<酒とバラの日々の源流は>
『Nevermore』ゴーギャン作(1897) ロンドン、コートールド・ギャラリー所蔵
〈酒とバラの日々〉ーヘンリー・マンシーニの美しいメロディーにジョニー・マーサーがつけた歌詞は、私にとっては謎、謎、謎だらけ、昔対訳を作った後に見つけた上のヌードのタイトル’Nevermore’は、まさしく〈酒とバラの日々〉の詩の中、唐突に登場する草原の中のドアに記された謎の文字だったのだ。
エドガー・アラン・ポーの《大鴉》と〈酒とバラの日々〉のキーワードは、ゴーギャンのアートのキーワードにもなっていた!調べてみると、アメリカ人、アラン・ポーの文学は、米国よりも、ヨーロッパでずっと大きな評価を受け、フランスや英国の世紀末芸術、特に象徴主義(Symbolisme)と呼ばれる芸術運動に大きな影響を与えていたのだった。《大鴉》は、最初ボードレールによって仏訳され、マネや「ふしぎの国のアリス」でおなじみの絵本画家、テニエルが挿絵を担当し、何度も出版され、カルト的人気を博したらしい。
象徴主義(Symbolisme)は、「芸術の本質は”観念”をかたちにして表現するもの」と主張する芸術運動で、先に述べたボードレールや、音楽の世界ではドビュッシーといった人たちが、代表的アーティストと言われています。加えて、〈酒とバラの日々Days of Wine and Roses〉という言葉を創ったアーネスト・ドウソンも、ゴーギャンも、芸術史では、象徴主義のカテゴリーに入るとされている。ゴーギャンはこの作品と《大鴉》の直接の関係を、ゴーギャンは否定しているけれど、パリで開催されたアラン・ポー自身による《大鴉》の朗読会に出席した後、タヒチに渡り、この絵を描いたことは事実として証明されているらしい。
前回書いたジョニー・マーサーの作詞の状況を整理してみよう。
〈酒とバラの日々〉は、同名映画のテーマソングとして、まずヘンリー・マンシーニが曲を書き、ジョニー・マーサーが詞をつけた。
マーサーは、作詞の依頼を受けた時、映画の内容を全く聞かされていなかった。でも、マーサーが、このタイトルの出処を知っていたとしても、 不思議じゃない。〈酒とバラの日々〉という言葉は、アーネスト・ドーソン(Ernest Dowson 1867-1900)という英国の詩人の詩から引用されたものだ。
ドーソンは英国の世紀末=デカダン文化を代表する詩人。ジャズと縁の深いラクロの背徳小説「危険な関係」やヴェルレーヌの詩集を英訳して初めて英語圏に紹介した翻訳者でもあり、ロリータ・コンプレックスの人でもあった。彼自身、アルコール中毒で、結核を患い、鎮静剤の過剰摂取のために三十代半ばで亡くなっています。
じゃあ〈酒とバラの日々〉の先祖となるドーソンの詩を訳してみることによう!詩のタイトルはラテン語で、紀元前1世紀(!)に活躍した古代ローマの詩人、ホラティウスの詩句からの引用だった。詩の世界はジャズよりもずっと長い間、引用が繰り返されるんだなあ…
Vitae summa brevis spem nos vetat incohare longam 儚い人生は、我らに希望を持ち続けることを許さない
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They are not long, Love and desire and hate; I think they have no portion in us after We pass the gate. |
長続きはしない、 我は思う、
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They are not long, Out of a misty dream Our path emerges for a while, Within a dream. |
長続きはしない、 もやのかかった夢の中から、 暫らくの間、我らが共に歩む道は現れ、 |
〈酒とバラの日々〉の中で’Nevermore’と記された「扉=Door」の原型は、ドーソンの詩の中に登場する「門=Gate」だったんだ!
酒とバラの日々は、
鬼ごっこする子供のように、
草原を走り、
閉じ行く扉に向かって逃げ去る―
“もう二度と…”と記された扉は・・・
さらに調べてみると、マーガレット・ミッチェルの小説から映画化された「風と共に去りぬ/ Gone with the Wind」もドーソンの詩句の引用だし、それ以外にもコール・ポーターも彼の詩を元に曲を創っている。さらに、ドーソンが最も愛した詩人は、エドガー・アラン・ポーだった。
ジョニー・マーサーは、ドーソンや彼の詩をよく知っていたからこそ、この素晴らしい歌詞を創作したのだとしか思えないのです。例えば〈How High the Moon〉の進行を元に、チャーリー・パーカーが〈Ornithology〉を、ジョン・コルトレーンが〈Satellite〉を創ったように…19世紀のデカダン詩人の作品を元に、全く新しい歌詞の世界を創ったマーサー恐るべし。
<ゴーギャンからダリへ>
’Nevermore’の扉に悩みながら、ジョニー・マーサーの伝記を読んでいると面白いことが書いてありました。
〈酒バラ〉を大ヒットさせたアンディ・ウィリアムズも私と同じように、’Nevermore’の意味が判らないと打ち明けて、マーサーに教えを請うたのだそうです。すると、マーサーはこんな風に説明してくれた。
「比喩的なものなんだ。草原を歩いていると、突如としてドアが出現する。そして文字が書いてある。ドアの向こうは見えるけれど、そこに入ることはできないんだ。」
マーサーは、ドーソンの時代の象徴主義を、もっとモダンなかたちで表現してみせたのだった。
Youtubeで見つけた〈酒とバラの日々〉のアカデミー賞授賞式、ジョニー・マーサーのいたずらっぽい、短いスピーチが、そっと種明かしをしてくれているみたいです。
「ミスター・ドーソンよ、美しいタイトルをありがとう、
ミスター・マンシーニよ、美しいメロディーをありがとう。
とにかく感謝します。」