2001年11月17日(土)(現地時間16日午後6時)
トミー・フラナガン逝去
トミー・フラナガン急逝
投稿日 11月17日(土)13時30分 投稿者 管理人
後藤誠先生からの情報です。
トミー・フラナガンさんは11月16日午後6時(現地時間)、ニューヨークのマウントサイナイ病院で亡くなられたそうです。享年71歳。死因・その他の詳細はまだ不明とのことです。
信じられません。言葉もありません。


どうして、イイ人ばかりが先に逝く
投稿日 11月17日(土)16時50分 投稿者 motodorakai
本当に信じられません。今度の来日を楽しみにしていたのに。どうしていい人ばかりが先に逝ってしまうのでしょう・・・・・・・!書いてはいけないとは分かっていますが、「この世には他にもっと早く死んでしまえばいい連中がいっぱいいるのに」・・・。前回の来日時、寺井さん一家がソワソワしながらトミーさんが店に来られるのを待っている光景、そしてドア開け入ってきたトミーさん。本当にカッコよかった。クリクリとした目がキラキラ輝いていた。音楽を真剣に追求しているミュージシャンの眼は本当の光を放っている。翌日のステージでは体調があまり良くなかったにも関わらず、ステージから聞こえてくるトミーさんの音楽及び会場いっぱいに拡がるトミー’ズ・ヒューマニティーは本当にあったかい、温もりが伝わってきて、彼のやさしさに気持ちをゆだね、素晴らしい世界入り込んだ事が思い起こされます。楽屋口でサインをもらい、交わした握手。演奏・御本人と同じくあったかい手だった。
こんなに素晴らしい方と師弟関係以上の寺井さんとタマエさんの顔を見るのが大変辛いです。なんと言っていいのか分かりません。ジャズの歴史に偉大な足跡を残したミュージシャン、又ヒューマンとして本当に素晴らしいトミー・フラナガンさんのご冥福をお祈りします。


残念でなりません。
投稿日 11月17日(土)20時19分 投稿者 和田宣行
残念です。
言葉もありません。


今夜のフラナガニアトリオ
投稿日 11月17日(土)23時09分 投稿者 管理人
演奏曲目
1st
1. Strictly Confidential
2. Ugly Beauty
3. Webb City
4. Autumn In New York
5. Bouncing With Bud
2nd
1. Upper Manhattan Medical Group(U.M.M.G)
2. Smooth As The Wind
3. 50-21
4. I'll Be Seeing You
5. Minor Mishap
3rd
1. That Tired Routine Called Love
2. East Of The Sun
3. Stablemates
4. Easy Living
5. Eclypso

後藤さんからのメールを見た時は、頭の中が真っ白になってしばらく何も考えられませんでした。このHPを始めた時から、いつかはこういう日が来るとは思っていましたが、それにしても晴天の霹靂でした。

「大事な人が亡くなったので6時半にはここを出たい」と夕方から出張校正に来ていたクライアントに早く切り上げてもらい、とにかくOverSeasへ。寺井師匠とは挨拶だけ交わし(何を言えばいいのかわからない)、いざLiveが始まると、1st setはどうしても見てしまう店内のフラナガンさんと寺井師匠の写真に、涙がこぼれて仕方がありませんでした。

あえて「楽しい曲ばっかり選んだつもりやけど」という寺井師匠は、事情を知らない人にとってはいつものクールな演奏だったかもしれませんが、最後は・・・・演奏前にタオルで目をぬぐい、演奏中も、終わってからも、またタオルで目をぬぐい・・・。私も終わってからしばらく立てませんでした。

昨年の5月31日にOverSeasに寺井師匠の演奏を聴きに来たフラナガンさんの姿が今も目に焼きついて離れません。あらためてあの日の思い出に深く感謝します。

今夜のフラナガニアトリオ


残念
投稿日 11月18日(日)00時37分 投稿者 TREKKER
こんばんは。
フラナガンさんの演奏をCDではなく直接聴いてみたいと常々願っていたのですが、
もう叶えられないと知って残念でなりません。皆さんのような思い出はありませんが、もっと早くにその存在を知っていれば…と悔やまれます。
謹んでフラナガンさんのご冥福をお祈りいたします。


言葉になりません。
投稿日 11月18日(日)00時55分 投稿者 肥後ワトキンス
辛いです。
ご冥福をお祈り致します。


信じられません
投稿日 11月18日(日)01時08分 投稿者 うだちゃん
フラナガン氏の訃報には言葉もありません。
あのOversearsの写真のフラナガン氏は温い目をしていると感じました。(実は、寺井さんの目もそういう雰囲気を持っているように感じました)。
人々を愛し、人々に愛されている目です。寂しい限りです。


・・・・・。
投稿日 11月18日(日)01時29分 投稿者 MIYA
先ほど掲示板を見てびっくりしました。信じられないです。
師匠のお気持ちを思うと辛くって・・・。
来年再び生演奏を聴けるのを楽しみにしてたのに本当に残念です。


ご冥福をお祈りいたします
投稿日 11月18日(日)01時32分 投稿者 TAKA
こんばんは。
久しぶりに掲示板におじゃましたのですが、思いもよらぬニュースに接してしまいました。今、この掲示板を見てフラナガン氏の訃報を知りました。来年1月の来日を心待ちにしていただけに残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。


IN GRIEF・・・
投稿日 11月18日(日)01時54分 投稿者 tamae terai
皆さん、書き込み本当にありがとうございました。
まだダイアナ・フラナガンと連絡が取れない状態です。ダイアナの事が一番心配です。何かわかったら心配してくださっている皆様にすぐお知らせします。


・・・・・
投稿日 11月18日(日)08時42分 投稿者 m.m
おはようございます。フラナガン氏の突然の訃報に、言葉がなくて・・・!師匠も珠重さんも昨夜は眠られたのでしょうか・・・
1月にBlueNoteへ来られるとの事だったので是非聴きに、そしていつかはOverSeasでのLive演奏もきっと聴けると勝手に信じていただけに、ほんとに残念です。
ご冥福をお祈り致します。


心からご冥福を祈ります
投稿日 11月18日(日)11時04分 投稿者 児玉勝利
トミー・フラナガン氏が亡くなられたのを今、このホームページで見て初めて知り、本当に驚いています。昨日、レッスンを受けた後、LIVEまでの合間に珠重さんからフラナガン氏の話があったのですが、僕は話を聞き違えて単に入院されただけのことと思っていました。それなら、退院すれば再び復帰と言うこともあるではないか。いや、たとえ引退したとしても又オーバーシーズに元気な顔を出してくれればいいじゃないかと、軽く考えていました。師匠それに珠重さん申し訳ありません。
今、ニューヨークでのすばらしい思い出を思い浮かべながら、トミー・フラナガン氏の冥福を心からお祈り申し上げます。


信じられれない・・・・・
投稿日 11月18日(日)12時29分 投稿者 Melodic
たったいま、管理人さんからのメールを読んで、トミー・フラナガン氏が亡くなられたことを知りました。正直信じられない気持ちです。今は、頭の中が真っ白で何も考えられません。
心からご冥福を祈りますと書くのが精一杯です。。。辛いです。。。。


ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿日 11月18日(日)12時34分 投稿者 海松あやめ
昨日のLiveのとき、珠重さんから訃報を聞きました。本当に驚きで言葉になりません。いまだに信じられません。


信じたくありません
投稿日 11月18日(日)12時47分 投稿者 you-non
訃報の件、信じたくありません。
1997年6月の時に握手させていただいた時の、トミー・フラナガン氏の温かく張りのある感触が今でもよく覚えております。いつかNYにライブを聴きに行こうと熱望していたのにとても残念です。


THE DAY AFTER
投稿日 11月18日(日)12時53分 投稿者 tamae terai
掲示板、メールで私達を励ましてくださった皆さん、お悔やみを書いてくださった皆さん、どうもありがとうございます。
今朝未明、ハナさんの奥さんからやっと連絡が入り、悲しい事実を確認いたしました。ハナさんはトミーが亡くなる前日、病院に見舞いにいかれたそうですが、長年の親友を無くし悲嘆にくれておられるという事です。
昨夜の寺井尚之の演奏ほど悲しい音楽は今まで聴いた事がありませんでした。


戻ってはこないけど・・・
投稿日 11月18日(日)13時39分 投稿者 管理人
↓↓↓Tommy Flanagan 2000年5月31日(水)〜6月3日(土)by 寺井尚之
寺井尚之のトミー・フラナガンレポート


なんと書けばよいのか
投稿日 11月18日(日)17時39分 投稿者 いくら子
昨日から涙が止まらなくて、信じられないことです。
先日も1月の来日の時は、どっちの日に行こうかと話していたのに。
ダイアナさんは、大丈夫でしょうか。ほんとに、素敵な人を。。。


これが私の役目ですから・・・
投稿日 11月18日(日)18時21分 投稿者 管理人
今日は午後から出勤して、ずっとフラナガンさんのCDを聴きながら仕事していましたが、ようやくひと段落しました。今夜は本腰を入れてフラナガンさんのレコードを聴きたいと思います。

ところでこのHPの開設当初からあるページなので、みなさんもちろん読んでおられることとは思いますが、寺井師匠とフラナガンさんの長年の師弟関係について詳しく書かれた優れた記事を下記のURLに掲載しています。管理人の私にできるのは、こうした記事をこのHPを見てくださるみなさんに紹介することぐらいです。

↓↓↓ジャズライフ誌98年2月号掲載
「デトロイト・バップに賭けるナニワのピアニスト」取材=後藤誠


なかなか言葉が・・・
投稿日 11月18日(日)21時38分 投稿者 m.m
今までの師匠とフラナガン氏の 出会いや エピソードを改めて読みながら、泣けて・・・ずっと涙目・・・思いでの出来る前に亡くなられてホントに残念で、寂しいです。こんな大事な方をなくされた時に、レッスンに行かせていただいていいのでしょうか?ひどい演奏をして、益々師匠に情けない思いをさせてしまいそうで・・・。

奥様はもちろんですが、、長年の親友を亡くされたハナさんもショックが大きいでしょう、心配ですね。

皆様の心が一日も早く回復されますように・・・。


残念です。
投稿日 11月18日(日)23時10分 投稿者 河原達人
残念、という以外言葉もありません。
土曜日はなるべく寺井さんの顔を見ないように演奏しました。
でも、ダブルタイムの長いフレーズが出る度に、寺井さんの気持ちが痛いほど伝わり、でも、それについてゆけない自分のテクニック、センスの乏しさを今日ほど恨んだことはありません。でも、まだ私に残された時間は充分あるはずです。足腰が立たなくなる前には今までの借りを返しましょう。
フラナガン氏の幻のリクエスト「雨に唄えば」、予習しておきます。
雨傘とスーツの用意があれば、雨の舗道をひざですべるのもいとわず、です。


お答え
投稿日 11月19日(月)00時29分 投稿者 寺井尚之
皆さんお悔やみありがとうございました。土曜日はふがいないところを見せて申し訳ありません。演奏曲目は三日前からすでに決まってました。朝に訃報を聞き曲目を変えようかとは思いましたが、そんな事したら涙が止まらんで弾けんようになりそうやから1曲を除きそのまま演りました。(ナシメントを50−21に替えた。)この日は珍しく3時ごろから2時間弱、一人で練習できたので予定曲をさらっていると1曲1曲に思い出があり涙が止まりませんでした。本番ではこらえて演ったものの、遂に<イージー・リヴィング>で本来のこの曲の意味と自分とトミーが重なってしまいました。トミーは強い人でした。ぶざまな姿を一番嫌う人です。今日も朝から来月の講座の準備をしようとしたら、部屋のあちこちにトミーの写真があるし、調べる音楽はトミーやし、もう目が痛い。でも明日からは平常に戻る。

それから、トミー・フラナガン追悼として、これからジャズ誌その他で取り上げられるでしょうが、トミーの死を利用して営利目的の物も多いでしょう。気をつけて下さい。今現在まだ未亡人のダイアナと連絡が取れませんが、トミーが思い残すのはダイアナの今後でしょう。悲しんだり心配してくださった皆さん、できることはあるのです。ダイアナと話が出来次第、又発表します。
おわり


タイトル付けられない・・・・・
投稿日 11月19日(月)02時01分 投稿者 motodorakai
あるところにLPを持ち込んで聴いた“東京リサイタル”の、チェルシー・ブリッジが何と哀しく聞こえた事か!“セロニカ”、“パノニカ”に哀愁を、“オーバーシーズ”の“リトル・ロック”、“ダラーナ”ウイルバー・リトルのいつもの図太く弾むベースも今日は悲しみを堪える様に何と重苦しく聞こえることか、エルビン・ジョーズのドラムのブラッシングも冴え渡ってはいるがいつも以上に重苦しい。
今までカウント・ベイシー以外の有名ジャズプレーヤー、ビル・エバンスやマイルス・デイヴィスを良く聞いていた割りに、死亡記事を読んでも大して悲しみは感じなかったけど、又、カウント・ベイシーも彼の暖かい人柄に惚れ、私のアイドルとして長年愛聴してきたジャズプレーヤーで、死んだ時は、かなり悲しみを覚えたのですが・・・・・・・今回は参りました

トミーさんの音楽とは、二十数年以上前に“オーバーシーズ”と言うLPに出会った後も、長年私のターンテーブルには殆んど乗らなかったLPでした。ここ2,3年前から寺井さんとお話をさせて頂き、講座も何回か参加させて頂いているうちにトミー・フラナガン氏の人柄の素晴らしさ、音楽に引用されている名曲、アドリブに組み込まれている意味合い、何気なく聞こえるアドリブに秘められる様々なテクニックといった講座での知識が、再びターンテーブルの上にフラナガン氏のLPを乗せられる日が最近頻繁になり楽しんでいました。また去年1.5メーター先でピアノを弾くフラナガン氏を見て、彼の音と、(一言で言うと)放たれるオーラに感動し、ジャズの素晴らしさをあらためて喜んでいた矢先の訃報。本当に参りました。

これから毎日“オーバーシーズ”のレコードを聞く生活になると思います。私がトミー・フラナガンを初めて知ったLPですから・・・・・・


(タイトルなし)
投稿日 11月19日(月)13時39分 投稿者 かよっぺ
職場でしかパソコンを触らないため、たった今フラナガンさんの訃報を知りました。。。教室に通い始めたのが最近ということもあり、私自身には思い出はありません。ただ、講義の時などにフラナガンさんの話をする師匠のうれしそうな顔が浮かび、目頭が熱くなりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。


11月16日のNYはとても暖かな日でした
投稿日 11月19日(月)15時41分 投稿者 YAS竹田
第一報があってからいろいろと注意していたのですが、ジャズ専門FM局WBGOが訃報を伝えていた以外新聞にも載らず死因もはっきりしていませんでしたが、ついさっきNEW YORK TIMESのサイトにようやく19日付けで死亡記事が出ているのを発見しました。こちらはまだ夜中の一時なので、実際に新聞で見られるのは夜が明けてからになります。

フラナガンの訃報がなかなか出てこないのは、彼が一般には有名人ではない事もありますが、奥さんのダイアナさんが取り乱しておられたのが理由ではないかと思い心配していました。NEW YORK TIMESには「死因は動脈瘤だとダイアナ・フラナガン夫人が言った」とあるので、新聞記者と応対できるほどには落ち着かれた様です。

彼の経歴をかなり詳しく述べたその記事の最後には、カリフォルニアに息子さんと二人の娘さんと6人のお孫さんがいる、と書いてありました。


偉大なTommy Flanaganに
投稿日 11月19日(月)16時17分 投稿者 YAS竹田
これからも寺井さんはさらに力強くピアノを弾き続けられる事と思います。
皆さん、感傷的になってるヒマがあったらOverSeasに行って寺井さんの演奏を聴きましょう。生徒さんはちゃんと練習してね。僕も頑張ります。


ダイアナさんから電話があったそうです。
投稿日 11月19日(月)16時30分 投稿者 管理人
竹田さん、情報ありがとうございます。

竹田さんが2つ目の書き込みをしている最中に、僕の携帯に珠重さんから電話があり、今日ようやくダイアナさんから電話がかかってきたそうです。他にも共同通信から寺井師匠に「本当ですか?」という電話があり、取材を受けたそうです。寺井師匠はパスポートがいま切れているそうで、申請したばかりだそうですから葬儀には間に合いません(葬儀情報は後藤さんからもらったメールを竹田さんに転送しましたよね)。

NYタイムズのWEBサイトは私も土曜日以来、頻繁に見ていたのですが、なかなか載らないので、ひょっとして誤報なのではと一時は期待したりもしました。さっきその訃報記事の全文を読もうとしたら、登録(無料)が必要だったので、すぐ登録して画面撮りしました。今からすぐクライアントのところに出かけないといけないので、帰ってきたらまた皆さんに読んでもらえる方法を考えます。


うーん・・・
投稿日 11月19日(月)17時54分 投稿者 ようおく
管理人さん、お知らせありがとうございます。平日にしかメールやページを開かないので、今日出社してみたら信じられないお知らせを受けることになってしまいました。いささか出遅れた感じがします。

この件に関しては土日にたくさんの方が言及しているようなのでいまさらという感じがしますが、本当に残念です。

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。


Tommy Flanagan
投稿日 11月19日(月)19時53分 投稿者 munetake
土曜日、メールで訃報を知ってから、なんとなくソワソワして、いろいろと用事があったのだけれど、どうも手につかず、何度か店に電話をしたがつながらず、そのままOVERSEASに。

こんなに寺井さんに会うのがつらく思った日は初めてでした。
いままで何度も見てきたフラナガンのライブの光景や、去年の5月にお店に遊びに来られたときの様子がよみがえって来てなんとも言えない気持ちに。

「体調もよくなってきている」「来年の1月にはまた来日する」と聞いていた矢先だったのでほんとうに残念でなりません。


Tommy Flanagan, Elegant Jazz Pianist, Is Dead at 71
投稿日 11月19日(月)20時25分 投稿者 管理人
NYタイムズの訃報記事は次のURLをクリックして、自分の名前やらメールアドレスやらを登録すると読むことができます。
http://www.nytimes.com/2001/11/19/obituaries/19FLAN.html

でも少しめんどうなので、私が全文画像にして下記のURLにアップしました。

こちら


信じられない・・
投稿日 11月19日(月)20時41分 投稿者 西川
久々にメールをあけ、飛び込んできた信じられない訃報・・目を疑いました。来年の来日を楽しみにしていた矢先に・・本当に本当に残念です。ジャズ界においてあまりにも失ったものが大きすぎました。ショックのあまり今は何も言葉が見つかりません。何もできませんが、せめて心から、ご冥福をお祈り申し上げます。


そうですね!
投稿日 11月19日(月)23時07分 投稿者 Melodic
おちこんだり、めげたりしてる暇はないんですね!
私も日々一生懸命に生き、音楽を学び続けることは忘れません。
がんばらないと!


死ぬと言うこと
投稿日 11月19日(月)23時48分 投稿者 くみちゃん
個人的なことですが娘のお友達のお母さんが土曜日亡くなられました。25才でした。離婚されてるので一人娘は5才で天涯孤独になりました。
その後フラナガンの訃報を聞きました。

人が死ぬと言うことは残された者にとっては大変なことですから。
娘さんの過去のほとんどない未来のみへの孤独。
ダイアナさんの過去がある故の未来への孤独。
どちらも比べようのない孤独で、心からお悔やみ申し上げるしかできません。


産経新聞web・・・
投稿日 11月20日(火)00時57分 投稿者 m.m
ダイアナさんと連絡がとれたそうで、良かったですね。
偶然、産経新聞web芸能文化面[ES]でいぶし銀のジャズ・ピアニスト、トミー・フラナガン氏
というタイトルの記事を発見しました。個人的におすすめと言うことで、「ザ・トミー・フラナガン・トリオ」のジャケットも掲載されています。良かったら、チェックしてみて下さい。

http://www.sankei.co.jp/edit/bunka/bunka.htmlです。


ダイアナからの電話
投稿日 11月20日(火)01時33分 投稿者 tamae terai
MMさんのレッスンが終わり雑談中に突然ダイアナから電話が入りました。あちらの時間で2時過ぎだったでしょうか。連絡がなかったので、彼女はショックの余りひょっとしたら入院しているのではないかと心配していましたが、少し安堵でした。彼女は冷静な口調で、トミーの病状の説明や葬儀の予定などを報告してくれました。お葬式は現地時間水曜にミッドタウンのセント・ピーターズ教会で執り行われた後、土曜日に故郷デトロイトで再び盛大な葬儀が行われるそうです。話すにつれて、彼女の押し殺した深い悲しみが伝わって来ました。とにかくトミーは今でも肌はつややかなブラウンで、輝くように眠っていると言っていました。また最期までヒサユキを気にかけていた、それにわざわざ葬儀に来なくてもあなた達がトミーを忘れない事はトミーが一番良く知っているのだから、と心遣いを示してくれました。

ドクター梶山が嘆かれたように、今パスポートは期限切れ、でも落ち着いたらダイアナに会いに行きたいと思います。


お答え!
投稿日 11月20日(火)01時39分 投稿者 寺井尚之
朝から通信社からトミーの死亡の確認の問い合わせがあったり、色々お悔やみを頂いて慌しい一日でした。中には来た事もない見ず知らずの奴から死んだのは本当か?店は休むのか?と言うものまでありました。大きなお世話じゃい!

YAS竹田が言う様に、これからは一層厳しく演奏を磨く!嘆いている間があればOverSeasに聴きに来て欲しい。流石は一番弟子!わしを一番良く知っとる。でも本当の事いうと、ちょっと無理してるからとりあえず明日誰か来てね。
おわり


YASちゃんへ、
投稿日 11月20日(火)08時36分 投稿者 tamae terai
そちらにメールを送りましたが読んでくれたでしょうか?
これから店に行くので、急ぎの用件は電話してね。


はいはい承っております
投稿日 11月20日(火)13時19分 投稿者 YAS竹田
火曜日の日中に手配しようと思っていますが、電話だと名前のスペルを間違えられそうで、ちょっと心配です。


お答え
投稿日 11月21日(水)01時52分 投稿者 寺井尚之
わしはもう元気がある!(ほんまはカラ威張りやけど…)ともかく隣の子やと思てたフジコが来てくれて嬉しかった! 

竹田、一番豪華な花束にしてくれ!わしの花束より大きいのがあったらむしれ!
業界人の集まる葬儀よりも、わしはダイアナの行く末を一番心配しています。これがトミーの一番心残りだと思います。トミーの音楽はわしが守り、伝承します。これについては誰も心配は要らん。

それとは別にこの騒ぎで皆さん忘れているようですが12月4日にフレディ・コールのコンサートをします。まず、これを成功させない事にはOverSeasの存続もありえず、わしの今後もありえないのです。いつまでも泣いてる場合ではない。(一人になったら泣くけど…)
おわり


エスパー寺井
投稿日 11月22日(木)00時52分 投稿者 管理人
先週から毎日どうしても日付が変わる前に仕事が終わらず、ヒイヒイ言ってる最中に、今回の悲しい出来事が起き、体力的にも精神的にもかなりキツいものがありますが、あまりの忙しさに悲嘆にくれているヒマもないのは救いかもしれません。

それでも寝る前と、起きてから出勤するまでのわずかな時間には「一人追悼会」を行っています。さすがに手に入るフラナガンのリーダー作はほとんど揃ってきたように思いますが、サイドメンとして参加しているアルバムとなると、持ってないものがまだまだ山ほどあり、今後もワルツ堂カリスマ店や中古LP屋をこまめに回ってフラナガンの作品を買い揃えていきたいと思います。寺井師匠が以前、「わしが若い頃に中古LP屋を回ってた頃は、フラナガンが1曲でも参加してるアルバムは、ジャケットの裏を見んでもテレパシーでわかった」と豪語しておられましたが、私もその域に近づけるよう頑張りたいと思います。

最近は私の部屋の海賊盤・・・あ、いや回転焼き生産体制もいよいよ充実してきましたので、よい材料をお持ちで、それを回転焼きにして食べさせてほしいという人は、どうぞOverSeasまで持ってきてください。


ダイアナにSYMPATHY CARDなるものを作ります。
投稿日 11月22日(木)01時07分 投稿者 寺井珠重
日本時間の明朝9時よりNYレキシントン・アヴェニューの大きな教会、セント・ピーターズ・チャーチでは、トミー・フラナガンの告別式が行われます。OverSeasでは、ハナさんの薦めによってダイアナ・フラナガンに追悼辞というかSYMPATHY CARDを作って送りたいと思います。この掲示板に寄せられた多くのメッセージを私の稚拙なる英語で訳して近日中に贈ります。皆さん書き込みよろしく。


お答え
投稿日 11月22日(木)01時19分 投稿者 寺井尚之
トミーのことでなんか胸騒ぎがありましたか?と訊いた人がおったけど、なあんにもなかった。しやからエスパーではないと思うけど、確かにレコードは全部読めた。まるで向こうから近づいてきたみたい。音楽は世襲制ではない。異民族のわしがついでもええやろ。今日は息子と娘が来てくれた。わしの後は彼らに託して末永くフラナガンの音楽を伝えよう。
おわり


St.Peter's Church
投稿日 11月22日(木)15時58分 投稿者 YAS竹田
セント・ピーターズ・チャーチは別名ジャズチャーチと呼ばれていて、ランチタイムや週末にはジャズコンサートが行われ、リハーサルスペースもあります。

ジャズミュージシャンが亡くなった場合、身内だけの「Funeral」を先に行い、その1〜2週間後にこの教会で「Memorial Service」がするのが普通です。

フラナガンの場合NYとデトロイトの両方でFuneral(Memoriale Serviceとの一番大きな違いは埋葬が終わっているかどうか)をするのは何か特別な事情があるのでしょうか?


These Foolish Things・・・
投稿日 11月22日(木)16時52分 投稿者 YAS竹田
m.mさんが言っておられた産経WEBでの「フラナガンが演奏していた中華レストラン」の写真は、「Fortune Garden Pavilion」だと思われます。1988年の夏にオープンし、一年ももたずに潰れてしまった店です。

高級感のある本格的な中華レストランでしたが、10ドルのミニマムチャージを払えばワンセット聴ける、つまり10ドル分の料理を食べれば最高のデュオが目の前で聴けるわけで、もともと酒が飲めず貧乏だった私にはとても有り難いシステムでした。

何日目かに、カーネギーホールでカーメン・マクレーの伴奏をしていたムラツがカーメンを連れて来て、「ちょっと歌おうかしら」という事になりました。確か3曲歌ったと記憶していますが、中でも「Sometimes I'm Happy」は今でも耳に焼き付いています。

始めはレスター・ヤングのフレージングをなぞりながらどんどんフェイクしていくカーメンに、フラナガンの絶妙なオブリガードが絡むという信じられないくらいゴージャスな音楽。最後にレスター・ヤングの有名なエンディングを、二人がぴったりユニゾンして終わった時には、本当に鳥肌が立ちました。


トミー・フラナガン
投稿日 11月22日(木)20時09分 投稿者 yamamoto
なんか信じられなくて、信じたくなくて一週間近く過ぎてしまいました・・
初めてオーバーシーズでライブを聴いたのは、たしか1991年だったかな・・

ムラーツとのデュオやソロコンサートの時の音は今も耳にこびりついています。
まさしく「天から降り注ぐ神の音」って感じで鳥肌が立ちっぱなしでした。
握手もしてもらったし、一緒に写してもらった写真や、サイン色紙は宝物になりました。

フラナガンの音は確かに残っているし、寺井さんという継承者もいる・・
これからもずっと生き続けて行くでしょう!!
ぼくも元気出してガンバローっと!!


いぶし銀のような・・・
投稿日 11月22日(木)22時28分 投稿者 m.m
産経webに掲載のフラナガン氏が演奏中の場所は、YASさんにとって とても思い出深い所だったんですね。皆さん、いろんな思い出をお持ちですね。私はこれからだったのでとても残念です。でも今回突然の訃報に接し、私の持ってるまだ数少ない彼の演奏を何度も聞いてる内に、名伴奏者、いぶし銀のような・・、名脇役、上品な・・・いろんな彼に対する形容詞が、とても身近なものになってきました。
師匠が、もっともっと残しておいて欲しい曲がいっぱいあったのに・・と言われた時のなんとも寂しそうな表情が、焼き付いています。こうなったら僕が残していかないと・・・とおしゃていましたが是非頑張ってくださいね。そうすれば天国の大師匠も皮肉を言いながらも!?きっと喜ばれるでしょし、ダイアナさんにとっても、こんな嬉しい事はないですよね。トリオの皆さんも他の演奏者の皆さんも、マッサージの珠重さんも、優秀なお弟子さん達も頑張ってくださーーーーい!   
OverSeasで目の前で演奏を見るようになって、結構ベースにはまってます。
YASさん、また日本に帰って素敵な演奏を聞かせて下さいね。


見んでも分かる
投稿日 11月22日(木)23時21分 投稿者 うだちゃん
上の文章で、フラナガン氏が参加したアルバムは見んでも分かるとありましたが、わたしの学業上の師匠も良い論文は読まなくても、あっちから語りかけてくるというのを思い出しました。先週は、通勤中、Overseasをずっと聞いていました。あのアルバムは、フラナガン氏のアルバムの中で最初に向こうから語りかけてきたものです(私にとってです)。

海の向こう(Overseas)の音楽("Overseas")が、海を渡って日本にきた。こんどは、寺井さんとそのかわいい息子・娘たち?の手を通じて、再び海を渡っていくことを期待してます!!。


THEY CAN'T TAKE THAT AWAY FROM ME :
Fortune Garden Pavilionの思い出
投稿日 11月23日(金)00時44分 投稿者 tamae terai
初めて寺井とNYに行った時、トミーはヴァンガードに出演中でしたが、色んな場所に寺井尚之を連れて行っては“わしの朝鮮戦争中に日本で作った息子だ”と紹介してくれました。ある晩ギグの前に腹ごしらえしよう!と訪れたフォーチュンガーデンにはその夜ジュディ・カーマイケルという西海岸の腕利きのストライド・ピアニストが出演しており、夕食に連れて行ってもらいました。

当時、この中華料理店(福園楼かな?)はハナさんや、デイブ・マッケンナなど錚々たるピアニストが出演していた店でした。中国人のテキパキした給仕長がトミーに最高の敬意を払いサーヴィスに努めてくれました。当時のトミーは美食家で知られており、推薦してくれた料理はどれも最高でしたがデザートのバナナ・フランベ(?)がなかなか出てこず、ギグに遅刻するとあせるダイアナと私達にトミーは悠然と言いました。“大丈夫!わしが行かなければどっちにしても始まらんのじゃ!”

タクシーでぎりぎりに到着したヴァンガードは長蛇の列、それを掻き分けて店に入ろうとした私達に、誰かが“こらっ!ちゃんと列に並べよ!”と叫ぶと、ダイアナは物凄い剣幕で“何言ってるのよ!この人がトミー・フラナガンなのよ!”と怒鳴り返しました。まるでベーブルースと一緒にヤンキースタジアムに入場するような誇らしい気分でした。

ジョージ・ムラーツとケニー・ワシントンを擁した素晴らしいトリオの、その夜の演奏の素晴らしさは、ここでは言い尽くせません。


EASY LIVING(お答え)
投稿日 11月23日(金)00時54分 投稿者 寺井尚之
フォーチュン・ガーデンのあの時出てたピアノのおねえちゃん、無茶あがってた。そら、まん前にフラナガンが座ってるもんな。竹田がNYへ行く言うた時、うちのトレーナーを着せて、NYのエライ人に手紙を書いて、とりあえず挨拶に行け言うた場所がここやなかったかな?

あの時はぎりぎりやったけど、いつもはトミーは20分前にはキチンと行く人で、決して遅刻はしなかった。ジョージは45分前、ケニーは1時間ちょっと前に店に入るのが掟であった。フラナガニアトリオは2時間前にわしがセッティングし、50分前に河原が、宗竹正浩は早くても5分前に滑り込む。

トミーが朝鮮戦争当時に日本で作った息子という話は、メル・ルイスORCH.を見に行った時、セットの合間に我々のテーブルの所に、メル・ルイスを筆頭に全メンバーが行列してトミーに挨拶に来、トミーが一人一人に私の事をそう紹介した。おかげで休み時間はなし。

名脇役、名伴奏者と、新聞の死亡記事で見たけれども、これは1955年から77−78年までの事。それ以降は偉大なリーダーであり、例えサイドマンとしてレコードに入っていても、ゲストである。うちの常連、わしの弟子ならば、誰もが認識している事である!
おわり


トミー・フラナガンのお葬式
投稿日 11月23日(金)02時19分 投稿者 tamae terai
こんなタイトルを入れても、まだ信じられない気持ちですが、先ほどセントピーターズ教会の葬儀に参列したジミー・ヒースから、連絡がありました。教会は友人やファンでごった返し、オールスタンディングであったそうです。ジミーを始めとする著名ミュージシャンが30人以上顔を見せ、その内の何人かが追悼演奏をし、10人程の関係者が弔辞を述べたという事です。あちらは今日、感謝祭なので家族の集まるお正月の様な大事な日に、わざわざ連絡をくれました。また感謝祭の後に色々知らせてくれるそうです。ジミー、ありがとう!
合掌


名マッサージ師、実は陰のリーダー・・・???
投稿日 11月24日(土)00時50分 投稿者 m.m
トミー・フラナガンは40を過ぎて、もっともっとすごくなったという師匠のお話に、そんな時代のLIVEを聴けたら良かったのにとホントに残念!こうなったら、少しでも多く師匠のLIVEを聴きに行けるように、何とかがんばらなくっちゃ!

改めて、偉大なリーダー・トミーフラナガンと、フォーチュン・ガーデンにおける両ご夫妻の素晴らしい思い出と、素敵な関係に、乾杯!!!・・・・・合掌


告別式のプログラムが届きました。
投稿日 11月24日(土)01時13分 投稿者 tamae terai
先ほど、ジミーがファックスでトミー・フラナガンの告別式の式次第を送ってきてくれました。追悼演奏したミュージシャンは、ジミー、ハナさん、ジョージ・ムラーツ、エディ・ロック、ジェイムズ・ウイリアムズ、アール・メイ等など、OverSeasにゆかりの深い名前が並んでいます、<トミー・フラナガン>と題した文章は、ホイットニー・バリエットの著書American Musiciansからの一節で、今日の昼間に偶然私が読み直していた名文からの抜粋でした。

式次第の表紙は、<Sea Changes>のジャケット写真と、トミーにダイアナがキスしているスナップ写真で、恐らく10年ほど前の元気な時の写真です。OverSeasにも何回も着てきた白いジャケットと黒い上等のTシャツで、ダイアナの金のネックレスをトミーが着けていて、とても良い写真です。明日来られたらこのファックスをお見せしましょう。


お答え、ではないけれど…
投稿日 11月24日(土)01時17分 投稿者 寺井尚之
追悼演奏で、ジョン・ヒックスが“チェルシーブリッジ”を演ったのを付け加えないといけない。彼はトミーの忠実な子分であった。やっぱりわしが行って演らんとケジメつかんような気がすんなあ。
おわり


フラナガンの新録音
投稿日 11月24日(土)18時57分 投稿者 和田宣行
11月21日発売の,伊東たけし「星に願いを〜T. K. Adagio」(税抜き2,900円)にフラナガンが参加しています。3曲目の"Smoke Gets in Your Eyes" と9曲目 "Stardust" の2曲で,ピアノはフラナガン,ベースはロン・カーター,ドラムスとヴォーカルはグラディー・テイトです。この3人分だけニュー・ヨークで録音して,伊東たけしのアルトとストリングスは日本でオーバーダビングした様です。録音年月日は不明。今年になってからでしょうか。思わず,買ってしまいました。


夜の大阪のど真ん中で泣かされた
投稿日 11月28日(水)02時16分 投稿者 motodorakai
あの事件以降久しぶりにじっくり聴いた寺井サウンド。寺井さんはもう元気いっぱい。元の流麗、且つ鋭いピアノがよみがえってきた、て言うより以前以上のパワーを今日感じました。その相手に強靭、怒涛のごとく響き流れるベースの宗竹氏。凄かった。曲もStrictly Confidential,Bouncing with Bud等に圧倒され、その上またバラッドも多く痛く感動。But Beautifulでウル、With Malice・・・で遂に目の前にトミー・フラナガンがドアを開けて入ってくる姿を思い出し、ウルウル。

9時40分になったら夜の大阪の街中へほうり出されました。夜のネオンが滲んで見えた。


寺井尚之のトミー・フラナガンレポート
(2000年5月31日〜6月3日)

HOMEへ