〈Over the Rainbow〉 E.Y. Harburg 作詞 / Harold Arlen 作曲 (原詞は上をご参照ください)
=ヴァース(映画では未使用)=
世界中がどうしようもなく混乱し
大雨が到るところに降ると
神様が魔法の道を開いてくれる。
黒い雲が空に立ち込めると、
虹のハイウエイが見つかる、
あなたの家の窓から太陽の後ろ側、
雨のもう一歩向こうまで…
=コーラス=
虹の彼方の
お空のどこか
ずうっと前に、
子守唄で聞いた国がある。
虹の彼方のその国は
晴れ渡る青い空、
身の程知らずの夢も
きっと叶う。
いつかお星様にお願いしよう、
目覚めたときには、
黒い雲は過ぎ去り、
悩みはレモン・ドロップみたいに溶けている、
煙突よりもずっと高い
素敵なところにいるんだもの。
虹の彼方のその場所には
幸せの青い鳥が羽ばたく、
鳥が虹の向こうに飛べるなら、
私もきっと行けるはず。
小さな青い鳥が
虹の向こうに飛べるのなら、
私もきっと行けるはず。
=このシーンはダルい=
映画『オズの魔法使い』中、カンザスの農家で暮らすあどけない少女ドロシーが、納屋の横で〈Over the Rainbow〉を歌うモノクロの場面は、映画史上最高の名場面のひとつとされていますが、実のところ、このシーンは編集段階で3度もボツにされていたのだ。その犯人は共同プロデューサーで、後にハリウッドの黒幕として名を馳せたエディ・マニックスと、映画監督チームのアンカー役を務めたヴィクター・フレミング(左写真)だ。フレミングはこの作品の後の「風と共に去りぬ」で映画史に残る名監督となる。アングロ・サクソンで大きな体躯、威厳に満ちた風貌のフレミングは、音楽担当チームでNYのユダヤ系移民であるハロルド・アーレンとイップ・ハーバーグをオフィスに呼びこう言った。
アーレンとハーバーグは、〈Over the Rainbow〉が映画の最強のナンバーであるという自負があり、この一曲に賭けていたのに…
温厚な性格のアーレンは嘆き悲しんだ。対照的にハーバーグは反骨精神の塊、「てやんでえ、べらぼうめ!」とNY弁でまくしたて、自分に脚本の手直しを任せてくれた共同プロデューサー、アーサー・フリードのオフィスへ!このシーンをカットすれば映画が台無しになる!と熱弁をふるった。フリードは作詞家出身でユダヤ系の大物プロデューサーとして、かねてからハーバーグの才を認め信頼を寄せており〈Over the Rainbow〉の良さもよく理解していたので、彼のためにひと肌脱ごうということになった。フリードが直談判したのは、監督やプロデューサーよりもっと地位の高い人物、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創設者にして最高責任者であるルイス・B・メイヤー(左写真 w/J.ガーランド)である。
今から80年前の1939年8月、ハリウッドでプレミア上映されたファンタジー・ミュージカル『オズの魔法使い』の劇中歌〈Over the Rainbow〉は、アメリカ第二の国歌といわれるほど親しまれ、80年以上経った現在も様々な国で、ジャンルを超えた多くのアーティストが取り上げている。主役のドロシーを演じ、自分のために初めて書かれたこの歌を初演したジュディ・ガーランドは当時16才、この映画を機に国民的スターとなった彼女は、短く悲劇的な47年間の生涯を通して歌い続けた。
書きます、書きますと言いながら、なかなかアップデートできないInterlude、何で今さら、〈Over the Rainbow〉のようにシンプルな歌を取り上げようと思ったかというと、昨年「トミー・フラナガンの足跡を辿る」で聴いた、トミー・フラナガンの『ハロルド・アーレン集』のプレイに改めて感動したのこと、そして、この歌、この映画が生まれた時代を今一度見てみようと思ったからです。
=原作にない『虹』の仕掛人=
映画『オズの魔法使い』は、 “アメリカの子どもたちに、グリム童話やアンデルセンではないアメリカのおとぎ話を!”と、フランク・ボームが1900年に書いた『オズの魔法使いシリーズ』の中の『The Wonderful Wizard of Oz』 を基に、280万ドル(約3億円)という製作費を投入して作られたファンタジー映画だった。ほぼ同時期の、ジャズ・スタンダード曲の源泉、『有頂天時代(スイング・タイム)』『トップ・ハット』といったフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース主演のヒット・ミュージカルの予算が100万ドル以内であったことを考えれば、途方もない超大作ということになります。ところが、製作プロデューサー陣はミュージカル映画に関してはド素人に近く、他にも複数の作品を抱えていて忙しいったらありゃしない。企画段階で主演のドロシー役を予定していた子役スター、シャーリー・テンプルちゃんの獲得に失敗(一説にはプロデューサーの一人がセクハラをしたためとも言われている。)、その代わりに抜擢されたのが、歌はうまいが端役扱いだったジュディ・ガーランド、実年齢より幼い少女を演じるため、映画会社の指示でアンフェタミン(覚せい剤)の服用で体重を減らして役作りをし、それが後年の薬物依存に繋がったとされています。この歌を含め、映画音楽を担当したハロルド・アーレン(作曲)&イップ・ハーバーグ(作詞)が決まったのはクランクインの5カ月前、その時点では監督すら決定していなかった。結局、撮影の土壇場に4人の映画監督と11人の脚本家による大所帯が編成される。しかし「船頭多くして船山に登る」という諺どおり、ライター達に物語の展開で意見の相違が生まれ、最終的なシナリオがなかなかまとまらない。そこで、共同プロデューサーのアーサー・フリードがまとめ役として白羽の矢を立てたのが作詞担当のイップ・ハーバーグだった。何故ならハーバーグは、ブロードウェイとハリウッドで修羅場を潜り抜け、まとまらないものを剛腕と人望を駆使して現場でまとめ上げる”ショウ・ドクター”の異名を取っていたからです。ハーバーグがかつて一緒に仕事をした実力者が揃う脚本家チームの内でも、当時無名の南アフリカ出身のライター、ノエル・ラングレーのドラフトが気に入り、そこに自分達のミュージカル・ナンバーがストーリーの一部として自然に収まるようにリライトした。シナリオ・チームのブーイングには映画に登場するカカシのように知らんぷり、ライオンの如く威嚇しながら、ブリキの木こり同然にシークエンスをぶった切って、ここぞという箇所に自ら科白を書き入れた。何度も一緒に仕事をして、気心知れたダンス部門のスタッフ達との共同作業で、歌からダンスへという自然な映画の流れを作って行ったのです。この映画の脚本、脚色にハーバーグはクレジットされていませんが、陰のチーフ・シナリオライターがハーバーグだったことを当時のクルー達が証言しています。
小麦とトウモロコシの畑が果てしなく続くカンザス、農場の片隅で眺める『虹』に夢を託して歌う〈Over the Rainbow〉、このモノクロの名シーンこそハーバーグの創造物だった。
ハーバーグにとって「虹」は『夢』や『憧れ』の象徴として非常に特別な思い入れがあり、彼が創った様々な歌や作品に登場していて、かねがね『虹の仕掛人(Rainbow Hustler)』と自らを呼んでいた。中でも、この『Over the Rainbow』と、作詞、脚本&脚色に本格的にコミットした『フィニアンの虹』が代表的な仕掛けだと言えるでしょう。
=産みの苦しみー幻の『虹』=
〈Over the Rainbow〉は映画の中で最初に登場する歌、それもバラード、観客の心を掴みにしたい勝負のナンバー!ところがアーレンにとってが、最後まで産みの苦しみを味わったのが、この〈Over the Rainbow〉だった。ハーバーグから提示された曲のイメージは”「憧れ」を表現するバラ―ド”だったが、いくら考えてもメロディーが浮かばず行き詰まってしまった。曲を仕上げなくてはギャラがもらえない…気分転換に妻と映画でも見ようとチャイナタウンまでドライブする車中で、だしぬけに冒頭の8小節が閃いた。まさに天の啓示!意気揚々とハーバーグにピアノで聴かせたのだが、冒頭のオクターブで跳躍するオペラチックな曲想に、ハーバーグは思わずこう言った。「おいおいハロルド、これはテノール歌手のネタで、子供用じゃないだろうが…」キツい一言にアーレンはガックリして再び意気消沈…ハーバーグは、なんでも思ったことをズケズケ言っちゃうニューヨークの下町に育ったことを悔やんだ。しかし、何かにつけ互いにアドバイスし合う共通の親友であり偉大なる作詞家、アイラ・ガーシュウィンの助言が曲を救った。彼の言うように、少しテンポを変えてみたら、大仰さが文字通りレモン・ドロップのように溶けてなくなったのだ。次はサビだ!アーレンの居間のピアノの前で二人があれこれ考えている間に、愛犬が居間からどこかに行っちゃった。アーレンは落ち着きのない小型犬を呼び戻すため、手元に置いていたホイッスルをピロピロと鳴らした。すると、そのピロピロいう音がいいんじゃないか、ということになりサビが出来たのです。〈Over the Rainbow〉は二人の才能と、一人と一匹の友に助けられて完成したのだった。
すったもんだの末、映画は綿密な編集作業を経て、ようやくファイナル・ヴァージョンが完成!しかし、そこから〈Over the Rainbow〉のシーンは消えていた。(つづく)
テナー奏者、ベニー・ゴルソンがハードボイルド映画のイメージで作曲したマイナー・ムードの作品。ゴルソンはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズや、自己セクステットで録音、フラナガンはゴルソンの盟友、アート・ファーマー(tp)のリーダー作『Art』で、後にリーダー作『Nights at the Vanguard』などで録音し、’80年代に自己トリオで愛奏した。 人気ジャズ・スタンダードが多いゴルソン作品の内では知名度は比較的低いものの、フラナガンがアレンジした左手のオブリガードが印象的で、OverSeasで大変人気がある曲。
2. Smooth As the Wind (Tadd Dameron) スムーズ・アズ・ザ・ウィンド
smooth
一編の詩のような曲の展開、吹き去る風のようなエンディングまで、文字通りそよ風のように爽やかな名曲。 ビバップの創始者の一人、タッド・ダメロン(ピアニスト、作編曲家)の耽美的な作品をフラナガンはこよなく愛した。〈スムーズ・アズ・ザ・ウィンド〉曲は、麻薬刑務所に服役中のダメロンがブルー・ミッチェル(tp)のアルバム「Smooth As the Wind」の為に書き下ろした作品で、アルバムにはフラナガンも参加している。
Black and Tan Fantasy (Duke Ellington)ブラック&タン・ファンタジー
晩年のフラナガンは、BeBop以前の楽曲を精力的に開拓していた。ひょっとしたら、自分のブラック・ミュージックの道筋を逆に辿ってみようと思っていたのかもしれない。その意味で、禁酒法時代、エリントン楽団初期の代表曲「ブラック&タン・ファンタジー」は非常に重要なナンバーだ。 フラナガンがOverSeasを来訪したとき、寺井が「Black & Tan Fantasy」を演奏すると、フラナガンが珍しく絶賛してくれた思い出の曲でもある。
NYに進出したアキラは、他にアート・ファーマー(tp)やキャロル・スローンといったミュージシャンとも共演。そして、ジミー・ヒース、パーシー・ヒースの“ザ・ヒース・ブラザーズ”の一員としての長期に渡る活動(1979-82)は、数枚のLPに結実し、彼の名声が確立する。NY時代は、ドラマーとして多忙を極め、多くのレコーディングにも参加している。もう一枚の思い出深いセッションは、1989年録音のジェームズ・ムーディのアルバム『Sweet and Lovely』である。
「ジェームズ(ムーディ)はセッション前にこう言った。『私の友人が一人、このセッションに参加することになっている。もうすぐやって来るはずなんだが…』彼は、その友達が誰だか言わなかったので、てっきり、からかっているんだと思ってた。でも、それはディジーだったんだ。ディジーがやって来て、3-4曲一緒に録音した。その中の一曲が強烈に記憶に残ってる。シャッフル・ブルースみたいな曲で、二人がスキャットしたり歌ったりし始めた。すると、エンジニアのジム・アンダーソンは、それををうまくヴォーカル・トラックに仕立てた。おかげで、グラミー賞最優秀ジャズ・ヴォーカル部門にノミネートされたんだ!」 (ディジー・ガレスピーはこのアルバム中〈Con Alma〉と〈Get the Booty〉の2トラックに参加している。後者がタナの言及したシャッフル・ブルースで、ディジーは1957年、ソニー・ロリンズとソニー・スティットをフィーチャーしたVerve盤『Duets』に〈Sumphin’〉という別タイトルで録音した。)
そういうことがあって、私にお呼びがかかったんだ。録音セッションでは、終始いい感じで演奏した。ブルーベックの1曲(In Your Own Sweet Way)以外はね。その曲は変なきっかけで録音することになったんだ。マイルスの尻のポケットにその曲の簡単なコードのメモが入っていた。イントロのボイシングをマイルスが僕に指示したのを覚えているよ。彼は、自分が求めるものを常に正確に把握していたから、僕にこんな感じで囁いた。 (マイルスのしゃがれ声を真似て・・)「’ブロックコードを弾いてくれ。ミルト・バックナー風ではなくて、アーマッド・ジャマールみたいにな。」… でも、私はそういう弾き方が余り好きになれなかったんだ。一方、レッド・ガーランドがその奏法に飛びついた。アーマッドのプレイは大好きだけど、自分は彼のように弾きたいとは思わなかったんだ。」
最初の’48年のハワード・マギーのセッションでは何曲かバリトンを吹いている。それが私のバリトン・サックスでの初録音だ。ケニーとの本作も、バリトンを演奏している数少ない作品だね。 “Be My Love”で、ケニーにバリトンを吹いてほしいと頼まれてね、なにしろ身長が160㌢しかないものだから、(大型の)バリトン・サックスの演奏依頼はしょっちゅうあるわけじゃなかった。楽器が大きすぎるんだよ!バリトンを吹いたセッションは確か3回だけだよ。スリー・ストライクでアウト!ってところだ。
3.The Jimmy Heath Orchestra
Really Big! (Riverside, 1960)
Heath, tenor saxophone; Nat Adderley, cornet; Clark Terry, flugelhorn and trumpet; Tom McIntosh, trombone; Dick Berg, French horn; Cannonball Adderley, alto saxophone; Pat Patrick, baritone saxophone; Tommy Flanagan and Cedar Walton, piano; Percy Heath, bass; Albert Heath, drums
『On the Trail 』には、〈Vanity〉というバラードを収録している。これはサラ・ヴォーンのヒット曲でね、コルトレーンも私も、彼女のバラードを聴くのが大好きだった。後になって、この曲を作曲したバーニー・ビアーマンに会った。百歳以上長生きした人なんだが、私の録音した〈Vanity〉にノックアウトされた!と言ってもらえた。
〈On the Trail〉を愛奏するようになったきっかけは、ドナルド・バードとの共演だ。彼が編曲したものを、アルフレッド・ライオンのプロデュースでBlue Noteに録音する予定だったんだが、ドナルドとアルフレッドの間にいざこざがあり、ドナルドが録音をやめてしまったんだ。それなら、私がこのアレンジでレコーディングしよう、ということになった。皆は私の編曲だと思っているが、ガブリエル・フォーレ作〈パヴァーヌ〉のラインを取り入れたこのアレンジは、ドナルドのものなんだ。そのラインは元々ギターのパートではなかったんだが、私のレコーディングではケニー・バレルが弾いているので、そこは私のアイデアのようだな。
5. Ray Brown/Milt Jackson
Ray Brown/Milt Jackson (Verve, 1965)
Big-band session including Brown, bass; Jackson, vibraphone; Heath, tenor saxophone; Clark Terry, trumpet and flugelhorn; Jimmy Cleveland, trombone; Ray Alonge, French horn; Phil Woods, alto saxophone; Hank Jones, piano; Grady Tate, drums; arranged and conducted by Heath and Oliver Nelson
ここには、〈Dew and Mud〉というオリジナルが収録されている。マイルス(デューイ-)デイヴィスとマディ・ウォーターズに捧げて書いた曲で、マイルスがよくトランペットで吹いてたマディ・ウォーターズのフレーズで始まってる。このアルバムではクラークがソロを取っていて…Oh, Yeah! もう最高だよ。いいレコードだな!
Farmer, flugelhorn and trumpet; Heath, tenor saxophone; Cedar Walton, piano; Walter Booker, bass; Mickey Roker, drums
このアルバムでは、スタジオ録音と、残りはNYの近代美術館(MoMA)での演奏だ。〈いそしぎ〉をプレイした事を覚えているよ。母親が好きな曲だったので、よく演奏していたんだ。それに、私のオリジナル〈One for Juan〉も収録されている。コロンビア・コーヒーのコマーシャルに登場する農夫、フアン・ヴァルデスから名付けたんだ。「最高のコーヒーは南米だ!」って言うんだけど、私が最高だと思うのは、コーヒー豆とは違うものなんだがね(笑)
Heath, tenor and soprano saxophones, flute; Stanley Cowell, piano and mbira; Percy Heath, bass and “baby bass”; Albert Heath, drums, flute and African double-reed instrument
〈Smilin’ Billy Suite〉は、この『Marchin’ On』のために書いた曲で、ビリー・ヒギンズに捧げたんだ。彼はいつも笑顔で、周囲をみんなも笑顔にしてしまう。ビリーのタイム感はまさに完璧だ。決して大きな音で叩かずに、聴くもの心に響くドラミングをした。後になって、ラッパーのナズが(1994年のアルバム『イルマティック』に中の〈One Love〉というトラックに)この組曲の一部をサンプリングして使っている。おかげで、私達のグループが新しい世代に注目されるようになったのはいいことだった。
『Marchin’ On』の録音後、私たちはCBSに移籍した。それは重要な節目の時期だった。初めてオーバーダビング技法を使ったのもこの頃だ。私の息子、ムトゥーメをバンドに入れて共演したし、グラミー賞にもノミネートされた。新譜を発表する毎に、前作より好セールスを記録した。『Then Expressions of Life』(’80)は4万枚売れて、このバンドの最高記録だ。そして、会社は我々をクビにした!・・・仕方ない。私たちがいくら売れたと言っても、ビリー・ジョエルやマイケル・ジャクソンは数百万枚売るのだから相手にならないさ。
9. Jimmy Heath
Little Man, Big Band (Verve, 1992)
Big-band session including Heath, tenor and soprano saxophones; Lew Soloff, trumpet; Jerome Richardson, alto saxophone; Billy Mitchell, tenor saxophone; Tony Purrone, guitar; Roland Hanna, piano; Ben Brown, bass; Lewis Nash, drums
私は自分の好きな人達に捧げて作曲するのが大好きで、この『Little Man, Big Band』にもそういう曲をたくさん収録した-ジョン・コルトレーンに捧げた〈Trane Connections〉、ソニー・ロリンズへの〈Forever Sonny〉、私の師であるディジー・ガレスピーへの〈Without You, No Me〉、そしてコールマン・ホーキンスへの〈The Voice of the Saxophone〉、ホーキンスは私がハワード・マギーとパリにツアーした時の看板スターだった。
10.The Jimmy Heath Big Band
Turn Up the Heath (Planet Arts, 2006) Big-band session including Heath, tenor saxophone; Terell Stafford, trumpet; Slide Hampton, trombone; Lew Tabackin, flute; Antonio Hart, alto and soprano saxophones, flute; Charles Davis, tenor saxophone; Gary Smulyan, baritone saxophone; Jeb Patton, piano; Peter Washington, bass; Lewis Nash, drums
これまで『音の輪』は2枚のアルバムを発表していますが、昨年リリースされた〈Stars Across the Ocean〉は、ダウンビート誌で大きな評価を受けました。選者は、NPRのジャズ番組のプロデューサー、NY大学で教鞭をとるジャズ評論の大家、ハワード・マンデル氏!アメリカ人評論家が感動したジャパニーズ・アメリカンな『音の輪』の世界。日本語に訳したので、ぜひご一読ください。