ベースの神様がくれた夢のライブ
ジョージ・ムラーツ・トリオ
2006年6月7日
concert report by tamae terai
English
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メンバー:テッド・ローゼンタール(piano) Ted Rosenthal
     テリー・クラーク(drums) Terry Clarke

撮影:Makoto Gotoh

演奏曲目



ジョージ・ムラーツとは


 ョージ・ムラーツは、寺井尚之の兄貴分であるベースの大巨匠です。OverSeasに来られた方なら、きっとバンドスタンドの正面に鎮座する、OverSeasのトレーナー姿で演奏するムラーツの大きなパネルをご存知でしょう。あれは彼が1984年に初めてトミー・フラナガン3で来演した時の記念すべき姿で、ムラーツ自身も気に入っているショットです。(上写真)
  
 ジョージ・ムラーツは、現チェコ共和国、ボヘミア地方南部のピーセックという都市に生れました。チェコは昔から『弦楽器王国』と呼ばれ、“チェコ人はヴァイオリンを枕に生まれてくる”という諺もあるそうです。7歳でヴァイオリンを初め、中学校のオーケストラのベース奏者が余りにひどくて、試しに見よう見まねで弾いたムラーツの方がずっとうまかったので、入れ替わりで正団員となってしまいました。その頃から、アメリカの国営ラジオ短波放送、「ヴォイス オブ アメリカ」を聴きながらジャズに親しみます。
 
 正式にベースを学んだのは、名門プラハ音楽院、入学後一年間は、開放弦でひたすら弓弾きの退屈な基本練習でしたが、これが現在の完璧な技量の元になっているのは自他共に認めるところ、寺井尚之の教授法と共通しています。

 在学中からチェコの一流ジャズグループで活躍、チェコスロヴァキア・オールスター・バンドの一員としてハンブルグにツアー、卒業後は、家族がすでに住む、当時の西ドイツに移住しジャズ界で活躍、ドイツで演奏したアメリカの一流ジャズメンの間に、若き天才ベーシストの名前は瞬く間に知れ渡り、プラハの春がソビエト侵攻で終りを告げる直前の1968年に、バークレー音楽院特待生の名目で、アメリカに渡りました。

 その後のムラーツのジャズメンとしてのキャリアは順風万帆で皆さんもご存知の通りです。弱冠25歳で、オスカー・ピーターソン・トリオのレギュラーとなり、エラ・フィッツジェラルドのバックで、トミー・フラナガンと初共演しました。余りに引っ張りだこだったので、ビル・エバンス・トリオへの誘いすら泣く泣く断ったそうです。
 ’70年代に入ると、ジョージ・ムラーツは頻繁に来日するようになります。サド・メル・Orch.、リッチー・バイラーク(p)達同世代で結成したクエスト、オリジナリティ溢れるニューヨーク・ジャズ・カルテット、私も学生時代に少ないお小遣いをはたいて、せっせと観に行ったものです。コンビを組んだピアニストとしては、サー・ローランド・ハナ(p)、ウォルター・ノリス(p)と、OverSeasに縁の深いピアニストばかりですね。当時は細身で小柄、金髪碧眼、いかつい黒人ミュージシャン達に混じって、素晴らしいプレイを聴かせる姿は、正に「東欧の貴公子」という風貌でした。
 
 フラナガンがエラから独立した'78年からは、フラナガンのレギュラー・ベーシストとしてNYのクラブ、“ブラッドリーズ”などに出演、<Eclypso><Thelonica><Ballads & Blues>など、OverSeasに集う人たちの永遠の愛聴盤を多数録音しました。'92年にフラナガンのレギュラーを辞めてからも、ハンク・ジョーンズやマッコイ・タイナーなど、世界中のアーティストから、ムラーツへの共演依頼の電話は鳴り止む事がありません。来日もムラーツ本人が覚えているだけで55回を超えています。

 ’90年、チェコ民主化以降、アメリカジャズ界でチェコ弦楽器の伝統を誇るムラーツは、故国で英雄として厚遇され、帰国の度に寝る暇のないほどの大歓迎を受けています。チェコの前大統領ハベル氏とは亡命前からの飲み友達、プラハ城で行われたムラーツ60歳のバースディ・コンサートのCDは、ジャズピアノをたしなむクラウス現大統領のプロデュースでリリースされました。

<ジョージ・ムラーツと寺井尚之>

 寺井は'70年代の学生時代、サー・ローランド・ハナとジョージ・ムラーツのコンビ時代からジョージのファンでした。二人の出会いは、1984年、OverSeasにトミー・フラナガン・トリオを招聘した時に遡ります。当時、フラナガンの様な大物が日本の小さなジャズクラブで演奏するのは、正に異例の出来事でした。メンバーは、最高のバップ・ドラマー、アーサー・テイラー(ds)とジョージ・ムラーツ(b)、レコードでは聴けない長尺のモンクやエリントンのメドレーがたっぷり演奏され、“夢”のような一夜でした。2部ではトミーとジョージが、OverSeasのロゴ入りトレーナーに着替えてプレイしてくれたんです。
 
 初めて会ったジョージ・ムラーツは40歳、瞳の色にマッチしたブルーのワイシャツとスーツに金時計、ミュージシャンと言うよりは、ビジネスマンの様な風貌でした。以来、ムラーツの音楽を深く理解し敬愛する寺井尚之と兄弟分の様に長く親しく付き合うことになります。'89年 暮に長期のディナーショーで大阪滞在時には三食OverSeasで摂っていた事もありました。ですから、二人で隙を見てコソコソと男同士の内緒話をしているのも、不思議ではありません。
 
 私にとって、ムラーツは“義理のお兄さん”のような存在、日本に来て何か面倒な事があったり、必要な物資があるとメールが来ます。来日中、体調を崩した時には、常連のドクター・Kにもお世話になりました。
 寺井尚之とムラーツの共通点は“腰痛”と“ソフトタッチ”、楽器は違えど、徹底的にタッチをコントロールし、美しいサウンドを出す。「体に負荷をかけて、楽器を傷めず」というアプローチが共通です。トミー・フラナガンやアート・テイタムのタッチをベースに置き換えたのがジョージ・ムラーツの奏法と言えるでしょう。

 昨年スロヴァキアで行われたインタビューは、アメリカのメディアのものよりも、素顔のムラーツの語り口に近くて、面白く読みました、そこで、最も印象に残る共演者として、スタン・ゲッツ、サド・ジョーンズ&メル・ルイスOrch.と並び、トミー・フラナガンの名前を挙げています。
 
 今でも昨日の事のように思い出すのは、トミー・フラナガンが亡くなった直後に、大阪で寺井と再会した時。ムラーツは、開口一番「トミーの葬式に花を贈ってくれてありがとうよ!」と、堅く寺井を抱擁した姿。その光景に、ムラーツと寺井尚之の、フラナガンに対する深い想いを感じ、胸が締め付けられました。


<特別なコンサートができたのは…ピアノで伝えたメッセージ>

3月にOverSeasに来たムラーツと寺井尚之。
ムラーツはデジカメ持参で後ろのパネルと自分との2ショットを撮影して帰った。
撮影:宮本在浩

 

 
               
 今回のコンサートは、小さなJazz Club OverSeasだけの為に、忙しいムラーツが丹精込めて企画してくれた特別なプログラムでした。それは、フラナガンと別れて以来、寺井尚之が「ジョージは世界最高のベーシストやねんから、リーダーで演って欲しい。わしはジョージの音楽が聴きたいねん。」と長年言い続けていたのが理由の一つです。
 
 また、コンサートのレパートリーに、オリジナル曲、一般にはスタンダードでない、フラナガン時代のデトロイト・バップが多かったのは、3月に“エコーズ”のライブを聴きに来てくれた時、寺井ー鷲見コンビが、ムラーツのオリジナルや、サド・ジョーンズの曲、フラナガンやハナさんとムラーツが共演していた頃の名演目を次々に聴かせた事が大きな要因です。その夜、彼が来た時は、時差ぼけだし、明日早いから、2セット聴いて早めに帰ると言うので帰りの車も用意していたのですが、演奏が楽しくて結局最後の最後まで聴いてくれました。
 アット・ホームな楽しい夜でしたが、ムラーツは寺井尚之がどれほど腕を上げているか、鷲見和広がどれほどムラーツを聴きこんでいる実力派か、また、OverSeasのお客さま達が、ムラーツの曲や、フラナガンの演目が大好きな事を、その夜実感したのです。そして、15年以上演奏せずに忘れかけていた曲や、“相手の持ち味を引き出す名手”、フラナガンと組んでいた時代の彼自身がどんなラインやフレーズを使っていたかを、その夜まざまざと思い出したのです。
 寺井はアニキ分のジョージに向かって、コンサートのリクエスト曲などは一切言いません。その代わりに、自らのピアノを通して、ムラーツに沢山のメッセージを語りかけていたのです。

 今回は、ジャズ・エリート2006のツアーが幸運にも大阪でオフでした。ジョージ・ムラーツはヘレン・メリルと共にコンサートのゲスト・スター、メンバーは、NYの腕利きピアニスト、テッド・ローゼンタールと、ジム・ホール達との共演で知られる名ドラマー、テリー・クラークで、二人とも私達とは旧知の間柄。ジャズ・エリートを統括する日本最高のジャズ・プロモーター石塚氏も寺井尚之のコンサートの頼みを快諾して下さって、本当にありがたいことでした。
 「やるからには、適当な仕事はイヤだ。俺の音楽をやる!」とキッパリ言い放ったアニキ、こんなサムライの様に筋の通ったところもムラーツの魅力!さて、どんな音楽を聴かせてくれるのでしょうか…
 


<コンサート前夜祭> 



撮影:ヤン坊
 
 5
月末から再び来日、札幌からヘレン・メリルと「ジャズ・エリート2006」のツアーを始めたムラーツ、来日前も目の廻るほどの忙しさで、荷造りする暇もないという中、リハーサル時間やピックアップなど詳細に指示が来ます。
 コンサート前日に大阪入りして、「しゃぶしゃぶ食べたい!」とトリオのメンバーを連れてOverSeasにやって来ました。ジャズクラブでしゃぶしゃぶとは、開店以来初(!)メニューですが、アニキのリクエストですから、極上の食材を仕入れ、土鍋を持ってきて頑張りました。
 ムラーツは「神戸ビーフを食べるんだから、昼は野菜しか食べなかったぞ!!」という気合いの入れ方。還暦を過ぎたアニキですが、くるくる動く瞳は少年のように輝きます。1,2キロのお肉も山盛りの具材も、瞬く間に、3人の胃袋の中へ入ってしまいました。
 「しゃぶしゃぶはポン酢で食べるのがバッパーや!」と力説する寺井を尻目に、皆、胡麻だれも結構好きな様子。昔よりずっと旺盛な食欲に「元気やねんなあ・・・」と寺井もにっこり!
 
 「明日のコンサートは、平日だけど、北陸、関東や九州からも、熱心なお客さんが来るし、ジャズライフも取材に来るの。皆それだけ、ジョージのバンドを渇望しているのよ。」と言うと、テリーが「明日のリハーサルはしっかりやろう!」と、プロの表情に戻りました。

 一方、当夜のライブは、寺井尚之と宮本在浩(b)に菅一平(ds)の友情出演によるピアノトリオ、寺井尚之は翌日のコンサートを想定し、ムラーツのミュージシャン魂を刺激しようと、あの手この手の作戦を立てます。全てがジョージ・ムラーツのオリジナル曲(3-1)や、トミー・フラナガンと演奏した名演目ばかり。極めつけは3−2のパッション・フラワー、これはトミー・フラナガン3時代に、ジョージ・ムラーツのフィーチュア・ナンバーとして毎回演奏していた曲で、ムラーツ自身のアルバムにも収録しています。演奏中はムラーツが一生懸命テッドとテリーに曲目の説明をしています。

 最後にちょっと遊びでと、バンドスタンドに上ったゲスト達、最初は、なんと今日が誕生日の寺井尚之への“ハッピー・バースデイ”!そして極上のジャズ・スタンダードを2曲、最後はムラーツのアルコがハッピー・バースデイをソロで奏でて、明日への期待が一杯!

 ディナーの後のリラックスしたムードの中でも、テリー・クラークはひとり入念にドラムセットをチェックして、明日の為にセッティングしています。不要なタムをはずし、高さを整え、それから譜面立てを好みの高さにガムテープを使って調整している姿に感動。

お客様に混じってライブ見物:
撮影:ヤン坊 

前夜祭曲目
<1>
1.G.Mのテーマ(Sophisticated Lady)
   〜Bitty Ditty
2.Smooth as the Wind
3.Lament
4.Minor Mishap
<2>
1. A Foggy Day
  - They Say It's Spring
2. Embraceable You - Quasimodo
3. If You Could See Me Now
4. Rachel's Rondo
<3>
1. Picturesque
2. Passion Flower


  ★ ゲスト達
Happy Birthday
Whisper Not
'Round Midnight

<リハーサル風景>

撮影:Makoto Gotoh    
 
 今日は、ジャズ・エリートのツアーと別に、ムラーツが自己トリオとして、OverSeasの為に特別に選んだプログラムです。来日のずっと前にムラーツは、リハーサル&サウンドチェックとして2時間(!)という長い時間を確保するよう指示して来ました。腰痛を抱えるアニキにとっては、本番を含め限界の長さです。椅子に座ろうともせず、短い休憩一度を挟んだだけで、トリオ全員が集中して、2セット分の難曲ばかりのプログラムを、瞬く間にまとめて行きます。

 ムラーツが持参したベースは、ダーク・ブラウンのチェコの名器で、OverSeasでは初めて使うものです。これまではムラーツがイタリアで見出した背面がフラットな薄めの色のオールドの楽器、ウォルター・ノリスさんが“カナリア”と呼ぶ如く、さえずるような明るい音色を持つ名器でした。今日の楽器はそれに比べて、熟成した上等のワインのようにコクのある深いサウンドです。これも、近いところで音を聴くと、違いがよく味わえます。60歳を超え、円熟の境地にあるムラーツには、こちらの楽器の方がぴったり来るのかもしれません。

 一方テッド・ローゼンタールは、ジョージ・ムラーツとトリオで仕事が出来るのを、すごく誇りに思っている様子がありありと判ります。今回のコンサートのチラシも記念にごっそりとかばんに詰めました。ピアノを触って、名人川端調律師の仕上げに大満足です。
 ドラムのテリー・クラークは、7枚のシンバル(!)を持参し、会場の広さを考えながら、プロゴルファーの如く入念に考えながら4枚をセット。全て変形した特注シンバルで、道具に対するこだわりの深さを感じます。河原達人のドラムに対する注文などは一切なし。足元はPUMAの黒いレーシングシューズ、これも足さばきが楽なこだわりの逸品、タキシードでも、シューズは替えないと言ってました。譜面立ての高さも全て抜かりなしの段取りのよさ、終始にこやかですが、頭の回転が凄く速そうです。
名手テリー・クラーク撮影:Makoto Gotoh
 
 テッドはMDをセットし、録音までしながらリハを進行。ムラーツは無駄なく、的確に音楽的な指示をしながら、テキパキとリハを進めていきます。トリオでは初めて合わせる曲が多い様子、2時間があっと言う間に経ってしまう密度の濃いものでした。
 腰痛のムラーツですが、リハでも椅子を使わず、ずっと立ったままで演奏しています。大きなホールばかりの間のエアポケットのように小さなOverSeasのコンサートの為に、物凄い気合いで準備してくれるムラーツのサムライ精神と、テッド、テリーのミュージシャン魂に何度も頭を下げたのでした。

 本番前はムラーツの大好きなOverSeasのそばサラダで腹こしらえ、皆とてもよく召し上がります。食事をしながら、改めて、きっちりと曲順,構成を確認、その間にも続々とお客様が来られました。顔馴染みになっている常連さん方とも気軽に挨拶しています。 

<第1部>

撮影:Makoto Gotoh
 いよいよ本番!満員の会場は期待と熱気が入り混じり静まり返っています。コンサートでは、パリっとしたダーク・スーツの多いムラーツですが、今日は素肌に腕回りがゆったりとした黒いブラウスにブルーグレーのブレザー、大きく開いた衿がボヘミアンの端正な顔立ちを一層引き立てています。ピアノに向かうテッド・ローゼンタールはベージュのチノパンにブルーのブレザー、笑顔を絶やさず、いかにもNYの音楽学校の先生という出で立ちでジョージと対照的です。ドラムのテリー・クラークは白地にストライプの入った清潔感溢れるシャツ姿。昨夜ディナーでリラックスしていた姿から一転し、ドラムのスツールに座ると背筋をピンと伸びて、見るからに技のある風貌です。向かって右手においた譜面台もスックと立っています。

 オープニングは“ペッパー”、恐ろしくハードなバップ・チューン、流石、元トミー・フラナガンのパートナーらしく、第一ラウンドから強烈なパンチをブチかます選曲に心の中で喝采を叫びました。
“ペッパー”とはバリトン・サックス奏者 ペッパー・アダムスのこと。ムラーツとはサド・メルOrch.時代からの親友で、フラナガンやハナさんとも幼馴染のデトロイト・バッパーです。小柄な体に似合わないパワー、“ナイフ”と呼ばれる切れの良い演奏が身上、竹を割ったような気質と、ユーモアのセンスでミュージシャン仲間に敬愛されました。これは、そんなペッパーのフレーズをエッセンスに、ムラーツが仕立てたバップ・チューンで、コード進行は“ステラ・バイ・スターライト”を基にしています。トリオがユニゾンで繰り出すテーマの迫力は圧倒的!テッドのテクニックも凄いものです。ドラムソロになると、すぐムラーツはジャケットを脱ぎます。黒いブラウスの素肌は、すでにピンク色に上気して、大人の色気が溢れました。

 二曲目は、ムラーツが最もよくレコーディングしているオリジナル、“ウィステリア”(藤の花)、神秘的なムードが忘れがたい作品です。OverSeasの壁面に飾られたムラーツ直筆の譜面は、フィリップ・モリス・スーパーバンドで世界ツアーした際、寺井尚之に持って来てくれたものです。3月にムラーツがOverSeasに来た時には、エコーズのこなれた演奏が彼を喜ばせました。「今日は少し違ったアレンジで。」とムラーツがアナウンス、テッドの長いルバートから、テーマはサンバとなり一曲目と鮮やかなコントラストを作ります。ムラーツが取るテーマに伴走するテリー・クラークのドラミングは正確無比、ベースのダイナミクスにぴったり合わせて、出すぎたり、引っ込みすぎたりする事が一瞬もないのに、舌を巻きました。譜面を読み、音楽全体の起伏を完璧に理解し、チームプレイに徹するテリーの美技、傍らで見守る菅一平、河原達人の両ドラマーの顔は、楽しそうにゆるみっぱなしでした。

 「トミー・フラナガンともよく演った曲ですが、今日はテッドのアレンジで…」と始ったのは、ハロルド・アーレンの名曲“スリーピン・ビー”、「蜂があなたの手の中で眠るなら、その恋は成就する。」というカリブの不思議な言い伝えを歌った曲です。フラナガンはOverSeasで’96年に演奏したことがあり、寺井尚之も夏には演奏するおなじみのレパートリーです。今日は、テッドが自己アルバム<スリープレイ>(playscope)に録音して、「蜂を起すような」と語っているアレンジだったので、耳慣れたインタールードは聴く事が出来ませんでしたが、良くスイングしていました。
 そして、ムラーツは1セット目の山場を四曲目に持って来ました。弓の神業が堪能できる“ハート”のメドレーです。“魅せられし心”から“愚かなりわが心”へ、どちらもビル・エヴァンスの演奏で知られていますが、ムラーツの演奏解釈は、エヴァンスのヴァージョンより一層円熟の香りを放ち、客席はうっとり。聴く者を心を真綿でくるんでしまうような、ムラーツならではの音色、あくまでスムーズに動く弓、チェコの名器が勝手に直立し、ひたすら弓を滑らすムラーツが楽器に寄りかかっているようにさえ見えます。
 これ見よがしなウルトラCではなく、あくまでさり気なく出てくる超絶技巧…生音のヴァイブレーションがOverSeasの床や壁に伝わり、部屋全体がムラーツの美しいベースの音色に共鳴しているのを体感できるのは、本当に嬉しいものです。弾き終わった後、客席から、うっとりとした感嘆のため息が聞こえてきました。
撮影:Makoto Gotoh
 
「次はテッドの作品を」とムラーツが紹介すると、テッドは、教室で先生に誉められた優等生の様な嬉々とした笑顔で応えました。<スリープレイ>に収録された“ニューテーマ”という作品で、元々、ピアノとオーケストラの大作のモチーフとして作った曲だそうです。
 いかにもNYの主流派といったモダンでなピアノが楽しめました。
撮影:Makoto Gotoh
 続いて、スタンダードの“アイ・シュッド・ケア”、今回のジャズ・エリートに行かれた方は、Gムラーツ・スーパー・カルテットのヴァージョンをお聴きになったことと思いますが、今夜はトリオで丁々発止のバースチェンジが聴けました。張り切ったテッドは、パウエルの“ウエイル”を引用、強力なテクニックをガンガン出して、ガッツを見せつけます、一方ムラーツはあくまで懐の深い横綱プレイ、テリー・クラークはトリオのバランスを崩さぬように配慮しつつ、美技を繰り出し、大人の渋さに唸りました。

 1部の締めくくりは、パーカー・ブルースの極めつけ、“オー・プリヴァーブ”!ムラーツのバップ魂が炸裂!ハーモニクスやハイポジションのスーパープレイが、何気なく出て来るベース・ソロは、バップの歌心が一杯!70分を超える第1部は、瞬く間に過ぎました。

 休憩中もファンやに取り囲まれて、休むどころか、もみくちゃになっているムラーツ達、一方テッドは入り口で自作CDの臨時即売会、あっと言う間にCDのケースはスカスカになっています。
 更に満員となった会場、立ち見でもいいと来られたお客様達にも、小さな椅子をお出ししたために、OverSeasは足の踏み場もなく、ホール係りの私達は、躓きそうになりながら大忙しです。アニキは「お前よう働くなあ・・・」と目を丸くしてます。

<第二部>

ジョージ・ムラーツ

テッド・
ローセンタール

テリー・クラーク
全て撮影:Makoto Gotoh
 いよいよ、セカンドセット、寺井のコールでバンドスタンドにスタンバイするや否や、「珠ちゃーん、水こぼしはったでー」と寺井の呼び声、なんと私がベースアンプの足元に用意したミネラルウォーターにムラーツが足を引っ掛けてしまったのです。名器が濡れたらどうしよう・・・譜面はすでにびっしょり濡れています。床を拭きながら、「ごめんなさいっ!!」と私は真っ青、でもムラーツは「いや、僕が悪いんだよ。大丈夫、」と優しくかばってくれました。そして、用意を待つメンバーに、小声で“God Bless Us!”と気合いを入れると、二人も“Yeah”と応えるのが聞こえました。

  おもむろに、「感電しないようにしながら2部を始めます。」と軽いジョークから、寺井−鷲見コンビのエコーズ(リンク)の愛奏曲、“ピクチュアレスク”をコールすると、客席が大きな拍手で応えます。“ノー・グレイター・ラブ”を基にした躍動感溢れる作品で、ムラーツと同様、チェコからアメリカに移り才能を開花させた音楽家、ドボルザークの“ユーモレスク”をもじったネーミング。前列で聴く鷲見和広の背中が一層前かがみになり、演奏者と聴く者の気迫が空中で火花を散らす雰囲気の中、ムラーツのピチカートが繰り出す完璧なメロディ、そして水も漏らさぬレガートの効いたランニングは、鳥肌の立つ素晴らしさ!

 次は一転して、ショパンのノクターン、クラシックに造詣深いテッドのテーマに絡むムラーツのオブリガートと、ソロでは伸びの良いベースの音色を堪能しました。

 三曲目は、お待ちかねOverSeasで人気抜群のサド・ジョーンズの作品、寺井の愛奏曲“3 + 1”、3月遊びに来た時には寺井尚之とデュオで聴かせてくれました。ムラーツは「'72-'77にサド・メルOrch.に在籍中に、愛奏していた曲です」と紹介、その頃来日した若きムラーツを傭するサド・メルはビッグバンドのドリーム・チームでした!私は高校時代、TVの特番で観てぶっ飛んだ記憶が鮮烈です。その頃は、よもやジョージ・ムラーツをアニキ呼ばわりする人生になろうとは予想もしませんでした。デトロイト・バップ極めつけの茶目っ気と品格を併せ持つテーマが、再びベース−ピアノのユニゾンで呈示されます。フラナガンの演奏していたメロディと少し違いましたが、こちらが、正当ヴァージョンかも知れません。お店の一番奥で聴いていても、細部まで綺麗に聴こえるケレン味のないムラーツのベース、元気一杯でテクニックをバリバリ駆使するテッド、最高のヴォリュームで出し入れするテリー・クラーク、素晴らしいトリオの味が良く出ました。

撮影:Makoto Gotoh
続いて、ムラーツがアナウンスします。「昨夜、ザイコーが弾いてくれた“パッション・フラワー”、僕も彼に負けないように上手に・・・」会場は大拍手!ビリー・ストレイホーンの名曲、“パッション・フラワー”は、数え切れないほど何度も聴いたムラーツ弓弾きの名演目ですが、何度聴いても息を呑む美しさです。 最低音から最高音まで、一瞬も乱れぬバランスと、ムラーツ・トーンとも言うべき音色、鮮烈なパッセージ、繰り出す倍音、弦に吸い付きながら円弧を描く弓の波動、紅潮する肌、なびく銀髪、豊穣なワインの如く
 何とも色気のある円熟した演奏にすっかり魅了されました。一瞬ピアノとドラムの音がなくなってしまったような魔法の瞬間が訪れ、ベースで出るはずのない最高音でのカデンツァが終わると、今夜一番大きなため息と拍手がムラーツに贈られたのです。 
 
 そして、3/4の耳慣れたスタンダード“エミリー”、会場の興奮を和らげるようにサラリとした演奏しましたが、ピアノに絡むベースのラインが最高でした。
 
 お楽しみは、まだまだこれから続きます。「次は、フラナガンとよく演った“デンジルズ・ベスト”を…」とムラーツがアナウンスすると、ムラーツのパネルの右側に鎮座するトミーの<エクリプソ>のポートレートの大きな瞳がギョロっと動いた様に錯覚しました。<エクリプソ>が出た時は、日本中のベーシストがこの曲にチャレンジしたのではないでしょうか。実は録音当時“デンジルズ・ベスト”を演ろうと言ったのはフラナガンで、ムラーツは全く初見の初演奏だったそうです。今日はその録音より少し速いテンポで演奏しました。ムラーツはエコーズのクロージング・テーマであることも先刻承知の上の選曲です。“木の葉の子守唄”のコード進行がベースになっているのですが、テッドのソロには、ヘレン・メリルのおハコ“バードランドの子守唄”が何度も挿入されます。ニューヨーカーのジョークかも… ピアノとドラムスは、さらっとしたアプローチで、ムラーツのプレイの深い味わいが一層際立ったように感じました。

 夢のコンサートの締めくくりは、トミー・フラナガンが愛した作曲家、トム・マッキントッシュの作品“カップ・ベアラーズ”でした。変則小節のカラフルな曲で、決して有名な曲ではないかも知れませんが、デトロイト・バップを聴かせるOverSeasでは大スタンダードです。フラナガンとは、<エクリプソ><コンファメーション>に収録しています。
 フラナガンが亡くなった翌年、ムラーツが、“マンハッタン・トリニティ”というトリオで大阪公演を行い、寺井が大勢で応援に行ったことがありました。その時、アンコールで、ムラーツが亡きフラナガンと私達の為にと言って、演奏してくれたのがこの曲。今夜もムラーツのベース・ソロは圧倒的、根を張ったように直立するベースにもたれかかるようにして、縦横無尽に繰り出すソロは、ベースの大巨匠の貫禄と、色香が溢れ、正に千両役者!演奏が終わると、怒涛のようなスタンディング・オベーションが鳴り止みません。。

 アンコールは、サー・ローランド・ハナとのコンビのアルバム<1×1>での名演が心に残る“イン・ア・センティメンタル・ムード”、再び弓の神業と、抑制されたプレイに夢見心地になったまま、コンサートの幕は閉じました。

 終演後は、上等のおだしで作った好物のお味噌汁をおいしそうにすするジョージ、巨匠ではなく、再びアニキの顔に戻っていました。東京のムラーツの子分で、ムラーツのルーツに触れるためにチェコへも旅行したサシダ君直送の完熟トマトも皆とてもおいしそうに食べてました。北米では、あんなにおいしいトマトはないそうです。

 殆んど四半世紀前の肖像の前で演奏する現在のジョージ・ムラーツの勇姿、今夜の素晴らしいコンサートは、この二つのジョージ・ムラーツの肖像の間に流れた長い歳月の交流がもたらしてくれたのかも知れません。
ベースの神様、ジョージ・ムラーツは、私達にとっては永遠のアニキです。

アニキ、本当にありがとう!

撮影:Makoto Gotoh

そして、
ジョージ・ムラーツ・トリオから最高の名演を引き出してくれた素晴らしいお客様、

ありがとうございました!

撮影:Makoto Gotoh

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