2002年11月16日(土)
第2回トミー・フラナガン追悼ライブ
第1部
1.I'll Keep Loving You アイル・キープ・ラヴィング・ユー/Bud Powell
〜50-21 フィフティ・トゥエンティワン/Thad Jones
2.Beyond The Blue Bird ビヨンド・ザ・ブルーバード/Tommy Flanagan
3.Rachel's Rond レイチェルズ・ロンド/Tommy Flanagan
4.Embraceable You エンブレイサブル・ユー/George Gershwin
〜Quasimodo カジモド /Charlie Parker
5.If You Could See Me Now イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ/Tadd Dameron
6.Cup
Bearers カップベアラーズ/Tom McIntosh
7.Sunset & The Mocking Bird サンセット&ザ・モッキンバード/Duke Ellington
8.Tin Tin Deo ティン・ティン・デオ/Chano Pozo,Gill Fuller,Dizzy Gillespie
第2部
1.Thelonnica セロニカ/Tommy Flanagan
〜Minor Mishap マイナー・ミスハップ/Tommy Flanagan
2.With Malice Toward None ウィズ・マリス・トワード・ノン/Tom McIntosh
3.Eclypso エクリプソ/Tommy
Flanagan
4.That
Tired Routine Called Love
ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ/Matt Dennis
5.All
Too Soon オール・トゥ・スーン/Duke
Ellington
6.Our Delight アワ・デライト/Tadd Dameron
7.Dalarna ダラーナ/Tommy Flanagan
8.Black
& Tan Fantasy 黒と茶の幻想/Duke Ellington
アンコール
1.Mean Streets ミーン・ストリーツ/Tommy Flanagan
2.Ellingtonia(Duke Ellington Medley)エリントニア
A Flower Is A Lovesome Thing ア・フラワー・イズ・ア・ラヴサム・シング
/Billy Strayhorn
〜I
Didn't Know About You アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー/Duke Ellington
〜Chelsea
Bridge チェルシーの橋 /Billy
Strayhorn
〜Passion
Flower パッション・フラワー/Billy Strayhorn
〜Raincheck レインチェック/Billy Strayhorn
第1部
1. I'll
Keep Loving You アイル・キープ・ラヴィング・ユー/Bud
Powell
〜50-21 フィフテイ・トゥエンティワン/Thad Jones |
<I'll Keep Loving You>
凛(りん)とした美しさに溢れたこのバラードには、「ずっとあなたを愛し続けよう」というタイトルが付けられている。トミー・フラナガンに捧げる夜の幕開けにふさわしい曲。フラナガンは、オムニバス盤『I Remember Bebop』('77)に、キーター・ベッツ(b)とのデュオで名演を遺している。寺井尚之は『Dalarna』('95)に収録。
<50-21>
サド・ジョーンズならではの、親しみ易さと気品が同居するデトロイトバップの名曲。『50-21』という不思議なタイトルは、デトロイト・バップの中心地だったジャズクラブ、<ブルーバード・イン>の住所「デトロイト、タイヤマン5021番地」に由来している。若き日のトミー・フラナガンや作曲者サド・ジョーンズは勿論、サドの弟エルヴィン、ビリー・ミッチェル、ペッパー・アダムス等、デトロイトジャズシーンのトップミュージシャン達のハウスバンドに、マイルス・デイヴィス、ソニー・スティット、ワーデル・グレイ等大物がゲストとして常時出演していた。正にフラナガンの修行にふさわしい場所であり、高度なテクニックと洗練された気品を兼ね備えたデトロイト・バップスタイルは、<ブルーバードイン>を中心に開花したのである。NYのトップジャズメン達はデトロイトのジャズシーンをチェックするため、街に立ち寄ると必ず顔を出した。チャーリー・ミンガスもここでサド・ジョーンズを発見し狂喜、即自己レーベルで彼のアルバムを製作した。
フラナガンによれば、この店は「非常にアットホームで地元の常連がミュージシャンを応援してくれた素晴らしい所、OverSeasと似ている」ということだ。なお、この店は業態こそ違うものの現存しており、晩年フラナガンは何度かライブを行なっている。
フラナガンはアルバム『Comfirmation』('77)、『Beyond The
Blue Bird』('90)、寺井尚之は『Fragrant Times』('97)に収録。
2. Beyond
The Blue Bird ビヨンド・ザ・ブルーバード/Tommy
Flanagan |
50-21は、デトロイト・バップの出発点を示す作品だが、この作品は「ブルーバードを越えて」。デトロイトからNYへ、引いては世界へ羽ばたいたトミー・フラナガンの回想と言った趣の曲である。青い鳥が生んたデトロイト・バップが文字通り、海を越えOverSeasというジャズクラブ、寺井尚之というピアニストを生んだことを思うと感慨深い。
フラナガンは『Beyond
The Blue Bird』('90)、寺井尚之は『Fragrant Times』に収録。
3. Rachel's
Rondo レイチェルズ・ロンド
/Tommy Flanagan |
フラナガンが美しい長女レイチェルに捧げた作品。レイチェルは家庭を持ち現在西海岸に在住。セントラルパーク・ウエストにあるフラナガンの瀟洒なアパートメントの居間には子供の時、大学の卒業式、結婚式、彼女の夫や子供たちと、様々なレイチェルの写真が飾られ、彼女が美しく成長する様子を眺める事が出来る。溌剌として優雅な作風からOverSeasの常連達には非常に愛されている曲。現在この曲を演奏する者は寺井尚之だけである。
フラナガンは『Super
Session』('80)、寺井尚之は『Flanagania』('94)に収録。
4. Embraceable
You エンブレイサブル・ユー/
George Gershwin
〜Quasimodo カジモド/Charlie
Parker |
フラナガン音楽の特徴の一つにメドレーの素晴らしさが挙げられる。単に曲を並べて演奏するのではない。選曲、構成、演奏解釈、引用など、隅々まで綿密に考えられたメドレーは、フラナガンの広大な音楽世界があってこそ出来るものだ。しかし残念な事に、それらの録音はほとんど残っていない。これはフラナガンが長年愛奏した数少ないメドレー。ガーシュイン作曲の甘いバラード、『抱きしめたい貴方』から、それを基にフラナガンのヒーローであるチャーリー・パーカーが作ったスリリングなバップ・チューン、『カジモド』へと続く。カジモドは、ヴィクトル・ユーゴーの小説、『ノートルダム・ド・パリ』の主人公で、誰にも抱きしめられない醜い外見とは裏腹に、天使の様な魂を持つノートルダム寺院の鐘撞き男の名前である。1923年からディズニーアニメを含め、5度にわたって映画化された。パーカーがカジモドを作曲した1940年代までに、『ノートルダムのせむし男』はホラー映画として2作、全米で公開されている。文学や映画に精通していたパーカーはそれらを観て、鋭い洞察力で、カジモドや社会で蔑まれるジプシーで絶世の美女エスメラルダに自分自身の姿を投影していたのではないだろうか?カジモドのネーミングには単なるジョーク以上の意味を感じる。
寺井尚之がこの名演目を初めて聴いたのは、'88年9月のヴィレッジ・ヴァンガードの1週間にわたるギグで、フラナガン・トリオ(ジョージ・ムラーツ.b、ケニー・ワシントン.ds)は毎晩このメドレーを演奏した。その後ドラムがルイス・ナッシュに変わってからも愛奏していたが、'94年に寺井尚之が師匠に先んじてアルバム『Flanagania』に収録した途端、フラナガン自身はぷっつりと演奏するのを止めてしまったといういわくつきのメドレーである。
5. If You
Could See Me Now イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ
/Tadd Dameron |
ダメロン独特の典雅な作風を持つビバップ作品も、フラナガンにうってつけの演目である。これはサラ・ヴォーンのために書かれたバラードで、フラナガンと寺井のアレンジもサラ・ヴォーンがカウント・ベイシー楽団と録音したヴァージョンが基になっている。「もしもあなたに今の私が見えるなら…」というタイトルは、今夜の寺井尚之の心情に他ならない。トリビュートの今夜、演奏中のピアノの上には大きく聡明な瞳でこちらを見つめる『Jazz Poet』('89)のフラナガンのポートレートが置かれていた。
6. Cup Bearers カップベアラーズ/Tom McIntosh |
フラナガンは、トロンボーン奏者、作編曲家、また宣教師でもあったトム・マッキントッシュの作品を好み、数多くの名演奏を遺した。フラナガンが彼の作品を気に入っている理由は、「西欧的な音楽知識を持ちながらブラックなルーツを損なわずにヒップだから」である。これも変則小節の複雑な構成の難曲で、エレガントで快活な印象を与える名作。ロニー・マシューズ、サイラス・チェストナットといったNYのピアニスト達にとっても、一番演奏してみたいフラナガンのレパートリーである。今年2月、フラナガン・トリオの15年来のベーシストであったジョージ・ムラーツが来阪公演を行なった際、アンコールで寺井尚之に捧げて演奏した曲でもある。
7. Sunset
& The Mocking Bird サンセット&ザ・モッキンバード/Duke
Ellington |
フラナガンのエリントン作品群に対する卓抜した演奏解釈は、すでに初期の名盤『Overseas』('57)から顕著である。また彼のレパートリー構成に於いて、エリントン−ストレイホーン作品は、圧倒的な魅力の切り札的役目を持っている。この作品は、エリントンがフロリダをバスツアー中、日没に聴いた美しい鳥の声に霊感を得てすぐに作曲したと言われている。エリントンが'58年にたった1枚のLPを製作しエリザベス女王に献上した『女王組曲』の一曲で、エリントンの死後、'76年になってやっと一般に公開された。寺井尚之はフラナガンが'82年にトリオ(ルーファス・リード.b、ビリー・ヒギンス.ds)で来日した際に初めて聴いたが、その後'90年代に入って再び愛奏し始め、晩年のリーダー作『The Birthday Concert 』('98)のタイトル曲とした。フラナガンの談話によると、この曲はNYのジャズ系ラジオ局の夕方の番組のテーマソングで、知らず知らずに聞き覚えたと言う。かつて、西海岸のジャズ評論家、ビル・マイナー氏がインタビューを兼ねてOverSeasに来店した時に、寺井の奏でるモッキンバードの端正さに驚いた事がある。
<ビル・マイナー氏の寺井尚之インタビューを読む>
8. Tin Tin
Deo ティン・ティン・デオ/ Chano Pozo, Gill Fuller,
Dizzy Gillespie |
キューバ生まれの天才パーカッション奏者、文盲のチャノ・ポゾが口ずさむメロディを、ディジー・ガレスピーと、側近のギル・フラーが懸命に採譜し出来上がった曲。フラナガンはラテンリズムの土臭さをうまく生かして、デトロイト・バップの品格を一層浮き彫りにする名ヴァージョンに仕上げた。寺井とフラナガンではアレンジは少し異なってはいるが、共にセットのクロージング・チューンとして人気の作品。
第2部
1. Thelonica セロニカ/Tommy Flanagan
〜Minor Mishap マイナー・ミスハップ/Tommy
Flanagan |
<Thelonica>
第2部はフラナガンメドレーで幕開け。最初のソロは、セロニアス・モンクとパノニカ男爵夫人の稀有な友情に捧げた名盤『セロニカ』('78)のタイトル曲。トミー・フラナガンの作品の内でも、最も美しいバラードの一つ。フラナガンは、モンク、パノニカの両者と親交が厚かった。彼がNYに出て来た頃はモンクと家が近所で、バド・パウエルよりもずっと親しい関係だったという。また、フラナガンはパノニカ男爵夫人の高い審美眼に叶うお気に入りのピアニストで、フラナガンがクラブ出演する時には、店の前に運転手付きの銀色のベントレーを停めて、美しいカクテルドレスをまとったパノニカが現れた。アルバム『Beyond The Blue Bird 』のカバーデザインを担当しているのは、パノニカの令嬢ベリットである。
<Minor Mishap>
一転して、ハードバップの魅力が一杯のフラナガンのオリジナル曲。「Minor Mishap」とは、「些細なミス、大した事は無い」というニュアンスの言葉だが、演奏してみると大変な難曲で「Minor Mishap」というタイトルは反語のジョークであった事を思い知らされる。
どちらも、'84年にフラナガン・トリオがOverSeasに初来演した時に演奏され大喝采を博した。
フラナガンはリーダー作としては『Super Session』('80)、寺井はフラナガンのリクエストにより『Flanagania』('94)に収録した。
2. With
Malice Toward None ウィズ・マリス・トワード・ノン/Tom McIntosh |
第1部―6と同様、トム・マッキントッシュの作品。たった一曲だけフラナガンのために追悼演奏をするならば、寺井は迷わずこの曲を選ぶと言う。賛美歌を土台にしたスピリチュアルな美しさと力強さに満ちており、OverSeasでは最も愛されている曲。常連の皆さんならご存知の通り、「誰にも悪意を向けず」というタイトルはエイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言の一節から付けられた。何度か訪れたNYのクラブでは体験した事はなかったが、生前フラナガンがこの曲のタイトルをコールするだけで、OverSeasは大歓声と拍手に包まれ、晩年のブルーノート大阪のステージでも、OverSeasの常連達から大拍手が送られた。するとフラナガンは、ほんの一瞬だけ顔をほころばせ、魂をゆさぶるような名演奏を披露したものだ。
フラナガンは『Ballad
and Blues』('78)、『The Birthday Concert』('98)に、寺井は『AnaTommy』('93)に収録。
3. Eclypso エクリプソ/Tommy Flanagan |
フラナガンが二十代の『Overseas』('57)、四十代の『Eclypso』('77)、六十代の『Sea Changes』('96)と録音、愛奏し続けたオリジナル曲。寺井にはこの曲に特別な思い出がある。彼がフラナガン夫妻から強く要請され初めてNYにフラナガンを訪ねた時、フラナガンはトリオ(ジョージ・ムラーツ.b、ケニー・ワシントン.ds)でヴィレッジ・ヴァンガードに出演、火の出るようなハードな演奏を毎夜繰り広げた。五線紙を片手に寺井が通いつめた10日間はあっという間に過ぎ、とうとう帰国前夜となった最終セットのアンコールで、フラナガンが寺井に捧げた曲だった。10日間に渡るフラナガンの充実した演奏内容が、後の寺井の音楽にもたらした影響は計り知れない。
寺井は『AnaTommy』('93)に収録。
4. That
Tired Routine Called Love
ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ/Matt Dennis |
フランク・シナトラが1940年代初めに唄いヒットさせたマット・デニス(p.vo.)の作品は、洗練された音楽構造と、いかにもバッパー好みのウィットのある歌詞で、多くのジャズミュージシャンが愛奏した。この作品はデニス自身が弾き語りアルバム『Plays & Sings』に収録しているが、転調だらけの難曲のためあまり頻繁にジャズメンが演奏しているとはいえない。フラナガンはJ.J.ジョンソンのリーダーアルバム『First Place』('57)でサイドマンとしてこの曲を初録音、後に名盤『Jazz Poet』('89)で録音しているが、録音後も愛奏し続けた。演奏を重ねるたびにその構成は進化し、数年後にはレコードを遥かに凌ぐヴァージョンに仕上がっていた。現在寺井尚之が、そのアレンジを引き継ぎ演奏している。
寺井は『AnaTommy』('93)に収録。
5. All Too
Soon オール・トゥ・スーン/Duke
Ellington, Carl Sigman |
'40年にエリントンが書いたバラード、後に愛する人との余りにも早い別れを惜しむ歌詞が付いた。生前フラナガンがズート・シムズ等先立った親しい友人の葬儀の際、追悼演奏に選んだのがこの作品である。淡々としながら、抑えた哀しみがひしひしと伝わって来る傑作である。
6. Our Delight アワ・デライト/Tadd Dameron |
'40年代半ばに、ビバップの創始者の一人であったタッド・ダメロンがディジー・ガレスピー楽団のために書いた作品。バッパーとしてのトミー・フラナガン、寺井尚之の側面を一番よく表す演目の一つ。フラナガンはこの曲をライブで演奏する際、日本でもNYでも得意のMCを披露した。「チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、サラ・ヴォーン、そしてこの曲の作曲者タッド・ダメロンは、ビバップを代表する音楽家達です。ビバップとはビートルズ以前の音楽、そしてビートルズ以降の音楽でもあります。」この短い名演説に対してYEAH!と満場の拍手が送られると、フラナガンはわが意を得たり!とポーカーフェイスでビバップの究極のスリルを堪能させてくれた。文字通り「至福」のナンバーである。
フラナガンは『The
Birthday Concert』('98)、ハンク・ジョーンズとのピアノデュオ『Our Delight』('78)、寺井は『AnaTommy』('93)に収録。
7. Dalarna ダラーナ/Tommy Flanagan |
『Overseas』('57)に収録されたこの美しいバラード、『ダラーナ』はこの名盤の録音地スェーデンの美しい地方の名前。サンタクロースの村はダラーナ地方にある。この曲は寺井尚之にとって非常に感慨深い作品だ。この曲は『Overseas』以来フラナガンが演奏する事はなかったが、寺井が『ダラーナ』をアルバム・タイトルとして録音('95)、それがフラナガンに『Sea
Changes』('96)で36年ぶりの再録音をさせるきっかけとなった。録音直後トミー・フラナガンはわざわざ寺井尚之に電話をかけ報告している。その後、'96年のOverseasでのコンサート(ピーター・ワシントン.b、ルイス・ナッシュ.ds)でなんと寺井の録音ヴァージョンと全く同じ構成でダラーナを演奏、寺井のフレーズを意図的に挿入し、ファンを狂喜させた。
8. Black
& Tan Fantasy 黒と茶の幻想 /Duke
Ellington |
晩年のフラナガンは、自分が極めて若い時に親しんだビバップ以前のナンバーをレパートリーに加え、新たな音楽的境地を開拓しつつあった。この曲もその内の一つで、『Liza』等と同様、録音がないのが大変残念な作品。デューク・エリントン楽団がフラナガンの生まれる前、'29年に短編映画化、録音された古典的な作品である。エンディングはショパンの葬送行進曲で、フラナガンは心臓大動脈瘤の度重なる再発と長年戦った自分の死に対する彼一流のアイロニーとして演奏したのかもしれない。寺井はフラナガンの演奏を聴いて感銘を受け、エリントン楽団のアイデアをより多く取り入れた独自のアレンジで演奏するようになった。フラナガン最後のOverSeas訪問となった2000年5月31日、雨の夜、寺井がフラナガンの前でこれを演奏すると、師匠はいつになくその出来を褒めてくれたのだった。また同年1月24日、コンサート前日にディナーにやって来たサー・ローランド・ハナも同様にフラナガニアトリオのこの演奏を聴き、やはり絶賛してくれたが、昨年11月13日に帰らぬ人となってしまった。
プリミティブな香りを持つ壮大な作品には、愛や喜び、悲しみ、恐れ、怒り、叫び、ブルース、詩、ダンスとジャズに必要な全てのエッセンスが凝縮されている。フラナガン亡き後、フラナガニアトリオの演奏する『Black & Tan Fantasy』は、私達により一層深い感銘を呼び起こす。
アンコール:
Mean Streets ミーンストリーツ/Tommy Flanagan |
初期の名盤『Overseas』('57)では『ヴァーダンディ』というタイトルであったが、80年代に若手の名ドラマー、ケニー・ワシントンがフラナガン・トリオに加入して以来、このドラムフィーチュアの弾丸のようなナンバーに彼のニックネーム(若いのに何でも知っている凄い野郎、という意味)が冠された。『エクリプソ』と並びフラナガンが生前最も頻繁に演奏した自作品であろう。寺井尚之も何度となく、アーサー・テイラー、ケニー・ワシントン、ルイス・ナッシュなど様々なドラマーを使ったフラナガンの演奏を聴いており、フラナガニアトリオでも河原達人ファンに最も愛されるナンバーとなっている。
「エリントニア」とは、デューク・エリントンだけでなくビリー・ストレイホーン達を含むエリントン傘下の作品群のこと。その中には、誰の作品なのか個人の境目が判然としないものも数多い。エリントニアで構成されたメドレーはフラナガンの演目の白眉であるが、残念なことにこの「エリントニア」も正規の録音は全く残っていない。
フラナガンはビリー・ストレイホーンに私淑し、'57年スエーデン楽旅の直前、幸運にもストレイホーン本人から自作品の譜面をごっそりもらっている。フラナガンは生涯彼の作品を演奏し続け、その恩義に報いた。
ストレイホーンには、花に関わる作品が多く、一説には彼を育てた祖母が大変美しい庭を持っていたためだと言われている。彼の描く花の、神秘的なあでやかさの背後には、はかなく散る花の死の匂いが感じられる。そこには華やかな生を享楽しながら一生エリントンの影の存在であり続けた彼の人生観を感じずにいられない。
<A Flower Is A Lovesome
Thing>
ア・フラワー・イズ・ア・ラヴサム・シング
/Billy Strayhorn
ビリー・ストレイホーンの'30年代の作詞作曲作品、「どこに育とうとも、花は愛らしいもの」という歌詞は、生まれた環境や人種に関係のない人間の尊さを謳っているように聴こえる。また寺井が演奏する時、花はフラナガンであり、自分自身なのかも知れない。
<I Didn't Know About You>
アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー
/Duke Ellington
エリントンは、ストレイホーンと自分のことを「花と野獣」と呼んだ。これは野獣エリントンの作品。前曲とは対照的に、浮揚するような官能美を持っている。この作品は「Home」から「Sentimental Lady」と呼び名が変わり、その後歌詞が付いてこのタイトルとなった。そして戦時中の録音禁止令時代、エリントン楽団のラジオ中継を通じて広く親しまれた。「今までは遊びの恋しか知らなかったけれど、あなたに会って本当の恋を知った。」という歌詞、ここでは寺井のフラナガンに対する情熱の歌かもしれない。
<Chelsea Bridge> チェルシーの橋 / Billy Strayhorn
ご存知『Overseas』('57)の忘れられない曲。チェルシーの橋とはロンドン、テームズ河にかかるプリンス・アルバート・ブリッジの事。後世の作曲家に大きな影響を与えた、霧に煙るような美しさを持つ名作は、英の風景画家ホイッスラーの絵画から着想を得て作曲したと言われている。ここでは前曲で歌った出会いを語る曲である。
<Passion Flower>パッション・フラワー /Billy Strayhorn
自由奔放な愛人に例えられたパッション・フラワーは、幾何学的な形のトケイソウの花。しかしトケイソウの花の形は、磔刑のキリストの姿に例えられる。フラナガン・トリオではジョージ・ムラーツのアルコの妙技を披露するナンバーとして毎夜演奏されていた。
<Raincheck> レインチェック /Billy
Strayhorn
ストレイホーンがLAに住んでいた'41年、カリフォルニアの生活や雨から、自然に曲想が浮かび書いたといわれる作品。はじける様なスイング感と優雅さを併せ持つ曲。レインチェックとは「雨天順延」の意味、つまり「自分にとって本当のトリビュートはこれからだ」という、寺井の力強いメッセージと受け取った。
きっと次回は更に素晴らしい演奏が聴けるに違いない。今後の寺井尚之フラナガニアトリオの活動を大いに期待しよう。
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