アート・テイタム伝説

  我らがトミー・フラナガンは、ビバップの申し子であると同時に、ピアノという楽器を最もピアノらしく鳴らす巨匠だ。寺井尚之が自分のピアノ教室で、最初に音楽理論とピアノの倍音を鳴らすトレーニングを行うのはそのためです。
 
   ビバップの革命的なハーモニーの土壌を作り、ピアノを一番ピアノらしく弾いたのが、アート・テイタム、寺井尚之は毎日演奏する前にはテイタムを聴いている。
  いきなりアート・テイタムと言われてもなあ…と、戸惑う人も多いかも知れませんが、テイタムはテディ・ウイルソンから新主流派スタンリー・カウエルに至るまで、OverSeasが愛する全ピアニストの神様だ。
  アート・テイタム (1910~56)
 
 テイタムを知らずしてトミー・フラナガンを語るなかれ。
 アート・テイタムはオハイオ州トレド生れ、全盲ではないが、殆ど盲目のピアニストだ、マーティン・スコセッシ製作、クリント・イーストウッドが自監修のドキュメンタリー映画、『Piano Blues』などで、貴重な映像を観る事ができる。
 昔の人であり、実際に観た人がほとんどいないせいか、日本のジャズ評論で、テイタムの超絶技巧について実感を込めて語ったものに、私はお目にかかったことがない。
 オスカー・ピーターソンとの関連付けだけがされていて、ファッツ・ウォーラーの名台詞『神はこの家におられる』や、クラシック・ピアノの皇帝、ホロウィッツが一週間続けてバードランドに聴きに来たというエピソードが繰り返し語られるのみ。
 だけどピアニストにテイタムの話をさせたら止まらないよ。フラナガンや、サー・ローランド・ハナ、ウォルター・ノリス、父親がテイタムの友人だった新主流派のスタンリー・カウエルに至るまで、皆相当の年齢にも関わらず、少年の顔になって、片手でグリスとランを一度に弾いてしまう姿や、声をかけてもらった喜びやテイタムにまつわる怪談話を、身振り手振りで、語ってくれたもんです。テイタムの”テ”は天才の”て”だ。
   彼らに共通するテイタムのイメージは、『ぞっとするほどの神秘。』 話をしてくれる人達が、すでにジャズ史を代表する天才なのだから、一緒にぞっとしてみたかった。
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 怪談めいたコワい話はウォルター・ノリス(p)さんから教えてもらった。このエピソードは書物にもあるが、やっぱりライブで聴くと一層怖かった。
 「昔、LAの店にテイタムを聴きに行ったら、アップライトがスタインウエイのフルコンのようなサウンドで鳴っていて、私は仰天した。数日後、どんなピアノだろうと思い、同じ店に行って、私自身が弾いてみたら、ボロボロでアクションも最低、おまけに数本鍵盤が欠け落ちていた。その次に同じ店でテイタムの弾いているのを聴くと、やっぱり調律仕立てのグランドにしか聴こえなくて、ないはずのキーの音がちゃーんと聴こえていた。」と言うのです。鬼気迫る表情で小声で語る迫力…ノリスさんは、どちらかというと普段はシャイな人で、ホラ話なんて絶対しない。ピアノの調律に非常にウルサイ巨匠が、こんなことを言うのです。

OverSeasで演奏するウォルター・ノリス、テイタム話もこんな顔でしてくれた。彼のサイトからノリスさんの名演がダウンロードできます。
   テイタム伝説を語る巨匠達の話ぶりや表情をヴィデオに撮って保存できなかったのは残念ですが、その代わりに、USAには、歴史の現場に立ち会った人々の証言を元に考察する歴史学:オーラル・ヒストリーが発達しているので、ジャズ研究にも現場からのたくさんの証言が、色々残されている。
 カッティング・コンテストと呼ばれる名手達の果し合いが、アメリカの色んな宿場街で行われていた西部劇のような時代、テイタムはトレドの街で、NYやシカゴ、色んな土地から来た腕自慢をばったばったとなぎ倒した。
 合法的なナイトクラブやキャバレーが閉店した後、ミュージシャンが集まったアフターアワー・クラブ、ジャズシーンの裏側でテイタムがフラナガン少年に聴かせた至高のピアノ・プレイ…ミュージシャン達が語るテイタム伝説には、西部劇も梶原一騎も目じゃない熱いドラマがある。
 <アート・テイタム、神か天使か怪物か?>

 ジョー・ターナー(p)(1907-90)
ボルチモア出身、ルイ・アームストロングやベニー・カーターの名楽団で活躍した華麗なるストライド・ピアニスト、第二次大戦後はヨーロッパに移住し、パリ、シャンゼリゼのクラブで人気を博した。パリに没。

   西部にツアー中、ベニー・カーター(as,tp.comp.arr.その他何でも)が私に警告した。「オハイオ州のトレドに着いたら、決して土地のクラブでピアノに触っちゃいけない。街にいる盲目の若造はやり手だ。お前が逆立ちしても太刀打ちできない。」
   一体どんな奴だろう?私はトレドの街に到着するなり、そのピアノ弾きの居所を尋ねた。何でも、夜中の2時きっかりに、決まってある軽食屋に現れると言う.
   午前零時に劇場の仕事がハネると、その店でアートの来るのを待った。しばらく私がピアノを弾いていると、ピアノの傍らで、若い女が二人言い合いを始めた。一人の女が「この人ならアートをやっつけちゃうわよ。」と言う。するともう一人が言い返した。「そのうちアートがここに来るから、どうなるかじっくり見物しましょうよ。」
  噂どおり、2時ぴったりにアート・テイタムが現れた。私が挨拶をすると、「ああ、お前さんは、”ライザ”を素晴らしいアレンジで演っている、あの有名なジョー・ターナーかい?」と言うではないか。演奏してくれと頼むと、彼は『まずあんたのピアノを聴かせてもらってからだ。』と言って聞かない。アート相手に言い合いをしても勝ち目はなかった。私は(ベニー・カーターの忠告を無視し)”ダイナ”で指慣らしをして、おハコの”ライザ”を演った。
   弾き終わると、アートが『なかなか良いね。』と言ったので、私は少しムっとした。”ライザ”を聴いた者は、余りの凄さにびっくり仰天するのが常だったからだ。なのに、ただ『なかなかいいね』だけとは、なんて奴だ。それからアートはピアノの前に座り、”スリー・リトル・ワーズ”を弾いた。その凄かったこと! 三つの短い言葉どころか、三千語でも足りない位もの凄い演奏だった!あれほどの音の洪水を生まれてから聴いたことはない。
  それ以来、私達は無二の親友となった。次の朝早く、私がベッドから出る前に、彼は、もう私のところに遊びに来て、昨日私が弾いた”ライザ”を一音違わず、全く同じように弾いてみせた。
(Hear Me Talkin’ to Ya / Nat Shapiro and Nat Hentoff )
 ジーン・ロジャーズ(1919-87)
 ピアニスト、NY生まれでNY育ち、キング・オリヴァーやチック・ウエッブ等の名楽団で活躍した。’39に大ヒットしたコールマン・ホーキンスのBody & Soulの名イントロはロジャーズだ。

 ’30年代の後半、クリーブランドで彼に出会った。…我々が出演した劇場の上の階のナイトクラブに、偶然、テイタムが出演していた。友人がお互いを紹介してくれて、一緒にビールを飲んだ。
 よせばいいのに、私の方から「あんたのプレイを聴かせてくれよ。」と切り出した。「それなら、君から先に弾いてくれ。」と向こうが言った。なにせ、私はその頃、やる気満々の若造さ、ほいほいと言われるままに弾いたよ。演奏し終わったら、彼は誉めてくれた。「ヘイ!君のスタイルはいいなあ。凄く気に入ったね!」私はすっかりいい気になって、「今度はあんたの番だ」と言ってしまったんだ。
 
 目の不自由なアートが2人の男に付き添われ、ピアノに向かうだけで、皆の注意がひきつけられた。ピアノはアップライトだ。アートは右手にビールのグラスを持ち、ピアノの椅子に座りながら、左手だけで弾き始める。おもむろにグラスを置くと、右手も鍵盤に向かった。それからは、自分の耳が信じられなかった。…彼が3曲弾き終わる頃には、もう耐えられなくなり、ホテルに逃げ帰ってさめざめと泣いた。人生であれほど凄い演奏を聴いた事はなかった・・・
(American Musicians/ Whitney Balliett)
しかし、ミュージシャン達をKOしたのは、単に超絶技巧だけではなく音楽の中身だった。
ビリー・テイラー ビリー・テイラー(1921-)
ビバップから現代まで、激動のジャズ史を生き抜いたピアノの巨匠、全米ネットワークのジャズ番組のホストとしてアメリカではタレントとしても有名。知名度を生かし、音楽教育や文化プログラムの資金集めを含めジャズ界に貢献した。現在は引退しているが、ネット上でフラナガンとのものすごいデュオが観れます。

 
テイタムのピアノ、ホーキンスのテナー、そしてエリントンが率いた楽団、この三つがビバップ語法の基礎を作った。
 テイタムが繰り広げたジャム・セッションの中で忘れがたいものがある。相手はクラレンス・プロフィットというピアニスト兼作曲家だった。私を含め、皆、彼のことを単なるファッツ・ウォーラーの亜流と思い込んでいたが、この二人のジャム・セッションは何ともすさまじかった。
 二人がピアノの前に座り、同じメロディを延々弾き続ける。メロディは変えずにハーモニーを次から次へと変えていくのだ。フレーズを考えるのでなく、色んなハーモニーをどんどん考え出すという凄いジャムだった。特に”Body & Soul”を演った時が面白かった!あの曲にはすでに決まったコードが付いているからね。彼らのセッションは信じられないような内容だった。だが、あの時やったようなことは、私の知る限りでは全く録音されていない。
 (Swing to Bop/Ira Gitler)
 カーメン・マクレエ(vo)(1920-94)
 ビバップの誕生に立ち会い、ビリー・ホリディの生き様を見て育った大歌手。

 ハーレムのセント・ニコラス通りを少し入ったところにアフターアワーの店があって、一流ミュージシャンは仕事が終わったら、皆そこに集まった。レスター・ヤング達カウント・ベイシー楽団の面々、ベニー・グッドマン、アーティ・ショウ、そしてアート・テイタム、アートはアフター・アワーの店が大好きだった。彼が正規の出演場所よりも、アフターアワーズの方が良い演奏したっていうのは本当よ。多分、その場の雰囲気のせいかもね。違った空気があれば、それに即して違った歌い方をする人は多いのよ。ある種の聴衆やクラブには、ミュージシャンに、普通は出来ないようなことをしたいと思わせる何かがあるのよね。まあアート・テイタムは余りに素晴らしくて、いつの演奏が良かったと選ぶのも無理なんだけど。(Hear Me Talkin’ to Ya / Nat Shapiro and Nat Hentoff )
 
 レックス・スチュワート(1907-67)
 フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントンなど名楽団の花形コルネット奏者、作曲家として活躍した巨匠。文才もあり、著作Jazz Masters of the Thirtiesはジャズ批評の名著と言われる。コールマン・ホーキンスの親友。

 トレドで、ある夜フレッチャー・ヘンダーソン楽団のメンバーと連れ立って、噂のピアニスト、アート・テイタムを聴きにアフターアワーの店を訪れた。
 その夜、コールマン・ホーキンスは、アート・テイタムのプレイに完全に魅了され、、瞬く間に自分自身の音楽スタイルを構築した。その夜からホーキンスはスラップトング・スタイルを全く放棄してしまった。(Swing to Bop)
  teddy_%20wilson.JPGテディ・ウイルソン(1912-86)は、フラナガンのもう一人のルーツだ。
 私はアール・ハインズとファッツ・ウォーラーが好きだ。しかし、アート・テイタムは、全くものが違うという気がする。生まれながらにして、類い稀な天才だった。野球に例えれば、全打席ホームランを打つ程すごい才能があった。アートは神秘と言ってよい。アートが他のどのピアニストよりも私に感動を与えたことに間違いはない。(ダウンビート誌 1959年1月22日号)
 テイタム伝説は私の数少ない蔵書のいたるところに散らばっている。キリがないので、これくらいにしておこう。
  エンディングに、トミー・フラナガンらしいテイタム伝説のごく一部を。

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 子供の頃、彼のプレイを一度、間近で観察した。(デトロイトの)アフターアワーズの店だった。テイタムが現れたのは朝の4時、演奏を始めたのは5時頃だ。それから2-3時間弾くというのが彼の日課だった。まだそんないかがわしい場所に出入りしてはいけない年齢だったが、テイタムを観たさにこっそり家を抜け出したのだ。悪いことだったが、今でも、そこで、彼を生で見れて良かったとつくづく思う。
 そこで彼の弾いていたのは、おんぼろアップライト、粗大ゴミと言ってもよい代物だった。テイタムが弾く前、彼の友人のピアニストが弾くと、どれほどボロかということが、つくづくよく判った。だが、一旦テイタムがピアノの前に座ると、ボロピアノがあっと言う間にグランドピアノのサウンドになった。本当にピアノを変身させる事ができたのだ。…凄かった。同時に、彼は大変音楽的だった。本当にひどい楽器からでも音楽を引き出して見せた。
 でも楽々と弾いているテイタムをひたすら傍で見つめるのは、素晴らしいことだった。片手にはドリンクを持ち、別の片手だけで、僕の今迄に弾いたどれよりも凄い演奏をして見せた。そんな事が起こるのがデトロイトのアフターアワーズというものだった。
 
 強烈なテイタムの洗礼を受けたフラナガンは高校卒業後、18歳の新進ピアニストであった頃、逆にテイタムがフラナガンのプレイを間近で聴くことになる。
ある夜、私はボビー・キャストンという歌手の伴奏をしていた。テイタムはキャストンの歌が好きで、彼女の伴奏をしていたこともあった。歌の前のピアノ演奏で、私はいつもテイタム流に”スイート・ロレイン”等を演っていた。
 いつもの様に私がテイタム流に奮闘していると、ボビーが私に近付いてこう告げた。
『ほら、アート・テイタム があそこに座っているわよ。』×☆○? !
 ボビーの示した 方をそーっと観ると、本当に彼がいるじゃないか!それからは、逆の壁の方を向いて、やっとの思いで弾き終えた。
 私は彼と話すのが恐かった。彼には6回程会ったことがあるが、いつもどんな話をすればよいかもわからなかった。私は彼をミスター・テイタムと呼んだ。でも彼は私にとても優しかった。とても忍耐強く、私達若い者が演奏するのをじっと立ったままで聴いてくれた。「今夜は珍しくうまい子達がいるね。」なんて言ってくれた。
 テイタムがピアノの前にひとたび座れば、僕らなどひとたまりもないことはわかりきっているのに。
 テイタムが、あれほど凄いピアノ・テクニックをどのようにして編み出したのかわからない。しかし彼の演奏におけるハーモニーの構造には稽古の跡がうかがえる。彼こそ正真正銘のヴァーチュオーゾだ。そしてヴァーチュオーゾの至芸というものは基礎的なトレーニングなしには決して有り得ない。
 若い頃、アート・テイタムに感動し、彼こそパーフェクトなピアニストだと思った。今でも私はそう思っている。テイタムの演奏には、全くなにもかも、全てのものが詰まっている。
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 ジャズの巨匠達が好んで語るテイタム伝説には、畏怖の念とともに、天才への情愛に溢れている。尊敬するテイタムから受けた優しさが巨匠となったフラナガンの心に根付いていたから、あれほど寺井によくしてくれたのだろうか?
やっぱりテイタムは神様だ。
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サキソフォン・コロッサスに押された「怒りの刻印」/ソニー・ロリンズ


 『サキソフォン・コロッサス』はモダン・ジャズのバイブル的名盤、どのトラックを聴いても、“モダン・ジャズ”の圧倒的なパワーと魅力に溢れている。“モリタート”“セント・トーマス”は、歌舞伎なら『勧進帳』、クラシック音楽なら『運命』同様、特にそのジャンルが好きでなくたって誰でも知ってるもんや…と思っていたけど、ジャズが、BGMとして“流れる”だけの時代になってからは、あながちそうでもないらしい… とはいえ、“サキコロなんかあんまり当たり前で耳にタコできて、もう聴く気もせんわ。”と言うジャズ通も多いのではないでしょうか?このセリフは、かつて私がミナミの中古レコード店に行くと、必ずハングアウトしていたネクタイ姿の常連さんの言葉です。
 それほどベーシックな名盤なのに、今まで我々はちゃんと聴いていなかった…と思い知らせてくれたのが、ジャズ講座だった。
  スイングジャーナルやダウンビート、どのジャズ雑誌でも星5つ、ガンサー・シュラーや、ラルフ・グリースンなどの大先生は、歴史的名演と口をそろえて誉めちぎる。おまけに『主題的即興演奏に於けるソニー・ロリンズの挑戦』と題するシュラーのエッセイまでが、ジャズ批評を代表する歴史的名文と評価される結果になった。ジャズ・ファンとグルメは、星の数にはめっぽう弱い。しかし、絶賛されるが故に、真実が見逃されるということもある。
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 講座では、このアルバムには、『ずれ』や、テンポの『揺らぎ』、バース・チェンジのミスが潜むことを、実際の音源を聴きながら確認し、その瞬間のソニー・ロリンズを始めとする各メンバーの心象風景まで、実際のプレイを聴きながら解き明かしていく。寺井尚之特製の進行表があれば、耳の肥えたプレイヤーでなくとも、自分達が今、この瞬間、曲のどの位置を聴いているのかが一目瞭然に判る。だから、寺井尚之と同じ目線で、演奏に現れる色んなシーンを一緒に楽しめるのです。
 中でも圧巻は、“ストロード・ロードの謎”と呼ばれるバース・チェンジの謎解き。
 ソニー・ロリンズのオリジナル、Strode Rodeは、ロリンズがシカゴ時代によく出演していたクラブ、ストロード・ラウンジにちなんだ曲で、講座以降、寺井尚之のレパートリーにもなり、ピアノトリオで楽しんでます。
 AABA形式のテーマは12+12+4+12と、少し変則になっている。寺井は、この録音から、ハーモニーが余り明確に伝わってこないことから、「メモ的な譜面をその場で渡して録音したのではないか…」と推測する。
 ここでのロリンズ-ローチのバース・チェンジは、試しに私が何度数えても何コーラスやってるのかさっぱり判らない。寺井尚之は何故、皆が判らないのかを、進行表を出して教えてくれる。実は「演ってるほうも判らなくなっているからだ。」と。結局、一瞬失った流れを、うまくアジャストして元に戻した結果、歴史的名演となったのです。
 
 バース・チェンジを迷子にさせた誘因はフラナガンがヒットさせたテンションのきつい一発のコードが原因だったことが明らかになっていく。サイドマンとして抜群の評価を受けているフラナガンが、確信犯的に「判らなくなるようなタイミング」のバッキング・コードを絶妙に入れたのだ。
 地道に仕事をする脇役フラナガン、メトロノームの様に正確無比なマックス・ローチ…ジャズ評論でお決まりのように出てくるキャッチフレーズが、講座ではどんどん崩されていきます。
 その経緯は、推理小説を読むようで、知的満足度たっぷり!『間違い探し』にありがちなセコいところがない。詳しいことは、講座の本第一巻をぜひとも読んでいただきたいと思います。
 夭折の天才ベーシスト、ダグ・ワトキンスはデトロイトの名門高専カス・テック出身、この学校の当時の音楽カリキュラムは並みの音大よりずっとハイレベル、教師陣はヨーロッパから亡命してきた一級のコンサート・アーティストが多かった。ダグはポール・チェンバースの従兄弟で一年間デトロイトで同居し、非常に仲良しだったと言う。晩年トミーのレギュラーだったピーター・ワシントン(b)にはダグの大きな影響を感じます。
 進行表を見ながら、フラナガンのヒットさせたキツいコードを自分の耳で確かめて、「ほんまや、これはわからんようになるわ。」と納得、あれあれ、ほんとだ。ダグ・ワトキンスの逡巡するビートや、ローチのドラムから送られるサインに戸惑うロリンズ、今度はロリンズをフォローして、カチンと歯車のかみ合うバッキングを送るフラナガン、皆のプレイに、字幕がついたように良く判ったし、このアルバムを一層楽しめることが出来るようになりました。
 
 フラナガンが、現場での「何か」にカッとしてガツンと押した『怒りの刻印』…でも、それは音楽を台無しにするどころか、却って、レイジーな浮揚感と、即興演奏に命を賭ける集中力との激しいせめぎ合いを生み、化学作用を引き起こしたのではないだろうか?
マックス・ローチが牽引した二つの大車輪クリフォード・ブラウン(tp)とソニー・ロリンズ。
ブラウニーは奇しくもこの作品が生まれた4日後に悲劇的な事故死を遂げた。

   
 色々な書物に遺されたトミー・フラナガンの発言を読むと、この名盤の謎解き講座に陰影が付き、一層興味深いのです。
 

NY的なるジャズについて:
  デトロイトから出てきた当時、NYのミュージシャン達は余りにもバド・パウエルとチャーリー・パーカーに、耽溺しすぎているように思えた。勿論、我々だって(デトロイトのピアニスト)パーカーやパウエルは好きだったが、我々にはもっと何か他のものがあると思っていた。例えば、NY派のドライブ感と同時に、我々にはもっとリリカルな要素があると。趣味の良さと、テクニックももう少しあると自負していた。まあ、それは私個人の意見だから間違っているかもしれないがね。
 Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
 “サクソフォン・コロッサス”参加の経緯について
 偶然!偶然だったんだ。大勢のミュージシャンがプレステッジで録音していて、僕も名簿に載っていただけだったんだ。振り返ってみると、その頃に録ったものが全て今は古典になっている。参加していたのは幸運だった。ソニーとはバンガードで何回か共演したがツアーに同行したりするというようなことはなかった。
Downbeat誌 ’82 7月号
サキソフォン・コロッサスについて
 
 現在のレコード製作では、気にいらないところは編集してしまうが、昔の録音は、ミスも何もかもそのままだ。だが、私はその方が好きだな。…“サキソフォン・コロッサス”の収録曲がエクサイティングだったどうかは知らないが、なによりロリンズと共演することが私にはエクサイティングだった。何故ならコールマン・ホーキンスを別にすれば、ロリンズは私が当時最も好きだったサックス奏者だったから。
Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
 まあ、ロリンズはあれほど素晴らしいミュージシャンなのだから、<ブルー・セブン>が絶賛されたこと位どうってことはない。 実際の彼はあれよりずっと良いよ。
Jazz Spoken here/ Waine Enstice & Paul Rubin, 1992
ソニー・ロリンズについて
 ロリンズはフラナガンにとって、いつもお気に入りのミュージシャンであり、”優しいスイートな男”だ。ロリンズは、スターであるプレッシャーに打ち勝つために、わざと近寄りがたい人物像を演じているのだとフラナガンは言う。フラナガンがロリンズと初めて出会ったのはデトロイト時代で、かの有名なローチ-ブラウン・クインテットが町に来た時だ。
 “ロリンズは自分自身をどれくらい面白いと知っているのだろう?”という質問に、フラナガンはこう答えた 。
「彼は真剣そのものなんだけど、真剣なところがおかしいんだ。意識的におかしくプレイしようとしてるかどうかは知らない。でも僕にはおかしく聞こえてしまう。例えば“If Ever I Would Leave You” 初めて聴いた時には、もう床にぶっ倒れる程笑いこけたよ。だが、同時に、彼は真剣そのものだとも思えた。彼はあのスタイルでなくとも、色々なやり方でプレイできるんだ。しかし、その時は、彼のルーツである西インド諸島風に演ってるとは、知らなかった。凄く細かいビブラートで、殆ど初心者のような音色だよ。全く音にならないようなところまでホーンをオーバー・ブロウさせてね。でも、あのようなアプローチで、あれほど音楽的に出来る演奏家を私は他に知らない。」
Jazz Lives/Michel Ullman New Republic Books, 1977

“サキソフォン・コロッサス”の緊張感に満ちた名演は、天才音楽家集団を生んだ二つの街、ハーレム・ストリーツとデトロイトとのせめぎあいで実った果実なのかも知れない。
 “サックスの巨人”の初期の代表作、やっぱりBGMとして流すのでなく、こっちも正座して真剣に聴きます!
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寺井珠重の対訳ノート(7)

所変われば『彼氏』も変わる
The Man I Love (私の彼氏)/エラ・フィッツジェラルド

’98年、AMEXのPRでのエラ・フィッツジェラルドアニー・.リーボヴィッツ撮影 ©2008 artnet
 トリビュートが終わったら、あっという間に桜が咲き、今週の土曜日はもうジャズ講座…年を取ると月日の経つのがどんどん速くなります。
 寺井尚之がトミー・フラナガンのプレイを年代順に解説して行く『足跡』ジャズ講座、今週の登場アルバムはエラ&トミーの唯一のスタジオ録音盤『Fine and Mellow』と、ロンドンっ子達が大いに盛り上がるライブ盤『エラ・イン・ロンドン』、この両方に収録されているのがこの曲、“The Man I Love (私の彼氏)”、エラ・フィッツジェラルドは、長年の間、様々な公演地やスタジオで、たくさんの「彼氏」のことを歌って聴かせてくれた。それぞれ、とっても楽しいのです。
 
  《元カレ from Songbook》
 “The Man I Love”は、エラの金字塔、『ガーシュイン・ソング・ブック』(’58)に収録されています。
このアルバムを聴いたアイラ・ガーシュインは「エラに歌ってもらうまで、自分達の作品がこれほど良いとは思わなかった。」と言ったとか。
後に出てくる2ヴァージョンを、アイラが何と言うか訊いてみたかった。
 まだ見ぬ恋人を夢見る乙女ので歌詞のあらすじはこんな感じ。
☆原詞はこちらに。

<私の彼氏>
原詩(’24作):アイラ・ガーシュイン
いつか、私の恋人が現れる。
きっと強くて逞しい人。
私を愛し続けてもらえるように、
精一杯尽くす。
彼は私と出会ったら、
微笑みかけるはず、
だから運命の人だと判る。
しばらくしたら、彼は私の手を取るわ。
馬鹿な事と思うでしょうけど、
言葉を交わさなくたって、
二人は恋に落ちるの。
巡り会う日は日曜?月曜?
それとも火曜日?
彼は私達の住む、
小さなお家を建ててくれる。
そうしたら、私はもう出歩かない。
愛の巣から離れたい人なんているかしら!
私が一番待ち望むのは
愛する彼氏!

《彼氏 in U.S.A》
☆講座で取り上げる『ファイン&メロウ』は、ズート・シムス(ts)やクラーク・テリー(tp)、エディ・ロックジョウ・デイヴィス(ts)達の個性が聴けるのがお楽しみ。

 ガーシュイン・ブックから25年以上経ち50歳半ばを過ぎても、1コーラス目のエラの清純無垢な歌唱には一層磨きがかかっている。トミー・フラナガンのピアノをバックにルバートで歌い上げるエラは最高に美しい声と完璧なアクセントで、初々しささえ感じさせる!
 恋愛に言葉なんかいらない!汚れを知らぬ乙女は、心眼で愛する男性を見分ける。彼氏に対して、打算的なことなんて考えない。前もって「あのー、私の彼氏さん、年収いくらですか?学歴は?星座は?IQは?」なんて一切審査しないのだ!ロマンチックやわあ・・・
 と、思うのもつかの間、リズムに乗ってスイングする次のコーラスからは、殆ど同じ歌詞なのに、ガラっと変る。魔法のマスクをつけたジム・キャリーのように、ほうれん草を食べたポパイのように、秘薬を飲んだ底抜け大学教授のように、パワフルに大変身して見せます。

『Fine & Mellow』(’74)
<私の彼氏>対訳から編集

とにかく『彼氏』を見つけたら、
愛し続けてもらえるようにベストを尽くそう!
彼氏はマイホームを建ててくれる!
そうなったらシメたもの!
もう、金輪際ほっつき歩くもんか!
レギュラーのポジションを守り抜く!
彼氏をつなぎとめるために
ガンバろう!

最初のコーラスの純情可憐なイメージはどこへ?
しっかり気合を入れて、彼氏をゲットしよう!「ファイトー!一発」 エネルギーが溢れます。だけど、決して下品にならないのがエラのエラたるところ!この辺りがエラのサポーターだったマリリン・モンローの芸風に共通するものがあるなあ。以前話題にした“The Lady Is the Tramp”同様、上品ぶらない魅力が爆発する。こんな歌唱解釈の出来る歌手はいないね!スイングする楽しさ、ジャズの醍醐味がストレートに伝わってきます。
 エンディングでのレイ・ブラウン(b)とのへヴィー級の掛け合いがまた最高なんです。

ヘイ、カモン、マン、
私は彼氏を待っている、
あっ、あそこにいい男がいるじゃない!
きっと彼氏だ!
(レイ・ブラウンのベースに向かって)
ねえ、あの男はどんな奴?
彼氏の話をしてってば。
私は、彼氏を
ずーっと待ってるってのに・・・



  こんな感じで、“強くてたくましい”レイ・ブラウンの音と会話をするエラが最高!レイ・ブラウンとエラがかつて夫婦であったことを知っているファンには、また別の感慨を誘いますね。多分このインタープレイにヒントを得て、さらに発展したものがロンドンのライブ盤で楽しめるんです。
《彼氏 in UK》

 同じ’74年録音のライブ、『In London』のベーシストはレイ・ブラウンの薦めでエラのバックを長年勤めるキーター・ベッツ、エラは良く歌うベースに向かって『彼氏の事を教えてよ』と聴きながら、ミス・マープルのように『彼氏』がどんな人か探っていく。
 彼氏はどこの出身かしら? 北イングランド、シェフィールドの人なのか、はたまた南東のブライトン?身近な地名が出るたびに大喝采が上がります。結局、キーターのベースに、『彼氏はロンドンの男だよ』、と教えてもらうと、もうロンドンっ子たちが、ヤンヤの歓声!そしてその彼氏はダイヤの指輪を持っている大金持ちだと判ると、エラははりきって『ダイヤは淑女の一番の友達♪』と歌いだす。でも、ダイヤをちらつかせる男が誠実とは限らない。”結局、彼氏はとんでもない男だった…Fine and Mellow”や、”My Man”を引用し、男が金持ちだと、女はどんな目に会うかの教訓を示唆しながら更にスイングする。結局、「男は、どこでも皆いっしょ、男は皆おんなじだ。」とオチが来る、ほんま、エラは落語以上に面白い!
えっ?ベースの音とそんな掛け合いできるわけないって?
じゃあ、この映像を見てください。そしてジャズ講座でOHP観ながら聴いてみてください。ほんとに面白いよ、未婚の方には将来の、既婚の方にはまさかの時の参考になります!?

 
《彼氏 in Japan》
  このアルバムを録音した翌年(’75)、エラ&トミー・フラナガン3が来日した。『Ella in London』は来日記念盤です。当時、ラジオで放送された東京、中野サンプラザでの公演を聴くと『私の彼氏』は日本人、江戸っ子だい!なんとホテル・オークラの持ち主で、日本の特産、真珠を一杯持っている。おまけに『あ、そう』とか言うので、ひょっとしたら高貴な血筋かもしれない。
 一方大阪では、『彼氏』は浪花の男になっていた。

 おそらくパリでも、ベルリンでも、ブリュッセルでも、『彼氏』はその土地の男になり、大観衆を沸かしていたのでしょうね!
 トミー・フラナガンが音楽監督を務めた’70代のエラのおハコの代表的なものは『私の彼氏』以外にも、色んなジャンルの音楽をスキャットとバックのトリオが機関銃のように繰り出す『スイングしなくちゃ意味ないよ』、’60年の『エラ・イン・ベルリン』以降、目覚しく進化して、月面着陸までしちゃう『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』、ボサノバやサンバが、玉手箱みたいにどんどん出てくる『ボサノバ・メドレー』など枚挙にいとまがありません。これらのレパートリーを寺井尚之は’75年、京都と大阪で生を見たのです。うらやましいネ。
 私のブログよか、ずっと音楽的で、エラの歌に負けないくらい、おもろしくて為になる寺井尚之のジャズ講座は今週土曜日、Jazz Club OverSeasにて。
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トリビュート曲目説明できました!

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 先日のトリビュート・コンサートは、凄く沢山のお客様が来て下さって、サービスが行き届かず、失礼しました。開演後に、玄関口で佇む人がいるのを、テーブル席のお客様に教えていただいたり、いつもながらとはいえ、ほんとにすみません!
 そんなわけで、終わってみたら、バタバタと駆け回って、ほとんど写真を撮れなかったことに気づきました…。
 トリビュートが終わった翌日からは、歌詞や、講座の本のための翻訳の仕事が山のように溜まっていましたが、さきほどどうにか、トリビュートの曲目説明をHPにUPしました。
 「曲目説明」は、いつも頭の痛いことです。よくジャズのレコードのライナーを読むと、「○○は、コール・ポーターの作曲、19××年に、ブロードウエイのミュージカル○○の中の歌われたラブソングだ。」とかなんとか、書いてありますが、スタンダードナンバーは、ほとんどがラブソングだし、「それでどないやねん?」と思ってしまうことがある。
 何か、演奏者がその曲を選んだ必然性というか、聴き所のようなものを書きたいのですが、文章にするのはムズカシイ…
 とにかく、今回も軽めの脳みそを絞って一生懸命作りました。
 とはいえ、結局、つまるところは『百文は一聴にしかず』であります。トリビュートの演奏曲をトミー・フラナガンで聴けるアルバムは紹介しておきました。
 また、当夜の演奏を聴きたい方はCDRがありますので、Jazz Club OverSeasにお問い合わせください。
 寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、河原達人(ds)のフラナガニアトリオの皆さん、私に曲説を書く力をお与えくださってありがとうございました。
 CU