第6回Tribute to Tommy Flanagan
by Tamae Terai

【第1部】

 1.50-21 フィフティ・トウェンティワン/Thad Jones
 トリビュートの幕開けは、フラナガンのレパートリーの中で重要な位置を占める、デトロイト・バップの“粋”を代表するサド・ジョーンズの作品。『50-21』という不思議なタイトルは、デトロイト・バップの中心地だった ジャズクラブ、<ブルーバード・イン>の住所「デトロイト、タイヤマン5021番地」に由来している。若き日のトミー・フラナガンや作曲者サド・ジョーンズは勿論、サドの弟エルヴィン(ds)、ビリー・ミッチェル(ts)、ペッパー・アダムス(bs)等、デトロイト ジャズシーンのトップミュージシャン達のハウスバンドに加え、ミルト・ジャクソン(vib)、ソニー・スティット(ts,as)、ワーデル・グレイ(ts)等大物ゲストが常時出演していた。
  高度なテクニックと、気品、洗練を兼ね備えたデトロイト・バップ・スタイルは、<ブルーバード・イン>を中心に開花した。このクラブは業態を変え現存しており、フラナガンは晩年にもたびたびライブを行なっている。
 フラナガンはアルバム《Comfirmation》('77)、《Beyond The Blue Bird》('90)、寺井尚之は《Fragrant Times》('97)に収録。

ジャケットはニカ夫人の愛娘、ベリット・ド・クーニングスウォーターのデザイン

2.Beyond The Bluebird ビヨンド・ザ・ブルーバード/Tommy Flanagan
 「ブルーバードの向こうに」というタイトルのこの作品はトミー・フラナガンのオリジナル。上記のジャズクラブ<ブルーバード・イン>を巣立ち巨匠と成ったフラナガンが、人生を回想する趣の作品だ。
 フラナガンによれば、<ブルーバード・イン>は「地元の常連がミュージシャンを応援してくれたアットホームな素晴らしい所で、雰囲気がOverSeasと似ていた」と言う。
 青い鳥が生んだデトロイト・バップが、海を越え、遥か日本で寺井尚之というピアニストとOverSeasというジャズクラブを生んだ事を想いながら聴くと、一層感慨深い。自然な親しみやすいメロディで、デトロイトのお家芸である左手の“返し”と呼ばれるカウンター・メロディが印象的だが、転調が多い難曲。寺井尚之はこの曲がリリースされる前にすでにフラナガンの自宅で写譜してレパートリーに加えていた。
 フラナガンは同タイトルのアルバム('91)、《Flanagan's Shenanigans》('93)、他名義アルバム《After Hours》Scott Hamilton('96)、《Mirage》Bobby Hutcherson('91)、《Bennie Wallace》('98)に収録、寺井は《Fragrant Times》('97)に収録。

3.Bean & the Boys ビーン・アンド・ザ・ボーイズ/Coleman Hawkins
 <ビーン&ザ・ボーイズ>はテナーサックスの父、“ビーン”ことコールマン・ホーキンスが、スタンダード曲<ラヴァー・カム・バック・トゥ・ミー>のコード進行を基にして作曲したバップ・チューン。ホーキンスは、音楽ジャンルや人種に偏見を持たない人格と、その親分肌で、ミュージシャン達に敬愛され、フラナガンやサー・ローランド・ハナも例外ではなかった。
 一方ホーキンスもピアノを打楽器の様に“叩く”のでなく“ピアノとして鳴らす”デトロイト出身のピアニスト達を可愛がり、好んで共演した。フラナガンは60年代の初めにホーキンスのレギュラー・ピアニストとして、<At Ease>を初めとする名盤を残したことを生涯誇りにしていた。
 フラナガンはソロアルバム《Anone Too Long》('77),コールマン・ホーキンスのリーダー作、《Hawkins! Alive! At the Village Gate》('62)に収録。

Bean & the Boys
左からフラナガン、コールマン・ホーキンス、メジャー・ホリー(b)、エディ・ロック(ds)

4.Embraceable You エンブレイサブル・ユー/Ira& George Gershwin
     〜 Quasimodo カジモド/Charlie Parker
 フラナガンの音楽スタイルの特徴の一つにメドレー演奏の素晴らしさをがある。「抱きしめたくなる貴方」という甘く美しいガーシュインのバラードに続のは、そのコード進行を基にチャーリー・パーカーが作ったヒップなバップ・チューン。<カジモド>とはヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」の主人公の名前で、地位も金もない教会の鐘突き男、「抱きしめたくなる貴方」と程遠い醜い外見だが、汚れない美しい魂を持っていた。
 パーカーのネーミングには、単なるジョークと言うよりも、うわべで人間を判断する社会への強烈なアンチテーゼを感じる。
 フラナガンのメドレー演奏は、アレンジやアドリブフレーズの端々に深い意味のある引用が挿入され、この上なくドラマチックで楽しいものだったが、残念な事にメドレーのレコーディングは殆ど残っていない。
 寺井尚之は’88年ヴィレッジ・ヴァンガードで毎夜演奏されていたフラナガン・トリオこのメドレーに感銘を受け、フラナガニアトリオのデビュー盤《Flanagania》('94)に収録したが、当のフラナガンは、それ以来ふっつりと演奏するのを止めてしまったという、いわくつきの作品。
 寺井は、「人間は見かけや肩書きではなく、魂の美しさこそが“抱きしめたい”ものなのだ」と解釈し、清冽な音楽世界を作り出している。
 寺井は《Flanagania》('94)に収録。

チャーリー・パーカー(as)

 

5.If You Could See Me Nowイフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ/Tadd Dameron
  ビバップの内でも、極めて優美な作風を持つタッド・ダメロンの作品群は、フラナガンのレパートリーには欠かせない。この作品はダメロンがサラ・ヴォーンの為に書き下したバラードで、寺井尚之のアレンジはフラナガンのライブでのヴァージョンが基になっている。
 「あなたに今の私が見えるなら…」というタイトルは、寺井から天国にいるフラナガンへの呼びかけだ。これも又寺井が《Flanagania》('94)に録音し、フラナガンはトリオで一生レコーディングしなかった幻の演目である。
 フラナガンはハンク・ジョーンズ(p)とのデュオアルバム《More Delights》('78)に収録。

6.Mean Streets ミーン・ストリーツ/Tommy Flanagan
 フラナガンの初期の名盤《Overseas》('57)では、<ヴァーダンディ>と いうタイトルで、エルビン・ジョーンズのブラッシュ・ワークが鮮烈だったが、'80年代終わりに弱冠20代だったケニー・ワシントン(ds) がフラナガン・トリオにレギュラーとして加入した際、ケニーのあだ名、ミーン・ストリーツ(デキる野郎)に改題された。ケニー・ワシント ンのレギュラー時代('88−'94)に尤も良く演奏された作品。フラナガニアトリオでも河原達人のフィーチュア・ナンバーとしてファンに愛されている。
 フラナガンは<Verdandi>として《Overseas》('57)、《Encounter》Pepper Adams名義('68)に、<Mean Streets>として《Jazz Poet》('89)に、寺井は《Flanagania》('94)に 収録。

河原達人(ds)
7.But Beautiful バット・ビューティフル/Burke, Jimmy Van Heusen
 寺井は昔から、ムーズヴィルというムード音楽のジャズシリーズから出たフランク・ウエス名義のアルバム『Frank Wess Quartet』('60 Prestige)に収録されているBut Beautifulのフラナガンのイントロを絶賛していた。
  ある日フラナガンがOverSeasで食事中、偶然このアルバムが流れていた。早速寺井はフラナガンに向かって「これが ジャズ史上最も優れたイントロです!」と力説した。その時は大きな目をパチクリしながら話を聞いていたフラナガンであったが、間もなくNYで彼がこの曲を演奏しているという噂が流れてきた。デンマーク、ジャズパー賞受賞記念のライブ盤《Flanagan's Shenanigans》('93- Storyville)で、極めつけの名演が録音されたのは、寺井の功績かもしれない。
 上記アルバム以外、フラナガンはブルー・ミッチェル(tp)名義のSmooth as the Wind ('60),ウェイモン・リード《46th and 8th》('77)阿川泰子(vo)《All Right with Me》('84)に、寺井は《Dalarna》('95)に 収録。


8.Thelonious Monk Medley モンク・メドレー
NY進出当時の若きフラナガンとモンクは、住まいが近く親交があった。マスコミに奇人とされていたモンクも、実際は、フラナガン同様コールマン・ホーキンスを尊敬する優しい先輩で、バド・パウエルよりもずっと親しみが持てる人だったと、フラナガンは後に述懐している。1984年、OverSeasに於けるフラナガン・トリオ(アーサー・テイラー(ds)ジョージ・ムラーツ(b))の初コンサートでのモンク・メドレーの鮮烈さは一生忘れる事が出来ない。名盤《Thelonica》の録音は、このコンサートの3年後の事であった。
寺井がモンク・メドレーを演奏するのは今回初めてである。

Ruby, My Dear ルビー・マイ・ディアー / Thelonious Monk
 モンクの初期の作品で、少年時代のガールフレンドであったルビー・リチャードソンに捧げた作品と言われている。清純な美しさを湛えたバラード。後にサリー・スウィッシャーとマイク・フェロが歌詞を付け、カーメン・マクレエによる名唱もある。
フラナガンはリーダー作《Positive Intensity》 ('75)、ミルト・ジャクソン(vib)名義《Invitation》('62)に収録
Refelctions リフレクションズ/Thelonious Monk
 リフレクションズとは、「ある事にについて深く思いをめぐらすこと。」モンクが1952年に初レコーディングした時にはミディアムテンポで演奏されていたが、フラナガンも寺井尚之もバラードで演奏するのが常である。
フラナガンは名盤《Thelonica》 ('82)に収録。
Ugly Beauty アグリー・ビューティ/Thelonious Monk
 '67年にテレビ番組でモンクが初演した。彼の唯一の3拍子のオリジナル作品。「醜い美人」とは、いかにもモンクらしいシュールなタイトルだ。
フラナガンは名盤《Thelonica》 ('82)に収録。
Pannonica パノニカ/Thelonious Monk
 英国の名門で大富豪ロスチャイルド家の一員、パノニカ男爵夫人はジャズ界で最も有名なパトロン、'52にパリでモンクと出会い、生涯友人として、精神的にも経済的にもモンクを支援した。彼女に捧げられた数多くのジャズ・スタンダードの中でも最も情感溢れた作品。
フラナガンはリーダーとして名盤《Thelonica》 ('82)に,ボビー・ハッチャーソン(vib)名義の《Mirage》('91),ジミー・ヒース達オールスターセッションThe Riverside Reunion Band 《Hi-Fly》('94)に、寺井は《Flanagania》('94)に 収録。
Thelonica セロニカ/Tommy Flanagan
 <セロニカ>は、セロニアス・モンクと、パノニカ男爵夫人を繋げた言葉、このよううな造語はいかにもバッパー流でヒップだ。男女関係を超越した二人の稀有な友情に相応しく、甘さを控えた硬派のバラード。一方、ニカ夫人も、フラナガンのプレイを愛し、晩年もフラナガンが出演するクラブによく顔を出してい た。カジュアルな雰囲気のジャズクラブに美しいカクテルドレスをまとったパノニカが現れると輝くように華やかで、ヴィレッジの通りに待つ運転手付きのベントレーと共に異彩を放っていたのが懐かしい。
 フラナガンは《Thelonica》('87)に2ヴァージョン収録。

名盤《セロニカ》
モンクとニカが合体したイラストは、ニカの愛娘ベリットの作品。


パノニカ男爵夫人
Epistrophy エピストロフィー/Thelonious Monk
 モンクの最も初期の作品で、ケニー・クラークとの共作と言われている。エピストロフィーとは、或る言葉をくり返し使用することによって効果を生む修辞法、Epistropheのことだろう。同じフレーズのくり返しで強烈なインパクトを与える作風だからだ。1984年にトミー・フラナガントリオがOverSeasで披露したモンク・メドレーでは最後に演奏されたが、録音はない。
Off Minor オフ・マイナー/Thelonious Monk
 モンクの弟子、バド・パウエル(p)によって初演された作品。トリッキーなリズムとメロディ。、意表を突く和声進行を持つ。ワイルドでユニークなモンク作品の個性を失うことなく、洗練された演奏解釈と美しいタッチで仕上げるのがデトロイト・バップ・スタイルだ。
フラナガンは名盤《Thelonica》 ('82)に収録。

第2部へ続く