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ピアノの前に座った寺井師匠は、ベースの宗竹さんへチューニング用のADEの音を出して、しばらくじっと椅子に座ったままです。普段のライブであれば、数秒後に1曲目が始まりますが、今日はじっとピアノの鍵盤に目を落としたまま、動かれません。少し緊張した横顔。やがて、ピアノをいとおしく撫でるように右手F♯の音、そして左手の微妙なずらしの和音からイントロが始まりました。デューク・エリントンの"Prelude To A Kiss"のアレンジです。歌詞の"If you hear a song in blue, Like a flower crying for the dew, That was my heart serenading you, My prelude to a kiss"の部分をふわっとした広がりを感じさせながら、“愛する人への思慕の情”をたっぷりと込めて歌い上げます。そして、エリントンらしい独特の響きがあるサビ部分"Though it's just a simple melody, With nothing fancy, Nothing much, You could turn it to a symphony…"を、左手はブロックコードから次第に分散音へと変化させて「愛する人へのkiss」を込めて、たっぷりとした情感で歌い上げます。それは、まさに今夜、今からはじまろうとしている「愛の前奏曲」として、耳に届く“プレリュード”のようです。 そしてここから1曲目、ビリー・ストレイホーンの"All Day Long"へと続きます。ピアノの音は、軽快かつ力強い音で、ぐんぐんとスィングしていきます。左手の「半音階さがりの4音」もきっちりと入り、9小節目からすばしっこい動きの右手も確実にはまります。こんなとき、最高にスィング感が増していくような感じがします。アドリブに入るとドラムはより一層ブラシを激しく動かし、シンバルの上を撫でて、好サポートを続けます。アドリブ2からはスティックに変え、さらに盛り上げていきます。ベースも素直なアプローチでストレートに力強く迫ってきます。気持ち良いぐらいに小細工なしの精悍な音です。3人のハーモニーが溶け合って、ずるずると音の世界に引きずり込まれたまま、心も身体も抜け出せない気分。寺井師匠のアドリブは16分音符の4回をトリプルで弾き、そのあと何事も無かったかのように、さらに上から下まで鍵盤を最大限に往復して、次第に激しく歌い上げていきます。たくさんの過去の思い出が走馬灯のように脳裏に浮かんでくるような演奏です。フラナガン大師匠の演奏を目標に今まで生きてきて、まったく別の個性を確立された、そんな自信に溢れた師匠の音は、フラナガン大師匠のトリビュートに相応しい音として、真っ直ぐに耳に入ってきます。 ベースソロは低音から力強く迫り、それに答えるピアノは高音で和音を混ぜながらバップらしいスカッとした音を弾き、双方で会話を楽しんでいるようです。ドラムとのバースチェンジもビシッと決まります。そして下からグリスを“ぐぃーん”と持ち上げて例のフレーズに入ります。今日のグリスは、繊細であるというよりも、やわらかい音であるにもかかわらず、力強く心の底から立ち上がる炎のようなものを感じます。アドリブの最後は、Cペダルが絶妙のタイミングで入りテーマへ。思わず拍手が湧きました。同じテーマでもラストテーマは必ず違います。10小節目はフォルテで力強く下がり、13小節目はドラムが4回だけ叩いてピアノのメロディに合わせます。そしてラストに相応しい雰囲気を出しながら、気持ちをさらに盛り上げていきます。エンディングも軽やかに決まり、同じくビリー・ストレイホーンの"Raincheck" で締めくくります。ちなみに"All Day Long"は、寺井師匠が1975年に初めて生でフラナガン大師匠の演奏を聴いたときの1曲目だったそうです。 次の曲は、そのコンサートでの2曲目だったという、同じくビリー・ストレイホーンの"Chelsea Bridge"です。イントロは、上品なピアニッシモです。それは朝霧に包まれた岸辺に、水浴びを終えた白鳥が身震いをして、その美しく輝く白い毛が抜けて飛び散り、黄金色に輝きながら空中をふわふわと飛んでいるような、そんな何ともいえない音色です。テーマに入ってからも静かに、しかし芯のある音が耳に届きます。サビはややフォルテ気味。そしてまたピアニッシモに戻りながらアドリブへと続きます。ピアノは歌うように次から次へと豊かにフレーズを積み上げていきます。それは、まったく純粋で“けがれのない泉”が湧き出すようです。韻を踏んだフレーズの繰り返しが心地よく心に届きます。命が燃え尽き、肉体が消えてしまったあと、人は一体どこへ行くのだろう。みんなの心の中に永遠に生き続けるフラナガン大師匠の面影を想いながらも、彼の魂は、宙を舞う白鳥の羽のように、そのあたりを飛んでいる訳でもないのに・・・。寺井師匠のピアノは、実体のない魂をどこからか呼び寄せるような、そんな吸引力が感じられます。それが全く違和感なく、当然のことのように受け止められるのです。アドリブは、上から下へそして下から上へと1音ずつ正確に、しかしテクニックだけが前面に出るのではなく、人の生のぬくもりが伝わるような音で迫ってきます。そして静かにエンディングへ。 3曲目は、フラナガン大師匠が最後まで録音しなかった曲"Embraceable
You 〜Quasimodo"のメドレーです。フラナガン大師匠がやらなかったことを寺井師匠が今日の演奏で代弁して演奏するのではなく、明らかに寺井師匠のオリジナルの音として訴えかける力のこもった演奏です。"Embraceable You"は、冷静でありながらも、いつも以上に情熱的です。「僕を抱いてほしい。そして貴方を抱きしめたい」決してもう抱きしめることのできないフラナガン大師匠に向かって、切々と歌いあげます。複雑なアレンジですが、メロディの原型がはっきりと聴こえてきます。"I love all the many charms (many
charms many charms)....about You"と「フラナガン大師匠に多くの魅力を感じる気持ち」をリフレインで弾くことによって、寺井師匠が大師匠に抱く気持ちが、私の心の中にもぐっと迫ってきます。 続く4曲目はフラナガン大師匠のオリジナル"Minor Mishap"です。今日の演奏は、1曲ずつがかなり長い演奏時間であるにもかかわらず、まったく時間が長く感じられません。歯切れのよさと叙情的なフレーズの連続。アップテンポでぐいぐいと迫ってきます。アドリブに入ってもそのノリは乱れがありません。ピアノは8分音符の1小節フレーズを半音さげて、続く1小節へと繰り返しを行います。冷静に同じ強さでリフレインをします。むき出しではない上品なフレーズ。左手が裏拍で軽やかに決まります。そしてベースソロに入ると、先ほどの曲とは一変して、いつもの宗竹さんらしい底からの強さのある音で迫ってきます。4分音符と8分音符2つの固まりを、1音ずつずらして弾きます。ドラムとのバースチェンジも鮮やか、あっという間にラストテーマへ。ドラムは、シンバルを響かせ、軽快かつ大胆に音を叩いています。サビ最後の24小節目でシンバルをクローズさせて音の響きを止めながら、チキチキと叩かれたために、この曲の終わりを予感します。エンディングもしっかりと決まりました。 続く5曲目は"But Beautiful"です。寺井師匠は1995年9月、アルバム"Dalarna"で 録音されました。それから5年以上が経ち、今日はどんなイメージで演奏されるのかと期待が高まります。ルバートで入ります。"sad" は悲しげに、そして"quiet"は静かに、Interpretationをいつも大切に考えていらっしゃる寺井師匠の音が、はっきりと聴こえてきます。8小節目を弾き終わったあとの微妙なフェルマータが、フレーズの呼吸感を感じさせます。テーマに入るときのシンバルの擦りもスムーズに決まります。ワンコーラスで一番盛りあがるフォルテの部分は"and I'm thinking if you were mine, I'd never let you go"。大きくゆったりと歌い上げます。今日の演奏は、1975年に初めてフラナガン大師匠にお会いして以来、恋焦がれテープを送りつづけた寺井師匠の姿とダブってしまいます。楽しくもあり、時には悲しくもあり、静かな気持ちであったり狂おしく感じたり。軽いノリで歌う歌手の方もいらっしゃいますが、師匠の演奏はいつも正直で純粋で真っ直ぐに感情を出しながら上品に歌い上げます。全力でぶつかってゆき、ついには弟子を一切取らない寡黙なフラナガン大師匠を自分の師匠にしてしまったほどの情熱。アドリブは非常に高音域を中心として展開されていきます。精神的な世界へといざなわれるような雰囲気です。格別に美しく感じた音は、上から一気に下へと降りるストレートなフレーズのやわらかさです。アトリブは1コーラスとハーフ。そして後半からテーマへ戻ります。エンディングのベースもしっかりと決まりました。 6曲目は、フラナガン大師匠のオリジナルで"Rachel's Rondo"です。アップテンポで、ピアノのペダル音とドラムのリズムが正確にピッタリとはまっています。軽快なテーマでは、ドラムのシンバルとスクロール音が絶妙に決まります。アドリブでは、一気にピアノが踊りだして、美しい赤い絨毯の上をくるくると軽やかに踊り、ターンをしているようです。頭で考えて弾いているというよりも、たくさんの音楽を生み出してきた手がひとりでに動き出して、鍵盤の上をステップしているみたいです。コーラスを重ねても、まったくとどまることがありません。左手をあわせた強調のフレーズ。そして高音域から息をのんで転がり込むようなフレーズ。ベースソロでは、ドラムがふちを叩いてブラシを変幻自在に動かしていきます。ピアノは、そのバックで裏から表から、いろいろな方法で音を入れます。バース・チェンジでのドラムのフレーズには音が感じられます。寺井師匠は、すばやくそれと同じ音を見つけ出して返事をします。思わずニコッと微笑む師匠の横顔が見えます。こういう会話は、生で見て共感できるノリだと思いました。 7曲目は、やはりフラナガン大師匠のオリジナル"Dalarna"です。両手ずらしの入りから、右手は美しくほのかな“愛らしさ”が感じられる音で歌い上げます。左手は、濁りの無い澄みきった低音が印象的です。少しの「溜め」の後は、一気にあがるフレーズ。サビからベースとドラムが入ります。ピアノの左手とベースの合わせは、やさしくフィットしています。アドリブは、テーマでの息がそのまま続く雰囲気で次から次へと、本当に上品なフレーズで歌っています。何をどう説明したらよいのか言葉が出ないのですが、ずっと引き込まれて聴いていた今日の演奏で、自分自身の脈拍がかなり速くなっていて、それが心臓のトクトクへと伝わり、どうしようもない気持ちで一杯になりました。ボルカーノを食べながらも、カシスソーダを口にしながらも、ずっとその状態が続いていて、7曲目でもう限界、感動でヘトヘトという感じです。 さて、このセット最後の曲は"Tin Tin Deo"です。イントロはディミニッシュコードによるフレーズ。緩急メリハリの絶妙さ。ドラムとピアノの絡み。師匠の左手は、ハナさんのように軽やかに太い音で、8分音符を刻みつづけます。テーマに入ると、颯爽としたドラムの音が印象的です。そしてベースのあのフレーズは正確に繰り返されていきます。どこかエキゾチックな雰囲気が広がります。アドリブに入ると、ピアノは4分音符を中心にゆったりとしたフレーズで歌い、少しずつ次第に激しく盛りあがっていきます。一息に歌い上げたあと、ドラムは裏打ちからスクロールに入ります。サビよりベースの音が一層際立ちます。このトリオの魅力は、繊細なバランス関係だと思いますが、そんな瞬間のやり取りを垣間見ました。ピアノソロが終わり、ベースソロに回すときのピアノ2音を宗竹さんは聞き逃しません。その音と同じ音をベースで3回、少しずつ下げて弾きます。主旋律が逆転して、ベースがアドリブのメロディ、そしてピアノはテーマでベースが弾いていたフレーズを弾きます。そうかと思えば、どちらもメロディを歌い上げ、複雑に絡み合い交差しながら、一つの音楽を形づくっていきます。ベースソロが終わると感動で拍手がうわっと沸きます。倍ノリでさらに歌い上げます。あの決めが続き、ピアノは一気に上へと駆け上がります。この勢いが無茶苦茶かっこいい。非常にバッパーらしいニュアンスが感じられました。テーマに戻って、ピアノが右手でトリルをすると、河原さんはスティックでその音を出してトリルのリズムを叩きます。トリル、引っ掛け、どの音も乱れることなく、きっちりと、そして時には左手と右手の音が両方に広がっていくようで、トリッキーな音として耳に届きます。たくさんのエッセンスが詰った素晴らしい演奏です。ラストテーマに戻り、一気に最後までいったという感じです。そして、一瞬の間があった後、湧き上がるような拍手で終わりました。 1stセットが終わり、しばらくボーとしてしまいました。今日の演奏の一体何が原因で、こんなに感動しているのでしょうか。私は、当然フラナガン大師匠に対する深い尊敬の念をもっています。本当にスゴイ演奏家だと思います!他界され、今この世界で同じ空気を吸っていないことが、とても悲しく、胸が締めつけられる思いです。だから今日のトリビュートライブは、もはやこの世に存在しないフラナガン大師匠に対して感じるいろんな感情が湧きあがってくる気がします。しかし私自身はフラナガン大師匠に対する尊敬の気持ち以上に、寺井師匠に対して深い尊敬の念を抱いているために、とても心が揺れ動くのだと思います。寺井師匠がフラナガン大師匠に対して抱く“いとおしさや切なさやたくさんの曲に染み付いた想い出”が、演奏を通じてダイレクトに伝わってきます。そんな想いが伝わってくるから感動しているのです。他の生徒さんも、少なからずきっとこのように感じているのではないかと思います。そしてこの感動は、寺井師匠を知り尽くした宗竹さんと河原さんの音が合わさってこそ成りたっています。このトリオでしか駄目なのです。そして、他の誰がトリビュートをしたとしても、私は今日のようには感動しないと思います。 2ndセットの1曲目は、フラナガン大師匠のオリジナル"Thelonica" 〜 "Eclypso"です。以前「オーソレミーオ」が挿入されたこともあるこの曲、今日は「セロニカ」から入ります。左手の単音でアクセントをつけながら、右手が一息に駆け上がります。ふわっとしながらも力強く、ピアノの音が響き渡ります。そして、次第にクレッシェンドしながら「エクリプソ」へ。8小節目と16小節目のドラムとの合わせも見事に決まります。左手はペダルをキープしながらインタルードを確実に弾ききります。そしてアドリブでは、右手の高音の響きが美しく、効果的な8分休符・8分音符・1拍3連の1小節がいろいろなパターンで聞こえてきます。4音ずつの階段下りフレーズは、どの固まりも同じ音色で着実に降りています。16分音符が一気に続いて爽快です。トレトレフレーズの変形、音飛びフレーズは、着地地点に狙いを定めてストレートに弾ききります。本当にいろいろなフレーズが玩具箱をひっくり返したみたいに飛び出してきて、息をすることすら忘れてしまいそうです。とにかく圧巻は、16分音符をあちこちに散りばめて、それが右手から左手へと続くところです。ベースソロへは、最高に高音へもっていきます。その反対にベースは、とても低い音からぐいぐいとのぼりつめていきます。ピアノは4拍裏、そして続く1拍目に入れることを基本としながらも、右手の装飾音は、とてもお茶目というか、ウィット感のあるフレーズが続きます。ドラムも音色を変えて曲を盛り上げていきます。再びピアノに戻ってバースチェンジ。目が離せません。ラストテーマへの戻りは、ピアノの2音で見事に戻ります。そして右手のトリルが軽快に続きます。鈴を転がしたような品のある軽やかさで、次第に音が広がっていき、ゆったりとリタルダントしながらエンディングへ。 2曲目もフラナガン大師匠のオリジナルで"Beyond The Bluebird"です。非常に繊細で微妙な音から入ります。ピアニッシモはキープされたまま、夢見心地のうっとりとするような音色です。シンバルのこすりが2回入り、次第に音が大きくなっていきます。効果的な左手の和音。低いピアノの音が続きますが、濁りが無く本当に上品です。何箇所かある返しも見事に決まります。アドリブに入ると、ゆったりとした雰囲気の中にも、高音が響きわたり、ふわっとしたフレーズで降りていきます。そしてドラムの合図で4ビートになり、ピアノはさらに歌い上げを続けます。ベースソロに入ると、ブルーノート・スケールがちらちらと覗きながらも宗竹さんらしい音使いで、弦のビビリもなく、潤った太い音でぐいぐいとスィングさせていきます。ピアノに戻るとトリル、そしてあの決めが入りますが、不思議な静寂と落ち着きの中、冷静な歌い上げが印象的に感じられます。エンディングでは、繰り返しのフレーズに強弱をつけて見事に終わります。 3曲目は"Smooth As The Wind"です。フラナガン大師匠はタッド・ダメロンの曲をしばしば取り上げていますが、この曲もその1つです。イントロは、最初の4小節がピアノソロ。そして、シンバルのこすりによってドラムが入り、続いてベースと少しずつ楽器が増えていきます。ベースとの息もピッタリ、そして左手の返しもスムーズです。アドリブに入ると、なめらかなフレーズによって、暖かい春風を感じさせます。台風ではなく、冬の木枯らしでもありません。熱いホットな熱風でもありません。“ほのかに暖かい風”が、私達の心に吹き込んできます。ピアノのフレーズが装飾音の引っ掛けをしますが、それは新緑が芽吹き始めた木々の間を素早く通り抜ける風のようです。いろいろなイメージが広がってきます。そして何よりもフラナガン大師匠に「今日の演奏を聴いて欲しかった」という想いの込められた風のようでもあります。時折16分音符の連続した音が物凄いクレッシェンドで膨れ上がります。ノーペダルで豊かに、そして一気に加速してフレーズが降りていきます。印象的な高音のフレーズ、そして間髪いれずに左手の単音でアクセントを取ります。本当に快調にスィングしています。寺井師匠は、ミスを恐れず大胆にピアノを弾かれています。そのどれもが「すごい」と思わず唸るような気迫と、たっぷりとした歌い上げで、ずっと引き込まれたままです。ベースソロでも様々なフレーズが飛びだします。韻を踏んだ低音から高音への広がり、そして男性的なたくましい音が続きます。再びピアノへ戻り、ドラムはピアノのもつイメージに添えて音を出していきます。それが3人のハーモニーとなって、縦の重厚なラインが耳に届きます。ピアノはやや強めの音で、エンディングへ。今日は曲の数も多く、疲労はピークだと思われますが、全集中力を傾けて、ひたむきに演奏されるトリオの姿に胸が打たれました。 4曲目はマット・デニスの"That Tired Routine Called Love"です。1コーラスのピアノソロでのルバートは、特に左手の返しと強弱がとても印象的です。微妙なずらしは、見事に細かくてきれいです。そして、ロマンティックな雰囲気が漂う一方で、冷静沈着な姿勢は崩れません。下からあがるフレーズは、ものすごいクレッシェンドで一気に広がっていきます。そして、テーマ前のグリスは、いつも以上に大迫力で迫ってきます。ベースとドラムの呼吸もピッタリです。36小節目のベースは、宗竹さんらしい太い音で4つの音を大きく入れます。アドリブヘのひっかけは、高音域から下へおりながら入ります。そして、4分音符のゆったり感と8分音符のスピード感でぐいぐいとスィングさせていきます。ドラムはシンバルを擦り、端をスティックで叩き、バスドラで合いの手を入れながら変幻自在にリズムを刻んでいきます。そしてベースソロは、伸びやかに低音から入り、休符を挟んでリズミカルに歌い上げます。バッキングのピアノは、さり気なく様々なパターンの音とリズムでサポートしていきます。トリオの演奏は、決して深刻ではなく、ロマンティックで軽やか、そして“粋”な感じが伝わってきます。ラストテーマでの36小節目で再び…。思わずニヤリとしている寺井師匠の横顔。そのままの勢いでエンディングヘ。 5曲目は、"Good Morning Heartache"です。2001年3月のジャズ講座でも取り上げられた曲で、ビリー・ホリデイが歌っていた曲です。エラのカーネギー・ホールでのコンサートは、ホリディの好きだった歌に挑戦できる喜びと彼女への尊敬の念をバンプの語りで述べていました。フラナガン大師匠は常にビリー・ホリディを聴くことを寺井師匠に勧められたそうですが、今日のフラナガニアトリオは、そのアドバイスに対して答えているようでもあります。エラはC、ビリーはD♭で歌っていますが、フラナガニアトリオは、ビリーと同じキーです。極めて小さい音で悲しげな音色の1音目から入ります。そして、リフレインによるピアノのメロディは、悲しみがつきまとっている様子を表現しているように聴こえます。失恋をして恋人が忘れられずブルーになっているのですが、ビリーの歌は、身も心もよじらして愛するひとを想いだし、一人部屋の片隅で空虚感に苛まれながら抜け殻のようにたたずんでいるという姿が思い浮かびます。しかし、寺井師匠のピアノは、気持ちの強い人がじっと苦痛に耐えながら、冷静であろうと努力し、しかしどうしても悲しみから抜け出すことができない…そんな強い葛藤を繰り返している歌に聴こえます。"Good morning heartache"の"Go"の音程を下から繰り上げて弾くのではなく、"Good morning"は同じ音程でキープされているために、ねちっとしたニュアンスは感じられません。そのあと"saying to you"のフレーズを下げるのではなく上げる。ドキリとしました。そしてサビ前の"What's new"からサビ頭の"Stop"までの一息感は、本当にゾクッとしました。サビあとの5回目の"Good morning heartache..."で初めて引っ掛けあがりのフレーズが聴こえました。ここで初めて、失恋に対する悲しい気持ちを正面から見据えたという感じに聴こえます。そして最後の"Good morning heartache..."ですが、ピアノは"heartache"のフレーズを明るい音色で歌い上げます。この曲はハッピーな曲ではないけれども、この響きによって、救われたような気分になります。アドリブに入ると、激しくフレーズが折り重なってリフレインによる強調が続きます。「無理をしてあなたのことを忘れるのはやめた。けど、辛くてかなしくて、どうしようもない」という歌い上げに聴こえます。そしてわずかハーフコーラスのアドリブで、ピアノはたっぷりと歌い上げ、サビからテーマに戻ります。しかし、アドリブで歌い上げた気持ちが一息に続き、さらにフレーズが続いているように聴こえます。"Stop haunting me now, Can't shake you no how”とフォルテで弾いたあとは、一変してピアニッシモで"Just leave me alone…"とカラーが変わります。このメリハリは、寺井師匠ならではの魅力です。いつもこういうところをコピーしたいと思うのですが、できません。実際弾くのはなかなか難しいです。 6曲目はドラムの河原さんをフューチャーして"Mean Streets"です。難曲です。とてもスピード感のある曲ですが、それは単にアップテンポだからという単純な理由だけではありません。ピアノの音は、軽くすばやくそして鮮やかな技を巧みに決めていきます。そしてあのピアノのリフの後は、ベースソロが入ります。ドラムのソロでは、強弱緩急の伴った音で表現していきます。その間、寺井師匠は両腕を抱え込んで、じっとしています。何かを抱きしめているような姿に、とてもぐっときてしまいます。激しいドラムのソロのあと、ピアノは倍テンでさらに大迫力で迫ってきます。そして鮮やかにエンディングへ。3人のコンビネーションが絶妙の演奏でした。 7曲目は"Easy Living"です。2001年11月17日のフラナガニアトリオのライブで、初めて演奏されるのを聴きました。フラナガン大師匠の急逝を知った直後の演奏でした。そのときは本当に聴いていて胸が締め付けられるような辛い気持ちでした。寺井師匠は、後日「トミーと私が歌詞本来の意味と重なってブサイクな演奏になってしまった」とその時のことを振り返っておっしゃっていましたが、今日のトリオの演奏は、あの日の演奏とは全く違うイメージに聴こえてきます。ピアノはルバートでたっぷりと歌い上げます。"There's nothin' in life but you"の"But you"のところは、物凄い切れ上がりのフレーズで、唯一貴方以外の誰も考えられない・・・という気持ちがストレートに伝わってきます。それだけ“惚れて惚れて惚れぬいている”という強い感情が表出されているようです。サビからベースとドラムが入ります。サビあとの"Living For You"は期待通り上がります!アドリブに入ると、ゆったりとしたフレーズから次第に激しさを増していきます。16分音符と32分音符が次第に増えて、加速されていく感情の高まりが溢れていくようです。「あなたが好きで好きで仕方ない。あなたに恋していることが私の生きがいだ」と、強い気持ちで表現しているように聴こえてきます。それがハッピーなことなのか否か、となれば、今回の演奏はハッピーな曲に聴こえます。それは、例え愛する人がこの世から消え去ったとしても、それほどまでに好きでいられたことが幸せで、しかもその気持ちは、もはやぶつけていく相手が手の届かないところへ行ってしまったあとも、ずっとずっと心の中に住みつづけているのだから。そんな風に想いつづけられることは、やはり幸せなのだと自分自身に言い聞かせているようにも聴こえました。エンディングは逆順で、リフレイン3回を繰り返したあと、見事に終わります。そして、最後の最後に"Living for you"が聴こえてきましたが、当然ここでも「あがりのフレーズ」で決めました。バッパーの心意気です。 8曲目はダメロンの"Our Delight"です。フラナガン大師匠が録音しなかった曲ですが、寺井師匠はこの曲をずっと演奏し続けるとおっしゃって曲に入りました。アップテンポで軽快にスィングしていきます。私達にとって音楽は、最高に素晴らしい感動を与えてくれるものです。しかも、それが脈々と受け継がれているバップの流れにのっている音楽なのだということです。この曲を聴くと、これから先もこの道を歩み続ける決意が感じられます。そんな精悍なフレーズが耳に届きます。今日の演奏は、その決意の証のようにも思いました。私達リスナーは、そんな音楽を受け止め、一体となったこのOverSeasで、時代も身の回りの制約もあらゆる日常の物事を忘れ去り、不思議な空間を共有しているのだという気持ちになりました。ベースソロは、高音の弦のたゆみによってリフレインのフレーズが続きます。そうかと思えば、いきなり低音からぐんとのぼり、ドラムは後ろで合いの手を入れます。そしてブラシの擦りに変えて、ベースと素晴らしい会話を続けます。寺井師匠は、そんな2人の関係を見守りながら、弾きすぎない気品のあるバッキングで、スィング感をさらに煽っていきます。バースチェンジでも、河原さんのドラムは疲れを見せず、はっきりと確信のある音で叩きます。ピアノはそのフレーズの音を感じ取って、返事をします。あのリフが入り、ピアノのグリスは、一度上へ、今度は下へと一息に弾ききります。エンディングに入ります。もう今日のライブは終わりになる…と淋しい気持ちになります。もっと聴きたい・・・そんなリスナーの気持ちで溢れ返り、拍手はいつまでも止みません。 そして、アンコールです。1曲目はエリントンの"Come Sunday"から、デトロイトのスピリチュアルソングである"With Malice Towards None"へのメドレーです。ピアノはルバートからゆったりと入ります。B♭ではなく、D♭キーの音色は、心のひだに入ってくるような、染み込むような繊細さがあります。たっぷり1コーラスの歌い上げは、本当に神々しい雰囲気に溢れていて、無宗教の私でさえ神様が存在して私達を包み込んでくれるような、そんな寛大さで見守ってくれているような気分になります。そしてD♭メジャーをイオニアン・スケールで一気にぐーんとあがって弾くフレーズから、リディアン7ThのGを弾いた後、何事もなかったかのようにCメジャーに転調してDmの5度であるAの音から"With Malice〜"に入ります。メドレーの難しさを感じさせないスムーズな転調に一息感が伴っており、思わず唸ってしまいました。このつなぎがギクシャクすると、せっかく気持ちをぐっと引き寄せられたのが、スパッと切れて精神的によくないのですが、寺井師匠の演奏は、このようなつなぎの部分がごく自然です。本当に自然に2曲が繋がって聴こえてきます。もちろんそうでないとメドレーの意味をなさないのだとも思います。この曲は、数ヶ月弾いたぐらいで弾きこなすことはとてもできません。コード進行はシンプルなのですが、そこに精神的な深みがなければ、まったく子供が無邪気に弾く楽曲になりかねません。寺井師匠の"With Malice〜"は何十年も弾きつづけて現在にいたっています。そして毎回違ったアプローチで迫ってきます。そこに、私達それぞれのこの曲への想いが重なって、次々とイメージが広がっていくのではないでしょうか。時には激しく16分音符で畳み掛けるようにベースに迫ったかと思えば、一変して2分音符と4分音符でゆったりと弾く。ドラムもシンバルのリズムを変えながらいろいろな角度から歌い上げをしていきます。ピアノはもうあがりきれない際のところまで鍵盤を弾いて、それが天に近づいていくように感じられます。そのあと、一気に加速して降りていきます。いろいろな葛藤や苦しみや悲しさ、喜びやうれしさなどのたくさんの感情が渦を巻いて、ぐるぐると心の中を回ります。リフから再び気持ちをぐーんと盛り上げて、もうこれ以上耐えられないぐらいに迫ってきます。そして一変してカラーチェンジをしたラストテーマに入ります。左手の返しも最初より激しく、しかし最後の8小節で再びトーンを落としてからまたフォルテへ持っていきます。このメリハリ感も素晴らしく、感動で身動きができません。そしてテーマに入ると、さらに力強くスィングしていきます。右手のあの高速フレーズも見事です。今日はこんなに多くの曲を弾き続けているにも関わらず、その勢いは止まる事がありません。この空間のどこかでフラナガン大師匠が微笑みながら聴いているような気持ちになります。ドラムのアドリブも絶妙です。ぴたっとはまる音、そしてビート感の凄さは、ベースとのコンビネーションによる相乗効果です。一気にエンディングまでいきました。拍手喝采の中終わります。 続く2曲目は"Cup Bearers"です。ピアノソロからゆったりと入ります。そして、アップテンポでテーマへ。軽快です。ドラムはサビで激しくリズムを刻みます。そしてスティックで太鼓とシンバルを混ぜながら叩きます。アドリブでは、ピアノが物凄い勢いでずっと全速力に決めを連発していきます。次から次へといろんなフレーズが飛びだします。そしてベースとドラムはそのフレーズを敏感に感じ取って、色々なカラーで変化をつけていきます。ドラムソロは、勢い良く巧みに。そしてピアノはリフを入れながら会話をしていきます。低音の左手が入りテーマへ。思わず拍手が沸きます。ラストテーマのサビも、ベースはぐいぐいと4ビートでスィングさせます。あっという間にエンディングへ。爽快な演奏でした。 アンコール最後は、エリントンの"Black And Tan Fantasy"です。エリントンの"Prelude To A Kiss"に始まりエリントンに終わる。これほどまでの集中力で演奏をされ続けた寺井師匠の指は、その痛みが伝わる程です。ドラムのシンフォニックな音から入ります。エリントンらしい左手のピアノ音。そしてテーマに入ると、ブラシでシンバルを叩き、ベースは低音で唸りながら歌い上げていきます。ピアノは丁寧にメロディーを弾きます。肌の色なんて関係なく、性別も問題とはならない。「愛」にはいろいろなものがあって、恋人への愛、兄弟愛、家族愛など…いろいろな「愛の形」は存在するけれども、寺井師匠がフラナガン大師匠に対して抱きつづける気持ちは、「肌の色や性別なんて一切関係の無い、人と人とが純粋に愛し合うこと、そんな“永遠の愛”が心の中に生き続けるのだ」という想いが伝わってきます。アドリブに入ってもそのピンと張った緊張感は、ずーっとたるむことなく引っ張られたままです。右手のトリルが高音で鳴りつづけます。激しく激しく続きます。そして引っ掛けて下へ降りるフレーズへ。ドラムの細かく叩く音が合図となってベースソロに入ります。ベース音は低音を中心として力強く、そして途中で一瞬倍ノリに変わった後、再びゆったりとぐいぐいと歌いあげます。何コーラスもソロがあるにも関わらず、まったく長さを感じさせない集中したフレーズが続きます。フラナガニアトリオがこの曲を演奏されているのを初めて聴いたのは2000年6月です。その時以来このトリオでの演奏を聴いてきましたが、演奏を重ねるごとに、より一層いぶしあがったような深みのある音に変わっています。日々変化し続けるアレンジ。音楽に対する飽くなき探究心を感じ取りました。
今日の演奏は、本当にたくさんの想いと景色が見える名演奏だと思いました。どんな言葉を書き並べても今日のこの演奏の音にはかないません。この感動は文字では伝わらない気がします。生で聴いたときの、その瞬間の感動をどうやって表現したらいいのかと、あれこれ悩みましたが、やはり生のライブを聴かないとこんな文章を並び立てても、仕方ないなぁと強く思います。涙を流す方、感動で眠れない方、いろいろだと思います。私は、興奮すると文章を書きたくなるという変な習癖があるため、駄文をだらだらと書き並べています。感動しないと文章も書けません。まだまだ書き足りない気持ちでいっぱいです。 フラナガニアトリオでしかできないトリビュート・ライブ。本当に感動しました。フラナガン大師匠に対する寺井師匠の想い。私達の想い。そしてこれからもずっと続くであろうフラナガン大師匠の素晴らしい音楽を絶やすことなく私達が継承していきたいという想い。こんなたくさんの熱い想いは、きっと天国のフラナガン大師匠に届いているのだと思います。 また次のトリビュート・ライブでは、さらに進化したトリオの演奏を強く期待しています。
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投稿日 3月17日(日)00時43分 投稿者 管理人 演奏曲目 1st. 1. All Day Long 2. Chelsea Bridge 3. Embraceable You 〜 Quasimodo 4. Minor Mishap 5. But Beautiful 6. Rachel's Rondo 7. Dalarna 8. Tin Tin Deo 2nd. Encore 店に入った私が、珠重さんに「ここ!」と言われた席は、偶然にもトミーさんが亡くなったその日にフラナガニアトリオの演奏を聴いたあの席、河原さんのドラムセットのすぐ真横の席でした。 実は今日の1曲目は何だろうとずっと考えていたのですが、予想はまったく外れて"All Day Long"。寺井師匠が初めてトミーさんの演奏を聴いた曲とのMCに納得でした(2曲目の"Chelsea Bridge"も同様とのこと)。1セット目が"Tin Tin Deo"、2セット目が"Our Delight"、アンコールが"Black And Tan Fantasy"という終わり方は、偉そうですが予想していました。 ボロボロ泣きながら聴かなければならなかったあの日のライブからちょうど4カ月。当然、今日は曲目も演奏もまったく違います。今日のライブは天国のトミーさんをひたすら喜ばせるべく構成され、演奏された、世界広しといえどもまさしく寺井尚之“フラナガニア”トリオにしか絶対できない追悼ライブだったと思います。 そして、今夜いっしょに聴いた皆さんは同志です。むなぞう君だけじゃなく同志のみなさんの書き込みをお待ちしています。 ↓↓↓今夜の写真 僕の大好きな‘Beyond the Bluebird’では、ほんとに胸が一杯になりました。ラストの‘Black and Tan Fantasy’は、まさに「ジャズの本質はここにある!」といわんばかりの演奏だったように思います。 寺井師匠、珠重さん、ニューヨークでダイアナさんと充実した時間を過ごせるよう願っております。お気をつけて行ってらっしゃいませ! おつかれのことと思いますが、師匠&珠重さん、NY行き、どうぞお気をつけて! 昨日あの場で熱心な聴衆の皆さんと師匠のピアノが聞けてほんまよかったです。お帰りもお気をつけて・・・ 滅多に無い寺井さんがベストプレイと自己批評する渾身の演奏に接して、オイラは自分の仕事に青白い炎のような志をもって取り組み、少しでも寺井さんやトミー・フラナガン氏の境地に到達したいと思う今日この頃です。 「それまでどうするんですか?」と尋ねたら、「ブルーミングデールズにでも行って買いもんしてくるわ」と観光客のような事を言っておられました。 掲示板のカキコで速報をぜひ教えてくださいネ!!それにしても、主婦業三週間目にして眠れない夜を過ごしています!ライブレポートをせっせと書いているうちに目が冴えてきて・・・。フラナガン・トリビュートは、その内容ゆえに、私なんぞにはとても書けないなぁ、と思っていたにもかかわらず、やはり書かないと落ち着かなくなって・・・。電話台にパソコンを置き、ダンボールに埋もれながら、せっせと書いて、やっと1セットが終わったところです。何度思い出してもすごかった。早く書き上げたい。 PS 成田上空でやはり強風で1h以上も待たされたたり大変でした。飛行機の時間帯によっては、国際線の一部が燃料切れで羽田に着陸し、再び、成田に戻るという大変な事態であったようです。なにより、ご無事でよかったです。NYからだとお疲れだったでしょう。師匠はNYからANAかなにかの直行便でお帰りなさったのですか? また、NYのお話楽しみにしています。ごゆるりとなさってください。 2セット目のフラナガニアトリオとトミーさんとの会話は壮絶。宗竹,河原両氏は寺井氏と完璧に1つとなり、フラナガニアトリオとトミーさんが心の会話をしている。その会話にファンも心を傾ける。店の中は外のビジネス街とはまったくの異次元空間となり、トミーさん,寺井さんに思いを寄せる仲間が感動の涙を流した一夜でありました。私はWith Malice・・で遂にこらえきれず、大粒の涙を流してしまったのでした。トミーさん、寺井さん本当に有難う。いい音楽を! ホテルにチェックインしたのはお昼前、12時半にダイアナに電話したら出てこない、待機して2時半にかけなおすと寝ていて1時間後にかけ直すと言う、しかし4時5分になっても掛けてこない、ヤバイ、こっちから掛けると10分後に掛け直すと言う、疲れているのに待機ばかりでツライ。結局7時に家まで来いと言う。家に行くと、まるでトミーがちょっとどこかに出かけている様な状態、今すぐにも帰ってきそうなまま・・・1時間余りトミーの最後の模様を聞かされて涙が出た。 それからミナミの方(ヴィレッジのことです)に食事に出かけた。ダイアナは家でも「ピアノは弾かないで、思い出すのが辛いから」といっていた様に、ライブはギターとベースのデュオ。ギターはダイアナの友だちのピーター・リーチ、ベースはわしの友だちのショーン・スミス。トミーの死後初めて街に現れたダイアナに対してピーターが「エクリプソ」や「ストレイホーン」の曲をプレゼントしたら、ダイアナが泣き出した。この店を出て1日目は終わったけど、ダイアナは異常にHIGH、2日半と言う強行スケジュールを押してダイアナに会う為だけに行った我々にすごく喜んでくれた。そのWALKER'Sという店の皆にその事を強調していた。 また始めは固辞していたけど、皆さんからの募金をすごく感謝していた。さらに、ダイアナが認めないためにNYではいまだ行なわれていないトリビュート・コンサートを私のトリオが前日16日に大阪でやった時に、管理人さんの作ってくれたチラシを皆に見せて大喜びしてくれた! 夕方ダイアナから電話があり、余り疲れたからと夜の約束をキャンセル。こちらも同様でホテルで休む。 少し休んでジョージと昼ごはん。色んな話をして3時間余り過ごす。やはり彼は信頼できる兄貴分、風呂に入ってフラナガンの家に向かう。 フラナガンの家についた頃は疲労のピーク、少しして名ピアニストのディック・カッツ夫妻が来る。11年ぶりの再会。奥さんは声も動きもウォルター・マッソーそっくり! NYのミュージシャンの間では噂がすぐ飛ぶから、おとといダイアナが街に出た話はたちまち広がり、ジョン・ファディス(tp)から花束が届いていた。しばらく話をしていると、どうした事かダイアナがピアノを弾いて欲しいと言う。 また、珠重さんからはすでに当日演奏された曲目の解説(作曲者等はもちろん、その曲をめぐる寺井師匠とトミーさんとのエピソードを説明したもの)が届いております。 それから誰とは言いませんが、寺井師匠の弟子でありながらトミーさんの初期の代表作「オーバーシーズ」を持っていない、あるいは店でBGMでかかっていてもそれが「オーバーシーズ」であるとわからなかった2人は(他にもいると思うが)、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ前に、または寺井師匠に破門される前に早くワルツ堂カリスマ店に行って買いなさい。 それから今さら説明するのもなんですが、ダイアナさんが喜んでくれたという、私がデザインした今回の追悼ライブのチラシに使った写真は、最近発売された追悼CD『エンヤ・デイズ〜エッセンシャル・トミー・フラナガン』(徳間ジャパンコミュニケーション、商品番号TKCB-72323)のジャケットに使われた(もちろん貸したのは寺井師匠)、あの写真です。レコード会社はモノクロにして使ってますが、私はカラーのまま使いました。何も知らない人は「なんで真っ赤なトレーナーなんか着ているんだ」と思うかもしれませんが、あれはトミーさんがOverSeasのトレーナーを着て、OverSeasでコンサートを行った時の写真です。その場にいたかった。 ↓↓↓それで珠重さん、これのポストカードはあと何枚くらいいるんですか? 今夜のジミーのバラードは「I'm Glad There Is You」、パーシーのチェロフィーチャーは「How High The Moon」,そしてアンコールはジェブ・パットンとパーシーのデュオでハナさん作曲の「Century Rag」。 ジミーは相変わらず充実しています。パーシーのビートは限りなくディープで、トゥーティーはフラナガン・トリオの時よりものびのび楽しそうです。すっかり痩せたジェブ君はメロディーラインがくっきりでるようになり、かなり良くなっていました。 寒風吹きすさぶアヴェニューを寺井尚之とダイアナは肩を組み恋人同士の様に歩いて行きましたが、腰痛の寺井は、膝痛のダイアナの重みを一身に受け死にそうになっていました。ひょっとしたら、その肩にはトミーがイヒヒと笑いながら乗っかっていたかもしれません。とてもNYなおいしいアメリカ的イタリア料理をいただきながら、ディック夫妻とダイアナから“あの頃のジャズ”について語り尽くせないほど色々な話を聞きました。例えばバードランドでのチャーリー・パーカーの最後の夜の対バン、リー・コニッツ・バンドに居たカッツ氏の目撃談など、恐ろしい宝の山の様なエピソードです。そこでエスプレッソのお代わりを何杯もして夜は更けていきました。 ご主人のカッツ氏は素晴らしいアーティストのトレードマークであるキラキラしたいたずらっぽい瞳で微笑みかけて、寺井とビリー・ホリディの伴奏者談義に花を咲かせていました。“ルィーズ”での楽しいディナーの後は、ミナミへ行ってヴィレッジ・ヴァンガードのキャロル・スローンを聴く予定でしたが、ダイアナがアパートに鍵を置き忘れて外出してしまったのと、遅くなりすぎたのとで、あえなくキャンセル(疲労でヨレヨレの寺井は内心大喜び!)スニーカーの私は走ってアパートに戻りドアマンを探しに帰ったのでした。 ダイアナが心配。一方、カッツ夫妻の様な人が居てくれてちょっとは安心、その後数時間仮眠をして日本へと帰る。キビシー日程であった。 今回、トリビュート・ライブのレポートや曲目紹介を読ませてもらって、その感を強くした。今までライブの感想を書かなかった、と言うよりも書けなかったのもこの後味の悪さがあるからである。何とも恥ずかしいとしか言い様がない。門下でも劣等生と言うことでお許し願えませんか。 |