帰ってきた巨匠:スタンリー・カウエル

SCN_0001.jpg    スタンリー・カウエルさんを初めて生で観たのは’83年、念願のThe Heath Brothersのコンサートを開催したときです。ジミー、パーシー、アルバート”ツゥティ”ヒースの超ビッグな三兄弟とピアノにカウエルさんというカルテット編成でした。『幻想組曲』や「新主流派」のイメージで捉えていたカウエルさんをフィーチュアしたナンバーは、意外にもバップの王道、バド・パウエルの”Parisian Thoroughfare”だった!そのプレイの凄かったこと!威風堂々、真っ向勝負の弾丸スピードで悠然とスイングするカウエルさんは、しっかりとジャズの伝統を踏まえたミュージシャンだった!演奏中、私の口はポカ~ンと開きっぱなしだった。 

「黒人文化伝統の10thヴォイシングを基本とした奏法を継承する最高のピアニストや!」 寺井尚之はカウエルさんのプレイに心酔、二人は親交を深め、何度もOverSeasカウエルさんのライブをしました。(上の写真は’89、大阪の成田不動尊で)

<アート・テイタム基準>

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  カウエルさんの出身地は、「黒人文化伝統のピアノ奏法」の最高峰であるアート・テイタムと同じ、オハイオ州のトレドです。黒人街のメインストリートでホテルとレストラン”Stanley’s Hamburger Grill”を経営する裕福な家庭の息子、お父さん(Stanley Cowell Sr.)は、ヴァイオリンやピアノをたしなみ、一流ジャズメンと親交深かった。特にアート・テイタムは家も近所で幼なじみ!カウエルさんが6才の時、テイタムが家に遊びに来てくれた。お父さんが息子のために「何か弾いてくれ」と頼むと、「まず息子さんから」と、カウエル少年に演奏をさせてから、おもむろに弾いてくれた。その演奏は衝撃的!その曲が、今もカウエルさんの十八番になっているロジャーズ&ハートの名曲”You Took Advantage of Me”です。カウエルさんの幼い頃のその体験が、ピアノをいじめないソフト・タッチと、あの超絶的な演奏をごく当たり前の基準として捉えさせたのかもしれない。ちょうど、少年時代のアート・テイタムが、二人のピアニストの演奏から成る自動ピアノのサウンドを、そのままコピーして演奏していたように。

 1956年、奇しくもテイタムの没年、カウエルさんは15才で、トレドのユースOrch.のコンサートでソロイストとしてフィーチュアされるほどのエリートになっていた。ほどなくオーストリアに留学、ザルツブルグのモーツアルテゥム大学で学び、帰国後、幾つかの大学で学位を取得した学究肌。NYのオバーリン・カレッジにかよっていた頃、その稀有な才能を発見したのがローランド・カークで、’60年代後半から、ジャズ界に入りました。本格的な活動の出発点は、マリオン・ブラウン(as)やアーチー・シェップ(ts)といったフリー・ジャズですが、アヴァンギャルド系のライブの聴衆が、白人のインテリ層で、同胞の黒人に顧みられないことに大いに失望します。やがて、マックス・ローチのコンボに入り、ジャズ史を生き抜いてきたローチの姿に感動、「伝統」を踏まえることの大切さを実感すると同時に、音楽業界に搾取されるジャズ・ミュージシャンの厳しい現実と向き合うことになります。

<クラシックからジャズへ>

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 ’70年代、『幻想組曲』(ECM ’73)で注目を浴びたカウエルさんの歩んだ道は、ソロイストとして自己完結したテイタムとは全く対照的なものです。

    アフリカ系ミュージシャンに活動の場を広げ、業界に搾取されないミュージシャン視点のレコード・ビジネスを目指したカウエルさんは、マックス・ローチ・クインテット時代の仲間、チャールズ・トリヴァー(tp)と共に、独立レーベル『ストラータ・イースト』を設立し、Music.Incなどで活動する傍ら、7人のピアニストのアンサンブル、”ピアノ・クワイアー”を組織、ラジカルなプロジェクトを次々と展開しますが、インディペンデントな活動は高く評価されても、音楽家とビジネスマンの両立は、ストレスの貯まるしんどいもの。常にthe Right Thingを求めるカウエルさんには不向きな役割であったように見えます。’80年代に入ると、カウエルさんは古巣の大学に戻り、NYリーマン・カレッジなど複数の大学で教鞭を執りながら、休暇中に集中してギグやレコーディングをこなすというライフスタイルになった。カウエルさんとOverSeasの出会いはちょうどその頃でした。

 大阪にやってくると、寺井にとても有意義な稽古を付けてくれたり、自宅に泊まりに来たり楽しい思い出がいっぱいありますが、名門ラトガース大の終身教授になってからは、教育者としての責任が高まり、来日回数もどんどんと減っていきました。

hisayuki_stanley_0001.jpg 寺井尚之と、カウエルさんが教鞭をとっていたNY市立大学リーマンカレッジで。寺井がカウエルさんに伝授されたレッスンは今もお宝!

 <ソロ名盤『Juneteenth:』 甦るカウエル・サウンド>

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 そんなカウエルさんも70歳を越え、昨年、ラトガース大学を退官、ファンのために、やっとジャズの世界に戻ってきました。

 先日発売された新譜『Juneteenth』は、ピアノの巨匠カウエルに相応しい、久々の本格的なソロ・アルバムです。「奴隷解放記念日(Juneteenth)」150周年に因んで、アフリカ系黒人が奴隷船でアメリカ大陸に連れて来られ、様々な苦難を克服していく祖先の歴史を、ピアノで美しく淡々と語るという趣。とにかく演奏している楽器が、カウエルさんの技量に相応しいハンブルグ・スタインウエイのコンサート・グランド(トミー・フラナガンも一番好きだった名器)で、繊細なタッチの変幻がうまく捉えられた録音、ほんとうに素晴らしい!曲目プログラムはカウエルさん作の交響曲を、ソロピアノ・ヴァージョンにしたもので、歴史にまつわる作品のあちこちに、その時代に因んだ色んなメロディーがコラージュされているのが楽しくて、鮮やかなモダンアートを鑑賞している気分になります。「美しいピアノの響き」が好きな人、本物のピアノの音色が、どんなものか知りたい方には絶対聴いてみて欲しいです。

 新作のリリースに際して、6月中旬には、ほんとうに久々に自己グループで《ヴィレッジ・ヴァンガード》に出演、巨匠らしいピアノの至芸と共に、最新鋭のシンセサイザー、Kymaをピアノのサウンドに連動させる荒業も披露して、お固い批評家を幻惑しています。

 どんなにラジカルな実験をしようと、カウエルさんのプレイに胡散臭いところは全くありません。伝統を踏まえたアーティストの型破りなんですから。

 『Juneteenth』は、大阪が誇る「澤野工房」さんが取り扱っています。お求めは「澤野工房」さんのサイトからどうぞ!

 CU

Scrapple from the Apple: バードと料理のはなし

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  パーカー・チューン”スクラップル・フロム・ジ・アップル”はトミー・フラナガンとジョージ・ムラーツの名コンビによる『Ballads and Blues』や、夜毎のライブでよく聴く私的大スタンダード。皆さんご存知のように、1947年にチャーリー・パーカー・クインテット(マイルズ・デイヴィスtp、デューク・ジョーダンp、トミー・ポッターb、マックス・ローチds)が初録音。以来、様々なミュージシャンが愛奏してきました。

dial3951111.jpg ブリッジ(サビ)の部分を除いては、ファッツ・ウォーラーの”ハニーサックル・ローズ”のコード進行が、この曲の素になっていて、口づさみにくいテーマにも拘らず、ウキウキするような浮揚感に溢れている。 

お馴染みのナンバーなのに、私にとってずっと謎だったのがこの曲名、「アップルからのスクラップル」って何?ネットが普及する遥か以前、ウエブスター英語辞書、ブラック・スラング辞典、果てはアメリカンセンターの図書室まで、”Scrapple”という単語を探してみたけど、どこにも見つからなかった。フラナガンや他のバッパー達のライブで演奏されていれば、バックステージで訊いたかもしれないけど、そんなチャンスもなく月日は経ち、漠然と、これはバードの造語で「NYの新聞の切り抜き」みたいな意味なんだろうと思っていただけでした。何十年も…

<CTが教えてくれた>

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  ところが、ごく最近やっと判りました!個人的大発見!先日米国の友人からDVDと一緒に頂いたクラーク・テリーの伝記に答えが書いてあったのです!

bandbox.JPG「’50年代始め、私がエリントン楽団に居た時に《バンドボックス》という店に出演していたことがある。

 同じ期間にチャーリー”ヤードバード”パーカーもそこに出演していた。彼は速いテンポで演奏するのが好きだった。エリントン楽団でも、ジミー・ハミルトン(cl)、ポール・ゴンザルベス(ts)、それに私も速いのが大好きでね。

 バードは専ら、モダンなハーモニーのビバップ・スタイルで演ってるんだが、一度僕達の楽団に飛び入りしたことがあったんだ。そこで私は彼のオリジナル曲”スクラップル・フロム・ジ・アップル”をやろうと提案した。

演奏が終わると、彼は大喜びした。『わあ!皆さん、どうもありがとうございます。僕の拙い曲を気に入ってもらえて嬉しいです。』と言ってた。バードは人間としても素晴らしい奴だったよ…』

ellington55.jpg  こんな場面、一度でいいから観てみたかったですね! そういえば、デューク・エリントン楽団のアルバム『Ellington ’55』収録の”ハニーサックル・ローズ”では、名クラリネット奏者ジミー・ハミルトンをフィーチュアして、彼の朗々たるソロのバックで”スクラップル…”がソリとして入っています。

《Bandbox》という店をThe New Yorkerタウン情報で調べてみると、有名な《Birdland》の隣に1953年にオープンした体育館ほど大きなダンスホールで音楽鑑賞にはいささか不向きというようなことが書いてありました。2月第二週のヘッドライナーはエリントン楽団で対バンがアート・テイタム・トリオ!!行ってみたいですね!短命なクラブだったようですが、ラジオ中継も行われていたようです。

<スクラップルはホルモンだった!>

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 テリーは続ける。

 「”スクラップル・フロム・ジ・アップル”は料理のことなんだ。豚肉の色んな部位で作ったものだよ。耳や鼻や足の先、なにもかも一緒くたにミンチにしてすり潰す。それを四角く成形して、スライスしてから焼くんだ。粉も混ぜてね。朝飯に食べるものだよ。」

  改めてネットで調べてみたら、あったあった!色んなレシピも載っていて、起源はドイツやオランダの、いわゆる屑肉で作るホルモン料理。甘いアップル・バターやメープル・シロップをかけて、卵料理などと一緒に、朝食のパンケーキのように戴くものらしい。オランダからペンシルヴァニアに入植した初期のアメリカ開拓移民、いわゆるペンシルヴァニア・ダッチの料理が、黒人のソウルフードとして伝わっていったというような事も料理の解説に書かれていました。

 ビバップと呼ばれるバードの音楽は、この”スクラップル”みたいなもの!黒人のブルース・スピリットと卓越したリズミックセンスに、ヨーロッパ伝来のクラシック音楽の和声がごちゃまぜになって、NYの水に洗われて垢抜けたひとつのかたちになった。チャーリー・パーカーは、そんな思いをこの不思議な曲名に込めたに違いない。  

 私的大発見のおはなしでした。CU

BeBop革命のフィクサー:バド・ジョンソン

 今週の「トミー・フラナガンの足跡を辿る」はスイングからバップへとジャズが大変化を遂げた時期を生き抜いた二人の巨匠が!一人は、先日ドキュメンタリーを見たところのクラーク・テリー、そしてもう一人がバド・ジョンソン。ジョンソンは大スターというよりも、ビバップ革命を成功させた陰の大物だ。

foto152.jpgBudd Johnson (1910-84)

 テナーを主体にあらゆるサックスとクラリネットの奏者であり、作編曲家であるバド・ジョンソン(本名Albert J. Johnson)は明治後期1910年テキサス州ダラス生まれ。兄ケグ・ジョンソン(tb) と一緒に音楽を学んだ先生は、奴隷の身から解放された後、セオドア・ルーズベルト大統領のブレーンとして、人種間の架け橋となった偉人、ブッカーTワシントンの令嬢、黒人史上、初めて学位を取得したポーシャ・ワシントン・ピットマンだった。つまり黒人として学校で音楽教育を受けた最も初期の人です。

 バド・ジョンソンのプロデビューはドラム、14才の時には各地を楽旅しながら音楽的見聞を広め切磋琢磨、すぐにサックス奏者として頭角を現し、’30年代にはルイ・アームストロング楽団に入団、その頃にはテディ・ウイルソン(p)と共に編曲もこなすようになっていました。ジョンソンは一流楽団を渡り歩き、技と知識、そして楽団組織運営のスキルと人脈を身につけていきます。

 若かりしジョンソンが、カンサス・シティに居る頃、彼がバンドのリハーサルをしているのを、外から覗き見ていた子供の中にチャーリー・パーカーが居て、「きっと覚えておられないでしょうが、僕は子供の時、スティックボールをしながらあなたの演奏をよく聴いていました。」とNYで挨拶したというのですから、ジョンソンがどれほど業界のベテランなのか推して知るべしです。

<司令官>

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 ジョンソンへの信頼度が一気に高まるのは、’34年、アール・ハインズ楽団に入団してからのことです。ハインズ楽団に在籍した8年の間、彼が楽団に招き入れた若手ミュージシャンは、ディジー・ガレスピー(tp)、チャーリー・パーカー(as)、ビリー・エクスタイン(vo)たち!つまりジャズ界が大転換を遂げ、社会現象となったビバップの立役者は、ジョンソンを媒介として次々とブレイクしていったわけです。ガレスピー退団後はジョンソン自ら楽団の音楽監督を務め、同時にビリー・エクスタイン楽団の結成や、立て直しなど、危急の際には出向して楽団員を教育し、士気を高める役割を受け持っていたのがバド・ジョンソンだったのです。 

 <書記長>

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 ハード面だけでなく、バド・ジョンソンはソフト面でも大きな役割を果たしました。黒人の街、ハーレムのクラブ《ミントンズ》で開花したビバップは、ミッドタウンに南下して一般的な人気を獲得し始めました。ジョンソンはガレスピー、オスカー・ペティフォード(b)、マックス・ローチ(ds)らとNY52丁目の”オニックス”に出演、スモール・コンボでのビバップ・ムーヴメントの先鞭を切ります。新しい音楽を仲間に伝えるため、ディジー・ガレスピーは、手取り足取り、ハミングで口移しに伝え、自らピアノを弾いて鍵盤を見せながらバップの高度な理論を広く伝えました。その頃の黒人ミュージシャンは譜面の読めない人が多かった。まして、16分音符主体のバップの曲は、楽譜にするのもそれなりの技術が必須。そこで、ジョンソンは、途方もなくクリエイティブな曲を創作し、かつそれらを容易く演奏できるにも関わらず、譜面に起こすことが出来ない天才達のために、彼らの作品を採譜する書記長の役目を果たしました。彼が採譜を引き受けた仲間は、ペティフォードやモンク達、例えばOne Bass Hitも彼が書き留めたオリジナルです。信じがたいことですが、ペティフォードは譜面を書くことができないので、溢れ出る創造力で毎日曲を作り、それを毎日ジョンソンは譜面に記録したといいます。

<ビバップ初レコーディング>

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 ’42年、ヨーロッパからNYに帰郷したコールマン・ホーキンスは、後輩たちが繰り広げる新しい音楽に「これだ!」と膝を打ちます。かねてからクラシックを楽しみ、高度なハーモニー感覚を持つホークにとってビバップは、何の抵抗もなく受け容れることのでwoddynyouR-6766287-1426180101-6212.jpeg.jpgきるスタイルでした。新しい感覚のミュージシャンに囲まれて「自分の音楽」をやろう!そこでホークはジョンソン達に声をかけ、レコーディング用に、作、編曲を依頼。1944年2月16日、コールマン・ホーキンス名義で、歴史上初のビバップ・レコーディングが実現します。これらのSP盤に収録された曲は、私はしょっちゅう生で聴いている”Woody’n You”ジョンソンとクライド・ハート名義の”Bu-dee-Dah”やホークの十八番”Body and Soul”をリニューアルした”Rainbow Mist”など、バップのイディオムにしっくり溶け込みながらも、不変のホーキンスのサウンドは「横綱」の貫禄!

  ジョンソンは、その後もハインズ、ベニー・グッドマン、クインシ―・ジョーンズなど多彩な楽団で演奏や編曲を行い、’70年にはスミソニアン協会の「クラシック・ジャズ・プロジェクト」に参画し、往年のビッグバンドの名演を採譜してジャズ史の保存に貢献しました。

prodigy-mobb-deep-1.jpeg  ジョンソンの孫、アルバート・ジョンソンはヒップ・ホップの人気デュオ、”モブ・ディープ”の”プロディジー”として活躍中。講座に登場する『Let’s Swing』で共演している兄、ケグ・ジョンソンは、この録音後、Ray Charlesのバンドで亡くなるまで活動しました。その息子で、同名のケグ・ジョンソンは、グラディス・ナイト&ピップスなどR&Bのスターを育てた名プロデューサーとして音楽史に名を残しています。

 「 私は今もビバップが大好きだ。他のどんなスタイルよりも音楽的だが、今のアヴァンギャルドな音楽よりも、演奏するのはずっと難しい。まあ、パーカー-ガレスピーの名コンビの素晴らしいプレイを聴けば、誰だって好きになるがね。あの複雑なチェンジを正確に演奏するには、並外れた技量が必要で、おまけにそのテクニックを駆使して、自分の心の中で感じていることや、自分自身を表現しなければならないのだから・・・バップには色んなメロディーが内在していて、きっちりした型がある、そこから新しいものを構築していくんだ。ただホーンをうまく吹くのも結構だが、私はそこにもう一味を付け加えたい。」バド・ジョンソン( ’80頃の発言)

 参考文献:『Swing to Bop』 Ira Gitler著 Oxford University Press刊
       『To Be… Or Not To Bop』 Dizzy Gillespie回想録 Doubleday 刊

寺井尚之バースデー!

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先週の「楽しいジャズ講座」はピアニスト、寺井尚之の63才の誕生日!ピアノ歴60年に恥じない、明快な解説を聞くことができました。
 今週の「足跡講座」のOHP作りと、日常の業務で更新滞り中~ 
 次回は足跡講座に登場するバップ革命の隠れたヒーローをご紹介しようと、鋭意資料整理しています。
CU SOON!