第10回Tribute to Tommy Flanagan
by Tamae Terai

【第1部】

 1.The Con Man (Dizzy Reece) ザ・コン・マン
 
 第10回の節目となるトリビュート・コンサートのオープニングは、ビバップ独特の活気に溢れた曲、コン・マンとは「サギ師」のこと。“スティング”などアメリカ映画には、スマートで鮮やかな手口を見せるヒーローとしてのサギ師がよく登場する、彼らのかっこよさはヒップなバッパー達と共通するイメージだ。
 トランペッター、ディジー・リースの作品なので、生前フラナガンがこの曲を紹介する時、「トランペッター、ディジー…」と、わざと間をおき、客席から「ガレスピー!」と声がかかるとおもむろに「…リースの曲を演ります。」と言って笑いを誘ったものだ。
 フラナガニアトリオの鮮やかな演奏は、トミー・フラナガンの最高にヒップな語り口を思い出させてくれる。 
フラナガンは《Beyond the Bluebird》('91)に収録


Beyond the Bluebird

ジャケットはニカ夫人の愛娘、ベリット・ド・クーニングスウォーターのデザイン
。 

2.Beyond The Bluebird ビヨンド・ザ・ブルーバード

 「ブルーバードの向こうに」というタイトルのこの作品はトミー・フラナガンのオリジナル。デトロイトのジャズクラブ<ブルーバード・イン>を巣立ち巨匠と成ったフラナガンが、人生を回想する趣の作品だ。
 フラナガンによれば、<ブルーバード・イン>は「常連がミュージシャンを応援してくれたアットホームな素晴らしい所で、雰囲気がOverSeasと似ていた」と言う。
 青い鳥が生んだデトロイト・バップが、海を越え、遥か日本で寺井尚之というピアニストとOverSeasというジャズクラブを生んだ事を想いながら聴くと、一層感慨深い。自然な親しみやすいメロディで、デトロイトのお家芸である左手の“返し”と呼ばれるカウンター・メロディが印象的だが、転調が多い難曲。寺井尚之はこの曲がリリースされる前にすでにフラナガンの自宅で写譜して自分のレパートリーに加える事を許された。
 フラナガンは同タイトルのアルバム('91)、《Flanagan's Shenanigans》('93)、)に収録、寺井は《Fragrant Times》('97)に収録。


ブルーバード・イン
デトロイト

3.Smooth as the Wind
 スムーズ・アズ・ザ・ウインド

 '40年代、Bebop全盛期の立役者として活躍した作編曲家-ピアニスト、タッド・ダメロンの作品。『ダメロンの作品にはオーケストラ的なサウンドが予め組み込まれているので演奏しやすい』とフラナガンは言う。
 本作品はフラナガンが、様々なフォーマットで、くり返し愛奏した。
 元々ブルー・ミッチェル(tp)のストリングス入りアルバム('61)のタイトル曲で、トミー・フラナガンが参加している。唯美主義者、ダメロンの特質を端的に示す作品でカラフルな展開の楽しさは万華鏡を覗いているようだ。
 レコード以外に、'87年ヨーロッパ楽旅の際、オランダのラジオ番組でストリングスをバックに繰り広げたフラナガン・トリオの名演や、'88年にリンカーン・センターでチャーリー・ラウズ(as)と共演したタッド・ダメロンへのトリビュートコンサートも伝説的である。
 フラナガンは《Positive Intensity》('75)と上述の《Smooth As The Wind》Blue Mitchell('60)に参加。寺井は《Flanagania》('94)に収録。

ブルー・ミッチェル
“スムーズ・アズ・ザ・ウインド”
4.That Tired Routine Called Love
    ザット・タイヤード・ルーティーン・コールド・ラヴ

 “何度恋をしても、うまく行かない。もううんざりなはずなのに、やれやれ…君みたいな素敵な娘に会うと、飽きもせずに、恋のドタバタを繰り返す僕”ユーモラスなラヴソングの作曲者マット・デニスは、フランク・シナトラのヒット曲の作者として有名だが、自らも弾き語りの名手であった。デニスは自分のショウに、一流ジャズメンを好んでゲストに招き、共演したミュージシャン達は彼の曲をレパートリーに取り入れた。
 フラナガンがレギュラーを務めたJJジョンソン(tb)がこの作品を愛奏したきっかけも、'55年のデニスとのクラブ出演だった。ひねりのある彼の作風はバッパー達のチャレンジ精神を刺激する。本作品も、自然に口づさめるメロディでありながら、転調が頻繁にある難曲。フラナガンはJJジョンソンのリーダーアルバム《First Place》でサイドマンとして初録音、30余年後に自己の名盤《Jazz Poet》('89)に収録した。録音後にもライブで愛奏し、数年後には録音ヴァージョンを遥かに凌ぐアレンジに仕上がっていた、現在は寺井尚之がそれを引き継ぎ演奏し続けている。
 フラナガンはJazz Poet ('89)に、寺井尚之はAnaTommy('89)に収録。

マット・デニス
5.Lament ラメント 
 
 ラメントは『哀歌』と訳せばよいのだろうか。初リーダー作《Overseas》を録音した当時に、レギュラーとして共演していたトロンボーンの神様J.J.ジョンソンの作品中、最も有名な曲。フラナガンはJ.Jを「ミスのない完全主義者」と評し、その演奏は「本来のトロンボーンのプレイとは全く一線を画した別物」と語っていた。
 叙情的であるけれどセンチすぎず、気品に満ちた作風はフラナガンにぴったりだ。ライブでは盛んにこの曲を演奏したが、自己アルバムでの録音は《Jazz Poet》('89)だけ。ライブでは、レコーディングよりずっと進化したものが聴けるのがフラナガンだった。今夜の演奏でのセカンド・リフはトミー・フラナガンのもの。
 フラナガンはJazz Poet ('89)、寺井尚之フラナガニアトリオはDalarna('95)に収録

ジャス・ポエット
6.Medley:
Thelonoca
セロニカ
  〜Mean Streets
ミーン・ストリーツ
 
  
フラナガンのオリジナルを組み合わせ、フラナガン音楽のエッセンスを抽出して見せるメドレー、寺井尚之以外に聴かせられるピアニストは現在いないだろう。

 <セロニカ>は、セロニアス・モンクと、パノニカ男爵夫人を繋げた言葉。二人の稀有な友情に相応しく、甘さを控えた硬派のバラード。ニカ夫人は、フラナガンのプレイを愛し、晩年もフラナガンが出演するクラブによく顔を出し、客席に華を添えた。カジュアルな雰囲気のジャズクラブに、美しいカクテルドレスをまとったパノニカが現れると、一瞬にして、その場の雰囲気が華やかになった。ヴィレッジの通りに待つ運転手付きのベントレーと共に異彩を放っていたのが懐かしい。
 フラナガンは《Thelonica》('87)に2ヴァージョン収録。


 続<Mean Street>はフラナガンの初期の名盤《Overseas》('57)では、<ヴァーダンディ>と いうタイトルで収録、エルビン・ジョーンズのブラッシュ・ワークが鮮烈だが、'80年代終わりに弱冠20代だったケニー・ワシントン(ds) がフラナガン・トリオに加入してから、ケニーのあだ名、ミーン・ストリーツ(デキる野郎)に改題された。ケニー・ワシント ンのレギュラー時代('88−'89)にもっとも良く演奏された作品。フラナガニアトリオでも河原達人のフィーチュア・ナンバーとしてファンに愛されている。
 フラナガンは<Verdandi>として《Overseas》('57)、《Encounter》Pepper Adams名義('68)に、<Mean Streets>として《Jazz Poet》('89)に、寺井は《Flanagania》('94)に 収録。

モンク&ニカ

若き日のパノニカ夫人

7.Dalarna
 ダラーナ

 フラナガンの初期の代表作《Overseas》('57)の中の印象的なバラードで、録音地スェーデンの美しい地方の名前。サンタクロースが住むと言われるサンタクロース村はここにある。
 フラナガンはこの録音以来、ダラーナを愛奏する事はなかったが、'95年に寺井が自己リーダー作のタイトル曲として録音し、それがフラナガンに《Sea Changes》('96)で再録音を促すきっかけになった。録音直後フラナガンは寺井に電話をしてその事を報告している。同年のOverSeasでのコンサート(ピーター・ワシントン/b、 ルイス・ナッシュ/ds.)では、寺井の録音と全く同じ構成で演奏し、寺井のフレーズを挿入、満員の会場を沸かせた。


8
.Tin Tin Deo
 ティン・ティン・デオ

  ビバップ時代ディジー・ガレスピー(tp)楽団で活躍し、アフロ・キューバン・ジャズの創造者となった、キューバ生まれの天才パーカッション奏者、チャノ・ポゾの作品。文盲であった為に、彼の口づさむメロディを、ガレスピーと側近のギル・フラーが採譜し、この名曲が出来上がった。
 土着的なラテン・リズムと哀愁を帯びたメロディを基に、より一層デトロイト・バップの品格が際立つ名ヴァージョンを作り上げたのはトミー・フラナガンの功績だ。セットの締めくくりとしてなくてはならない演目である。
 フラナガンは《Flanagan's Shenanigans》('93)《The Birthday Concert》('98)に、寺井は《AnaTommy》('93)に収録。

Chano Pozo(1915-48)
酒場の乱闘に巻き込まれ不慮の死を遂げた。

第2部へ続く