スタンダードてんこ盛り Evergreen2 ダウンロード 情報

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 寺井尚之The Mainstemによるスタンダード集第二弾, ” Evergreen2 “ダウンロードの段取りが、前作より数倍スピーディに完了しました。おかげで、キャンペーンが追いつかずアタフタしておりすみません。
 前作の”Evergreen”よりも、遥かに音質が向上していて、メインステムのキレの良いプレイに臨場感が生まれていると、沢山メッセージいただいています。
日本の各サイトのDL料金は1曲あたり150円、アルバム1200円。
米国のCDbaby(英語サイト)は1曲 99セント、アルバムあたり$9.99です。
 iTunesはこちらのリンクから。http://itunes.apple.com/jp/album/evergreen2/id447661008
 amazon.co.jpはこちらのリンクから。http://www.amazon.co.jp/Evergreen2/dp/B0059HPPKE/ref=dm_ap_alb2
 収録曲のうち、通常、鉄人デュオでしか余り聴けないミスティが「お気に入り」とメッセージいただきました。!どんどんダウンロード、宜しくお願い申し上げます。もしDLできないけど、聴きたいという方は私めにご一報ください。
 なお好意的なアルバム・レビューもご投稿いただければ、さらに感謝!
 Jazz Club OverSeasでは、とりあえず7月29日に、Evergreen2 収録曲について、スタンダード曲の背景や、アルバムの演奏内容を譜面も公開しながら、寺井尚之が解説する講座を行います。
 ぜひご参加くださいませ!
収録曲
1. Day by Day デイ・バイ・デイ 
2. Polka Dots and Moonbeams 水玉模様と月光 
3. There Will Never Be Another You あなたなしでは
4. Misty ミスティ
5. On Green Dolphin Street オン・グリーン・ドルフィン・ストリート
6. When Sunny Gets Blue ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー 
7. Just One of Those Things ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス 
8. I Remember Clifford アイ・リメンバー・クリフォード

CU

『Evergreen2』 Coming Soon!

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 昨年暮に初挑戦した、寺井尚之のダウンロード配信用アルバム、「Evergreen」、好評につき、続編「Evergreen 2」を配信する運びになりました。パーソネルは勿論、寺井尚之(p)メインステム・トリオ 宮本在浩(b)、菅一平(ds)!

 誰もが知ってて、どこでも聴けるお馴染みのスタンダード・ナンバーを、寺井尚之がデトロイト・ハードバップのイディオムを駆使して、美しいタッチで、一味違うヴァージョンに仕立てました。グリーン・ドルフィンは、アーマッド・ジャマルを思わせるクリア・カットでメリハリのあるヴァージョンで、私のおすすめです!
 「歌詞」にこだわりのある寺井尚之ならではのポルカドッツや、ピアノ教室の課題曲Ⅰ、アナザー・ユー、火曜日の夜のOverSeasのヒット曲、ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス、OverSeasで演ると、うっとり吐息が漏れるアイ・リメンバー・クリフォードなど、おすすめの曲が一杯!
 ちょうどトミー・フラナガンが’60年に録音したMOODSVILLE盤のように、何度聴いても聞き飽きず、内容があって肩の凝らない、そんなアルバムになっていればいいな!
 音質も前回より良くなって、切れの良いクリアなサウンドになっていますので、どうぞご期待ください。
 配信開始は米国サイトCD Baby.comからは来週、日本サイト:i-tune, amazon.jpからは、数週間後に配信予定です。
evergreen2_jacket_small.JPGPersonnel:寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、菅一平(ds)
2011 5月録音
<Tunes>
1. Day by Day デイ・バイ・デイ (Sammy Cahn / Axel Stordahl / Paul Weston)

2. Polka Dots and Moonbeams 水玉模様と月光  (Johnny Burke/ Jimmy Van Heusen)
3. There Will Never Be Another You あなたなしでは (Harry Warren /Mack Gordon)
4. Misty ミスティ (Eroll Garner)
5. On Green Dolphin Street オン・グリーン・ドルフィン・ストリート (Bronislau Kaper/ Ned Washington)
6. When Sunny Gets Blue ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー  (Marvin Fisher / Jack Segal)
7. Just One of Those Things ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス (Cole Porter)
8. I Remember Clifford アイ・リメンバー・クリフォード (Benny Golson)

 近日発売!乞うご期待!
CU

Evergreen物語(7) :My One & Only Love

 いよいよ大スタンダード登場!今日のテーマは”My One & Only Love”、寺井尚之ジャズピアノ教室ではトニック・マイナーの原理を勉強する課題曲Ⅱでもあります。
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 ミュージシャンが「マイ・ワン」と犬みたいに呼び、時にはアドリブの途中で”Polkadots & Moonbeams”と間違える危険性をはらむ曲、私が出会ったのは、勉強するふりをしてラジオばかり聴いてた高校時代、FMラジオのジャズ番組で聴いたロレツ・アレキサンドリアの『The Great』というアルバムで、ピアノはウィントン・ケリーでした。後にトミー・フラナガン3とリメイクしていることからも、ロレツの十八番であったことが判ります。初めて聴いたロレツ・アレキサンドリアの声は、爽やかでセクシー、当時、英語はまるきり判ってなかったけど、最初の”The very thought of you…”と最後の”My one & only love”だけは聞き取れて、うまい歌手やん!ええ歌や!と、新鮮かつ単純すぎる感動を覚えました。その直後、TVの音楽番組で、司会の藤岡琢也さんが北村英二(cl)さんを紹介した言葉で、ワン&オンリーが「随一無比」を表す決まり文句と知ったけど、受験勉強には何の足しにもならなかった。
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<One & Onlyじゃなかった歌詞>
 歌のお里は、映画や演劇ではなく純粋なポップソング、作曲はイギリス出身のソングライターで、バンドリーダー、ガイ・ウッド、最初はジャック・ローレンスが詞をつけた“Music Beyond the Moon”(’47)という曲だったんです。バリトン・ヴォイスのヴィック・ダモンが人気の出始めた頃レコーディングしたのですが、ヒットはしなかった。
 それから5年後、ガイ・ウッド同様イギリス出身で、同じように作詞作曲どちらも出来るソングライター、ロバート・メリンが歌詞をリニューアル、フランク・シナトラがレコーディングしたら、あっという間に大ヒット、ジャズ・スタンダードになって、今も歌い継がれているんです。つまりMy One & Only Loveは皮肉にもワン&オンリーではなかったというわけ。
 “Music Beyond the Moon”を”My One & Only Love”にしたらヒットしたのはどうしてなのか?必ずしもヴィック・ダモンよりシナトラの方がずっとスターだったから、だけではないように思えます。シナトラのシングル盤ではB面だったし、今もスタンダードとして、ジャズだけでなく、ロッド・スチュワートなど、多くのシンガー、ミュージシャンに受け継がれているというのは、やっぱり、歌詞とメロディとハーモニーが三位一体の魅力を醸し出すからではないでしょうか?
<ラブ・シーンが見える>
FullScale_17_e98ae.jpg 高名なジャズ評論家ベニー・グリーンに「戦後のバラードのうちで最も精巧に作り上げられたバラード」と言わしめた”My One & Only Love”、形式は一般的なA-A-B-A形式ですが、通常聴かせどころとなるサビ(B)の方が、変化に富んだAのパートよりも控え目で、不思議な緊張感を醸し出すところが、洒落た雰囲気の秘密なのかもしれません。
 同様に歌詞も、A-2のパートがパンチラインになっていて、聴く者の心を掴みます。「四月」とか「そよ風」とかラブソングの定番になっている言葉が並ぶA-1から、A-2に入ると、冒頭の“The shadows fall and spread…”から、一気に歌の情景にリアリティが生まれる仕掛けになっている。ところがネット上を閲覧すると、数多ある訳詩の殆どが、このシンプルな節を「周りの景色に長い影が落ちる」と解釈し、「夕暮れになると」とか「夜の帳が下りると」とか、単に「夕方」として日本語訳化されている。そうしてしまうと、リアリティがしぼんでしまい、ありきたりな印象になってしまうのが少し残念です。
 本当は、自分達のシルエットが、「実物よりも長く大きく広がって、恋の不思議なムードも同じように増幅されている」ということを歌っているんです。
 静かな夜、デートの帰り道に、抱き合う自分たちのシルエットが目に入る、思わず気分がたかまって唇を重ねる恋人達、二人の影は重なって…という映画の1シーンのような情景が、たった2つのシラブルから浮かび上がってくるという仕掛け!うまいな...そう思うと、再びロレツの爽やかな色気のある声を思い出しました。男の歌を女が歌う、その効果が最大限に発揮されていますね。
 寺井尚之にとっては、アート・テイタム&ベン・ウェブスターの名演が一番印象的で、Evergreenでも、その辺りが感じられるので、ぜひ聴いてみてください。楽曲や歌詞の良さが判ると、聴くのも楽しいし、演るのもまた楽しいですよね!演奏者たちのために自筆楽譜もお分けしていますが、マイワンはサンプルとして無料でダウンロードできますので、ぜひこの機会に!そして他の譜面もどうぞ!

<My One & Only Love>
曲: Guy B. Wood/ 詞:Robert Mellin
今回は敢えて原曲の歌詞も日本語の前に掲載しておきました。
Evergreen_cover.JPGのサムネール画像
The very thought of you makes my heart sing
Like an April breeze on the wings of spring
And you appear in all your splendor,
My one and only love.
The shadows fall and spread their mystic charms. 
In the hush of night while you’re in my arms,
I feel your lips so warm and tender, 
My one and only love.

The touch of your hand is like heaven, 
A heaven that I’ve never known.
The blush on your cheek  
Whenever I speak
Tells me that you are my own.

You fill my eager heart with such desire, 
Every kiss you give sets my soul on fire,
I give myself in sweet surrender,
My one and only love.

君への想いに心が躍る、
春の翼に乗って来る四月の風の如く。
やがて輝く君が現れる、
かけがえのない恋人よ。

二人の影は長くなり、
恋の不思議を映し出す、
しんとした夜更け、
君をこの腕に抱き、
交わす唇は温かく優しい、
かけがえのない恋人よ。

その手に触れるだけで夢心地、
初めて知る天国、
話しかけると、
紅く染まる頬が、
君の気持ちを教えてくれる。

君はハートを欲望で満たす、
キスした数だけ心に火がともる。
喜んで降参!
かけがえのない恋人に。


 もうすぐホワイト・デーですね!寺井尚之のEvergreenを聴きながら、二人で影法師を眺めるのはいかがですか?

Evergreen物語(6) My Funny Valentine

 発表会も終わり早くも2月、デパートはバレンタイン一色ですね!だからということはないのですが、折良く“My Funny Valentine”の物語を書いてみます。
 実は3年前の2月にも、“My Funny Valentine”について書いています。ちょっとユニークなこのラブ・ソングが、シェークスピアのソネットに似ていることを見つけたのがきっかけでした。詳しいことは3年前のエントリーに書いています。
 その時、色んな方に訳詩を誉めていただいて、一層嬉しくなったのを覚えています。その節は励ましていただきありがとうございました!
<”Valentine”は人名?>
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 歌のお里、ブロードウェイ・ミュージカル “Babes in Arms”は劇団を舞台にした青春ドラマ、、劇中劇でヴァレンタイン(ヴァル)という名前の男性が作ったという設定になっているこの曲を、ヒロインのスージーが、彼の名前を「a valentine=恋人」という言葉に引っ掛けて歌うことで、ヴァレンタイン君への愛を示す設定になっているんです。ややこしいね!そのためか、色々な「訳詩」のブログを拝見すると、歌自体をValentineさんへのラブ・ソングだと解釈している人が多いみたいです。
  映画ヴァージョンの”Babes in Arms”では、当時のドル箱スター、ミッキー・ルーニーが主演しているため、ヴァレンタイン君の役名が”ミッキー”に替わり、この曲は出番はありません。
<ロジャーズ&ハート>
rodgers_hart.jpg   作曲リチャード・ロジャーズ、作詞ロレンツ・ハート、二人は高校時代の親友、25年に渡るコンビ活動で、28本のショウ、映画8本、550以上の歌を作った黄金コンビです。1942年にコンビ別れしてから、ロジャーズはさらに華々しく活動を続け、「オクラホマ」や「サウンド・オブ・ミュージック」など、現在もリメイクされる作品を作りました。一方のロジャーズは酒に溺れ、2年後、失意のうちに48歳で亡くなりました。
 “My Funny Valentine”のお里である、”Babes in Arms”(’37)は、脚本も含め、コンビが全てに渡り共作した最初のミュージカルです。不思議な魅力のある歌詞にぴったりのメロディ。ターンバックで、最初のアイデアを、オクターブ上げて、ハーモニーを豊かにすることで、色合いが一変、歌詞にぴったり沿いながら、最高に盛り上がります。アレック・ワイルダーは「音楽の新しいアイデアは、歌詞によってもたらされることが多い」と言い、この歌も「歌詞が最初に作られ、曲を後付けした作品」と断言しています。(American Popular Song p.206)
 皮肉っぽさと切なさが同居する都会的な魅力で、当時、ナイトクラブの歌手は、皆がこの歌を愛唱した。あんまり頻繁に歌われすぎるので、あるNYの一流クラブでは、歌手の出演契約書にMy Funny Valentine禁止条項を入れたほどだったそうです。
<自分宛てのラブソング>
 ソネットという十四行詞の形式になっている”My Funny Valentine”、私の推理どおり、本当にシェイクスピアにヒントを得たのかどうかは判りませんが、興味深いのは、この曲のヴァース(滅多に歌う人はいない、私が知ってるのはエラ・フィッツジェラルドのソング・ブックだけ。)が、シェイクスピアを思わせる古語で書かれていることです。
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Verse
我らが素晴らしき旧友をご覧あれ、
そは美の大行進、
さて我が血の巡り悪き友よ、
君、おのが姿を知らず、
空ろな額、乱れた毛髪、
美しき心を覆い隠す、
気高く、真摯、誠実だが、
いささか間抜けな男・・・

 額が薄くもしゃもしゃのバーコード頭、中身は素敵なのに、みかけが良くない「友」とは、ロレンツ・ハート自身ではないのかな?そして冒頭の麗しい「我らの友」とは、皆に好かれ尊敬された彼の幼馴染、相棒であったリチャード・ロジャーズを指しているように思えてなりません。
<ビタースイートなチョコの味>
 “上から目線”で相手の欠点ばかり言いながら、最後には「そのままでいておくれ!」と本心を吐露してしまう歌の主人公はとても切ない。相手も、そして自分自身も一生「そのまま」ではいられないことに気づく年齢なら、この歌はもっと深く、もっと切ない。
 「もしも私を想っているなら」と言うけど、本当に相思相愛なのかしら?「感じの良い巨匠」として名高いリチャード・ロジャーズとは対照的に、人付き合いが下手で、眉目秀麗でないホモノセクシャル、アル中だったロレンツ・ハートに、何となく親近感を覚える。
 色んな人がこの歌を取り上げるけど、ジャズに限らず、上手い歌手や演奏者なら本当に美しく響く歌です。そしてこの曲の持つ独特の切なさは、私が年を取るに従って、一層苦く感じられます。
 Evergreenでは、寺井尚之のタッチとハーモニーが、皮肉から切なさへのドラマを美しく語ってくれます。ぜひダウンロードして聴いてみてください!

My Funny Valentine

Richard Rodgers/Lorenz Hart
(原詞はこちら)
私のおかしな恋人さん、
優しく楽しい恋人さん、
心から私を微笑ませてくれる。
そのルックスに笑っちゃう、
どうも写真には向いてない。
でも、私が一番好きな芸術品。
スタイルはギリシャ彫刻に負けるかな?
口元も弱いかな?
その口を開けて話しても、
スマートでもない。
でも、私を想ってくれるなら、
些細なところも変えないで、
どうぞこのままいて欲しい。
あなたとの毎日が私のヴァレンタインデイ。

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 皆様にも幸せなヴァレンタインデーを!
CU

Evergreen物語(5)NY発;月への軌道:Fly Me to the Moon

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 厳しい寒さが少し緩んだ感じの大阪、昨日は月がやけに明るく輝いていた!寺井尚之メインステムのアルバム、『Evergreen』のスタンダード物語、今日は『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のお話を。
<NY山の手、高級クラブ発>
 “Fly Me to the Moon”は皆さんよくご存知ですよね!羨ましいことに、作詞作曲のバート・ハワードは、これだけで一生裕福に暮らせたというほどのヒット曲です。
07blue1.jpg色々探したけど”The Blue Angel”の写真はこれだけしか見つかりませんでした。大火事になった時のニュース写真。
 この曲の初演は1954年ですから、Evergreenの収録スタンダード曲中一番新しい。生まれはNYの山の手、アッパー・イーストサイド、”The Blue Angel”という高級サパークラブでした。
 このお店は、ヴィレッジ・ヴァンガードの名オーナー、マックス・ゴードンが手がけたクラブの一つで、現在のヴァンガードと全く違う高級店、ミルドレッド・ベイリーや、若き日のバーブラ・ストライザンド、コメディアン時代のウディ・アレンなどが出演し、フランス人シェフによるグルメな料理と、ヨーロッパ的な趣味の良い内装で大繁盛していたそうです。映画通ならもうお分かりでしょうが、マレーネ・ディートリッヒがキャバレーの踊り子を演じて大ヒットしたドイツ映画”The Blue Angel”(嘆きの天使)にちなんだ店名です。
FeliciaSanders.jpg HowardBart.jpg フェリシアと作者のバート・ハワード
 作者のバート・ハワードはこのクラブによく出演していた美人歌手、フェリシア・サンダーズの専属ピアニストであり、クラブのレギュラー司会者としても活躍していました。でもフェリシアが歌ったオリジナル・ヴァージョンはワルツだったし、タイトルは、現在副題として用いられる”In Other Words”(言い換えれば)、まだまだ「月」まで届くヒットではなかった。
<ボサノバ、シナトラ、そしてロケット>
fly_me_jo_harnell.jpg この曲がワルツから4拍子に変わったのは1962年、ジョー・ハーネルというアレンジャーが、ボサノバ・ブームに便乗して編曲し、現在まで脈々と続く演奏スタイルの基礎を作りました。
 やがてTVが隆盛になり、ゆっくりフランス料理を楽しみながらショーを楽しむライフスタイルは廃れ、”The Blue Angel”は売却済、でも歌は時代の変化に乗り、さらに月に近づきます。
sinatra_basie.jpg 当時の世の中は米ソ冷戦時代真っ只中、宇宙の覇権も争って、アメリカは国を挙げてアポロ計画を推進していました。そんな’63年、フランク・シナトラが、カウント・ベイシー楽団との共演盤を製作するにあたって、クインシー・ジョーンズがスイング感一杯のアレンジを施し、メリハリのあるヴァージョンが大ヒットしました。演奏の良し悪しだけでなく、文字通り「月に連れて行って」もらえる日は近い!そう皆が感じた時代のテーマソングになったんです!
 シナトラの『Fly Me to the Moon』のテープは、アポロ10号に搭載され、乗組員の愛聴曲となり、アポロ11号で宇宙飛行士バズ・オルドリンが月面着陸した際にもかけられて、世界中に発信された!『Fly Me to the Moon』は名実共に月旅行した歌の第一号になっちゃった!
 元は「言い換えれば」(In Other Words)だった曲、「言い換え」たら、月に行けたラッキー・ソング。その後もアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディング・テーマに使われ、若い世代に親しまれるエヴァーグリーンな曲です。

<フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン>
原歌詞はこちら。
詞,曲:Bart Howard
私を月に連れて行って、
星の間で遊ばせて、
木星や火星の春は
どんな風?
言い換えると、
手を握って欲しいだけ、
言い換えるとね、
キスして欲しい!

心を歌で一杯に、
いついつまでも歌わせて。
あなたこそ求める人、
憧れ、魅了される人
言い換えると、
誠実でいて欲しい!
つまり、
愛してる!

 このエントリーを書いている1/18は満月、『Evergreen』をダウンロードして、冬の夜空に輝くお月様に挨拶しましょう!
CU

Evergreen物語(4)恋は終わり、唄は続く: I’m Thru with Love

 お正月明け、やっぱり寒いですね!十日戎の賑わいから離れ、Evergreen物語を書いています。
 今日は第4曲目、“I’m Thru with Love”のお話ですが、昨年10月『Evergreen』の録音よりずっと前、対訳ノートに、マリリン・モンローの映画『お熱いのがお好き』に因むお話を、お調子に乗って沢山書きました。
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<A Song of Great Depression>
 “I’m Thru with Love”が最初にヒットしたのも、『お熱いのがお好き』の時代設定も1931年、アメリカは禁酒法時代、’そして世界恐慌(Great Depression)真っ只中です。
 米国では、成人男子の内、4人に一人が失業していたそうですから、今の不況よりも厳しかったかも知れません。大学を出た人たちが、教会が出してくれる食事を求めて列を成して並んでいたという時代。今頃の寒さに耐えるのは、さぞ厳しかったことでしょう。
 そして、不況の時代を反映した当時のポップ・ソングは、“Songs of Great Depression”(恐慌時代の歌)と呼ばれています。
 
 例えば”I’m Thru with Love”と同じくビング・クロスビーの歌った“Brother, Can You Spare a Dime”はこんな歌詞です。
「俺もひと旗上げようと、
鉄道やビル建設でがんばった。
今じゃパンをめぐんでもらうため
長い列に並ぶ始末。
なあ、ブラザー、
お前と俺は友達だろ、
10セント貸してくれ。」

 日本でも、小津安二郎の映画から、「大学は出たけれど」というのが流行語になっていたそうで、閉塞感は現代と共通しているように思えます。
 “Depression”には、「不況」と「絶望」、両方の意味がありますから、“I’m Thru with Love”は二重の意味で、”A Song of Great Depression”ですね!
<恋は終われど名演は続く>
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 “I’m Thru with Love”の作曲者J.Aリビングストンが、ポール・ホワイトマン楽団の専属アレンジャーであったことを考えると、恐らくは楽団のレパートリーであったのだろうと思います。そして楽団のスター歌手だったビング・クロスビーのブランズウィック盤が、’31年、ヒット・チャートの第三位にランクされています。
 クロスビーは、マイクの発達で、声を張り上げずにソフトに歌う「クルーナー唄法」のパイオニアですが、この頃はまだまだ、バンドシンガーらしい感じがします。ダンス・ミュージックで、露骨な「貧乏」感はないものの、「春にさよならを言おう。もう二度と恋はしない。」という男性の脱Love宣言は、時代が反映しているのかも。
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Evergreen_cover.JPG 寺井尚之が大好きなマット・デニスのヴァージョンは、クロスビーのヴァージョンが、もっと粋でモダンな雰囲気に磨き上げられています。25年の歳月を経た分、進化と発展があります。
 そして寺井尚之の『Evergreen』は、粋なマット・デニスに、バップの香りが更に加わった感じ!ビング・クロスビー、マリリン・モンロー、マット・デニスと、名作の系譜をずっと辿りながら、『Evergreen』を聴くと、楽しみが一層深まります。
 もうお聴きになりましたか?
CU

Evergreen物語(3) 名曲物語「枯葉」

 寒い日が続きますね!大雪被害のニュースを観ていると他人事とは思えません。海外から頂く新年の挨拶メールも、ヨーロッパ、NY、世界中大雪で大変みたいです。YAS竹田は大晦日ブルックリンの自宅で雪に埋まった車を掘り出している間に風邪ひいたとか…お大事にね!
 さて、今日のEvergreen物語は「枯葉」のお話。皆さんもご存知のように、「枯葉」はフランス生まれの曲が超スタンダードになった不思議な例ですね。ぜひダウンロードして聴きながら読んで下さい。
 なにしろ有名曲だけに、エピソードも枯葉のごとく積もり積もってどっさりあります。一昨年、ジャック・プレヴェールの深い追憶と哀しみに満ちたオリジナル詞や、日本の美学が感じられる中原淳一の歌詞、そして、ジョニー・マーサー作のライトタッチの英語詞を比較しながら「枯葉」のイメージにもお国柄があることを「東西枯葉事情」 に紹介しました。
<Mr.B と寺井尚之>
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 私が一番シビれた「枯葉」は、本家イヴ・モンタンの熟年ヴァージョンでしたが、バッパー寺井尚之の一番のお気に入りは、ビリー・エクスタイン72歳のラスト・レコーディング、『Billy Eckstine Sings with Benny Carter』です。散り行く枯葉の一片ごとに、人生の断片が垣間見えるような、年代もののワインのように深みのある歌唱です。
 ジャズ講座にお越しになると、寺井は、よくエクスタインを聴かせて、「まるで”水戸黄門の印籠”ですな。平伏したくなります!」と、突然アヴァンギャルドな断定をするので面食らうかも知れませんから説明しておきましょう。
BillyEckstineBand_ThompsonGillespieParker_Pittsburgh1944.jpg左からラッキー・トンプソン、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ビリー・エクスタイン
 ビリー・エクスタイン(1914-93)はアール・ハインズ楽団の歌手として出発しました。サラ・ヴォーン(vo)の師匠として有名ですが、Mr.Bの愛称で人気を博した男性版ブラック・ビューティの先駆け的スターです。やがて芸の幅を広げるために、トロンボーンなどの楽器をたしなむ内、ジャズの新しい潮流、Bebopの虜になり、アイドルの座に飽き足らず、自分で楽団を設立。それが伝説的ビバップ・ビッグ・バンド、「ビリー・エクスタインOrch.」です。歌手活動をして資金を注ぎ込みながらも僅か数年で経済的に破綻してしまったバンドですが、そのラインナップはチャーリー・パーカー(as)、ディジー・ガレスピー(tp)、ケニー・ド-ハム(tp)、アート・ブレイキー(ds)、デクスター・ゴードン(ts)など、Bebopのドリーム・チーム!つまりビリー・エクスタインのバリトン・ヴォイスの歌唱にはBebopのエッセンスが一杯!ですから、寺井には「水戸黄門の印籠」のように感じるわけなんです。『Evergreen』の「枯葉」は流麗なピアノ・サウンドに、エクスタイン的な渋さが聴こえてきますよ!
<Somethin’ Else>
220px-Somethin'_Else-jpg.jpg 「枯葉」を一躍ジャズ・スタンダードにしたアルバムと言えば、やはりキャノンボール・アダレイ(as)5の『Somethin’ Else』(’58)。キャノンボールはマイルズ・デイヴィス五重奏団のメンバーで、このアルバムも実質的にマイルズのリーダー作であることは明らかです。当時マイルズはコロンビアと専属契約関係にあり、BlueNoteレーベルでは、リーダーとしてクレジットできないという事情がありました。
 この「枯葉」の演奏解釈は、アメリカ版の「ひと夏の恋への惜別」よりも、ずっとブルーです。道端に山となって掃き寄せられた落ち葉を、追憶と後悔に喩えるプレベールのオリジナル歌詞に近い深みを感じます。
 その訳はきっとマイルズと、パリのサンジェルマンが生んだスター、ジュリエット・グレコとの恋に関係があるのだと思えてなりません。
<ジュリエット・グレコ>
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 ところで、ジュリエット・グレコはご存知ですか?私が子供の時はフランスの歌手もよく来日してTVに出ていたから、グレコも’70年代によく観ました。黒ずくめの衣装で厚化粧のシャンソン歌手のおばさんの印象だったけど、若い時の写真を見ると、清純そうな凄い美少女で、びっくりしました。
 グレコはマイルズよりひとつ年下、’27生まれのフランス人、母親はレジスタンス運動家で、大戦後インドシナに移住、彼女は祖母に育てられました。その美貌ゆえ、戦後、パリの文化人が集まる街、サンジェルマン・デプレの女王として、サルトルやボリス・ヴィアン、メルロ・ポンティといったフランスを代表する知識人たちに可愛がられ、カリスマ的な人気を得ます。女優として活躍すると同時に’49年に歌手デビュー、シャンソン界のスターとして現在も活動中。
 パリの知識階級の例に漏れず、彼女もナチ占領時代から大のジャズ・ファンでした。ナチはジャズを敵性音楽として禁止していたため、ジャズを聴くのも命がけ、占領下、パリの人々にとってジャズは「自由」を象徴するものだったのですね。だから、戦後、パリでジャズが大流行し、バド・パウエルやケニー・クラークなど、多くのバッパーがパリに移住したわけです。彼女がマイルスと恋愛関係にあったとは聞いたことがあったけど、2006年、英ガーディアン誌に掲載された、グレコののインタビューを読んで、「枯葉」はマイルズにとって、二人の恋を象徴する曲だったのではないかと強く感じました。
<マイルズとジュリエット>
 ガーディアン誌のインタビューによれば、二人の出会いはマイルズが始めてパリ・コンサートを行った1949年のこと。二人とも22歳、まだ歌手ではなく、サンジェルマンの女王と言われ、ぼつぼつ映画に出演し始めた頃です。フランス・ジャズ界の大物ギタリスト、サッシャ・ディステルに連れられて劇場の二階席から初めて観たマイルズの印象は、「ジャコメッティの彫刻のようで、本当に美しい男性だった。当時はまだクラシックな服装で、着こなしは完璧だった。」と語っています。
 コンサートの後、皆で一緒に食事に行き、彼女は英語を話せないし、マイルスはフランス語を話せないのに、瞬く間に恋に落ちたのだそうです。その時、ジャズは決して歌えないけれど「マイルズと一緒に歌いたい」と願った彼女は、その年に歌手デビューを果たし、2年後には、ジュリエット・グレコの歌う「枯葉」も大ヒットします。
 遠距離恋愛は続き、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」の音楽にマイルズが起用されたのも、グレコの後押しがあったからとも言われています。
 二人の破局は、グレコがNYの最高級ホテル、ウォルドルフ・アストリアに出演した時に起こりました。公民権法成立以前、人種差別があからさまに行われていた時代です。彼女はその時のことを次のように語っています。
「私はスイート・ルームに泊まっていて、彼をディナーに招待した。部屋に入ってきた給仕長が、マイルズを見た時の表情はなんとも言えないものだった。おかげで散々な食事になり、彼は私から去ってしまったの。
 翌朝の4時、電話がかかって来た。彼は泣いていたわ。
『もう別れよう。この国で僕達はやって行けない。』
 その時、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと判ったの。一生忘れることが出来ない奇妙な敗北感を味わった。
 パリで一緒にいるときは、彼が黒人と意識することすらなかったのに、アメリカでは、肌の色の問題が露骨に私につきまとっていた。」

 母同様、地下組織と関わりを持っていたグレコは、恋人がコンプレックスに苦しんでも、それに負けるヤワな女性ではないはず。米国の黒人差別は、そんな彼女を震撼させるほどのものだったのでしょうね。
「別れてから、サルトルが、どうして私達が結婚しなかったのかとマイルズに尋ねたんですって。マイルズはこう答えたそうよ。『彼女を不幸せにするには、余りにも深く愛していたから。』プレイボーイの常套句みたいだけど、彼は人種差別のことを言っていたの。私を連れて米国に行けば、私が非難され、笑い者にされると判っていたから。」

 ジュリエットは「誰もが憧れるような、本当に素晴らしい恋愛」と言い、マイルズの伝記では「本当に愛したのはジュリエット・グレコだけ」とあります。実際、二人の親交はマイルズの死の直前まで続いたそうです。
「亡くなる数ヶ月前に、私の家に来てくれた。彼が客間でくつろいでいる間に、ちょっと私がベランダに出て庭を眺めていると、例の悪魔みたいな笑い声が聞こえてきた。私が振り向いてどうしたの?って訊いたら、あの人はこう言った。
『世界のどこにいようと、後姿だけで、すぐに君だと判るよ!』

 マイルズが初めてジュリエットの歌を聴いたのは、二人が別れた1957年のホテルのショウ、そこで彼女は「枯葉」を歌ったに違いありません。そして『Somethin’ Else』が録音されたのは翌年(’58)だったのです。
greco_astoria.jpg’57年、アストリアホテルに出演中のジュリエット。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
 先日、サンパウロのブラジル人ジャーナリストの方から、寺井尚之の演奏についてこんな感想を頂きました。
「あなたにはトミー・フラナガンの影響だけでなく、日本文化に裏打ちされた、寺井尚之という個性がしっかりある。だから好きなのです。」
 寺井尚之の「枯葉」、ぜひ聴いてみてくださいね!
見る人もなくて散りぬる奧山の 紅葉は夜の錦なりけり (古今集 紀貫之)
CU

Evergreen物語(2)変るものと変らないもの As Time Goes By

 Evergreen物語、第二話は”As Time Goes By”、「時の過ぎゆくままに」という邦題がついていますが、歌詞を読むと「時は過ぎても」という方がしっくり来るかもしれません。『Evergreen』で、寺井尚之のピアノはまるで歌詞が聴こえてくるようです。
<映画 Casablanca>
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 “As Time Goes By”は、何といっても、映画「カサブランカ」で有名になった曲。とはいえ、若いお方は「カサブランカ」(’43)なんて見たことも聞いたこともないとか・・・。「カサブランカ」は、芸術映画でもないし、史上最高の名作とも思えませんが、常にアメリカ映画ベスト100に入っている人気映画、何度観ても観飽きない。確かに戦意高揚映画であるかも知れないけれど、「スタイル」がある。だからこそ、ウディ・アレンなど、後に色んな映画作家がパロディにしたくなる力があります。人物描写は類型的だし、二人の男性に愛される美しいヒロイン、イングリッド・バーグマンのどっちつかずな態度も勘に触るかもしれませんが、結末が決まっていないまま撮影していたから仕方ない。日本語字幕には納得いかないヴァージョンもありけど、現代もよく使われる名文句が一杯なので英語の勉強にもなる。何よりもボガートの醸し出すダンディズムが最高!
casablanca_movie_image_ingrid_bergman_and_humphrey_bogart.jpg 舞台は、言うまでもなくモロッコのカサブランカ、第二次大戦中にナチを逃れ、アメリカ亡命を目指す人々が集まる酒場の主人リックは過去ある男、酒場ではリックを心から慕う黒人ピアニスト、サムが弾き語りをして人気を博している。ある夜リックの店にレジスタンス運動のリーダー、ラズロとやって来たのは、リックの昔の恋人、イルザだった。ナチはラズロを逮捕し収容所に送ろうとするが…、戦争に翻弄されるさまざまな人間模様が描かれます。酒場の主人といっても、ハンフリー・ボガート扮するリックはトレンチ・コートや白いタキシードが似合う苦みばしったいい男、カサブランカが帽子やトレンチが必要なほど寒いのかどうかはわかりませんが、とにかくカッコイイから気にしない!そして最後は愛するイルザをラズロと飛行機に乗せて自由世界へ逃がすんです。
 “As Time Goes By”はリックとイルザが愛し合ったパリの思い出の曲として、映画全編に流れる。とはいえ、この曲は映画の10年前に、ブロードウェイで余りヒットしなかったお芝居の為にハーマン・ハップフェルドが作詞作曲した既存の曲。ややこしい話ですが、「カサブランカ」の脚本自体が、未公演戯曲のリサイクルで、”As Time Goes By”はその段階で劇中歌に指定されていた曲だったのです。映画演劇の世界でも、リメイクやリサイクルは日常茶飯事なんですね。
Play-it-again-sam-casablanca.jpg 映画音楽を担当したマックス・スタイナーは撮影の途中で、ハップフェルドの作った”As Time Goes By”をカバーするのを止めて自作曲に差し替えようと提案します。でも撮影の事情で、差し替えが実現しなかったため、そのまま”As Time Goes By”をモチーフにして全編に使い、素晴らしい効果を挙げています。戦時映画のためなのか、脚本は戦況に合わせて書き換えられ、監督すら結末を知らずに撮影していたそうですが、出来上がってみれば、愛国心やロマン主義に訴えかける作品として大ヒット!アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞をゲット!製作のワーナー・ブラザーズは、ピアニスト、サム役のドゥーリー・ウィルソンに”As Time Goes By”をレコーディングさせ、更にヒットさせたかったのですが、折りしもアメリカ音楽史上有名なレコーディング・ストライキの時代で、無念の涙を呑んだそうです。
<変われないもの>
 歌の内容は、「世の中がどれほど変ろうとも、絶対に不変のものがある。いつの世も恋する者の思いは一緒!」というロマン派。ですから、戦争や自由主義の弾圧といった映画のシチュエーションにぴったりだったんですね!
 でもよく考えてみれば、これは2011年という時代に、一層相応しい歌に思われて仕方ありません。自国の政治も世界情勢も刻々と変り、気候も変るこの時代だからこそ、「変らないものがある」事を思い出すと励まされます。
 寺井尚之メインステムは、A節の「キッス」や「溜息」を本当に上手に表現していますよ!
巨匠ビリー・テイラーも暮れに亡くなり、美しいタッチのピアニストは絶滅危惧種。でも、大事なことは変らない、と思いたいですね!

<As Time Goes By>
by Herman Hupfeld
原歌詞はこちら(対訳で省略したヴァースも付いています。)
これだけは覚えておこう、
いつの世もキッスはキッス、
愛の溜息も同じこと、
大事なことは変わらない、
時が流れても。

恋人たちの囁きは、
今でもやはり”アイ・ラヴ・ユー”、
必ずそうと決まってる、
これから何が起こっても、
変わらない事はある。

月の光や恋の歌は、
時代遅れにならないし。
情熱に燃える心、
嫉妬や憎悪も同じこと。
女には男、
男には妻がなくてはならぬ、
それを誰も否定できない。

歴史は今も繰り返す、
愛と栄光の闘いを。
行動か死を!と決起する。
でも、世界はいつの日も、
恋人達には優しいもの。
時が流れても。

 デトロイト・ハードバップ・ロマン派、寺井尚之の演奏するロマン派スタンダード・ナンバー!ぜひダウンロードして聴いてみて下さいね!
 昔の映画好きな私の性癖も「変われない」、時が流れても・・・
 Evergreen物語、次回は「枯葉」についてのお話を!
CU

Evergreen物語(1) 地図にない街、Chinatown

  明けましておめでとうございます。寒いお正月になりましたね。暖かくお過ごしになっていますか?
 寺井尚之メインステムの新譜 『Evergreen』は、もうダウンロードしてくださいましたか?お正月休みにぜひどうぞ!Amazon.co.jpからも配信中です。
Evergreen_cover.JPGのサムネール画像 というわけで、年始は『Evergreen』収録曲について連載しようと思っています。
 スタンダード集『Evergreen』の収録曲を考える上で、意外にも、寺井尚之が真っ先に思いついたのが、“Chinatown, My Chinatown”。ワールドワイドな配信形式ゆえ、アジア的な曲を取り上げたかったらしい。個人的には、テディ・ウイルソン(p)のクリアカットなヴァージョンや、『CHRIS CRAFT』でのクリス・コナーの絶好調の歌唱が印象に残っています。
 メインステムの演奏する「チャイナタウン」はどんな街?旅先で道に迷って日が暮れる。どきどきしながら暗い路地を抜けると、そこは色とりどりのランタンに照らされた街、不安な想いが吹き飛んで、急に心がウキウキするような、鮮やかな色合いのプレイですね。
<地図にない街 Chinatown, my Chinatown>
chinatown_old1med.jpg スタンダードとはいえ、この歌が流行したのは1910年、つまり明治42年、ジャンゴ・ラインハルトや白洲正子が生まれた年だそうです。100年前の歌、”Chinatown”は、スタンダードの骨董品と言えるかも知れません。
 作曲のジーン・シュワルツはハンガリー移民、作詞のウィリアム・ジェロームはアイルランド系二世、二人ともNYの少数派移民社会から出た音楽家です。当時、新天地を求めてNYにやってきた移民の人たちが最初に住む場所は、ロウワー・イーストサイドと呼ばれるチャイナタウンのある区域の劣悪な安長屋に居住するのが常だったといいます。左の写真は丁度その当時のチャイナタウンです。それならシュワルツ-ジェロームのコンビは、NYのチャイナタウンをモデルにしてこの曲を書いたのだろうか?
 一方、この歌とほぼ同時代にNYに暮らした永井荷風は、「あめりか物語」で、このチャイナタウン(支那街)を、悪徳や汚辱にまみれた荷風好みの「毒烟の天国」として、生々しく描写しています。
 確かに、NYの歴史関係のサイトを見ても、当時は、地下に怪しいトンネルを伝ってマフィアが横行し、レストランや酒場の裏には、阿片窟や売春宿が潜む危ない街であったそうです。
<Chinatownは夢の街>
chinatown.jpg
 ところが、この曲には、そんな毒々しい影はほとんどありません。心浮き立つメロディは、あくまでも色鮮やかなランタンに照らされる別世界を想像させてくれます。
 シュワルツ-ジェロームが作った”チャイナタウン”は、私達ひとりひとりの心の中にある夢の街のことなのではないでしょうか?現実の喧騒を忘れられる街、街角のレストランからは、見たこともない珍味やスパイスの香りが溢れて、街を歩くと自分とは違う顔立ちの人たちが微笑みかけてくれる。未知の冒険にも、なくしてしまった幸せや、懐かしい人たちにも再びめぐり合えるかもしれない。誰でも心の中に持っている秘密の街、それが”チャイナタウン”なのかも知れません。とてもシンプルな歌詞だから、『Evergreen』と一緒に歌ってみてくださいね!

Chinatown, my Chinatown
Jean Schwartz/William Jerome

Chinatown, my Chinatown,
When the lights are low,
Hearts that know no other land,
Drifting to and fro,

Dreamy, dreamy Chinatown,
Almond eyes of brown,
Hearts seem light
And life seem bright
In dreamy Chinatown.
チャイナタウン、マイ・チャイナタウン、
明かりが暗くなったなら、
あてもなく、
心彷徨う
この街を。

夢見る夢の、チャイナタウン、
アーモンド型の茶色の瞳、
心晴れ晴れ、
明るい人生、
チャイナタウンは夢の街。

 私もずっと前、YAS竹田に、マンハッタンのチャイナタウンで、田螺(タニシ)料理をごちそうになったことがあったっけ…小さな貝を懸命にほじくって食べてる間に、お店の前に長蛇の白人の列が出来ていてあせりました。神戸や横浜、長崎の中華街も江戸時代から歴史があるそうですよ!
 次回は”As Time Goes By”について書いてみたいと思います。
CU

対訳ノート(30) I’m Through with Love

 こんにちは!一週間の始まり、マンデイ・モーニング・ブルーズになっていませんか?個人的に本年度野球シーズンは昨日でお終い。It’s Only a Ball Game!でも胸痛い…巨人ファン、中日ファンの皆様、がんばって下さい!
 今月のジャズ講座、そして土曜日のThe Mainstem”のアンコールでも、胸が痛くなるしんみりした曲、”I’m Through with Love”が聴けました。For I must have you or no one~♪少しひんやりする秋風の中、ずっと鼻歌で歌ってます。これは私がジャズ・ファンになる前から知っていた歌、小汚い女子中学生の頃から何度繰り返し観ても飽きない大好きな映画の名シーンの歌だから。
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<お熱いのがお好き>
 『お熱いのがお好き』(Some Like It Hot)は、ナチ台頭を期に、ドイツ映画界からハリウッドに移った巨匠、ビリー・ワイルダー監督の名作コメディーのひとつ。『サンセット大通り』『情婦』『アパートの鍵貸します』『フロントページ』etc…ジャズの名盤同様、毎日観ても飽きない映画たち。中学生でも笑って泣けるし、大人になると「笑い」の奥底ある「苦さ」に、シリアスな映画では、人間の「どうしようもなさ」が深く心にささります。落語が好きで、ジャズも好きな人は、間違いなくビリー・ワイルダーにハマるでしょう。ワイルダーはネイティブな英語人でないのに、私に英語の面白さを教えてくれました。作品の凄さについて書き出せばどうにも止まらないので慎まなければ。ここでは『お熱いのがお好き』のあらすじを説明するだけにしておきます。日本語の映画予告編がYoutubeにあったよ。
josephone_daphne.jpg 時はギャング全盛の禁酒法時代、ジャズ・ミュージシャンのジョー(ts)とジェリー(b)は演奏中のキャバレーの中でマフィアの抗争を目撃してしまう。それはマフィア抗争史で有名な「ヴァレンタイン・デーの虐殺」事件!不幸にもそのおかげで二人はマフィアに狙われることに…。追っ手の目をくらますため、二人とも女装し、バンド・マンならぬバンド・ウーマンとして女性ばかりのビッグ・バンドに紛れ込み、フロリダの高級ホテルで演奏することに。楽団にいるウクレレ(!)兼ヴォーカルがグラマー美人、気はいいけど男運の悪いマリリン・モンロー、役名はシュガー・ケイン(日本語にするとサトウ・キビ子か・・・)、ジョセフィンと名乗るジョーはマリリンにひと目惚れし、ダフネに変身したジェリーは、石油富豪のお目にとまり婚約するはめに。そのうち、二人を追うマフィア一味がそのホテルで開催される「イタリア・オペラ愛好会」にやって来て、話は限りなくややこしく、オカシクなって行きます。禁酒法時代に発展したジャズの歴史に興味ある人も必見の名画といえるでしょう。
some_like_it_hot_1.jpg   ジョーは億万長者になりすまし、シュガーとねんごろになるのですが、ギャングがいるから、ずっと男の姿ではいられない。てっきりフラれたと思い込んだシュガーが、ボロボロになった心で歌うのが”I’m Through with Love”なんです。
 「男性の女装を天然色で撮影すると倫理団体から抗議が殺到する」時代ゆえ、敢えて白黒になった映画。シュガーのまとうシースルーのブラック・ドレスは映画史上最高にイヤラシく、また可愛い!当時妊娠中だったモンローの白い肌と、豊満な胸、筋トレなんか全然関係ないポニョポニョのボディと、少し人工的顔な美貌、着崩したドレスやヘアメイク、全てが計算された完璧な役作り、吹き替えでない歌唱も完璧です!余り技巧的だったりパワフルだとシーンにそぐわないし、さりとて下手ならNGですが、歌唱自体が役にぴったり合っている。モンローの模倣者は数え切れないほどいるけれど、モンローの前にも後にもこんな女優はいない!彼女のアクトには計算し尽された「型」があり「スタイル」がある。つくづく凄い女優です。因みに歌唱指導はトミー・フラナガンやジョージ・ムラーツの友達だった名伴奏者、ジミー・ロウルズ(p)だった。
 名セリフや裏話など書きたいことは山ほどあるのですが、あかん!ザッツ・アナザー・ストーリー!歌について書かなくちゃ!とにかくラストのオチをご覧になって、爆笑できなかった方がおられるとすれば、余程深刻な心的問題がおありになるではと危惧する次第です。
<さり気ないからこそ悲しい歌>
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 “I’m Through with Love”は映画で出てくる「ヴァレンタインデーの虐殺」と同年、1929年の流行歌、作曲:J.A.リビングストン&マット・マルネック、作詞:ガス・カーン。ガス・カーンは”It Had to be You”や”I’ll See You In My Dream”など、ジャズ通の方なら良くご存知の歌曲を沢山作っています。その詞は自然な語呂で鼻歌としてとても歌いやすい。大作詞家、ジョニー・マーサーは”It Had to be You”を『ベスト・アメリカン・ポピュラー・ソング!』と評しているし、「歌詞の権威」ロバート・キンボールはカーンの作風を、『気取らず、きばらず、それでいて忘れがたい(unpretentious, un-selfconscious and unforgettable)』と評している。つまり”粋”なんです。この歌も、いわゆる「大ネタ」ではないけれど、ずっと心に残ります。
 内容はごく平凡な失恋ソング、”心を尽くして愛したのに、あなたは新しい恋人を作って私を捨てた。もう恋なんかしない。”おきまりのAABA形式、それなのに非凡で忘れられなくなるのはA部後半のさり気ない反復にある。”For I must have you or no one、And so I’m through with love.”日本人がここのラインをそのまま口づさんでも、ほんとに自然に発音できて、少し得意になれるでしょ!それにA部の歌詞の切れ目の全てが「ため息」とよく似合う。「一筋だった相手に捨てられた悲哀」が、32小節の間に少しずつリアルになって、大声で主張しなくても、ターンバックでは、すっかり胸がキュンとなってしまう。関西弁で言うと”じんわり”胸に染みてくる。モンローは、そういうところをとてもよく判った上で歌っているから素敵です。
 このシーンをご存じない方はYoutubeでどうぞ。
 そう言えばビリー・ワイルダーは女優マリリン・モンローを評してこう言ったそうです。「モンローの凄さはオッパイではない、耳だ。彼女は話の達人だ。誰よりもコメディを読み取る力がある」 確かに歌詞を読み取る力も並外れている!
<さり気なさが失われる時>
lorez_image112.jpg 偉大な音楽家なら誰でもそうだろうけど、トミー・フラナガンは映画や舞台、楽曲に関することなら、とにかくなんでも知っていた。来日するとホテルで深夜映画をよく観てました。おまけにマリリン・モンローが大好きで、彼女の伝記が自宅の本棚の一番良い場所に陳列してあったっけ。
 先日のジャズ講座で聴いたロレツ・アレキサンドリアのバージョンは、どこがモンローと違うかと言うと、上のパンチラインを、”For I must have you or no one、NOBODY“と反復する手法をとっている事。この歌にこだわりのある聴き手なら、さり気ない歌の良さが損なわれるような気がしてしまう。ライブならこれで良いかも知れないけれど、レコードで聴くと気になって仕方ない。まるで教会か政治集会のシュプレヒコールみたいに思えてしまいます。フラナガンは「そこはNo oneにしなくっちゃ、粋にならないよ」と、最高に歌詞にぴったりのソロを弾いて見せている。そういう風にしか聴こえない。
my_melancholy_baby_matt_dennis.jpg 女子専用の歌に聴こえるけれど、元々ビング・クロスビーが歌い、女性ファンをシビレさせました。男性でもマット・デニスならいい感じ。歌も間奏のピアノも、押し付けがましくなく、それでいて情感がこもってる。じーんと来ます。
 ストレート・アヘッドな硬派のバラードや、華々しい超難曲もいいけど、こんなさり気ない歌が、深まる秋に染みます。特に昨日のゲームを観た後は・・・

I’m Through with Love
アイム・スルー・ウィズ・ラヴ:原歌詞はこちらに
Gus Kahn /Joseph A. Livingstone, Matt Malneek
<Verse>
真心を捧げたのに、
あなたは、新しい恋人を作った。
どうすればいいの?
もう私はお払い箱、
あなたは新しい恋に夢中
捨てられた私が言えるのはこれだけ…
<Chorus>
恋はおしまい、
二度と恋はしない、
サヨナラ、恋よ
もう声をかけないでね、
あなたでなければだめだから、 For I must have you or no one
もう恋はしない。   And so I’m through with love.

心に固く鍵をかけ、
気持ちはそこにしまっておこう、
心は氷詰めにしておいた。
決して誰も愛さない、 And I mean to care for no one
もう恋はこりごり。  Because I’m through with love.

なんで気のある素振りをしたの?
どうでもよかったはずなのに。
あなたに夢中な女達に、
取り囲まれていたくせに。
春よ、さよなら、
もう元には戻れない。
私にはあなただけしかいなかった。For I must have you or no one
だからもう、  And so
恋はしない。 I’m through with love.