“CAPTAIN BILLY”後日談

 INTERLUDE 増刊号
 8月に、私に英語特訓してくれたビリー・ルーニーと美人妻ジュリーのことを書き、チック・コリアのHPを覗いてみたら、写真を配信するプレス担当のメルアドがジュリーになっていた。それで、本ブログに書いたことをメールしたら、自分と娘さんの写真を送ってきてくれました。
julie%20%26amy2.jpg
左が長女エミー、右がママのジュリーです:念のため
 化粧っ気のない美貌もスリムな肢体もぜんぜん変わってません。美人は得だネ!
 このメールが来たのは数週間前だけど、奇しくも12日に皮膚ガンの為、故国オーストリアで他界したジョー・ザヴィヌルとのスリー・ショットも送られて来た。
billi%3Dchick.JPG
左からビリー、チック・コリア、故ジョー・ザヴィヌル
 ザヴィヌルは、フュージョンの旗手として有名だけど、彼のルーツはBeBopだったことを知っていて欲しい。キャノンボール・アダレイ(as)5でデビューしアレサ・フランクリンの初期の作品などにも、ファンキーなバックを聴かせている。
hawkinsc.jpg
テナーサックスの父:コールマン・ホーキンス
 忘れてならないのは、フラナガンやハナさん同様、コールマン・ホーキンスを尊敬する若手ミュージシャンの一人であったこと。
 ウィーン音楽院を卒業しNYに来たサヴィヌルはホークのアパートに集い、彼のヨーロッパ仕込みの手料理をごちそうになった後は、ホークに乞われるまま、ショパンやブラームスを弾いて食後のひとときを過ごしていたのだった。
合掌
次回は、ジャズ講座名場面集、トロンボーンの神様J.J.ジョンソンの『ダイアルJJ5』『ライブ・アット・カフェ・ボヘミア』を聴きながら、’57当時、グリニッジ・ヴィレッジで盛況を極めたカフェ・ボヘミアをInterlude的に探索してみます。
CU
 

ブログ始めました。tamae teraiの自己紹介

 venue.JPG
 私の名前はtamae terai、父は関東育ち、母は根っからの大阪人、母方の曾祖母は、「雀のお松」と呼ばれ、口八丁手八丁を活かし、大阪天満で鮪(まぐろ)屋を営み、昭和初期には、大きな鮪問屋となりました。おまつさんは三度のご飯より歌舞伎が好き、芝居小屋の大向こうから女だてらに掛け声をかけるのを得意とし、大阪の三女傑の一人と謳われたそうです。鮪問屋は、第二次大戦前の経済統制で廃業を余儀なくされ、私が生れた時には影も形もありませんでしたが、子供の時から、ライブやコンサートを聴いたり、市場に行くと何故か血が騒ぎます。
 私自身はごく普通の家庭に育ちました。父も弟もカタギのサラリーマンですが、縁あって、ジャズピアニスト寺井尚之と結婚し四半世紀以上、ふと我が道を振り返ってみれば、人生の半分以上をOverSeasというジャズクラブの片隅で過ごしていました。生活は楽ではないけれど、今もこうして、毎日主人のピアノを聴けるのは、誰にも味わえない私だけの幸せです。また仕事柄、たくさんの方々と知り合い、有形無形に、貴重なことを学ばせてもらっています。
 NYに、ナット・ヘントフという、政治ジャーナリスト兼、ジャズ評論家がいます。彼は回想録で、「これまでワシントンDCで数多くの政治家達に出会ったが、ジャズ・ミュージシャンは、彼らよりよっぽど、博学で賢明だ。」というようなことを述べています。私は政治家には会ったことはありませんが、優れたジャズメンとは、数多くの出会いや別れがありました。
 さて、ひょんなことから、この度ブログを作ることになりました。雀のお松の血が騒ぐ!そんなこんなの『誰にも奪えぬ思い出』や、OverSeasと、その周辺で体験した色々なことを記して行こうと思います。どうぞよろしく!