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ピアノの前に座った寺井師匠は、ベースの宗竹さんへチューニング用のADEの音を出して、しばらくじっと椅子に座ったままです。普段のライブであれば、数秒後に1曲目が始まりますが、今日はじっとピアノの鍵盤に目を落としたまま、動かれません。少し緊張した横顔。やがて、ピアノをいとおしく撫でるように右手F♯の音、そして左手の微妙なずらしの和音からイントロが始まりました。デューク・エリントンの"Prelude To A Kiss"のアレンジです。歌詞の"If you hear a song in blue, Like a flower crying for the dew, That was my heart serenading you, My prelude to a kiss"の部分をふわっとした広がりを感じさせながら、“愛する人への思慕の情”をたっぷりと込めて歌い上げます。そして、エリントンらしい独特の響きがあるサビ部分"Though it's just a simple melody, With nothing fancy, Nothing much, You could turn it to a symphony…"を、左手はブロックコードから次第に分散音へと変化させて「愛する人へのkiss」を込めて、たっぷりとした情感で歌い上げます。それは、まさに今夜、今からはじまろうとしている「愛の前奏曲」として、耳に届く“プレリュード”のようです。 そしてここから1曲目、ビリー・ストレイホーンの"All Day Long"へと続きます。ピアノの音は、軽快かつ力強い音で、ぐんぐんとスィングしていきます。左手の「半音階さがりの4音」もきっちりと入り、9小節目からすばしっこい動きの右手も確実にはまります。こんなとき、最高にスィング感が増していくような感じがします。アドリブに入るとドラムはより一層ブラシを激しく動かし、シンバルの上を撫でて、好サポートを続けます。アドリブ2からはスティックに変え、さらに盛り上げていきます。ベースも素直なアプローチでストレートに力強く迫ってきます。気持ち良いぐらいに小細工なしの精悍な音です。3人のハーモニーが溶け合って、ずるずると音の世界に引きずり込まれたまま、心も身体も抜け出せない気分。寺井師匠のアドリブは16分音符の4回をトリプルで弾き、そのあと何事も無かったかのように、さらに上から下まで鍵盤を最大限に往復して、次第に激しく歌い上げていきます。たくさんの過去の思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんでくるような演奏です。フラナガン大師匠の演奏を目標に今まで生きてきて、まったく別の個性を確立された、そんな自信に溢れた師匠の音は、フラナガン大師匠のトリビュートに相応しい音として、真っ直ぐに耳に入ってきます。 ベースソロは低音から力強く迫り、それに答えるピアノは高音で和音を混ぜながらバップらしいスカッとした音を弾き、双方で会話を楽しんでいるようです。ドラムとのバースチェンジもビシッと決まります。そして下からグリスを“ぐぃーん”と持ち上げて例のフレーズに入ります。今日のグリスは、繊細であるというよりも、やわらかい音であるにもかかわらず、力強く心の底から立ち上がる炎のようなものを感じます。アドリブの最後は、Cペダルが絶妙のタイミングで入りテーマへ。思わず拍手が湧きました。同じテーマでもラストテーマは必ず違います。10小節目はフォルテで力強く下がり、13小節目はドラムが4回だけ叩いてピアノのメロディに合わせます。そしてラストに相応しい雰囲気を出しながら、気持ちをさらに盛り上げていきます。エンディングも軽やかに決まり、同じくビリー・ストレイホーンの"Raincheck" で締めくくります。ちなみに"All Day Long"は、寺井師匠が1975年に初めて生でフラナガン大師匠の演奏を聴いたときの1曲目だったそうです。
3曲目は、フラナガン大師匠が最後まで録音しなかった曲"Embraceable
You 〜Quasimodo"のメドレーです。フラナガン大師匠がやらなかったことを寺井師匠が今日の演奏で代弁して演奏するのではなく、明らかに寺井師匠のオリジナルの音として訴えかける力のこもった演奏です。"Embraceable You"は、冷静でありながらも、いつも以上に情熱的です。「僕を抱いてほしい。そして貴方を抱きしめたい」決してもう抱きしめることのできないフラナガン大師匠に向かって、切々と歌いあげます。複雑なアレンジですが、メロディの原型がはっきりと聴こえてきます。"I love all the many charms (many
charms many charms)....about You"と「フラナガン大師匠に多くの魅力を感じる気持ち」をリフレインで弾くことによって、寺井師匠が大師匠に抱く気持ちが、私の心の中にもぐっと迫ってきます。
続く5曲目は"But Beautiful"です。寺井師匠は1995年9月、アルバム"Dalarna"で 録音されました。それから5年以上が経ち、今日はどんなイメージで演奏されるのかと期待が高まります。ルバートで入ります。"sad" は悲しげに、そして"quiet"は静かに、Interpretationをいつも大切に考えていらっしゃる寺井師匠の音が、はっきりと聴こえてきます。8小節目を弾き終わったあとの微妙なフェルマータが、フレーズの呼吸感を感じさせます。テーマに入るときのシンバルの擦りもスムーズに決まります。ワンコーラスで一番盛りあがるフォルテの部分は"and I'm thinking if you were mine, I'd never let you go"。大きくゆったりと歌い上げます。今日の演奏は、1975年に初めてフラナガン大師匠にお会いして以来、恋焦がれテープを送りつづけた寺井師匠の姿とダブってしまいます。楽しくもあり、時には悲しくもあり、静かな気持ちであったり狂おしく感じたり。軽いノリで歌う歌手の方もいらっしゃいますが、師匠の演奏はいつも正直で純粋で真っ直ぐに感情を出しながら上品に歌い上げます。全力でぶつかってゆき、ついには弟子を一切取らない寡黙なフラナガン大師匠を自分の師匠にしてしまったほどの情熱。アドリブは非常に高音域を中心として展開されていきます。精神的な世界へといざなわれるような雰囲気です。格別に美しく感じた音は、上から一気に下へと降りるストレートなフレーズのやわらかさです。アトリブは1コーラスとハーフ。そして後半からテーマへ戻ります。エンディングのベースもしっかりと決まりました。
7曲目は、やはりフラナガン大師匠のオリジナル"Dalarna"です。両手ずらしの入りから、右手は美しくほのかな“愛らしさ”が感じられる音で歌い上げます。左手は、濁りの無い澄みきった低音が印象的です。少しの「溜め」の後は、一気にあがるフレーズ。サビからベースとドラムが入ります。ピアノの左手とベースの合わせは、やさしくフィットしています。アドリブは、テーマでの息がそのまま続く雰囲気で次から次へと、本当に上品なフレーズで歌っています。何をどう説明したらよいのか言葉が出ないのですが、ずっと引き込まれて聴いていた今日の演奏で、自分自身の脈拍がかなり速くなっていて、それが心臓のトクトクへと伝わり、どうしようもない気持ちで一杯になりました。ボルカーノを食べながらも、カシスソーダを口にしながらも、ずっとその状態が続いていて、7曲目でもう限界、感動でヘトヘトという感じです。
1stセットが終わり、しばらくボーとしてしまいました。今日の演奏の一体何が原因で、こんなに感動しているのでしょうか。私は、当然フラナガン大師匠に対する深い尊敬の念をもっています。本当にスゴイ演奏家だと思います!他界され、今この世界で同じ空気を吸っていないことが、とても悲しく、胸が締めつけられる思いです。だから今日のトリビュートライブは、もはやこの世に存在しないフラナガン大師匠に対して感じるいろんな感情が湧きあがってくる気がします。しかし私自身はフラナガン大師匠に対する尊敬の気持ち以上に、寺井師匠に対して深い尊敬の念を抱いているために、とても心が揺れ動くのだと思います。寺井師匠がフラナガン大師匠に対して抱く“いとおしさや切なさやたくさんの曲に染み付いた想い出”が、演奏を通じてダイレクトに伝わってきます。そんな想いが伝わってくるから感動しているのです。他の生徒さんも、少なからずきっとこのように感じているのではないかと思います。そしてこの感動は、寺井師匠を知り尽くした宗竹さんと河原さんの音が合わさってこそ成りたっています。このトリオでしか駄目なのです。そして、他の誰がトリビュートをしたとしても、私は今日のようには感動しないと思います。
3曲目は"Smooth As The Wind"です。フラナガン大師匠はタッド・ダメロンの曲をしばしば取り上げていますが、この曲もその1つです。イントロは、最初の4小節がピアノソロ。そして、シンバルのこすりによってドラムが入り、続いてベースと少しずつ楽器が増えていきます。ベースとの息もピッタリ、そして左手の返しもスムーズです。アドリブに入ると、なめらかなフレーズによって、暖かい春風を感じさせます。台風ではなく、冬の木枯らしでもありません。熱いホットな熱風でもありません。“ほのかに暖かい風”が、私達の心に吹き込んできます。ピアノのフレーズが装飾音の引っ掛けをしますが、それは新緑が芽吹き始めた木々の間を素早く通り抜ける風のようです。いろいろなイメージが広がってきます。そして何よりもフラナガン大師匠に「今日の演奏を聴いて欲しかった」という想いの込められた風のようでもあります。時折16分音符の連続した音が物凄いクレッシェンドで膨れ上がります。ノーペダルで豊かに、そして一気に加速してフレーズが降りていきます。印象的な高音のフレーズ、そして間髪いれずに左手の単音でアクセントを取ります。本当に快調にスィングしています。寺井師匠は、ミスを恐れず大胆にピアノを弾かれています。そのどれもが「すごい」と思わず唸るような気迫と、たっぷりとした歌い上げで、ずっと引き込まれたままです。ベースソロでも様々なフレーズが飛びだします。韻を踏んだ低音から高音への広がり、そして男性的なたくましい音が続きます。再びピアノへ戻り、ドラムはピアノのもつイメージに添えて音を出していきます。それが3人のハーモニーとなって、縦の重厚なラインが耳に届きます。ピアノはやや強めの音で、エンディングへ。今日は曲の数も多く、疲労はピークだと思われますが、全集中力を傾けて、ひたむきに演奏されるトリオの姿に胸が打たれました。
5曲目は、"Good
Morning Heartache"です。2001年3月のジャズ講座でも取り上げられた曲で、ビリー・ホリデイが歌っていた曲です。エラのカーネギー・ホールでのコンサートは、ホリディの好きだった歌に挑戦できる喜びと彼女への尊敬の念をバンプの語りで述べていました。フラナガン大師匠は常にビリー・ホリディを聴くことを寺井師匠に勧められたそうですが、今日のフラナガニアトリオは、そのアドバイスに対して答えているようでもあります。エラはC、ビリーはD♭で歌っていますが、フラナガニアトリオは、ビリーと同じキーです。極めて小さい音で悲しげな音色の1音目から入ります。
7曲目は"Easy Living"です。2001年11月17日のフラナガニアトリオのライブで、初めて演奏されるのを聴きました。フラナガン大師匠の急逝を知った直後の演奏でした。そのときは本当に聴いていて胸が締め付けられるような辛い気持ちでした。寺井師匠は、後日「トミーと私が歌詞本来の意味と重なってブサイクな演奏になってしまった」とその時のことを振り返っておっしゃっていましたが、今日のトリオの演奏は、あの日の演奏とは全く違うイメージに聴こえてきます。ピアノはルバートでたっぷりと歌い上げます。"There's nothin' in life but you"の"But you"のところは、物凄い切れ上がりのフレーズで、唯一貴方以外の誰も考えられない・・・という気持ちがストレートに伝わってきます。それだけ“惚れて惚れて惚れぬいている”という強い感情が表出されているようです。サビからベースとドラムが入ります。サビあとの"Living For You"は期待通り上がります!アドリブに入ると、ゆったりとしたフレーズから次第に激しさを増していきます。16分音符と32分音符が次第に増えて、加速されていく感情の高まりが溢れていくようです。「あなたが好きで好きで仕方ない。あなたに恋していることが私の生きがいだ」と、強い気持ちで表現しているように聴こえてきます。それがハッピーなことなのか否か、となれば、今回の演奏はハッピーな曲に聴こえます。それは、例え愛する人がこの世から消え去ったとしても、それほどまでに好きでいられたことが幸せで、しかもその気持ちは、もはやぶつけていく相手が手の届かないところへ行ってしまったあとも、ずっとずっと心の中に住みつづけているのだから。そんな風に想いつづけられることは、やはり幸せなのだと自分自身に言い聞かせているようにも聴こえました。エンディングは逆順で、リフレイン3回を繰り返したあと、見事に終わります。そして、最後の最後に"Living for you"が聴こえてきましたが、当然ここでも「あがりのフレーズ」で決めました。バッパーの心意気です。 8曲目はダメロンの"Our Delight"です。フラナガン大師匠が録音しなかった曲ですが、寺井師匠はこの曲をずっと演奏し続けるとおっしゃって曲に入りました。アップテンポで軽快にスィングしていきます。私達にとって音楽は、最高に素晴らしい感動を与えてくれるものです。しかも、それが脈々と受け継がれているバップの流れにのっている音楽なのだということです。この曲を聴くと、これから先もこの道を歩み続ける決意が感じられます。そんな精悍なフレーズが耳に届きます。今日の演奏は、その決意の証のようにも思いました。私達リスナーは、そんな音楽を受け止め、一体となったこのOverSeasで、時代も身の回りの制約もあらゆる日常の物事を忘れ去り、不思議な空間を共有しているのだという気持ちになりました。ベースソロは、高音の弦のたゆみによってリフレインのフレーズが続きます。そうかと思えば、いきなり低音からぐんとのぼり、ドラムは後ろで合いの手を入れます。そしてブラシの擦りに変えて、ベースと素晴らしい会話を続けます。寺井師匠は、そんな2人の関係を見守りながら、弾きすぎない気品のあるバッキングで、スィング感をさらに煽っていきます。バースチェンジでも、河原さんのドラムは疲れを見せず、はっきりと確信のある音で叩きます。ピアノはそのフレーズの音を感じ取って、返事をします。あのリフが入り、ピアノのグリスは、一度上へ、今度は下へと一息に弾ききります。エンディングに入ります。もう今日のライブは終わりになる…と淋しい気持ちになります。もっと聴きたい・・・そんなリスナーの気持ちで溢れ返り、拍手はいつまでも止みません。
アンコール最後は、エリントンの"Black And Tan Fantasy"です。エリントンの"Prelude To A Kiss"に始まりエリントンに終わる。これほどまでの集中力で演奏をされ続けた寺井師匠の指は、その痛みが伝わる程です。ドラムのシンフォニックな音から入ります。エリントンらしい左手のピアノ音。そしてテーマに入ると、ブラシでシンバルを叩き、ベースは低音で唸りながら歌い上げていきます。ピアノは丁寧にメロディーを弾きます。肌の色なんて関係なく、性別も問題とはならない。「愛」にはいろいろなものがあって、恋人への愛、兄弟愛、家族愛など…いろいろな「愛の形」は存在するけれども、寺井師匠がフラナガン大師匠に対して抱きつづける気持ちは、「肌の色や性別なんて一切関係の無い、人と人とが純粋に愛し合うこと、そんな“永遠の愛”が心の中に生き続けるのだ」という想いが伝わってきます。アドリブに入ってもそのピンと張った緊張感は、ずーっとたるむことなく引っ張られたままです。右手のトリルが高音で鳴りつづけます。激しく激しく続きます。そして引っ掛けて下へ降りるフレーズへ。ドラムの細かく叩く音が合図となってベースソロに入ります。ベース音は低音を中心として力強く、そして途中で一瞬倍ノリに変わった後、再びゆったりとぐいぐいと歌いあげます。何コーラスもソロがあるにも関わらず、まったく長さを感じさせない集中したフレーズが続きます。フラナガニアトリオがこの曲を演奏されているのを初めて聴いたのは2000年6月です。その時以来このトリオでの演奏を聴いてきましたが、演奏を重ねるごとに、より一層いぶしあがったような深みのある音に変わっています。日々変化し続けるアレンジ。音楽に対する飽くなき探究心を感じ取りました。
今日の演奏は、本当にたくさんの想いと景色が見える名演奏だと思いました。どんな言葉を書き並べても今日のこの演奏の音にはかないません。この感動は文字では伝わらない気がします。生で聴いたときの、その瞬間の感動をどうやって表現したらいいのかと、あれこれ悩みましたが、やはり生のライブを聴かないとこんな文章を並び立てても、仕方ないなぁと強く思います。涙を流す方、感動で眠れない方、いろいろだと思います。私は、興奮すると文章を書きたくなるという変な習癖があるため、駄文をだらだらと書き並べています。感動しないと文章も書けません。まだまだ書き足りない気持ちでいっぱいです。 フラナガニアトリオでしかできないトリビュート・ライブ。本当に感動しました。フラナガン大師匠に対する寺井師匠の想い。私達の想い。そしてこれからもずっと続くであろうフラナガン大師匠の素晴らしい音楽を絶やすことなく私達が継承していきたいという想い。こんなたくさんの熱い想いは、きっと天国のフラナガン大師匠に届いているのだと思います。 また次のトリビュート・ライブでは、さらに進化したトリオの演奏を強く期待しています。
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投稿日 3月17日(日)00時43分 投稿者 管理人 演奏曲目 1st. 1. All Day Long 2. Chelsea Bridge 3. Embraceable You 〜 Quasimodo 4. Minor Mishap 5. But Beautiful 6. Rachel's Rondo 7. Dalarna 8. Tin Tin Deo 2nd. Encore 店に入った私が、珠重さんに「ここ!」と言われた席は、偶然にもトミーさんが亡くなったその日にフラナガニアトリオの演奏を聴いたあの席、河原さんのドラムセットのすぐ真横の席でした。 実は今日の1曲目は何だろうとずっと考えていたのですが、予想はまったく外れて"All Day Long"。寺井師匠が初めてトミーさんの演奏を聴いた曲とのMCに納得でした(2曲目の"Chelsea Bridge"も同様とのこと)。1セット目が"Tin Tin Deo"、2セット目が"Our Delight"、アンコールが"Black And Tan Fantasy"という終わり方は、偉そうですが予想していました。 ボロボロ泣きながら聴かなければならなかったあの日のライブからちょうど4カ月。当然、今日は曲目も演奏もまったく違います。今日のライブは天国のトミーさんをひたすら喜ばせるべく構成され、演奏された、世界広しといえどもまさしく寺井尚之“フラナガニア”トリオにしか絶対できない追悼ライブだったと思います。 そして、今夜いっしょに聴いた皆さんは同志です。むなぞう君だけじゃなく同志のみなさんの書き込みをお待ちしています。 ↓↓↓今夜の写真 僕の大好きな‘Beyond the Bluebird’では、ほんとに胸が一杯になりました。ラストの‘Black and Tan Fantasy’は、まさに「ジャズの本質はここにある!」といわんばかりの演奏だったように思います。 寺井師匠、珠重さん、ニューヨークでダイアナさんと充実した時間を過ごせるよう願っております。お気をつけて行ってらっしゃいませ! おつかれのことと思いますが、師匠&珠重さん、NY行き、どうぞお気をつけて! 昨日あの場で熱心な聴衆の皆さんと師匠のピアノが聞けてほんまよかったです。お帰りもお気をつけて・・・ 滅多に無い寺井さんがベストプレイと自己批評する渾身の演奏に接して、オイラは自分の仕事に青白い炎のような志をもって取り組み、少しでも寺井さんやトミー・フラナガン氏の境地に到達したいと思う今日この頃です。 「それまでどうするんですか?」と尋ねたら、「ブルーミングデールズにでも行って買いもんしてくるわ」と観光客のような事を言っておられました。 掲示板のカキコで速報をぜひ教えてくださいネ!!それにしても、主婦業三週間目にして眠れない夜を過ごしています!ライブレポートをせっせと書いているうちに目が冴えてきて・・・。フラナガン・トリビュートは、その内容ゆえに、私なんぞにはとても書けないなぁ、と思っていたにもかかわらず、やはり書かないと落ち着かなくなって・・・。電話台にパソコンを置き、ダンボールに埋もれながら、せっせと書いて、やっと1セットが終わったところです。何度思い出してもすごかった。早く書き上げたい。 PS 成田上空でやはり強風で1h以上も待たされたたり大変でした。飛行機の時間帯によっては、国際線の一部が燃料切れで羽田に着陸し、再び、成田に戻るという大変な事態であったようです。なにより、ご無事でよかったです。NYからだとお疲れだったでしょう。師匠はNYからANAかなにかの直行便でお帰りなさったのですか? また、NYのお話楽しみにしています。ごゆるりとなさってください。 2セット目のフラナガニアトリオとトミーさんとの会話は壮絶。宗竹,河原両氏は寺井氏と完璧に1つとなり、フラナガニアトリオとトミーさんが心の会話をしている。その会話にファンも心を傾ける。店の中は外のビジネス街とはまったくの異次元空間となり、トミーさん,寺井さんに思いを寄せる仲間が感動の涙を流した一夜でありました。私はWith Malice・・で遂にこらえきれず、大粒の涙を流してしまったのでした。トミーさん、寺井さん本当に有難う。いい音楽を! ホテルにチェックインしたのはお昼前、12時半にダイアナに電話したら出てこない、待機して2時半にかけなおすと寝ていて1時間後にかけ直すと言う、しかし4時5分になっても掛けてこない、ヤバイ、こっちから掛けると10分後に掛け直すと言う、疲れているのに待機ばかりでツライ。結局7時に家まで来いと言う。家に行くと、まるでトミーがちょっとどこかに出かけている様な状態、今すぐにも帰ってきそうなまま・・・1時間余りトミーの最後の模様を聞かされて涙が出た。 それからミナミの方(ヴィレッジのことです)に食事に出かけた。ダイアナは家でも「ピアノは弾かないで、思い出すのが辛いから」といっていた様に、ライブはギターとベースのデュオ。ギターはダイアナの友だちのピーター・リーチ、ベースはわしの友だちのショーン・スミス。トミーの死後初めて街に現れたダイアナに対してピーターが「エクリプソ」や「ストレイホーン」の曲をプレゼントしたら、ダイアナが泣き出した。この店を出て1日目は終わったけど、ダイアナは異常にHIGH、2日半と言う強行スケジュールを押してダイアナに会う為だけに行った我々にすごく喜んでくれた。そのWALKER'Sという店の皆にその事を強調していた。 また始めは固辞していたけど、皆さんからの募金をすごく感謝していた。さらに、ダイアナが認めないためにNYではいまだ行なわれていないトリビュート・コンサートを私のトリオが前日16日に大阪でやった時に、管理人さんの作ってくれたチラシを皆に見せて大喜びしてくれた! 夕方ダイアナから電話があり、余り疲れたからと夜の約束をキャンセル。こちらも同様でホテルで休む。 少し休んでジョージと昼ごはん。色んな話をして3時間余り過ごす。やはり彼は信頼できる兄貴分、風呂に入ってフラナガンの家に向かう。 フラナガンの家についた頃は疲労のピーク、少しして名ピアニストのディック・カッツ夫妻が来る。11年ぶりの再会。奥さんは声も動きもウォルター・マッソーそっくり! NYのミュージシャンの間では噂がすぐ飛ぶから、おとといダイアナが街に出た話はたちまち広がり、ジョン・ファディス(tp)から花束が届いていた。しばらく話をしていると、どうした事かダイアナがピアノを弾いて欲しいと言う。 また、珠重さんからはすでに当日演奏された曲目の解説(作曲者等はもちろん、その曲をめぐる寺井師匠とトミーさんとのエピソードを説明したもの)が届いております。 それから誰とは言いませんが、寺井師匠の弟子でありながらトミーさんの初期の代表作「オーバーシーズ」を持っていない、あるいは店でBGMでかかっていてもそれが「オーバーシーズ」であるとわからなかった2人は(他にもいると思うが)、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ前に、または寺井師匠に破門される前に早くワルツ堂カリスマ店に行って買いなさい。 それから今さら説明するのもなんですが、ダイアナさんが喜んでくれたという、私がデザインした今回の追悼ライブのチラシに使った写真は、最近発売された追悼CD『エンヤ・デイズ〜エッセンシャル・トミー・フラナガン』(徳間ジャパンコミュニケーション、商品番号TKCB-72323)のジャケットに使われた(もちろん貸したのは寺井師匠)、あの写真です。レコード会社はモノクロにして使ってますが、私はカラーのまま使いました。何も知らない人は「なんで真っ赤なトレーナーなんか着ているんだ」と思うかもしれませんが、あれはトミーさんがOverSeasのトレーナーを着て、OverSeasでコンサートを行った時の写真です。その場にいたかった。 ↓↓↓それで珠重さん、これのポストカードはあと何枚くらいいるんですか? 今夜のジミーのバラードは「I'm Glad There Is You」、パーシーのチェロフィーチャーは「How High The Moon」,そしてアンコールはジェブ・パットンとパーシーのデュオでハナさん作曲の「Century Rag」。 ジミーは相変わらず充実しています。パーシーのビートは限りなくディープで、トゥーティーはフラナガン・トリオの時よりものびのび楽しそうです。すっかり痩せたジェブ君はメロディーラインがくっきりでるようになり、かなり良くなっていました。 寒風吹きすさぶアヴェニューを寺井尚之とダイアナは肩を組み恋人同士の様に歩いて行きましたが、腰痛の寺井は、膝痛のダイアナの重みを一身に受け死にそうになっていました。ひょっとしたら、その肩にはトミーがイヒヒと笑いながら乗っかっていたかもしれません。とてもNYなおいしいアメリカ的イタリア料理をいただきながら、ディック夫妻とダイアナから“あの頃のジャズ”について語り尽くせないほど色々な話を聞きました。例えばバードランドでのチャーリー・パーカーの最後の夜の対バン、リー・コニッツ・バンドに居たカッツ氏の目撃談など、恐ろしい宝の山の様なエピソードです。そこでエスプレッソのお代わりを何杯もして夜は更けていきました。 ご主人のカッツ氏は素晴らしいアーティストのトレードマークであるキラキラしたいたずらっぽい瞳で微笑みかけて、寺井とビリー・ホリディの伴奏者談義に花を咲かせていました。“ルィーズ”での楽しいディナーの後は、ミナミへ行ってヴィレッジ・ヴァンガードのキャロル・スローンを聴く予定でしたが、ダイアナがアパートに鍵を置き忘れて外出してしまったのと、遅くなりすぎたのとで、あえなくキャンセル(疲労でヨレヨレの寺井は内心大喜び!)スニーカーの私は走ってアパートに戻りドアマンを探しに帰ったのでした。 ダイアナが心配。一方、カッツ夫妻の様な人が居てくれてちょっとは安心、その後数時間仮眠をして日本へと帰る。キビシー日程であった。 今回、トリビュート・ライブのレポートや曲目紹介を読ませてもらって、その感を強くした。今までライブの感想を書かなかった、と言うよりも書けなかったのもこの後味の悪さがあるからである。何とも恥ずかしいとしか言い様がない。門下でも劣等生と言うことでお許し願えませんか。 |
