)に収録。

ジョージ・ムラーツ(b)
Black & Tan Fantasy 黒と茶の幻想/Duke Ellington
 エリントン初期の作品でフラナガニアトリオの極めつけの演目。晩年のフラナガンは、ビバップ以前のナンバーを独自の演奏解釈で盛んに取り上げ、新境地を開拓中であった。これはその代表的なもので、シンプルな3コードのブルース形式で、プリミティブな黒人音楽の魅力に溢れている。'27年の作品で'29年に短編映画化され大ヒットした。
 フラナガンは心臓に動脈瘤を抱えながら、いつ起こるかも知れない発作の不安と向き合いながら、ハードな演奏スタイルを変えなかった頑固一徹の人だった。そんな晩年のフラナガンがエンディングの葬送行進曲に入る時には、いつも自分自身をジョークの種にして笑うトミー一流のブラック・ユーモアを痛い程感じたものだ。
 生前のフラナガンが最後にOverSeasに演奏を聴きに来てくれた2000年5月、寺井がエリントン楽団のアレンジをより多く取り入れた独自のヴァージョンを披露すると、滅多に褒めない師匠が、珍しくその出来を褒めてくれた。その半年後サー・ローランド・ハナも寺井のこの演奏を絶賛してくれたが、ハナさんもまたフラナガンの死後丸一年2002年に、癌の為にこの世を去った。


トミー・フラナガンはピアニストとしてのデューク・エリントンも絶賛していた。

予告:次回のTribute to Tommy Flanagan
2005年11月
In Memory of Tommy Flanagan

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