トミー・フラナガン・インタビューを読もう!(3)

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  フラナガンは、ホーン奏者と同様のアプローチをピアノでしていると語る。彼にとって、曲のテーマは、聴きなれた曲を作り変える為の出発点である。コンサートやクラブで真夜中が近づくと、モンク作のジャズ聖歌、“ラウンド・ミッドナイト”をよく演奏するが、同じ演り方で弾くことは二度とない。
  ある秋の夜、ノルウェイの豪華客船上で開催される『フローティング・ジャズフェスティバル』で西カリブ海を航海中、ピアノに向かうフラナガンは出だしの5分間テーマを弾かずにじらした挙句、おもむろに”ラウンド・ミッドナイト”のメロディに戻った。翌晩、フラナガンはまた違ったアプローチでこの曲を弾くのである。
<テイタム、パウエル、パーカーたち>
tatum444.jpg 「アート・テイタムには私の演りたいことの原型がある。アートの様に弾く事は誰にもできないが、ミュージシャンはどうあるべきか、その目標として、向上心を与えてくれる。彼のメロディ、テクニック、タッチ、ハーモニー・センス、全てが時代や流行を超越している。」
  「テイタムのように、いつまでも時代遅れにならないソロ・プレイを目指すのは、常に正しい!充分に長い間演奏し、あらゆる要素が合致すれば、うまく流れに乗ることが出来て、前よりは良い演奏になっていると感じるだろう。」
  「NYに出てくる以前に私が聴きこんだ人々のうち、バド・パウエルはテイタムの次に影響を受けた名手達の一人だ。テディ・ウイルソンとファッツ・ウォーラーはテイタムと同じくらい大きな影響を受けた。この三人は初めて私が熱心に聴いたピアニストたちだ。彼らこそ、”ピアノの世界:The World of Piano“だった!」
bird71520.jpg 「テディ・ウイルソンは他の巨匠よりも判りやすく、初心者の私にはとっつきやすかった。ウイルソンを理解する事はアート・テイタムに進む布石となった。
 バド・パウエルはチャーリー・パーカーと切っても切れない存在だ。彼の音楽は一生懸命取り組むのに相応しい完璧なものだった。10代の高校生だった私にとって、パーカーの音楽は、まさに進むべき道を示すメッセージのようなものだった。バドとの共演盤を聴く迄は、私が聴く器楽奏者はバードだけというという時期もあった。だがバドとバードが一緒にやっているのを聴き、これだ!と思った。二人のコラボの中に全ての要素が凝縮されていた。ビバップのピアニスティックな要素とホーンの要素が融合し、ここから全てが始ったのだ。」

  
  フラナガンは時にオリジナルを作曲し録音している。だが彼は、他の作曲家作品への嗜好が強いと明言する。
 「私は、作曲家がどのようにその曲を演奏して欲しいのかを突き止めることに没頭する傾向が、どうもあるようだ。自分で作曲する能力より、作曲家が私に説明してくれる能力の方が優れているんだろうな。デューク・エリントンの音楽を例にするなら、演奏すれば演奏するほど、私には一つ一つの音によって彼が何を言おうとしているか、彼が何故その曲を何度も演奏し、繰り返しても飽きなかったのかが、よく判るようになるんだ。
 ラッセル・プロコープ(cl)は毎晩”ムード・インディゴ”でフィーチュアされることが判っていたが、それでも26年間、毎晩、ムード・インディゴを演奏することを心待ちにしていた。そうでなくてはならないんだ!その曲が好きならば、何度演奏しようと、お客さんも自分自身も退屈なんてすることはない。」
<楽曲の真髄に到達するには>
  大いなる音楽の冒険家であるフラナガンが、一旦スタンダード作品を弾き始めると、疑問が湧く。『一体彼は、この曲を始める時に、はっきりした構想があるのだろうか?それとも、曲に誘われるまま、音楽的冒険を楽しんでいるのだろうか?』
 「どんな感じになるのか確かめているんだ。」フラナガンはこう答える。「演ってみて、流れがよくなければ、曲を乗りこなすための正しい方法を探す。つまり、自分にとって最高の流れを探すんだ。そしてうまく構成して演奏しようとする。」
 「私のレパートリーは、あちこちからとりとめなくかき集めたものだ。アメリカ・ポピュラー音楽の有名作曲家の作品もあるし、知人の作品にもこだわっている。要するに演りたいものなら何でも演る。何もガーシュインばかり演ることもない、他の人間がプレイしようと思うのであればね。私はジェローム・カーンやハロルド・アーレンの曲が好きだ。ジャズ以外の分野ではこの二人が最も好きな作曲家だ。自分の知っている古い曲をプレイしたいし、プレイのためにはより深く理解しなければと感じる。
  新しい曲には、何となく束縛されるように感じるときがある。うまく演奏する方法は一つしかなくて、良くしようとしても変更の余地がない。逆にみたいな曲であれば、20人の演奏家がいまだに20通りの方法で演奏するだろう。もう変えようがないと思った途端、モンクが全く違うヴァージョンでやっているのを聴いたりするわけだ。」
jazzpoet.jpg   現在フラナガンは新作アルバム、『ジャズポエット』を製作中。タイムレス・レーベル制作でジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)とのピアノトリオ作品である。その他チェスキー・レーベルからのフィル・ウッズの新作『ヒアーズ・トゥ・マイ・レイディ』に参加している。
let's.jpg フラナガンは近い将来、サド・ジョーンズ作品集を録音したいと言う。(名盤『Let’s』として結実)
 「私は他の人の音楽を自分なりに解釈して演奏したい。曲を作った人間を良く知っていると、より良い演奏をする事が私にとって容易になる。私は30年前に、サドの音楽をデトロイトで演奏していた。今やっと、楽曲のあるべき姿、最高の形態が見えてきた。曲の真髄に達すると言う事は、それほど長い年月と道のりを要するものなのだ。」
(了)
 いかがでしたか?フラナガンの発言には、彼自身の姿勢だけでなく、ジャズ・ミュージシャンの進むべき道が色々暗示されているように思いました。「楽曲を愛する」意味もよくよく判ります。
 翻訳にあたり、「ジャズタイムズ」のバックナンバーを提供いただき、上の同誌カラー写真もお送りいただいたジャズ評論家、後藤誠先生に心より感謝いたします。
CU!

トミー・フラナガン・インタビューを読もう!(2)

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<巨匠たちに学ぶ>
 強い音楽的個性が人気を博し、演奏スケジュールが多忙を極め、特に必要の無い限り練習をしないという贅沢を味わっているフラナガンではあるが、かつて1940年代のデトロイトでの成長期には、常に練習していたと語る。兄ジョンソン・フラナガンJr.(ピアニストとして地元デトロイトで活動し、後進の指導にあたった。弟子にはカーク・ライトシーがいる。)に倣い、迷うことなくピアノへの道を選択したのだった。
 「ほんの幼いころ、兄がピアノを弾いてるのを見つけた。背伸びをしてなんとかピアノによじ登ろうとした。最初は、兄が家でレッスンをしているのを真似て弾こうとした。8歳の頃、まだレッスンを受けていなかったが、兄の練習曲を弾いていた。10歳で、やっとレッスンをさせてもらえるようになった。私は練習がとても好きだったので、誰も私に稽古しろとやかましく言う必要は無かった。むしろ誰かが止めないといけない程だった。『さっさと表に行って遊びなさい!』ってね。」
youngKB.jpg 当時のモーター・シティ(デトロイト)は、ツアー・ミュージシャンの仕事場として、新人アーティストの育成地として、音楽的に隆盛を極めた。ドナルド・バード(tp)、ケニー・バレル(g)、ペッパー・アダムス(bs)、カーティス・フラー(tb)、メジャー・ホリー(b)、オリヴァー・ジャクソン(ds)、ビリー・ミッチェル(ts)、ハンク(p)、サド(cor)、エルビン(ds)のジョーンズ兄弟(隣町のポンティアック育ち)、ベティー・カーター(vo)…この土地から巣立ったミュージシャンは枚挙に暇が無い。デトロイトのミュージシャンの多くは、カス・テック・ハイスクールに通った。フラナガンは1930年3月16日生まれで、同世代のローランド・ハナ(p)やアルト奏者ソニー・レッドと同じノーザン・ハイスクール卒である。
 「中学に入学する頃までには、他の楽器をかなりうまく弾ける同じ年頃の子供達が何人もいた。そんな優秀な子供達は、高校入学までに、プロとしてツアーに出れる実力をしっかり身につけていた。私が15歳の頃時、ダンスパーティに行けばジーン・アモンズ(ts)が演奏していたし、バンドのピアニストはジュニア・マンスだった。彼も15歳でツアーに出ていたんだ。そんな具合だから、いやでも一生懸命練習する様になるんだ。」フラナガンは語る。
art_tatum.jpg 「音楽的に成長するのに、戦後は良い時代だった。私はあらゆるジャズの巨人たちを間近に聴けたし、会うことだって出来た。アート・テイタムはアフターアワーズの店でしょっちゅう生で聴いた。色々なピアニストが、交代にピアノを存分に弾いた後、おもむろにテイタムがピアノの前に座ると、それまでのピアニスト全員がぶっ飛ばされた。」
Image-BillieHoliday.jpgのサムネール画像レイディ・デイも、歌唱とルックスの絶頂期に生で聴いた。私はまさに彼女に恋をしていた。バードともデトロイトで何度か共演した、私がまだ十代のときだ。」
 「高校時代、ディジー・ガレスピー楽団がデトロイトにやって来た。公演場所はパラダイス・シアターと言う大劇場で、高校から歩いて行ける距離だった。その頃までに有名なミュージシャンは全て知っていた。初めてチャーリー・パーカーをジューク・ボックスで聴いたのが1945年、15歳の時だ。
 もう、そんなジュークボックスは無くなってしまったなあ。良い音楽が流行していて、良い音楽に出会うにも、上達するにも、最高の時代だった。今は、そういう音楽が無くなって寂しいし、そういった音楽を創造した人達が亡くなった事も同じくらい寂しいね。」
John_Coltrane___Giant_Steps.jpg 1956年、ケニー・バレル(g)と共にNYのジャズシーンに進出したフラナガンにとって、デトロイトでのキャリアは大きく幸いした。NYに移って僅か数日で、トランペット奏者、サド・ジョーンズが自己リーダー作に彼を抜擢。フラナガンの26歳の誕生日には、デトロイト時代にすでに親交があったマイルス・デイヴィス(tp)とソニー・ロリンズ(ts)がレコーディングに起用した。プレスティッジのセッション(『Collector’s Items』)には、<Vierd Blues><No Line>、デイブ・ブルーベック(p)の<In Your Own Sweet Way>が収録されている。その僅か数ヵ月後、ソニー・ロリンズの代表作、『サクソフォン・コロッサス』に参加、3年後には、さらに歴史的名盤の録音でスタジオ入りする事になる。ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』であった。
<エラ・フィッツジェラルド>
poster040609-24.JPG フラナガンがNYに進出した年、代役としてエラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務める。それがきっかけでエラは1962年に、正式にフラナガンを招聘、二人の音楽的コラボレーションが開始した。音楽監督として専任した1968-78を含めて、二人の共演は断続的に16年間続く。
 「歌手の伴奏はもう私のするべき仕事ではない。」現在のフラナガンは言う。
「だが、非常にやりがいのある仕事だった。他人の気質や趣味についてあれこれ気配りしなければならないのだから。…
 エラは文字通り仕事一筋で、年間52週のうち48週は仕事をする。我々は年に2回ヨーロッパ中をツアーした。伴奏者達には、余り自由に演奏させる機会を与えてはくれなかったがね。とにかく、世界中回ったよ。…」
 エラ・フィッツジェラルドの仕事に慣れたと思う間もなく、演奏のパターンはしょっちゅう変った。トリオで伴奏したかと思えば、次はベイシー楽団と一緒に何ヶ月か公演する。彼女にとっては大変な違いだ。ベイシーをバックに歌うコンサートの次の夜がトリオだったら、エラは私にこんな風に言った。
 『一体どうなってるのよ? 何が起こったっていうの?』
で、私はこう答える。
 『15人ほどいなくなったんだだけだよ。何かが起こったと言うのならね。』
  おかげで、どんなことがあっても、自分の演奏を高度に保持する術を学んだ。エラのエネルギーも芸術的レベルも本当に凄いものだったよ。」
(つづく)
 寺井尚之のコメント::師匠の若いときの回想は、わしが’70年代に思うことと良く似ています。師匠は、どんなときでも、誰よりも練習をしていました!騙されてはイケません!おわり
 ヨチヨチ歩きでピアノを弾いた天才トミー・フラナガン少年、子供の頃はクラシック・ピアノのレッスンを受けていました。恩師はグラディス・ディラードという女性の先生で、フォームや指使い、タッチなど大変厳しい指導で有名だったそうです。
 チャーリー・パーカーやビリー・ホリディと共演した話は、私たちも直接何度か伺ったことがあります。記念写真があればいいのですが、トミーは何度も引越ししていて、その間に紛失してしまったとか・・・残念です。
 それにしても高校のダンスパーティにジーン・アモンズとジュニア・マンスが来たら、ダンスするのを忘れて、グレーヴィーなサウンドに聴き惚れてしまうでしょうね!

 明日22(金)は河原達人(ds)リターンズ!23(土)は寺井尚之The Mainstemトリオ!お勧め料理は、自家製のバジルをふんだんに使ったチキンのジェノヴァ・ソース、やはり自家製の柔らかいナスを付け合せにしておいしいメニューを作ります。
CU

トミー・フラナガン・インタビューを読もう!

 暑中お見舞い申し上げます。
 「節電のお願い」CMが流れる大阪、電車に乗ると照明は薄暗いのに、冷房は寒いほど効いていて、不条理感は募るばかり・・・。
 トミー・フラナガンを愛する皆さんが暑さをしのげるよう、日本未公開のインタビューを連載したいと思います。
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 タイトルは「At the Top of His Game」、”ゲームのトップ”とは、「絶好調、絶頂」という意味、カナダのジャズ誌「Jazz Times」1989年8月号に掲載されたインタビュー、聴き手はケン・フランクリング。
 ジョージ・ムラーツ(b)、ケニー・ワシントン(ds)との黄金トリオで録音した“Jazz Poet”が世界中で評価され、「名脇役」から「主役」として真価が認められた時代。あの頃のトミー・フラナガンならではの深い言葉をお楽しみください。
「ただ今絶好調!トミー・フラナガン」(インタビュー:Ken Frankling)
Jazz Times ’89年8月号より 訳:寺井珠重
 トミー・フラナガンは、ピアノの妙技を磨くための練習をあえてする必要はないと感じている。毎晩仕事がある時はなおさらだ。彼は、練習しない理由として十の根拠を挙げる。彼の指先は鍵盤上を縦横無尽に疾走する為、硬いタコが出来て、爪は割れている。
 「こういうのが治るには時間がかかるんだ・・・」
 フラナガンは自分の両手をまじまじ眺めながら言う。
 「深夜帰宅し、翌朝起きてこうつぶやく。『ああ、また指に血が逆流してる!』これが痛いんだな!両手に休みをやりたいくらいだよ。私は時々、必要以上に力強く弾いてしまうんだ。それでまた痛くなる。」
 指の損傷は、最近のフラナガンの気合いと、引っ張り凧の仕事ぶりの証明である。彼は現在、ジャズ・ピアニストの最先端だ。ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、バド・パウエル、メアリー・ルー・ウィリアムズ、アール・ハインズというシングル・ノート・スタイルの系譜において、第一人者として安定した地位を保っている。
 1978年、16年間の長期に渡るエラ・フィッツジェラルドとの実り多き共演時代の後、フラナガンは伴奏者の役を辞すことを選んだ。以来、ソロ活動、ジョージ・ムラーツ(b)とのデュオ、ここ2年間のレギュラードラマーであるケニー・ワシントン(ds)を加えたトリオに仕事を絞り込んでいる。
 フラナガンは、どの編成も同等にやりがいがあると語る。
 「ソロ、デュオ、トリオという編成は、どれも気に入っている。私はこれらのフォーマットを交代でやるのが好きなんだ。ミュージシャンは腕が上がれば、それに見合うレベルの高い相手との共演を楽しむべきだ。」
 「我々ミュージシャンは皆、最初は一人で演奏する事から始める。そして、グループで演奏し始めると、音楽的な責任は減少し、共演者と相互に影響し合えるようになる。そしてソロに戻ると、何かが足りないように感じる。そうすると、、自分自身のプレイを、自分で聴く感覚を取り戻して、ソロという形態に自分を落ち着けなくてはならない。例えば、左手でどの位ベースノートを弾くべきかを判断する能力を取り戻さねばならないんだ。」
<ジョージ・ムラーツのこと>
gallery11.jpg 「今の私には現在ジャズ界最高のベーシスト、ジョージ・ムラーツがいる。彼と演る時には、ベース・ノートにあれこれ心を煩わせる必要はない。我々が良い領域、つまり、今迄我々が到達した事の無い高みに上る道筋は色々だ。音楽と言うものはすぐに鮮度が落ちてしまうので、注意しなくてはならない。」
  「ジョージ(ムラーツ)はオスカー・ピーターソンの所を辞めた後、しばらくエラの伴奏をしていた。そこで私は彼がどれほど良いプレイヤーなのかを知ったわけだ。彼は非常に音楽的だ。ベース奏者は、ビートを“感じさせる”のと同時に、ベース・ラインやメロディを含めたプレイを“聴かせる”ことが必要だ。彼は、そういうことを、全く苦にしない数少ないベーシストの一人だ。彼のビートの鼓動は、同時に”聴く”価値がある。また彼のイントネーションは、他の弦楽器遜色のない完璧さを備えている。」
<ジャズの詩人>
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  謙虚で穏やかな、この『ピアノの詩人』は、かつてカウント・ベイシーがシングル・ノート・スタイルのピアニストについて述べた如く、水晶の様に透明なサウンドを持っている。彼のプレイはクリアで活き活きと輝き、リリカルでありながら力強いフレーズは、強烈なバップのアクセントと、微妙なダイナミクス、思いがけなく湧き出るメロディが混ざり合ったものだ。
jackson_eric_600x200.jpg 彼がボストン地方に出演する時は、派手な広告をしなくとも常に満員の盛況だ。ラジオ番組を持つエリック・ジャクソンがWGBH-FMの自分のラジオ番組(Jazz with Eric in the Evening) のオープニングテーマ曲に、フラナガンの演奏する”ピース”を使用しているからだ。
 憂いを含んだその演奏は、フラナガン1978年録音のアルバム、(ギャラクシー)での、キーター・ベッツ(b),ジミー・スミス(ds)とのトリオのアルバムのものである。だからニュー・イングランド地方では、毎夜フラナガンの演奏がオンエアされ、作曲者ホレス・シルバーは著作料を儲けるという訳である。
(つづく)
 インタビューで「強く引きすぎて爪が割れている」という記述がありますね。Jazz Club OverSeasでも、「神様が降りてきた」ようにハードなプレイで爪を浮かせていたのを見たことがあります。でも、それは決してガンガン弾いたためではなく、最高のタッチで弾くからこそ、指に負荷がかかって爪を傷めていたのです。どんなに長時間弾きまくっても、演奏後のピアノが傷んだことはありませんでしたよ!
 追記 by 寺井尚之
 誤解をまねかいないように、4点付け加えることがあります。
(1) 誰よりもよく練習していました。
(2)指先は柔らかく、タコはありません。
(3)必要以上に「強く弾く」など、感情に左右されることはありません。常にコントロールされていました。
(4)トリオが好み。デュオ、ソロは好みでなかった。
おわり

 さて、7月16日(土)は、寺井尚之The Mainstemトリオ出演!ぜひ皆さんお越しください!
 なおメインステムのDL用新譜『Evergreen2』新発売!ダウンロードよろしくお願いいたします♪
CU

ジャズのくまモン!熱烈歓迎

furusho_image.JPG 寺井尚之(p)が、毎月熊本のJANISさんというジャズクラブで講座やライブを開催していたとき、たいへんお世話になったベーシスト、古荘昇龍(ふるしょう しょうりゅう)さんが、久々にJazz Club OverSeas訪問!
 古荘さんは、九州の各地で引っ張りだこのベーシスト、サー・ローランド・ハナ(p)の愛弟子、ジェブ・パットン(p)とツアーしたこともあります。ピアノの調律師としても評判が高く、熊本に著名なピアニストが来演するときはファースト・コール。今回は忙しい日程を繰り合わせて駆けつけてくださいました。
 寺井と共に九州でお世話になった宗竹正浩(b)、河原達人(ds)に加え、ぜひお手合わせをと、若い衆、菅一平(ds)、なんと末宗俊郎さんまでギターを抱えて参上!
 歓迎演奏はどんどん過激さを増し、夜更けには、くんずほぐれつのバトル・ロイヤルに・・・
kumamon_sesshion_1.JPG 古荘さんをフィーチュアしたカルテットは、”Ladybird”, “What Am I Here for””You Don’t Know What Love Is”それに、火曜日名物の”Just One of Those Things”を九州新幹線並スピードでサラリと聴かせてくれました。
munetake_if_you_could.JPG 久々の宗竹正浩(b)さんは、”If You Could See Me Now”で、強烈アピール!弾力のある力強いビートは健在!
 レギュラー、宮本在浩(b)はおハコのブルース”46th and 8th”でブイブイ言わせまて迎撃します。
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 菅一平(ds)、河原達人(ds)の名手二人が、手さばき、足さばき、色々凄い技を聴かせてくれて、超刺激的なリズムが溢れました。河原達人(ds)は22日(金)に正式にライブ・カムバックですので、ぜひ応援に来てください!
 プレイの合間には、旧交を温めたり、ベース談義で盛り上がったり・・・いつの間にか’Round Midnight…仲間であると同時にライバルで切磋琢磨するミュージシャンたち、お互いのプレイに真剣にプレイに耳を傾け、心底音楽を楽しんでいる姿は本当に素敵です!
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 古荘さん、遅くまでお付き合いくださってありがとうございました。いつか寺井尚之と本格的なライブでお手合わせお願いします!
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Bravo!くまモン!!大阪より愛を込めて!
CU

スタンダードてんこ盛り Evergreen2 ダウンロード 情報

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 寺井尚之The Mainstemによるスタンダード集第二弾, ” Evergreen2 “ダウンロードの段取りが、前作より数倍スピーディに完了しました。おかげで、キャンペーンが追いつかずアタフタしておりすみません。
 前作の”Evergreen”よりも、遥かに音質が向上していて、メインステムのキレの良いプレイに臨場感が生まれていると、沢山メッセージいただいています。
日本の各サイトのDL料金は1曲あたり150円、アルバム1200円。
米国のCDbaby(英語サイト)は1曲 99セント、アルバムあたり$9.99です。
 iTunesはこちらのリンクから。http://itunes.apple.com/jp/album/evergreen2/id447661008
 amazon.co.jpはこちらのリンクから。http://www.amazon.co.jp/Evergreen2/dp/B0059HPPKE/ref=dm_ap_alb2
 収録曲のうち、通常、鉄人デュオでしか余り聴けないミスティが「お気に入り」とメッセージいただきました。!どんどんダウンロード、宜しくお願い申し上げます。もしDLできないけど、聴きたいという方は私めにご一報ください。
 なお好意的なアルバム・レビューもご投稿いただければ、さらに感謝!
 Jazz Club OverSeasでは、とりあえず7月29日に、Evergreen2 収録曲について、スタンダード曲の背景や、アルバムの演奏内容を譜面も公開しながら、寺井尚之が解説する講座を行います。
 ぜひご参加くださいませ!
収録曲
1. Day by Day デイ・バイ・デイ 
2. Polka Dots and Moonbeams 水玉模様と月光 
3. There Will Never Be Another You あなたなしでは
4. Misty ミスティ
5. On Green Dolphin Street オン・グリーン・ドルフィン・ストリート
6. When Sunny Gets Blue ホエン・サニー・ゲッツ・ブルー 
7. Just One of Those Things ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス 
8. I Remember Clifford アイ・リメンバー・クリフォード

CU