第2部

1.Eclypso エクリプソ/ Tommy Flanagan
 楽しいカリプソリズムの名曲で、フラナガンの全作品中、恐らく最も有名な曲であろう。20代の《オーバーシーズ》時代から、フラナガンが終生愛奏し続けたオリジナル曲であるが、寺井にはこの曲に特別な思い出がある。寺井が初めてNYにフラナガンを訪ねた時、フラナガン・トリオはヴィレッジ・ヴァンガードに出演中で、寺井は10日間毎夜、五線紙を持って通いつめ、とうとう最後の夜がやって来た。最終セットでトミー・フラナガンは聴衆に「大阪から来て毎晩聴いてくれたヒサユキに捧げる」とアナウンスしてこの曲を演奏し、寺井は満員の聴衆から大きな拍手を送られたのだった。
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フラナガンは《The Cats》《OVERSEAS》('57)《Eclypso》('77)《Nights At The Vanguard》('86)、Flanagan's Shenanigans('93)《Sea Changes》('96)、参加盤として、《Aurex Jazz Festival, '82 All Star Jam》('82) ヤマハ自動ピアノ用ソフトのソロで《Like Someone in Love》('90)寺井は《Dalarna》('95)に収録。

初めて訪れたフラナガン自宅で師匠に学ぶ寺井尚之

2.With Malice Towards None ウィズ・マリス・トワーズ・ノン /Tom McIntosh
フラナガンが愛奏する作曲家、トロンボーン奏者のトム・マッキントッシュの作品。OverSeasでは最も人気のあるナンバー。賛美歌の「主イエス我を愛す」のメロディを引用した作品で、「誰にも悪意を向けず」と言う題名はエイブラハム・リンカーンの奴隷解放宣言の一節である。
 OverSeasは言うまでもなく他の大阪の演奏地でも、フラナガンがこの曲をコールすると、OverSeasの常連達から大歓声が巻き起こった。するとフラナガンは、少しだけ鼻を膨らませて、魂を揺さぶるような名演奏を披露したものだ。
フラナガンは《Ballads & Blues》('75)はデュオで《The Birthday Concert》('98)ではトリオ、フランク・モーガン名義の《You Must Believe In Spring》('92)にはソロで,参加盤として《Dusty Blue / Howard McGhee》に収録。寺井は《AnaTommy》('93)に収録。

3.Mean What You Say  ミーン・ホワット・ユー・セイ/ Thad Jones
フラナガンがデューク・エリントンに匹敵する天才と賛美したサド・ジョーンズの作品。タイトルはサド・ジョーンズの口癖で“Say What You Mean”の事、つまり「言いたい事を判るようにしゃべれ。」という意味。ゆったりとしたテンポでありながら明るく颯爽としたスピード感のある名作で、フラナガンのアレンジは、サド・ジョーンズ流“粋”の世界を最大限に生かしている。
フラナガンはLet's ('93) Marcus Belgrave with Detroit's Jazz Piano Legacy, Vol. 1('94)に収録。寺井尚之は、<ECHOES of OverSeas'('02)に収録。

サド・ジョーンズ
   
4.That Tired Routine Called Love ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラブ /Matt Dennis
この楽しいラヴソングの作曲者マット・デニスは、フランク・シナトラのヒット曲の作者として有名で、自らも弾き語りの名手として活躍した。デニスはナイトクラブに出演する時に、一流ジャズメンをゲストに招き共演した。JJジョンソンがこの作品を愛奏したきっかけも、’55年、著名人の集まるナイト・クラブ“チ・チ”でのデニスとの共演であった。ひねりとウィットのあるバッパー好みの彼の作風はジャズメンのチャレンジ精神を刺激する。本作品も、自然に口づさめるメロディだが転調が頻繁にある難曲。フラナガンはJJジョンソンのリーダーアルバム《First Place》でサイドマンとして初録音、30余年後に自己の名盤《Jazz Poet》('89)に収録した。録音後にもライブで愛奏し、数年後には録音ヴァージョンを遥かに凌ぐアレンジに仕上がっていた、現在は寺井尚之がそれを引き継ぎ演奏し続けている。
寺井は《Anatommy》('93)に収録。
5. That Old Devil Called Love  ザット・オールド・デヴィル・コールド・ラヴ/Allan Roberts, Doris Fisher
ビリー・ホリディのデッカ時代のヒット曲。レディ・ディことビリー・ホリディは、若き日のフラナガンの憧れの人だった。「美しい彼女の顔がステージのスポットライトに照らし出されると、どんなに胸がときめいたことか!」生前のフラナガンは大きなジェスチャーでユーモラスに語ってくれたことがある。だが、ビリー・ホリディの美貌だけでなく、その歌唱が音楽的にフラナガンに与えた影響は計り知れない。寺井尚之もフラナガンから「ことある毎に「ビリー・ホリディを聴け。」と諭され、今ではその言葉の意味の深さが痛いほどよく判るそうだ。
フラナガンはソロアルバム、《Alone Too Long》に収録。

6.Thelonica  セロニカ /Tommy Flanagan
Mean Streets ミーン・ストリーツ /Tommy Flanagan

セロニカ
<セロニカ>は、セロニアス・モンクと、彼を誠心誠意援助したパノニカ男爵夫人を繋げた造語、二人の稀有な友情に捧げられた、フラナガン作品の内でも最も美しいバラードの一つ。フラナガンはNYに進出した頃、モンク家の近所で親交があった。一般には奇人と言われるモンクだが、フラナガンにとって、バド・パウエルよりもずっと親しみを感じる優しい先輩であった。ジャズ界のパトロンと
して知られるパノニカ夫人は、高い審美眼を持ち、フラナガンのプレイを愛し、晩年もフラナガンが出演するクラブにはよく顔を出していた。カジュアルな雰囲気のジャズクラブに美しいカクテルドレスをまとったパノニカが現れると輝くように華やかで、通りに待つ運転手付きのベントレーと共に異彩を放っていたのが懐かしい。
フラナガンは《Thelonica》('87)に収録。
*写真:モンクとパノニカ男爵夫人

ミーン・ストリーツ
フラナガンの初期の名盤《Overseas》('57)では、<ヴァーダンディ>というタイトルで、エルビン・ジョーンズのブラッシュ・ワークが鮮烈であったが、'80年代終わりに弱冠20代だったケニー・ワシントン(ds)がフラナガン・トリオにレギュラーとして加入した際に、ケニーのあだ名、ミーン・ストリーツ(デキる野郎)に改題された。ケニー・ワシントンのレギュラー時代('88−'94)に尤も良く演奏された作品。フラナガニアトリオでも河原達人のフィーチュア・ナンバーとしてファンに愛されている。
  フラナガンは<Verdandi>として《Overseas》('57)、《Encounter》Pepper Adams名義('68)に、<Mean Streets>として《Jazz Poet》('89)に、寺井は《Flanagania》('94)に収録。


ミーン・ストリーツことケニー・ワシントン(ds)と寺井尚之(’89 大阪)

7.Dalarna ダラーナ/Tommy Flanagan
フラナガンの初期の代表作《Overseas》('57)の中の印象的なバラードで、録音地スェーデンの美しい地方の名前。サンタクロースが住むと言われるサンタクロース村はここにある。
フラナガンはこの録音以来、ダラーナを愛奏する事はなかったが、'95年に寺井が自己リーダー作のタイトル曲として録音し、それがフラナガンに《Sea Changes》('96)で再録音を促すきっかけになった。録音直後フラナガンは寺井に電話をしてその事を報告している。同年のOverSeasでのコンサート(ピーター・ワシントン/b、 ルイス・ナッシュ/ds.)では、寺井の録音と全く同じ構成で演奏し、寺井のフレーズを挿入、満員の会場を沸かせた。
8. Tin Tin Deo ティン・ティン・デオ/Chano Pozo,Gill Fuller,Dizzy Gillespie
ビバップ時代ディジー・ガレスピー(tp)楽団で活躍したキューバ生ま
れの天才パーカッション奏者、チャノ・ポゾの作品。文盲であったので彼の口づさむメロディを、ガレスピーと側近のギル・フラーが採譜してこの名曲が出来上がった。フラナガンはテーマが持つ土着的なラテン・リズムと哀愁を帯びたメロディから、より一層デトロイト・バップの品格が際立つ名ヴァージョンを作り上げた。寺井とフラナガンのアレンジは少し異なるが、いずれもセットの締めくくりとしてなくてはならない演目である。
 フラナガンは《Flanagan's Shenanigans》('93)《The Birthday Concert》('98)に、寺井は《AnaTommy》('93)に収録。

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