林宏樹(ds)ジャズ・パーティin 四日市

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kanreki390.jpg  日頃は歩いて20歩のコンビニにも行くことなくOverSeasに籠城する寺井尚之、でも先週の日曜日は、東海のバディ・リッチ、林宏樹(ds)還暦バースデー、これはお祝いに行かねば!というわけで、ザイコウ、イッペイとThe Mainstemトリオで、林さんの本拠地、三重県四日市まで弥次喜多道中!

 「林宏樹還暦記念イベント」は、2日連続のジャズフェスティバル!土曜日はライブ(於VEEJAY)、日曜がジャズ・パーティ (於:Salaam)!「VEEJAY」さんも「Salaam」さんも名店の誉れ高い林さんのホームグランウンド、しかも両日超満員というから、恐るべし四日市ジャズ・シーン、恐るべし林宏樹!

 大阪を出発してから3時間近く・・・燃えるように咲き乱れるつつじや名残りの山桜が美しい鈴鹿山脈を越えると、そこは一面ピースフルな田園地帯。

 彼方にそびえるかまぼこ型の建物が「林宏樹還暦Jazz Party」の会場、「Salaam」さんでした。(上の写真)

 道中はほとんど人影がなかったのに、ドアを開ければ人、人、人の別世界!スタッフの美女たちも、OverSeasの林さんライブのお客様だった。地元三重だけでなsalaam_ms361.JPGく、新潟、岐阜、富山・・・全国各地から、ミュージシャンやファンがお祝いに駆けつけ、中には2泊3日の応援団も!林さんは、私にとって、高校、大学を通じ、伝説のカリスマ先輩。今でもスターなんだ!うれしいなあ、かっこいいなあ!

 <Salaam>は、2階にバルコニー席がある吹き抜けのゴージャスなスペースで、日本一の絶景ジャズクラブかも。お洒落なテラスもあって、まるでNYセントラル・パークの<Tavern on the Green>みたい!

 熊倉マスターは、優しく鋭い瞳と、サムライみたいなオーラのある素敵な方、後で知ったのですが、四日市の文化活動に貢献されている名士らしい!以前から寺井さんのCDを持っていましてね!と初対面なのに、嬉しくリラックスした気分にしてくださいました。

salaam_zaikou_ippei.JPG  ザイコウ+イッペイ・チームは、豪華なオーディオやレーザー・ターンテーブルという不思議なマシンに驚愕しつつ、トランペット奏者の唐口さんにご挨拶したりして忙しそう!

 私も大阪では滅多に会うチャンスのない高校時代の同級生(今やテナーの大御所)の宮哲之さんと、懐かしい再会ができました! 林先輩ありがとう!

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 さて、いよいよJazz Partyの始まり!

miya_tetsuyuki_karaguchi1.jpg まずは、宮 哲之(ts)、唐口一之(tp)の2管をフロントに林さんのユニット M-ARTS: 中丸雅史さん(p) 大村守弘さん(b) で、「4月の思い出」や「Shiny Stockings」のスインギーな演奏。東海のハンコックと評判高い中丸さんのプレイ、ワイルドで楽しかった!

 そして、寺井尚之メインステム登場!林さんなしのメインステムは完全アウエーかも・・・と密かに心配しましたが・・・

 おなじみ”Eclypso”から”With Malice Towards None”、宮本在浩(b)をフィーチュアした” Passion Flower”、タッド・ダメロンの”Our Delight” まで、じっくり楽しく聴いてくださって、四日市のジャズ・コミュニティを拝みたくなりました。

 hisayuki_terai_salaam1.jpgラストは林さんを引っ張りだして、超速”チュニジアの夜”、ピアノとドラムのコミカルなコール&リスポンスに会場大爆笑、林さんは朝4時まで飲み明かした疲れもなく、ドラムソロは絶好調!四方八方から口笛の大歓声が湧きました。

 最後は寺井尚之の祝辞、いつもの調子で、ぶっきらぼうにお祝いの言葉を述べた後、ダークスーツでキメた主役に向って「還暦祝いやから、せっかく赤いセーター来てきたのに、どないしてくれんねん!?」と、やっぱり毒舌炸裂。

 ピアノの左のパネルは皆のメッセージ、寺井の言葉は「ジャズ・ミュージシャン、60歳は成人式」でした。

 その後はビッグ・バンド、”サウンドクルーズ・ジャズOrch.”やジャムセッションでさらに盛り上がり、私たちは途中で帰路についたのですが、最後は林さんが奥様と感極まって涙するクライマックスになったとか..

 

 雨上がり、さんさんと日光が差し込む素晴らしいジャズ・クラブ<Salaam>は、とっても明るい文化の都、四日市のジャズ・ワールドと、林さんの人気にひたすら驚愕した最高の休日でした。皆に好かれる人柄と、何よりも、プレイが凄いことが、還暦になっても人気が衰えない理由なんだと思います。

 四日市の皆様、ナニワの路地裏から来た寺井尚之メインステムを温かく迎えてくださって、本当にありがとうございました。今度はゆっくりうかがいたいです!

 え?大阪でも林さんのドラムを聴いてみたいって?6月22日土にOverSeasに来演します。どうぞお楽しみに!

 CU

 

日本屈指のジャズ理論家&ギタリスト、布施明仁 壮行ライブ開催!

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  布施明仁さんは、関西大学では私の大先輩、寺井尚之にとっては、軽音楽部というよりも、キャンパス外の、クラブやキャバレーで共演した仲間です。

 関大卒業後渡米、名門ニュー・イングランド音楽大学 ジャズ学部に入学、ジャズ・ギターを専攻、音楽理論では、ジャズ界を代表する理論家、ジョージ・ラッセルに可愛がられ,ラッセルのビッグ・バンド”Living Time Orchestra”、また、トミー・フラナガンとのデュオ・アルバムがリリースされ、最近再び注目を集める奇才、ジャッキー・バイアード主宰の”Apollo Stompers”でギタリストとして活躍しました。

 ニュー・イングランド大では、ラッセルの秘蔵っ子的存在、他にもバリー・ガルブレイス、チャック・ウエインなどギターの名手や、ジミー・ジュフリー、アーニー・ウィルキンスなど、数えきれない巨匠から薫陶を受けました。学友の中には、フレッド・ハーシュ(p)やアキラ・タナ(ds)、それにキャブ・キャロウエイのお孫さんたちと親交を温めました。

index.gif 帰国後は、「4ギター・アンサンブル」というユニークなバンドで人気を博し、演奏の傍ら、在学中から恩師ジョージ・ラッセルの依頼を受け、翻訳に勤しんだ名著「Lydian Chromatic Concept」の日本語版を成就し、リディアン・クロマチック・コンセプトとバークリー・システム、両理論に精通する「日本唯一のバイリンガル・セオリスト」(菊池成孔)と称賛されています。

 ”TOKYO JAZZ”のためにラッセルが来日した時は、リハーサルからセミナーの通訳まで七面六臂の大活躍ぶりがNHKで報道されているのを観ましたが、布施さんは文字通り「ラッセル先生の懐刀」のオーラが漂っていたなあ・・・

 帰国後は『4ギター・アンサンブル』や寺井尚之と一緒に、OverSeasで定期的に演奏していただいていました。初めて聴いた7弦ギターや、ニューイングランド仕込みのコードワークが印象的だったし、「奥様は魔女」のようなTV映画のテーマソングをレパートリーに入れたジャズ・ミュージシャンは、布施さんが日本初だったかもしれません。

 近年は教育者として、日米アジア諸国を、忙しく飛び回っておられたので、なかなかリユニオンがかなわなかったのですが、5月5日の日曜日に、やっと念願が叶います。

 というのは、マレーシアの音楽大学から、熱いラブコールを受け、6月からクアラルンプールに引越しされることになったためです。日本のジャズ界には大きな損失ですが、アジア全体からは、ジャズの未来に希望が持てるグッド・ニュースですね!

 ゲストには関西大学時代からの仲間で、甲陽音楽院では同僚のテナーの名手、荒崎英一郎(ts)さんをお迎えし、寺井尚之(p)、宮本在浩(b)、菅一平(ds)が、盛り立てます!

 

 7弦ギターの第一人者、布施明仁を聴ける貴重なチャンス!ぜひお越しください!

 

<布施明仁 マレーシア壮行LIVE>

  • 日時 2013年5月5日(日)正午~3pm
    (開場11:30am)
  • 場所:Jazz Club OverSeas
  • LIVE CHARGE ¥2,625

ご予約はOverSeasまで!

ボビー・ジャスパー:サックスの国から来た男

 bjimages.jpeg 「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」では、フラナガンがNY進出後、最初にレギュラーとして活動したJ.J.ジョンソン・クインテットによる名盤群を解説中。

 13日(土)に取り上げるのは、『Live at Cafe Bohemia』(Marshmallow)、『Overseas』の録音が近づく1957年のライブ録音、J.J.ジョンソンとボビー・ジャスパーと、フラナガン、ウィルバー・リトル(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)による一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルの上で、縦横無尽のアドリブが繰り広げられるダイナミズム、すごい!の一言です。

 

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 今回は、このコンボのテナー奏者、また寺井尚之が最も愛するフルート奏者、わずか37才で早すぎる死を遂げたボビー・ジャスパー(1926-63)について調べてみました。

 ボビー・ジャスパー(本名 Robert Jaspar)は、ベルギー東南部にある、フランス語圏の中心都市、リエージュの生まれ。『Dial J.J.5』や『カフェ・ボヘミア』で聴けるジャスパー・オリジナル”In a Little Provincial Town”(小さな田舎町)は、故郷のリエージュに因んだ曲です。日本では、川島永嗣GKなどが活躍するサッカー・チーム、「スタンダール・リエージュ」の街として有名らしい。
 
 元来、サックスという楽器はベルギー発祥、19世紀にアドルフ・サックスというベルギー人が発明したものですから、、ベルギーとフランスでは、サックスを「いろもの」扱いにするドイツ圏に比べ、サックスはずっと「偉い」楽器で、サックスの為に書かれたクラシック曲が沢山あるそうです。同時に、フランスとベルギーは、ヨーロッパの中でもとりわけジャズを愛好する文化がありました。ジャスパーは、そういう土壌から生まれたミュージシャンだったんですね。

 幼い頃からクラリネットとピアノを学び、19才でプロ・デビュー、24才で、パリを拠点として活動しました。戦時中ナチの占領下であった「花の都」では、ジャズは、自由を象徴する芸術、ジャスパーはレスター・ヤングばりのリリカルなブロウイング・スタイルで、またたく間にトップ・ミュージシャンに踊り出ました。

 

<ジャズのゴーギャン>

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 ジャスパーのパリ時代からの友人で、クラシック畑からジャズまで幅広く活躍するフレンチホルン奏者、デヴィッド・アムラムは、彼について「物静かで内向的な性格だが、音楽への情熱と探究心が人並み外れて強かった。」と語っています。ジャズ・ブロガー、マイク・マイヤーズのアムラム・インタビューによれば、ジャスパーは自分と向き合うため、パリに移る前に一旦活動を休止し、一年間タヒチで暮らした時期があったそうです。『自分の目指すサウンドは何なのか?』 完璧なテクニックを持つ演奏家ゆえの悩みなのか?ジャスパーには、ソニー・ロリンズと共通する、とことん内省的な面があったのかもしれません。

 

<ディアリー・ビラヴド>

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 花の都で6年間、ジャズ界の若き第一人者として君臨したジャスパーは、その地で米国人歌手、ブロッサム・ディアリーと出会い’55年に結婚しました。ディアリーは’52年からNYを離れ、ベルリッツのパリ校でフランス語を勉強する傍ら、高級クラブの弾き語りとして活躍、アニー・ロスとジャズ・コーラス・グループ”Blue Stars of Paris”を結成(ダバダバ・コーラスでお馴染み、スウィングル・シンガーズの前身です)”バードランドの子守唄”のフランス語ヴァージョンをヒットさせています。

 ’56年、夫妻はNYに移り、グリニッジ・ヴィレッジに新居を構え、ジャスパーのNY進出が始動。二人の結婚生活は2年で終わってしまいましたが、終生、友達として親しく付き合い、レコーディングも一緒にしています。

 

<ジレンマ>

  ジャズのメッカ、NYの街で、ジャスパーがびっくりしたのが、街が石畳ではなくアスファルトで覆われていること、そして憧れのジャズの巨人達がうようよ居ること、そして何よりもジャズメンの現実でした。多くの素晴らしい芸術家が生活に困っているなんて、ヨーロッパ人のジャスパーには、全く受け容れがたいことだったんです。
 
 パリからやってきた外人テナー奏者にいち早く注目したのがJ.J.ジョンソン、完璧なテクニックと、クリアで、心に響く歌心は、ジョンソンの最も愛するレスター・ヤングを彷彿とさせ、その持味を最大限に生かしたアレンジを整えて、レギュラーに迎え入れ、ライブやレコーディングに起用、北欧ツアーにも同行し、名演を繰り広げたおかげで、ジャスパーは、ダウンビート誌の批評家投票でテナーの「注目すべき新人部門」第一位を獲得しています。それに目をつけた《SAVOY》《Prestige》などのレーベルもこぞって録音し始めました。ジャスパーはJJバンドの若い同僚、エルヴィン・ジョーンズの演奏に大感動し、フランスのジャズ雑誌「Jazz Hot」にエルヴィン・ジョーンズ論を寄稿したほどでした。フランス語の辞書と首っ引きでも、何が書いてあるか読んでみたいですね!

 

<In New York, You’re Just Another Cat>

 

bobby_jaspar1.jpg 「NYじゃ、誰だってただのキャットさ。」ジャスパーが、友人のアムラムやアッティラ・ゾラ―に、ふと漏らしたのがこの言葉。J.J.ジョンソンの許で15ヶ月活動後、ジャスパーはマイルス・デイヴィスのバンドに起用されています。その後、新進ピアニストだったビル・エヴァンスやジミー・レイニー(g)など、、幅広く活動しますが、パリよりもNYの方が、ずうっとジャズでは食えない土地だった。

 最も耐え難いことは、ヨーロッパでは「鑑賞すべきアート」であるジャズメンの演奏中、大声で話をするガサツなNYのお客!余りのリスペクトのなさに堪忍袋の尾が切れて、ヨーロッパに戻り、古巣の仲間と演奏すると、今度は音楽的に満足が行かない。バンドスタンドでは、アメリカのミュージシャンの方が自分の音楽言語を理解してくれる同胞であり、ヨーロッパのミュージシャンの方が、自分の言語を理解しない音楽的外人だった。聴衆のレベルとミュージシャンのレベルが反比例するどうにも困った状況だ。

 そんなジレンマが災いしたのでしょうか?62年、心臓発作で倒れ、心内膜炎という難病と診断されます。唯一生き延びる選択肢は、当時、大手術であった心臓バイパス手術でした。手術に耐えられる体力をつけるためには6ヶ月間の休養が必須と言われ、精神的にも経済的にも困難でしたが、ジャズパーは平静さを失わず、健康なときと変わらない物静かな人柄だったと多くの友人が証言しています。手術は1963年2月28日に行われ、20リットルの大量輸血をされました。それほどの時間と労力をかけたにも拘らず、術後の合併症で、ジャスパーは3月4日に死去。37才の誕生日からわずか2週間後の早すぎる最後でした。 

 

 晩年は、バリトンサックスやバス・フルートなど、様々な楽器を意欲的に取り組んでいたボビー・ジャスパー、どんな楽器を吹いても、そのサウンドには磨きあげた上等のクリスタルみたいに曇りがありません。超絶技巧なのに、温かく心に語りかけてくるプレイは、レスター派とかいったカテゴリーに入れたくない個性的なものだった。 もしも手術が成功していたら、またタヒチで暮らして、新しいサウンドを見つけたのだろうか?

 

 

sawano_jaspar.jpg 土曜日の「新トミー・フラナガンの足跡を辿る」をお楽しみに!CU

 

在NYベーシスト、ヤス竹田 名門”カフェ・カーライル”に出演!

 春です! OverSeasニューヨーク支部長、YAS TAKEDAこと竹田康友が、先月”カフェ・カーライル”に出演したという嬉しいニュースが飛び込んできました!

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 写真は随分前にOverSeasで帰国ライブをやった時の竹田くん、長らく会ってないけど今もほとんど変わってないと思います。

 

cafe7984B288DA315.JPG“ヴィレッジ・ヴァンガード”や”カーネギー・ホール”に出演した日本人ミュージシャンは多くても、”Cafe Carlyle”に出演した日本人は竹田君が初めてかもしれません、
  “Cafe Carlyle”は億ションの立ち並ぶマンハッタンのセレブな街、アッパーイーストサイドのホテル”ザ・カーライル”にあります。このホテル、古くはリチャード・ロジャーズが常宿とし、JFケネディがマリリン・モンローと逢引したという由緒正しき老舗。パリの香りが漂うマルセル・ヴェリテのロマンティックな壁画が印象的な”Cafe Carlyle”は、ジャズ・クラブというよりは、キャヴィアを肴にドンペリをさり気なく傾けながら、セレブなショウを楽しむ高級キャバレーといった趣。

 かつてコール・ポーター・ソングスの第一人者と言われたボビー・ショート(p.vo)が看板スターで、現在は毎週月曜日、”ニュー・オリンズ・ジャズ・バンド”でクラリネットを吹いているのがウディ・アレン!(『ハンナとその姉妹』という映画の中にカフェ・カーライルのシーンがありました。)!NFL(全米アメフト・リーグ)開幕の夜には、マライヤ・キャリーがイヴニング・ドレスで現れて”サマータイム”を飛び入りで歌ったり…。私なんか裏口からでも入ったことのないセレブなクラブです!そんなら来週行こうと思ってるあなた、ちゃんと上着を来て革靴履いていってくださいね。

 

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 ヤス竹田がカーライルに出演したのは3/21-30、伝説的な弾き語りスター、ジョー・トンプソン・トリオの一員として白羽の矢が立ちました。チャンスが到来したのは、当初余予定のベテラン・ベーシスト、カルヴィン・ヒル(ジュニア・マンス・トリオでOverSeasに来演したことがあります。)の都合がつかなくなったからで、デトロイトといえ、カルヴィンといえ、不思議な縁を感じます。

 トンプソンはブラック・ビューティのさきがけとしてレナ・ホーンと縁の深い人。’50年代にデビュー、フランク・シナトラにその実力を認められメキメキ頭角を現しましたが、クライスラーの重役に見初められ結婚し専業主婦となり、3人の息子をプリンストンやコーネルといった一流大学に入学させてからカムバック!ライブ主体のキャバレー・シンガーゆえに、日本では余り知られていませんが、ライオネル・ハンプトンに絶賛されるなど、未だ美貌と人気が衰えない文字通りの「美魔女」です。

下の写真が、若かりしミス・トンプソンとトニー・ベネット。

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 リハーサルに行ったYAS竹田は、年齢にかかわらず、ミス・トンプソンのリズムがしっかりしているので、演り易いやん!とびっくりしたそうです!プロは凄いね。

 リハーサルで演らなかった曲をいきなり始めたり、リハとは異なるキーで演ったりというハプニングも、NYで年輪を重ねたYAS竹田には想定内、ヤスヤスと楽しく共演できたそうです。! 公演後は 「ぜひ次回も一緒にやって欲しい」と言われ、双方実りある楽しい仕事になったようです。

 

   日本で、田村翼(p)トリオのレギュラーなど大阪ジャズの第一線で活躍後渡米、ニュー・スクールからクイーンズ・カレッジで特待生としてジミー・ヒースやサー・ローランド・ハナに師事、学生オールスター・バンドで渡欧、ジャッキー・バイアードやブラッド・メルドーなどジャズ最前線から、NYの名ダンスバンド”Joe Battaglia &the NY Big Band”のレギュラーまで、活動範囲はジャズ・クラブから、フォー・シーズンズまで、幅広くギグを続けながら20余年が経ちました。

 ハッタリがなく、地道で着実な仕事ぶりで大きな信頼を得るというのは、ある意味日本的なジャズマンなのかもしれない。もっと注目されて良いNYの日本人ベーシストだと思います。この人、寺井尚之と一緒で、HPもないしFBもないアナログな人です。(追記:こう書いたら、竹田くんから、「最近はツイッターを始めたし、寺井さんと一緒にしないでほしい」と断固としたクレームが来ましたが・・・)帰国したらライブやって欲しいのに、長らく帰ってこないNYのベースマン、YAS竹田をこれからも注目していきたいと思います。皆さんもどうぞよろしく!