私たちが敬愛するテナーの巨匠、ジミー・ヒースは1926年生まれ。若き日は、チャーリー・パーカーの再来という意味で「リトル・バード」と呼ばれ、ディジー・ガレスピー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス達と関わりを持ちながら、ジャズの歴史を大きく動かしました。最高にヒップでスマートな巨匠も今年の10月25日に91才。
OverSeasで行なったヒース・ブラザースのコンサートの素晴らしさは一生忘れることはありません!
寺井尚之のいかなる音楽的質問にも速攻で答えてくれる超ハイIQ、威張らず気取らず、それでいてオーラ溢れる天才音楽家です!
「ジャズタイムス」電子版7月号に、リーダーとして、サイドマンとして参加した様々な名盤にまつわる非常に興味深いエピソードが掲載されていました。ジミーの奥さん、モナ・ヒースさんが「天才ミュージシャンは、何故か子供みたいなところがあるものなのよね。」と、私にこっそり話してくれたことがあります。それは決して自分の旦那さまの自慢話として語った言葉ではないのですが、このインタビューの端々に、モナさんの言葉が思い出されました。
☆日本語訳にあたり、ジミー・ヒースの優秀な生徒であったベーシスト、Yas Takedaに助言をいただいたことを感謝します。
=リトル・バードは語る=
聞き手:By Mac Randall 原文サイト: https://jazztimes.com/features/a-little-bird-told-me/
1.Howard McGhee/Milt Jackson |
Howard McGhee and Milt Jackson McGhee, trumpet; Jackson, vibraphone; Heath, alto and baritone saxophones; Will Davis, piano; Percy Heath, bass; Joe Harris, drums
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バグス(ミルト・ジャクソン)とは多くのアルバムで共演していて、これが最初のアルバムだ。私が21才当時、一緒に仕事をした内で一番の大物がハワード(マギー)だった。彼のほど名前の知れた名プレイヤーと共演したのは初めてだった。彼はカリフォルニアのビバッパーだ。この録音の前に、シカゴの《アーガイル・ショウ・ラウンジ》で何度か共演したが、店のオーナーがギャラとして支払った小切手は未だに換金できていない。文句を言う為に店に戻ったら、そいつはコートのボタンを外して、拳銃をちらつかせた。それがハワード・マギーとの共演で一番の思い出かな… 私のことを”リトル・バード”と呼び始めたのがハワード(マギー)とバグス(ミルト・ジャクソン)だ。その当時、私はまだアルトを吹いていて、何とか師と仰ぐチャーリー・パーカーのようにプレイしたいと必死だった。まあ、その頃は私だけでなく、誰でも、そう思って頑張っていたのさ。バードは皆を夢中にさせたからね。だから、ハワードとバグスは、”リトル・バード”というニックネームを私に付けることによって、リスペクトを示してくれたわけだが、おこがましい名前だったと自分では思っている。確かにバードならではのフレーズやお決まりのプレイを身に着けてはいたけれど、まだまだビバップ・スタイルを目指すスタート地点に立っていただけさ。他に、このバンドで覚えていることは余りないね。バンドが長続きしなかったことだけは覚えている。このセッションは’48の2月に行われたもので、同じ年の5月に、ハワードと一緒にパリへツアーしたが、ミルトは同行しなかった。
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2.Kenny Dorham Quintet |
Kenny Dorham Quintet (Debut, 1954)
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ケニーは僕の大好きなトランペット奏者であり、大好きな共演者でもあった。私は彼のアレンジするオーケストレーションやオリジナル作品も非常に気に入っていた。ケニー・ド-ハムとタッド・ダメロンは、ビバップ世代に於ける偉大なるロマン派作曲家だと思う。 最初の’48年のハワード・マギーのセッションでは何曲かバリトンを吹いている。それが私のバリトン・サックスでの初録音だ。ケニーとの本作も、バリトンを演奏している数少ない作品だね。 “Be My Love”で、ケニーにバリトンを吹いてほしいと頼まれてね、なにしろ身長が160㌢しかないものだから、(大型の)バリトン・サックスの演奏依頼はしょっちゅうあるわけじゃなかった。楽器が大きすぎるんだよ!バリトンを吹いたセッションは確か3回だけだよ。スリー・ストライクでアウト!ってところだ。
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3.The Jimmy Heath Orchestra |
Really Big! (Riverside, 1960) Heath, tenor saxophone; Nat Adderley, cornet; Clark Terry, flugelhorn and trumpet; Tom McIntosh, trombone; Dick Berg, French horn; Cannonball Adderley, alto saxophone; Pat Patrick, baritone saxophone; Tommy Flanagan and Cedar Walton, piano; Percy Heath, bass; Albert Heath, drums |
これは「初リーダー作」というわけではないが、大編成のバンドを率いた初めてのレコーディングだった、十人編成だから殆どビッグ・バンドと言える。 私は、自分が惚れ込んだ楽器、つまりフレンチ・ホルンと一緒にレコーディングをしたいと思った。フレンチ・ホルンがアンサンブルにしっくりと溶け込む感じが好きでね、これ以来何枚かのアルバムでこの楽器を使った。フレンチ・ホルン奏者のディック・バーグを入れてブラス四管、リード三管の編成にし、クラーク・テリー(tp.flg.)にリードを取ってもらった。クラークはこう言ってくれた。「お前さんのレコードなら、いつだって、どんな録音でも、ユニオンの最低賃金で出演させてくれ!」彼は当時すでに、相当なビッグ・ネームだったから、この言葉は私にとって非常にありがたく恩義に感じた。彼のような大物が、私の音楽を気に入ったというだけで、最低のギャラでいいと言ってくれたのだから。彼のプレイは本当に素晴らしくて、私はすっかりノックアウトされてしまったよ。 このアルバムでは、編曲の段階で少し行き詰まってしまってね、ボビー・ティモンズの曲-”Dat Dere”はトム・マッキントッシュにアレンジしてもらった。彼はトロンボーンの名手だが、作編曲の腕前も同じくらい素晴らしい。バリトンを担当したのはパット・パトリック、元マサチューセッツ州知事、デヴァル・パトリックの親父だよ。録音セッションで、彼が私にこう言った。「この世に長いこと居れば、年月を経た重み(long gravity)が備わるものさ。」 そして、後に私は、この言葉を自作曲のタイトルにした。-”Long Gravity”はヒース・ブラザースのテーマソングになったよ。
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4. Jimmy Heath Quintet |
On the Trail (Riverside, 1964) Heath, tenor saxophone; Kenny Burrell, guitar; Wynton Kelly, piano; Paul Chambers, bass; Albert Heath, drums
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私は、コルトレーンの後釜として、1,2ヶ月間、マイルスと共演していたことがある。バンドはキャノンボール(アダレイ)、ウィントン(ケリー)、ポール(チェンバース)、フィリー・ジョー・ジョーンズというすごい顔ぶれで、たまげたよ。ほどなく、この連中がオリン・キープニュース(Riversideレコードのプロデューサー)を説得して、私に専属契約を結ばせた。「コルトレーンがBlue Noteの専属になったからには、Riversideはジミー・ヒースを獲得しておくべきだ!」と言ってね。だから、Riversideでリーダー作の録音が始まると、彼らに参加してもらって恩返しをしようと思った。特にウィントン(ケリー)ならではの三連符が欲しかった。いみじくも、フィラデルフィアの友達は、彼のソロのことを「涙の粒で出来ている。」と評したが、私も全く同感だ。まさにピアノから涙がポロポロこぼれているようなんだ。 『On the Trail 』には、〈Vanity〉というバラードを収録している。これはサラ・ヴォーンのヒット曲でね、コルトレーンも私も、彼女のバラードを聴くのが大好きだった。後になって、この曲を作曲したバーニー・ビアーマンに会った。百歳以上長生きした人なんだが、私の録音した〈Vanity〉にノックアウトされた!と言ってもらえた。 〈On the Trail〉を愛奏するようになったきっかけは、ドナルド・バードとの共演だ。彼が編曲したものを、アルフレッド・ライオンのプロデュースでBlue Noteに録音する予定だったんだが、ドナルドとアルフレッドの間にいざこざがあり、ドナルドが録音をやめてしまったんだ。それなら、私がこのアレンジでレコーディングしよう、ということになった。皆は私の編曲だと思っているが、ガブリエル・フォーレ作〈パヴァーヌ〉のラインを取り入れたこのアレンジは、ドナルドのものなんだ。そのラインは元々ギターのパートではなかったんだが、私のレコーディングではケニー・バレルが弾いているので、そこは私のアイデアのようだな。
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5. Ray Brown/Milt Jackson |
Ray Brown/Milt Jackson (Verve, 1965)
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このアルバムは私とオリヴァー・ネルソンが半分ずつ編曲を担当している。何故か、オリヴァーがフル・バンドの編曲を担当しているのに、私は10人編成のスモール・バンドでアレンジ依頼されていたのだとは知らなかった。気づいた時は「くそっ!騙された!」と思ったよ。そして、オリヴァーは自分のオーケストレーションに、常に半音をぶつけるハーモニーを使うことを主張した。そうすると耳触りの良いハーモニーになる。しかし、それがミルト・ジャクソンを大いにイラつかせた。バグス(ミルト・ジャクソン)は絶対音感の持ち主だから、二度マイナーに撹乱される。「EなのかFなのか?一体どっちなんだ?はっきりしやがれ!」って感じだ。後になって彼は言ったよ。「なあ、バミューダ(彼は私をこう呼んでいた。)俺はオリヴァーより、お前がアレンジした譜面の方がずっと好きだ。」ってね。 ここには、〈Dew and Mud〉というオリジナルが収録されている。マイルス(デューイ-)デイヴィスとマディ・ウォーターズに捧げて書いた曲で、マイルスがよくトランペットで吹いてたマディ・ウォーターズのフレーズで始まってる。このアルバムではクラークがソロを取っていて…Oh, Yeah! もう最高だよ。いいレコードだな! ミスター・レイ・ブラウンは大好きだよ。最初に会ったのは1945年だ。ネブラスカ州のリンカーンで、私はナット・キング・コールと一緒に仕事をしていた。そこで我々は彼の引き抜きを画策したが、ディジー(ガレスピー)の楽団で仕事をしていることが判り、断念したんだ。このアルバムにはグラディ・テイト(ds)も参加している。私は彼のことを”Gravy Taker(おいしいところを取ってしまう奴)”と呼んでいた。彼は全くありとあらゆるギグで演っていたからね。
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6.Art Farmer Quintet |
The Time and the Place (Columbia, 1967)
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このアルバムでは、スタジオ録音と、残りはNYの近代美術館(MoMA)での演奏だ。〈いそしぎ〉をプレイした事を覚えているよ。母親が好きな曲だったので、よく演奏していたんだ。それに、私のオリジナル〈One for Juan〉も収録されている。コロンビア・コーヒーのコマーシャルに登場する農夫、フアン・ヴァルデスから名付けたんだ。「最高のコーヒーは南米だ!」って言うんだけど、私が最高だと思うのは、コーヒー豆とは違うものなんだがね(笑) アート・ファーマーの話をしようか。彼は、例えギグで赤字になったとしても、サイドメンにはきっちりとギャラを払う男だった。「クラブが君を雇ったわけじゃない。僕が君を雇ったんだから。」と言ってね。そういう人間だったよ。彼がヨーロッパ各地の様々な仕事場の住所を教えてくれたおかげで、私はその住所宛に手紙を書きさえすれば、仕事が取れた。そこに飛んで行って、3、4週間、行く先々で、現地のリズムセクションと共に、良い演奏ができた。いい奴だったな!アートのために曲を書き送れば、すぐさま録音してくれたよ。コード・チェンジを深く読みこなし、ほとんど完璧なソロを取った!私の経験から言えば、大抵のミュージシャンは、自分の気に入ったソロを取れるようになるまで、何度か練習するものだが、アートの場合は、音譜を読むように、コードを読みこなすことができた。全くずば抜けた才能だった。
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7. Jimmy Heath |
Picture of Heath (Xanadu, 1975) Heath, tenor and soprano saxophones; Barry Harris, piano; Sam Jones, bass; Billy Higgins, drums |
これはヒース・ブラザース結成直前に作ったアルバムだ。私は兄パーシー(ヒース)のプレイが大好きなんだが、モダン・ジャズ・カルテットでジョン・ルイスと共演しているし、クラシック志向が強いんだよ。だから何小節かベース・ランニングさせると、もう、うんざりしてしまう。一方、このサム・ジョーンズは、私がこれまで共演したうちで最もスイングする素晴らしいランニングのできるベーシストだ。彼のランニングは天国まで登っていく!それがこのアルバムにはある。我々は彼を”ホームズ”と呼んでいる。 『ピクチャー・オブ・ヒース』は自分のレギュラー・カルテットでレコーディングした数少ない一枚だ。ただし、ギターの代わりにピアノを入れているんだがね。このようなワン・ホーンでの録音は余りやっていない。何故なら、私は、あらゆる楽器が大好きなんだ。別にテナーだけが好きというわけではない。毎回、テナーが先発ソロで、次にピアノのソロ…そういうのは、私にとっては退屈極まりないことだ。私はフレンチ・ホルンが好きだし、チェロも好き、サックス・セクションもブラス・アンサンブルも、みんな大好きなんだ。なぜテナーだけに固執しなけりゃいけないんだね?まあ、デクスター(ゴードン)、ソニー(ロリンズ)、(ジョン)コルトレーンといった多くのミュージシャンは、確かにテナー・サックス一筋で名声を築いたんだが。トレーンが私のビッグ・バンドに在籍中に編曲した”Lover Man”が素晴らしい出来だった。「このアレンジは最高だ!とても気に入ったよ。こんな感じであと何曲か書いてくれないかい?」と頼んだら、彼はこう答えた。「いやあ…ジム、そんな暇はない。楽器の練習だけで精一杯だから。」やっぱり、私とは考え方が違っていたんだなあ。
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8. The Heath Brothers
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Marchin’ On (Strata-East, 1975)
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これは、ヒース・ブラザースのデビュー・アルバムだ。ちょうどスタンリー・カウエルがチャールズ・トリヴァーと一緒に”ストラータ・イースト”というレコード・レーベルを創設し、我々にレコーディングを依頼してきた。ヒース・ブラザースは家族のバンドなんだが、そこにスタンリーを義兄弟として招き入れた。だってスタンリーは凄いと感服していたからね。まあ、私たちにとって、少し毛色の変わったレコードだ。ノルウェイ、オスロでのツアー中の録音だ。この時代は、列車でヨーロッパ中をツアーしたものでね、兄のパーシーはボディがチェロと同じ形状のベース(ベビー・ベース)を、ツアーに持参していた。これはレイ・ブラウンが考案した楽器だ。列車の中で、パーシーがベビー・ベース、弟のトゥティ(アルバート・ヒース)と私がフルート、スタンリーがカリンバ(手のひら大の小箱にオルゴールのように並んだ金属棒を弾いて演奏するアフリカ生まれの楽器)を手にして演奏すると、乗客達がやってきて耳を傾ける。そうやって、次の国へと移動した。車中の私たちの演奏は、室内楽のグループのようで、たいそう喜ばれた。だから、そういうサウンドをこのアルバムに収録しようと決めたのさ。 〈Smilin’ Billy Suite〉は、この『Marchin’ On』のために書いた曲で、ビリー・ヒギンズに捧げたんだ。彼はいつも笑顔で、周囲をみんなも笑顔にしてしまう。ビリーのタイム感はまさに完璧だ。決して大きな音で叩かずに、聴くもの心に響くドラミングをした。後になって、ラッパーのナズが(1994年のアルバム『イルマティック』に中の〈One Love〉というトラックに)この組曲の一部をサンプリングして使っている。おかげで、私達のグループが新しい世代に注目されるようになったのはいいことだった。 『Marchin’ On』の録音後、私たちはCBSに移籍した。それは重要な節目の時期だった。初めてオーバーダビング技法を使ったのもこの頃だ。私の息子、ムトゥーメをバンドに入れて共演したし、グラミー賞にもノミネートされた。新譜を発表する毎に、前作より好セールスを記録した。『Then Expressions of Life』(’80)は4万枚売れて、このバンドの最高記録だ。そして、会社は我々をクビにした!・・・仕方ない。私たちがいくら売れたと言っても、ビリー・ジョエルやマイケル・ジャクソンは数百万枚売るのだから相手にならないさ。
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9. Jimmy Heath |
Little Man, Big Band (Verve, 1992)
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’47,’48年当時は、ビッグ・バンドのサウンドが大好きでね、これはその時代への回帰であると同時に、ビッグ・バンドでの初リーダー作だ。サックス・セクションが凄い!リード・アルトがジェローム(リチャードソン)だし、長年の盟友、ビリー・ミッチェルも入っている。それにトニー・(ピュロン)がギターだ。ヒース・ブラザースに在籍していたときから、私は彼にぞっこんなんだ。彼はバグス(ミルト・ジャクソン)のように絶対音感があり、望むままに、どんなキーでも演奏できる。これは私がとても誇りに感じているアルバムだ。 私は自分の好きな人達に捧げて作曲するのが大好きで、この『Little Man, Big Band』にもそういう曲をたくさん収録した-ジョン・コルトレーンに捧げた〈Trane Connections〉、ソニー・ロリンズへの〈Forever Sonny〉、私の師であるディジー・ガレスピーへの〈Without You, No Me〉、そしてコールマン・ホーキンスへの〈The Voice of the Saxophone〉、ホーキンスは私がハワード・マギーとパリにツアーした時の看板スターだった。
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10.The Jimmy Heath Big Band |
Turn Up the Heath (Planet Arts, 2006)
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ジェブ・パットン(p)はクイーンズ・カレッジの教え子で、ここ16年間ヒース・ブラザースのレギュラー・ピアニストだ。私たちは彼が本当に大好きなんだ。アントニオ・ハートも私の生徒だよ。そしてチャールズ・デイヴィスとは実に長い付き合いだ。彼にこう言ったことがある。「お前がソロを取っている最中に、バンドが入ってくる、それが最終コーラスの合図だから、そこでソロを終わってくれ。」しかし、チャールズはソロを止めなかった・・・私は彼にLPCDというあだ名を付けてやった。つまり「ロング・プレイング・チャールズ・デイヴィス」の略だ!それから、ずっと昔に作ったオリジナル〈Gemini〉では、ルー・タバキンがフルートでソロを取っている。彼のことは「噛みタバキン(Chew Tobacco)」と呼んでいる。だって、彼がテナーをプレイするときに、まるでリードを噛み噛みしているように見えるからさ。こんなふうに、私は誰彼なしに、皆にあだ名を付けてやるんだよ。(笑) |